五月も半ばになり、少し汗ばむような陽気が続くようになっていた。厨で火を使うと熱気でくらくらするような、夏へと向かっていく勢いを感じさせるような、そんな日。
初夏のそういう日中に、一つの部屋、しかも執務室のような比較的狭い部屋に大勢が集まれば、自然と気温は上がるわけで。
主、近侍の鶴丸国永、同室の太鼓鐘貞宗、大倶利伽羅、そして僕、燭台切光忠。
自分で言うのもなんだけど、わりと存在感の強い面々が集まっているせいか、余計に熱気が高まっているんじゃないかと思う。
じゃあ何でわざわざこうして一つところに集まっているのかというと、だ。

「イスタンブール」
「え、また『る』ですか……? る、ルーマニア」
「『あ』だな! じゃあ、アーノルドシュワルツェネッガー! みっちゃん、『が』だぜ!」
「が、がー……ガーリック。はい、伽羅ちゃん『く』だよ」
「くだらん、俺は付き合わんと毎度言っている」
「お、伽羅も『る』で攻めてきたな? よし、ルリユール」
「また『る』……」

そう、しりとり。
……というか、僕らが勝手に鶴さんについてきて、こういう風に手を動かして仕事をしながらでも出来る簡単な遊びを始めてしまった。
鶴さんがちゃんと執務室に顔を出すようになった日から、何となく始まったこの行事。僕ら同室だけじゃなく、その場に居合わせた面々でやっているから結構面子は変わるし、なんだかんだ楽しいから今日まで続いている。ちなみに初日は10の扉をやった。
何でか結構な頻度でいる日本号さんがやたらしりとりが強くて怖いから、日本号さんがいる時は芸能人の人名に絞ったしりとりとかジャンルで縛りをを設けた。

何でこんなことをしているかって、その理由はあんまり明るいものじゃない。僕が勝手に罪悪感を感じているからだ。
同室でありながら、僕は結局鶴さんに何もしてあげられなかったように思う。もちろん、主にも、何も。
美味しいものを食べて、少しでも元気になってほしい。
楽しい話をして、明るい気持ちになればいい。
何も聞かずに居場所を作ることが救いになるといい。
僕たち同室の面々は、そういうことを思ってはみても、根本的な解決になる訳もなくて、ずっと遣るせない気持ちを胸の底に抱いてきた。
けれどある日、鶴さんは少しだけ嬉しそうな顔で部屋に戻ってきた。
何があったのか聞くと『あの子は俺の気持ちを覚えておいてくれるらしい』と、説明になっているのかいないのか微妙な答えが返ってきた。
詳しくは話してもらえなかったけど、主が何事か行動してくれたらしいのは明白だった。

多分、僕たちは自由になる人の身を得たせいで、つい正解を探し求めてしまう。
僕たちは物だった頃、やれなかった後悔に苦しむ人間の顔をただそばで見ているばかりだった。けれど気付いてみれば、自分たちがその顔になっている。
みんな、後悔を抱えて生きている。色んなことや、人や、物に後ろ髪を引かれながら、それでも生きている。
自分がああしていれば良かったんじゃないか。
あの時こっちを選んでいれば、こうはならなかったんじゃないか。
多分、そういう選択の積み重ねで歴史は出来上がっていく。失敗した選択も成功した選択も、はたまた何も生み出さなかった選択も、その全てが人の歴史となっていく。
結局、何が正解かなんて、僕たちにも分からないのだ。
正解なんて無い。けれど多分、正解を求めて足掻き続けることが生きるということだ。主だって、分からないなりに鶴さんと向き合ってくれたのだろう。
僕だって、何もしりとりに正解を求めた訳じゃないけど、それでもこの時間には間違いはないような気がしている。
一番はじめにこの本丸に来て、伊達に所縁のある僕たちを待っていてくれた鶴丸国永という刀が、一秒でも長く満たされた刃生を送れますように。
前任から本丸を受け継ぐ選択をした主が、その選択を間違いじゃなかったと思える時間を、少しでも多く作れますように。
そういう気持ちで、僕らは今ここにいる。

「る、る、る……ルカリオ」
「え、ポケモンの名前ってアリなのかい?」
「主特別ルールということで勘弁してください……」

机の上にぺったりと片頬をくっつけながら、主は力なく言った。
ぐでん、と溶けていきそうな姿の主は、ここへ来たばかりの頃に比べると随分肩の力が抜けたように思う。

「主って、わりと……」
「わりと?」
「まったりしてるんだね」

良い意味で言ったつもりだったけど、主はすぐに「すみません」と慌てて姿勢を正した。
改めて、主ともお話し出来るいい機会にもなったし、これで良かったんだと思う。
結果論、という言葉を人はあまり良い意味で使わないけれど、言ってしまえば結果論とはつまり、それまで選んできた選択について答え合わせが出来る、ただ一つの手段なんじゃないかと、僕は思う。
これはあくまで自論だけど、これまで歴史の中にあり続けた自分なりの考えだ。

「よし、じゃーポケモン繋がりで、オムナイト!」
「あれ、ポケモンの名前しりとりになってる? 僕有名どころしか知らないんだけど……と、トゲピー」
「ピカチュウ」
「ウールー」
「ルチャブル」
「ルリリ」
「何でみんなポケモンしりとりになった途端テンポ上がるの!?」

完全に追い込まれた気配を察知して慄いていると、風通しを良くするために全開にしていた部屋の入り口のほうから、元気な声が聞こえてきた。

「失礼しまーす!」
「あ、あるじさま、みなさん、お疲れ様です」

秋田くんと五虎退くんが、盆を一つずつ持ってやってきた。
まん丸い盆の上には、うっすらとしたレモン色がきらめく透明のグラスが乗っかっている。グラスの中で氷が揺れて、涼しげな音が耳をくすぐった。

「レモネードのお届けですよ!」
「おお、こりゃ驚きだ」
「わ、すごく美味しそう」

二振りを見上げる主と鶴さんは嬉しげに声を弾ませた。
五虎退くんが慎重にしゃがみ込んでから、主にグラスを差し出す。うっすらレモン色に透き通るエードの中では、たっぷりの氷と輪切りのレモンが揺れていて、氷の上には鮮やかな緑色をしたミントの葉がちょこんと乗っている。

「ど、どうぞ、あるじさま」
「ありがとう。すごい、涼しげで綺麗だね」
「は、はい。厨でたまたま加州さんにお会いして、あるじさまにレモネードを持っていくとお話ししたら、それなら可愛くしないとって、綺麗に整えてくださったんです」
「そっか……加州くんにも、後でお礼言わなきゃね」

グラスを目線の高さまで持ち上げて、しげしげと眺めながら、主はしみじみとした声を出した。

「燭台切さん特製のシロップで作ったから、とってもおいしいんですよ!」
「へえ! じゃあさっそく」

うきうきしているのを隠そうともしないで、主は「いただきます」と一言添えて、グラスに口をつけた。

「わ、美味しいです。甘すぎなくてさっぱりしてる」
「レモンシロップって簡単なんだよ、レモンの輪切りと氷砂糖だけで出来るんだ。梅酒を作るのと同じような感じだね」
「へえー」

主はいたく感心したような声を上げ、さらにグラスを傾けた。
その様子をにこにこと眺めていた秋田くんが、ここぞとばかりに声を上げた。

「主君にレモネードを届けてほしいと提案されたのは、燭台切さんなんですよ」
「え、そうなんですか?」
「今日、暑いからさ。熱中症の予防にね」
「驚きも届けられたし、みっちゃん大成功だな!」

イェイ! と声を高くする貞ちゃんとハイタッチをして、五虎退くんと秋田くんにも「ご協力ありがとう」と声を投げかけた。

僕らは物で、でも今は体があって。
薄い皮膚は温度を感じて、鼻は匂いを嗅ぎ取るし、目は口ほどに物を言い、舌は美食で鼓を打つ。
好きなものは好きと言えるし、嫌いなものを突き放す腕もある。怖いものから逃げられる足があって、喜びを伝え合う手がある。
いつか、この体を手離さなくてはいけない日が来るかもしれないけど、だからって今を疎かにするのはあまりに勿体ない。

大事な仲間に、主に、一秒でも長く、満たされた時間を過ごしてほしい。
例えばそういう気持ちが自己満足なのだとしても、お節介だとしても。
願い続ける勝手だけは、どうか許してほしい。

「秋田と五虎退もしりとり参加するか? 今は光坊のターンでな」
「え、まだやるの? りがつくポケモンリザードンしか知らないんだけど……」
「負けじゃないですか……」