素直になれない言葉たち

なぜあんな危険な目に遭ったか、ということを説明するには、かつて関わった患者の身内について説明せねばならず、それに伴ってナマエは自らの職業をベックマンに明かした。

「…私は医者です」

「そうか」

「驚かないんですね」

「知られたくなさそうだから黙っていたが、白衣姿のお前を何度か見掛けたもんでな」

はぁ、と彼女は溜め息を吐いて眉間を揉みほぐす仕草をした。酷く苦々しい表情をしている。お頭に何だかんだと無茶を言われた時の自分もこんな表情をしているだろうか、とベックマンは思った。

「余程知られたのが嫌らしいな」

「そりゃあ…か弱いただの女ならともかく、医者だなんて知られたら女というデメリットを差し引いても私を乗せる理由ができてしまうじゃないですか。赤髪海賊団には医者が一人しかいないらしいですし」

「ああそうか、つまり医者としてなら乗る意思があるんだな」

「そういう意味ではありません」

笑顔を取り繕うことすら忘れてナマエはおれをじとりと睨んできた。笑顔で威嚇されたことは何度もあるが、こんな真っ向から睨まれたのは初めてだ。流石に無頼漢に襲われて余裕を失っているらしい。

「まあ、とりあえずもう気を抜いていい。…もう大丈夫だ」

いつもならそれ以上近寄れば直ぐさま離れていってしまう距離まで近付いてもナマエはその場に立ち尽くしていた。ぴんと伸びた背筋は微かに震えていて、虚勢を張っていることは明らかだった。手を伸ばせば、擦り寄ってくるかに見えたナマエは寸前で距離を離してこちらをキッと睨んできた。

「あなたは私の友人でも恋人でもないでしょう。あなたの傍で気を抜ける道理がどこにあるというのです」

おれのかたわらは気を抜ける場所では無いと、震える肩をしておきながら彼女はそんな事を言う。飽くまでも一線を越えさせはしないらしい。ひらりひらりと掴み所がないように見えて彼女はその実どこまでも真っ直ぐで頑なだった。

しかし、その肩だけでなく足までも小刻みに震えているというのに。貸した手が拒まれるならば、一体どうやって支えればいいのだか。無視して担ぎ上げても構わないのだが、初めて見る彼女の作り物ではない表情のせいで、そうすることができずにいた。

少しばかり張りつめた空気を、先に壊したのは彼女の方だった。ふっと力が抜けたように、彼女の纏う空気も緩んだ。

「申し訳ありません、まだお礼も言っていないのに…」

恥じるように唇を噛むその姿は、恐らく彼女が今まで決して見せようとしなかった彼女の素の姿だった。

「助けてくださって、ありがとうございました」

その顔にいつもの作られたあの笑顔が浮かびそうになったのを感じ取って、思わずベックマンは彼女の後頭部に手をやって、彼女の顔を引き寄せていた。同時に自分も顔を下げて彼女に近付く。互いの呼吸が分かる程顔を寄せ合って、その距離で彼女の瞳を覗き込んだ。

作ろうとしていた笑顔が形作られる前に、彼女の顔は驚愕の表情に凍りついた。…偽りの笑顔を作られるくらいならそうしていたほうがいい。せめて、今だけでもまだ本当の姿を見ていたい。そう思ったからベックマンは彼女が少し身を引いたくらいでは解放してやらなかった。

「ナマエ」

「は、い……なん、でしょう」

「無事で良かった」

「何をそんな大げさな…あなたの実力ならば、相手にもならないような輩だったでしょうに」

「…おれが来るとは一応思っていたのか。その程度の信頼は得ていると思って良いんだな」

「……っ、別に、そういう訳では…!というか、そもそも、」

「あのな、今くらいいいだろう、ナマエ。…少し黙っていろ」

呆れたように呟けば彼女はびくりと震えて大人しくなった。そして振り払われないのをいいことに、ベックマンはナマエを腕に閉じこめた。子犬や子猫を抱いているような感触だった。柔らかく、あたたかく、微かに震えている。

「お前はどうあっても舌戦で決着を付けたいようだがな」

それでも世の中には、触れ合わなければ分からないこともあるのだから、

「たまには素直に身を任せるってことを覚えてもいいんじゃないのか」

たとえば口で言うほど彼女がおれを拒んではいないこと。それどころかその腕が縋るようにおれの胸のあたりに添えられていること。

言葉はひとつもなかったが、言葉でなくとも分かることがある。言葉のせいでいつも誤魔化されている事実が。

「……っ、」

ナマエは何か言いたげに口をはくはくと開閉させたが、割合おとなしく腕の中に納まっていた。少なくとも、数十秒の間は。

「…もっ、もう、いいでしょう…!」

ぐっと腕で押しやられて、密着していた二人の体に隙間ができる。顔を隠すように俯いてはいるが、一瞬だけちらりとのぞいた頬の辺りが赤く染まっていたのは確認した。ベックマンは思わず口の端を持ち上げた。脈が無いわけではないらしい。



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