ヒーローみたいに強い人
博士とコナンとナマエとで外出中。出かけた先で事件が起こったのはもはや予定調和なのだが。
具合が悪いから、と、ナマエは路上のエリアパーキングに停められた博士の車にひとり戻った。犯人がまだ捕まっていないのに、とコナンは引き留めたが、既にその辺りは警察が固めていたし、博士の車の前後にもパトカーが停まっていたので、置いていくことにした。
一区切りついて、しかしまだ犯人はつかまらず、一息つきに外に出たコナンは。
ふと様子を見に近寄った車から、何か聞こえてくるのに気が付いた。
「…まだ生きられるのに、自分から死ぬのはよくないことです……生きてさえいれば人間はいくらでもやり直せるのですから……なんのために生きるのかを問うてはいけません……大切なのはどう生きるかです………まだ生きられるのに、自分から死ぬのはよくないことです……生きてさえいれば人間はいくらでもやり直せるのですから……なんのために生きるのかを問うてはいけません……大切なのは」
車の後部座席で、人形のように置かれている体が見えた。座っているその体には、犯罪者が顔を隠される時のようにタオルがかけられている。俯いているせいでタオルは全てを隠している。コナンは何か言っているらしいナマエの声に耳を傾けた。息苦しくならないようにと、車のウィンドウは少し開けられていたので。
そして、聞こえて来た言葉に、ぞっとした。
「……まだ生きられるのに、自分から死ぬのはよくないことです……生きてさえいれば人間はいくらでもやり直せるのですから……なんのために生きるのかを問うてはいけません……大切なのは…大切なのは…大切なのは」
まるで抑揚のない声。壊れかけのラジオのように無機質に再生される言葉。コナンは勢いよくドアを開けた。
「ナマエッ!」
「……お兄ちゃん?どうしたの?事件、解決した?」
きょとん、としたようにこちらを見るナマエの表情は、いたって正常だった。見間違い、いや、聞き間違いか?とコナンは首をひねる。
「お前、いま…」
「ああ、さっきの言葉?ごめんごめん、車であんなんぶつぶつ聞こえたらホラーだよね。今のはさ、」
――――辛いことがあって、死にたいなって思ったら、今教えた言葉を百回言うのよ。百回言い終わる前にだれかが話しかけてくれたら、絶対に何があっても死んじゃダメ。その人とお話するの。もし誰にも気づかれず百回言い終わって、それでもまだ死にたいと思ったなら、その時は
――――
「……なんか、わたしの聖書の一節っていうか、おまじないっていうか。お守りみたいなものだから」
気にしないで、と言う少女の顔は、いたって正常だ。けれどコナンは胸騒ぎを覚えた。
「……気が滅入ってんだ。寝ろ」
「なに、突然」
「事件は、オレが解決してやる。だから何も心配せずに寝てろ」
ナマエは、まじまじとコナンの顔を見詰めた。
何を思ったのか、溜め息にもならない微かな吐息をはぁ、と漏らす。
「…………そういうところがさ、幾ら主人公だからって、だめだと思うんだよね。どうして勝手にひとの人生まで背負おうとしちゃうの?自分のでいっぱいいっぱいでしょう。どんなに背負っても潰れないのは知ってるけど、周りで見てる人の気にもなりなよね。わたしには無理だよ」
「……何の話してんだ?」
ナマエは溜め息をついて、ちょっと首を傾げてみせた。
「いまね、思い出してた、物語の主人公のお話。昨日読んでたの。学校の図書館で」
「…あぁ」
コナンは思わずその髪を撫でようとした。しかしそれを避けるようにナマエはすっと身を引いた。ごく自然な動作で。
「あのねコナン君。守ろうとしてくれなくていいよ。わたし、こどもじゃないし、かわいそうでもないから」
元太や光彦や歩美のように子どもでないし、灰原のようにかわいそうでもない。ただの大人なのだから。
「…何言ってんだよ、ガキだろうが」
「うん、そっちもね」
「あのなぁ、」
コナンは言い返そうとしたが、今の姿は確かにナマエよりも小さなガキの姿だ。はぁ、と溜め息を吐いて、一体妹相手に俺は何やってんだ、と思って、無理やりその髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。ナマエは少し身を引いたが、逃げはしなかった。
そう、こいつはいつもそうだ。逃げるふりをするからこっちも遠慮しちまうが、本当は逃げるつもりなんかないのだ。
「ガキでも何でも、お前は俺の妹だ。…兄が妹を守るのは、普通のことだろ」
「………うん、そうだね」
そこで二人の会話は終わった。