およそ40帖ほどある道場の真ん中で、陸奥守と和泉守が両足をだらりと伸ばして座り込んでいるのが見える。
どことなく『先生がいないからって気を抜いてる高校生』然としている二人の様子を、なまえは開けっぴろげられた道場の入り口からそっと伺った。

「やー、予想以上に綺麗な剣筋だったなぁ!」
「手合わせで拳銃は使えんきの、普通に剣術使うしかないろうが」
「はは、まーそれもそうだ」
「けんどまだまだじゃ、わしゃどうも和泉守の動きにまだ一歩遅れちゅうき」
「お前はまだ練度が低いからなぁ。まだまだこれからってとこだろ」
「ま、ほうじゃの」

思っていたよりもだいぶ空気が良いように見受けられる。会話をする二人の、肩の力が抜けた様子にほっとしながら、肩掛けのクーラーボックスを背負い直した。

「二人とも、お疲れ様です」
「お、主じゃねーか! なんだぁ仕事サボりか?」
「はは、それもありますけど」

ぺったり座り込んだままこちらを見上げる和泉守に、なまえは冗談半分に返しながらクーラーボックスを肩から下ろした。蓋を開けて、中からシリコン型入りのアイスバーを取り出す。

「アイスです、加州くんと信濃くんがカルピスで作ったやつらしいんですけど、食べませんか?」
「おお〜気がきいちゅうのう!」
「食う食う!」

ゲンキン二人組はドタバタと、ほとんど暴れるみたいにして主、もといアイスの元ににじり寄ってきた。
シリコンの型の底を指の腹でぐっと押し、見事にアイスバーの形に固まったカルピスアイスを取り出す。

「さくらんぼも入れて凍らせたんだって」
「おー、本当だ。赤いのが透けて見えるなぁ」

風流じゃねーか、と感心しながらしげしげとアイスを眺める和泉守の隣で、陸奥守は「いただきます!」と声を張るや否や思い切りよくそれのてっぺんにかじりついた。

「は〜! 手合わせ後のアイスはほんにたまらんちや〜」
「あ、おいおい早速かよ」
「溶けてしもうたらもったいないじゃろ?」
「おー、まぁそれもそうだよなぁ」

んじゃあ俺も、と声を弾ませながら、和泉守もアイスバーの角にかぶりついた。

「おん? 主は食わんがか?」
「私はもう頂いたから、大丈夫だよ。さくらんぼも美味しいよね」
「うんうん、旬の最後の時期やき、よーく熟しちゅうの〜」
「もともとすっごく甘い品種なんだよ、粒も大きいから食べ応えもあるし」

親戚から送られてきたさくらんぼはあまり市場には出回らない品種で、大粒で糖度も高い、ついでに値段もお高いものだった。毎年送られてきていたのは佐藤錦だったのだが、今年は趣向を変えたらしい。
清涼感のあるカルピスの中に肉厚な果実を閉じ込めたアイスは、さくらんぼの甘味酸味とはじけるみたいな食感とがぴったりマッチしていた。山形県に所縁のある信濃藤四郎の提案だったらしい。

「うめ〜なぁ、夕飯の後にでもまた食いてーな」
「あ、これ一人一つみたいなんです。さくらんぼもそこまで量があった訳じゃないので……」
「イヤそれ早く言ってくれよ、もう食べ終わっちまうじゃねーか……」
「す、すいません」

すでにあと一口で食べ終わろうというアイス片手に、和泉守はちょっと泣きそうな顔で声を萎ませた。肩を落としすぎてなで肩にすら見えるその様子があまりにも不憫で、また来年作りましょう、とフォローを添えようと口を開いた。

「主様、主様はいらっしゃいますか!!」

つってけて、と軽い足音を立てながら道場に飛び込んできたのはこんのすけだった。
足音の軽やかさに反して焦りを含んだ声色にぎょっとしながら振り返ると、こんのすけは息も切れ切れながら「審神者と近侍だけに話がある」とだけ述べた。
どうにも火急の用らしい。

不安げに眉をひそめる陸奥守と和泉守を残して、なまえは道場を後にした。
執務室を目指し、一歩先を行くこんのすけのしっぽが右に左にゆらゆら揺れるのを見ながら、これからされるという「話」について考えた。
こんのすけの様子からいって、良くない話ではないような気がしている。
この本丸のこんのすけは父の代からの古株であり、よく食べよく泣きよく笑う、感情のあれこれがはっきりとした犬っぽさがある子だ。なおかつ20年以上同じ本丸に勤め上げているというベテラン故か、はたまた新人であるなまえを受け持つ故なのか、責任感もあり、それも分かりやすく顔に出る。
短い足を忙しく動かしながら走るこんのすけの表情は、ちらちらとしか見えないが、目に輝きを宿す険しい表情はどこか誇らしげにも見えた。
何となく察しがついたような気がしたが、確信は持てない。



「特殊任務」
「はい」

日本号や次郎太刀に事情を話し、部屋を出てもらった後。
残った不動と共にきっちり正座をしてこんのすけの話を聞いた。

「実力のある審神者には、時折普段の任務とは異なるタイプの任務が課されることがあるのです。例えば敵の懐に潜り込んで相手の戦力の現状、今後狙われるであろう時代の調査……そういった、いわば情報戦の類いをこなして頂いたりすることもありますね」
「あ、そっか。そりゃそうですよね……戦況や相手の情報無しじゃ私たちも仕事出来ないですもんね」

どことなく興奮冷めやらない、といった具合のこんのすけに言われて、ようやく気づく。

審神者という仕事は、政府に命じられるがままに出陣をこなすだけの仕事であるように見えるが、その実、深入りするともうちょっと複雑なものなのかもしれない。
そもそも政府は、自分たちだけじゃにっちもさっちもいかなくなった戦の助け舟として「刀剣男士」という手段を選び、それを呼び覚ます役目および彼らの大将として「審神者」という役職を、わざわざ一から作り出したのだ。
そういう政府が、自分たちだけの力で情報の調達という重要な初動を賄いきれるのか、というところには疑問がわく。
つまりはそこにも審神者や刀剣男士の力が機能していた、ということらしく、その疑問に対しても合点がいった。

「もちろん、特殊任務には隠密的な活動以外にも色々あります。これはほんの一例です」
「一例……それで、今回うちに来た任務は、どんな任務なんでしょうか」

なまえはなんとなく気が急くような思いで、こんのすけに話の先を促した。
一例、ということは、今回課せられた任務が違う方向性である可能性もあるということだ。

「どうも遡行軍に不審な動きがあるらしいのです」
「不審?」

すいぶんと曖昧な言葉を使ったこんのすけは、言葉を選ぶように視線を彷徨わせた後、話を続けた。

「未だ別の本丸で調査続行中ですので、まだ何とも言えないのです。が……時代としては文永の頃。元寇なんかがあった時代ですね」
「文永……鎌倉殿の十三人より少し後の時代ですね」
「またそうやってすぐ大河ドラマの話にする!!」
「す、すいません」

動物の威嚇よりもずいぶんと可愛げのあるキャンキャンとしたお叱りが飛んできて、なまえは目を線にして肩をすぼめた。

「それで、結局うちは何すりゃあいいんだよ」

何となく緩みかけた空気をスッパリ断ち切るみたいに、不動がむっすりした声を上げる。
こんのすけはわざとらしい咳払いをして、横道に逸れかけた話の軌道修正に入った。

「要は、件の他本丸が調べ上げるのは遡行軍の動きがありそうな時期を調べるところまで。判明した時期に飛び、その時代にいる遡行軍の目的を調べるのがこの本丸の役目です」

つまり、現在進行形で調査を行っているどこかの本丸からのバトンを受け取って、それを繋ぐのがうちの役目ということらしいのだが。しかし、それって。

「せっかくその……別の本丸が時期を調べてくれたんなら、その本丸が調査を続けたほうが効率が良いような気がするんですけど……そこまで情報が得られたんなら、わざわざ他の本丸へ仕事を引き継ぐのも手間でしょうに」
「さすがです、いい質問ですねぇ!」

テレビの司会者みたいなテンションで言いつつ、こんのすけは短い足を器用に使って拍手をした。
そして「まあ所詮はお役所仕事というわけです」と、随分と人間じみた発言をして、一つ息をついた。

「つまり、刀剣男士の実力はありつつ、主様の特殊任務実戦経験の無いこの本丸への課題のようなものですね。主様ご自身の経験を積むために政府側が用意した舞台、とでも言えばいいのでしょうか」
「ええ〜っそんな理由で特殊任務……」
「とはいえ、です!! 前任様がお亡くなりになった後パッタリ途絶えていた特殊任務の依頼がまた来たのは、政府側からある程度信用されているという証です。この本丸が変わらずデキる本丸だということを、政府側にもアピール出来る好機ですよう!」

声高らかに張り切るこんのすけは、小さな肉球を縮ませるみたいにしてガッツポーズもどきをした。

「やっぱり父も、特殊任務はたくさんこなしていたんですか?」

こんのすけの言葉に生じた疑問を、なまえはそのまま口にした。

「はい。前任様は何というか……スロースターターでしたが、就任から何年か後には比較的少数精鋭の本丸ながら政府を支えてくださいました」
「そうですか……」

目には見えない「いつか」の事を懐かしむように視線を宙へ投げ、こんのすけはしみじみと目を閉じた。
葬儀の時から何となく感じてはいたが、やはり父は政府からの信頼がそれなりに厚かったのだ。20年間不祥事無しで任務をこなしていたのだとしたら、それも当たり前なのだろう。
そして、そういう人間が唐突にいなくなった穴は、結構な綻びだったのかもしれない。
こういう、本丸の運営自体はそれなりに長期間で、かつ男士の実力も申し分ない本丸に、早めに元の機能を取り戻してほしいと考えるのもまた当然の話と言える。
いつもの任務でも当たり前にのしかかる責任がもっと重くなるのかもしれないが、そういう期待が透けて見えるような依頼を無碍に断ったとして、今後良いように扱ってもらえるとは思えない。得てして不測の事態が付き物の仕事で、大元からの信頼はまず裏切らないに越したことはない。
それに、こんのすけの力の入りようを見ても、この依頼を断るのは野暮というものだろう。

「分かりました、やりましょう」
「その意気です!」

ぱあ、と表情を明るくしたこんのすけは、嬉しげに深く頷いた。
それから今後の具体的なスケジュールが決まり次第また連絡が入る旨を言い残し、こんのすけはひとり意気揚々と執務室を去っていった。

「編成とか、考えておかないとなぁ……」

一気に肩の力が抜け、いかにも気の抜けた声が出てしまった。気合を入れなくてはいけないのは分かっているが、話を聞いただけで何となく気疲れがしたのだろうか。浅いため息を堪えることができなかった。

「あ、むっちゃんと不動くんには参加してもらいたいと思ってるんだけど……」
「はぁ!?」

何気なくこぼした言葉に対して、思っていた以上に過剰な反応が返ってきて、なまえは思わず目を見開いた。

「俺みたいな……」

小さく呟き、ややあって不動は「いや」と首を横に振った。

「重要な任務なら、俺みたいな新刃より古株に任せた方がいいに決まってるだろ」

と、もっともなことを言った。
いつものように「ダメ刀だから」と言われてしまうのではないかと身構えていたので、何となく拍子抜けするような気持ちになった。
不動は、本丸全体を見た上での話をしてくれているらしかった。

「さっき、こんのすけも言ってたけど」

なまえは言いにくそうに、口を小さく動かした。

「今回の任務は、あくまでも新人審神者である私が、今後も与えられるかもしれない特殊任務に慣れるためなんだって。だったら、新しくこの本丸に来た刀にも参加してもらうべきなんじゃないかなって思ったんだけど……その新刃の中でも特に、この本丸に来て長い二人なら任せても大丈夫なんじゃないかって思って……」

そこまで言いながら、自身の心中の浅ましさに何となく気づいてしまって、「いや」と、首を力なく横に振った。

「結局、新人一人でいるのが不安なだけかもしれないな、私が……」

思いがけず探り当ててしまった自身の弱さに、なまえは自嘲しながら独りごちるみたいに呟いた。

「何にしても、とりあえずみんなにも話さないとね。色々考えるのはそれからかな」

一人相撲をとるみたいに取り繕ったなまえは、仕事を受けたことが正しかったのか、胸中で顧みた。
断っても失敗しても失われる信用なら、成功にかける他ない。そうだとして、自分の実力は本当に足りているのだろうか。そもそも、任務の全容が見えていない時点で判断するのは時期尚早だったかもしれない。
こんのすけの勢いに圧倒されるばかりだった頭が、ようやく現実に追いついてきたみたいで、なまえの頭の中はいよいよ不安に飲まれかけていた。

「いいよ」

うっすらと暗くなっていた胸の内に、光を差すみたいな声だった。

「俺はやってもいい、その任務」

頭をもたげて不動の顔を窺うと、酒酔いでほんのり赤くなった顔で、しっかりとこちらを見据えていた。

「編成、他も考えないとだろ」

相変わらずぶっきらぼうな声だったが、トゲのない言葉のせいか、ずいぶんと柔らかい感触の声色だった。

「うん、ありがとう」

いくらか緊張の糸が緩んだなまえの声に、不動はほんの少しだけ口の端を上げて応えた。

「でも、まずは別本丸からの情報待ちだねぇ」
「んっとに効率悪いよなぁ……」

ほとんど愚痴るみたいに言葉を交わしながら、不動を近侍にして良かったと今更なことを思った。

実力の申し分ない男士たちなら、任務も難なくこなしてくれるだろう、と信じることができる。
自分を信じられずとも、自分を信じてくれる刀剣男士たちのことを信じることができていれば、まず間違いはないのだろう、と。
私もまだまだ、頑張れるような気がしてくるんだ。