トントン、ドアがノックされる軽い音が部屋に響く。
「紫音、起きてる?」
わたしの名前を呼ぶ可愛らしい声に目を覚ます。...あれ、ここはどこ.....そうだった、ここはわたしの家ではなかった。今わたしがいるのは、ベッドとサイドテーブルが置かれたシンプルな部屋である。一応女であるわたしを他の船員と混じって雑魚寝させるのはまずいから、とトラファルガーさんが急遽用意してくれた部屋だった。部屋の位置はトラファルガーさんの隣である。怪しい女をそんなに近くに置いていていいのだろうか、とも思ったけれど、きっとトラファルガーさんが強いからそんな懸念はないのだろうと結論づける。そこまで考えて状況を把握すると、わたしは慌てて飛び起きた。...わたしは寝坊してしまったのだろうか。
「待って、ちょっと待って、ごめん、起きるの遅すぎるよね、待って、すぐ用意して、」
ドアに駆け寄って矢継ぎ早に紡いだわたしの言葉を、ベポくんはふるふると首を振って制した。
「紫音、そんなに焦らなくて大丈夫だよ。今ちょうどペンギンにそろそろ朝食だからって言われてみんな起こしに回ってるんだ。そうそう、シャチはキャプテンを起こしに行ってるんだよ」
…それってやっぱり遅かったんじゃないのかな。そう思いながらベポくんの方を見ると、「あ、そうそう着替え。キャプテンが昨日持ってけって言ってたの忘れてたんだ、ごめん」と言いながら、トラファルガーさんのものであろうパーカーと細身のジーンズを渡してくれた。
ベポくんが手渡してくれた服に急いで袖を通し、部屋の外で待って貰っていたベポくんに手を引かれるまま食堂に向かう。ドアを開けると、既に揃っていた全員の視線がこちらに注がれるのが分かった。...緊張するなあ。小学生の頃の転校生の自己紹介みたいな雰囲気だ。
「お前ら、こいつがさっき説明した俺の研究対象だ」
「...初めまして、東雲紫音です。暫くお世話になります、よろしくお願いします」
深々と一礼すると、あちらこちらからよろしくな、と返事が返ってきて、それが嬉しくてまた笑顔で小さく礼をする。そして、隣に立つトラファルガーさんに向き直った。
「おはようございますトラファルガーさん。ところで何なんですかさっきの...昨日も思いましたけど、わたし一応人間ですよ?」
「あァ、悪いな。まァそこらにいる普通の女じゃねェのは当たってるだろ...ところで何ださっきの。ローでいい、そんな妙な呼び方をされたのは初めてなんだが」
いきなり船長に物申したわたしの一言に周囲がざわめくが、トラファ...ローさんはその空気も物ともせずに言葉を続けた。わたしが普通じゃないとは頂けない、「普通ですよ!極めて一般的な女子高生です」「...ジョシコウセイ?」聞き慣れない言葉にローさんが軽く眉を顰める。
「まァ良い、後で説明してくれ。...ところで紫音、その格好はどういうつもりだ」
「...?」
軽く眉を顰めて言ったローさんの言葉の意味するところが上手く掴めず首を傾げると、ローさんは小さくため息をついて少し呆れたように説明した。
「忘れてるのか、ここは男所帯なんだぞ」
「ああ、そっか。すみません、すっかり忘れてました」
そういえば、今のわたしの格好はキャミソールの上にローさんのパーカーを着ただけだった。...というのも、ローさんの身長が高いためにパーカーを着ただけでわたしの身長では膝のあたりまでの長さがあった。このままジーンズを履いても丈が余るだろうし、と思ってそのままの格好で来たのだ。
「でもこの丈なら大丈夫じゃないですか?制服のスカートとそう変わらないし」
そう言うわたしにローさんの表情はますます呆れが濃くなった、気がするのだけど...気の所為だろうか。
「...取り敢えずはそれでいいが...ベポ、次の島まであとどれくらいかかる?」
「うーん、2、3日のうちには着くと思うけど」
ローさんが徐に投げた質問にベポくんは難なく答える。...そういえば、可愛いだけではなく、彼はこの船の航海士なのだった。
「それならそこで着替えを買えばいいだろう。...取り敢えず朝食だ」
諦めたようにため息をついたローさんのその一言を合図に、食卓では壮絶な戦いの火蓋が切って落とされた。わたしはベポくんとローさんに挟まれてシャチさんとペンギンさんの向かいに座らせて貰っているのだけど、テンポよく会話を交わしながらも皿の上の料理がどんどん減っていくので、そのスピードの速さに呆気に取られていると、見かねたローさんが少し取り分けて渡してくれた。なんと、慣れ親しんだ和食である。
「ローさん、和食好きなんですか?」
「あァ。...これはワノ国の料理だが、"ワショク"というのか?」
「こちらでもそう呼ばれているのかは分かりませんけど、わたしの居た世界では母国の伝統食だったんです」
簡単に説明すると、ローさんは成程、と頷いた。お前も作れるのか、なんて言っているその人に、そういえば、とふと湧いた疑問を投げかけてみる。
「こちらも主食はお米なんですか?他にも...例えばパンとか、」
「俺はパンは嫌いだ」
「ソウデスカ...」
か、被せてきた...そんなに嫌いなんだろうか、パンも美味しいのに。そんなことを考えつつ、ちらりと横目でローさんを窺うと、何事も無かったかのようにおにぎりを頬張っていた。こうしていると、少しだけ普通の人みたいである。コックさんが厨房で作っているというその料理に舌鼓を打ちつつ、賑やかな食事の風景に目を細めた。
光芒を駆ける素足
レイアウト若干修正(03.07)
本文加筆・修正(17.03.30)