人間の身体を持って、人間の葬儀に出るなんてのは、当然ながら初めてのことだった。

「日本号、焼香の順番もう一度確認してくれないか」
「あー、いやまぁ、んな気にしなくても見よう見まねで大丈夫じゃねえか」

黒のスーツをかっちりと着こなしている山姥切国広は、燭台切風に言えば「カッコよく決まって」いる。だというのに、葬儀場へ向かう車内、ずっとソワソワ落ち着かないのがおかしくて、呆れながらも小さく笑ってしまった。

急性の病で倒れた主が、搬送先の病院で息を引き取ったと知らされた日。
本丸からも初期刀に加えて一振り、葬儀に出るよう政府からの通達があった。
参列するのは初期刀の山姥切、それからもう一振りは、主との仲の良さなどから数振りに絞られ、さてそれからどうするか。あーだこーだと話し合った結果、いつも飲み友だちのような付き合いをしていた日本号でいいだろう、と。通達があったその日のうちに、想像していたよりもサクサクと決定していった。
それですぐに、本丸内マナー講座が開講したのだ。
人がどのようにして弔われるのか、焼香の作法は、執り行われる葬儀の宗派は、それから、遺族にかける言葉。
覚えることは山のようにあった。
通達があった日の三日後が葬儀当日だったため、なんとか短期間で身につくよう、長谷部やら蜂須賀やらにビシバシ特訓を受ける羽目になったりして、しばらくは何となく落ち着かない日々を過ごした。
まぁ、おかげさまで何とかなりそうではあるのだが。
政府の管理課の何某という男に本丸と葬儀場間の送り迎えをしてもらえるとのことで、主を失ってどうすることも出来ない自分らは、大人しくそれに世話になった。
送迎の車から降りた途端、真冬の空っ風を全身に浴びて、暖房で火照った身体から体温がいっぺんに奪われた。
スーツなんてのはやっぱり暑苦しくてかなわねぇやと、黒いネクタイを軽く緩め、シャツの中にこもった熱気を逃す。続いて車から降りてきた山姥切に「ちゃんとネクタイ締めてから行くぞ」と嗜められて、肩をすくめた。
訪れた葬儀場は真新しく、まっさらな壁が鋭い太陽の光を反射していて、少し眩しい。
参列者は想像以上に多いらしく、受付には軽く行列ができていた。
受付に立っているのは主の奥方だろう、一度しか会ったことがないが、確か娘を連れて本丸に来たことがあった。あの時に比べていくらか背たけが小さく見えるのは、気持ちの問題なのか、それとも経年のためか。参列者に声を掛けられ、背を丸める何気ない仕草や姿がなんとなく痛ましくて、静かに目をそらした。
並びながらソワソワしている山姥切のつむじを眺めるくらいしかすることが無く、というか思い付かずにいると、送迎ついでに参列していくという管理課の男が囁くように小さく「きみらの主のご遺体は、もう焼かれたみたいだね」とこぼした。
どういう意図でそんなことを言ったのか分からないが、おそらく慣れない場で落ち着かない刀剣どもへの、政府の人間なりの気遣いか。何かしらの会話をしてやって、緊張を解いてやろうとでも思ったのかもしれない。

「結局骨は拾ってやれなかったな」

山姥切は、ため息混じりによく分からないことを呟いた。その小さな声を、しびれるくらい冷え切った耳が拾い上げる。
列の先を覗き込むようにしながら、山姥切はまるでひとりごとのように、ぽつぽつと語り出した。

「いつだったか、主が審神者として重責を担う任務で失態を犯した後。主に政府のお偉方から呼び出しがかかったことがあっただろう。日本号、覚えてるか」
「あー……本丸運営5年だか6年だかくらいの時か」
「多分それくらいだった。あの時、主は審神者として終わったかもしれない、ひょっとしたら首も飛ぶかもしれないといたく弱気だった。ハッパをかけるつもりで俺が言ったんだ、骨は拾ってやると」
「へえ」
「まさか本気ではなかったんだがな」

山姥切の目が、受付のさらに先にある式場内をまっすぐに見据えている。
山姥切が語る当時、やつが被っていた布は、すでに取り払われている。確か、いま語られた一件の直後、こいつは修行に出たのだ。
あの時、何とか首が繋がった主は、失態を挽回しながら本丸を回していき、着実に仕事をこなし、時間をかけながらも信頼を回復していったのだと思う。
今こうして、式に多くの人間が参列しているのがその証と言えるだろう。
主を弔うため集った数多の人間たちの列が、徐々に進んでいって、ついに自分らの番となった。

『この度はご愁傷様でした』

主の部屋の本棚から引っ張り出したマナーブックとやらに載っていた言葉をなぞりながら、しかし、こんな言葉には何の力もないように思えてならなかった。
現に、主の奥方は背を丸めたまま動かない。管理課の男と二言三言交わしはしたが、芳名帳に記帳する男士二振りとは、言葉を交わすことはついぞなかった。
形式めいた言葉、式、流れ。
これが何になるってんだろう。

だが、晴れ渡った空が底抜けに明るいことだけは、主にとっても、主の身内にとっても、自分たち本丸の男士たちにとっても、まるごとの救いのように思えた。
せめて空だけでも明るくあってもらわなくては、誰も彼もが下ばかり見ていただろうから。
受付を終えて向かった会場の入り口から、ふと後ろを振り返ってみる。まだ多くの参列者が列を成しているのを見て、主が今まで辿ってきた路を思った。
あいつの生きた道の上には、これだけ多くの人がいたのだ。
人の体を持って、共に生きていた人の一生に、少しだけ圧倒されるような思いがした。

と、腕に小さな衝撃があった。

「すみません」

聞こえるか聞こえないかというほどの小さな謝罪の言葉だけ残して、声の主は顔を伏せたまま通り過ぎていった。どうやら腕にぶつかられたらしい。
頭の先から足の先まで、痛いくらい張り詰めているのが透けて見えるような、若い女だった。
その後ろ姿が受付のほうへ向かうのを、何となく見送ってから、日本号は山姥切のあとを追った。



「おい、飯を食ってる場合じゃないぞ」

葬儀の翌朝、朝飯の最中の大広間に、山姥切と長谷部がせかせかと早足でやってきた。スパン、とデカい音を立てて障子戸を開けた二振りの、異様なまでの急ぎように、みな飯を食う手を止めた。
全員いるか、という確認の後、山姥切が薄く口を開く。

「この本丸の新たな主が決まった」

山姥切のよく通る声に、寝ぼけ眼の短刀たちも、厨から飯を運んでいた連中も、みな一様に静まり返る。
今度は長谷部が口を開き、その静寂を破った。

「主の御息女だ。幼い頃に一度だけ、この本丸にいらっしゃったこともある。山姥切と、日本号。お前たちは昨日お会いしただろう」

長谷部の隣に立つ山姥切と目が合い、奴がしっかと頷く。

「親族代表で挨拶していたよな」
「ああ、見はしたが話はしなかった……いや待て。あー、そうか、そうだった」

一人合点をする日本号に、山姥切は首を捻る。話したのか、という問いかけに、いや、と首を振った。

「話してはねえな。ぶつかっちまって、向こうに一言謝まられて……いやまあ、それだけなんだが」

つい昨日のことなのに、一瞬のことだったせいか顔やら印象やらは朧げにしか覚えていない。
とっさに口に出したはいいものの、後に続く言葉は出ず終いだ。
日本号の言葉がこれ以上続かないことを察した長谷部は、再び話を取り仕切った。

「まぁとにかく、新たな主は一ヶ月の研修を受けた後に本丸へいらっしゃるとのことだ。それまでは主が亡くなった日から今まで通り、管理課の人間が本丸内のシステム管理のみを執り行う。出陣及び遠征、演練、鍛刀等は主がいらっしゃった後に再開する予定だ。
何か質問があるものは」
「はい」
「なんだ鯰尾」
「新しく主さんが来たら、この本丸の前の主さんのことは何て呼べばいいんですかね」
「……各々好きにしろ。主の御父上とか前任とか、呼びようはいくらでもある。今日をもってこの本丸の主はみょうじなまえ様に相成るんだ、難しいものもいるかもしれないが、一ヶ月のうちに切り替えていけ」

他に何かあるか、という長谷部の声が、やたらと響いて聞こえるのは気のせいではないだろう。
ある時、本丸から運び出された主はそのままふっつりと姿を消し、帰って来ず、葬式に出ても遺体を見ることもなく。
主がこの世からいなくなったという出来事が、夢か現かも分からぬまま曖昧にぼやけたままだった本丸の時間が、主の交代により、いま確かに、再び動き始めている。

「何か聞きたいことがあれば俺か山姥切に聞け。話は以上だ」

二振りが忙しそうに去った後、広間には堰を切ったように騒めきが広がった。それら全て、新たな主に関する内容であることは明白だった。

「ね、日本号さん!」

なんとなく嫌な予感を察知して、早々に逃げ出そうと腰を上げた日本号に声をかけたのは浦島虎徹だった。
しまった、捕まっちまった。
出来るだけ顔には出さないよう、何でもないような顔で、上げかけた腰を戻す。

「新しい主さん、どんな人だった? 俺、新しい主さんがこの本丸に来たって時にはまだいなかったからさ、ちょっとでも知りたくて!」

これだ。
危惧していたことをそのまま聞かれたので、心の中だけでこっそりため息をついた。
聞かれても、分からないというのが答えなのだ。葬儀では言葉を交わすこともなかったし、ぶつかったのも一瞬だった。顔すらも朧げにしか覚えていない。慣れない場でそこまで見る余裕も、多分なかった。
ただひたすら、見ていられないほど痛ましかったことだけ。
ありのままを話すか、と浦島のほうを見れば、期待に満ちた目がこちらを覗き見ている。
ぐ、と押し黙り、しかし一つ思い出す。
主の娘がまだ幼い頃、この本丸に来た時のことだ。
その日は確か、畑での内番仕事を終えて疲れ切っていたため、主が連れてきた家族に会いに行くわけでもなく、風通しの良い主の部屋で勝手にごろ寝をしていた。そこにたまたまその娘がやってきて、部屋のどこから引っ張ってきたのか、薄く小さな膝掛けを身体にかけてくれたらしい。目が覚めた時、隣に突っ伏して居眠りしている鞠みたいに小さな娘がいたので、まぁめちゃくちゃ驚いたわけだが。
しかし、そうだ。言えることは一つあった。

「心根が優しい娘だ」
「へー!」
「と、思う」
「え、なんで濁すの」

月並みな言葉一つで語れてしまうほどに、今持っている新たな主への情報は少ない。

あのまま変わらずに育ったのなら。
主の娘なら。
多分、優しい娘だということ。

希望も込めて、ではあるが、いま言えるのは、これだけだ。