其の三十五

※登場する水族館はモチーフはありますが、あくまで架空の施設です。
※猟犬の人達、未だに話し方が掴めていないので、都度修正していきます。夢主と猟犬の二人の初対面は40000リクエスト企画にて。


 リアレス教団の異能者と接触した件を首領や中原幹部に報告した。あの場所は元々クロがリアレス教団の拠点として挙げていた場所の一つで、正式に部隊を編成し、突入しようと計画していたのだ。私達は其の周囲を巡回しており、其の最中に今回の事件が起きた訳である。其の拠点にはあの蟲が一匹いたのだが、防壁を作ったり、戦闘系の異能者が数人体制で警備をしていたのだが其の防壁を突破し、蟲は此方側の貴重な戦力を容易く蹴散らしたのだった。

「探偵社からは可及的速やかに情報を開示するように求められています。」

「探偵社もリアレス教団による集団自殺の件は耳に入っているだろうからね。情報、と云っても此方側の持っているものも少ないが……」

 首領は顎に手を当て、思考を巡らせているようだった。

「探偵社の名探偵君ならば此の少ない情報から何か導き出せる可能性はある、か。それに太宰君なら我々を頼らずとも今回の事件から独自に調査すれば、リアレス教団の核となる情報まで直ぐに辿り着くことができるだろう。だが、情報を求めているということは協力体制を取りたいのかもしれないね。」

 如何思う?と首領から問われて私は首領の云う通りであることを示すように頷いてみせる。

「協力体制を取りたいのはほぼ間違いないかと。此方としましても探偵社の皆さんと協力できた方が利は大きいかなとは思います。」

「というと?」

「先ず太宰さんの異能無効化が蟲に有効である可能性が極めて高いからです。あの蟲の外装はパンドラと同じ素材であると推測されています。あれは異能により死の恐怖の概念を凝集したもの。つまり、太宰さんの無効化で除去できるのではないかと。」

 首領は笑顔でそうだねと首肯する。穏やかな微笑みではあったが、私は気を引き締めて話を続ける。

「しかし、其の場合太宰さんを主軸とした作戦になるので部隊を見直す必要性が出てくるかと。別の組織の人間を交えた作戦かつ其の人間が主となるなら現在編成されている部隊の人員からの反発も出るかもしれません。」

 更に、と私は首領に資料を差し出した。あの蟲に関する分析結果である。

「先程、外装はパンドラと同じであると云いましたが、実際は二層構造になっていて、下部は対異能者用金属素材でした。此の事から太宰さんは表層部分は無効化できますが蟲自体を止められる訳ではなく、蟲に接近した場合の安全が保証できません。」

「成る程ねえ……だが、太宰君が無効化することができれば、此方の近接戦闘を主とした異能者も動きやすくなる。中也君も能力を遺憾なく発揮できるというものだろう。」

「そうですね。俺としても素で殴り倒せる方が手っ取り早くて助かりますが……歩が云いたいのは、つまり太宰のお守りに人員を割く必要があるということでは?」

 中原幹部の懸念は正解である。外装の死の恐怖や其の硬度自体は無効化により改善されることだろう。触れても廃人になる様なことはなく、戦闘がより効率化することは明白だ。しかし、先程私が云ったように其れをするには太宰さんが触れなければならない。あの蟲に接近しなければならないのだ。しかも無効化したところで蟲が機能を停止する訳でもない。もし接近した際に蟲からの攻撃が来て、果たして太宰さんが対応できるのか。太宰さんが死亡すれば作戦は破綻する。そして、此の作戦は其のリスクが高く、敵も直ぐに太宰さんが作戦の核であるということが分かるために狙いを集中する可能性が高い。

「太宰君のお守りと云えば……」

 首領が中原幹部をちらちら見ている。中原幹部はげんなりした顔をして、本気ですかと覇気のない声で云った。

「歩君はクロ君を、中也君は太宰君を担当するのが最適解じゃないかな。クロ君と中也君が揃うのは過剰戦力だし、太宰君と中也君なら連携も取れるだろうからね。」

「太宰と……連携……」

 心外そうな顔をしつつも分かりましたと中原幹部は承諾した。仕事に私情は挟まない、と自分に云い聞かせているようだった。
 首領も探偵社と協力するという方針で舵取りをするようだ。作戦や部隊の変更をしなければならないが、首領直々の考えならば構成員も何も云わないだろう。

「……探偵社とのことは俺に任せてください。歩も其れで良いか?」

「はい。お手数をお掛けしますがよろしくお願いします。探偵社へと提供する情報は此方でまとめておきます。それと太宰さんには今日中に結論をと伝えてあるので、情報の提供と協力体制のことに関して簡単に連絡しておきます。」

「……ああ、其れで頼む。手前から連絡した方が確実かつ円滑に話が進むからな。」

 中原幹部は確実と円滑を妙に強調して云った。私は苦笑しつつも了承の旨を告げる。

「では、中也君、歩君。反撃の準備が出来次第速やかにリアレス教団を討伐したまえ。指揮及び作戦は君達に一任する。」

 首領の命令に頭を垂れる。リアレス教団を打倒するため、本格的にポートマフィアが始動する。


「首領に怯えなくなったな。」

 首領の執務室から帰還するエレベーターに乗って直ぐに中原幹部がそんなことを云った。

「そんなことは……首領を前にすると緊張しますし、どんな命令が下されるか矢張り不安です。」

 私は肩の力を抜き、詰めていた息を大きく吐き出した。中原幹部は私を見ながら口を開いた。

「前は首領に意見なんて絶対にしなかっただろ。自分の思考は表に出さず、首領の命令には従順な奴だった。」

 そう云われたが今も私のスタンスは大して変わらない、と自分では思っている。首領のことは畏怖を以て接しているし、首領から下された命令には絶対に従う。其れが此の組織で生きるための基本である。

「首領のことを真っ直ぐ見て話してたし、雰囲気が堂々としてて自分に自信があるって感じだった。」

「そう……ですね。拙かったですか?」

「真逆。ますます惚れちまいそうになったくらいだ。」

 中原幹部が私の頭を柔く叩いて笑った。組織には主に従順であるだけでなく諌め良い方向に導ける人材が必要だ、と語った。

「だから首領も手前に今回の作戦の指揮を預けたんだろ。手前なら首領の意志に沿い、かつ最高の戦果を持って帰って来るだろうってな。」

 確かに昔の私のままなら首領は中原幹部の指揮に入るようにと云っていただろう。だが、今回は中原幹部と共に指揮を託された。
 中原幹部の隣に立てる人間に近付くことができたのかもしれない。そう、少しだけ認められたのかもしれない。

「一条や如月……部下ができてから変わったな、手前は。役割や地位が人を変えるってのはよく聞く話だが、増長せずに前を向いて部下に自分の背中見せて、成果を積み重ねていってる。凄え奴だよ。」

 其れを教えてくれたのは中原幹部だ。私は中原幹部の背中を見て、追いかけ続けてきたのだから。でも、中原幹部にそう云って貰えて嬉しい。凄く、嬉しい。其れが顔に出てしまっていたのか、中原幹部が私をまじまじと見ていた。

 背筋を伸ばし、頬の緩みを引き締める。

「増長!していません!」

「ちょっと嬉しそうにしたぐらいで増長したなんて思わねェよ。」

 頬をうりうりと突かれて、そのまましてりゃ良かったのにと中原幹部が残念そうにする。否、仕事場なので顔は引き締めた方が良い。

「張り詰めたままだと精神的にきついだろ。たまには俺を頼って、寄りかかって良いんだからな。」

 エレベーターが止まり、中原幹部は執務室まで私を送ってくれた。其の別れ際、中原幹部の言葉に少し甘えてみることにする。じゃあなと去ろうとする中原幹部の袖をきゅっと捕まえる。

「ん?如何した?」

「ちょっとだけ、」

 其の捕まえた袖の方の腕にくっついてみる。

「やっぱ疲れてんじゃねェのか?」

 そう云って私の前髪をふわふわ撫でる中原幹部に、大丈夫ですと返した。中原幹部の傍にいて、触れて。そうしていると凄く安心する。そして、此れからも中原幹部のためにも、頑張ろうと思えるのだ。

 私が身体を離すと、もう良いのか?と中原幹部が尋ねてくる。

「はい。とても元気が出ました。ありがとうございます。」

「俺としてはもう少し長くても良いくらいだったけどな。」

「余り長いと離れ難くなってしまいますから。此れくらいが私には丁度良いです。」

 仕事に戻りますと頭を下げれば、中原幹部も手を軽く振って今度こそ去っていった。其の背中を見ながら思う。中原幹部との時間を作るためにも、私は私のやるべきことをしよう、と。


 情報整理を終え、太宰さんに連絡すると共に此方側の決定事項も概ね伝えることができた。後の事は中原幹部に任せることにして、私は巡回へと向かう。
 前回の事件現場はポートマフィアの構成員が封鎖しているが今の所動きはない。あのニニという異能者も消息不明であり、蟲はリアレス教団拠点前にはいるものの再度作った防壁の中で大人しくしているようだ。蟲を倒し、あの拠点の内部に侵入できれば良いのだが。其れも準備が終わり次第ということになる。

「あの拠点が蛻の殻だった場合……」

 構成員からの不満は増すだろうか。死者も多く出ており、此処まで苦戦を強いられたにも関わらず得るものが何もなかったとなれば。だが、蟲の討伐、拠点の制圧は必須である。特にあの蟲が野に放たれることは許されない。何も得るものがなかったとしても、其れだけは果たす必要がある。

 早い話、其れを成すだけならクロに任せれば良いのだがそういう訳にもいかない。クロに頼り切りになればクロに万一のことがあった場合、対抗策を失うことになる。故に太宰さんという二の矢、ツヴァイさんと開発中の秘密兵器という三の矢を準備しているのだ。此れ等の矢は未完成に等しい。其の完成のためにも居場所の割れているあの蟲の討伐作戦が重要なのだ。ニニの件もあるし、二の矢、三の矢の完成は必須と云っても良い。組織内に軋轢が生まれたとしても、此れだけは達成する必要があるのだ。
 誰かがあの蟲を倒せるように。其の手段が残せるように。私は動かなければならない。

 そんなことを考えながらヨコハマの街を歩いていると。ふと、目の前を横切っていった人影に目が止まった。

 如何にも軽薄そうな男だったが。
 私の目で見ても、何の色も見えないのだ。光も闇も、何もない。目を擦っても、確認のため周囲を見ても、私の目は正常で。
 参宮さんは高熱で寝込んでいるし、如月さんに聞くのが良いだろうと思い、取り敢えず如月さんにメールをして尾行に移る。如月さんも巡回中だが、気付いたら返事をくれるだろう。
 
 男は途中で女性と合流していた。其の女性は一般人で、男の腕に自分のものを絡めて密着して歩いていた。お付き合いしている、ということなのだろう。私は尾行を継続する。

 と、二人が水族館に入っていくのが見えた。

 私も入ろうとして、ふと気付く。平日の水族館に、白衣を着て、ギターケースに似ているものの狙撃銃が入っているライフルバッグを持ち、たった一人で入る客。
 ……怪しい、だろうか?

 悶々としている間にも二人が離れていく。仕方ない、世間体など気にしている暇はないと足を踏み出そうとした時。

「少しよろしいですか?」

 突然肩に手を置かれて、びくっと肩が跳ねた。しかも其の声の持ち主とは若干なりとも面識があった。悪い意味で、だ。

「お久しぶりです、歩さん。此の様な場所で会うなんて偶然ですね。」

 ゆっくりと振り返ると、今後一生関わりたくない人間が其処にいた。
 柔和な笑顔、閉ざされた瞳。

「猟犬の……っ」

「其処まで怖がられると傷付きますね。」

 軍警最強の特殊部隊、猟犬の一人。

「条野……さん、」

「おや、私、貴女に名乗りましたっけ。」

 肩を掴まれたままだ。今、其の力は強くないが少しでも逃げようとすれば握り潰されそうな気がした。
 私は言葉を慎重に選ぶ。

「あの時……もう一人の方があなたを条野と呼んでいたので。」

「ああ、鐵腸さんですか。」

 条野さんは何故か一瞬苦い顔をした。しかし、直ぐに表情を戻して貴女は此処で何を?と問いかけられる。

「水族館に行こうかな、と。」

「其れは分かりますよ。如何いう目的で、という話です。」

 目的と云われ、考える。流石に本当のことを云う訳にもいかない。如何したものかと辺りを見回し、白い生き物の絵が目に入った。あれは確か……

「す、スナメリを見ようかなあって。」

「此処にいるのはシロイルカですが。」

 シロイルカの方か、とはならない。今はスナメリだろうがシロイルカだろうが何だって良いのだ。

「条野さんこそこんな所で何を……」

「貴女を逮捕しに、」

 条野さんの紡ぐ言葉に心臓が冷えていくのが分かる。如何すれば逃げられるか。条野さんと初めて会った時よりは私は強くなっている……と思う。だが、猟犬と単独で真正面から立ち向かえる程ではない。
 隙を見て、何とか。

「貴女は無表情で何を考えているか分かり辛いと情報にはありましたが、心拍や体温、発汗量などは饒舌なくらいですね。」

 条野さんは私の肩からぱっと手を離した。

「此方も事情がありまして、貴女を逮捕する心算はありません。」

 其の言葉を聞いたからと云って安心できないが、では一体彼は何故此処に、そして私に話し掛けてきたのかという疑念が湧く。

「貴女が追っていた男ですが、異能を用いて多くの一般人から金品などを強奪している可能性が高い。」

「異能を……」

「其れだけなら猟犬の出る案件ではないのですが、軍警の数人が彼を捕まえようとしたところ返り討ちに遭っているらしく、私が駆り出されたという訳でして。其処にたまたま貴女が居合わせていた、其れだけです。」

 あの男が異能者で、しかも猟犬が出る程の実力者なのか。強盗を繰り返す、つまり犯罪者な筈だが私の目には何の反応もない。犯罪者なら闇に染まっているのがほぼ確実なのだが、矢張り無色だ。

「しかし、貴女と此処で会えたのは都合が良い。」

「え……」

 猟犬があの男を追っているなら私はもう尾行の必要がない。ポートマフィアに実害は出ていないし、目が反応していないから気になっただけなのだ。なのに、条野さんは私を逃がす気はないらしい。

「如何です、一緒にシロイルカを見に行きませんか?」

 ……一緒に、シロイルカを?
 条野さんと、ということだろうか。だとしたら私の答えは決まっている。

「い、行かないです。」

「心底厭そうですね。」

「普通に厭ですし、あなたもそうですよね?」

 条野さんはまあそうですが、と前置きしながらも。

「云った筈です。都合が良い、と。男が一人で水族館に潜入となると少し不自然かもしれませんが、貴女と二人で行くならカップルを装えますし……」

「カッ……プル……」

 何故態々猟犬の人とカップルを装って水族館に入らなければならないのか。メリットが一切ないどころか、デメリットの方が圧倒的に多い。

「私、見る人が見ると盲目だと直ぐに分かってしまうようで。そんな人間が一人で水族館というのも不自然な要素の一つと云えます。」

 ですので、と条野さんは私を覗き込む様にして云う。

「貴女には私の目となっていただけたらと。」

「……他を当たってください。」

 本当に勘弁して欲しい。私は手が離れている今がチャンスだとばかりに逃げ出そうとしたのだが、素早く条野さんの手が伸びて、私の腕を強く掴んだ。

「では、こうするのは如何ですか?私に協力していただければ報酬としてリアレス教団の異能者の情報を教えるというのは。」

「リアレス教団の……?」

「はい。実はとっておきがありまして。」

 リアレス教団の情報。とっておき。其の言葉だけで悩む要素になってしまう。リアレス教団の情報は喉から手が出る程欲しいのだ。
 だが、悩ませてくれないのが此の男、条野さんだった。

「こうして話している間にも彼が離れてしまいそうですね。行きましょう。」

「ま、待ってください!ま、っ、あああ……」

 腕を引かれ、引き摺り込まれる様にして私は水族館の中に条野さんと二人で入ることになってしまったのだった。因みに入館料は条野さんが払ってくれた。


 実は此の水族館に来たのは初めてではない。小学生の頃、遠足で訪れたことがある。其の頃の面影もあれば新設された場所もあり、新鮮な気持ちで見ることができている。

「歩さん、此の水槽に何がいるか教えていただいても?」

 条野さんとでなければ、より楽しむことに集中できたのかもしれない。一方で条野さんは終始楽しそうに私に話し掛けてくる。

「ダイオウグソクムシですね。」

「ダイオウ……何です?」

「海にいるダンゴムシみたいな生き物です。体長は30センチくらいですね。」

「ダンゴムシですか……」

 アクリルガラスに隔てられていることもあって、聴覚などにより空間を認識している条野さんには水槽の中の様子を把握することが少し難しいようである。私の目となっていただけたらと、と彼は云ったが、私は実際其の様な役割になっている。紹介文を読んだり、其の生物の見た目を説明したり、そんな感じだ。

「あの……聞いても良いですか?」

「答えられる質問であれば解答しますが。」

「今追っている男は……如何いった異能力を持っているんですか?」

 条野さんは一瞬気の抜けた顔をした。そっちですかと呟く。私が駄目ですか?と尋ねると。

「いえ。もっと別の質問をされるのかと思っていたので拍子抜けしまして……」

 別の質問。少し考えてみるが特に思い付かない。私が首を傾けると、条野さんは小さく吐息を溢した。

「貴女が其れで良いなら良いですけど。で、あの男の異能でしたっけ。」

 条野さんは足を止めて、声を低めて云った。

「対象となった人物が持っている任意の物体を一つ、自分の手に移動させることができる。其れが彼の異能です。」

「……本当にそういうことに向いている異能なんですね。」

 条野さんは其の通りですと首を縦に振った。

「手に収まるものならば何でも盗み取ることができる上、彼が其の人間が其の物体を持っているという確信さえあれば異能を使用できるそうですよ。」

「視認できなくても、確信さえあれば……なんですね。」

 戦術によっては銃などを奪い相手の手札を減らしつつ自分の攻撃手段を増やす、そんな戦い方もできるだろう。確信さえあればということなら相手が隠し持っている切り札の様な武器を盗めば、其れだけでも戦場で混乱を招くことができる。そういう意味では厄介な異能と云える。

「貴女も大事なものは盗まれないように気を付けてください。」

 条野さんが私の方を向いて微笑んだ。恐らく私が持っているKirschblüte001やニ丁の拳銃などのことだろう。どちらも絶対に他人に渡す訳にはいかないものだ。

「分かりました。教えてくださってありがとうございます。」

「私も一つ伺いたいのですが、何故歩さんは彼を尾行していたんです?」

「……目が、」

 此れはもう隠している必要もないだろう。私は男について説明する。私の目が彼に対して何の色も示さなかった。其れが何を意味するのか気になって此処まで来た。条野さんの情報からも彼は犯罪者であり、そうであるなら其れなりの闇が見える筈なのに。
 そう話すと、条野さんは考える素振りを見せた。

「……そうですか。私が見るに彼は異能に多少の心得があるといった程度で、其れ以外に特異なものは感じませんが。」

 私も此れまで尾行したが特別何か変わったところは感じない。此れまで何も見えなかったということがなかったため気にし過ぎてしまったのかもしれない。

「ですが、心には留めておきます。そういった違和感は重要な場合があるんですよ。」

「私の云うこと、信じて良いんですか?」

「……貴女、自分が嘘をつけない人間という自覚がない?」

 心底呆れた顔をされる。流石に条野さんが云う程ではないと思うのだ。普通の人は心音から虚言の有無を捉えるなどしない。もし仮にしたとしても表情の機微から伺うくらいだろう。

「確かに人間は視覚に頼りがちですし、基本無表情らしい貴女が嘘をついても見抜けない人の方が多いんでしょうね。……ということは、私しか貴女の嘘は見抜けない、と。」

「否、そんなことはないですけど。」

「滅茶苦茶食い気味に否定するじゃないですか。」

 条野さんは笑って、歩みを進めていく。
 そうしてトンネル状になった水槽の前に立った時、条野さんは私の名を呼んだ。また水槽の中にいる生物の説明を求められているのかと思い、何がいるかと探していると。

「以前も話しましたが、猟犬に入る気はないですか?」

 以前。確かに前に会った時も私を猟犬に勧誘しようとしていた。其の時は冗談だと思っていたのだが、今回は割と本気らしい、ということが表情から分かった。

「貴女は今の猟犬に必要な人材だと思うんです。あの面子の中にいると貴女は癒やし枠になると云いますか。」

「癒やし枠……」

「女神にすら見えるかもしれません。」

 そんな酷い仕事場なのか。あと、勧誘するなら其れは伏せておくべきなんじゃないだろうか。そういえば、もう一人の人と相性が悪そうだったか。条野さんはもしかしたら人間関係に悩みを抱えているのかもしれない。だからと云って私を勧誘するのも如何かと思うのだが。

「貴女は日の下を堂々と歩きたいと思わないのですか?」

 条野さんの問いに私は目を伏せた。此れまでの色々な出来事が一瞬で頭を巡る。

「少し前に思ったことはあります。揺らいだこともあります。……でも、今は思いません。」

「其れは……何故です?」

「好きな人と同じ場所に立っていたいので。」

 私が前を向いて強くそう宣言すれば、条野さんはハハと乾いた笑みを浮かべた。

「ますます貴女がポートマフィアにいる理由が分からなくなりましたよ。純粋で、真面目で、思慮深くもある。本当に勿体ない。……好きな人がいるからって其処までできます?」

「好きな人ができたら分かるんじゃないですか。」

「私に経験がないみたいな云い方をしないでいただきたい。」

 余計なお世話ですと顔を顰めた条野さんは先に行ってしまった。私は其の背中に思わず笑みを零しつつ後を追いかけた。

 シロイルカを見ませんかと誘われ、男を尾行しつつ水族館を回った結果、1時間以上の時が経って漸くシロイルカの元に来た。

「シロイルカ、事前に申し込みしていないと触れないそうです。」

「触りたかったですか?」

「其処までではないですけど、どういう触り心地かは気になりますね。ぷよぷよしているのか、つるつるしているのか。」

 条野さんは何とも云えない顔をして私の方を向いた後、直ぐにシロイルカに顔の向きを戻した。

「シロイルカというからには白いんでしょうね。」

 そんなの当たり前のことだと誰もが云うだろう。見たら分かるからだ。だが、条野さんには分からない。白、が何かも分からないかもしれない。

「……歩さん、同情なら必要ありませんよ。」

 視覚が無くても此の様に生きていけますし、と条野さんは語った。そうなのかもしれない。条野さんはそうして生きてきたのだから。

「……そうですよね、すみません。」

 私が小さく謝罪すると、条野さんは特に何も言及することなく、二人が移動したこともあってか歩みを再開するのだった。

 そうして尾行していた二人は最後にショップを訪れた。今の所男に怪しい動きはない。一般的な逢引と考えて差し支えない程だ。条野さんとしては現行犯で逮捕したいところだろうが。

「記念に何か買いますか。」

「シロイルカのぬいぐるみありますよ。」

「私がぬいぐるみを?冗談ですよね?」

「?可愛いですよ、ぬいぐるみ。記念にもなると思います。」

 私がどうぞと渡すと、条野さんはえぇっ……と引き気味にしつつもシロイルカのぬいぐるみを手に取った。さわさわ撫でたり、顔を摘んだりしている。絵面が少し面白い。

「……歩さん、面白がってません?」

「面白がってません。」

「私が分からないとでも。」

 条野さんは私にぬいぐるみを押し付けた。私が其れを棚に戻そうとすると怪訝な顔をして、買わないんですかと云った。

「此処なら個人的に来れない距離でもないですから。」

「其れもそうですね。」

「でも、折角来たのでお菓子か何かを買おうかなと。」

「お土産ですか。良いですね。私もあの人達が喜んでくれるなら購入して帰るんですけど。」

 私はそんな条野さんの話を聞きながら、一条さんの珈琲に合いそうなかつ水族館に来たという証になりそうなものを見繕う。ただ此れを持って帰ると、見回りに行った筈なのに水族館で遊んで来たのかと怒られそうである。そうしてお菓子をカゴの中に入れて、他のものも見ていると女の子がシロイルカのぬいぐるみを持って走っているのが視界に入った。両親と来ていたのだろう、父親に抱えられきゃっきゃと笑っているのが可愛らしい。其れを横目に会計を済ませ、尾行していた二人がショップを出たので更に後を追う。

 すると、男と共にいる女性が突然、

「あ、私、買いたいものがあったの。すっかり忘れてた。」

「マジでいきなりじゃん。何、どれ?」

「シロイルカのぬいぐるみ。妹が欲しいって。」

 男があー、あれねと呟いた。其の瞬間、厭な予感がした。女性が買ってくると云うのを制し、男は笑った。

「戻らなくて良いって。ほら。」

 次の瞬間、男の手にはシロイルカのぬいぐるみがあった。そして、背後であの女の子の泣き声も聞こえてきた。いなくなっちゃったと叫ぶ声。振り返らなくても状況が分かる。

「此れで良いだろ?」

「え、すごーい!如何やったの?手品?」

「そんなもん。」

 二人は手を繋いで、聞こえている筈の女の子の声を無視して行ってしまう。女の子の泣き声が私の鼓膜から脳に直接刺さる様に響き渡っている。

「歩さん!」

 私はいつの間にかほぼ無意識で駆け出し、男のぬいぐるみを持っている方の手を掴んでいた。条野さんの焦った声が聞こえるが、私は止まらなかった。

「返してください。」

 私の言葉にあ?と男が苛立ち混じりの声を返した。

「聞こえませんでしたか?あの女の子に返してくださいと云ってるんです。」

「何だよ、お前。いきなり現れて変な云い掛かり付けてくんなよ。」

「云い掛かりじゃありません。其れはあの女の子のものです。其れに店員さんに聞けばあなた方が何を購入したかなど直ぐに分かりますし、監視カメラもありますからあなたがどのようにして其のぬいぐるみを手に入れたのかも明らかになることでしょう。」

 男が舌打ちをして私をじろじろと睨め付ける。そして、顔を明るくして笑みを浮かべたのだ。

「俺、お前のこと知ってるよ。反社の幹部じゃねえか。俺なんかよりよっぽど悪事働いてる癖に正義語ってんじゃねえよ。」

 男が得意気にそんなことを云う。しかし、私の心は完全に冷え切っていた。

「ポートマフィアには子どものものを盗んでまで見栄を張ろうとする人間は一人もいません。」

 男の顔がかっと赤く染まる。ばっと私が掴んでいた手を振り払って、ぬいぐるみを地面に叩き付けると私の顔に向かって拳を振るった。避けられるスピードではあったが、敢えて受けた。其処までダメージはない。精々頬が少し赤くなった程度だろう。周囲から悲鳴が上がったが、男はコイツ犯罪者だぞと自分を正当化する様に叫び、更に拳を振りかぶった。流石に其れを受ける心算は此方にはない。少しの動作で躱して、前のめりになった男の足を払った。べしゃりと地面に男が倒れ込んだ。沈黙が流れた。

 此の人、軍警を相手にしていたのではなかったか。余りにも呆気ない結末だった。

「私!関係ないからっ!ちょっと遊びで付き合ってあげてただけだし、何も知らないから!」

 沈黙を破ったのは男と交際していた筈の女性だった。知らない知らないと連呼し、そそくさと其の場を離れていった。代わりに近付いてきたのは条野さんだった。
 条野さんは綺麗な笑顔を見せて、男に手錠を掛けた。男が驚愕に目を見開く。

「貴方には分かっているだけで20件以上の窃盗、公務執行妨害、傷害の容疑が掛けられています。」

「くそっ……」

「好き放題盗んで暴れてさぞ楽しかったでしょう。そろそろ休憩しては如何です?場所は当然刑務所の中にはなりますが。」

 男は俯いた。諦めたのかと思ったが、私の目は別のものを映していた。先程まで何も見えなかった男から闇が噴出し始める。私は其れを見て驚きの余り上擦った声が出た。

「此の色、リアレス教団の……っ」

 条野さんが私の声に男を押さえる力を強めた。が、男は口を大きく開け、声を張り上げた。

「教祖様、お助けください!!神に与えられし力で、俺に救済を!!」

 其の時、突如として足元の地面に穴が開いた。条野さんと私、そして男を落とすのに十分な大きさだった。前触れなく形成された穴に、避けることもできず落下していく。

「歩さん!此の穴の最終地点は恐らく水中です!」

「え、」

「此の穴は如何いう理屈か海に繋がっています。あと数秒もすれば水中でしょう。私は此の男を……歩さん?心拍が異常に速いですが、何か?」

「私、あの……」

 出口が近いのかごぼりと水の音がした。

「泳げ、ない……」

「はぁ!?」

 条野さんの今日一番の大声を聞いた瞬間、私達は水に落ちていた。矢張り海水ではあったが、かなり深い場所らしい。上を見るが海面がかなり遠い。……否、自分が沈んでいるのかもしれない。条野さんは男を捕まえたまま上方に向かっている。条野さんが此方を向いて何か唇を動かしている。直ぐに助けに行きますと云っている様な気がするものの、違うかもしれない。このまま沈んだ方が条野さん的には好都合だろう。

 因みに私が泳げないのは小さい頃からである。どれだけ練習しても何故かできない。私は基本的に器用貧乏の部類で、練習したり慣れたりすればある程度のことは何でもできる代わりにプロフェッショナルになることはない。が、水泳は如何しても駄目だ。何故か身体が沈んでいく。此ればかりは如何しようもない。

 そんなことを考えつつ、そろそろ息を止めているのが厳しくなっていた頃。

 どっと背中を衝撃が貫いた。かはと思わず息を吐き出し、一気に呼吸困難になる。敵からの攻撃かと目を向ければ、刀の切っ先が刺さっていた。刀は海面方向に伸びており、其の刀身が一気に縮むことで私は海から引き上げられた。かなり強引な救出であった。

「鐵腸さん……歩さんを傷付けるなとあれほど云ったのに。まあ貴方があ、とか云った瞬間に察しましたけどね!」

「水中のことは流石に分からない。」

「だから私が正確な位置を誘導していたんでしょうが!」

 刀が元の長さに戻った頃には私は浜にずしゃと落とされていた。背中の傷はなかなかに深かったらしく血が止まっていないようだ。飲んだ海水に咳き込みつつ、止血だけはしようと起き上がる。別に痛くはないが失血が多過ぎると今後の行動に差し障る。ただ背中なのでなかなか難しい。白衣を脱いだりしていると、条野さんが来て手伝いますと焦った様子で云った。

「すみません、貴女に怪我を負わせる心算はなかったんです。」

「いえ、助けてくださっただけでありがたいです。あと少しで死ぬところだったので。」

 懐に入れていた包帯は濡れていたが止血だけなら十分だろうと条野さんに手渡す。条野さんは手早く処置をしてくれ、鐵腸さんと呼ばれている人に上着くらい貸したら如何ですかと鋭く云った。鐵腸さんは私を見下ろし、上着をばさりと私の肩に掛けた。

「何かその……すみません、ありがとうございます。」

「気にするな。」

「気にするなとかどの口が云ってるんです?」

 図に乗るなと条野さんは鐵腸さんを足蹴にしていた。二人は相性が悪いのかと思っていたのだが、そうではないらしい。気の置けない仲、と云うのだろうか。

「歩さん、何か微笑ましいとか思ってません?やめていただいても?本当に此の男には死んで欲しいんですよ!」

「もしかして……条野さんはツンデレなんですか。」

「違います!」

「成る程、条野はツンデレだったか……」

「違う!便乗するな!」

 条野さんは更に鐵腸さんを数度蹴った。鐵腸さんは特に意に介していないようだった。
 条野さんは咳払いを一つして、歩さん、と真面目な顔で私を呼んだ。

「此方の男の身柄は軍警が預かります。リアレス教団に関わりがあるようですが……」

 鐵腸さんが首根っこを掴んでいる男は意識を失っていた。

「いえ。そちらの被害が大きい以上、判断はお任せします。それに、其の人は法の下で裁かれるべきかと。」

 私の言葉に鐵腸さんが眉を少し動かした。其の視線から法で裁かれるべきは私も同じかと何となく思った。

「分かりました。では、時間もありませんので手短に報酬の件を……」

 条野さんが言葉を途切れさせ、顔を別の方に向けた。鐵腸さんも条野さんが顔を向けた方へ視線を移す。私もそちらを見てみれば何かが風を切って此方に飛んできていた。

「あれは……」

 如月さんの大剣だ。鐵腸さんが軍刀を抜き、高速で突進してきた大剣を交錯する様な形で止めてみせた。

「歩に何してやがんだ、アンタ等!!」

 如月さんの姿も直ぐに視界に入った。其の顔は此れ以上ない程に怒りに満ちている。大剣が其の怒りに呼応する様に回転し、上空から打ち下ろすように攻撃を再開する。鐵腸さんは其れを難なくあしらっているが、其の間に如月さんが私のところまで滑り込むように駆けてきて、私の肩を抱いた。

「公僕の分際で歩に寄って集りやがって!!」

「如月さん、誤解です。私は二人に助けていただいて……」

「歩、庇う必要なんてない。コイツ等は警察なんだ。アタシ達捕まえたら給料上がるわ地位上がるわで此方のこと人間とすら思ってねえ様な奴等なんだよ。」

 しかも!と如月さんは私をひしと抱き締めて云った。

「歩がこんなずぶ濡れな挙げ句、服もはだけてんじゃねえか!警察の癖に、歩を。……やっぱ殺す!」

「本当に違うんです、如月さん。条野さんに止血を手伝っていただいて……」

 私が必死に弁明するも如月さんが止血?と私を見た。低い声音で何処、と尋ねられて背中と素直に答える。

「は?誰にやられたんだよ。」

「不可抗力というか……」

 私が何とか云い訳しようと考えていると、鐵腸さんが挙手した。厭な予感しかしない。

「俺だ。」

「は?」

「俺が彼女を刺した。」

 何故か気温が低下したような気がした。

「っざけんな!!ぶっ殺してやる!!」

 如月さんが殺意を露わにして再び鐵腸さんに大剣を突き付けた。如月さんと鐵腸さんが戦闘している中、条野さんが此れ幸いにと私に報酬の話をし始めた。

「リアレス教団の情報を、ということでしたよね。」

「はい、でも良いんですか?私に教えて……」

「そういう約束でしたし、此方としましてはリアレス教団には余り干渉せず、そちらと教団が戦力を削り合ってくれたら良いなと。」

 政府の魂胆が分かった気がするが、此方としても下手に関わって欲しくもない。ただ今回の強奪異能の男がリアレス教団に所属していたというのはイレギュラーだと思って良いのだろう。

「分かりました。それで、如何いう情報なんですか?」

「リアレス教団には教祖が存在します。」

 教団というからにはそうだろうとは思っていたが、何せ表舞台に出てこない。情報も全くと云って良いほどないのだ。
 そういえば先程、男が教祖様と叫んでいたかと思いつつ条野さんの話の続きを聞く態勢に入る。

「リアレス教団の教祖は……Gと名乗る人物です。」

「G……ですか?」

 偽名というか、呼称というか。余り参考にならない様な気がするのだが、条野さんの顔は真剣そのもので言及ができない。Gが本名だとでも云うのだろうか。真逆。
 と、剣戟の音が鳴り止んだ。

「G……?」

 如月さんが条野さんを注視する。

「本気で云ってんの?」

「本気も何も事実を伝えているだけですが。」

 如月さんは次に私を見た。戸惑いの色が表情に表れている。如何したんですかと私が問うと如月さんは肩をびくりと震わせた。何か、あったのだろうか。Gという人は如月さんと関わりがあるのだろうか。如月さんは大剣を抱え、震える唇を開いた。

「歩は……もう分かってるよな?リアレス教団がアタシ達に関わりがあるって……」

「……そうですね。」 

 私のことをG-15と呼ぶ彼等は、研究所にいた頃のことを概ね把握しているのだろう。如月さんはそうだよなと肩を落としたが、何かを決意したのか顔を上げた。

「隠し通せないから云うよ、歩。Gってのは恐らく……」

 如月さんは真っ直ぐ私の目を見て告げた。

「遺伝子的には歩の……父親に当たる奴だ。」

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