「なん……っで俺が!お前の生活用品を担いで山登らにゃなんねーんだ!!」
「あっ、食満」
「留三郎。やあ」

やあじゃねー!!と叫びながら、伊作に掴みかからん勢いで敷居を跨いだのは、旧友の食満だ。私の記憶の中の彼より少し髪が伸びて、ガタイも良くなったように見える。
彼の背中には、大きな荷物。それは余程重いのか、食満はぜえぜえと息を切らしている。

「生活用品?」
「うん、着替えにおふとん、薬とある程度の食料やらなんやら」
「おいお前ら、もっと俺にこう…言うことはないのか…」

食満は荷物を足元にどん、と降ろして、じろりと私たちに一瞥くれた。もともと鋭い目つきがさらに鋭くなる。
この目つきも、初めて見る人間にとってはひょっとしたら怖く感じたりもするのかもしれない。でも私たちは昔馴染みだ。食満が本気で怒っていないことなんかすぐに分かる。

「すまない留三郎。感謝してるよ」
「お疲れ様」
「まぁいいんだけどな…あとホラ、見舞い」
「見舞い?」

食満が私に差し出した包みは担いできたものに比べると小さなもので、けれどそれからは確かにほんのりと甘い香りが漂っている。

「それ、麓の村で一番美味い店の饅頭」

確かに、食満が持ってきた包みをといて出てきた箱の中には、ふくよかな饅頭が並べられている。

「ありがとう…お饅頭なんて久しぶりだ」
「そうか、たくさんあるからいっぱい食えよ」

昔から思っていたが、食満は女子と話す時、どこか子供扱いするような話し口になると思う。それは今も相変わらずで、言葉の端々に柔らかさがあった。昔は女だからと言ってそんな扱いをされるのが嫌だったけれど、今はそういうもんだとなんとなく受け入れられる。男と女は違うもんなのだ、仕方ない。

「で、伊作は何で食満にこんな大荷物を持って来させたの?」
「え、ああ、僕もここに住むからだよ」
「は!?」

思わず大声を上げた私の隣で、食満がびくりと肩を跳ねさせた。

「なんだ伊作、お前みょうじに話してないのか」
「あれ、話してなかったかな」
「聞いてない…」

絶句した。二の句がつげない。本当に、言葉が出てこない。
嬉しいんだ。伊作がここに、私と共にいてくれる、そう言ってくれたことが。だけど、心の奥底でふつふつと怒りにも似た感情が、静かに湧き上がっていた。

「それは、私がもう長くないから?」

唇から溢れた言葉は情けなく震えていた。握った手のひらに爪が食い込む。
伊作がここにいようとしてくれるのはきっと、私が死ぬからだ。伊作がここに住むなんて、あっさり言えるのは、全部私の、命の所為だ。私が死ぬまで、そう時間はかからない。そんな私に同情すればこその行動なのでは。そんな考えたくもない思いが、頭の中を勝手に駆け巡っていく。

「うん、そうだよ」

伊作はやはり、なんでもない、当たり前だとでもいうように、さらりと言ってのけるのだった。私の怒りも、不安も、全部分かった上で、それらを丸ごと飲み込んで、柔らかく包んでいくように。ぎりぎりと爪を食い込ませていた手から、ふっと力が抜ける。
どうにもならない理不尽は、もうなかったことには出来ない。けれど、伊作は私のそれを解きほぐしてくれる。

「…そんなあっさり言うようなことじゃない」
「そうかな?」
「そうだよ」
「でもやっぱり、僕は最期まできみと一緒にいたいんだよ。せっかくこうして、こんな山奥にいるのを見つけ出せたんだから」

そう言って、伊作はこんな辺鄙な場所でさ、と笑った。

ひょっとしたら、伊作に見つけてもらえなかったら、私はここで一人きり。いや、はじめはそのつもりだったのだ。そうするつもりで私は、そう、伊作の言う「こんな辺鄙な場所」へ来た。
だけれど、伊作が来て、伊作の言葉、声を聞くたびに私は何故自分があんな恐ろしいことをしようとしたのか分からなくなった。
誰にも知られずに、この世にみょうじなまえという人間がいたという記憶を残せもせず、私は世界から消え失せようとしていた。それはどんなに恐ろしいことだろうか。ここで朽ち果て、誰の骸かも分からないまま獣に食われ、肉体すら無くなり、誰からも忘れ去られて。
伊作が見つけてくれたから、私はせめて、足掻きたいと思えていた。

たった一夜で考えが変わるなんて、私は多分弱い人間だし、くノ一としてもまだまだ半人前だったのだろう。そう思うと、やっぱり心の奥のほうで薄ら冷たい風が吹くようだった。まだ成長出来たかもしれないのに、と思わずにはいられなかった。
それでも、私は、生きたいと思った。生まれてきて、いい人生だったと思うまま生きて、そして人生を終えたいのだ。

「…こんな辺鄙な、色っ気のない場所で一緒に住むのかぁ」
「いいところじゃないか、山の中だから眺めもいいし。僕は好きだなぁ」
「まぁね…あ、でも山賊には気をつけないとね」
「僕がいるから大丈夫だよ」
「伊作がいると逆に肝冷えるもん」
「信用ないなぁ」
「なぁおい…俺は帰るぞ」

ふと気づくと、居心地悪そうに目を閉じた食満が、私たち二人の前でガシガシと頭を掻いている。

「ごめ…いや、せっかく来たんだからお茶くらい飲んでいってよ」
「じゃあ見せつけるのはやめてくれ…」
「そんなつもりじゃなかったんだけどなぁ。そうだ、お茶も出さずにすまない」
「いや、いいんだがな?ああ、それより茶はいいから、伊作ちょっと手ぇ貸してくれ」
「ん?」
「さすがにここにこのまま住むのはあんまりだろ」

そう言って外に出た食満は、伊作の手を借りながらこのぼろぼろな小屋の修繕をしてくれた。なんと、わざわざ木材やら金槌やらを持ってきてくれたらしく、それが荷物の重量を増やしていたようだ。
手伝おうとしたって、どうせ二人ともそうさせてはくれないだろうと思い、私は三人分のお茶を淹れた。修繕が終わる頃には日は傾きかけていて、食満はお茶を一杯だけ飲んで帰り仕度を始めた。

「じゃあな。仕事あるから今日は帰るけど、また来る」
「食満、ありがとうね」
「本当にありがとう。今度なにかお礼をするよ」
「ああ。伊作、みょうじ…」

食満は言い淀んで、少し目を泳がせる。息を大きく吐き出し、伊作と私を交互に見て、口を開いた。

「…みょうじに不運で迷惑かけるなよ」
「心外だなぁ」
「みょうじ、伊作のことよろしくな」
「うん、わかった」
「普通逆じゃない?」

食満は声をあげて笑いながら手を大きく振り、山を下りていった。小さくなる背中を見送りながら、伊作に語りかける。

「食満って本当に、なんだかんだお人好しだよね」
「留三郎は昔から変わらないよ」
「…また会いたいな」
「うん、そうだね」

そろそろ風が冷えるから、と小屋の中へ入るよう伊作に促された。隙間がなくなった小屋は風が吹き抜けることがなくなって、体の芯が冷えるような寒さから守ってくれた。
その日の夜、なんだかいつもより暖かいというだけで訳もなく泣きそうになって、伊作に気づかれないように、静かに鼻を啜った。