共犯者の妹

 沖矢昴は、隣の少女の横顔を見ながら、他愛のない思考を巡らせていた。
 両親がアメリカに渡る際、既に十分成長していた工藤新一はともかく、まだ小学生のナマエがなぜ共に着いていかずに日本へ残ったのか。その理由は定かではないが、ナマエの希望であることは間違いないらしい。
 新一が失踪してしまった後、流石に両親のもとへ来るよう再び言われたらしいが、それでもナマエは博士にお世話になるから、と頑なに日本に残ることを譲らなかったらしい。新一兄ちゃんが戻ってきた時に家が空っぽだったらかわいそう、と言ったけなげなナマエは、寝るとき以外は殆ど工藤邸に入り浸っているらしい。

「すみません、不躾にもナマエさんの領域に踏み込んでしまって」

 領域。ナマエの顔に、皮肉気な表情が浮かんだ。

「…私の領域なんて無いも同然なのに」
「え?」
「いえ。どうせ小学生の一人暮らしなんて認められるわけないし、形の上では私は博士の家に住んでいることになっているので。…ああ、でも、沖矢さんがいるならこの家で寝ても構わないのかなぁ」
「私は構いませんよ。…ちゃんと親御さんの了承は得ないといけませんが」

 工藤邸を案内しながら、ナマエは沖矢と会話を交わしていた。ここへ連れてきたコナンは既に毛利事務所へと帰った後だ。

「寝室はここを使ってください。書斎も自由に使ってもらっていいと思います」
「こんなに立派な屋敷に住まわせていただけるなんて、アパートが焼けても悪いことばかりではありませんね」

 おどけてそう言った沖矢に、振り向いたナマエは、とても微妙な顔をした。

「………沖矢さんは、」
「はい?」
「………いえ、何でもないです。すみません。…ここがバスルームです」

 言いかけた言葉を飲み込んで案内の続きを始めたナマエに、沖矢は眼鏡をくい、と押し上げた。

「この部屋、私が寝室として使っているので。できれば何か用が無い限り入らないでいただけると嬉しいです」

 「私室だから絶対入るな」をとても遠まわしにやんわりと言ったナマエに、沖矢も同じようにやんわりと笑った。

「女性の部屋に無断で入るなんて無粋なことはしませんよ。安心してください」

 ナマエはまた微妙な顔をした。歯にものがはさまったような、奇妙な表情だ。しかしまた言いたいことを飲み込むことに決めたらしい。最後に案内された部屋には、雑多に機械が置いてあった。ナマエはいくつかの機器を確認し、ひとつの機器をもって部屋の隅から隅を調べた後、また沖矢の前に戻ってきた。

「うちのセキュリティやら何やらは全部ここで管理してます。盗聴器やら何やらがないことは一応確かめました。他の部屋も確かめてはありますが、不安でしたらご自分でも確かめてください」
「………それは、どうも」
「それじゃあ、私はこれで」

 案内が終わるなり、ナマエはとてもあっさりと踵を返した。

「待て」

 響いた声は、沖矢昴のものではなかった。ナマエはゆっくりと振り向いた。

「………まだ何か、ありましたか。……“赤井さん”。」
「君は、どこまで“知らされて”いる?」

 ナマエの唇が皮肉気な笑みを形作ったような気がした。

「コナン君が知っていることは、“知って”いますけど」
「ホー…あのボウヤから、そこまでの信頼を得ているとはな」

 赤井にとってそれは純粋な称賛だったが、ナマエは顔を曇らせた。プレッシャーに感じたのかもしれないし、皮肉に聞こえたのかも分からない。

「あんまり期待はしないでください。私はコナン君ほどの頭脳も、隣の博士や彼女ほどの技術力もありませんから」
「………」

 母親譲りであろう明るい色の髪が寂し気に揺れた。コナンの透き通るような瞳よりもいくらか暗い茶色の瞳が曇っていくさまは、思ったよりも赤井の胸を打った。
 そもそも、そんな言葉が出てくる時点で赤井にとってはある程度信用がおける。コナンを小学一年生だからと軽視する者が多い中、何のためらいもなく自分の方が下だと言ってのけるのは、互いの力量を知っているからだろう。

「それでも、信頼できる協力者というものは得難いものだ。あのボウヤもだいぶ君には救われているようだしな」
「コナン君が?」

 少女が、そんなわけはない、と考えているのが赤井にはありありと分かった。他の部分ではなかなか考えを読ませないくせに、彼女自身の評価に関してだけはとても分かりやすい。
 赤井は、首元の変声機のボタンを押して、沖矢へと変身した。

「それに、“私”にとっても君は得難い協力者ですよ。一人寂しくここに引きこもるより、君がいてくれた方が随分華のある生活になりそうですしね」

 ウィンクでもしそうな勢いで言い放った沖矢に、ナマエはまた微妙な顔をした。先程からなぜそんな微妙な表情をするのかは気になるところだが、とりあえず曇った表情は吹き飛んだようだからよしとする。

「……詐欺だ」
「はい?」
「いや……その、…コナン君に聞いていた赤井さん像と、沖矢さんがあまりにも結び付かないので。むず痒いというか……私にまでそんな風な言葉をかけてくれなくてもいいのに。むしろ……いや」

 なるほど、微妙な表情はこれが原因らしい。だが、かけ離れていると言われるのはむしろ褒め言葉だ。周囲を欺くための偽りの姿なのだから。全く赤井秀一らしくないと言われるのはつまり成功しているということに他ならない。

「ホー…あのボウヤがどんなふうにあなたに話していたかには、興味がありますね。よければ今度お聞かせください」
「…………あー、ええ、はい」

 普段ならきっと拒否されるだろうに、うやむやのままに約束をとりつけた。折角だからぜひとも聞き出してしまおう。
いまだに会話に苦労しているナマエに、沖矢は柔らかく苦笑して見せた。

「慣れてください、としか私からは言えませんね」
「…そう、ですね。…努力します」

 そして今度こそナマエは踵を返した。今夜は流石に阿笠邸に泊まるらしい。沖矢としては本来の住人であるナマエが工藤邸に泊まることに何ら異論はないし、ナマエ自身も何も問題視はしていないようだが、恐らくは隣に住む少女の精神衛生のためだろう。よく知りも知らない男と泊まるなんて!と噛みつくさまが容易に想像できる。
 玄関まで見送りについてきた沖矢に、ナマエは律儀にお辞儀した。

「それじゃあ、これからよろしくお願いします」
「ええ。もちろんですよ。………俺の方からもよろしく頼んでおこう。全て聞いているのなら分かるだろう?隣の彼女についても」

 顔を上げたナマエは、無表情の中に焦りの色を浮かべていた。きょろきょろと落ち着きなく後ろを振り返ったりして、慌てた様子だ。

「…分かりますし、もちろん私のできる限りのことはしますが、あの、…いいんですか」

 何が、とはナマエは言わなかったが、赤井は正確に理解していた。いくら扉を開けていないとはいえ玄関先で、本来の赤井の声に戻って言葉を発したことに対してだろう。盗聴器がないことはナマエが一度調べただけだ。赤井自身はまだ調べていない。後で自分でも調べろ、と彼女に言われた通り、もちろん赤井も自分自身で調べるつもりでいた。だが、ここで、まだ調べ終えていないのに元の声を発したのは、ある種の意思表示だ。

「ここは安全だと、君が確かめたんだろう。ならば何の問題もないさ」
「……あまり私を信用されても困ります。私はコナン君ほどの用心深さも周到さもないから、見落としがあるかもしれませんし」
「大丈夫だ」
「…………何があっても知りませんから」

 呆れたように小さな溜め息をついたナマエに、赤井は、沖矢の声で「おやすみなさい、気を付けて」と何事もなかったかのように声をかけ、隣へ向かう彼女の背中を見送ったのだった。



 ―――――君はどこまで知っている?だなんて。
 ナマエはおかしくなって、声を上げて笑った。
 単行本や連載はリアルタイムで読んでいた。だから赤井秀一が最初出てきた時は黒の組織の一員かもしれないと思いながら読んでいたのだ、その時の不信感は今でも覚えている。まんまとミスリードに嵌っていたのだと分かった時には思わず膝を打ったものだった。
 最新話や映画で描かれていた“今”あるいはこの世界における“未来”でこそコナンに信頼され、絶対的な安心感のある“味方”である赤井秀一だが、やはり第一印象というのは大きい。ナマエにとって赤井秀一は怖いキャラクターだった。

「私は何を知っている?…だなんて。哲学的な台詞だなぁ」

 呟いて、おかしくなって、また笑った。
 …笑っている自分が狂っているように見えるだろうな、と思うとまたおかしくなって、それから少しだけおぞましくなって、笑いはやんだ。



戻る
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -