■ 平野の覇者2

「おじさん! これ多く買うからさ? お願い!」
 キリエが上目遣いに売り手のおじさんを見るとおじさんはあまりの可愛らしさに負けたのか頬を赤らめる。
「しゃーねーな。持ってきな!」
「わーい! ありがとう!」
 フィオレたちはテントから一度出て、幸福の市場の出店でアイテムの補充をしていた。持ち運び用のアイテム袋がパンパンになるまでキリエがグミやボトルを詰めてそれをフィオレは微笑んでいた。
 キリエが生き生きとしている様を見るのはいい。もともと表情がころころと変わる子だが悲しいときや辛いときは表情に出さないようにしているから。
 ふっと雑踏を見ると目についた人物を見てフィオレは目を見開いた。
 流れるような白髪に赤い目に赤い服。フィオレはありえないと一瞬思ったが、彼を見間違うはずがない。フィオレは店のおじさんと談笑していたキリエの肩を叩く。キリエはフィオレを見て首を傾げる。
「なあに?」
「キリエ、あの人……!」
 フィオレが指をさす先をキリエが見た。先ほどまで朗らかな表情をしていたキリエが一瞬にして険悪になる。身体からあふれんばかりの怒りが漏れていて、すぐに追いかけようとしたので、キリエの腕をフィオレは掴んだ。キリエはフィオレを激しくにらみつけた。
「なに!」
「落ち着いて。私も一緒に連れて行ってください」
 キリエはすぐに怒気は払えなかったが落ち着こうと深呼吸した。フィオレは微笑む。
「彼とはこの旅で関わり合いになることが多いでしょう。『宙の大典』を持つ限り彼は私たちの害にはならない」
「……わかってるよ」
 キリエはむすっとしてそっぽを向いた。
「少し、彼と話してみましょう。彼女がいないうちは戦闘にもならない」
 キリエは無言で頷いた。了承しにくいことだが、了解したということだろう。フィオレはキリエの頭を撫でて彼の行く先を目で追った。
 
 ***
 
 案外彼はすぐに見つかった。デイドン砦の見張り台近くで先の平野を眺めている。昔から何を考えているのかわからなかったが、その瞳は冷めていて感情がなかなか浮かびにくい。フィオレはゆっくりと彼に近づいて微笑みかけた。
「お久しぶりですね」
 彼はこちらをちらりとも見ようともせず、平野を見つめ続けた。その態度にフィオレの後ろに立っていたキリエが彼へと近づいた。
「ずいぶんな態度だな『英雄』殿」
 突っかかる物言いに彼はちらりとキリエを見た。だが表情は変わらない。
「何か用か?」
 冷淡ともいえる声にキリエは激しくにらみつける。このままでは話にならない。フィオレが少し前へ出てキリエの手を掴む。するとキリエははっとしたようにフィオレを見てうつむいた。フィオレは彼に向けて苦笑いする。
「相変わらずあなたは誤解される言動をしてしまうんですね」
 彼はフィオレを見て、目を見開いた。すぐに足を見て車椅子に乗っていることを理解したらしい。小さく言葉を吐いた。
「足を負傷したのか」
「ええ。もう十年はこの通りです」
「そうか」
 あっさりと言う彼にフィオレは苦笑いする。憐れむことも同情することもない。彼のさっぱりとした態度にフィオレは好感が持てた。十年前の自分だったら絶対ありえないことだっただろう。怒りに任せて剣を振り回していたかもしれない。
 そして彼はまた平野に目を向ける。その先から何かがやってくることを予感しているように、待っているように。フィオレは彼に尋ねた。
「なにか気になることでも?」
 彼はこちらを見ずに言う。
「誰かがヘルメス式を使って魔物たちを混乱させている」
 フィオレはすぐ平野のほうを見た。今のところ変化は見られないけれど彼が言うのだから間違いない。キリエを見ると彼も頷いた。
「この感じは確かにヘルメス式だ。でも平野からじゃない、あそこらへんかな」
 キリエが指を差した場所はデイドン砦近くの森だった。フィオレは顔をしかめる。
「あなたはそれをエアルに還しに来たんですね」
 彼は無言で剣を握る。フィオレは剣を見て微笑みかけた。
「あなたは変わりませんね」
 彼は平野から視線を外し、フィオレを見た。
「……お前も昔と変わらない」
 どういう意味なのか計りかねてフィオレは首を傾げた。でも変わらないとはどういうことなのだろう。見た目も精神的にも大きく変わったようにも思うのに、彼は『変わらない』と言った。やはり彼の言動は昔からわからない。
 キリエはフィオレをかばうように前へ出て彼をにらみつけた。
「僕のフィオレに変なこと言わないでくれる?」
「……」
「無視すんな! 長髪白髪頭!」
 イライラして足を地団駄させるキリエを無視して彼はフィオレに話しかけた。
「平野の主はもう狂わされて元には戻らない」
 おそらくここら一帯を束ねている魔物のことだろう。それが狂うということは生態が乱れるということだ。もちろん人にも影響が出る。彼の場合は魔物を心配していたのだろうけれど。だから彼は平野を眺め続けていたのだ。
「倒してしまっていいんですか?」
「――好きにしろ」
 彼はふと視線を落とした。なにかを憂いているような寂しい瞳だった。フィオレは悲しげに笑った。
「あなたは本当に人に絶望してしまったんですね」
 フィオレが表情を陰らせてうつむくと彼は冷えた声で言った。
「なぜお前はそんな目に遭ってまで人に心を寄せる?」
 フィオレが顔を上げると酷く酷薄な目で彼は見ていた。フィオレは姿勢を正して彼に微笑んだ。
「私は人の内面は悪い面だけではないと思っていますから」
「……そうか」
 立ち去ろうとした彼を追うようにフィオレは言葉をかける。
「――デューク。あなたの手に宙の戒典があってよかった。あなた以上に信頼できる方はいませんから」
 彼は何も反応を見せず、ゆっくりと歩いていく。そこにキリエが声を荒げて言った。
「僕は忘れない! お前のせいであいつが死んだこと……!」
 一瞬デュークの足が止まったが、何かを言い返すこともせず彼は立ち去った。キリエは言葉を吐き捨てる。
「本当に昔からいけ好かない奴!」
「まあまあ、彼は平原の主を放っておくようですから、早めにここの平原を抜けるかもしくは――」
 言い切ろうとして地面が揺れていることに気が付いた。しかもだんだんと大きくなる。周りが騒ぎ始めたのを見てフィオレとキリエは顔を合わせて苦笑いする。
「どうやら選択肢は一つに絞られてしまいましたね」
 キリエが頭を掻いて平野を見る。
「めんどくさいなあ」
 視線の先には真っ黒い群体がデイドン砦に近づこうとしていた。

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