其の四

※中盤に登場する例の人ですが、口調がいまいちまだ掴めていないので、勉強し次第随時変更していきます。(だったら書くなよという話なんですが、ストーリーの進行上どうしても必要で)だいぶさ迷っていますが寛大な目でよろしくお願いします。

「首領、私です。入ってもよろしいでしょうか?」

真逆こんなにも早く再びこの場所に立つことになろうとは考えもしなかった。招集メールに従い本部ビルに来た私は何故か首領の部屋へと通された。モントという遊園地で私達を襲撃した組織の件ならば、首領が態々私のような下っぱを呼んで直に話すような内容でもない。それこそ報告書には詳細を記している訳で。他に理由があるとするなら、エリス嬢の事だろう。

入り給え。
短い許可の言に私はドアを開いた。

「失礼します。」

一礼し、首領が待つ執務机へと歩を進める。首領は一見して優しそうな笑顔で私を迎えた。

「やぁ、歩君。昨日はエリスちゃんが君を連れ回したようで、すまなかったね。とても楽しかったと云って機嫌が良かったのだよ。」

「いえ、エリス嬢が楽しかったならば幸いです。ですが、私はエリス嬢を危険に晒しました。その罪は処罰に値すると重く承知しています。」

首領は苦笑を漏らした。

「もし、君が街中でエリスちゃんを見て放置したならば考えものだったがね。君は護衛として十分役割を果たした。処刑など考えてすらいないよ。」

寛容過ぎて怖い。否、エリス嬢が無事だったから、機嫌が良かったからが大きな理由であろうが。

とにかく、処刑はなし。私はまだ死ねないらしい。

「中也君たちがね、モントの関係者と思われる異能力者を捕縛して尋問をしていたのだが、あまり要領を得なくてね。君の報告は大変有益だった。」

「中原幹部が......」

「その異能力者も洗脳を受けていたのだろう。途中で狂ってしまってね。」

その後の事は首領は言及しなかったが用済みならば処分したに違いない。

「君も洗脳なんてよく気がついたね。」

「......経験の問題、でしょうか。」

首領がぴくりと微かに眉を動かした。柔和な笑みは変わらないが、眼光が鋭くなる。私は頭を振って冗談ですと茶を濁した。

「......たちの悪い冗談でした。大変失礼しました。」

「何だ、ジョークだったのかい?君、意外とユーモアがあるのだねえ。」

からからと首領は軽く笑って執務机に両肘を置いた。

「モントに関しては中也君を筆頭に調査を続行している。それでだ、狙われている異能力者の傾向が分かってきたよ。」

「......私のような、攻撃はあまり特化してはいないが、実戦においてそれなりに利用はできる異能力者でしょうか。」

首領はパチパチと瞬きをして、その通りと頷いた。

「なので、身辺には注意するように。」

「了解しました。」

「それと他の構成員からの報告に芥川君を庇って負傷したとあったのだけれど。」

「掠り傷です。問題ありません。」

「突然乱射したようだね。異能力で気づいたのかい?」

私は首を緩く振って否定した。

「分かりません。ただ、直前頭に痛みがあって。」

「ふむ。君の異能力もまだ未知な部分があるのかもしれないね。芥川君は何か云っていたかい?」

そう云われて私は芥川さんとの会話を反芻する。

「私は痩せているから銃弾は防げない、だから余計な真似はするなと云われました。」

首領は少し考えるような仕草をすると、至極真面目な顔でこう云った。

「芥川君ね、君が怪我するのが厭なのだよ。」

...... ...... ...... ......?

Q.左腕の骨折は誰に負わされたものでしょう?

A.芥川さんです。

「すみません、よく分かりません。」

「ああ、言葉が足りなかったね。彼は自分以外に君が傷つけられるのが厭なのだよ。」

「......病んでるんですか?」

「病んでるというよりはうーん、執着のようなものだろうね。」

執着。そういえば、頬の擦過傷に執拗に触れていたのも首領が云う執着からだったのだろうか。だが、それでも分からない。芥川さんとはそれこそ訓練位でしか接触はない。なのに、執着とは。

「ほら、テレビとかであるお前は俺が殺す、だから俺以外に殺されるな!みたいな。」

「え、芥川さんってそんな熱血なんですか?」

熱血ではないかなあ、と首領は難色を示した。どうやら表現のし難い芥川さんならではの案件らしい。

「......話がだいぶ逸れてしまったけども、本題に入るとね君には今の部署を異動して貰いたいのだよ。」

異動。真逆、異動の話を首領から直々に仰せつかるとは。いつもならばメール一本で端的に済ませていたのに。

「君、梶井君と面識はあるよね?」

梶井君、梶井基次郎の事を指しているのであれば答えは是である。中原幹部の部下で科学者。特に爆弾開発のスペシャリストで、爆薬成分が一切感知できない檸檬の形をした爆弾を作っているという。そして、私は彼に何度か会ったことがあった。

「面識はあります。」

「なら良かった。実は彼の部下兼護衛をして貰いたくてね。モントの対策というのもあるし、彼が結構な自由人でねえ。ストッパーが欲しいところなんだよ。」

「......それは私に務まるのでしょうか。」

「もちろん。君は下級構成員にしておくには惜しい優秀な人材だよ。エリスちゃんも君の事をとても気に入っているし、頃合いを見計らって君には私の傍付きになって貰いたいと思っているんだよ。」

この首領今何と云った?傍付き?私みたいな役立たずで未だに首領からの命令すらも実行できていない人間に?疑問符が残るものの、冷静に謝辞を述べる。

「私には勿体無い言葉です。ありがとうございます。」

もしお世辞でないならば身に余る光栄だ。私には重過ぎる代物だが。

「ですが、私よりも適している人材がいる筈です。より厳正な審査を以て決定した方が良い案件だと考えます。」

これでも確り選んだ心算なんだが。
首領は額に手を当てて息を吐いた。

「確かに君の言うとおり。より精査して決定しよう。でも、結果は変わらないと思うよ。」

「......分かりました。」

首領が用件は以上だよと云ったため、踵を返す。出口である大扉を前にして首領が私を呼んだ。振り返ると、首領はにこやかに手を振って。

「もう一度云うけども身辺には気をつけるように。」

と、再度念を押した。

「了解です。」

私は頭を深く下げて退出した。

現在の上司にこれまでの礼を告げ、一旦自宅に戻る。異動は実質明後日からで今日と明日は完全なオフになった。引き継ぎというのも特段なく、私に久しぶりの静寂が訪れていた。自室の簡素なベッドに倒れ、暫く目を閉じていたが、思うことがあって目を開けた。

「......行かなくちゃ。」

このような完全な休暇にしか行けない場所がある。私は立ち上がって再び外に出た。

骨折が完治していたらバイクに乗るのだが、安全のためにも今日は控え、電車を乗り継いで行くことにした。

海を眺めながら電車に揺られることおよそ3時間、ヨコハマから遠く離れた小さな町の駅に降り立つ。閑静な住宅地を抜ければまた海が見え、それに沿い暫く歩いていくと一軒の家屋が見えた。

海辺の小さなログハウス。
一年前に貯金の大部分を崩して購入したものだ。

「ただいま。」

返事はない。それは当然の事である筈なのに何故か落胆している自分がいる。

玄関に入ると短い廊下があり、右側と正面奥にドアがあった。靴を脱いで進み右側のドアを開ける。

そこは六畳程の部屋だ。フローリングの床に机と椅子、それから小説が疎らに立つ本棚がある。大きな窓にはカーテンが掛けられ、それを開けば海が見える。

海の見える書斎。
織田作さんの夢で。
私の理想。

くらりと目眩がして床に転がるように倒れた。頭を強かに打ったが構いはしなかった。

眠くて眠くて堪らなかった。掃除や食事の準備をしようと思っていたのに、瞼が徐々に落ちていく。いつもは痛い筈の日光がカーテンを通して全身を包むように照らした。それが温かくて、心地よくて、背中を丸めるようにして自分を抱き締めると、自然に私の意識は闇に沈んでいった。

どれくらいの時間が経っただろうか。ツンツンと頬をつつく何かに意識が浮上させられる。

「こんなところで寝ていたら風邪を引いてしまいますよ。」

「......何で。」

目を開けて、見上げると幽かに夕日を帯びる男の姿があった。仄かに微笑した彼は私に右手を差し出す。

「貴女に会いに。」

私が彼の手を取れば、ぐっと引っ張り起こしてくれる。

「また軽くなってますね。」

「そうですか......?」

彼の反対の手が脇の辺りに触れる。

「肋骨が浮き出てますよ、ほら。」

「え。」

ぎょっとしてそこを自分でも触ってみると固い感触があった。紛れもなく肋骨である。つまり私は痩せ過ぎている。ガリガリなのだ。これは芥川さんに痩躯と云われても反論できないし、盾になるどころか銃弾が降ってきても余裕で貫通してしまうかもしれない。若干のショックに見舞われ呆然としている私に彼は夕飯にしませんかと提案した。

「じゃあ、今から作り......」

「今日はぼくが作ってみたのですよ。見よう見まねですが。」

彼は私の手を引き、部屋から出て玄関正面奥のドアを開いた。同時に芳醇なスパイスの香りが鼻腔を擽る。

「あなたが?」

料理をするようなイメージはなかった。そもそもこの男は私がこの家を購入した一ヶ月後、突然やって来た。家の前の落ち葉を箒でパタパタと掃いているとまるで幽霊のようにゆらりと現れたのだ。
彼は綺麗で妖艶な笑みを浮かべて私をじっと見ていた。最初は無視していたが、数分たっぷり視線を送られてさすがに箒を止めた。

「あの、何かご用ですか?」

「ああ、邪魔でしたか?」

邪魔じゃないとは云いきれない自分がいて曖昧に返事をする。

「えっと......」

「すみません、貴女の家からとても良い匂いがして。」

良い匂い、私は買ったばかりのログハウスを一瞥して。

「カレーを作ってるんです。」

「カレー、ですか。」

すると、男の腹部からきゅるきゅると可愛らしい小さな音が鳴った。

「......実は少し遠出をしていたのですが、財布を忘れてしまいまして。」

食事を取っていないのだと彼は苦笑しながら云った。

「......じゃあ、カレー食べますか?」

私は特に何も考えずに申し出る。それに対して彼は訝しむように眉を寄せた。

「ぼくは通りすがりの見ず知らずの人間ですよ?」

「もし何か問題があるようなら撃ちます。」

箒を壁に立て掛け、コートを態と翻すようにすれば、両腰のホルスターが覗く。彼も当然それに気付いて紫の瞳を瞬かせた。

「物騒ですね。一般人にもこんな事を?」

「真逆。光と闇の区別位つきます。」

玄関扉を開けてどうぞと目で促せば、彼は笑い声を上げた。

「フフ、悪だと分かっていながら入れるとは。無用心なのか、肝が据わっているのか。」

「今のところあなたから悪意等の感情は見えないです。本当にお腹空いてそうですし。それに。」

私が言葉を切ると、彼は首を傾げた。

「少し、多めに作ってしまったので。消費してくださる人がいるならとても助かります。」

玄関正面奥のドアの先はリビングとキッチンである。キッチンの小さなコンロは大きな寸胴鍋が存在感を主張しており、横の調理台にはスパイスなどが雑然と置かれていた。その脇に小さな冷蔵庫がポツンと立っている。

彼は蓋を開け、中身を覗いた。

「これは......一人分の量ではありませんね。来客の予定が?」

「特に。」

「十人分......位ですか?」

「六人とお代わり分です。」

来客の予定はないと云いながら具体的な数字を云う私を彼は奇妙に思ったかもしれない。だが、彼は先程と同じような微笑みを称えていた。そこには慈悲のようなものと同時に酷薄な彼の本質のようなものが垣間見えた。

「これを一人で?」

「多分食べられないので余ったら持って帰って配ろうかな、と。」

その配る人を発見するのが大変なのだが。この人が食べてくれるならば若干その量が減るというものだ。

コンロに火を着け、おたまでぐるぐるかき混ぜ、適温になったら炊飯器からご飯を、寸胴鍋からカレーを、冷蔵庫から卵を割って皿に盛り付けた。

「はい、混ぜカレーです。」

「美味しそうですね。」

折り畳み式のテーブルに皿を載せ、スプーンを差し出す。

「どうぞ、召し上がってください。」

「貴女は?」

私はそのカレーに目を落として、それから肩を竦めた。

「今はまだ良いです。」

「では、先に。」

彼は黄身を割って混ぜ、スプーンを口に運ぶ。

「......辛い。」

「お水持ってきます。」

私が席を立とうとすると、彼が腕を引いて制止させる。

「必要ありません。辛いですが、美味しい。それにどこか懐かしい味もします。」

彼はそう云って口元を緩ませ私を座らせた後は無言でカレーを掬っては口に入れるという動作を繰り返し、五分程で完食してしまった。

「お代わりをしたいのは山々ですが、ぼくも少食の類いなので。」

「いえ、お粗末様です。」

食器を回収し水に浸けていると、背後に気配を感じた。振り返ると、やはり彼は妖しくも美しい笑みで此方を見ていた。

「......何ですか?」

「今度はいつ此処に来ますか?」

「......さあ?休みを取れたら、です。」

彼は右手の人差し指をガリッと噛んだ。何度も噛んでいるのか鬱血した歯跡が濃く残っていた。

「また食べに来ても?」

彼は口から指を離して尋ねる。

「構いませんけど、日本はもっと美味しい食べ物他にも......」

「貴女のカレーが食べたいのです。」

真っ直ぐに底の見えない瞳に見詰められてたじろぐ。思わず首を縦に振れば、彼は小さく笑った。
それから暫く世間話をした後、彼は時間なのでと腰を上げた。が、すぐにはたと立ち止まる。

「そう、大事なことを聞き忘れていました。」

「何か?」

「名前、です。」

確かに。
今までの会話を思い出してみても、あなたと貴女で成立させている。

「......歩です。」

「では、ぼくのことはフェージャと呼んでください。」

フェージャ。外国人なのは顔立ちで察していたがなかなか聞き覚えのない名前だ。けれども響きがとても好ましく思えた。私はそっと彼の名を口ずさむ。

「フェージャ。」

「うん。」

「フェージャ。」

「歩。」

そのやり取りが可笑しかったのかフェージャはクスクス笑って私の手を取る。

触れるか触れないか、惜しむように手の甲に唇を寄せる。

「また会いましょう。」

別れの言葉を紡いで、彼はまるで幻のように、消えるように去っていった。

それからというもの私たちの関係は続いている。

フェージャは連絡を一切していないにも関わらず、何故かふらりと現れては私が作ったカレーを食べ、カードゲームや将棋、オセロなどを持ってきては夜中まで遊んでいった。ちなみに私が勝てたことは一度もない。

リビングにはフェージャが買ってきたモダンなテーブルと二脚の椅子があり、既に混ぜカレーはテーブルの上にあった。

「フェージャ、凄いです。」

「貴女の味には遠く及びません。」

私が思わず感嘆するとフェージャは謙遜し、椅子を引いた。

「歩、どうぞ。」

「あ、ありがとうございます。」

私が腰を下ろすとフェージャも対面に座る。

「口に合うと良いですが......」

「きっと大丈夫です。......いただきます。」

スプーンを手にいざとばかりにカレーに差し込み、口に含む。

「如何ですか?」

フェージャが期待に満ちた目で見つめる中、咀嚼を終える。

「とても......美味しいです。」

「それは良かった。」

「でも、何か......混沌とした味ですね。」

いつも作るカレーとは異なり辛さの中に甘みや酸味、苦みのようなものまで感じる。材料は見たところ同じ、作り方も私を真似したならば同じだろう。不思議に思い首を捻っていると、フェージャも同じく首を傾ける。

「記憶にある貴女の作り方と同じ手順を踏んだのですが......失敗しました。」

「失敗って程では......」

私はもう一口、と食べ進める。確かにいつもの味ではないが、コクがあって舌の上で鮮やかに変化する味わいが面白い。

「ぼくと貴女ではこのカレーに込める想いが違うのでしょうね。」

フェージャは自身のカレーを嚥下し、物憂げな表情で呟いた。

「想い......」

「この味を絶対に忘れない。この思い出を、記憶を絶対に忘れない。......罪を忘れない。」

瞬間、息が詰まった。喉が締め付けられるような圧迫感に咳が漏れる。

そうだ、この家は夢であり、私の罪の体現だ。子どもたちを見殺しにし、ここまで生きてきた私の罪。皆の、織田作さんの夢を、希望を、大切なものを奪った私の罪。カレーもその罪の一端。

フェージャにはそれが全て見抜かれているようだった。

「ぼくは貴女にもっと近づきたいのです。」

フェージャが私に手を伸ばし、顔を上向かせる。深い闇のような、吸い込まれ、溺れてしまいそうな紫の瞳と相対する。

「貴女の前でだけぼくはヒトで居られる。」

「フェー......ジャ」

「貴女はぼくの本質を知らずとも理解している。本来なら共に居て良い存在でない事も。それでも尚、ぼくを許容する。」

この関係を守るためにぼくを調べないようにしているのでしょう?
フェージャの手が首を擽る。敏感な部分を触られてふるふると身体が震え、息ができずに口が開閉する。

「健気で、無防備で、不憫で、可愛い。」

耳孔をくるくる指で撫でられ、その度に背筋を痺れが走った。それから逃げたくて首を振るのにフェージャは止めてはくれなかった。

「やめ......」

「怖がらないで、ぼくに全て委ねれば良いのです。」

頭の中を霞みが掛かる。駄目だと思うのに手足が一寸も動かない。このままでは呑まれてしまう、そう思った矢先フェージャが次の言葉が耳に重く響いた。

「ぼくが、貴女を罪から救済しましょう。」

救済。その単語が急速に頭の中を冷やしていった。まるで冷水に浸けられたように全ての熱が失われていく。 同時に私の行動を制限していた圧迫感から解放された。

「フェージャ。」

自分のものとは思えない程低い声で彼を呼ぶ。
タイミングを同じくして素早く右手でホルスターから拳銃を抜き、フェージャの眉間に銃口を押し当てる。

「私を罪から救済できるのは死だけ。あなたじゃない。」

「歩......」

フェージャが瞠目し、小さく息を漏らした。そして、諦めたように両手を挙げる。

「矢張り、ですか。」

「確信犯ですね。目的は何ですか?」

「先程云った通りですよ。ぼくはただ貴女を救いたいだけなんです。」

戦争から。
世界から。
運命から。
過去から。

「そして、罪から。」

異能力のない世界、それこそがぼくの理想だと彼は云った。

「だから、私を?」

異能力者を集め、殺すのか。それとも何らかの方法で異能力を消し去るのか。どちらにせよ争いは避けられないだろう。それほど迄に異能力は世界の均衡を覆す力を有している。と云っても私は底辺に属する異能力だが。

「それは違います。」

フェージャは私の意を見抜いてか、迷わず否定した。

「ぼくたちは暗黙の了解としてこれまで互いに不干渉を貫いてきました。しかし、そういう訳にもいかなくなってきたのです。」

フェージャに抵抗、反撃の気配はないと見て私は銃を下ろし、説明を求める。

フェージャと私の間には絶対に踏み込まないし、踏み込ませない、そんな強固な線引きがあった。それはどちらも闇に生きる者だという認識があり、それでも尚この関係を守りたいという意志が互いにあったからこそ成立していたものだった。

「貴女の所属は邂逅以前から知っていました。その異能力も。当初の目的は貴女から組織の内情やら機密情報を手に入れる事でした。あわよくば都合良く扱える間者にでもしようと考えていました。」

うわあ......と私が露骨に顔を叱めるとフェージャはあわよくばですよ、と繰り返した。

「ですが、貴女と過ごす内にぼくにとって貴女の居るこの家に来る事が安らぎとなっていきました。ぼくの今抱えている全てを除外し、フェージャという只の人間として穏やかな日々を送る事ができた。」

「......それなら。」

それは私も同じだった。全てを忘れる事はできなかったけれども、ポートマフィアの構成員としての柵から一時的に解放されたような気がしていた。

「間もなく、ヨコハマは異能力者による殺し合いの舞台と化します。そうする他ないのです。貴女も殺されるかもしれません。......ぼくはそれを望まない。」

だから一種のマインドコントロールのようなものを仕掛けようとした。そうしてまで私をヨコハマから引き離したかった。

「ぼくだけが貴女を救えると信じて止まなかった。だからこそ、安全な場所に閉じ込めて、全てが終わるその時まで待っていて欲しかったのですが。」

それ、監禁じゃないですかとは聞かない。聞いたら笑顔で肯定されそうで怖い。だがあの一言がなければ、フェージャの纏う闇に意識を呑まれて、それが実行されていたかもしれない。

「私はポートマフィアで生きて死にます。フェージャと一緒には行けません。」

そうでしょうね、フェージャは吐息のような声で応えた。

「そもそも、この場所は分が悪い。勝ち目がほとんど無いに等しい。」

「あ、そういえば私、フェージャに勝負事で初めて勝ったんじゃないですかね。初勝利記念という事でフェージャには明日のお掃除のお手伝いをお願いします。」

「貴女の切り替えの速さは本当に素晴らしいと思いますよ。」

その後、フェージャとは人生ゲームをしたり、チェスをしたり、いつものように遊び通した。結果は勿論惨敗だった。

「それでは気を取り直して、お掃除を始めたいと思います。」

圧倒的な敗北感を振り払い、私は掃除機を手にした。一睡もしていないが冴えている脳で最も効率の良い掃除手順を導き出す。

「フェージャ、外の掃除よろしくお願いします。」

「......分かりました。」

数秒の間の後、フェージャが了承する。

「箒は外にあるので落ち葉などをささっとはいて集めてゴミ袋に。」

「ささっと。」

「なるべく綺麗にお願いします。」

「綺麗に。」

頷きながら復唱する彼の背中をポンと叩いて、私は掃除機の電源を入れた。


フェージャは物置から箒と塵取りを持ってきて、少しはにかむ。

自分に掃除を命じる人間などこの世において彼女くらいのものだ。否、そもそも自分を人間扱いしてくれるのは彼女だけだった。

「だからこそ欲しかったというのに。」

だが、先にも云った通りこの場所で、この家で仕掛けても勝算は0に近い事を知っていた。

この家は呪いだ。

この家にいる限り彼女は過去に囚われ続ける。過去がある限り彼女は自分を見失わない。彼女を守り、彼女を縛る、侵入は許しても介入は拒絶する絶対の領域。それがこの小さなログハウスの正体。

それはフェージャ......魔人フョードル・ドストエフスキーの精神干渉すらも退ける。今回はある言葉を切欠として自ら侵入を拒んだが、最終段階に達したとしても、薬物類を使えばあるいは可能性があるかもしれないがそれでも、彼女はその心を差し出したりはしなかっただろう。

「死して尚......とはよく云ったものです。」

そう独り言ちながら、不意にフェージャは箒を壁に立て掛けた。代わりに携帯電話を取り出し、耳に当てる。

「片付きましたか。では、血の一滴も一片の肉も残さず処理を。ええ、あの子に綺麗にするように云われていますので。」

携帯電話を仕舞い、人差し指に歯を食い込ませる。

「また厄介なものに目を付けられてますね、貴女は。」

一頻り噛んで口を離し、掃除に取り掛かった。


掃除機でリビングの埃を吸い取り、テーブルや棚などを布巾でピカピカに磨く。フェージャが持ってきた将棋盤やゲームなどを棚に纏めて置く。

そして、私はリビングの隅へと視線を向けた。何があるのかと問われれば、こう答えるしかない。

子どもたちの遺品。

勉強机、教科書などの本類、服、グローブ、ゲーム機......そんなものがひっそりと並べられている。

「幸介、克巳、優、真嗣、咲楽......。」

その笑顔もその声も言葉も思い出も全て私の記憶に鮮明に残っている。

『あんな事を云われたら君は絶対に。』

ふと、遊園地で出会った江戸川さんの声が脳裏を掠めた。江戸川さんはきっと其処で起こった全ての事を見通していたのだろう。

死者が一人増えるか増えないかの差だと、江戸川さんは云った。どう足掻いても子どもたちの死は変わらなかったと彼は推理した。

「それでも、それでも私は......」

拳を強く握り締めて、掃除を再開した。


フェージャが作ったカレーの残りを食べ、私は帰り支度を始めた。明日からは梶井さんの部下という名の護衛兼ストッパーだ。首領直々の異動命令、確りと務めるためにも今日は早めに帰宅、睡眠を取る必要がある。

「フェージャ、私は暫く此方に来れません。」

「ぼくたちに次が存在すると?」

フェージャの方をチラッと一瞥する。青白くも整った顔立ちに影が落ちる。憂いにも恐れにも似た表情に私は一考する。

「......あなたが敵として現れたなら容赦しません。でも、此処にカレーを食べに来てくださったと云うならその時はいつも通りおもてなししますよ。」

あと、これ。私はフェージャの手を取り、その手のひらにある物を載せて握らせる。

「これからはピッキングじゃなくて鍵を使って入ってください。よろしくお願いします。」

フェージャは手を広げてまじまじとこの家の合鍵を見つめる。

「これは......良いのですか?」

「どうぞ。物はあまり触らないでください。あと、人を連れ込むのもやめてください。」

「......此処でそんな不躾な真似できませんよ。」

フェージャはそれをゆっくり握り込んで懐に入れた。ほんの少しだけ、嬉しそうに口角を上げながら。

電車の時間が近づき、私はほとんど手ぶらに近い状態で玄関に立った。書斎のドアに手を当てて、また来ますと声には出さずに云う。

玄関をフェージャと出て、鍵を閉める。

「じゃあ、また。」

「歩。」

呼び止められて返事をすると、フェージャは柔らかな微笑みを讃えた。

「人は笑い方で分かるものなのですよ。」

「......え、何の話ですか?」

「知らない人間に初めて出会った時、その笑顔が気持ちの良いものであるなら、その人は良い人間だと思って間違いない。貴女が初めてぼくの名を呼んだ時、少しですが笑っていたのです。......それが心地良かった。」

フェージャは最初の別れのように私の手に唇を寄せる。

「ぼくが貴女に送った言葉は全て真実ですから。それだけは忘れないでください。」

「......分かり、ました。」

フェージャはそれでは、と手を離して去っていく。その背中は蜃気楼のように朧気になり、やがて消えていった。


自宅であるアパートの手前の駐車場近くで視線を感じた。反応して、向こうから気付かれない程度に周囲を確認すれば駐車場に見慣れない黒の高級外車が停まっている。待ち伏せの可能性を警戒しつつホルスターに手を置くと、その車の運転席のドアが開いた。

「......あれ?」

「あれ?じゃねェよ。今迄何処行ってやがった。」

出てきたのは、中原幹部だ。

「友達と遊んでました。」

「へえ、良かったじゃねェか。携帯繋がらねェから死んだのかと思ったぜ。」

中原幹部が意外だと云わんばかりに瞬きをして、私の懐を指した。携帯、携帯電話。そういえば電源を切ったままだった気がする。そう思い取り出すと案の定で。直ぐ様電源を付けると、着信が十件程あった。その全てが中原幹部のものだ。

「何か問題でも?」

「あァ?手前がようやく最下級構成員を自称できなくなったからこうして祝いに来てやったんだよ。」

中原幹部が如何にも値段の張りそうなワインを見せてくる。否、それよりも。

「え、私、最下級構成員じゃなくなったんですか?」

「梶井の直近の部下だろ?昇進じゃねェか。」

部下というか、護衛というか。モント対策というか。私がしどろもどろになっていると。

「俺の部下が梶井で、その部下になったのが手前なんだから俺が把握してないはずがねェだろうが。」

そうだ、中原幹部は部下の部下のそのまた部下くらいは完璧に把握しているという噂がある程部下想いな幹部として最下級構成員の中でも定評があった。その噂も出任せではない事は最下級構成員歴三年の私が保証できる。

「そういう事だ。どっか飯でも行くぞ。んでこの1982年もののル・パンを開ける。」

「私、未成年なので飲めません。あと今お腹いっぱいです。」

中原幹部がお腹いっぱいだ?と怪訝そうな顔をする。

「空いてないじゃなくてか?」

「カレー食べて来たんです。」

「友達と、カレー?」

「はい。」

「美味しかったか?」

「凄く美味しかったです。」

中原幹部は何処か安心したように息を吐いた。

「あと、私、ちゃんとご飯食べます。」

「マジか、どんな心境の変化だよ。」

「肋骨が......出てると、友達に。」

脇の辺りに触れると、中原幹部が私に歩み寄り、納得したように数度首を縦に振った。

「痩せ過ぎなんだよ、手前は。三食食え、三食。」

「......頑張ります。」

「食事って頑張るもんだっけか......」

中原幹部は呆れた目を私に向けたがすぐにそうだ、と話題を転換する。

「満腹なところ悪いが飯付き合ってくれねェか。」

「護衛ですか?」

「ちょっと話が聞きたくてな。」

乗れよと助手席を指すので、黙って乗り込む。シートベルトをして待っていると、中原幹部が運転席に座り、エンジンをかけた。

「話というのは、モントの事ですよね。」

「あァ、なかなか尻尾が掴めねェ。」

「中原幹部が手こずるなんて相当ですね。でも、報告書以上の話はできませんよ?」

構わねェよ、と中原幹部がハンドルを握る。

「芥川や樋口にも話は聞いてる。念のためだ。」

「......分かりました。」

今でも構わないような気もするが、中原幹部は向こうでなと告げられその意向に従う。車は目的地へ向かって軽快にヨコハマの街並みを走り始めた。

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