万物流転 | ナノ
39.みなぞこ3
「レイリが僕の助手で良かった!」
「どうしたの突然…」

スネイプ教授に薬の完成と室を貸してくださったことについてのお礼を伝え、研究室を出てからセドリックがそう言った。彼の破顔はこの薄暗い廊下で、心なしかぴかぴか光って見える。

完成品は私が預かることにしたので、私の肩掛け鞄の中でガラス筒がカチャカチャ擦れ合う音が聞こえる。取り敢えずは、この薬で水中での活動を補助することはできるはずなので、本格的に二月の湖の底で一時間以上息をする方法を見つけなければならない。

「僕ひとりじゃ絶対にこの薬を完成させることはできなかったよ」
「そんなことないでしょう。ハッフルパフで一番できるくせに…」

軽口を叩きながら、頭で別のことを考えるのは得意だ。記憶も朧げだが、映画では、ハリーはネビルからとっておきのアイテムを入手して使っていたはずなので、これ以上の手助けは不要である。クラムは首から上が鮫になっていて、彼の大切なハーマイオニーを見事奪還していたシーンを覚えているの。彼もクリアだ。

その条件ならば、セドリックの人質はチョウ・チャンだったので、私は彼のアシストをすればいいはずだ。フラーについては、たしか水魔に襲われたかで人質を助けることはできなかったが、今回もハリーとロンが上手くやってくれることを期待しよう。

しかし、選手助手というイレギュラーを考えるならば、映画ではハリーはロンを、フラーは妹ガブリエルを人質に捕られていたが、ここではロンもガブリエルもそれぞれ彼らの助手であるのだ。そうなれば、一体誰が人質に選ばれるのだろうという疑問が生じる。

シナリオの軌道修正力は恐ろしいもので、きっと、また別の誰かが人質に宛てがわれることになるのだろう。ただ、人質という固定概念が邪魔しているだけで、もしかすると、水中人が隠した四つの秘宝を力を合わせて取りに行く可能性もなきにしもあらずである。

均衡を保ち鮮やかに彩られた紙の上に、私という不要な黒点があるせいで、その秩序を混乱させてしまうことが、非常に遺憾だ。

「いやむしろ、水中でどう生き延びるかってことにしか考えが及ばなかったと思う」
「それは否定しないけど…。まぁ薬は完成したから、調合に充ててた時間も使って良い作戦を考えなくちゃね」

階段を登り切って、半歩後ろを歩いていたセドリックを振り返れば「もし僕が選手じゃなくても…」と、足を止めて呟いた。私は不意に階段の途中で立ち止まった彼を不思議に思いながら、下の段にいる彼の顔を覗き込んだ。言葉の続きを言い淀む彼は俯いたままだ。

「ねぇ、レイリ…君が僕に力を貸してくれるのは、僕が君を助手にしたから?」

私が彼の体の横で握られている手を取り、名前を呼べば、彼は弾かれたように顔を上げた。澄んだ灰色の瞳に、驚いて目を開く私の顔が写っている。彼は、私にそれを尋ねて、一体私に何と言ってほしいのだろう。私は言葉を選びながら慎重に答えた。

「もしあなたが私を助手に選ばなくても、私は選手のあなたに、きっと手を貸していたわ」

「…どうして?」
「どうして…?」

セドリックは私に掴まれていた手で、逆に私の手を包んで握り返した。澄んだ灰色の瞳は、まるで迷子の子どものように揺れている。悲しくて泣き出しそうなのではなく、頼りなく不安げな感情を湛えた目だ。「そうね…」と呟いた私は、セドリックに握られた左手に視線を落とす。

「あなたは私と同級生で、監督生の苦労も知っているし、優しくて親切でいい人だから…かしら?」
「…確かに僕らは同じ学年で、同じ監督生としての役割があるね。だけど、君はグリフィンドールで僕はハッフルパフだ。寮が違う」

私の握られた左手に、セドリックのもう片方の手が乗せられる。慈しむような手付きで手の甲を撫でられて、じんわりと彼の手の温かさが伝わってくる。私はゆるりと視線を彼に向けた。彼は、こちらも切なくなるような顔をして私を見つめていた。

「…君が僕に手を貸してくれても、君には何の得もない。それなのに君は、自分の時間をこんなにも僕に割いてくれている。僕は、君に、感謝してもしきれないくらいの恩を感じているんだ。いくら同級生だからって…ただそれだけなのに…」

彼はそこまで言って、ぎゅっと私の左手を握るとゆっくりと解放した。すっかり温もった左手と冷えたままの右手の温度差にまごつきながら、私は静かに手を下ろした。

しばらくお互いに黙ったまま歩いたが、なんとなく私は二人きりでいるのが気まずく思えた。セドリックは私の歩調に合わせて歩いてくれるところは相変わらずだが、何か考え事をしているように口を結んでしまっている。

ディナータイムをすっかり過ぎてしまった大広間は、閑散としていてあまり人が居なかった。定番となりつつある穴熊寮の列での食事を見咎める者もおらず、ほぼ自然な流れでセドリックの隣りに着席すれば、綺麗な皿がフッと出現した。

食事を適当に済ませ、大広間を一緒に出た。食事中はいつも通りの私たちに戻っていたが、私はさっきの会話が喉の奥に引っ掛かった魚の小骨のようにどうも気になっていた。しかし、今更掘り返して気まずくなるのも憚られたので私は敢えてその話題を持ち出すような真似はしなかった。

ハッフルパフ寮とグリフィンドール寮への分かれ道に来たとき、いつものように挨拶をしようと口を開きかけたところをセドリックに制された。きょとんと彼を見遣れば、曖昧に微笑んでいる。

「レイリ。すべてが終わったら、君に伝えたいことがあるんだ」

彼のその言葉に、心臓をギュっと鷲掴みにされたような息苦しさが私を襲う。もちろん、顔には微塵もその苦しさを出さなかったが。私はなんでもないことのように頷きながら「あなたの好きな甘いものでも食べながら聞こうかしら」と言う。

きっと上手く隠せたのだろう。にっこりした彼は「そうだね。君のチョコレートブラウニーが食べたいな」とリクエストをしてきた。考えておくと伝えて、私は彼と分かれた。

20160313
title by MH+
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