越えられぬ壁
迫る皇毅の勢いに蝋燭の火が爆竹のように光り、パチリと音を立てた。
そんな細やかな音が響いて聞こえるくらい室は静まりかえっていた。
「私が差し上げられるものは真心しかないとお伝えしました。皇毅様はそれでいいと仰ってくださったから、あの時も今も真心だけでお仕えしています。何が足りませんか?」
皇毅は無表情のまま淡々と答えた。
「何が足りないか、教えて欲しいか」
薄い眸に身体が縫いつけられるこの感覚、以前同じような事があった。
強引な愛情を向けられ困惑しながらも嬉しかった光景が虚しく蘇る。
(でも皇毅様は全て棄ててしまわれた。もう元通りになるわけがない)
胸に重くのしかかったものが何なのか、分かった気がした。
ぼたり、ぼたりと嫌な音がする。
自分がどんなに情けない顔をしているのかと思うとそれすらも悲しくなり、玉蓮の瞳に暗い痛哭の色が落ちた。
その表情に皇毅は払うように深く瞬きをする。
「真心で満足出来る男などおらん」
次いで眸で呼び寄せる。
「しかし、好いた女の真心ならば別だ」
皇毅にとって玉蓮の真心は万金に値するのか、それとも満足出来ないから対価を求めて来るのか。
しかしどちらだとしても。
虚しいだけ
そんな間柄なのだと自分に言い聞かせて瞬きすると涙がぽろり、と落ちてゆく。
「皇毅様、私の拙い真心に免じて一つお願いがございます。今宵だけ、昔に戻ってもよろしいでしょうか」
「……昔とは」
「何の見返りもなく、私の為に龍笛を吹いてくださった頃です」
足りないものなど、教えて欲しくない。
何もない自分に愛していると言ってくれた、あの奇跡のような時をもう一度再現してくれるだけでいい。
皇毅は暫し何か考えているようだった。
「いいだろう」
帰ってきた短い言葉に顔を上げると、皇毅の眸が目の前に迫っていた。
視界が暗転すると同時に唇へ熱いものが当たった。
何がくっつたのか分からないまま一つ瞬きすると、唇を舐めら漸く感じ取った。
温かい……。嫌悪感が湧かない。
自分を棄てた惨い人なのに
−−−チュ、
離れる際、誇張するような水音が耳に響いた。
「懐かしいことだ」
優しい声、何も変わらないと錯覚してしまう。
行方知れずになった玉蓮を探しもしなかったのに。
皇毅は立ち上がり抽斗から龍笛を取り出した。
「何を吹いて欲しい」
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