奇怪な世界

 ナマエはうっすらと目を開けた。気絶していたらしい。この変な世界へ来てしまってから、何度も気絶している気がする。それまでの人生では気絶なんて一度も経験したことはなかったのに。

「なんなんだ……」

 呟くと、口の中に痛みを感じた。

 一度目の気絶はここへ来たばかりの頃、周りの人やものや町並み、植物にすら見覚えがなく混乱しているうちになぜだか暴力を受けて逃げた挙句痛みに耐えかねたせい。
 二度目はそこから何とか目立たないように逃げ延びて、誰かに拾われて働かされて、それでも言葉が通じず何をしていいか分からなくて立ち尽くしていた時にうけた暴力のせい。
 三度目は、また誰かに拾われて、そこから逃げようともがいている間に殴られて気絶させられたせい。そこからあとは空腹と暴力でもう何度気絶したかも覚えていない。

 見たことあるような気がする少年と、自分を殴った男に治療されるうちにまた激痛と今までの疲労とで気絶したようだ。服は変わっていない。脱がされないように体を丸めて眠っていたからだろう。外は冬だか春だか分からないが、とにかく寒い。掛布がこれでもかと掛けられていた。

――――。―――」

 傍には、人がいた。昨日見た少年だ。手を伸ばせば届くくらいのところに座っている。やっぱり私は彼を知っている。でも彼は物語の中の人間のはずだ。そして、よくよく思い返してみれば昨日自分を拾い、殴って気絶させ、連れ帰って治療をしてくれた人も何だか見覚えがあるような気がしないでもない。とりあえず、傍に人がいるのにいつまでも横になっているのも何だか落ち着かないので起き上がり、少年と同じように座りながら、手を上にあげないままこっそり伸びをする。寒いので、掛布を何枚か羽織った。少年はナマエの動きを逐一追っていた。監視するように。それは、まあいい。
 昨日は何かを考えながら眠りについたはず。確か、

「なんだっけ……彩雲国物語……?」

――――。――――――」

 傍にいる少年が何か言っている。辺りをきょろきょろ見回すが、人はいない。自分に言っているのだろうか。何と言っているのか分からないので黙っていれば、少年は溜め息を吐いた。そして、傍に置いてあった紙と筆を手に取り、何事かをさらさらと書きつけている。そうだ、筆談という手があった。言葉の通じない世界だが、確か漢字圏のはず。

 悠貴姓
 悠是从那儿来的

 ………よく、分からない。中国語と同じだと思っていいのだろうか。ああ、何故自分は中国語を勉強していないのだろう。今の時代、英語と同じくらい重要な言語だ。少しくらい勉強していたってよかったのに。

「…まあ、どうせ、意味ないか……」

 元の世界に戻れるかもわからない。そもそもあれが本当にあったのかも分からない。ナマエの頭がおかしいのかもしれないし、ここは死後の世界なのかもしれない。夢なのかもしれないという可能性は捨てている。いつか目覚めるかもしれないなんて期待は持ち続けるにはあまりに残酷だ。

――――――?」

 少年がそっと白紙を差し出してきた。筆と硯も一緒に。何となく受け取ったけれど、何を書いたものか。そう思って俯く。しばらく筆を持ったまま固まっていると、少年が筆をそっとナマエの手から取り戻した。そのまま微笑とも苦笑ともつかぬほどの微かな笑みを浮かべて首を振る。見ていると何だか泣きたくなってしまうような表情だった。それとも、それは、ナマエが“彼”を知っているからだろうか。彼の過去、人生、そして未来を。

(いやでもそんなことが……)

 しばらく黙ったまま二人でいた。しかしナマエが少しでも動くと彼は手を伸ばしてきた。逃げようとするのを留めるように。そんなに逃がしたくないのなら逃げはしない。手当もしてもらったし、むしろ礼を言わなければならないのかもしれない。彼が、彼らがナマエを逃がしたくない理由には全く心当たりがないが。
 とにかく、足を怪我しているに違いない彼、……悠舜に無理をさせるのはナマエの本意ではなかったので、せめて動かずにいた。

――――。――――?」

―。――――――」

 遠くから足音がしてきて、部屋に昨日の男が入ってきた。ナマエの鳩尾に拳を入れて気絶させ、そのくせ部屋に連れ帰って治療を施した張本人だ。どういう意図であんなことをしたのかが分からない。今は殴ってくるような気はしなかったが、ここへ来てからの他人からの暴力の連続でナマエの神経は尖っていた。彼は少年―悠舜に向かって何事かを言い、そしてナマエの目を、まっすぐに見た。彼―旺季が、ナマエを助けた張本人だ。

(ほんとうに?何かの間違いか……、夢、では?)

 混乱するナマエの内面などつゆ知らず、旺季はナマエのすぐ横に座り込んで、茶碗を三つ並べた。
 部屋には人間が三人。ナマエを含めてだ。そして茶碗も三つ。飲めと言うことだろうが直ぐに口を付けるのもためらわれる。
 二人はナマエのことなどまるで気にしていないと言うよう早々に茶を啜り始め、何やら話し始めた。
 途中、さりげなく旺季は自分が半分ほど飲んだ茶をナマエの前に置いた。毒が入っていないことの証明、に思える。ナマエは、こくりと唾をのみ込んだ。


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※変換されなかった漢字は似た奴で代用。機種によって変換されなかったらすみません。とりあえずわけわからん中国語と思ってくださればいいかと。



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