■ 罪深い光3

 空が暗い。
 昼間はとてもいい天気だったのに、今や空は雲に占領されている。
 辛うじて見えるようなうっすらとした月は頼りなく道を照らしていた。
「ねむ……」
 ふあっと気の抜けた欠伸をキリエがするのを見て、フィオレは小さく笑った。キリエがぎろりとした目でフィオレをにらみつける。
「笑わないでよね」
 そう言ってまた大きな欠伸をしたキリエの足取りは重い。どうやらとても眠たいようだ。
 それもそのはずで今は真夜中でほとんどの者が眠っている時間だからだ。ザーフィアスの貴族街の道路には周りに出歩いている者はいない。貴族たちは使用人たちに番を任せてすやすやと高いびきをかいている頃だろう。大きな通りを歩いているのはフィオレとキリエだけだ。
 二人とも言葉を発しなければフィオレの車椅子に取り付けられている駆動魔導器の稼働する音しか聞こえない。
 通常ならば真夜中でも騎士団が警護しているはずなのだが、今日は誰もいない。フィオレが指示したわけではなく、恐らく宿舎で寝ているか酒でも酌み交わしているのだろう。フィオレにとっては好都合だが、仮にも副団長という身分を授けられている以上見過ごせないものがある。今日はどこの担当だっただろうかと逡巡していると、横から不機嫌そうな声が聞こえてきた。
「明朝っていうか真夜中じゃん」
 昼に父とやり合ったときに見せた手紙のことだろう。
 欠伸を噛み殺しながらぼやくキリエにフィオレは茶目っ気のある笑みを見せた。
「あら昨日ではないことは確かですし、ザーフィアスを出る頃にはきっと朝日が出ていますよ」
「……まったく。そういうの屁理屈って言うんだよ?」
 そう言ってキリエは口を尖らせた。
「僕には事前に知らせるとかしてよね」
 寝台の上ですやすやと眠っていたキリエを叩き起こしてここまで連れてきたのを恨んでいるらしい。不満そうなキリエに対してフィオレは小首を傾げる。
「敵を欺くにはまず味方からと言うではありませんか」
 キリエは憮然として、口をへの字に曲げて頬を膨らませた。
「ホント、フィオレっていい性格になったよね」
「お褒め頂きありがとうございます」
 ジト目になったキリエを見てフィオレは微笑んだ。
「それでもあなたは私に付いてきてくれるでしょう?」
 キリエは少し頬を染めてそっぽを向いた。照れ臭かったのかもしれない。反応が可愛くてフィオレはキリエを撫でたくなったが、彼は足を止め、すぐに真剣な声音になった。
「あんな条件飲んじゃって良かったの?」
 恐らく父の出した条件のことだろう。キリエは眉間にしわを寄せてこちらを向いたのでフィオレは車椅子を止め、肩をすくませた。キリエの言いたいこともわかる。確かに父の出した条件は理不尽と言えるものだった。
 一つ、半年以内の旅であること。
 二つ、帰れば騎士団を辞めること。
 三つ、結婚する相手を指定させること。
 フィオレに自由はないということをまざまざと突き付けられてような内容だ。父の過保護ぶりは尋常じゃない。きっと父の束縛は死ぬまで続くのだろう。
 フィオレは変わらない父にうんざりしつつ、その条件を飲めばあっさりと解放したあたり思う所があるのだろうと感じた。
 父も高齢だ。いつまでもフィオレのことを見ていられるわけではないというのをわかっているのだろう。
 自分の足を見て、父の顔に苦渋が滲んだのを思い出してフィオレはうつむいた。
 父は恐れているとフィオレは思う。十年前のあの戦争からフィオレが自分の目の届く範囲にいないことを極端に嫌い、権力を振りかざして側にいさせようとしている。フィオレが自宅で仕事をするのも父がアレクセイに強要している。
 今回の件だって本当に止めたいのであればもっと強硬な手段を取っただろう。けれどそれをしなかった。
 この旅は転機になるかもしれないとフィオレは思った。だから理不尽な要求でもあえてのんだ。これからのために、もう一度一人立ちできるように。
「でもさー」
 キリエはやはり納得がいかないのだろう。キリエは優しい。フィオレが大切にしていることを尊重してくれるし理解もしてくれる。きっとフィオレのためならばどんなことでもしてくれるだろう。そんなキリエのことを嬉しく思おう半分、少し胸が痛い。
「……ごめんなさい。キリエ」
「え、どうしたの?」
 不思議そうなキリエにフィオレが首を振る。
「なんでもありません」
 誤魔化すように彼の頭を撫でた。キリエはしばらく目を細めてされるがままになっていたが、フィオレの手を掴んで降ろし、両手で握ってきた。真摯なキリエの瞳がフィオレを見る。
「……何も言わなくていいの?」
 キリエの言葉の意図を察してフィオレは頷く。
「ええ、お父様を巻き込めませんから」
 キリエは意外そうに目を丸くする。
「案外、父親想いなんだね」
「それはもちろん。私はお父様をこの世で一番愛していますから」
 ばっとキリエがフィオレの手を放す。
「うわ〜、嘘くさっ!」
 あからさまに顔をしかめたキリエにフィオレは笑う。
「さて、そろそろ行きましょう。でないと心配性のジジイが追手をよこしてしまいます」
「フィオレ、フィオレ、言葉」
「あらいけない」
 キリエと共に再び歩き出す。フィオレが顔を上げると真夜中だというのに通りは照明魔導器の光によって照らされていた。
 人の生活に欠かせなくなった魔導器。
 魔核に刻まれた術式によって空気中のエアルを取り込んで光を放っている。魔導器は闇夜を照らし、人を助ける。誰かが魔導器の明かりを地上の光と揶揄していたが、フィオレはあの光を好きになれなかった。
 人工的な光だが、どこか儚さを覚えるその光にフィオレは目を伏せる。
「罪深い光……」
 つぶやいた言葉が聞こえなかったのか、キリエは何も反応を示さなかった。もうしかすると聞こえていても無視したのかもしれないが、フィオレには判断がつかなかった。
 フィオレは空を仰ぎ、嘆息する。
 ああ、人はなんて罪深い、と。

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