人が死んだら星になる、という嘘みたいな話を当たり前に信じていたのはさすがに子供の頃の話だ。でも、そういう話をでっち上げることの、その優しさに気づいたのは、随分と最近のことだった。
人が死んで星になるのが本当なら良いと、人である自分はそう思う。
夜空を見上げれば、もういない誰かのことを思い出すことができるようになって。いずれ必ず訪れる死が、少しだけ怖くなくなって。大切な人が先に星になったとして、ひょっとして自分が死んだら、その隣で輝ける日が来るかもしれないと、思ったりして。
そういう優しい残酷さは、有限の時の中でしか生きられない人間が作り出すものにのみ宿るのだろう。



五月の終わりの日。
政府からの通達確認を終え、パソコンの電源を落としていると、縁側のほうからのんびりとした声が聞こえてきた。

「きみとサシで話すのは久々だな」

近侍だったってのにな、と小さく笑う鶴丸は、初夏の夜の温い空気に柔らかく包まれながら、縁側から外へ足を投げ出している。
パソコンの画面が暗くなったのを見届けてから、縁側のほうへと近づいた。夏前の夜はうすぼんやりとした暗さで、鶴丸の白がぼんやりと光って見える。
なまえはふと思い立って、執務室に置く用として最近買ったばかりの冷蔵庫から、いつか日本号と行った酒屋で買って、開けたままにしてしまっていた酒の瓶を取り出した。
いかにも「何してんだ」とでも言いたげな顔で振り返った鶴丸に、酒の瓶を両手で掲げて見せる。

「……飲みますか?」
「酒かぁ、しかし杯がないな」
「あります、二つ」
「ええ、あるのか……君、結構呑兵衛なのかい?」
「いえ、多分父が使ってたのがそのままこの部屋に残ってたっぽいんですよね……」

どんだけ飲んでたんだろう、とボヤきながら小さな杯を二つ重ねて片手に持ち、もう片方の手には酒の瓶を携えて、鶴丸の隣に腰掛けた。
二つ並べた杯に少々の酒を注いでいく。冷蔵庫の中でひえひえになった瓶の、氷のような冷たさを手のひらに感じながら、濁りのない透明の酒がゆるやかに杯を満たしていくのを眺めた。

「結構ぐでんぐでんになるまで飲んでたんですかね、父って」
「ん? いや、節度は弁えてたと思うがな」
「でも、日本号さんが父のこと運んだことがあるって言ってたんですけど……」
「はは、いつの話なんだろうな。俺が知らないだけで、そういうこともあったのかな」

一杯だけ貰おう、と小さく呟いてから、鶴丸はなまえから受け取った杯を傾けた。

「俺が知らないだけ、か……」
「え?」
「いや、俺は審神者としてのあの人の姿はよく知ってるが、きみの父親としてのあの人のことはほとんど知らんなぁと思って」
「それは……」

自分も審神者としての父を知らない、ということをあくまで何気なく言いそうになって、けれど変に張り合うみたいな言い方になりそうで、すぐに引っ込めた。

「……最近、伊達の刀のみなさんとしりとりとかしてたじゃないですか」
「ん? ああ、気を使わせた」
「そ……それで、父としりとりしたこともあったな、とか……思い出しました」
「へえ?」
「しかも結構大人になってからで……何となく、二人きりになると仕事の話とか聞かれるんですけど、せっかく久々に会ったのに仕事の話聞かれるの嫌で。そんな理由でギスギスするくらいならしりとりでもしたほうがいいんじゃないか、みたいな謎の流れですけど……」
「なんだそりゃ」

わはは、と声を出して笑った鶴丸は、杯の中の酒を一気に喉へ流し込んだ。
空になった杯を傍らに置く乾いた音に耳をこすられて、なんとなく、五月の終わりを告げられたような気持ちになった。

「今日は、夏前にしては星がよく見えるな」

中庭に放り出した長い足を無意味に揺らしながら、鶴丸は空を仰いだ。

「見上げてごらん、夜の星を〜ってな」

静かな声に顔を上げると、うっすらとした墨色の夜空に、想像していたよりずっと鮮明に星が光っていた。
ちょうど見上げた先のあたりで、明るく点々と光る星を繋いだ形に、なんとなくだけど見覚えがあるような気がした。

「星の話をしたことがある」
「父とですか?」
「ああ」

暗がりの中、白い人差し指がまっすぐ伸びて、空の一点を指差した。

「北斗七星」
「あ、そうでした。何だか見たことある形だと思った……」
「おおぐま座の一部分だな。おおぐまの足を北に、五つのばしたところに」
「アンドロメダ……宮沢賢治ですね」
「ああ。歌も教わったな」

鶴丸は鼻唄で数節ほどその歌をなぞった。尻すぼみになっていくそれは、静かな夜風に溶けていって、最後には消えてしまった。
星に向かってしっかりと伸びていた指の先から、植物が萎れるみたいに力が抜けていく。

「こんなもの、無いほうがよっぽど良かったのかもしれないってのは今でも思う」

鶴丸は、誰に聞かせるわけでもないひとりごとを言うように、小さく呟いた。
こんなもの、という曖昧な言葉一つの中に、たくさんの意味が詰め込まれているように思えてならなかった。
思い出、愛、優しさ、そういうもの全部をひっくるめた、感情というもの。

「人はいつの世も勝手だった。勝手に生み出して、勝手に愛して、挙句の果てにゃ勝手にいなくなるんだもんな」

あくまでも優しい声色が、むしろ寂しく揺れて聞こえる。
しかし意外にも、鶴丸はすぐに顔を上げ声色を随分明るくした。

「だから、きみが言った……生きるために忘れるなんて癪だから私が覚えておくよってのは、納得もできた上に共感もできた。良いことずくめだ」
「それは……良かったです」

何となく返答に困った感じで眉を下げるなまえの様子に、鶴丸は小さく笑い声を上げた。

「でもまあ結局、その約束すらきみが生きて死ぬまでの期限付きだ。仕方のないことだがな」
「……そう、ですよね」
「まあ、だから……せいぜい長生きしてくれ」

頼むぜ、と明るく言って、鶴丸は腰を上げたかと思うとすぐにこちらに背を向ける。
廊下へ続く障子戸まですたすたと歩いていって、体半分だけで小さく振り返った。

「じゃあ、また……明日からも頑張れよ」
「はい、ありがとうございます」

当たり前なのかもしれないが、また明日、とは言わずに、鶴丸は部屋を出ていった。
静かな夜の部屋に取り残されて、手の中の杯に視線を落とす。澄んだ酒が揺れるのを、少し寂しいような、泣きたいような気持ちで眺めた。それでも「一杯だけ」のあの時間は、間違いなく優しさだったと思う。

いつか無くなる命。
いつか止まる時間。

それでもやっぱり私たち人間は、時間と感情を積み重ねることでしか生きていけないのだという寂しい現実を、雨の季節を予感させる生温かい空気が柔らかく包んだ。
縁側に杯を置き、何となく重たくなっていた腰を上げる。
湿気で端が少し捲れ上がっている暦を一枚めくれば、それだけで梅雨の気配をすぐそばに感じるような気がした。