キャニオン・ステート
「ユタの大地は快適か?」
「ん…シュウ」
寝袋に半分だけ足をつっこんでいるナマエを見つけて、シュウは声をかけた。道路から少し離れた岩陰。
「今日くらい遠慮しようと思って出て来たのに。恋人を放ってちゃだめですよ」
「煙草を吸いに来ただけだ。」
乾燥した大気に、煙草の煙が溶けた。星が瞬く。モーテルの周辺に二、三の光がぽつんとある他は、人工的な光がない、全くの自然の大地。キャニオンの州、ユタ州。
岩にもたれて煙草をふかすシュウから少し離れたところに寝転がって、ナマエは空を眺めていた。ささやかな沈黙と夜のとばりに包まれながら。
どれほどの間そうしていただろうか。
「……………………降谷零。」
ナマエはぽつりとひとつの名前を呟いて、じっとシュウの顔を観察した。煙草のわずかな灯りを頼りに。
「……………………誰の名前だ?」
シュウの淡々とした返答を聞いて、ナマエは疲れたようにふっと笑った。実際ここまでの長旅は楽しかったけれど、結構体力を使う旅だった。一人で中北部を回った期間も含めれば一ヶ月半ほどの期間。
「レイの名字、何ですか?」
「………近々、ターナーになる予定だ。」
「ってことは、シュウのファミリーネームはターナー。」
「ああ。」
「…シュウ・ターナーさん。」
「…呼んだか?」
うっすらとナマエは笑った。寝袋から足を出す。
「それならそれでもいいんです。誰にでも話したくないことはあるから。」
「………」
「でも、もし、レイさんの名字がフルヤなら、………どうして兄のことを教えてくれないのか、答えはひとつしかない…ですよね」
「申し訳ないが、君が何のことを言っているか分からないな」
シュウは少し動揺していた。勿論それを成人したての小娘に悟らせるほどのろまではないが。
(警官時代のつながりか…?最初から顔を知っていた…?いや、公安警察は写真を残さないはず)
煙草の灯りが消えて、光源は再び星明りだけになる。シュウはレイに持たされていた携帯灰皿に煙草を押し込んで新しい煙草を一本取り出し、ライターを擦った。……………オイル切れだった。
そろりとナマエが近寄ってくる気配がした。
「マッチありますよ。点けてあげましょうか?」
「………いや。」
シュウはポーカーフェイスを装い、ナマエからマッチを受け取った。ボゥっと一瞬小さな炎が揺らめき、煙草に火を点けて、ひゅ、と消される。
「この一ヶ月で、すっかり夜目が効くようになりました。」
「…そうか。」
「暗闇での表情は本心を表すらしいですね」
「………」
「知らないふりが苦手みたいですね、シュウ。私、寝ている時の周囲の声が聞こえる体質なんです、不思議と」
そんな体質があるものか。シュウはちらりと思ったが、沈黙を貫くことにした。
「全部、偶然ですか?それとも運命だったんでしょうか?」
「………さあ。」
星が降ってきてしまえばいいな、と思った。何もかもかき消して、この空の美しさ意外何も分からなくなるくらいに。
「………テキサスのど真ん中で私が寝てる時、スタンドで兄に会ったんでしょう?…シュウから見て兄はどんな人でした?」
「………」
「これで質問は終わりにしますから。ね」
ナマエの声があんまり切実だったので、シュウは仕方なく口を開いた。…少しでも兄の様子が知りたいのだろう。答えればシュウと彼女の兄が知り合いだと認めるようなものだが…彼とは飽くまでテキサスのど真ん中のスタンドで会った。そういうことにしておく。
「………そうだな。フランクで、人好きのする笑顔で、……お人よしな男に見えた。優しいお調子者だった。…誠実で、仲間を守るために無茶もする男だろうな。これは俺の想像だが。」
シュウの言葉にナマエは俯いて、ずず、と鼻を啜った。
「…ありがとう、シュウ。……流石に冷えたみたいです、鼻水出てきちゃいました。私はもう寝ますね」
涙声で、…いや、彼女の言葉を信じるなら鼻声で、そう言って、彼女は笑った。シュウは何も言わなかった。
…何も、言えなかった。
「おやすみなさい」
「…ああ。…おやすみ」
「よい夜を。…レイにもそう伝えてください」
そしてくるりと踵を返したナマエの腕を、シュウは思わずぱしりと引き留めていた。
「シュウ?」
「……消えるなよ」
「え?」
「…いや。明日の朝迎えに来る。寝過ごすな」
「分かってますよ」
彼女がユタの空に消えそうに見えた、なんて。縁起でもない。
煙草をくわえたまま、シュウは、ナマエが寝袋に入るのを見届けた。
……彼女はこの後、泣くのだろうか。