勝ち負けで表せない

(数人の無頼漢に囲まれあまつさえ服を奪われてまで平然としていられる女ではなかったということだ、私も。)

そりゃそうか、と自嘲をこめて独りごちる。あの後、彼の腕の中から抜け出すには、相当の労力を必要とした。別に彼が力づくで押さえつけていて、逃がしてくれなかった、というわけではない。たぶん、ナマエが本気で抵抗すればすぐに解放してくれる程度には彼は紳士だ。

その紳士さが今はいっそ恨めしかった。力づくで腕に閉じ込められていたのだ、と言い訳もできない。…つまり、少なくとも数分の間、ナマエは彼に抱擁を許容したのだ。あるいはナマエもそれを望んでいたとすらいえる。数秒ならともかく、女が数分ものあいだ男の腕から逃げなかったなんて、それが意味するところはもうひとつしかない。

「……怖かっただけ、と言えなくもないけど」

そう、たとえば、無頼漢に思ったよりも怯えさせられたから、その恐怖を払拭するのに人肌の温もりが必要だった、とか。そんな言い訳ができないわけではない。ナマエは自室で破れた服を脱ぎ捨てながら苛立ったように首を振った。ベックマンが無理やりナマエの肩にかけていった彼の上着は、入り口で既に脱いで、壁のラックにかけてある。

―――怖かっただけ?
そんなのはもっとだめだ。怖かったから抱擁を許しただなんて、それこそ。

ナマエは考えるのをやめた。考えるのをやめた体はなぜか入り口にかけてあるベックマンの上着を手に取った。タバコと汗と潮と、それだけでは説明がつかない、他のにおい。彼の体臭。

それを深く吸い込んで、嫌では無かった時点で、ナマエは認めざるをえなかった。



「………どういう心境の変化だ?」

「負けるのは心底嫌ですが、負けたと分かっていながら逃げるのは、もっと嫌というだけのことです」

明くる朝。きれいに洗濯し、乾燥させ、しわを伸ばしたベックマンの上着を持って、彼女は船に現れた。呼びに来たクルーに、「オンナがこの船の副船長を出せって言ってるが、心当たりはあるか」と聞かされた時のベックマンの心境は、もう。

そして船室から出て、港に本当に彼女の姿を認めた時の心境と来たら、それはもう。

「…………おれはまだ、煙草をやめるとは言ってないが」

ポーカーフェイスを保つためにも、これみよがしに煙草をくわえてみたが、彼女は少し首を傾げて、事もなげに答えた。いっそ潔いまでに。

「ここであなたを逃せば後悔します。それとも今までの駆け引きは全てゲームで、女を船に乗せるつもりは最初からありませんでしたか?」

「……いいや?だが、つまり―――そういうことでいいんだな?」

ベックマンは、彼女との距離をつめた。無頼漢に襲われていた直後を除けば、決して越えなかった一線を、少し緊張しながら、ポーカーフェイスで踏み越える。

「………なるほど。」

「………何だ?」

「いえ、あなたは、私の作った笑顔が嫌だと言っていましたが………確かに、惚れてみるとなかなか腹立たしいものですね」

惚れたと言ったか。それを反芻する前に、ベックマンはナマエによって胸倉を掴まれ、何を考える間もなく、引き寄せられていた。煙草が引き抜かれて地に落ちる。

「少しくらい、相好を崩したらどうなんです?―――ベン・ベックマン」

唇が、触れた。彼女の唇に。
その瞬間の彼女の顔は、確かにつくられたものではなく、恥じらいや喜びや何やらを含んでいるのが丸わかりで、

なるほど負けた、と、仕方なくを装って、ベックマンはポーカーフェイスを崩してしまったのだった。

誰かがピュウと口笛を吹いたが、そんなこともどうでもよかった。しばらくして唇を離したベックマンは、彼女の目を真っ向から覗き込んだ。

「安心しろ。……負けたのはおれだ」

抱え上げて、そのまま船へ連れ込む。彼女の横にあった、古めかしいキャリーケースも一緒に。…もう家は引き上げたのだろうか?何にせよ、船へ乗るという意思表示でいいのだろう。彼女が船に乗ることに真っ向から反対する仲間はいるだろうか。とりあえず、共同スペースなんかの都合で、多少の説得は必要そうだ、と考える。

「なぜです?」

心底不思議そうな彼女に、にやりと笑う。彼女が負けを認めたと言うなら、自分が勝者のふりをしてもよかったかもしれないが。

「先に惚れた方が負けだと相場が決まってる」

そう告げた時の彼女の顔が、存外かわいらしかったので、やはりこちらも素直に負けを認めてよかったらしい。



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