今日の朝ご飯当番、俺、加州清光。それから日本号。
メニューは十五穀米のご飯に焼き鮭、ナスの味噌汁ミョウガ入り、それと小鉢にキャベツの蒸し焼き温サラダ。デザートには余ってたレモンシロップを使ったキラキラクラッシュゼリー。レモネード、主にも好評だったし、朝は口サッパリしたいしね。
端から端までカンペキな食事、主に食べてほしかったんだけど。
まさかまさかの、主が夏風邪を引いたらしい。
三日月曰く、雑炊なら食べられそうとのこと。主は大丈夫なのか聞いたら、熱はなんと38度とまあまあな高熱らしい。

「雑炊かー……」

用件を伝えてすぐ主の元に戻っていった三日月の背中を見送って、さてどうするかと考えた。
せっかく焼いた鮭があるし、細かくほぐして鮭雑炊がいいかな。栄養も摂らないとだし、刻んだネギとすりおろした生姜とかも入れればバッチリじゃない?

「日本号はどう思う? 俺、鮭ほぐしたやつで雑炊作ろうと思うんだけど……って、何してんの?」

さっそく冷蔵庫を漁っている日本号を振り返ってみると、その手には卵が1つ握られている。

「あ、日本号は卵雑炊がいいと思う?」
「ああいや、雑炊は加州に任せた」
「えー、何? じゃあその卵は何に使うの?」
「卵酒でも持ってくかと思って」

きょとん、としているこちらをわざわざ振り返ったくせに、日本号は「卵と酒と砂糖混ぜたやつ」と雑な説明をした。

「風邪にいいんだぜ」
「へえー。日本号がそういうの知ってるの、なんか意外」
「槍だった頃に人を見舞うこともあったからなぁ」
「何それ、初耳ー」

話しながらもてきぱきと鍋やボウルを用意していく日本号の様子を感心しながら眺めていたが、自分の任務を思い出して慌てて炊飯器に手をかけた。
ご飯、主のお腹の空き具合とか分からないし、ちょっと多めに作って持っていこう。鮭は骨が混じらないように丁寧にほぐしておかなきゃ。で、ネギは細かく、輪切りじゃなくてみじん切り。

「日本号ってさぁ、結構面倒見いいよね」

前々から思ってたんだけどさ、と付け足して、ネギを刻みながら、自分が初めて本丸に来た時のことを思い出す。

「俺が初めてここ来た時も、厨のどこに何があるとか教えてくれたしさ。主のことも、いつも結構気ぃ配ってあげてるし?」
「はは、そりゃどーも」

軽い笑い声で返されたけど、わりと本気で思ってたことだったのは伝わったのか伝わってないのか。

ホント言うと、日本号と初めて会った時はちょっと構えた。
可愛い、とかとは無縁っぽいし、かといって身だしなみが大雑把なわけでもなくて、なんというか、第一印象はとにかく隙が無かった。戦場での活躍もピカイチだったし。俺が顕現したのが、本丸の運営が始まってからすでに一年くらい経った頃だった、っていうのもあるかもしれない。
でも、話してみると案外兄貴肌で、ホッとしたのを覚えてる。畑で文句言いつつリアカー押したり、ゴーグルつけて電動草刈り機を使ったりしてる姿見て、あ、この槍いい奴なんだろうなって思った。
だから、主がまず日本号を近侍に選んだのも、何となく気持ちがわかるような気がしたんだよね。



「加州清光と日本号、入りまーす」
「お、来たな」
「いらっしゃーい」

薬研と乱の、ひそめたような声が返ってきた。
部屋には近侍の三日月、薬研、それから何故か乱がいる。乱曰く「みんな心配してるけど大勢で押し掛けちゃダメだろうから、代表として」来たらしい。ま、気持ちは分かるよね。俺だって、今日朝ご飯当番じゃなかったら今ここに来られなかっただろうし。
布団の中でうずくまる主の様子をそっと伺うと、だいぶしっかり眠っちゃってる。しかも、体を横向きにしてぎゅっと丸くなっているせいか少し息苦しそうにも見えた。顔はほとんど布団に埋まっているけど、冷えピタの下の眉は苦しげに寄っている。
雑炊と卵酒をのっけたお盆をそっと置く間に、日本号はさっさと主のそばに寄っていって、冷えピタを外してしまった。

「あー日本号、多分それまだ冷たいぞ。6時間は冷たいやつだから」
「え? ああ、そうか。悪い」

しかし辛そうだな、とひとりごとみたいに呟きながら、日本号が主の額に手を当てた。
その瞬間、主は一瞬体を跳ねさせ、驚いたように目を開いた。

「主?」
「……ごめんなさい」

開口一番、主は謎の謝罪を口にした。

「はは、何がだよ」

安心したみたいな、柔らかい声。
日本号が小さく笑うのに対して、主の目には光る何かが溜まって揺れて、それが一筋溢れていって、ようやく涙だと分かった。

「人はいつか必ずいなくなるって、私だってわかってるのに」

何の脈絡もなく放たれたのは、随分と辛い言葉だった。
主の視界には多分、日本号しか映っていない。俺に向かって言われた訳でもないのに、締め付けられるように痛くなった胸のあたりを、握り拳で抑えつけた。

「好きだなんて、酷いわがままだって思います」

すき。
隙、空き、好き。

どの「すき」なのか、分からず置いていかれたまま、主は弱々しく言葉を続けた。

「なのに、どうしてこんな酷い想い、手放せないのかな」

布団をかき分け、這い出てきた主の手が、額に当てられたままになっていた日本号の手に縋り付いた。
日本号は、目を見開いたまま身動ぎすら出来ずにいるらしかった。

「どうしてだろう」

小さく、ほとんど聞こえるか聞こえないかくらいの声で呟いたかと思うと、主はそのままスコン、と眠りに落ちていった。
日本号の手には、主の指が重ねられたまま。

若干気まずい沈黙が続いた。
ここにいるみんな、今、何を考えてる?
俺はまず、どこから考えればいいのかすら分からなくなってる。

ようやく沈黙を破ったのは乱と薬研だった。
「いなくなるって……主さん、そんなにひどい病気なの?」
「いや、何か夢でも見たのか……あるいは熱のせいで弱気になってるのか、どっちかじゃねえかな」
「そっか……主さん、こわい夢でも見ちゃったのかな」
「寝ぼけてたっていうか、寝言に近い感じだったしな」

なんて会話が、穴が空いたみたいになった胸のうちをすり抜けていく。

「え、てか、ねえ……主の言ってた『すき』って何……?」

分からなくって、とにかく一番のつまずきを、誰に問うでもなく問いかけた。
乱と薬研の視線が、ほぼ同時にこちらへ向く。
まさかとは思うけどさ、と言う声が震えているような気がして、腹のあたりに力を入れ直しながら浅い息継ぎをした。

「主は日本号が好き……恋しちゃってる、ってこと?」

三日月は瞬きを繰り返していてよく分からない。
薬研はポカンと口を開けたまま動かない。多分何も分かってない。
乱は右上を見上げてる。目が合わない。多分知ってる。
日本号は、自分の手に添えられている主の手に視線を落としたまま動かない。

「ねえ、何か言ってくんない」
「……ああ、いや」
「俺、なんも分かんないんだけど……!!」

声を荒げそうになって、視界の端に主の眠り顔が映って、ギリギリでそれを抑え込んだ。

主の気持ちに気付けなかった。
日本号の「面倒見の良さ」を、自分に向けられたそれと主に対するものとをいっしょくたにしていた。
主は日本号に特別な想いを抱いている。
主が自分以外の物に特別な「好き」を抱いている。
主には泣きたくなるくらい、苦しいくらい好きな相手がいる。
それが日本号。

「清光くん、こーいう類いの話は怒っても仕方ないことだよ」
「分かってるよ!」

乱に諭すように言われて、今度こそ耐えられなかった。

「分かってるし怒ってないし、別に、ただ、たださぁ……」

何一つ言葉に出来ないような気がして、ようやく掴めた感情の切れっ端をそのまま吐き出した。

「俺、バカみたいじゃん」

膝を抱え込んだ腕の中に顔を突っ込んで、自分に向かって集中する視線を避けようとした。
薬研が「ひょっとしてこりゃコイバナってやつか?」とか言ってて腹が立った。誰もツッコまなかった。違うじゃん、そこはツッコめよ。

ああもう、腹が立つ。
誰にでもなく腹が立っている。
主は悪くない。日本号も悪くない。
じゃあ俺は何がこんなに耐えられないわけ? 顕現したてじゃあるまいし、主がちゃんと俺を愛してくれてるのも分かってる。
頭で分かっていても、何でかすっきりいかない胸のうちのモヤモヤを、全部吐き出してしまいたかった。俺たち刀剣男士にもあるかもしれない心臓を、いっぺん取り出して丸ごと洗ってしまいたいとか、そんなことばかり考えてしまう。

「加州よ、俺も気付かなかった」

三日月の声に柔らかくつむじを撫でられたような気がして、腕の中から頭をもたげた。

「俺も、馬鹿なのやもしれん」
「はは、それで言うと俺もバカだな」

便乗して笑い飛ばす薬研に、三日月は小さく笑って、だけどすぐに真面目な顔をこちらに向けた。

「しかし、いやはや……恋というのは、難しいなぁ」

恋、と改まって言われて、その現実感のなさに何度でも同じような衝撃を受けてしまう。けれど、三日月の落ち着いた声のおかげか、少しだけ頭が冷えた。
多分、ずっと画面越しやら紙の上やらで見ていた「恋」とかいう感情が、突然現実として目の前にやってきたせいで混乱しているのかもしれなかった。
しかも自分の持ち主である主が、他の持ち物ただ一つに特別な情を抱いているという現実。

衝撃、とか言ってショックを受けている自分がバカみたい。
ショックを受けるような自分の小ささが可愛くない。
主も日本号も好きだけど、だからこそ、何でか底抜けに寂しい。

「……ねえ、日本号は? 主のことどう思ってんの」

ひねた心がそのまま出てきてしまったみたいな、拗ねたような声になってしまった。

「いや……」
「てか主から告白されたの? 日本号はなんて返事したの? まさか断ったわけ?」
「断ってはねぇよ……」
「保留にしてるんだよね」

何故か乱が代わりに返事をしてきた。知ってるのがさも当たり前、みたいなすまし顔。やっぱり知ってたんじゃん。

「……何で保留なわけ」
「何でって……」
「嬉しくなかったわけ? 主から好きって言われてさぁ。だって主、わがままだって分かってて手放せないって、それくらい好きなんだって言ってたじゃん? そんな風に思われたら、俺だったらすぐオーケー……」

するんだろうか。
日本号を質問攻めにしながら、自分自身に問いかけているような気がしてきた。
主に「好き」と言われて嬉しい気持ち。
物として嬉しい気持ちと恋との線引きは、一体どこにあるんだ。

「……前にボク、日本号さんに恋は情の延長線上にあるって話したでしょ?」
「ああ……」

乱の言葉に、日本号は控えめに頷いた。

「それは間違いないんだけど、やっぱり、恋って唯一のものじゃない?」
「唯一?」
「そう。友達や家族、親類とか、尊敬する人とか〜……そういうのは何人もいて普通でしょ? でも恋人って、ただ一人だよね。今の価値観で言うなら、だけど」

気が多い人とかもいるけどね、と乱はさらりとつけ加えて、言葉を続けた。

「唯一無二の感情を明確に捉えようとするのはさ、やっぱり難しいよね」

日本号を擁護しているようでいて、俺のことを気遣っているようでもある話だと思った。乱はそーいう刀だと、俺も分かってる。
何かフツーにコイバナの流れになってしまって、今さら引き返す気も流れに棹さす気も無くなって、何となく思ったことをそのまま聞いてみることにした。

「……てゆーかさ、ちょっと嫌な言い方するけど、主が日本号のこと好きだっていうのはお父さん恋しさとかと混同はしてないわけ?」
「おい待てそりゃどーいう意味だ」
「言っちゃ悪いけど、日本号って見た目おっさんぽいし」
「おい」

日本号は目を半分に据わらせ、睨みをきかせてみせた。それからすぐに湿っぽいため息をついて、自分の手に重ねられていた主の手をそっと解いて、布団の中に収めてやった。そういう仕草一つひとつに愛情のようなものを感じるのに、それは答えにならないのだろうか。

「つーか、んなこと俺が答えられるかよ……ここで俺が『主は100%俺に恋してる』とか言ったら普通に気持ち悪ぃだろうが」
「まーね」

軽く返しながら天井を仰いで、天井ブチ破るくらいのため息を思い切り吐き出した。

「はあ〜もうホント、恋って何なワケ? 誰かこども電話相談にでも電話して聞いてきてよ……」
「ああ、前に『生きる意味』について質問した子供がいたな。ちゃんと回答してたぜ。聞いたら教えてくれるかもしれないよな」

薬研が茶化すでもなく、いたって真面目なトーンで答えた。
本丸にお住まいの加州清光くんからの質問、恋って何なんですか、って?
何の専門家がどうやって答えを出してくれるのか、興味がなくはないし、何ならこの世の偉い学者先生みんなに教えてほしい。
主が辛い思いをせず、泣かずに済む方法があるなら。俺たち刀が恋とは何か、一発で分かる方法があるなら。

「分からんが、主が今さっき言った通りなのではないか?」

三日月は顎を指で触りながら、控えめに声を上げた。

「辛くとも手放せないほどの想い、というのが恋なのやもしれんなぁ」

俺の推測に過ぎんがな、と笑いながら、三日月はあくまで明るくそういう仮説を説いた。
だとしたら、恋ってなんて不自由なんだろう。たとえ相手と思いが通じ合ったとしても、いつか終わるものだと分かっていて、それでも好きだと伝える身勝手。そういう身勝手が、自分も相手も苦しめるかもしれないと、分かっているのに止められない気持ちを抱え続ける痛み。
そういうものに縛られるのが恋だっていうんなら、主はこの先ずっと苦しいままかもしれないの? そんなの酷すぎない?

「いや」

これまでずっと及び腰だった日本号が、ここに来て初めてきっぱりとした声で、湿った空気を断ち切った。

「人に聞いてこういう理由があるから好きだ、とかじゃないだろ」

日本号は、主が呼吸をするたびかすかに上下する布団に視線を落としたまま、けれどはっきりとした口調で言葉を続けた。

「俺は自分が納得出来ねえ限り、適当な受け答えはしねーよ」

言い切って、日本号はおもむろに腰を上げた。それから「出直す。主のことよろしくな」とだけ言い残し、大きな背中をこちらに向けて部屋を出ていった。

悔しい。

いつか、長谷部が日本号のこと殴ったって話聞いたけど、ちょっとだけ気持ちは分かる。
日本号には確固たる、揺るがぬ精神があって、それは精神的主柱になり得るし、けれど真逆の性質を持つものには苛烈な羨望と嫉妬を湧き上がらせる。
ずるいよね、俺に無いもの何でも持ってて、そのくせ人に与えることを惜しまない寛容さもあって。

「ちぇ……」

それがやっぱり、かっこいいんだよなぁ。