◎本丸運営九日目
「パンケーキ食べたい」

出陣している連中を待つ間、昼飯の用意をしなければならないのだが、妙な横槍が入った。

「ぱんけえきだぁ?」
「うん!」

昨日来たばかりの乱藤四郎が、パンケーキとやらが作れるらしい粉の入った袋片手に厨に突撃してきた。

「さっき万屋行った時にね、お昼ごはんにこれ食べてみたいなーってダメもとで主さんにお願いしてみたら、パンケーキ作るための粉買ってくれたの! ボクも手伝うし、お昼パンケーキにしよ?」

わざわざご丁寧に写真と作り方を印刷した紙まで持ってきたらしく、乱はそいつをヒラヒラさせながら、器用に片目を瞑ってみせた。
どいつもこいつも自由になる身体を得た途端にやりたい放題である。

「いやー……なんつうか、食った気にならなそうな見た目だな。腹ふくれないんじゃねえのか」
「いっぱい焼けばいいんだよ」
「解決方法は力業なんだな……」
「もー、いいから焼こうよぉ。絶対おいしいからさぁ」

なんてったってボクが手伝うんだから! と語尾を弾ませる乱に押し切られて、結局据わった目で卵と牛乳と粉をぶち込んだボウルをかき混ぜる羽目になった。
乱藤四郎は繊細な見た目に反して、なかなかどうして強烈なほど勢いのある刀らしい。好奇心が強いのだろう、興味を持ったものに迷わず飛び込んでいく様は見ていて気持ちがいいくらいだ。
それはいいのだが、いかんせんこのパンケーキとかいうやつ、写真だけ見るとどうも餡なしのどら焼きにしか見えない。

「乱さんよお、本当に美味いのかよ、こいつ」
「大丈夫だいじょうぶ、だってボクと正三位の日本号さんの合作だもん、ちゃあんと美味しくなるよ」
「イヤそういう問題じゃねーんだが……」

小さくボヤいたが、乱が何やら牛乳らしきものを混ぜるガシャガシャという音にかき消された。よくよく見てみると、乱が混ぜていた白い液体がとろみのある質感に変わっている。

「そいつは何に使うんだ」
「生クリーム! 乗っけて食べると美味しいんだってさ」
「へー」
「生返事〜」

けらけらと笑い声をあげる乱を横目に、棚からフライパンを取り出してコンロに置いた。
油をひいてから焼くらしい。火をつけて、油を適当にたらりと回し入れた。

「あ、ボク焼いてみたい!」
「おー、じゃあ交代……って、もうそっちはいいのか」
「うん、もうクリームは出来たよ!」

ちょっと目を離している間に、生クリームは完成したらしい。ぽってりとしたそれの味が気になって、匙でちょいと掬って食ってみる。

「あー、案外いける」

フライ返し片手に鼻歌まじりの乱が「でしょー?」と高い声で返事をした。
甘さは控えめに抑えられていて、味は良い。舌の上でほどけるように溶ける感触も新しくて、面白かった。

「甘いものは疲れが取れるっていうしさ、みんな疲れて帰ってくるだろうし、いっぱい焼いたげようよ」

言いながら、乱がひっくり返したそれはある種の重量感すら感じさせるような厚みがあった。
これでどれだけ腹が膨れるのか見当もつかないが、なるほど一応考えあってのパンケーキだったらしい。

「ま、たまにゃいいか」
「わーい、また一緒に作ろうね! 明日にでも!」
「たまにっつったろ」


◎本丸運営十日目
「朝ドラ受けも見たい三日月」

朝、まだ日も昇らぬような時間に目が覚めた。えらく早くに起きちまったが、目が変に冴えて二度寝もできそうにない。
そういうわけで、目的もなく庭をフラフラ散歩していたのだが、たまたま通りかかった本丸の門前で意外なものと出くわした。

「おや、今日は朝早いのだなあ」

三日月宗近が、竹箒を片手にのんびりと腰を伸ばした。

「え、あんた、掃除当番……? いや、こんな朝早くからの掃除当番なんてあったか?」
「いや、なに。じじいの趣味さ」

ゆるい笑い声を上げながら、三日月は止まっていた手を再び動かし始めた。
足元には淡い色の花びらで小さな山が作られている。
この本丸に、これほど花弁を散らせるだけの庭木はまだない。おそらくどこぞの山から下りてきたか、別の本丸から飛ばされてきたか、どちらかだろう。
しかし、今までこれほど花びらが散らばっているのを見たことは無かった。意識して見ていなかったせいもあるだろうが、ひょっとして三日月はこれを毎朝やってたのか?
聞けば、わざわざ問われるのも意外だとでもいうようにアッサリと頷く。

「じじい故か、どうも朝早くに目が覚めてな。あさどらの時間までは間が空くし、まあ暇つぶしさ」
「へえ、朝っぱらからドラマなんか見てんのか」
「ああ、しかしせっかく見始めたというのに三月いっぱいで終わってしまうらしい。さみしいことだなあ」
「あんたといい乱といい鶯丸といい、どいつもこいつも俗世に染まるのが早えな」

呆れ半分で笑えば、三日月も小さく笑いながら、けれど静かに目を伏せ、ゆっくりと口を開いた。

「せっかく人の身を得たのだ。心ゆくまで各々楽しみ、各々の幸せを見つけるのもまた良かろう」
「幸せねえ」
「日本号の幸せは酒か。これからまだまだ自分なりの幸せを見つけていくも良し。ひとつを突き詰めるも良し。物故の幸せもあれば、人の身でしか得られぬ幸せもある」

静かに言われて、顕現した日に飲んだ酒の味を思い出そうとした。
けれどすぐ、三日月にちりとりを抑えるよう言われ、慌ててそれに従った。塵が風に持っていかれないよう作られた、箱型のちりとりだ。こいつも政府側からの調度品らしく、やはり妙なところで気が利いている。
三日月がちりとりの中へ花びらを集めていくのをしゃがんで眺めながら、少しだけ重たくなった上唇を持ち上げた。

「なあ、毎朝はちっとキツイが……たまにゃ手伝うぜ、これ」

こちらが真面目な顔で言っているのに、三日月は何が面白いのか声を上げて笑いやがった。

「んだよ」
「いやあ、日本号は優しいのだなあ」
「優しいって……槍にする形容じゃねーだろ」

子供扱いされたような気がして、何となく落ち着かない。それをごまかすように、後ろ手に頭をがしがしと掻いた。

「優しいさ。まっすぐな、いい槍だ」

柔らかい声が頭の上に下りてくるのがくすぐったい。
飾り気のない言葉ほど、かけられると気恥ずかしくもなるが、その分やはりまっすぐに届いてくる。そういう力のある言葉を扱えるのもまた、ある種の強さなのだろう。


◎本丸運営十一日目
「某保健委員会委員長曰く」

敵の制圧まであと一歩、というところで全員の刀装が全壊した。
すでに幾度か出陣したことがある戦場だったため、三振りという少数での出陣である。数の問題というよりは、少しばかり油断が生じていたのかもしれない。
かすり傷を頬や腕に作りながら敵の一団をとりあえず退け、いったん林に身を隠しながら手当てを行うことに決まった。
隊長である薬研藤四郎の判断である。

「悪いな、だがまあ薬研がいて助かったぜ」
「気にするな。自分で言っといて何だが、俺も応急処置くらいしか出来ないんでな」

今はこれで勘弁してくれ、と語尾に力を入れながら、薬研は俺の右腕に巻いた包帯の端を結んだ。血が滲んではいるが、軽傷と呼ぶのもばかばかしいくらいの怪我だ。進軍に問題はないだろう。
あと一息で連中の動きを崩せそうなのだ。勢いはこちらにある分、ここで退いて出直しは悪手である。

「日本号、いけそうか……なんて聞くのもいらねえ世話か」

さっそく包帯を巻かれた右の腕で得物を軽く振るいながら、自身の具合を確かめるこちらの様子に苦笑しながら、薬研は医療道具をしまい始めた。

「つい面倒見ねえと、なんて思っちまうからなあ。どうも余計な世話焼いちまう」

薬研がぼやくように呟くのを背中で聞いていたらしい三日月が、軽やかに振り返りながら笑い飛ばした。

「余計な世話も時には必要さ。余計でも誰かの世話がなければ俺たちは死んでしまうからなあ」
「ははっ、怖いこと言ってくれるな」

物騒なことを言いながら二振りは軽い調子で声を上げて笑っている。のんきなもんだと思いつつ、槍を振るっても全く問題がないことに安堵して、一つ息を吐いた。

「俺たちも少しは医術ってのを勉強したほうがいいのかね」

薬研と共に出陣するたび、なんとなく考えていたことを小さく呟く。

「他人の世話が無きゃ死んじまうのは、物であればこそ確かだがな。しかしよ、ある程度の自由が利く身があるんだ、てめえの世話は少しくらいならてめえで焼けるんじゃねーか?」
「俺は世話されるのも好きなのだがなあ」
「そりゃ帰ってからの手入れも俺たちにゃ不可欠さ。万が一、はぐれて単騎になった時の話だよ」

眉を綺麗なまでの八の字にする三日月のじいさんに呆れながらツッコんでいると、薬研は豪快に口を開けて高らかな笑い声を上げた。

「まあ、世話ならいくらでも焼いてやるけどな。でも日本号の言うことも、言われてみりゃもっともだよなあ。包帯の巻き方くらいなら、俺でも教えてやれるぞ」
「ほう。して、包帯の巻き方のコツとは何なのだ?」

ぼやいてたわりには前のめりに聞く三日月に、薬研は空を見上げながら少しだけ考え込むような素振をした。

「なんだろうな……しっかり巻いてもきつ過ぎず、素早く綺麗に、緩まねえように、かな」
「なるほど、本丸に帰ったらめもをしなければならんなあ」
「ああ、でも確かに。キツくはねえが安定はしてるな」

言いながら、包帯が巻かれた腕を軽く動かしてみせれば、薬研は「だろ」と、嬉しげに言葉を弾ませた。

「さて、んじゃあさっさと敵さん倒して、とっとと帰ろうや」

薬研が声を低くしたのを合図にして、槍を肩に担ぎ上げる。

「おう、こっちゃ準備できてるぜ」
「給料分は仕事をせねばなあ」

口々に言いながら、おそらく敵の本陣があるであろう方向を三振り揃って睨んでやる。

「ぶっすりいかせてもらうぜ」


◎本丸運営十二日目
「鉄は海に向かって流れない」

主が仕事をする執務室には、ほとんど主の私物しか置いていない。それも最低限。
文机、仕事用のパソコン、座布団、そして大量の本棚。
物が少ない分、壁際の本棚の存在感が少々異様なほどで、しかもそこに並ぶ数多の本もすべて私物なのだという。

「しっかし、よくこれだけ集めたもんだなあ」
「あはは、まあ好きで買ったものだから。あとは仕事のために買ったものとかもあるし」
「なるほどねえ」

確かに、日本の歴史にまつわる本もそれなりの数があるように見受けられる。
曰く、そいつに関しては自分が好きで買ったというよりは審神者になるうえで受けなければならない研修の教科書、つまり必要に迫られて買ったものなのだそうだ。
しみじみと本棚を眺めていると、近侍として主の仕事を手伝っているらしい山姥切が、顔をしかめながら不機嫌そうな声を上げた。

「おい、暇なら手伝ってくれ」
「へいへい……っと、ん?」

生返事をしながら、仕方なく山姥切の言うことに従おうと思った矢先、一冊の本に目が留まった。
歴史に関する書物ばかりが並ぶ一列のなか、一冊だけ系統の異なるものが混ざっている。たくさんの固い文字と言葉が主張を強める背表紙の波に埋もれるようにして、ただ一冊「物語」を自称する大判の本があった。
抜き取って表紙を検めると、奇妙に赤紫がかった夜空の写真が一面に広がっている。夕焼けとはまるで異なる、奇怪な空。

「それ、オーロラだよ」
「……は? 何だって?」

主の言った言葉の意味がまったく理解できず聞き返すと、主は小さく笑いまじりで答えた。

「表紙のそれ、オーロラっていうんだ。海外のアラスカってところで見られるんだよ。夜空にカーテンがかかるみたいにしてね、光の帯が広がるんだ」
「へえ、海外ねえ」

どうりで不気味とも思えるほど奇体な感じを受けると思った。腑に落ちて、なんとなく安心してパラパラと本をめくってみる。
写真から受ける印象が鮮烈な本である。写真集、というものらしい。
獣の写真が特に多く、その背後に広がる景色は、日本と比べてスケールってやつの違いが明らかだった。

「お、こいつは鯨か。迫力あるな」
「ああ、俺もその写真好きだよ」

主が声を弾ませて仕事の手を止めたのを横目で見ていた山姥切が、同様に手を止めて本を覗き込みに来た。集中力が切れたらしい。

「でかいな」
「ザトウクジラかな? いいよね、それだけ大きい生き物が何頭もいるんだから、海ってやっぱり大きいんだなって思うよね」
「海か……刀にとってみれば近寄り難くはあるな」

主が首をかしげるのを見て、山姥切は眉間に皺を作りながら一言だけ「錆びる」とつけ足した。

「あはは、そうかあ。人にとっては母なる海でも刀にとってみれば天敵か」

主の何気ない一言が何となくひっかかった。

「なあ、その『母なる海』ってのは何なんだ?」
「生命すべての始まりとなる命は海から生まれたっていうから、そういう意味かなあ」
「はー、なるほどな」
「うん、地球上の生き物みーんな、海がないと生まれなかったかもしれない」

言われて、改めて手元の本をはじめからめくってみる。
つまり、この本の中で躍動している獣たちも、すべては海が始まりだったということ。
熊も鹿も狼も、すべてが海をたゆたう魚のようななにかだったのかもしれないのだということ。
目の前の人間すら、そういう何かから始まったということ。

「……いや、なんつうか想像すらできねえな。規模がデカすぎる」
「うん、ちょっと怖いよね」
「だが、海には俺たちも感謝すべきなのかもしれないな」

人がいなきゃ、俺たちも今ここにはいなかった。
山姥切が小さく、けれどはっきりと言い切った。その言葉の強さに背中を押されるようにして、いつか海に行ってみたいと思った。