あのね、この本丸の前の主さんはね、ボクのことを「乱くん」って呼んでたんだ。
あ、呼び方変えてほしい、なんて野暮お話じゃないよ? ボクにとっては呼び方なんて些細なこと。でも、呼び方が変わるだけでちょっぴりくすぐったい気持ちになるよねぇ。なーんか不思議な気分!
そうそう、一年前のお話になるけどさ、主さんが男士ばっかりのこの空間にやってきて間もない頃、ボクを見た時にほんのちょっと緊張が解れたみたいで、それがなんだか嬉しかったなぁ! ボクみたいな刀がいるだけで主さんの気持ちが柔らかくなるなら、それはとっても嬉しいことだよ。
そんなボクだからかな? 他の刀と比べて、主さんとお話することも多いほうで、そのぶん主さんのこと、色々分かってきちゃったんだ。
ひょっとしたら主さんには好きな相手がいるんじゃないかな、とかさ。
何でボクが主さんの気持ちに気がついちゃったかって、つまりそういうコトだったんだよね!

ちょっとだけ、ボクの話をするね。
ボクはこの本丸に結構初めの頃からいて、この体をもらって以来、ずっと好きで続けてることがあるんだ。
それは、ヒトが作り出した架空のお話に触れること。
小説とか、漫画とか、映画とか。媒体問わずなんでもござれ! たくさんのお話を見てきたんだ。漫画は自分で通販で買ったり、映画はテレビでやってるのを見てみたり。それに、前の主さんは本をたくさん持ってたから、よくお部屋に遊びに行ってたよ! 部屋の隅に積んである座布団を何枚か引っ張り出して、その上にうつ伏せで寝転がって、色んな本を読んだ。

それでね、ヒトが作るお話って、意外と昔から変わらないんだなぁって思ったの。
戦争の話、生と死の話、それから恋のお話。
戦争の話って、まだ分かるんだよね。ボクたちは武器だから、お話の中に出てくる武器への共感が出来るし、映像も思い浮かぶ。映画で見ると、思わず体が動いちゃう!
生と死の話も、なんとなく分かる。ボクたちは物だから。ヒトとはまた違った概念の死ではあるけど、物にだって命の終わりはあるからね。

でもね、恋の話って、分からないんだ。
どんなお話も、必ずしも共感しなきゃいけないってワケじゃないけどさぁ、恋のお話のトキメキっていうのかな? そこに入り込めない寂しさがね、体を得た日からずっとある。分からないからこそ惹かれるところもあったのかな、だからボク、恋のお話って結構好きなんだよね。でも、いくら見ても結局わからない。
だって、ねえ。刀が恋をするなんて、あると思う?
あー、そんな不安そうな顔しないで! あのね、実はコレ、前の主さんに聞いちゃったんだよね。知りたくてたまらなくって、ついね。
そしたら主のお父さん、何て言ったと思う?

「あり得るんじゃないかな。だって君たちは物だけど、それらに宿った魂そのものだろうし。恋は魂でするもの、とか言うとちょっと大仰だけど、結局は情の話の延長線上にあるものだしね。恋をただの情の話と捉えたら、人の体を得て、物なりに情を持った君たちにも、多分できるんじゃないかなぁ」

だってさ! ボク、ちょっと驚いちゃった。
でも、納得はできたよ。
確かにボクたちは嬉しければ笑うし、イヤなことされたら怒るし、楽しければ飛び上がっちゃうし、悲しいことがあればイヤな夢を見ちゃう。
人の体を得てから、そういう情まで体に染みついちゃってるボクたちなら。恋が感情のうちの一つに過ぎないなら。確かに、出来るかもしれないよね。

だからさ、日本号さんが答えを出す気があるっていうなら、待ってあげてほしいな。
大丈夫だよ、あれはちゃんと人を愛している槍だから。人に愛されてきた分、それに対する誠意のある槍だから。
日本号さんのことを信じてるからこそ、ボクは主さんのことも応援したんだから、ね!



綿のような雲がそよ風に流れていく、四月の昼下がり。
真四角の座卓を三槍揃って囲みながらの謎の映画鑑賞会が始まって二時間が経ち、すでに大団円クライマックス、のちのエンディングが流れ始めている。

「なんだこりゃ……」

槍部屋のテレビ画面に映し出されている映像を据わった目で見ながら、日本号は低く零した。

「男女二人がすれ違いまくって挙句の果てに時間超えたりインターネットを駆使したり戦場の中心で愛を叫んだり世界を救ったりした末にいつの間にか結ばれてたぞ。カオスにもほどがあるだろ」
「まぁなんだかんだ面白かったぜ」

御手杵が投げやりな感じで雑な感想を言うのを聞きながら、日本号は今日イチ特大のため息をついた。

そもそもの始まりは、何てことはない。
三槍共に出陣予定もなく、暇つぶしで駄弁りながら昼のワイドショーを見るでもなく見ていたら午後のロードショーが始まって、そのまま流れで見始まった、てなもんである。
日本号は、こういったエンタメ系映画を進んで観るほうではなかった。特にこういう、いわゆる恋愛が主軸にあるものは、好んで観るでもなく、別段嫌っているわけでもなく。ただただ興味がなかったので、観ても流し見程度の扱いだった。
しかし、いかにもな恋愛ものの映画が流れ始まって、すぐさまあの日のことが脳裏を過ぎった。
つい先日まで毎日共に過ごしていた、主のこと。
答えを導くと約束したからには、考えなくてはならないことだった。しかしまぁ、毎日出陣や内番もある中、そのことで頭をいっぱいにしているわけにもいかないので、なんだかんだで未だに手掛かりすら掴めずにいる。

経験のないことは、見て感覚を掴めばいいのでは。
そういう甘っちょろい考えで映画鑑賞をしてみたわけだが、思った以上にすったもんだではちゃめちゃな映画にぶち当たってしまって、今は別の意味で頭を抱えている。

「つーか……時間遡って過去変えてたぞ、いいのか仮にも刀剣男士がこんなもん見て。顕現したての野郎にゃ見せねえ方がいいんじゃねぇのか」
「日本号の観点は面白いな、今度からもっと共に映画を見ないか」
「イヤそういう話じゃなくて」

蜻蛉切が真面目な顔で感心するのにツッコんでいると、エンディングが終わり、次週の予告が始まった。来週やる映画は、安っぽいCGと甲高い悲鳴がいかにもB級な洋画らしい。

「おっ、来週は鮭の大群がゾンビになって人間を襲う映画かぁ!」
「酒?」
「あんたの好きな酒じゃない、魚の鮭」
「あっそ」

御手杵がゾンビ映画にはしゃぐのを横目に、畳に肘をつきながら体を横たえる。
結局、何の参考にもならないうちに気づけば映画が終わっていた。しっちゃかめっちゃかな恋愛ものといい、来週やるゾンビといい、この時間帯この枠でやる映画はシュールなものが多いのだろうか。これだったら金曜の夜にやってる映画のほうが参考になるかもしれない。
いまだに映画の話で盛り上がっている蜻蛉切と御手杵を横目に、内心でぐだぐだ愚痴を垂れ流しながら、開け放たれている部屋の障子戸の、その向こうを何気なく見やる。

「お」

中庭を挟んで槍部屋から遠く見える粟田口の大部屋に、主と長谷部が共に並んで入っていくのが見えて、思わず声を上げる。
庭木が邪魔でハッキリとは見えなかったが、主が変に緊張していたりするようには見受けられなかった。ちゃんと笑って話しているらしかった。
見たところ、長谷部とも上手くやっているらしい。ま、仕事はイヤミったらしいくらいに出来る奴だしなぁ。
脳内でこっそり独り言ちながら、頭の後ろで手を組み仰向けになった。
天井の木目をじっと見つめていると、なんとなく目が回りそうになって、目蓋を下ろす。そうして目を閉じて、そのまま微睡んでしまえればいいのに、何となく気が落ち着かず、意味もなくごろりと寝返りを打った。

「日本号ー、昼間っから寝ると夜寝られなくなるぜ」
「そうだぞ、せっかくだから我らと共に映画の話をしよう」
「俺ぁあの映画に感想も何もないんだが……」

御手杵に肩を揺さぶられて、しぶしぶ目を開け体を起こす。
卓上に置かれた袋入りの海老せんべいを二つ手に取り、そのままの流れで立ち上がった。

「ちょっと出てくるわ」
「あ、万屋行くならお菓子買ってきてくれよ」
「しょっぱいものはまだあるからな、甘いものを頼みたい」
「万屋じゃね〜よ、てめーらで行きな」
「ええー」

図々しいリクエストを全て躱して、さっさと部屋を後にする。
中庭に面した板張りの回廊をギシギシ軋ませながら、三槍で使っている部屋より一回りほど広い部屋の前までやってきた。粟田口の刀が使っている部屋だ。
が、想像していたよりもだいぶ静かな部屋の前で、そのおとなしさに一瞬ひるむ。

「……誰もいねーのか」
「はーい、いますよー」

思わず独り言ちた声に、予想外の反応が返ってきて、肩が小さく跳ねた。
明るい声と共に開かれた障子戸の先では、乱がきょとんと目を見開いている。

「あれ、主と長谷部は」

障子戸に手をかけている乱の頭の上から粟田口部屋の中を覗き見ると、さっき来ていたはずの主たちの姿が見えなかった。おまけに乱以外、刀の姿が見えないときた。

「明日の作戦会議するからーって、出陣予定のみんな連れて行っちゃったよ? あとはみんな畑行ったり手合わせしたりなんなりで、今ボクしかいないけど。何か用事?」
「なるほどな。いや、別に大した用じゃないが」

人差し指でこめかみを掻きながら、そういえばもう片方の手指でつまんでいたせんべいの存在を思い出して、乱に一つよこしてやった。

「食うか?」
「わーい、ありがとう日本号さん!」
「はいよ、じゃあ俺はこれで」
「ねえねえ日本号さん。あのさ、まさかとは思うけどさ」

用が無くなった部屋を後にするため踵を返そうとした、その瞬間。その場に押し留めるように名前を呼ばれて、動きが止まった。

「ヤキモチ妬いちゃった?」
「は? 餅?」
「ベタな反応だな〜つまんないの。嫉妬だよ」

しっと、とわざとらしく一字一字に重きを置いて言い直されて、ようやく脳内変換された。

「……いや……何だそりゃ」
「こないだまで毎日主さんと一緒に行動してたのは日本号さんだったけど、今はその役目は長谷部さんじゃない? だからさ」
「お前さん、そういう話好きだねぇ……」

乱は「そういう話?」と頭のてっぺんにハテナを浮かべながら、コテン、と音が聞こえてきそうな感じで首を真横に傾げた。

「惚れた腫れただ、すぐそういうヤツにしたがるだろ」

いちいちわざとらしい仕草に呆れ返りながら粟田口部屋に足を踏み入れ、障子戸を閉める。誰かに聞かせるような話でもないだろう。
突然投げかけられた話題の危うさにため息をつきながら、入り口近くに腰を下ろした。行くあての無くなった海老せんべいを、袋に入ったまま一口大に砕いていく。
乱は障子戸のそばで立ち尽くしたまま、目をまん丸く見開いたかと思うと、すばやく瞬きを繰り返した。

「ボク、別にそんな話してないけど」

頭上から思いがけず冷静な声を浴びせられて、今度はこっちの目が皿になった。
てっきり、軽い笑い声でも返ってくるかと思っていた。冷水を頭から浴びせられたような気になって、せんべいの袋を開けた格好のまま一瞬動きが止まる。
呆気に取られながら、思わず丸まっていた背筋を伸ばすこちらの様子も気にせずに、乱は言葉を続ける。

「嫉妬って別に恋愛だけの話じゃないもん、ただの情の話だよ」

乱は淡々と言葉を並べたかと思うと、日本号の目の前に腰を下ろし、鋭さすら感じるような細い人差し指を顔の前に突き立てた。

「日本号さんが刀剣男士で、主さんがこの本丸の主である以上、嫉妬って多分わりと普通に有り得る情だよ。道具にだって、他より主の役に立ちたい欲望があるじゃない。もちろんボクにも、みんなにもある」
「お、おお……」

面食らって、目を瞬かせた。思いのほか納得のいく正論を眼前に翳されて、なんとなく圧倒されてしまった。
今の今まで真面目な顔をしていた乱は、まぁそれはいいや! と腕を思い切り頭上に伸ばすや、膝立ちでいそいそとテレビ台までにじり寄っていき、その下に設えられている棚を漁りだした。

「えーと……あ、あったあったぁ!」

乱が取り出したのは、DVDらしきもの。そのパッケージにでかでかと書かれているタイトルに、日本号は見覚えがあった。

「なんかボク、急にこれが見たくなっちゃった! 日本号さんも一緒に見る?」
「乱さんよぉ」
「なぁに?」
「そりゃアレだろ、男女が惚れた腫れたで時間を超えたりネットを駆使したり戦場の中心で愛を叫んだり世界を救ったりした末にいつの間にか結ばれる話だろ」
「うん」
「何で今、このタイミングで、それを見たくなるのかね」

乱はわざとらしい作り物めいた笑みを貼り付け、そのまま数秒の間、まったく動かなかった。その動きのなさたるや、まるで一時停止されたテレビ画面のようである。
ようやく口が開いたかと思うと「日本号さんも一緒に見る?」と巻き戻して振り出しに戻ったようなことを言った。

「イヤなに、今の間は」
「まーまー、後学のためにさぁ」
「何、ひょっとしてもう主の、そのー……割れてんのか……?」

あえて明言しなかったにもかかわらず、返ってきたのは「安心してよ、多分知ってるのボクだけだから」という全く安心できない答えだった。思わずがっくりとこうべを垂れると、くつくつと抑えたような笑い声がした。

「でもボクさぁ、分かんないんだよねぇ」
「なに、何が分かんねーって?」

自棄に吐き捨てながら顔を上げると、かじりかけのせんべい片手に、よりにもよって「恋の話」なんて言いやがる。

「もうよそうぜ、その話は……」
「いや、だってさ、恋愛ものの映画とかドラマとかマンガ見てるとさ、必ずといっていいほど人が人に恋をするきっかけとか理由って描かれるじゃない?」
「それが何だ」
「そーゆう、人間と人間が恋するきっかけも理由も、主と刀剣男士だと理由にならないと思うんだよね」
「はあ?」

意図せずボリュームが上がってしまって、慌てて手のひらで口元を覆った。それがかえって隠し切れない焦りの証明のようになってしまったような気がして、バツが悪くなる。
乱は「どうどう」とでも言うように、開いた手のひらをこちらに向ける。

「あくまでボクの主観だからね、しゅ、か、ん」
「ああ……で、どういうこった」
「例えばさ、さっきも言ったけど嫉妬。主さんが他の刀剣とベッタリなことに日本号さんが妬いてもそれは」
「人に使われる道具としての嫉妬」
「そう」

我が意を得たりといった具合で頷く乱に、「さりげなく主と俺の話にするな」とツッコむのさえ諦めながら、日本号は内心この短刀の言うことに感心すらしていた。せんべいを口の中に放り込みながら、「で、あとは?」と次の言葉を促す。

「あとはね、接触」
「接触?」
「主さんが日本号さんに触れられて恋心に気づくのは人間としての情の話。でも日本号さんが主さんに触れられて、もし嬉しいと感じてもそれは」
「道具としての本能ってワケだ」
「そおゆーこと!」

片目をパチンと閉じながら語尾を跳ねさせる乱とは対照的に、日本号はずるずるとその場にへたり込み、挙句四肢を投げ出し、ほとんど声になっていない呻き声をあげた。

「あー……もうワケ分からんな」
「ゴメン、別にいじわるで言ってるわけじゃないんだよ? ボク主さんのこと応援してるし」
「そーかい」

意地悪なんていう疑いなど少しもしていないので、軽く流しつつ改めて思った。
人とそうでないものとの惚れた腫れたが、こんなにも難儀なもんだとは。
覚悟はしていたが、改めて我が身になってみれば、答えに辿り着くための道筋一つさえ見えない気がしている。

「まあでも、日本号さんなりに自分で答えを見つけるしかないよ」
「そーですね」
「大丈夫だよ、前の主さんも言ってたもん、刀でも恋はできるかもって」

想像すらしていなかったところからの思いがけない太鼓判に、息が止まる思いがして目を見開く。
あくまで何気ない風を装いながらゆっくりと身を起こし、乱に向き直って次の言葉を待った。

「恋も結局は情の一種と考えれば、人の体を得て情まで持ったボクらにも、恋はできるかもしれないって、前の主さんはそう言ってた」
「……情、なぁ」

食べ終えたせんべいの袋を丸めながら、日本号は乱を通して与えられた前任からのヒントを噛み砕こうとした。
言われてみれば、確かにそうなのかもしれない。改まって「恋」というものについて考えようとすればするほど訳が分からなくなっていたが、そう言われると、答えは自分が思っているよりはだいぶ近くにありそうな気がした。

「ていうか、ここでこうやってボクと恋愛とは何ぞや? なんて話してるよりは主さんともっとお話しなよ。しばらく相手と向き合ってみて、自分の感情がどう動くか確かめてみるに越したことないんじゃない?」
「イヤ全く。おっしゃる通り、だな」

恋が一種の情の話に過ぎない、という話題から考えてみれば、乱の言うことはいちいちごもっともだ。そもそも一人で考えていたって、いつまでも堂々巡りを繰り返すだけだろう。
そうと決まれば、主と再び話すタイミングを見つけなければならない。近侍という立場でなくなった今、じっくり話す時間は無くとも、また主と会わなければ、話さなければ。このまま何一つ前には進まない気がする。
自分が見つけようとしている「答え」の途方の無さが、前任の言葉でほんの少しだけ解消されたのかもしれなかった。

「んじゃあ、行くとするかね」
「はあい、頑張って!」

未知の世界への鍵をまず一つ掴めたような感覚に背中を押されながら、膝に手を当て腰を上げた。
障子戸に手をかけたところで一つ思い出し、乱を振り返る。

「あー、くれぐれもこの、主とのこたぁ他言無用で頼むわ」
「もちろん! 言われなくても分かってるよ」

ヒラヒラと手を振る乱に片手を上げて応え、粟田口部屋を後にした。

部屋を出てすぐ、中庭で桜が花びらを散らせているのが目に入って、主の耳元で揺れていた耳飾りを反射的に思い出す。
こうしていちいち主のことを思い浮かべるのが、果たしてどういう類の情であるのか。きっとこれらを一つひとつ確かめていくことで、何か手掛かりを得られるのだろう。

そうであることを信じて。
一息ついて、足を前に踏み出した。