「不動行光、今代の主のもとに只今帰還!」

一緒に出迎えにやってきたみんなが呆気にとられ、静まり返る気配を察知した。

「……えっ、お前は誰だって? ひどいなあ、酒を抜いてきただけだよ!」

「わあ、不動だ……?」「不動!?」「不動ちゃあん〜かっこいいよぉ!!」などなど戸惑いの声および一部謎の黄色い声を一身に浴びながら、その合間を縫い、不動はなまえと連れ立って執務室を目指した。

「主もびっくりした?」

隣を歩く不動に、あまりに自然な流れで「主」と呼びかけられたことによる喜びと困惑渦巻く混沌とした内心を表に出さないよう、あくまで冷静に言葉を返した。

「びっくり……してないっていったら嘘になるけど、でも帰ってきてくれて嬉しい気持ちのほうが上かな」

執務室へと続く長い廊下に、不動の明るい笑い声が咲いた。

「ありがとう。俺も……手紙に書いた通り、向こうで色々あったけどさ、今ここで主とまた話せて嬉しい。ちゃんと嬉しいって、言えてることも嬉しいから」

また主に会えて良かったって、思ってるよ。
不動は何気なくそんなことを言ってのけ、先に部屋に入るようなまえを促すみたいに部屋の戸を引いた。

「なんか、不動くん……」
「ん?」
「か、かっこいいね……」

部屋に足を踏み入れつつ、振り返りながら感じたことをそのまま言葉にしてみたら、あまりにも思考停止極まりない文言しか出てこなかった。
我ながらあんまり幼稚すぎると思ったが、不動はさして気にしていない様子で屈託のない笑い声を上げた。

「あはは、それ前はかっこよくなかったってこと?」
「ああ違う! ごめん違うよ、前もかっこよかったけど!」
「うん、でも俺、自分で分かってる。前の俺はダメなやつだったって」

そんなこと、と言おうとして口を開きかける。けれど不動の、後ろめたさの無い静かな表情に、思わず口を噤んだ。

「でも俺はもう酒に逃げたりしない。これから、もっと主に頼ってもらえるように頑張るからさ」

ひときわ明るい声で言われて、肩の力が抜けたようになった。
自分を「ダメ刀」と言って卑下していた不動行光が、すっかりいなくなった訳ではないのだ。当たり前だ、今目の前にいるのは、ずっとこの本丸で共にあった不動行光に違いないのだから。
だからこそ、越えようとしてくれているのだ。修行を終えてなお、この本丸のために、もっと先を目指そうとしてくれている。

「不動くん、ありがとう……美味しい甘酒買っといたんだけど、いる?」
「ええ〜っ酒!? イヤ今の話聞いてた!?」
「あ、違うごめん米麹のやつ、酔わないやつ!」

半笑いで鋭いツッコミが入るのが楽しくて、こっちまで笑いまじりの声になってしまう。
「あ、そっか」と照れ臭そうに頬を掻く不動に、冷蔵庫から取り出した甘酒の瓶を掲げて見せた。

「ほら、これ。ちょっとお高いやつ」
「嬉しいな、頂くよ」
「良かった、私も飲もうかな」

机の上に置いた二つのコップに甘酒を注いで、一つを不動に差し出す。甘酒をごくりと一口飲んだ不動は、浅く息を吐いた。

「うん、美味しいね」
「ね」

顔を見合わせて、そんな他愛もないことを話しているのが間違いなく現実であるということが、まだちょっとだけ不思議で、でもものすごく嬉しい。

「あ、そうだ。あのね、今度日本号さんも修行に行くんだよ」

なんとは無しに持ち出した話題に、不動は大袈裟なくらいにごほっ、とむせ返りながらぎょっと目を見開いた。

「えっ? 号ちゃんが? 修行?」
「うん、私お盆にお休みもらってて実家帰るから、その後になっちゃうけど……」

数日前のことを思い出しながら、なまえは甘酒がなみなみ入ったコップに口をつける。クセがなく、鼻にぶつかるような強い香りもない。米の甘みが優しく鼻先に漂った。

あの時「話がある」と言われて、真っ先に春の告白のことを思い出した自分が、ちょっとはずかしくなった。夏の暑さも手伝ってか、頭があまり回らなくて、ひたすらわたわたしていたような気がする。
反対する理由がない、もちろん応援したい、と思った矢先に自分の盆休みが間近であることを思い出して一気に血の気が引いた。
顔を赤くしたり青くしたり、忙しくしながらそれを伝えると、日本号さんは眉尻を下げて柔らかな笑い声を上げていた。
『大丈夫だよ、あんたが帰ってきてからで構わない』
耳をゆるやかに撫でられるようなゆったりとした口調だった。
そうして日本号の顔を見上げながら、この人はどうしてこんなに柔らかく笑うんだろう、と思った。
今までが優しくなかった訳じゃない。今までの優しさにプラスして、何か別の温かさを感じた、ような気がして、それが不思議でならなかった。

「号ちゃんは……何で修行に行くのかな。理由は聞いた?」
「ううん、理由は話してもらえなかった……けど、やっぱりあの日のことがきっかけなのかな、日本号さんも」

思えば、主としてちゃんと理由も聞いておくべきだったのかもしれない。しかし今さら「何で修行に行くんですか」なんて聞くのも、気を削ぐようで申し訳ない気がする。

「主は……」

おもむろに口を開いた不動は視線を外し、やや言い淀んだ。
頭の上にハテナを一個浮かべながら目を瞬かせていると、不動は上目遣いにこちらの顔を伺った。

「号ちゃんのこと、好きなんだよね?」

不動の大きな瞳に顔を覗き込まれて、一瞬何を言われたのか理解できなかった。
甘酒の入ったコップを無意味に机の上に置き、空いた手を正座の膝の上にぎこちなく持っていく。
動揺して額に変な汗をたくさんかいて、口を数回、開けたり閉じたりした。

「え、いや、なん、どうして」
「いや、何となくだけど、そんな気がしてたんだ」

何でもないように、ほとんど確信めいた調子で言われ、一気に温度の上がった顔を平手で仰いだ。もちろんそんなことで冷たい風は起きなくて、余計に顔の熱は増していくばかりだった。
なまえの明らかな動揺を目の当たりにした不動は、眉を八の字にしながら小さく笑い、話を続けた。

「号ちゃんもさ、多分主を大切に思ってて……だから修行に行くのかもしれないね」
「そ……」

そんな訳ない、と謙遜するのも失礼なくらいに、ここ最近の日本号からの視線や言葉は真綿みたいに柔らかで、温度が高いような、とは思う。思ってはいる。
だけど改まってそこを指摘されると、普通に返答に困る。
半端に口を開いたまま固まるこちらを気遣ってか、不動は「俺の憶測でしかないけどね」と眉を下げ、話題を逸らした。

「それにしても、号ちゃんが修行かぁ。どこに行くのかなぁ」
「あ、ああ、うん……黒田家かな、それとも福島正則のところか……母里家かもしれないし」

いまだに混乱している頭をフル回転させ、ぱっと思いつくところを上げてみたが、そこはやはり本人にしか分からないのだろう。

「楽しみだね、強くなった号ちゃんが帰って来るの」

不動が楽しげに声を弾ませ、きゅっと目を細めた。

「うん」

どこへ行こうと、ちゃんと帰ってきてくれればそれで良い。
今、目の前にいる不動が笑って過ごしている姿が、そう思わせてくれている。

だけど一つ、少し怖いとも思う。
あの日傷だらけで帰ってきた、日本号さんの手。旅立つ前に、あの手にまた触れなければならない。
それが少しだけ怖いような、そんな気がしている。