※番外編・あの言葉を言うに至るまで


もう3日寝ていない。多分3日だ。3日だった気がする。うん、3日。
会計委員の仕事として帳簿のチェックをするための、算盤を弾く軽快な音だけが夜の冷え切った部屋に響く。団蔵と左吉は部屋へ戻らせて休ませ、左門はここでノックダウンしている。生き残っているのは潮江先輩と私だけだった。
算盤を弾く指先も、夜になって一段と冷えてきたせいか少し動かしにくい。視線は手元に落としたまま、手も動かしながら口を開いた。

「潮江先輩」
「なんだ」
「潮江先輩はみょうじ先輩のことを好いていらっしゃるんですか?」
「はああ?」
「いえ、なんとなく気になったもので…」

なんと怖いもの知らずなことを、と思うが、しかし私は3日寝ていない。つまり普通の脳みそじゃないのだ、仕方ない。というか、何かそういう話をしないと起きていられない気がする。
ずっと気になってはいたのだ、この話題は。潮江先輩とみょうじ先輩、二人一緒にいるところを見るのはそう多くはなかったが、稀に見る二人の間にはなんとなく、そういう空気が流れているような気がした。確信はなかったけれど、少し気になる。そんな感じ。
それにしたって本人に聞くのはちょっとどうだったんだ、と辛うじて残っていた私のまともな部分がフワフワした私の思考にツッコんだ。しかし私は今普通じゃないのだから仕方ない、仕方ないのです、先輩。
しょぼしょぼする目元を軽く押さえながら潮江先輩の言葉を待つ。

「田村お前寝ていいぞ」
「いえ、先輩お一人に任せる訳にはいきませんから」
「じゃあ変なこと聞くな」
「変なことじゃないと思いますけど…」
「ぶつくさ言うな手を動かせ」
「動かしてます」

ああ眠い。いや眠いを通り越して、ちょっとハイになっている。だから調子に乗ってあんなことが聞けてしまったのだろうな。
潮江先輩が答えてくれる気配もないし、私も気を引き締め直そう。そう思い立ち、一発自分の頬をひっ叩いた。痛い、夢じゃない。いや夢じゃないってなんだ意味が分からない。頭がフワフワしているせいだろうか何故か笑える。一人でフフフと笑いを零すと、潮江先輩に気持ち悪がられた。声には出していないが、先輩の顔にはしっかり「うわぁ…」とドン引いている雰囲気が浮かび上がっている。

先輩は淡々と帳簿を捲り、算盤を弾く。目元には隈がくっきりと浮かんでいて、それでいてきちんと委員会の仕事をこなすのだから、やはりこの人はすごい。
さあ私も目の前の仕事を片付けなければと改めて手元に視線を落とす。今日でカタをつけなければいけない。あと私の体もまずい。もう保たない。そうして自分に任せられた仕事と向き合うのとほぼ同時に、潮江先輩がポツリと、いつもより低い声で呟いた。

「俺は多分」
「へ?」
「みょうじは、あいつは、なんなんだろうな」
「な、なんなんだろうと言われましても…」
「だがまぁ一つ言えるのはアレだ、あいつが生きていれば俺は死なないんだろうな」
「……………」
「何で黙るんだよ」
「い、いえ…はぁ、なるほど…?」

それはつまりどういうことなのだろうか。恋情がどうこう、みたいな話なのかそうでないのかは分からないけれど、潮江先輩にとって彼女は大切な存在、というのは間違いないのかもしれない。
確かなのは、潮江先輩がこんな話にノってくださるということは、少なからず先輩も寝不足で普通じゃなくなっているということだ。