万物流転 | ナノ
41.みなぞこ5
第二の課題まであと二週間を切った頃、セドリックが廊下の奥から嬉しそうな顔をして駆けてきた。相変わらず冷戦の続くDADAの授業終わりで、私は少し気が立っていたが、彼があまりに喜んでいるので、徐々に怒りが鎮まっていくのを感じた。

彼の表情に、アラスターは何も動じていないのに自分だけが怒っているのが馬鹿らしくなったのだ。ちなみにハッフルパフは、魔法史からの帰りらしい。息を切らせたセドリックは「ずっと考えてたんだ!やっと思い付いた!」と言った。

フレッドとジョージが敵意むき出してじっとセドリックを睨んでいたが、それを華麗にスルーして「今すぐ伝えたいことがある!」と私の手を取って走り出した。リーは「ヒュ〜!やるねぇ」と口笛を吹き、アリシアは「王子様はやることが違うわ〜っ」と何故か頬を染めて盛り上がっている。

皆とは逆方向に走りながら、首だけ振り返って「ごめん!夕食までには戻るから!」と伝える。「はーい!頑張ってねぇ!」と笑顔のアリシアとアンジーが手を振ってくれた。

セドリックが私を連れて来たのはいつも使っている図書館ではなく、薬草学の第二準備室だった。準備室には色んなものが置いてあった。授業で使うプランターやスコップもあれば、なかなかお目にかかれない形の鉢や大きさの異なる水槽などが、所狭しと並べられている。

「いきなり手を掴んで走らせてごめん。痛くなかったかい?」
「えぇ、ちょっと驚いたけど、大丈夫よ」

第二準備室には入ったことがなかったので、思わずきょろきょろしてしまった。扉を閉めたセドリックは、そんな私を見てくすりと笑うと、申し訳なさそうな顔をして謝ってきた。私はそれに掴まれた方の手をひらひらさせて平気であることを示した。彼はほっと胸を撫で下ろすように「よかった」と言った。

「こっちに来て」というセドリックに付いて行き、準備室の奥へ足を進めると、遮光カーテンの先に、まるでプールのような大きさと深さのある水槽が置いてあった。これはなんだと彼に目を向ければ、はにかんだセドリックが「寮監に相談したらこれを使えって言われたんだ」と説明した。

「セドリック。あなた、泳ぎの練習でもするの?」
「いや、違うよ?…あ、そっか!僕、まだ本題を伝えてなかったよね。うっかりしてた!」

鞄から濃紺の表紙に金字でタイトルが書いてある本を取り出して、焦ったようにページを捲っていく。興奮を隠し切れない指先が、彼の逸る心情を如実に表しているようで、私も彼が何を思い付いたのかを早く知りたくなった。

「これを見て!」
「『Bubble-Head Charm』…なるほど!これを使えば」
「水の中でも息ができるようになる!これでもう僕らは安泰だ」

セドリックが示したのは泡頭呪文だった。読んで字のごとく、頭を空気で作った泡で覆う呪文である。これを使えば、一時間でも二時間でも湖の中で息を続けることができる。どうやら彼は、私が水牢の術で作ってみせた水の球体からヒントを得て、体を空気で覆うような魔法はないかと思い付いたらしい。

彼のひらめきに感謝だ。そして過去の私ナイス!今までは水の中で生き延びるために、自分たちの体を別の水生生物に変身させるという変身術の方面からしか考えてこなかった。変身術において、姿形を別の生き物にすることはそれなりに修練を積めば難しいことではない。しかし、アニメーガスのように身体の造りごと変身させるのは高度な技術が必要だった。

なので、水の中でも息が続くように体を変身術によって適応させても、体温低下に伴う運動能力の低下がネックになっていたため、体温維持薬を作るに至ったのである。ヒトの体のまま、冷たい湖の底で活動できるなら、それに超したことはない。なんたって、いつも使っている肢体だ。

仮に魚に変身したとする。手足が鰭に変わり、体の横の厚みがなくなり、鼻先が前に伸びる。目は鼻や額が出っ張ることにより確実に左右に分断され、視界が限られ、立体感や色彩をも失うだろう。そのような不慣れな状態から、体の動かし方を習得するには訓練が必要にちがいない。その手間が、これで省けるのだ。

第二の課題まであと一週間になった。図書館への鬼通いは止めにして、スプラウト教授のお言葉に甘えて薬草学の第二準備室が私たちの活動場所になっていた。二人ともウェットスーツを着て、気合い十分である。今日も放課後の時間を使って、水中での移動や意思疎通のためのジェスチャーの確認などを行うつもりだ。

魔法界にもウェットスーツが流通しているらしく、着脱が簡単なバックジップタイプから、私はシーガルスーツを、セドリックはフルスーツを注文した。ウェットスーツはすぐ梟便で届けられた。届いたその日から、別で調達していた水着を着込み、水槽に潜って泡頭呪文のマスターを目指した。

セドリックも私も、頭に空気の膜を被せるのにはてこずらなかったが、水に潜り泳ぐときに発生する水流の水圧に、頭に張った膜を弾けさせないよう強度を上げるのにはかなりの時間を要した。

泡を頑丈にしようと何層にも空気を重ねると、空気の膜によって視界不良になってしまう。逆に、視界を確保しようと泡を大きくすれば、膜が割れやすくなってしまう。私たちは、自分にとって最適な大きさと耐久力を兼ね備えた泡を生み出すのに大変苦労した。

また、水槽の中といえど、実際に水の中で練習をしたので体は冷える。そこで小分けにした体温維持薬が大いに役立った。「レイリって先を見通す力があるの?」と笑うセドリックに「備えあれば憂いなしって言うでしょ」と返し、薬の効果を試せた私たちは、ますます次の課題への自信に繋がった。彼は、薬の味にも慣れることができたとも言っていた。

20160313
title by MH+
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