■ 平野の覇者1
ザーフィアスを出て、橋を渡り、マイオキア平原を抜けた先には大きな砦がある。
デイドン砦と呼ばれるそれは、両脇の森から伸びて獣を通さない堅牢な石壁だった。南イキリア大陸と北イキリア大陸を大きく隔てており、他の街へと行くには必ずデイドン砦を通る必要がある。
デイドン砦の歴史は長い。いつ建設されたのかは定かではないが、少なくともフィオレが生まれる前だ。ジョナサンから聞いた話では、フィオレの祖父が子供の頃にはすでに建っていたというのでかなりの年月この場所に存在していることになる。
その証拠に砦を作っている石壁は、所々風化の跡が見えていた。
「いやーここは変わらないな」
ザーフィアスから馬車を操っていたキリエは大きく伸びをしながら砦を見ていた。
近くに街はないもののここは重要な流通拠点なので人の行きかいは激しい。今も商人やギルドの人々が門を通っており、活気づいている。
「キリエ、私を降ろしてください」
「はいはーい」
荷台に固定されて座っているフィオレに近づき、キリエは彼女を車いすごと難なく持ち上げて地面へと降ろした。フィオレが礼を言う。
「ありがとうございます」
フィオレが頭を撫でてくるのでキリエは嬉しそうに目を細めた。
「幸福の市場がいるからアイテムの補充でもする?」
フィオレは首を振る。
「少し休みましょう。キリエはろくに寝れてないでしょう?」
「いいよ気にしなくて。早くハルルの街に行かなくちゃ」
「ダメです。休憩用のテントに入りましょう」
キリエは頬を膨らませる。フィオレは心配しているようだがそんなにやわな体ではない。キリエは胸を張ってフィオレを見た。
「僕は元気だから! もしかしてフィオレが休みたい?」
その言葉にフィオレはにっこりと笑った。キリエはフィオレが少し怒ったのを察する。おかしいことを言ったかなと思ったが、なぜ気に障ったのかまではわからなかった。
「行きますよ」
フィオレはキリエの腕を掴みテントへと引っ張っていく。車椅子の駆動魔導器はなぜかフルスロットルだ。どんどん向かおうとするフィオレにキリエは顔をしかめた。
「やだったら!」
「……仕方ありませんね」
キリエは全力で抵抗すると、フィオレは小さく呟いて何かを唱えた。
すると頭上からピコピコハンマーが振り下ろされ、キリエの頭を殴った。初級の魔法ではあるが気絶させるのには効果が高い。直撃したキリエは意識が遠くなり、視界が暗転した。
***
気が付くとキリエはテントの中で横たわっており、見えるのは安っぽい布地の天井だった。周りを見るがフィオレは居ない。おそらくギルド幸福の市場で旅の買い物をしているのだろう。キリエはピコハンで気絶させられたのを思い出し、ぎゅっと眉根を寄せた。
「フィオレのばーか」
文句を言いつつフィオレのことをキリエは思う。
フィオレは今キリエがいない中、補整されてない場所を歩いているかもしれない。倒れたりしたら誰が助けてくれるというんだろう。一人じゃトイレに行くのも大変なのに。助けに行かなきゃと思ったが、フィオレが勝手にやっていることじゃないかと反抗心が芽生えてごろごろと体を動かしながら唸る。
でもフィオレは今助けを求めていたら? そしたら自分は無視できるだろうかと考えてさらに悶える。簡易的なテントなので転がるたびに背中が痛い。けれど人が近くにいて騎士団の連中が警護しているため野宿よりましだった。二人で交互に寝ずの番をしなくてもいいし寒さに震えることもない。安心して眠ることが出来る場所はこれから限られてくる。だから次に近い街であるハルルにキリエはすぐに行こうとしたのだ。
本音を言うともっとゆったりと旅をしたいところだが、ジョナサンが追手を放つかもしれない分もっと遠くに行っておかなくてはならない。過保護で心配性で権力持ち、面倒な親ここに極まれりである。
身体を持ち上げようとしたが、ぐったりとしてなかなか動けない。よっぽど自分は疲れたんだろうとキリエは思った。けれど魔法で気絶させられるほどの疲労ではない。
キリエは小さくつぶやいた。
「フィオレのばーか」
僕は子供じゃないのにと思う。むくれて体を丸めながらフィオレを想うとさらに腹立たしくなった。この旅の決定権は彼女だけにあるわけじゃないのに。肩書上従者なので従うように見せるのは当たり前なのだがキリエは納得しない。
――僕らは唯一の仲間であり、共犯者なのに。
フィオレはキリエを対等に見ていない。
「……フィオレのばーか」
口に出して言うと幾分か心が晴れた気がした。
「フィオレのあーほ、フィオレのおたんこなす、フィオレのわからずや、フィオレのがんこもの、フィオレの、えーと、フィオレの……」
「ずいぶんな言われようですね」
「うわっ!」
突然視界に現れたフィオレにキリエは飛び上がった。
フィオレはキリエの様子を見て穏やかに微笑んでいる。キリエはすぐに渋面を作って顔をそらした。だがキリエの態度などお構いなしで、車椅子を近づけてくる。
手を伸ばせば触れられるほど近くなった距離でフィオレの車椅子は止まった。
「こちらを向いてはくれませんか?」
キリエは無視する。返事をすると上手く丸め込まれてしまうのがわかっていたから。するとフィオレはキリエの顔を覗き込んで、目が合うと苦笑いをした。それがまた腹立たしくてキリエはそっぽを向いた。だがキリエの頬をフィオレの両手が包んだ。思わずフィオレを見ると彼女はほっとしたように微笑んだ。
「よかった。顔色が良くなりましたね」
本当に心配していたような声がキリエの怒りを少し溶かしたが、騙されてはいけないとも思った。フィオレが喧嘩をしたときにいつも使う手だからだ。キリエはむすっとして手を払いのけ黙り込んだ。キリエの様子にフィオレは苦笑した。
「さっきのこと怒っていますか?」
「ほんのちょっとね」
本当は大分怒っているのだが、素直に認めるのは癪だった。
「そうですか」
今度はフィオレが黙った。喧嘩であまり負けることがないフィオレが口を閉ざしたことに少しばかり良心が痛んだが、キリエは無視した。
しんとした中、フィオレが口を開く。
「実は私もあなたに怒っているんです」
予想外の言葉にキリエは目を見開いてフィオレを見る。するとフィオレは笑っていた。
「やっとこちらを向いてくれましたね」
「……うそつき」
にらみつけるとフィオレは苦笑いしながら首を振る。
「いいえ、嘘はついていませんよ。本当に怒っています」
うそだとキリエは思った。そんな笑顔で言われても説得力はない。
だがフィオレは真摯にキリエを見ていた。
「この旅は私たちが考えるより長く困難なものになるでしょう。最初から無理をしてしまっては体を壊してしまいます。それにあなたが無理しているのはつらいです」
「ジジイのことはどうするの?」
「ザーフィアスを出てしまえば、どうとでもなります。追手が来たとしても叩き潰せばいいのですから」
微笑んでいるフィオレの手が頭に近づいてくるのを見てキリエは表情を険しくする。彼女はわかっていない。キリエが嫌だったのはこの手だったのに。何もわかってない。キリエはフィオレの手を強く払いのけた。
「じゃあどうしてフィオレは僕の意見を聞こうとしないのさ! 僕らは対等な存在のはずでしょ!」
フィオレは目を見開いた。キリエの言葉に驚き、眉をひそめて顔を俯かせた。再び上げた顔にはいつもの笑顔がなかった。
「じゃあ私も聞きますがあなたはなぜ私を対等に見てくれないのですか?」
キリエは怒鳴る。
「対等に見てないのはフィオレじゃないかっ!」
激しくにらみつけられながらも、フィオレの表情はまったく動かなかった。
「本当にそうでしょうか?」
「そうだよ!」
「ではなぜあなたは先を急ごうとしたのですか?」
「それはっ――」
口を開いたキリエを押し留めるようにフィオレは手で制す。
「私たちは真夜中にザーフィアスを出てそれからほとんど寝ていません。私は馬車で眠れましたが、あなたは休んが方がいいと思いませんか? 明日ハルルを目指せばいいでしょう?」
「そんなのダメだよ!」
「どうして?」
「だってここじゃフィオレは――」
言おうとしてキリエははっとした。フィオレが言わんとしていることに気が付いたのだ。フィオレは少し悲し気に微笑んだ。
「あなたの思った通り私はここでは不自由な状況でしょう。誰かの手を借りなければ難しい。けれど私は自分で旅出ると決めました。旅の中で野宿することもあるでしょうし、ここ以上に宿泊施設の整っていない場所で眠ることのほうが多いでしょう。私は覚悟してこの場に居るのです。……もちろんあなたの手を煩わせてしまっていること申し訳なく思います。けれどこれは私たちの旅であって、わたし一人のための旅ではない」
言い切ったフィオレの瞳はどこまでもまっすぐにキリエを見ていた。
「あなたは私がベッドで眠れる場所でなければ安心して休めませんか?
キリエは言い返すことが出来なかった。フィオレのために無理をしてでも宿に泊まっていこうと考えていたのを見透かされたことが恥ずかしく、彼女を傷つけていたことを知ってキリエはうつむいた。
「約束したでしょう? あの日に」
確かにあの日、薄暗い穴倉の中でフィオレとキリエは約束をした。自分たちの間だけでは決して嘘を吐かず、裏切らず、どんなに立場や能力が違っても相手を卑下することなく対等に接すると。
フィオレはキリエに向かって悲し気に言った。
「あなただけは私を対等な存在としてみてください」
キリエは顔を俯かして小さくつぶやく。
「……ごめん」
「謝らないでください。これは私の我がままなのですから」
「――じゃあ僕もわがまま言っていい?」
「もちろん」
キリエは足を曲げて膝立ちになりフィオレと目線を合わせた。そして少し照れ臭そうに笑う。
「抱きしめて」
フィオレはくすりと笑ってキリエを抱きしめた。キリエの背中にフィオレの手が回り、撫でられる。
「キリエは甘えん坊ですね」
キリエもフィオレの背に手を回す。
「そんなことわかってたでしょ?」
「ええ、もちろん」
二人は静かに抱き合って、互いの体温を感じつつ瞳を閉じた。
[
prev /
next ]