──この船に乗って何度目かの食事の後。すっかり人のいなくなった食堂に響くのは、水の音と食器が互いにぶつかって立てる小さな音、そしてわたしたちの話し声だけだった。

「いやあ、本当に助かるよ。紫音ちゃん手際も良いからさ」
「そんなことないですよ、多少慣れてるだけです。お役に立ててるなら嬉しいですけど」

ジンさん──この船の凄腕コックさんである──が洗い物の手を止めて言ってくれた言葉に、笑みを浮かべてそう返す。何もしないで船にただ乗せて貰うわけにはいかない、と仕事を探していたところ、偶々キッチンのカウンターに積まれた沢山の食器を見つけたわたしは、これ幸いとばかりにその洗い物の手伝いをしていた。全部で一体何枚あるのだろう、数えていたらキリがないような枚数だった。これまでこの量を一人で片付けていたのだとすれば、ジンさんの負担はかなり大きいだろう。料理も手伝った方がいいかもしれない。

「野郎どもにはやっぱりこういう気の回し方は出来ないからなあ...紫音ちゃんが船に乗ってくれて助かったよ」

そう言いつつ、うんうん、とジンさんが頷く。...そう、この船はローさんの言葉通り、本当に男所帯だったのだ。そう説明されたときは驚いたけれど、それならわたしが自己紹介したときのそわそわとした空気にも頷ける。...わたしに女の子らしさを求めるのも少々無理があると思うけれど。でも、洗い物の手伝いくらいで喜んで貰えるのなら有難い、と思う。料理や洗濯、掃除などは一人暮らしをしていたこともあって割合慣れているのだ。

「紫音ちゃん、この後も船内の掃除までしてくれるんだろ?さ、洗い物済ませてしまおうか」

そう言って微笑むジンさんはかっこいい、と思う。ローさんもそうだけど、此方の世界には美人さんやかっこいい人が多いんだろうか。しかも皆背が高いし。精々同年代の女子の平均程度しかないわたしからすると、これまで出会った人すべてが外国人のようである。正直に言うと、見上げてばかりなのでそろそろ首が痛かったり、する。...そういえばこの世界にも人種の違いはあるんだろうか...そんなことを考えながら次々と食器を洗っていく。
キッチンが心地の良い沈黙に満たされて暫くしてから、不意に聞こえたドアの開く音に顔を上げると、灰青の瞳と目が合った。

「あれ、ローさん。どうしたんですか?」
「紫音。...来い」
「突然どうしたんです...まあいいや、少し待っててくださいね、これ洗っちゃうので」
「え、紫音ちゃん。ここはいいからキャプテンと、」

そこに立っていたのはローさんだった。少し待つように頼んだわたしの台詞を聞きつけたジンさんは慌てて残りの洗い物の免除を申し出てくれたのだけど、ローさんはあっさりとその言葉を遮った。

「いや、いい。...あと少しなんだろう、ここで待ってる」

至極普通のテンションで口にされたその言葉に、ジンさんは「え、」と小さく驚きの声を漏らした。けれど、ローさんの「気にしなくていいから作業を続けろ」という一言で我に返って洗い物を再開した...横にいても少し怖くなるような速さで。そして、そのスピードのおかげであっという間に食器の山は片付いてしまった。「キャプテンが他人を待つなんて...」というジンさんの零した驚愕を多分に含んだ呟きは...うん、聞かなかったことにしておこう。

:

「...成程な。じゃあ次だ、さっき言っていた"中学校"や...お前も通っていたとかいう"高校"というのは何だ?」
「えーっと...小学校に続く教育課程で、中学校までは義務教育です。...義務教育って此方にもありますか?」
「聞いたことがねェが...」
「わかりました、じゃあまずそこから...」

日本の政治機構から法整備、果てはゲームなどの娯楽に至るまで、ローさんの質問は留まるところを知らない。立て続けに質問されて、わたしの脳味噌は既にオーバーヒート寸前だった。一方のローさんはといえば、知識欲が強いんだろうか、まだ聞き足りない、というような表情を浮かべているけれど...わたしは声を大にして問いたい。何がどうしてこうなった、と──そして数時間前のことを思い出して内心でため息をついた。

時は数時間巻き戻って、キッチンを出た後。

「えーっと、ローさん...どうかしたんですか?」

わたしは迷いなく船内を進んでゆく背中に遠慮がちに問いかけた。すると、此方を振り返ったその人は言った。「お前は違う世界から来たんだろう?其処について、詳しく聞かせて欲しい──言っただろう、お前は俺の研究対象だ」と──知的好奇心の窺える瞳を此方に向けて、そう言った。...そういえば言われてたなあ、そんなこと。わたしは人間ですよって返したけど、思い返してみれば抑もそれが乗船許可を貰えた理由だったんだっけ。......何はともあれ、そういうわけで、"異世界"にいたく興味を示したローさんに、わたしは元いた世界のあれやこれやを説明していたのだった。

「スマート...フォン?」
「はい。さっき話した電話に色々機能を足して、小型版にしたようなものです」
「電話......電伝虫のような物のことか」

わたしの言葉に頷くローさん。インターネットとか何だとか、話せることは色々あるのだけど、一度説明し始めるとキリがなさそうなので黙っておくことにする。

「残念ながら此方に来たときに紛失しちゃったみたいで、わたしはもう持ってないんですけどね...」

本物を見てもらえばわかりやすいだろうけどなあ、と思うわたしの言葉にそうか、と頷いたローさんが少し残念そうで、何だか少しだけ可愛いと思ってしまった...というのは怒られそうだから内緒である。

ベイビーブルーな視線

本文加筆・修正(17.03.30)


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