なまえが父の仕事場にやってきたのは、小さな頃のたった一度だけだった。
ランドセルを背負うより前、まだ幼稚園に通っていた時のことだ。

そこで見た景色の全てが鮮やかだった。
遠くにいくつも連なる青い山々や、仰々しい漆喰の塀に瓦屋根の門、何より、その門をくぐった先にある広い庭。春を迎えた喜びを抑えられないというように咲き誇る梅や桜の花。
幼稚園と家の行き来や、滑り台一つしかないような近所の公園が世界の全てだった娘にとってみれば、そのどれもが鮮やかな魅力で満ちているのは当たり前のことだった。
あまりに大きな世界を目の前に、ぽかんと口を開けて立ち尽くすことしかできなかった、そんななまえを後ろからひょいと抱き上げた父は「ここは本丸っていうんだよ」と、教え諭すように言い聞かせ、そのまま、庭の奥へ奥へと足を進めていく。

そこに、彼らがいた。

見るからに上等そうな藍の着物を妙にきっちりと着こなしている人。
ボロ布を頭から被った目元の涼しげな青年。
学生服のような、でも少し凝った作りのブレザーを着ている少年。
等々。
とにかく、統一感はまるでなかった。

だから、これは一体なんの集まりなんだと、父の足元にそっと降り立ったなまえは思わず目を瞬かせた。父がどういう仕事をしているのか、まだ知らなかった頃だ。知ろうとも思っていなかった、そういう幼い齢だった。
彼らは、小さな娘っ子一人にいたく興味深々だった。何せむさ苦しい男所帯である、ちまっとしたそれは物珍しかったのだろう。
「なるほどこちらが主の娘御か」などと言いながら、藍の着物の男、三日月宗近はその顔を覗き込んだ。あるじ、というのが当時はよく分からず、見知らぬ人にまじまじと顔を見られるのが無性に恥ずかしくなり、なまえは半べそ状態のまま父の後ろに隠れた。その一連の動きに、三日月はまた何がおかしいのか、ゆったりと声を上げて笑っていた。

その後、父は家族を連れ立って本丸の内部を案内した。
母にしっかりと手を繋がれながら歩いたそこは、まるでテレビで見る作り話の世界みたいだと思った。
廊下の格子窓から差す白く美しい陽光とか、三日月の細工が可愛らしい欄間とか、時折飾られている刀なんかも、全部全部が新鮮だった。次の部屋、次の部屋と歩いていくうち、少しずつ小さな世界が広がっていくような、目の前が拓けて明るくなっていくような、そんな気がしていた。
その感覚を、全て覚えておきたくて、目玉をずっとフル稼働させていた。

ざっと内部を見て回った後、母の要望もあって、再び庭に出た。

庭は広いからね。
あんまり勝手な行動はしちゃダメだよ。
離れないでね。

と、両親に釘を刺された、その直後。なまえはさっそく勝手な行動に出た。
やはり初めて本丸を訪れたらしい母は、手入れの行き届いた庭に夢中だったし、ほとんど住んでいるようなものとはいえ、自分の仕事場に初めて家族を連れてきた父は、ちょっぴり浮き足立っていた。
二人の目をくぐり抜けて、再び本丸の内部へ行くのは、あんまりにも容易かった。

縁側によじ登って、脱ぎ捨てた靴を揃えもせずに、できるだけ音は立てないよう駆け出した。
板張りの廊下は、和風な建物のわりにあまり年季が入ってはおらず、靴下を履いていると時折つるつると滑りそうになった。
少し甘みのある木の香りを嗅ぎながら、あちこちを見て回った。
いちいち目を輝かせながら、だいぶ走り回り、なんとなく見覚えのあるところに出た。
薄暗い廊下が行き止まりになる、この辺りは、そうだ。さっき連れてきてもらった。
お父さんの部屋があると、言っていたような、いなかったような。
なまえは曖昧な記憶を辿りながら、目についた障子戸に何気なく手をかけた。

開けた先にあったのは、やはり一度訪れた部屋だった。
中庭に面した障子戸が開け放たれており、大量の本棚に囲まれてはいるが圧迫感はまったくない。爽やかな香りを連れた薄紅色の春風が、たった今自分が戸を開けた、その隙間に向かって吹き抜けていく。
梅や桜の木がよく見える、父の部屋である。

ただ一つ、さっきとは違っていることがあった。
人がいたのだ。
父ではない。さっき紹介された人達の中にも、いなかった人。
わざわざ文机を部屋の端に寄せて、書斎のど真ん中で横になっている。座布団を丸めたものを枕代わりに眠りこけている様は、父が言う「仕事仲間」にはとても見えなかった。
ソロソロと、畳の上を爪先立ちで進み、その人の元に近づいた。
頭には手拭いを巻いており、土であちこち汚れたタンクトップ一枚に作業着という、少し寒そうな格好。枕元に置いてあるのはタンクトップと同じように土汚れのついた軍手とゴーグル。
なまえの頭にふっとよぎったのは、近所に住んでいるおじさんのことだった。
お隣の家のおじさんは、この人と同じような格好で、庭木をせっせと手入れしていたなぁ、と。
それで、ああこの人は庭を手入れしてくれてるお父さんの友達か何かなんだ、だからお父さんの部屋でこんなにぐーたらしてるんだ、と何も知らない小さな娘は、そう一人合点した。

「風邪ひいちゃう」

よほど疲れているのだろうと思って、起こすという選択肢ははなから消した。
適当に目についた膝掛けを引っ張り出して、お腹のあたりにそっとかけた。
それからその、おそらく父の友人であろう人のすぐ横にうつ伏せになって肘をつき、その眠り顔を覗き込んだ。
何が面白かったわけでもないが、なんとなく、その寝顔がとても綺麗なものに思えてならなかった。
閉じられた瞼の膨らみが目元に影を落とし、決して長くはない睫毛が春の陽光でほんのりと光っている。
目を閉じているけれど、きっと綺麗な目をしているのだろうと、その先の瞳に思いを馳せた。
当たり前のことだが、いつも寝かしつけてくれていた母より先に眠りに落ちていたから、人の寝顔をあれだけまじまじと眺めたのは、多分初めてのことだった。
いつまでそうしていたか、しかし、頬を緩めて気持ち良さそうに寝ている様子に釣られるみたいに、次第に眠気を誘われた。
春の陽気と、それをちょうどいい具合に冷ます涼風も手伝って、なまえはいとも簡単に眠りに落ちていった。
目を覚ました時にはすでにその人の姿はなく、代わりに、彼にかけてあげたはずの膝掛けが、眠りこけたなまえの体にかけられていた。
辺りを見回しても、縁側から中庭を見ても、その姿はとうとう見当たらなかった。
それが何でか、少しだけ寂しかった。

直後、バタバタと駆けつけた母からの特大の大目玉を食ったのは、まぁいい思い出とはいえない。 勝手なことをした挙句、慣れない場所でも平然と眠りこけた娘に呆れ返ったような父の、しかし安堵したようなため息にはさすがに反省せずにいられなかった。

「そういえば、お父さんの友達のおじさんは?」
「え、友達?」
「うん。寝てた。庭のお手入れするみたいな服着てたよ」
「庭のお手入れ……? ああ! ひょっとして日本号のことかな」
「にほんごう」
「うん、そうだ、畑仕事頼んでたんだった。いやしかし、そうか、庭のお手入れなぁ。あはは、確かにね、庭師みたいかもしれない」

父はずっと一人で笑い続けていた。その勘違いがおかしすぎて忘れていただけだろうが、結局その「にほんごう」について、詳しく教えてくれることはなかった。
笑われるのは無理はないと、今なら分かる。

その日、なまえが再び日本号に会うことはなかった。
また機会はあるだろうからと、大した長居はしなかったのだ。

その一度以後、父は身内を本丸に一切近づかせなかった。



『日本号さんが言ってた通り、主さんは優しい人だね』

明るい声色に、肝が冷えた。
何でか、「優しい」と言われたことで、まるで真逆な自分の内心を見透かされたような気がしたのだ。

つい、口を滑らせた。
父の跡を継ぎたいと思ったのは、彼らに言った言葉そのままの通り、父が人生のほとんどを過ごしたであろうこの場所を、自分の手で守りたかったからだ。
父が半生を過ごした場所を、赤の他人に任せてしまいたくなかった。出来るなら、父を支えてくれた彼らと共に、父の過ごした場所を守りたかった。
けれど、これは父への裏切りでもある。身勝手な、私のエゴだ。
父は審神者としての仕事のあれこれを、ほとんど教えてはくれなかった。審神者の仕事に近づけさせなくなった。
それはすなわち、父は娘がこの仕事に就くのを望んでいなかったということ。父は家族に、この国で起こっているのが間違いなく「いくさ」なのであるということを、知られたくなかったということだ。
守りたいだとか、結局は自分の勝手に過ぎない。
本当はずっと、ずっと前から、そういう父の思いやりに気づいていた。

父のことが好きだった。だからこそ、その思いに気づけたのだ。
尊敬もしていた。人として憧れた。

一年に二、三度ほどしか帰ってこないのに、そんな貴重な休みを割いてまで、日本史の勉強を教えてくれた。
聞けば何でも分かりやすく、たまに冗談を言いながら話をしてくれた。
歴史は楽しいのだと思わせてくれた。

なのに結局、最期まで、肝心なことは何一つ伝えられなかった。
「好き」だとか「尊敬している」だとか、言わなければならないことが口からようやく零れ落ちたのは、結局意識のなくなった父が病院に運び込まれた後だった。父の胸にすがりながら溢れ落ちた言葉は小さく無残で、拾い上げてくれる相手はもういなかった。

そうだ、優しくない。
優しく見せかけているだけの、身勝手で言いたいことも言えない臆病者だ。

どうしたら取り繕えるのだろうかと、やらなければならないことも、覚えなくてはいけないことも、全部そっちのけでそんなことばかり考えていた。
ここにいるために必要なものが、求められているものが、「心優しい主」なのだとしたら、自分は意地でもそれを突き通さなければならなかった。
優しいのは間違いなく、悪意や嫌味の一切もなく人間を「優しい」なんて形容できる彼らのほうだった。
その優しい言葉に抗うことも出来ず、一日中腹の底に石を詰められているような心地で過ごした。歓迎会だ祝杯だと出てきたご馳走もお酒も、ろくに喉を通らなかったので、申し訳なさで余計に胸が軋んだ。
胃も腑も心の臓も、全部いっぺんに縛り付けられているようなこの胸の痛みが、父の優しさに背いてここへ来た罰なのだとしたら、自分はそれを甘んじて受けるほかないのだと、なんだか妙に納得できてしまった。
つまり、自分は思っている以上に自分自身の罪に気づいているのである。
それがなおのこと、苦しかった。



「おお、何だ。眠れないのか?」

明かりの少ない廊下の暗がりの先で、一つの大きな影が行く手を塞いだ。目をこらしながら近づいてみれば、その影の正体はあっさりと判明した。ひょいと片手を上げているのは、昔から姿形の何一つ変わらない、ゆるいツナギ姿の日本号だった。
声をかけられた当のなまえは、言い当てられた通り。布団に入っても夜が更けても、眠ろうにも眠ることができず、水でも飲みにいこうかと厨を目指していたところだ。
急に現れた、不眠の引き金の姿に動揺して、それでも何とかなんでもない風を装って「そうなんです」と一言で返した。

「厨に行くのか。場所は分かるか?」
「はい、多分大丈夫です」
「ほーお」

日本号は、何でだか楽しげな笑いまじりで声を上げる。

「どれ、正三位がナビしてやるかねえ」

言ったかと思うと、日本号はさっさと厨目指して歩き出してしまった。呆気にとられていると、日本号は大きな歩幅やら長い足やらを遠慮なく見せつけるように先を行くので、なまえも慌ててその背中を追いかけた。
大丈夫だ、と言ったにも関わらず、これは一体どういうことか。
答えは簡単だろう、「多分」なんて曖昧な言葉では取り繕えなかったということだ。本当は、たどり着けるか少し不安だった。
見透かされているのだ、きっと。この、人の姿をした神様に。

「あの」
「ん?」
「優しいって、何でしょうか」

不意の問いかけに、日本号はわずかに目を見開き、足を止め振り返った。
そのほんの一瞬、隣を歩くでもなく真後ろを歩いていた娘の身の小ささに、日本号は内心少しぎょっとした。

「優しくないです、私は」

足は止めたが、言葉だけはどうにも止まらなかった。
当の日本号も、何の話をされているのかなんとなく察したらしく、笑顔はとうに消えている。

仮に、何でも見透かしてしまう力がこの神様たちにもあるのだとしたら、隠すのは意味が無いように思えた。
もう、心の内に留めておいても腐るしかない感情なら、いっそここで清算してしまいたい。これで全部がご破算になって、ここに居られなくなっても、それは仕方の無いことだと思った。

「何をもって優しいとするのか、私には分からないです」

大事なことは何一つ言えないくせに、こんな反発だけはいっちょまえに口に出来てしまうのだから、まったくもって嫌になる。
今、こちらに向けられているであろう瞳は多分、初めてここに来たときからずっと焦がれていたものだった。初めて訪れた場所で眠りこけるような幼さの中で、小さくも確かに焦がれていたそれが、こんな形で向けられることになった不本意も、こちらにとっては十分な罰になり得た。

「言えなかった言葉がたくさんあるせいで、父を傷つけたと思います。多分、今も現在進行形で、父を裏切って、傷つけています」
「あんた……」

多分、父を慕っていたらしい彼らにこそ、言ってはいけないことだった。
頭の中で渦を巻く澱みの重さに耐えかねて、均整のとれた美しい木目が並ぶ板張りの床に視線を落とす。

「主……いや、あんたの父親が言ってたんだがな」

黙ったまま俯いた頭のてっぺんに、やんわりと降りてくる言葉の感触が意外なほど優しい。その柔らかな声に驚いて、しかしそれでも顔を上げられなかった。
そんななまえの様子もお構いなしに、日本号はつらつらと思い出話を語り始めた。

「いつだったかね、あいつから家族の話を熱心に聞かされたことがある。
多分酒が入ってたんだろうなぁ、やけに饒舌だったぜ。
娘の話が出たよ。そう、つまりあんたの話だ。
『娘がね、いつもうちに帰ると文句の一つも言わずに出迎えてくれるんだよ。父親らしいことなんてほとんど出来ちゃいないのに、ちょっとだけはにかんで、口には出さないけど嬉しそうにしてくれるんだ。あの子はきっと、言葉にするのが少し苦手なだけで、それでもやっぱり』

「ちゃんと優しく育ってくれたことが嬉しかったんだと」

日本号は、いまだに俯いたままの主から視線を外して、廊下の壁のほうを見た。その小さな動作は、自分の主の瞳から滴ったらしい涙が落ちる、静かな音に気づいたためだった。
わざわざ前任の話を出さずとも、あの時、小さな頃のあんたに会った時に自分が思ったことなんだと、主観で言っても良かったのかもしれない。主従の間柄には、そのほうがよっぽど良かったのかもしれなかった。
けれど、今この時、必要なのは明らかに前任の言葉だと、日本号には分かっていた。

「言えない言葉で傷つけたり、期待に応えられないがために傷ついたり、人間ってのは忙しいよな。何をしたって、何もしなくたって勝手に傷つく。
人の身を得て俺もなんとなくだが分かったよ。槍だった頃はただ滑稽で悲しかった人の感情のあれこれが、我が身になってようやく分かった。
人は傷つけて傷つけられて、ようやく学ぶことができるんだな」

かなり饒舌だ。ひょっとしたら自分は、目の前の娘が落とした涙に結構焦っているのかもしれない、と思った。

「軽率な言葉だった。あんたには、すまなかったとも思う。でもあんたがどれだけ自分を卑下しても苦しめても、みんなあんたを嫌いにはならんよ、きっと。俺も、あんたの父親も、ここにいるみんながそうだ」

嫌いにはならない、という言い方は、日本号自身ちょっとぼやけた言い方だと思った。なんとなく、「好きだ」という言葉を使うのは憚られて、深い意味も無いけれど、そのカードはしまいこんでしまった。
そんな曖昧な、けれど自分という存在をまるごと肯定するような言葉に、なまえは下唇を強く噛んだ。止まりそうにない涙を寝巻きの袖でごしごしと拭って、ようやく顔を上げられた。その先にある瞳を、ここにきてやっと正面から見据えることが出来た。
昔は、閉じられた瞼の先に想像巡らすことしかできなかった。それが、今こちらに向けられている。そんな抱えきれないほどの現実に、救済と畏怖と、とうに閉じ込めたはずの不確定な想いが扉をこじあけるのとを、なまえは同時に感じていた。
複雑でこそあれ、確かになまえは日本号の、裏表のない言葉に、たいそう教われていた。

「疲れただろ、慣れないことばっかりでよ。今日はちゃんと休みな。水一杯飲んだら……あ、酒でもいいと思うが」
「あは、いえ、水にしておきます」

涙の跡が喉の奥に引っかかったような小さな笑い声をあげて、だいぶ明るくなった声色で言葉を返すなまえの様子に、肩から力が抜けていった。ほっとしたのだ。
厨に行き、なまえは水をコップに一杯だけ飲んだ。酒を取りに来たらしい日本号は、一升瓶片手になまえを部屋まで送っていった。その間、これから誰々と飲むんだとか、その誰々がどんな刀であるのかとかを、楽しげに語った。
なまえが部屋に入るのを見届けた日本号は、どでかい一升瓶を持つ手を軽快に上げながら、もう片方の手で戸を閉めながら「じゃあな」と一言だけ残し、去っていった。

日本号を見送ったなまえは、まだ見慣れない大きな布団にもぐりこんで、そこでようやく深く息を吐いた。
全部が壊れてしまってもおかしくないようなことを口にした。失望されて、突き放されてもおかしくないことを言った、と思った。
それでも、自分は何事もなかったかのように、ここにいる。いや、眠れぬ夜に水を求めて部屋を出たことで、気持ちは案外良いほうに転がっている。一度流した涙のおかげで、胸につかえていた自責の凝りが少しだが解れたような気がした。

先のことは分からない。
分からないなりに、それでもやっぱり自分の選択が正しかったと、他の誰でもない、父でも母でも、ここにいる刀剣男士たちでもない。まずは自分がそう思えるよう、自分で自分を肯定できるようになるまで、走っていかなくてはならないのだ。
二度と戻ってこない人、二度と取り戻せない時間。そういう喪失を全て清算できる日は、有限の時を生きている私たちにはきっと来ない。来ないからこそ、少しずつでも前に進んでいけるのなら、足掻きながらでも背筋を伸ばして進んでいかなければならない。それはきっと、今を生きている私たちに課せられた務めなのだから。
優しい刀剣たちに助けてもらわなければならないこともあるだろう。けれど、一人ではないという、ただそれだけがひたすら心強いと思えるようになっていた。
それは、あの人の言葉と、父が遺してくれた言葉のおかげだ。

ともあれ、一難去ってまた一難。
果てしない悲しみと痛みに一つ区切りをつけた先で、再開されてしまいそうな大きな想いに蓋をするべく、頭から布団をかぶって目を閉じた。