だらりと力なく地面に横たわり、ぜえぜえと荒い呼吸を繰り返す潮江を前に、私に出来たことはほとんどなかった。とにかく田村と二人で潮江を抱え医務室に運び込み、新野先生と善法寺を呼び、容態をみてもらう。帰ってきた潮江に私が出来たのは、ほんの、これだけだった。



「また包帯が減っちゃったよ、無茶するなぁ文次郎は」

善法寺がため息まじりにそんなことをぼやく。けれど眉を下げて目を細めるその柔らかな顔からは、どこかほっとしたような、嬉しそうな、そんな心の内が見てとれた。
新野先生と善法寺のおかげで、今目の前で横になっている潮江は体中包帯だらけになっているが、呼吸は随分落ち着いている。今は眠っているようだった。
ぼろ布みたいになってしまった潮江の制服は、彼の寝ている布団の横に綺麗に畳まれた状態で置いてあった。濃い緑に、傷口から溢れ出たのであろう彼の血が滲んで、ところどころどす黒くなっているのがまた痛々しい。
善法寺のいう通り、潮江は相当無茶をしてきたのだろう。

その制服を手にとりぼんやりと見つめていたら、隣に座っていた善法寺が、潮江を起こさないよう気を遣ってか、ゆっくりと腰を上げた。そしてそのまま医務室の扉のほうへ歩いていく。

「じゃ、僕はみんなに文次郎が帰ってきたってこと、ちゃんと知らせてくるね」
「あ、じゃあ私は会計委員の後輩たちに知らせてきます!」

そうして善法寺も田村も、新野先生までもが「私はこれで。何かあったら呼んでくださいね」と言い残し、各々どこかへ行ってしまった。
私と、眠っている潮江だけが残された医務室は、急に広くなったように感じた。一気に三人もいなくなったのだから当たり前か。善法寺たちが出て行った時に入ってきた冷たい風が、二人きりの部屋を余計寒々とさせた。冬の夜特有の身にしみるような冷たい空気に、思わず身が震える。
なんだか、みんなに気を遣わせてしまったような気がする。田村なんかはあからさまだった。

「別にいいのにな」

呟いた言葉に返事をすることもなく、潮江は静かに寝息を立てている。その規則正しい呼吸音も、小さく上下する胸が、今はとても愛おしく感じる。

そっと、潮江の胸のあたりに手を当てる。ゆっくりと、静かに、けれど確かにそこは、しっかりと動いている。潮江を生かしている。触れてみて、ようやく心から安堵できたような気がした。
潮江はちゃんと、ここにいる。私の目の前に存在していて、手を少し伸ばせば触れることが出来て。ただそれだけのことだというのに、胸がいっぱいになって、目の奥がじわじわと熱くなる。
なんだか気が抜けてしまって、縋るみたいにして、潮江の胸のあたりに顔を埋めた。暖かな体温に、心の底からふつふつと、浮かんでは消える泡みたいにして不安がなくなっていく。私は潮江の存在に、どれだけ助けられていたのだろう。どれだけ、潮江のことが好きだったのだろう。

「人の寝込みを襲うなよ」

突然耳に飛び込んできた、細く、けれど芯のある低い声に、思わず飛び退いた。

潮江が、目を開けていた。弱々しく、薄く開かれた目に、口の端は緩やかに上がっている。こんなに柔らかい表情の潮江が目の前にいて、目を覚ましてくれて。
それでもう私の目頭は限界になって、今にも堰を切ったように溢れてしまいそうで、耐えられなくて。

「…散っ々心配かけさせといて第一声がそれか!馬鹿!!」

勢いに任せて、床が大きく軋むのも気にせず立ち上がり声を張った。
それと同時に扉を開いたのは善法寺。ポカンとしている彼の視線は、包帯まみれの潮江相手に大声でブチ切れる私と、横たわったまま面食らって私を見上げている潮江との間を行ったり来たりしている。

「え、あ、邪魔しちゃった…の?これは」

曖昧な笑みを浮かべて乾いた笑いを零す善法寺を前に、私は立ち上がって肩を怒らせた格好のまま固まってしまった。
その場の空気に耐えられなくなったのと涙を堪えるのがもう今度こそ限界で、私はそのまま猛ダッシュで善法寺の横を通り過ぎ医務室から逃げ出した。
潮江の胸に顔を埋めたり、潮江相手に怒鳴り散らしているところを善法寺に見られたり。今さら色々な恥ずかしさが襲ってくる。ああもう、やってられない。

「文次郎」
「なんだよ」
「今度みょうじさんに、怪我人の前で大声出しちゃダメだよって伝えておいて」
「そこかよ」