其の三

「……」

「……」

騒がしい街の一角に沈黙が降りる。私の目の前に腰に手を当てて立っているのは金髪碧眼の美少女だ。

「……」

「……」

ポートマフィアで知らない者はいないだろうその精巧なフランス人形の様な少女。

「……ねえ!」

「はい。」

「アタシ、観覧車に乗りたいの!」

「……首領の許可を得られなければ判断しかねます。」

「リンタロウの事は放っておいても大丈夫!」

 あなたは大丈夫でも私は大丈夫じゃないんです。心中抗議しつつも口には絶対に出さない。

 足の骨折が完治し、リハビリも最終日だった今日、自由になった足で裏通りをぶらぶらしていたのが元凶だった。

 真逆、首領の溺愛している少女と遭遇するとは思わなかった。しかも、彼女は一人だったのだ。辺りを見回しても首領や護衛の構成員の姿はない。

極めつけの第一声は。

「あら!リンタロウが持ってた写真の子!」

 目と目が合った瞬間、そう声高に云われ、私は無視するという訳にもいかなくなってしまった。というか、写真って何だろうか、ちょっと怖い。

「エリス嬢、ですが……。」

少女の名前はエリスと云う。

「もう!あなたはアタシをあの観覧車まで連れて行ってくれれば良いの!!」

 頬を膨らませるエリス嬢に私は頭を悩ませた。自覚はあるが、私は子どもの頼み事に弱い。観覧車?すぐ其処じゃないか、大丈夫だろうと肯定的な自分といやいや、すぐそこ?されどだろう、彼女は首領の大事な子だ、万一があったらどうする?と否定的な自分。

 頭の中で相反する二人の自分。そして、どちらかと云うと前者に傾いている自分。

だが、そんなせめぎ合いは押し留めて、携帯電話を取り出す。せめて、誰かに報告した方が良いと考えたからだ。

 電話帳画面を開き、出てくれそうなかつ地位の高い名前を調べる。

 首領直通の電話番号があれば早いが最下級構成員の私がそんなものを所持しているはずもない。

 一応、今の上司に電話してみようと結論付けて私は発信ボタンを押した。

 3コールで不機嫌そうな低い声が用件はと尋ねてくる。

「観覧車に」

 ブチッ!!
 フィクションかと思う程大きな音で通話が切られる。まだ観覧車しか云ってないのに。

 私は更に電話帳を見ていく。

 そこで中原幹部の名前が目に止まった。

 二年前に貰った連絡先、私の方からは一度も使ったことがない。

 しかし中原幹部は忙しい身だ。こんなことで電話できる様な存在じゃない。候補から速やかに外してボタンをガガガと連打する。

 樋口さんの名前もある。直属ではないが、芥川さんとの訓練が決まった時色々あった。なかなかに掛けづらい相手である。

 更に少し進めると、広津という文字があった。

 こ、これはいけるのでは?

 広津さん。

 ポートマフィア傘下の武闘派組織、黒蜥蜴の百人長、広津柳浪。前首領の時からマフィアに所属する古参の異能力者の一人。

 以前、中原幹部の下の下にいた時に出た殲滅作戦でお世話になり、会った時は挨拶をしたり、近況を話したりする。つまりこの組織の中では良好な関係を形成している数少ない人物の一人だと云える。

 広津さんならば首領とも繋がっているだろうし、対処方法が分かるかもしれない。

 意を決して発信ボタンを押す。

 5コールで出た。ありがたい。

「珍しいですな。貴女から電話とは。」

「こんにちは、広津さん。あの、相談がありまして。」

 広津さんにエリス嬢の事を説明する。

「ふむ……それは。」

「念のため首領に掛け合って頂けませんか?あと、できれば数人護衛をお願いできたら。」

 広津さんは此方から掛け合おうと了承してくださった。とても心強い。黒蜥蜴に転属したい。

「それまで貴女がエリス嬢をお守りせよ。」

「命に代えても。」

 絶対の意志を込めて宣言する。

「それが可能ならば観覧車に乗っても構わないだろう。」

 ……はい?

 いやいやいやいや。
 相手には見えないが反射的にぶんぶんと首を振ってしまう。

「……それとこれとは違うと思います。」

観覧車は狭い密閉空間で逃げ場がない。エリス嬢がもし危険に晒された場合、まともに太刀打ちできない懸念がある。

「たまの息抜きも悪くないぞ。」

 広津さんは笑って通話を切ってしまう。

 全然息抜きじゃないんですが。むしろ気が抜けないんですが。そんな訴えはもう何処にも届かない。

「いつまで待たせるの!早く!」

 エリス嬢がコートの裾を引っ張る。私は息を吐いて観覧車に向かって一直線に進むエリス嬢についていった。

 遊園地に着き、観覧車へと駆け出すエリス嬢を追いかける。そういえば、お小遣いをひたすら貯蓄して、子どもたちをこの遊園地に連れて来た時も皆があちこちへ走り回って大変だったのを記憶している。

 そんな思い出に浸りながら追いかけていると、エリス嬢が立ち止まった。

「ねえ!あれが欲しい!」

エリス嬢の指した先にはポップコーンの屋台がある。

「良いですよ、どれが良いですか?」

「キャラメル!!」

 ぴょんぴょんと兎のようにエリス嬢が跳ねる。可愛い。此の年頃の子どもって本当に可愛らしい。どんな我儘も聞いてしまいたくなる。

すぐにエリス嬢ご注文の品を買って手渡すと彼女は満面の笑みを浮かべた。

「ありがとう!」

「どういたしまして。」

 つい子どもたちと同じように頭を撫でれば、エリス嬢はフフフと可笑しそうにまた笑った。

「す、すみません。」

「良いわ!あなた撫でるの上手ね。とても心地良い。リンタロウよりもよ!」

 嬉しいような、後々が怖いような。西洋人形のようなエリス嬢の笑顔の裏に首領の冷たい瞳が垣間見えるようで背中に悪寒が走った。そっとエリス嬢から目を反らしつつ私は尋ねる。

「……首領と観覧車に乗らなくて良かったんですか?」

「良いの!リンタロウはね、放ったらかしにした方が喜ぶから!」

「えぇっ……」

 首領の性癖は未だに理解できない。ロリコンだとか、12歳以下しか駄目だとか、そんな噂が流れてはいるが。真逆マ……否、この話は地獄まで持っていくことにしよう。そうしよう。

「あなたはこの観覧車乗ったことある?」

「一度だけ。」

「あの天辺から見える景色は綺麗かしら!」

「景色は乗ってからのお楽しみですよ。」

 そうね、楽しみは後に取っておくものよね。
 エリス嬢は納得するように呟いた。

「ねえ、あなたは誰と来たの?」

「ここにですか?家族です。」

「楽しかった?」

「はい。とても。」

 皆行きたい場所が違って喧嘩になったり、屋台で買ったホットドッグをかじったり、イルミネーションを見た。

「楽しくて時間を忘れてしまって……。」

「怒られたの?」

 そうですと苦笑するとエリス嬢はクスクス口を押さえて笑った。

「凄く心配させてしまったようで……最後には親代わりの人が迎えに来てくれたんです。」

「フフフ、良い人ね。その人。」

「はい、本当に。」

 これから18時までには帰ってくるようにと門限を設定された。怒られるというよりはあの人の性格故に諭されるような形であったが、それでも反省するには十分だった。

「あなたにとってその人は大切なのね!」

「……そう、ですね。」

もう、此の世にはいない人だが。

 観覧車のチケットを購入し、エリス嬢と共に列へ並ぶ。少し前からだが視線を感じる。悪意あるものでないことを考えると広津さんが手配してくださった人員であろう。一つだけ安心要素が増えたがそれでも気は絶対に抜けない。

 列は緩やかなスピードで進んでいく。エリス嬢はキャラメル味のポップコーンを口の中に入れながらその時を待っていた。

 すると。

「それ何食べてるの?」

 私たちの前にいる人が振り向いた。
 鹿追帽とインバネスコートを羽織っている青年。一方の手にある茶色の紙袋にははみ出す程の駄菓子が入っていて、もう一方の手にはラムネが握られていた。

「キャラメル味のポップコーンよ!」

「へえ……美味しそう。」

エリス嬢が一口如何?と差し出すと青年はわあと歓喜の声を上げて一摘まみ口の中に放った。

「甘くて美味しいでしょう?」

「うん、悪くない!……そうだ、君にはこれをあげるよ!」

 がさがさと紙袋を漁って、彼は小さな飴をエリス嬢の手に置く。

「ポップコーンのお礼!」

「ありがとう!可愛い飴ね!」

 エリス嬢は嬉しそうにその飴を手で包んでくるくる踊る様に回った。

「良かったですね、エリス嬢。」

「ええ!食べても良いかしら?」

 エリス嬢が大きな青色の瞳で私を見上げる。私は少し考えて青年を見た。如何にも小説や漫画に出てくる探偵のような様相。瞳の見えない細目と自信に満ちた笑み。そして、何者にも替えがたい眩い光。

 この人は間違いなく光の世界の住人だ。そんな人が毒を仕込むなどまず有り得ない。

「大丈夫ですよ。」

 私が快諾するとエリス嬢はすぐに包みを開いて赤い飴玉を口に含んだ。

「甘くて美味しい!苺の味ね!」

「稀代の名探偵、江戸川乱歩が選んだものだよ、美味しいに決まってるじゃない!」

 ふふんと青年が得意気に鼻を高くする。

「ねえ、あなた観覧車一人で乗るの?」

「まあね。」

「じゃあ、一緒に乗りましょうよ!」

「ええーっ……何で君たちと乗らなくちゃいけないの。」

 青年は露骨に厭そうにするが、エリス嬢が良いじゃない!と彼の腕を引いた。それはさすがに止めなければと思うが、チラリと首領の顔が脳裏を過った。

「名探偵って沢山難しい事件を解決するのでしょう?」

「もちろん!そして、僕に解決できない事件はない!」

「凄い凄い!アタシもっとあなたのお話が聞きたい!」

「むう……」

「ポップコーンをもう一口あげる!」

「ぐぬぬ……もう、仕方ないなあ。」

 青年は本当に仕方ないから一緒に乗ってあげる、ラムネをぐびりと飲み干して云った。

「ありがとう、ランポ!」

 エリス嬢はにこりと微笑んで先を行く。観覧車に乗るまでもう少しだ。

「すみません、江戸川さん。巻き込んでしまって。」

 私が頭を下げると、青年は別にと紙袋から棒状の駄菓子を取り出す。

「君に責任はないんじゃない?だって君はあの子を制止できるような地位じゃないだろう。」

袋開けてくれる?とそれを差し出される。

「何でそれを……」

「僕は名探偵だよ?」

 私は受け取って袋を破る。その中身を少し出して、彼に返した。

「武装探偵社が探偵たり得るのは名探偵の僕がいるからだ。僕の異能力《超推理》さえあれば殺人事件だろうと人探しだろうと何だって解決できる。」

 武装探偵社。私は目を伏せて小声で思い当たる人物の名を述べた。

「……太宰さん、ですか?」

「うん。太宰にしてはかなり深刻そうだったからねえ。……社長も手伝えって云うし。」

 つまり、この江戸川乱歩という青年は私の過去も今も分かった上で話しかけてきたのだ。エリス嬢のことももしかすれば分かっているのかもしれない。

「何が目的ですか?」

 警戒心と共に尋ねると、江戸川乱歩はきょとんとした顔で私を見る。

「目的?僕は彼女のポップコーンが美味しそうだったから話しかけただけ。」

 口の回りに着いているお菓子の滓を青年は親指で拭き取り舐める。

「僕は君になーんの興味もない。そのポップコーンを持っていた少女の保護者代理が偶々君だった。」

 それ以上でも以下でもないよと彼は云い放った。

 冷淡で客観的、かつ合理的。他人に興味を抱かず、一切の私情を挟まない。

探偵として必要なものを全て持ち合わせている人だと、そう思った。

「アタシたちの番よ!行きましょ!」

「君も早く行くよー!」

 呼ばれて我に返り、二人の元へ走る。見ると既に二人は席に座っており、私も周囲を確認して素早く乗り込んだ。

「ランポ、一番面白かった事件の話をして!」

「面白かった事件?僕に掛かれば全ての事件は一瞬で解決だよ。あ、でも、この前の……」

 エリス嬢の隣に座り、二人の話に耳を傾けながら外を眺める。

 観覧車はゆっくりと上昇していく。子どもたちと来た時とはまた違う景色が眼下に広がっている。何年も前の話なのに、ここから見た景色を今でも鮮明に思い出せる。

 ビルもこんなに多くなかった。
 広い道なんてなかった。

 あんなところに。
 空き地なんてなかった。

「大丈夫?顔色が少し悪いわ。」

「え……あ、いえ、大丈夫です。」

 エリス嬢が私の顔を覗き込むように見上げた。

「ポップコーン食べる?もうあまり残っていないけれど。」

「それはエリス嬢のために買ったものですから。エリス嬢が全部食べて良いんですよ。」

「そう?」

 観覧車はそろそろ天辺に到達しようとしていた。

 エリス嬢は立ち上がって窓にへばりつくように外を眺める。

「海が綺麗ね!あ、あそこ!よくリンタロウと出掛けているところだわ!」

「探偵社、探偵社は……うーん見えない!」

 江戸川さんは数秒外を見ただけで、紙袋から練ってつくるお菓子を開けてぐるぐるぐるぐるかき混ぜている。

「ねえ、後でお土産屋さんに行きましょう!」

「首領に、ですか?」

「チューヤやコウヨウによ!」

 首領の扱いが不憫過ぎる。喧嘩でもしてしまったのだろうかと考えてしまう程だ。それとも性癖的な……否、何でもない。

護衛の人員配備はあったが、広津さんからの音沙汰はない。本当に首領に連絡は届いているのだろうか。そんな事をぼんやりと考えていると、エリス嬢が江戸川さんに話しかける。

「ランポ!私、あなたの推理が見てみたいわ!」

「今は無理。事件も謎もないし。」

「うー……じゃあ、あなたが作って!」

エリス嬢がキラキラとした目で私を見てくる。無茶振りが過ぎるがエリス嬢のためだ。何か考えないと、と脳を回転させる。

「面白い謎なら答えてあげなくもないよ。但し制限時間はこの観覧車が回り終わるまで。」

 江戸川さんがニヤリと口角を上げる。どんな謎でもすぐに答えが出るという自信からくる笑み。観覧車は三分の二を回り終えて残り時間も少ない。

 だが、私には一つ頭に浮かぶものがあった。

「どんな……ものでも答えてくれるんですか?」

「面白ければね。」

 私は深く息を吸って、吐いた。江戸川さんから放たれる眩い光。何時もなら目を反らすその光を私は真っ直ぐに見据えた。

「ある家に子どもが六人いました。その中の一人は異能力者で、六人の中で最年長でした。」

 ある日、その家は黒い服を着た銃を持った者たちに囲まれた。家は二階建てで一階からは断末魔の悲鳴が聞こえてきた。

「異能力者のその子どもはすぐに危機を察知しました。……他の子どもたちを死んでも守らなければとそう思った。」

 でも、結果として他の子どもたちは死に、自分だけ生き残った。

「君は何が知りたい訳?」

 江戸川さんが目を開いた。緑色の瞳が私を射抜くように捉える。

「あの時、もしその子が逃げなかったら子どもたちは助かったか。」

 江戸川さんは懐から眼鏡を抜き取り装着する。

「……異能力《超推理》。」

 静謐な声だった。

 私とエリス嬢が固唾を呑んで見守る中、江戸川さんは宣言する。

「……無理だね。」

 ただ2音の言葉。無理。
 端的に発されたその一言は鋭く私の胸に突き刺さった。

「その襲撃者はその子がどんな異能力を持っていたかなんて知らなかった。もし攻撃に特化した能力だったならとは考えていただろうね。よってその子が目の前に現れたらこうしろと命じられていた。」

 一瞬の隙すら与えず殺せ。

「だから、答えはこうだ。その子どもが逃げようが逃げまいが死者の数が一増える以外結末は何も変わらない。」

 結末は変わらない。

 私の異能力はそういうものだ。
 危機を察知できるだけで。
 敵を捩じ伏せる圧倒的な強さはない。
 逆転の一打となるような奇跡も得られない。
 大切なものを守ることすらもできない。

 あの場で何かできる筈がない。

「でも、君に隠れないなんて選択肢はなかった。」

「え……」

「あんな事を云われたら君は絶対に。」

 江戸川さんは眼鏡を外し、はあと大きな溜め息をついた。

「全て分かっているのにそれを否定してでも自分を痛め付ける。分かっていないふりをして人を遠ざける。僕には理解し難い思考だね。」

 ガチャンと甲高い音がして扉が開かれる。いつの間にか観覧車は全ての行程を終えていたらしい。江戸川さんはすぐに外に出ると大きく伸びをした。

「いつまでもそこにいたら邪魔になるよー。」

「あ……はい。」

私はエリス嬢を誘導し、最後に降りる。

「すみません、エリス嬢。暗い話になって。」

「良いわ!ランポの推理を見ることができたし、ポップコーンは美味しかったし満足よ!」

 エリス嬢は破顔して江戸川さんの後を追う。お土産屋まで連れていくつもりだろうか、腕をぐいぐい引っ張って江戸川さんを困惑させている。

 私もついて行こうと足を踏み出した。

 瞬間、だった。
 頭の中を警鐘が鳴り響く。突然の出来事にくらりと目眩が起こったが体勢を立て直し、エリス嬢の元へと走る。

「エリス嬢、敵襲です。江戸川さん、ついてきてください。」

「え、え、敵?」

 戸惑いであたふたするエリス嬢を片手で抱え、もう一方で江戸川さんの手を引く。

 時間は30秒しかない。周囲を警戒しつつ、人通りの多い道を進む。

 20秒が経過したが、まだ警鐘は収まらない。

「狙撃だ。建物の中に入った方が良い。」

 江戸川さんが私に耳打ちし、近くの建物を指す。
 あと5秒、店内に滑り込むように入ると、警鐘はぴたりと止んだ。

 危機を回避できたことに安堵し、吐息が溢れる。次にエリス嬢をゆっくりと降ろして片膝を着いた。

「エリス嬢、何処か痛いところは?」

「ないわ!映画の一幕みたいで楽しかった!」

 エリス嬢の陽気さには何処か救われるものがある。

「僕は痛かったんだけど。」

 そんな声が背後から聞こえ、私は慌てて振り返った。意図せず強く握っていたのだろう、手首を擦りながらふんすと怒る江戸川さんに頭を下げる。

「すみません、すみません。」

「分かれば善し。……それでさっきの件だけど。」

「狙撃にしてはかなりの精度だったような。」

建物内に逃げるまでずっと警鐘が鳴っていた。何処にいても標的を、しかも急所を撃つことができるとなると相当な手練れだったと言える。

「狙撃ポイントはダイビングコースター付近、今は移動してる。」

 江戸川さんの冷静な分析に肯定する。配置されていた護衛の気配もなくなっている。

「狙いはエリス嬢……という訳じゃないですね。」

「ポートマフィアへの報復、というよりは異能力者個人を狙っている。つまり……」

狙いは私と江戸川さん。

「もう直ぐ別動隊が来る。」

「何人か分かりませんか?」

「……さっきの狙撃手も含めれば三人。」

ならばと私は腰に、拳銃嚢に手を当てた。

「私が三人引き付けます。」

「それが今は妥当かな。」

 私は一度頷いて携帯電話を開いた。広津さんに掛けてみるが応答する気配がない。私の上司もこの状況では当てにならない。

 迷っている暇はない。広津さんの少し上にある名前に発信し、耳に携帯電話を当てる。

「……はい、私です。すみません、救援をお願いできませんか?……私ではなく、エリス嬢をです。」

あまり会話はせずに通話を切る。

「エリス嬢、もう少ししたら迎えが来ますから安心してください。」

「あなたは戦いに行くの?」

「はい、エリス嬢に敵は近づけさせません。江戸川さんにも。」

 敵の注意を集めつつ、できる範囲内で応戦。エリス嬢の救援部隊が来るまで保たせる。

「忘れないで欲しいの。」

「……?、何をですか?」

エリス嬢が私の手をそっと取る。

「あなたの帰ってくる場所は此処よ。」

 それは。
 それは生きて戻って来いという事だろうか。
 それとも私の帰る場所は闇の世界だけだという事だろうか。

 どちらでも良い。

 どちらにせよそれは。

「勿論です、エリス嬢。」

 翻したコートの裾が舞う。厚い靴底のブーツで地を蹴り、人の間を縫って出入口から外へと飛び出す。
 チリッと肌を焼くような殺気を感じた。狙撃手の所在は分からないが、残りの二人はすぐに確認できた。光に満ち溢れた世界こそ際立つ二つの黒点。その内の一人は禍々しくどろどろとした闇を帯びていた。

 その二人にさっと視線を投げてから駆け出す。これでこの二人は勘づかれていることが分かった筈だ。異能力者を殺すことが狙いなら襲撃者は尚のこと私を追わなければならない。

 頭の中で遊園地のマップを反芻しつつ細い路地に入る。入った瞬間、ぐわんと脳を揺さぶる警鐘が鳴った。先程の狙撃と見て間違いないだろう。二人との距離を一定に保ちつつ、建物内に入ってやり過ごす。

 あの路地で正確な狙撃が可能という事は狙撃手の現在位置をかなり絞ることができる。別の出入口から外へ出て、太い道を横切りまた細い路地へと入り、其処で止まる。
 襲撃者の二人も私の10メートル手前程で立ち止まった。黒いスーツとサングラスの如何にもな男二人だ。

「所属組織名と目的だけ教えて頂いても良いですか?」

 私が尋ねると、一人が半歩進み出る。

「私達はモント。異能力者の保護を目的とした組織です。」

「異能力者の保護という割には物騒ですね。狙撃手まで持ち込んで。」

「あなたの異能力を推し量るためにこのような手段を使いました。謝罪は致します。」

 あなたが異能力者であることは知っています。と男は語りだした。

「ポートマフィアであることも勿論知っています。ポートマフィアの闇は深い。簡単には抜け出せない。」

「私がポートマフィアから抜けたいとでも?」

「ポートマフィアは異能力者を非人道的に扱い、使い捨てる組織です。我々はあなたのような異能力者を悪の道から解き放つお手伝いをする、そんな組織なのです。」

 説明を聞く限りではかなりクリーンな組織であると云える。こんな組織があるなら過酷な環境下に置かれているであろう異能力者が若干なりとも救われるだろう。

 本当にあるならだが。

「異能力者を保護するのが目的ならわざわざ銃器を使って異能力を推し量る必要性はない。それにそんな綺麗な組織があるなら、噂位にはなっているだろうけど、モントなんて名前聞いたこともない。」

 本当の目的は何ですか?と聞く前に男がナイフを懐から抜いた。

「……どうする心算ですか?」

私が低く問うと、男はナイフの切っ先を向けてくる。

「殺しはしません。私たちと共に来て貰います。」

後ろの男も懐から何かを取り出そうとしている。

「大人しくついてきて頂けるなら手荒な真似はしませんが。」

「お断りします。」

 悪い話ではない筈です、と男は更に一歩私に詰め寄る。

「私にはポートマフィアから抜ける理由がありません。」

「そうですか、ならば仕方ありませんね。」

 男がナイフを振りかざし、突っ込んで来る。

 警鐘は鳴らない。つまり、重傷程のダメージを与える気が向こうにないのか、それとも。

 私でも処理可能な脅威であるということか。

 答えは後者だろう。このまま動かないでいれば勢いそのまま胸に刃が刺さる事になる。

 私はギリギリまで引き付けてそのナイフを躱す。身体を少し反らすだけでその切っ先は空を切り、男はつんのめるような体勢となった。

 その男のナイフを持っている側の手首を右手で掴み、此方に引き寄せてその腹部にブーツの爪先をめり込ませる。ぐう、と唸った男を壁に叩きつけてから、後方待機していた男を見やった。

「……大人しく退却して頂けるなら手荒な真似はしませんが。」

 先程、男が発していた言葉を引用して投げ掛けてみると、ぶるぶるとその男は小刻みに震え、懐から拳銃を抜いた。新品のように綺麗な黒光りする回転式拳銃だった。

 銃口がカタカタと揺れる。サングラスの奥に見える瞳が恐怖に濡れている。それは私に対するものではない。

「……あなたは。」

 この人は人を殺したことがないのだとすぐに理解できた。此処にいるのも自分の意志ではないことも。

 私はホルスターから漆黒の拳銃を抜き、その銃口を男に向けた。

「私はいつでも撃てる。……あなたは?」

「ぼ、ぼぼくっ……!!」

「この引き金を軽く引くだけ。それだけであなたの頭を銃弾で貫くことができる。あなたはそれができる?」

 男の痙攣が激しくなる。空気を求めるように口が忙しなく開閉し、呻くような声を漏らす。

「い、いや、いやだっぼ、くはっ!」

 死にたくないと喚く。恥も外聞もなく頭を抱えて絶叫する。

 彼の中にある彼を支える芯のようなものがバキバキと崩れていくような音が耳の中でこだました、ような気がした。

「精神操作系……?否、これは。」

異能力ではない。だとすると一つ心当たりがあった。

「洗脳。」

 先程倒した男の話を聞く限り、このモントという組織は異能力者の不遇な扱い、またそれらに影響されて発現する自己否定感を利用して勧誘しようとしていたように思える。そのような精神状態にある人間は洗脳により掛かりやすい。そこに恐怖を植え付けたのなら尚更だ。

 つまり、この組織は異能力者を勧誘、洗脳して何らかの目的のために利用しようとしているのだ。

 そしてその目的は。

「戦争……」

私の異能力を推し量ると云っていたのは戦闘で使えるか否かの確認といったところだろう。

 ポートマフィアを非人道的だ、悪の道だと宣いながらその実、異能力者を洗脳し戦争の駒として使う、そんな悪辣な組織だったのだ。

「ぼくは、ぼくはっ、静かにっ普通に、暮らしたかったっそそそれだけっな……!!」

 彼は被害者の一人。どんな異能力かは定かではないが、異能力者だからとありふれた日常を送れなかった、そんな人間なのだろう。
呂律の回らない口で普通に生きたいのだと泣き叫ぶその姿に僅かに憐憫を覚えた。

「私にはどうすることもできない。」

 私に人の人生を如何にかする術はない。

「でも、あなたはまだやり直せる。」

 私は拳銃を降ろした。

「その引き金を引いたらあなたはもう普通には戻れない。あなたの願いは絶対に叶わない。でも、今その銃を降ろせば。」

 まだ彼の洗脳は初期段階だ、と私は思った。

 私なんかの言葉で彼に届くかは分からない。だが、それしか彼が救済される道はない。

 私にとって地獄へ行き、贖罪することが救済であるように。彼にとっては普通に生きることが救済なのだから。

「静かで温かくて光に溢れた場所に行けるかもしれない。」

「あっ……」

「私はあなたにその可能性があると、信じてる。」

 引き金から指が離れた。カランと拳銃が軽い音を立てて落ちる。私は彼に近づいて、拳銃を拾い上げた。回転式拳銃には安全装置がないらしいので悩んだ末、内ポケットに仕舞っておいた。

 男はガクリと力が抜けたように膝を屈した。洗脳から解放されたかは分からないが一先ず無力化には成功したようだ。

 連絡を入れてこの二人を回収して貰った方が良いと考え、携帯電話を手に取った。

 撃鉄が落ちる音が轟いた。

「っ……!!」

頬を掠めた銃弾。鋭利な痛みを伴う裂傷に触れると生温かいものが付着する。

「異能力者は兵器だ!!意志なんて必要ない!!」

 顔面から血をだらだらと流し丁寧だった口調が一変獣の咆哮のように声を荒げる男。その手にある紫煙をたなびかせる銃口が私、ではなく地に屈している彼の額に狙いを定める。

「お前は特に役に立たずだ!!生きている価値すらない!!」

 私はすかさず拳銃を構え、右腕を狙い発砲。雷管が唸り弾丸が右上腕部を貫く。

 しかし、男は衝撃に少し身体をうねらせ、口角を上げるだけで引き金に掛ける手は止まらない。

「死ねぇぇぇっ!!」

 金切り声と共に引き金が引かれる。

 筈だった。

 ぐしゃりと生々しい音が狭い路地に響き渡った。

 それは一瞬の出来事だった。男の身体が無数の黒い刃に貫かれ宙を舞った。断末魔と同時に男のものと思われる血液が雨のように降り注ぎ頬を濡らした。

 こんな残虐な攻撃をする人を私は一人しか知らない。

「何故殺さなかった?」

「……芥川、さん。」

 路地の先に黒い人影が立っている。コホコホと咳をしながら私を見るその瞳は怒りに満ちていた。

「それは、私も人を。」

「殺したことがない。其れが戦場で通用すると。」

 ポートマフィアに入って三年が経った。しかして私は人をこの手で殺したことが一度もない。それは機会に恵まれなかったというだけでなく、ただ人を殺すという覚悟が私にはなかったのかもしれない。

 つまり、この背後にいる男に云ったいつでも撃てるなどの言葉はブラフでしかなかった。

「……この人は、モントというポートマフィアの反乱因子となる可能性がある組織の人間です。尋問をしたならば有益な情報を得られたかもしれません。」

「弱者程理屈を吠え立てる。」

 芥川さんは私に歩み寄る。これは殴られる、と私が身を竦めると案の定芥川さんの手が伸びてきて。

 先程できた擦過傷に触れた。

「傷は此れだけか。」

「……あ、はい。」

「誰に撃たれた。」

「さっき芥川さんが殺した人です。」

「後ろの男は?」

「モントという異能力者保護を騙った組織の被害者です。」

 芥川さんは傷を指で押し付けるように拭いながら頷いた。

「危ないです。」

「何が。」

「……菌が?」

「菌。……知らぬ。」

芥川さんの手は冷たく、触れられた傷はぴりぴりと痺れるような痛みを伴った。

「……多分これくらいならすぐ治ると思うんですが。」

 骨折よりは遥かに速く。

 私が左腕のギプスをちらつかせると、芥川さんは手を離して踵を返した。

「あの、エリス嬢は?」

「回収した。」

「……狙撃手はどうなりましたか?」

「樋口に追わせている。直、報告が来る。」

「樋口さんならきっと大丈夫ですね。安心しました。」

私は拳銃を拳銃嚢に戻して振り向いた。

「少しだけ話を聞かせてください。知っている事を話せばすぐに済むよう私からも便宜を計ってみるので。」

 男はぐっと足に力を入れてふらふらと立ち上がるとありがとう、と小さく口を動かした。

 芥川さんの後方からポートマフィア直属の構成員が五人程現れ、男を支える。その一人にかいつまんで事情を説明し、詳しい話は報告書に纏める旨を伝えた。

事は全て終わった。そんな風に思えた。

「っ……?」

「何だ。」

「いえ、ちょっと……」

キーンと頭を鋭い痛みが走った。

 多重の危機に曝された場合において異能力が発動した時、区別のためかそれぞれ違う音階で警鐘が鳴る。頭の中で警鐘は私の都合など関係なく鳴るため、一時的に三半規管が狂い目眩を生じたり、頭痛、吐き気などをもたらす事がある。

 その時にも似た痛みだった。

 だが、現段階で危機はないように思えるし、警鐘が鳴っている訳でもない。

 健康状態の問題だろうと結論付けて路地から出ていく芥川さんの後ろをついていく。

 途中で芥川さんの携帯電話から電子音が流れる。樋口さん一行が狙撃手を捕縛もしくは始末した連絡だろうか。芥川さんが電話を取り、話し始める。私は二歩手前程で止まって様子を伺っていた。

「……逃げただと?」

 逃げた。
 その言葉に呼応するようにまた頭痛がした。

 同時に何かが迫ってくるような、追い立てられるような感覚に襲われた。

 やり過ごすために思わず天を仰いだ。

その先の煉瓦造りの屋根の上に人影を見た。肩にはライフルバッグらしきものが掛けられていて、手には。

「芥川さんっ!!」

 短機関銃、と思った瞬間に私は地を蹴り、突き飛ばすようにして芥川さんに被さる。直後、激しい連射音共に弾雨が降り注ぐ。煉瓦の道を閃光が散り、無数の銃弾が跳ね上がった。

「っ……!」

無差別攻撃だったためか狙撃程の精度はなく、何発かは手足や身体を掠めたが被弾するには至らなかった。

「芥川さん、大丈夫ですか?」

「……然り。」

 芥川さんが首肯する。とりあえず、防弾チョッキ位の役割は果たせただろうか。ポートマフィアの中に命の優先度があるとするなら芥川さんは上位に位置する。私は正反対の下位に属するため、芥川さんを守るのは当然の事だ。自分が生きているのは二の次だ。

 体重を支えていた右手に痺れがきて、起き上がろうとして私は気付く。芥川さんの顔が凄く近い。少し血色の悪い肌だとか、漆黒の鋭い双眸が至近距離にある。

 というか、他人からすれば私が芥川さんを押し倒しているような構図に見える。

「……すみま」

 すぐに退こうとしたが、芥川さんが半身を起こし、その左腕が私の背に回った。引き寄せられてバランスが崩れ、額をゴツッと芥川さんの薄い胸にぶつけてしまう。

「わっ……」

「《羅生門・顎》」

 芥川さんの外套から黒獣が出現し、空を駆る。そして大きく口を開くと装填を完了し、再度弾丸の雨を降らせようとしていた襲撃者を頭から喰らった。断末魔すらも呑み込み、狙撃手は跡形もなく消滅する。

「あ、芥川さん……」

 私が何か云おうとする前に芥川さんが不機嫌そうに先手を打った。

「貴様の痩躯では銃弾は防げぬ。余計な事はするな。」

 守る必要はない。そう云いたかったのだろう。厳しい視線に気圧されて私は何度も首を縦に振った。

「わ、分かりました。」

 そうすると芥川さんの手が離れたため、私は素早く起立する。一般人も巻き込まれたのであろう。喧騒が広がっている。その隅に私たちの先を行っていた構成員が集まっていた。銃弾を受けた者も多かったようだ。その中にいたモントの被害者である彼も。

 私は芥川さんから離れてその集団に駆け寄る。構成員の黒服の男たちが私を見て道を開けた。

 血溜まりの中に倒れている男がいた。

 助けようとした筈の男だった。

構成員の一人が、血が止まらずに……と覇気のない声で告げた。

「……私は、いつも助けられない。」

 青い月が照らす中、私の声は誰にも届かず消えていった。


傷の手当てをした後敷地内を見回り、事後処理を終えて帰宅する。帰宅してからも報告書をPCで打ち、メールとして送信する。

見回りの際確認したが江戸川さんはどこにもいなかった。今回の事件の被害者リストにもなかったが無事に帰る事ができただろうか。

 あの後、芥川さんは樋口さんと共に帰っていった。樋口さんに今回の件についてお礼を云いに行こうとしたのだが、芥川さんからの叱責を受けたらしく、とても話しかけられる状態ではなかった。また後日にしようと心に決めた。

 PCの電源を切ってベッドに入ろうとした時だった。画面にメールが届いたことを知らせるマークが付いている。開いてみると、報告書の返信メールで、明日本部ビルに来るようにとの旨が記されていた。

 了解と返して電源を切り、ベッドに倒れこむ。疲労感が身体を支配するに対して擦過傷がずきずきと痛む。

 今日もまた眠りは浅くなりそうだ、と考えながら私はそっと目を閉じた。

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