久しぶりに帰った実家の仏前には、いつ買ったのか分からない盆提灯が置かれていた。
柄は家紋だけのシンプルなもので、親戚の家にあった華やかなものとはまるで違っていた。聞けば、父が亡くなってから母が自分で買ったものだという。
昔、子供の頃に親戚の家で見た、くるくると回る水色の盆提灯に憧れていたのを思い出した。淡いピンクや黄色の花模様が散りばめられたそれが灯ると、まるで小さなパレードのように見えた。子供の目には、せいぜいなんだか豪勢なおもちゃくらいにしか見えていなかったのだ。
当時はあれが、なぜ盆にのみ日の目を見ているのかよく分かっていなかった。だからこその憧れだったんだと思う。
死んでしまった人が帰ってくる道筋を示すための、標としての灯りであると知ってから、憧れの灯火は随分と寂しいものになった気がする。



『主へ
さてと、ここは筑前か。この頃の町並みは懐かしいねぇ。
しかしまあ、修行の旅に出てみたはいいが、
日の本一とうたわれた俺が今更修行なんかしてどう変わるものとは思えんなあ。
ひとまず、懐かしい風景を肴に酒でも飲んで過ごすか。』

「えっイヤ修行って何ですかね!?」

クーラーを効かせた執務室で、思わずボリュームを大にして声を上げてしまった。

「正三位の槍らしいといえばらしいがのう」
「……俺が釘を刺した意味無かったな」

目を線にして乾いた笑いをこぼす陸奥守と、白い目で手紙に視線を落とす山姥切に挟まれながら、なまえは再び手紙の内容を冒頭から辿った。
日本号から、一通目の手紙が届いたのだ。

「しかし、主への手紙に堂々と酒浸り宣言するっちゅうがは……やっぱり肝が据わった男いうがは流石じゃのう」
「感心することじゃないだろ」
「がはは、剛気なんはええことぜよ!」
「剛気というか呑気というか」

それこそ呑気な陸奥守と山姥切のやりとりを耳に挟みつつ、流れるように整った文字を何度も目でなぞる。
冒頭の、故郷を懐かしむような文面に、思わず頬が緩んだ。

「筑前かぁ。やっぱり黒田家の元に行ったんですね」

初めに読んだときは締めくくりの一文にばかり気を取られていたが、とにもかくにも目的地に無事辿り着けたのなら良かった。
前回送り出した不動からの手紙との高低差が激しすぎて風邪引きそう、とも思ったが、無事ならそれで構わない。
決して手の届かない遠くの地で、遠い時間の中で、元気でいてくれるならそれで構わなかった。

「号ちゃんから一通目の手紙来たんだって〜!? どうどう? 順調〜?」
「ボクも気になるー!」
「わっ、びっくりした」

縁側に面した障子戸が唐突に開け放たれ、馬当番の次郎太刀と乱が部屋に飛び込んできた。

「おい、馬当番の仕事はどうした」
「野暮なことはいいっこ無しだよー、山姥切さん!」
「そうそう、アタシら今休憩中だし!」

言いながら、ちゃっかり縁側に腰掛けた二振りは山姥切の白い目も物ともせずに期待の眼差しをこちらに向けている。

「日本号さん、今筑前にいるって」
「へぇ〜!」
「そこでお酒飲んで過ごすって言ってる」
「え、修行って何?」

自分と全く同じ感想を述べる乱に苦笑しながら、なまえは送られてきた手紙を折り目どおりにきっちり畳んだ。

陸奥守からの手紙も、不動からの手紙も、引き出しの中にきちんとしまってある。
陸奥守はともかく、不動から届いた一通目の手紙には、正直なところ少しだけ不安になったのを覚えている。この刀はちゃんと、この本丸へ、自分の元へ帰ってきてくれるのだろうか、と。
手紙を読むにつれ「このまま織田信長の元から帰ってこなかったらどうしよう」と、そういう不安が湧かなかったと言ったら嘘になる。だからこそ、三通目の手紙が届いた時は体中の力が一気に抜ける思いがした。

物理的な距離に加えて、時間までもが遠ざかる。それが修行だ。
審神者は一度男士を送り出したら、築いた信頼関係のみを信じて待つことしかできない。
かつて彼らを愛していた元の主や、彼らにとっての懐かしい故郷、時代の空気、熱。
一度あちら側へ行った彼らが、そういうものを超越して、また戻ってきてくれることを信じ、待つ。
そうして「信じ、待つ」ことが、審神者にとっての修行ともなり得る。の、かもしれない。
三振り連続で修行に送り出してみて、そういうことを考えた。

『ちゃんと戻ってくるから』

日本号がくれた言葉を、なまえは畳に視線を落としながら小さく声に出して反芻してみた。
胸のうちで何度も巻き戻していた言葉を口に出してみると、自分を安心させてくれた声が、自分の情けない声で上書きされてしまうような気がして、ちょっと損した気分になった。

「私ね、帰省した時に……」

不意に話したくなったことを、何の前触れもなく唐突に語り出しかけて、あまりの予兆のなさにハッとした。
慌てて口を噤んで顔を上げると、いくつもの綺麗な目がことごとくこちらを向いている。
何となく引き下がれない空気を感じて、仕方なく言葉を続けた。

「えっと、実家に帰省した時、盆提灯が家に飾られてて。それが盆の間中ずっと灯ってるの見て、あー、人間って死ぬと、自分の家すらこんな目印がないと辿り着けないくらい不確かなものになっちゃうんだなぁ……って思って、結構悲しくて」

変に空気が重くならないように、声色は意識的に明るくさせながら話した。
別に慰めてほしいわけでも、同情が欲しいわけでもなく、ただ自分の思うところを今、話したくなっただけだった。

「それでも、帰ってきてくれるんならって、あんな綺麗なものを、わざわざ盆の間のためだけに用意して……って、生きてる人間てアクティブだなぁと思って……」

生きてる人間である自分が、まるで他人事のような語り口になっているのは、聞いてる側には違和感しか無いだろう。それでも何か茶々が入ることもなく、みんな多分話の続きを待ってくれている。

「ごめん、なんかよく分からない話になっちゃったんだけど、ええと、つまり……待ってるものがなんだろうと、信じて待つってスタンスは変わらないんだなぁ……って思ったんだよね。それが人間だろうと死霊だろうと、刀だろうと槍だろうと、信じてなきゃ何かを待つことはできない……って」

改めて口に出してみると、我ながら全く要領を得ない話でまとめることも出来ない。

「……信じることと、あと何があればいいんだろう」

結局、自分にとって大切な存在が、目の届かない場所に行くことに未だ拭えぬ不安があるのだろうなと思う。
本丸で倒れた父も、出陣先で重傷を負った日本号も。
誰かの全てを把握するなんて無理なことだと、高慢だと分かっている。
それでも、信じて待つ気持ちに陰りが生じるのには、そういう理由があるのだと思う。その陰りを、心のどこかで申し訳なく思っている。だから唐突に、こんな脈絡のない話をしてしまった。

「のう、主」

陸奥守は、胡座をかいた膝を手で軽く叩き、なまえの顔を覗き込んだ。

「わしゃあ嬉しかったぜよ、主がわしに修行に行くよう進言してくれた時、ほんに嬉しかった。
主がわしのことを信じてくれちゅうことが分かって、わしは主のそれに応えたいと思うて修行に出て……その信頼いうがを、それこそ手持ち提灯みたいに携えて、ここへもんてきた」

畳に人差し指を突きつけながら、陸奥守は「この本丸にの」と破顔し言い添えた。

「主は、それでえいがよ。不安があろうと信じて待つ。それだけで、わしらは迷わずにいられるんじゃ」

優しい声で、けれどきっぱりと言い切られ、何となく緊張していた肩から力が抜けた。妙な流れで切り出してしまった、漠然とした不安の話を、陸奥守が丁寧に掬い上げてくれたのだと思った。

「前任だって、修行に行った連中を待つのに不安が無かったわけじゃないと思う」
「山姥切さんが修行に出た時、主さんのお父さんも仕事でちょっと失敗した直後だったからねぇ。余計に不安だったんだろうね、手紙待つ間ずっとそわそわしてたもん」

懐かしいなぁ、と目を細めた乱の言葉に山姥切は少しだけ嬉しそうな顔をした。
案外、相手を信じることだけじゃなく、それと同時に湧く不安や心配も不要ではないのかもしれない。
そりゃそうか、だって愛がなきゃ不安にも心配にもならないし。
そういう当たり前に気づいて、目に映る景色が明るくなったような気がした。

「号ちゃんはねぇ〜、大丈夫だと思うよぉ? 何なら主がいるだけで大丈夫かも! なーんて」
「え」
「ちょっと次郎ちゃん!」

にやにや顔の乱に肘で小突かれたにやにや顔の次郎太刀は、上機嫌にどこから出したのかも分からない大杯を傾けた。
日本号との間にある微妙な関係性が誰にどこまで知られているのか、なまえ自身もう分からなくなっているが、反応からして次郎太刀には知られているんだろうなということだけは分かった。
何だかもう、みんな知ってるのかもしれない。
隠し事が得意じゃないことは、自分でもよくわかっている。
それでもいいような気がしている。

「楽しみだね、二通目の手紙」

心に浮かんだ気持ちを、素直に口に出してみる。
信じる気持ちも、抱いた不安も、この言葉も、全部があなたを導く光となりますように。