父の葬儀のことは、正直ほとんど覚えていない。
理由はなにも難しいことはなくて、ただ心の処理が追いつかなかったのと、それ以上に、単純に忙しかったからだ。

今にも世界が終わりそうな、凍てつく冬の日のこと。
一月最後の日だった。
父は二月を迎えることなく、病気で急逝した。

父の葬儀は、それなりの規模で執り行われた。
火葬場や葬儀場の予約、身内への連絡、通夜、告別式などの日付を決めた後は香典返しやら花やら葬儀の内容について頭を悩ませて、父の仕事関係者や友人など、どの程度の範囲まで知らせるべきかなど諸々を考えて。
忌引きで仕事を休んでいる間、やることはいくらでもあった。

当日は当日で、受付やら親戚への挨拶やら、とにかく休む間もなく、心を落ち着ける間もなかった。
ただ忙しかったことしか覚えていないレベルに忙しかったのだが、疲れ切った脳にも一つだけしっかりと刻まれていたことがある。

葬儀が終わった後、帰宅してようやく椅子に腰を落ち着けて、芳名帳をなんとなくパラパラめくっていた時のことだ。
政府のお役人の見慣れぬ名前がずらりと並ぶ中に、流れる筆の動きが見えるような美しい文字を見た。

『山姥切国広』
『日本号』

いずれも住所の欄には「本丸」「刀剣男士代表」と書かれていて、それで全て合点がいった。
これらは父の『仕事仲間』の名前だ。なんとなくだけど、二つの名前に見覚えもある。
母によれば、私が裏で葬儀の流れの確認をしていた時に、この二人が来たらしい。
母が力なく「刀剣の方に香典返しって必要だったのかしら」と、冗談みたいなことを呟いた。確かに、人なのか刀なのかも分からない相手に、葬儀のセオリーそのままでいいのかは分かりかねるよなぁと、ほとんど息を吐くような笑いがこぼれる。
しかしそれは、けたたましい着信音にかき消された。
息つく暇もないなぁと思いつつ、立ち上がろうとする母を制し、受話器を取る。

聞こえてきたのは、芳名帳で散々見た、政府のとある役職の名であった。