本丸という場所に来てまだ間もない頃、刀派を同じくするものを「兄弟」と呼ぶのはなかなか面白いことだと、妙に感心したのを覚えている。
生物は親を同じくし、血の繋がった者を兄弟と呼ぶ。それに倣って、作り手である刀工を「生みの親」とし、その生みの親を同じくする物同士を兄弟と呼ぶことは、道具である自分らとっても案外しっくりくるものだと思った。
さらに人間は、同時期に同じ職に就いた者を同僚と呼ぶ。後に就いた者は後輩。先の者を先輩。仲の良い者を友人。夫婦となれば夫、妻。教えを乞うた者を先生。
結局そういう呼び方ってのは一種、付き合い方を分かりやすく示すための手段なんじゃねーかという話を、前任と山姥切と共にしたことがある。
言葉を持った人間ならではの、関係性の築き方だと山姥切は仮定していた。刀である自分らが人の身を持って戦に出るからには、多少はコミュニケーションってのをやる必要性があるのだという覚悟、というと話がデカすぎるが、そういう気づきがあの時確かにあったのだ。

じゃあ、「好きな人」ってのは、一体何なんだ。
相手との関係性を示すには不明瞭すぎて、そのくせやたらと強大なパワーばかりが溢れ出ていて、そいつとの付き合い方がわからない。捉え方が分からない。使いどころが分からない。
そういう言葉をさも当たり前のようにぶつけてくる、主という人間。
自分にとって、あの人間はどういう存在なんだろうか。



同田貫が相手の本丸の愛染に向かって刀を振り上げたところで、ヤメの合図が鳴り響いた。
やがて、うちの勝ちを知らせるアナウンスが流れ、演練の終了を告げる。

「だークソ、やっぱ動きが遅ぇ。愛染に最後まで逃げ切られた」

同田貫がギリギリと歯を食いしばりながらぼやくのを聞きながら、日本号は誉の証に桜をヒラヒラさせながら槍を肩に担いだ。

「まぁしかし、勝ちはしたしな。お前さん含め、後から本丸に来た連中も腕を上げてると思うぜ」

第二部隊、編成。
日本号、陸奥守吉行、不動行光、同田貫正国、物吉貞宗、毛利藤四郎。
日本号以外は、全てなまえが来てから顕現した刀ばかりだ。経験を積む意味で、こうして古株と新刃を組み合わせながら演練をこなしているというわけだ。
新刃、とはいえ、どのメンツもすでに顕現から一年は経っている。それなりの出陣経験もあり、かつ出陣した先、遠征先、本丸の中、外、さまざまな場所で奴らなりの生を謳歌した上で、奴らなりの生き方、戦い方を得てきている。
演練場に来ると、そうして出来上がっていく「世界のどこかにいる自分たち」と出会う。そのたびに、自分があくまでも個として生きていることに気づけて、それが何となく嬉しくなる。そういうことを嬉しいと思える自分は、多分恵まれているのだという自覚も、ちゃんとある。
前任がいた本丸、主がいる本丸。そういう本丸での時間を作り上げてくれた二人の主に、愛情がないわけはないのだ。

演練相手への挨拶を終え、相手方の審神者と談笑する主の元へ戻りながら、隣を歩く同田貫が口を開いた。

「日本号、帰ったら手合わせしてくれ」
「あー、悪いが明日でもいいか? そしたらいくらでも付き合ってやれるぜ」
「おし、じゃあ頼むわ」

意気込む同田貫の隣で、再び主のほうへ目をやる。
悪いが、今日はどうしても外せない用事がある。
どうしても、今日でなくてはいけない用事。



「付き合っていただいてありがとうございます」

隣を歩く主の視線が不意にこちらを向いて、何度目かも分からない礼を言われた。

「いや、今回の件に関しちゃあ俺が一番の適任だろうからなあ」
「あはは、そうですね」

主から、以前行った酒屋にまた一緒に行ってほしいと頼まれたのは、主が熱を出した日から数日後のある日だった。
『せっかくだから、父の日に何かお酒でも買いに行きたい』という頼み。

主が熱を出した日から、何となく執務室から足が遠のきそうになっていた自分に、主はあくまでも普通に接していた。
主に、卵酒の礼と寝言の詫びをされて以来、ほとんど前と何も変わらない日々が戻ってきた。
『卵酒すごく美味しかったです』
『それから、みんなの前で変なこと言っちゃってごめんなさい』
主はそうして、あの日のことについてあまり深くは言及せず、それから特別な話をすることもなく、前と同じように時間が戻ってきた。
多少意外ではあったし、あの時言われた言葉について話を聞いてやるべきだったのかもしれない。が、案外落ち込んでいる風でもなく、聞いてほしいような感じもなく、そのほうがいいのかと思い今に至っている。

こうして、大切な頼みをしてもらえているのがむしろ自然に思えて、そういう実感すら単純に嬉しい。おそらく自分は、自分が思っている以上に、この人に嫌われたり避けられたり、そういうことになりたくないと、思うようになってきている。
高熱が大事に至らずに、言葉が壁にならずに、平常が戻ってきたことに、素直にホッとしている。
しかし、それでも。
触れた額の熱さや丸さ、縋るみたいに添えられた指の頼りなさ、少しだけ触れた涙の冷たさ。
自分の手に残ったそういう感触がやたらと鮮明で、やはりあれは無かったことにはならないのだと思う。
早く受け止めてやれればいい。そうすれば、ひょっとして主はもう泣かずに済むのかもしれない。
そういう考えが頭をもたげるのと同時進行で、こうして戻ってきた主とのごく普通の日常を手放したくないと思っている。

俺にとって、この人は一体なんなんだ。
あんたは一体、何なんだ。

言うでもなく主のつむじを眺めていたら、主がおもむろに口を開いた。

「父の日って、夏至に近いですよね」
「ん? ああ、言われてみりゃそうだな」

とはいえ、本丸内においてそういう人の血のつながりからなるイベントごとは縁遠かったため、本当に、今言われてみて初めて気づいた。
たまに前任へ主から花やら菓子やらが贈られてきたことくらいで、あとはいい兄さんの日とやらに粟田口の刀があれこれやっていたくらいかもしれない。

「何となく気になって調べたんですよ、何でなんだろうって。そしたら、発祥はアメリカで。1900年代に、ある女性が男手ひとつで育ててくれた父親を讃えるために行った礼拝が始まりだったそうなんです」
「へえ、海外が発祥だったのか」
「そうみたいです。だから結局、夏至とか関係なかったんですよね」

恥じらうように小さく笑いながら、主は言葉を続けた。

「でも、夏至って一番昼が長い日じゃないですか」
「ああ」
「何となくですけど、小さい子どもは日が高いうちにお父さんと遊んだりできて、大人になったらなったで夏前の短夜に一緒にお酒飲みながらサラッと感謝したりできて……そういう日にちょうど被さったていうの、すごいなって思って……いや、何言ってんだろ、すいません急に」

手を横にぶんぶん振りながら、最終的に自分の話を強制終了させた主は、店先にたどり着くなり逃げるように店内へ入っていった。自分で話始めたわりに、途中から気恥ずかしさでも湧いてきたのだろうか。
それでもやっぱり、ちゃんと最後まで話すんだよな、あんたは。

主の後を追いかけて暖簾をくぐる。壁際の棚で、すでに物色を始めているその姿を目に留めた。以前、前任が好きだったと教えてやった酒が置いてある棚の前で、それを手に取るでもなく、ただ眺めている。

「それにするのか?」
「あー……いえ」

ちょっと考えたんですけど、と前置きして、主は顎のあたりに手を添えた。

「生前好きだったお酒がいいのか、それともせっかくだから新しく発売されたものがいいのか……とか、色々考え始めてしまって」
「なるほど、そりゃ悩みどころだな」

何でもないように返しながら、もういない相手のために、当たり前のようにそういう気遣いができる人間の信心というものの自然さに、少し圧倒された。
そういう思考はあんたが人間だからなのか、それともあんただからなのか。
心の中で呟いたが、何となく答えは出ている。前者は大前提としての正解であり、後者も多分正解だ。
はるか昔から、目に見えないものに対する人間の信仰心というものは自分たち武具の身近にあるものだった。おまけに、今ここにいる自分の存在ですら、そういう信心のおかげで生まれたものだ。
そこに、さらにみょうじなまえという人間のこれまでの生きた時間が加わって、そういう優しさが生まれた。
優しく育ってくれたことが嬉しかったんだと、言っていた前任の、心底嬉しそうな声が、どういう色をしていたのかは、すでに記憶が薄らいでいる。
でも、今また改めて、心から「そうだな」と返してやれる気がする。

「なあ、こっちはどうだ」

言いながら、店に入って一番に目につく低い棚の元へ歩いていく。一つの瓶を片手にとって、素直に後をついてきた主にそれを見せてやった。

「可愛いパッケージのお酒ですね」

意外そうに目を瞬かせた主は、それを両手で受け取って、まじまじと眺めた。
パステルな水色の背景に、赤い林檎が描かれたパッケージ。うっすらと琥珀色に透き通った酒が、瓶の中で小さく波打った。

「前に信濃が飲んでたのをもらったことがあるが、林檎っぽいっつうか、果実みたいな甘さで酸味が少ない、わりと飲みやすい酒だな」
「へえ、美味しそうですね……私でも結構飲めそう」
「それだよ」

つい、声がでかくなった。きょとん、と目を見開いている主に視線を合わせるようにして、腰を屈める。

「あいつも、どうせならあんたと同じもの、飲みたいんじゃねえかな」

瓶を持つ主の手に、少し力が加わったのが見てとれた。

なあ、俺はあんたが主になってくれて良かったと思ってるよ。
前任が始めて、あんたが来てくれた本丸で、今の自分が出来上がったことが嬉しい。
だから俺も、ちゃんとあんたと同じものを見たい。同じ言葉で考えたい。あんたが俺にとって何なのか、ひとまず今は置いておいても、とにかく本丸の主としてのあんたのための一番を考えてやりたいと、ちゃんと思ってる。
そういう気持ちの中で、日本号が得た答えに、なまえは小さく笑いながら頷いた。

「ありがとうございます。じゃあ、今年はこれにしますね」

そう言って、早々と背を向けたなまえの目が少しだけ揺れていたのに、日本号は気がついた。
そういえば、これまで何度も主が泣くのを見てきた気がする。
何も悲しいことがなく、泣かないで生きていってくれるなら、それが一番なんだろう。それでも、泣きながらでもここまでやってきた背中には、頼りなさと頼もしさが同居しているように見えた。



その日、ゆっくりと訪れた薄明るい夜に、主は自室にある背の低い本棚の上、ひっそり置かれた父親の写真の前に、杯を用意した。
冷蔵庫で冷やしておいた酒をそこへ注いでいき、それから三つの杯も同じようにして酒で満たしていく。

「酒は飲め飲め、飲むならば〜」

何でか若干上機嫌な三日月が、絶妙な具合にズレた音で滑らかに歌い出した。

「はは、一度歌ってみたかったのだ」
「あんた意外に音痴だよな」
「ふむ、日本号の真似をしたのだが……日本号の歌は毎回調子が違う故難しい。さながら千鳥足のような」
「この歌はそれでいーんだよ!」
「確かに、呑み比べソングですもんね……」

真面目な顔で言いながら、主は背後でやいのやいの言う二振りを振り返って杯を手渡した。受け取った杯を、前任の写真に向けて一度掲げ、口元に近づける。花が咲くような甘い香りを感じながら唇を湿らせた。

「やっぱり、すんなり入ってくるな」
「喉にぶつかる感じが無いですね、飲みやすいです」
「飲みやすいやつほど飲み過ぎないように気ぃつけろよ」
「はは、そうですね」

く、と杯を傾けて、主は口の端を上げた。

「不思議ですよね」
「ん?」
「父が亡くならなかったら、いま私はここにいなくて、このお酒の味も知らなかったかもしれない」

写真のほうへ視線を流していた主は、体ごとこちらを向いた。

「父の……生きた時間を、良いものにしてくださって、ありがとうございます」
「……いや」
「それだけです、私には。もう、本当に、それで充分」

主は泣きもせず、静かに目を細めた。
数日前、主は「人は必ずいなくなると分かっている」と泣いた。風邪で不安定になったが故の言葉だったのか、分からないが、とにかく苦しい言葉だった。
それで充分、という言葉が、霧雨が肌に浸みるみたいに胸の内に入り込んでくるような心地がした。

「いやぁ、良い夜だ」

三日月が声を弾ませながら、ゆるく杯を傾けた。
良い夜だ、本当に。
生温く、柔らかな絹のような肌触りの空気が、この世の全てを包み込むような夜だった。

「あんたがここに来てくれて良かった」

少しだけ後ろめたさがある言葉を、それでも言いたくなる夜だった。
柔らかな瞬き一つで言葉を受け止めた主は、再び杯を傾けた。

昼間、主が言っていたこと。
短夜の夏と、この日が重なったことの偶然の話。
すぐに明ける夜にしか言えないようなこともあるのだと知った夜は、少しだけしみったれた心地になった。