「それじゃあそろそろお暇しようかな」
「ああ、じゃあな」

療養中の潮江の元を訪れた私は、潮江となんてことない話をしたり、潮江の具合を見ていた善法寺にこの間のことを注意されたりと緩い時間を過ごした。

「また来るから」
「そうか」
「うん、お大事に。善法寺、潮江のことよろしく」
「もちろん、じゃあねみょうじさん」

潮江と軽く言葉を交わして、善法寺に手を振り、部屋を出る。一つ、小さく息をついて、私はその場を後にした。



「田村」
「あ、みょうじ先輩、こんにちは」

校庭の隅、ユリコの手入れをする田村を見かけ、声をかける。この寒い中、きっとユリコだってキンキンに冷えているだろうに。田村はそんなことはまったく気にならないというように、ユリコを慈しんでいた。

「相変わらず愛されてるねぇ、ユリコは」
「もちろんです!ユリコは私の大〜事な存在ですから」

よーしよしユリコ、と言いながら緩みきった顔でユリコを撫でる田村に思わず苦笑いしてしまう。本当にこの後輩は、見ていて飽きない。

「そうだ、今潮江に会ってきたんだ」
「そうですか!先輩、喜ばれたでしょうね」
「はは、いつもの潮江だったよ。なんも変わらない。隈はちょっと薄くなってたけどね」
「怪我のせいとはいえまともに休む時間が取れてよかったですよ、誰かに休めと言われても休まない方ですから」
「本当にね。…田村」
「はい?」
「ありがとうね」

言って、小さく頭を下げる。顔を上げると、田村はきょとんと目を丸くしている。どうやら自分が何に対して礼を言われているのか理解していないらしい。その様子が可笑しくて、つい吹き出してしまった。

「えっと…あ、潮江先輩をみょうじ先輩のところへお連れした時のこと、ですか?」
「ああ、うん。それもありがとう」
「も?」

未だに首を傾げる田村だが、本当にわからないのだろうか。
あの時の田村の言葉に私がどれだけ影響を受けたか、本人にしてみたら想像してもいないのだろう。きっと田村にしてみれば、当たり前なことを言ったまでなんだ。
きっと私が忍びとして生きるためにすべてを捨てて、人も、感情も無くして生きようとしたって、そうさせてはくれない人たちがいる。一人で生きようとしたって、自分のことを考えてくれる人がきっといて。そういうものを私はこの学園で得たのだ。忍術だけじゃない、目には見えないような、曖昧だけど確かなものを、私は知らず知らずのうちに手に入れていた。それらはきっと、枷になり得るかもしれないが、確かにこれから私の生きる糧にもなるだろう。
潮江もきっと同じ想いであの時の言葉を私にかけたんだと思う。私が生きてゆく限り、潮江は生きてくれる。私も大切な何かがある限り、きっと生きていける。潮江が生きてくれるなら、私も生きてゆける。
甘い考えだ、分かっている。それでも私は前を向いて歩いていきたい。
そう思わせてくれたのは、目の前で首を傾げているこの後輩だ。

「そうだみょうじ先輩、潮江先輩が以前仰ってたことなんですけど」
「うん?」
「みょうじ先輩がいれば自分は多分死なない、って仰ってたんです」
「…それ本人から言われたけど、潮江が言ったの?田村に?」
「ハイ」

想像出来ない…いや直接言われといてって感じだが、田村にまでそんなことを洩らすとは。

「潮江先輩も素直になられたんですね」
「はは、そうだね」

今回のことがなかったら、潮江は私に自分の気持ちを言ってくれなかったのだろうか、それともくれただろうか。分からないけれど、私たち二人の行く方向は多分少し変わった。きっと良い方へ歩いていける。互いの心臓が動き続ける限り、きっと私たちは共にゆけるのだろう。
卒業前の、ある冬のことだった。