其の三十六

 最後の方の人、口調迷子。掴めたら修正します。

「リアレス教団の制圧作戦か……なかなか厳しいと思うけど上手くいくと良いね。勿論、此方としても援助を惜しむ心算はないから。」

 双見さんの言葉に私は感謝を返した。双見さんはリアレス教団のことで本当にお世話になっている。資金面でも、情報面でもだ。本社も破壊され、従業員も殺され、そんな中前を向いて、しかも此方の援助までするというのは本当に凄いことだと思う。

「ありがとうございます。双見さんがいてくださって、本当に心強いです。」

「……否、僕は何もしてないよ。それに、隠し事もしていたし。」

 双見さんはリアレス教団が、私や如月さん、参宮さんがいた研究所と関連性があると気付いていたのだという。

「何せ、僕はF-09だからね。」

 双見さんは、努めて冷静な声音でそう云った。F-09、其れはあの研究所で生まれた子どもに付けられたコードであった。しかも、そのコードには他にも意味がある。

「此の実験では父親と母親にも識別コードが振られていた。父親にはアルファベット、母親には数字。つまり、僕は父親Fと母親09から生まれた子ども。スキールニル……瑠衣とは異母兄弟ということになるかな。」

 だから、双見さんは如月さんを気に掛けていたのである。援助の理由も、如月さんを助けたいという気持ちが大きいのだ。

「僕や……歩さん、君もそうだね。僕達は、研究の効率面から胎外で培養され、産み出された子どもだ。異能力がなければ直ぐにでも処分されていただろう。でも、きちんと母体から生まれたあの子が処分されない訳でもない。異能力を持たないあの子も不必要だといつも云われていた。僕は……あの子に生きて欲しかっただけなんだ。」

 双見さんはそうして異能を如月さんに託し、自分は逃亡したのだと云う。

「あの子を戦禍に巻き込んでしまった訳だけど死ぬよりはずっと良い。今は……楽しそうだしね。」

 歩さんのおかげだねと苦笑を漏らす双見さんにそんなことないですよと首を振る。如月さんが今を楽しめているのは私だけの力ではない。一条さんや参宮さん、クロがいてこそなのだと思う。

「双見さんは、如月さんとは会わないんですか?」

「うん、話したいことは別れる時に全部話したから。」

「今日、焼肉に行くんですけど……」

 双見さんは私の言葉にきょとんとした顔をした後、ハハと楽しそうに笑った。

「良いね。皆で焼肉かあ。本当に楽しそうだ。其の中に僕が入るのは申し訳ないし……遠慮しておくよ。楽しんできて。」

「そうですか……分かりました。其れではまた伺います。」

「次は勝利の報告を期待しているよ。君達が一人たりとも欠けることなくね。」

 私は勿論ですと宣言し、頭を下げた。其の後、双見さんと別れ、外に出ると黒い外車が停まっていた。

「歩、誘えたか?」

「忙しいようで、難しいそうです。」

 外車から降りてきた如月さんはふうんと興味なさそうに云った。

「まあ、アタシは其の双見?って奴には会ったことないし、仲間内の方が騒げるしな。」

「そう……ですね。」

 私は何とも云い様がなく、曖昧な返事をすることしかできなかった。双見さんのことを考えると、少しだけ胸が痛む。此処まで大切に想っているのに其れは一方通行なままなのだ。

「歩、車乗ろうぜ。皆、待ってる!」

 焼肉!焼肉!とはしゃぐ如月さんと車に乗り込んだ。後部座席には私、如月さん、そしてツヴァイ。運転席に一条さん、助手席に参宮さんというメンバーだ。クロは先に行き、席を取るのだそうだ。

「焼肉なんて……服が臭くなるじゃない。」

 ツヴァイが腕を組んで文句を云うが、如月さんがしょうがないだろと声を上げた。
 
「焼肉か寿司かじゃんけんで決めただろ!文句云うんじゃねえよ。」

「だって、歩の奢りでしょ!回らないお寿司を山ほど食べたって何も云われないんでしょ!」

「焼肉だってどんな高級部位食っても良いんだから良いじゃんか!」

「わたしはあなたと違ってそんなにお肉食べれないの!男子高校生じゃあるまいし……」

「アタシは男子じゃない!」

 運転席側に座っていたのが良くなかったのだろうか。真ん中と助手席側の二人が喧嘩を始めた。助手席にいる参宮さんは耳を塞いでしまっている。

「ボクの快気祝いなのにさあ……」

「参宮さんが何でも良いなんて云うからですよ。」

「我が強い女の子が一人うちにいるから如何せボクの意見は通らないかなって思って。そうしたら……二人に増えてたよね。うん。」

 参宮さんがそうぼやくと、一条さんは小さく笑った。何、と参宮さんが怪訝な顔をすると。

「いえ、参宮さんは優しい方だなと改めて思っただけです。」

「うわ、何それ。褒めても何もでないけど!?札か通帳しか出ないけど!?」

「出さないでください。」 

 そんなやり取りを聞きながら、私は車窓の外を見ていた。参宮さんはあの戦闘での無理が祟り、高熱を出して寝込んでいた。其の間にリアレス教団との作戦が決まり、今日は参宮さんの快気祝いと制圧作戦の決起集会を兼ねて焼肉に行くことに決定した。こういう時は上司が奢るものだ。中原幹部も私をよくそうして食事に連れ出してくれた。
 昼から焼肉というのもなかなかだが、夜にはそれぞれ仕事が控えている。

 少しでも此の食事会が皆の力になればと思う。そして、作戦の成功に繋がれば云うことはない。


 一方、同時刻、中也はエリスに随行し喫茶店に来ていた。此処の新作のケーキが食べたいのだ、とエリスが森に強請ったのだが、森は外せない仕事があり、代わりに中也が傍に控えることになったのだ。
 此の喫茶店はスイーツに特に拘っているらしくガラスケースの中に並べられたケーキにエリスはきらきらと表情を輝かせて張り付いている。

「エリス嬢、何にするか決まりましたか?」

「とっても難しいわ。種類が沢山あって、どれも美味しそうなのよ!」

「ゆっくり決めてください。此方で食べても構いませんし、持ち帰りも可能なようですから。」

 エリスはそうね、と呟いた。中也としては金銭については気にする必要もないので好きな分だけ買えば良いのではと思うのだが、エリスは確りしているところがあるので値段や量など気になる要素があるのかもしれない。
 エリスは悩みに悩んで、喫茶店の食事スペースで一つ、持ち帰りとして三つのケーキを選んだ。

「チュウヤも歩に何かお土産は如何?」

 中也は良いですね、と賛同してエリスと同様にガラスケースに視線を向ける。歩は最近になって食事をまともに摂るようになった。だから、正直中也にも好きなものが分からない。何なら本人もよく分かっていないことだろう。甘いものを食べている姿も余り見られない。
 何を買っていけば良いか。中也が暫く悩んでいると、エリスが中也を覗き込んだ。

「チュウヤ?」

「……あぁ、すみません、エリス嬢。お待たせてしまって。」

「ううん、良いの。アタシも歩へのケーキ、選んでも良い?」

「勿論です。歩も喜びます。」

 中也とエリスは歩の話をしながら、ケーキを選んでいった。少し量は多くなったが、部下も増えたことだし残れば彼等が消費してくれることだろう。

 其の後、二人は食事スペースに向かい、エリスは選んだケーキとジュースを、中也は珈琲を楽しんでいた。人気店ではあったが、繁忙時ではないのか人は少ない。穏やかなクラシックが流れる中、エリスと中也が近況を話していた時だった。
 カタンと中也の向かい側の椅子が動いた。中也は反射的に視線を移す。エリスと話していたとはいえ、警戒は怠っていなかった筈だ。なのに、其処には……

「こんにちは。此処は空いているかしら。」

 空席なんて他に幾らでもある。中也はそう思ったが口には出せなかった。
 眼前にいるのはエリスと同年くらいの愛らしい少女。短く切り揃えられた黒髪、白い肌、何より特徴的なのはまるで地球を内包したかのような色を持つ大きな瞳だった。中也は其の瞳に何故か引きずり込まれそうになる感覚を覚えた。拙いと思い、椅子の肘掛けを掴む。掴んだ手が震えるのを堪え、中也は少女を睨んだ。

「手前……何者だ。」

「やだ、そんなに敵意を向けないで。素敵な顔が台無しよ?」

 少女は椅子に腰掛けた。中也を其の異質な瞳で見詰める。

「私はお話をしに来ただけ。あの子がどんな男の子に恋をしたのかと思って。」

 少女はテーブルに肘をつき、頬を手に載せて楽しそうに云う。

「ねえ、あなたはあの子のこと好き?愛し合っているの?」

「何を云って……」

「ゴミでしかなかったあの子も漸く価値が生まれたのね。」

 あの子。あの子とは誰だ。否、知っている。中也は少女の云うあの子の存在を知っている。自分の一番大事な彼女を思い出す。中也の中で怒りが沸き上がる。なのに、身体が動かない。

「手前……っ!!」

「G-15。私の産み出した最低最悪の欠陥品。廃棄されるべき異物。あの子は私の望みを叶えられなかった。それどころかあの男の意のままに操られて災厄を振り撒き続ける。」

 ねえ、と少女は微笑む。

「あんな気持ちの悪い生き物の何処に好く要素があったの?私に教えて?」


「お嬢様、食べたいものがあれば何でも仰ってください。俺が注文しますので。」

「一条颯、貴方は運転しているのですから疲れているでしょう。マスターのお世話は全てワタシにお任せください。マスターも其れでよろしいですよね?」

「此の程度で疲れを感じていてはお嬢様の傍にいる資格などありませんよ。お嬢様のことは俺に任せてクロは火加減の調整でもしていては如何ですか?」

 私を挟んで二人が喧嘩を始める。私はオレンジジュースを飲みながら交互に二人を見た。車の中では如月さんとツヴァイが、此方では一条さんとクロが。個々のスキルは申し分ないのだが、それぞれの相性は余り良くないのかもしれない。作戦で組む時に調整が必要だろうかと思いながら冷えたオレンジジュースを喉に流し込む。

「お嬢様、お肉が良い感じに焼けましたよ。」

「一条颯、抜け駆けは……!」

 一条さんがクロよりも早く焼けている肉をトングで取……ろうとして、別のトングに遮られた。

「は?何処が良い感じなの?」

 其のトングを持っていたのはツヴァイだった。ツヴァイは一条さんを据わった目で凝視する。

「で、何処が良いの?」

「……一般的な観点からして程良く焼き上がっているかと。」

 ツヴァイの剣幕に一条さんの声が小さくなる。クロも訝しむ様にツヴァイを見た。

「分かってない。あなた達はなーんにも分かってない!本当にお肉が可哀想。他の野菜達もよ。乱雑に網に置かれて好き勝手な焼き加減で……クロ、あなたのせいで焦げているのもある。」

 そんなことが許されると思う?とツヴァイは拳を握り締めて云った。一条さんとクロはいえ……とツヴァイに気圧されていた。

「今から此のお肉と野菜はわたしが育てます。あなた達はわたしがよし!と云うまで黙って見ていなさい。」

 一条さんとクロがしゅんと肩を縮こまらせ、はいと頷いた。其処からはツヴァイの独壇場で、肉と野菜がバランス良く全員に行き渡るように配分されていく。ツヴァイは焼肉が嫌いという訳でなくこだわりが強過ぎるようだった。そんな中、相性が悪い筈の如月さんはツヴァイに対し言及はしなかった。黙々と皿に入った肉と野菜を食べていく。参宮さんは肉を食べたり、私をちらっと見たりというちょっと不思議な行動を繰り返していた。私が首を傾げると、参宮さんは慌てた様子で、

「ツヴァイさん!歩に追加の肉お願いします!」

「云われなくても入れてるから。」

「ですよね!ごめんなさい!」

 私はそんな様子に気になって参宮さん如何かしたんですか?と尋ねてみる。参宮さんはえ!?と目を大きく見開くといやぁと其の目を泳がせる。すると、如月さんが代弁するように云った。

「トールが歩に聞きたいことがあるんだと。」

「いや、いやいや違うよ!何でもないから!」

「こういう場だからこそ聞けるプライベートな話を聞きたいらしいぜ。」

「違うって云ってるんだけど!!糞莫迦スキールニル!!」

 如月さんは叫ぶ参宮さんを余所にまた肉と野菜に視線を戻した。一方の参宮さんは顔を真っ赤にして、違うんだよと呟いた。

「その……推しの情報をちょっとでも多く集めたかっただけで……あわよくば、好きなものとか聞いておいて貢いだりとか……」

「貢ぐとかは要らないですけど……何か聞きたいことがあるなら全然答えますよ?」

 私がそう云うと、本当!?と参宮さんが目を輝かせる。更に紙とペンを取り出して私の方に前のめりに尋ねてくる。

「じゃ、じゃあ好きな食べ物は?」

「カレーです。」

「趣味は?」

「趣味……と呼べるかは分かりませんが、バイクに乗ったり、釣りをしたりするのは好きです。」

「嫌いなものとかある?」

「虫や両生類はちょっと苦手です。」

「座右の銘は?」

「戒驕戒躁です。」

 参宮さんが物凄い勢いで私の解答を書き込んでいく。こんな簡単なことくらいいつでも答えるのに。

「あのさ、此れは割と真剣で率直な疑問なんだけど……」

「……はい?」

「歩は如何してポートマフィアに入ったの。」

「あの頃の自分は死に場所を求めていたので……」

 参宮さんはそうじゃなくて、と首を振った。

「如何してポートマフィアなのかが知りたいんだ。死に場所を求めていたのならどんな組織でも良かっただろうし……」

「そう、ですね……」

 ちりちりとあの時の記憶が頭の中で浮上してくる。あれは私の運命が変わった出会いであることは間違いなかった。あの出会いがなければ私はその時大切な人もいなかったこともあり、野垂れ死んでいたかもしれない。
 そして、あの時の選択によって私は此処まで来た。もし違う選択をしていたら私は中原幹部と会うどころか敵同士だった可能性もある。
 私は其の記憶を頭の引き出しの中に押し戻して答えた。

「随分前の話です。もう、忘れてしまいました。」

「え、ぁ、そう……?」

 参宮さんは怪訝そうな顔をしていたが、私は他に質問はないんですか?と話題を変えた。それからも参宮さんからの質問に答えていったが、誰も私のポートマフィアに入った理由を其れ以上言及する人はおらず、私は少し救われた気持ちになったのだった。


「気持ちの悪い生き物だと……手前、本気で云ってやがるのか。」

「私はいつだって本気よ。だってあの子は人間じゃない。私の欲しかったものじゃない。悪魔?死神?怪物?そういう類の言葉が最も適した存在でしょう?」

 違う?と少女は無垢な微笑みを浮かべる。

「期待だけさせておいて、結果あの子は私に何の利益も与えなかった。殺すこともできないし、本当に気持ち悪い子。」

「手前が勝手に期待しただけだろうが。其れで上手くいかなかったら捨てるってか。」

 歩がどれだけ苦しんだと思っている。どれだけの痛みに耐えて、どれだけの死を経てきたと思っている。
 ふざけんな、と中也は唇を噛む。歩はこんな女に人生を振り回されて良い存在じゃない。
 ゴミ、欠陥品、気持ち悪い、悪魔、死神、怪物。そんな言葉を歩の耳に入れさせる訳にはいかない。

 中也は一度呼吸を整える。身体は相変わらず動かない。だが、冷静になる必要がある。

「……此のタイミングで俺達にコンタクトを取ってきたってことは手前はリアレス教団か。」

「……結構熱くなる性格かと思ったけど、そうでもないのね。良いわ、お話しましょう?」

 少女は事前に注文していたのか店員が持ってきた紅茶を一口飲んで、答えた。

「あなたの予想通り、私はリアレス教団。結構上の方の役職なの。多分、幹部?とかかしら。……そう!あなたに名前を教えてなかった!すっかり忘れていたわ!」

 ぺらぺらと矢継ぎ早に言葉が続く。

「私の名前は吾妻統。統一の統ですばる。良い名前でしょう?」

「吾妻……だと、」

 吾妻、其の名前に中也は戦慄する。

「吾妻曹司の血縁者か……!」

 すると、少女、統の表情が一気に冷たくなった。統はすくりと立ち上がり、其の特異な目で中也を見据え掌を翳した。
 途端、中也の身体が宙吊りになり、不可視の何かに首が絞め上げられる。

「あの男の話はしないでくれる?本当に、心底、生理的に、無理なの。」

「ぐ、」

「私の大事な人を散々壊して貶めたクズ男。名前を聞くだけでも殺したくて堪らなくなっちゃう。」

 中也は異能を発動しようとするが、上手く操作できない。異能無効化は太宰の専売特許の筈だが、此れも身体が動かないことと関係があるのか。

「異能を使えないことが不思議?」

 統は再び椅子に腰掛け、足を優雅に組んだ。

「私、欲しいものは手に入れる主義なの。要らないものは捨てる。取捨選択がはっきりしてるとでも云えば良いかしら。だから、あなたの異能が欲しくなっちゃった。」

「っ、何を……」

「今、あなたの異能を解析しているところ。解析が終わればあなたの異能は私のものに、あなたは一般人になる。普通の人って素敵よ?何の柵も無くなるんだから。」

 あなたの異能は少し容量が大きいから時間が掛かるみたい、と統は自分の頭を小突いて云った。

「大丈夫、あなただろうと私だろうと使い道は変わらない。人を殺す道具、其れだけ。異能ってそういうものでしょ?」

「其れは違うわ。」

 答えたのは中也ではなかった。中也の前に、彼を守るようにして立ったのは今まで沈黙を貫いていたエリスだった。

「異能は人を殺す道具じゃない。アタシ自身が其の証明になる。だって、アタシはリンタロウに愛されるために生まれたんだもの。」

「エリス嬢……」

「リンタロウを守るために、チュウヤを守る。それに歩のことをゴミ呼ばわりしたのも気に入らないわ。アタシ、歩が大好きだから。」

 エリスが巨大な注射器の針を統に向ける。エリスから殺気が滲み出る。

「アタシ達の幸せの邪魔をしないで。」

「私ね、あなたがあのままじっとしていたら何もする心算なかったのよ?可愛い可愛いお人形さんは女の子の憧れ。大事にしないと。」

 でも、と統は目を細めた。

「あなたがただのお人形さんじゃいられないなら、残念だけど消えて貰うわ。」

 異能力《換骨奪胎》

 突然無数の真空の刃が出現し、エリスの身体を切り刻んでいく。武器である注射器は粉々に砕かれ、服が裂かれ、手足の肌が削がれていく。

「エリス……嬢……っ!!」

 此れも別の人間の異能力を解析し、奪い取った力なのか。どれだけの異能力を彼女は内包しているというのか。中也は今の自分には彼女に対抗することはできないと悟る。このまま中也の異能の解析が終了したら更に脅威が増す。

 何か、現状を打開する方法はないのか。

 考えている間にも統が中也に近付いてくる。

「あなたの目、綺麗ね。もっとよく見せて?」

 統は中也に跨り、顔を近付ける。中也は顔を反らしながらも視界では何かないかと探し続ける。

 喫茶店は統の攻撃を見たからか全員避難し、静けさに満ちていた。

 ふと、調理場が見えた中也は鍋がそのままになっていることに気付く。火が付いているかは分からないが、託すしかない。

「……クロっ、聞こえるか!!」

 中也は声を振り絞った。其の声は……


 クロがぴくりと眉を動かし、肉を焼いていたトングを持って怪訝な表情を浮かべているのに気付いた。如何かしたの、と私が声を掛ければ。

「いえ、中原中也様に呼ばれたのですが……少し、いえかなり厭な予感がしまして。」

「厭な予感?」

「如何やら内装的には喫茶店か洋菓子店のようですが……」

 クロは何とも云い難い様子で思案しているようだった。しかし、中原幹部のことだ。何か切迫したことがなければクロを呼び出す筈もない。

「様子を見に行くことはできる?」

「可能です。」

「ならお願い。」

 かしこまりました、と頭を下げてクロは姿を消し、10秒で戻ってきた。しかし、其の表情は先程までと異なる。顔は蒼白で、黒髪の先がチリチリと赤い光を放っている。動揺しているのがはっきりと見て取れた。

「クロ、状況は?」

「あの、あの異能力者です。ワタシを捕らえ、傀儡にした……!!」

 和やかに焼肉をしていた雰囲気が、一気に殺伐としたものに変わる。

「中原幹部は!」

「ワタシは……ワタシはあの女に近付く訳にはいかないんです。またワタシがワタシでなくなる。マスターを傷付けてしまう。そんなことワタシは……!」

 クロの其れは間違いなく恐怖だった。それも、私を傷付けてしまうことへの恐怖。私は小さく息を吐き出して立ち上がった。

「クロ、私を其処まで連れて行って。」

「ワタシは近付けませんっ!」

 クロが人間らしい感情を以て叫んだ。

「其れでも、あなたの力に私は頼らなくちゃいけない。中原幹部に危険が迫っているなら尚の事。」

「マスター……」

「大丈夫。クロが私の傍にいる限り、私がクロを守るから。」

 私がそう云ってクロの肩に手を置くと、クロは胸に手を当てた。目を伏せ、胸に当てた手をぐっと握り締めると分かりましたと語気を強く云った。

「ありがとう、クロ。」

「いいえ、我儘を云ってしまい申し訳ございません。マスターのため、精一杯尽くさせていただきます。」

 クロの髪の色は漆黒に戻り、目にも強い意志を感じた。

「では、マスター。最速で飛ばします。」

 クロが私を抱えると、如月さんが此方も直ぐに向かうと声を上げた。私は頷いて、クロと共に店を出る。そのままクロの火力により高速で滑空した。10秒も掛らず其の喫茶店の上空に到着する。そこまで遠くはなかったのかもしれない。

「クロは此処までで良いよ。」

「ですが……」

「私達はそれぞれ得意なことをして、苦手なことは助け合って補い合う。クロは十分仕事してくれた。だから、今度は私の番。」

 クロは私を喫茶店の脇に降ろすとご武運を、と一礼した。私はクロを背にKirschblüte001を取り出しながら喫茶店の入り口へと走る。
 中から話し声が聞こえる。中原幹部の声ともう一人。

 ああ、私は此の声を知っている。

『私の可愛い神様。早く大きくなってね。』

『使えない子ね。他のと同じ。いいえ、其れより酷いわ。期待させておいて、ゴミだったなんて本当に信じられない。』

『処分にも困るなんて、本当に私の子?気持ち悪い。』

 私の身体に刻み込まれている、愛と憎悪、最終的には無関心、正反対の感情で彩られた声。今にして思えば、私はあの人に愛されてなどいなかった。
 あの人の意図が、あの人の欲しいものが何か。今なら理解できる。

 私は喫茶店の扉を開け放ち、Kirschblüte001を構えた。
 其処には、あの頃のまま姿の変わらないあの人と中原幹部がいた。あの人が中原幹部を押し倒し、顔を近付けている。

「何をしているんですか。」

 あの人が……吾妻統が振り向き、露骨に厭な顔をした。中原幹部も私の顔を見て、大きく目を見開いた。

「何って、見て分からない?私と中也君は、今愛し合っている最中なの。」

 邪魔しないでね?と妖艶に微笑んだ彼女を私は見据えた。

「有り得ません。」

「何?」

「中也さんが私を信じてくださるように、私も中也さんのことを信じています。だから中也さんがあなたを愛するなんて有り得ない。」

 吾妻統は私を心底気に入らないという目で睨んだ。其の目の冷たさは矢張り記憶の中の彼女と変わらない。

「其の目。其の目よ。私、大嫌いなの。あなた、一応私の子どもでしょ?私を苛々させないでくれる?」

「あなたを親だと思っていたのは研究所にいた時だけです。今は中原幹部と組織の脅威であり、排除の対象です。」

「ああ云えばこう云う。五月蠅くて仕方ないわ。早く消えて貰いましょう。ね、中也君。」

 彼女が私から視線を外した瞬間、あの黒い蟲が私の前に立ちはだかった。

「折角だからあなたには其の子の餌になって貰うわ。あなたは何回も死んでいるけれど、慣れている訳じゃないでしょう。しかも得体の知れないものに殺される、恐怖を感じない筈がない。其れこそが此の子の餌になるし、あなたは死なないのだから……」

 無限に餌をあげられるようなものよね、と彼女は私を見ずに嗤った。其の間にも蟲が脚を振り下ろし、私を攻撃しに掛かる。私は余裕をもって跳び下がり、Kirschblüte001を握り締めた。

 此の日、此の時のために。
 私達は蟲を倒すために研究開発を重ねてきた。クロ、ツヴァイの力がなければ完成しなかった。其れだけじゃない。私のために色々なものを残してくれた作良さんがいなければ、希望は見出せなかった。

「作良さん、私に力を貸してください。」

 私は呟いて、銃口を蟲に向けた。蟲が奇声を上げ、脚を振り上げる。
 引き金に指を掛ける。作良さんが、歩とおれならできるとそう云って傍にいてくれているような気がした。
 私もそう思う。私も作良さんのことを信じているから。

 私は迷わず引き金を引いた。いつもより重い衝撃が腕を伝い全身に鈍く響く。カンッと空薬莢が床を跳ねる。

 銃弾は其の装甲に当たった。瞬間、爆発に似た轟音が空間を伝播する。

 そうして、銃弾はあの超高硬度の装甲を破った。更に貫通した銃弾は彼女の頬を掠め、壁に突き刺さった後、止まった。

 ドォッと蟲が倒れ、粉塵が巻き起こる中。

 吾妻統の中で唯一綺麗なものである2つの瞳が私を捉えた。

「其の銃……其の銃弾……」

 食い入るように私のKirschblüte001を見る。

「アハハ、あなた、本当最低ね。中也君という存在がありながらそんな武器を使うの?」

 高く笑い、Kirschblüte001を指差す。

「あなたへの想いに塗れた其の武器を。」

「……あなたが何を見たかは分かりませんが、私は作良さんの気持ちを知っていますし、中也さんも理解してくれています。」

 私はKirschblüte001を彼女に再度向けた。彼女の声を聞く度、冷静になっていくような気がした。

「何も知らないあなたに口を出される筋合いはありません。」

「……ああ、そう。ならもう良いわ。此処であなたを私が直々に廃棄処分してあげる。」

 吾妻統が中原幹部から身体を離し、私に手を向けようとした瞬間。
 彼女は私が既に眼前まで迫っていたことを知るのだ。

「な、」

 振り抜いたKirschblüte001が吾妻統の顔面すれすれで何かにぶつかる。透明な壁、シールドのようなもの。此れも彼女が誰かから奪った異能力の一つ。私はそのままKirschblüte001を押し込む。此のシールドの異能には限界があることを知っているからだ。シールドとKirschblüte001の銃身が火花を散らす。

「っもう!!」

 吾妻統は大きく後退し、距離を取った。其の間に私は中原幹部を守れる位置を陣取る。

「中原幹部、大丈夫ですか?」

「悪い……助かった。」

 中原幹部は身体が動かないのか起き上がることもできなかった。此の症状も覚えている。

「吾妻統は目を合わせた人間に神経毒を注入することができるんです。彼女の解析は一定の距離を取れば解除され、一からやり直しになります。そのため、対象の人間の動きを止める必要があります。其の手段の一つですね。」

「神経毒か。糞っ、迂闊だった。手前は大丈夫なのか。」

「はい、問題ありません。私の目は特殊ですから。」

 中原幹部の前にライフルバッグを立てて、此れから起こるだろう戦禍に巻き込まれないようにする。

「中原幹部、待っていてください。直ぐに終わらせます。」

「歩……!」

「中原幹部を傷付けたあの人を、私は絶対に許さない。」

 私は吾妻統と再び向き合った。吾妻統は笑っていた。

「あなたが私に勝てる訳ないじゃない。私は全知全能。何でも知っているし、何でもできる。だから分かるわ。あなたなんて殺さなければただの一般人でしかない。」

 吾妻統の攻撃が始まる。風切り音がして真空の刃が生成される。其れが連続で発射され、私は射線を中原幹部の方に向かないように外すためにも大きく移動しながら躱す。そして、此方も2発発砲する。銃弾は矢張り透明な何かに弾かれた。
 此の異能は見たことがある。あの頃も使っていた。記憶にあるものと同じなら此の異能は瞬間的な防御において無敵であるが、時間の制限と短いながらもクールタイムがある。
 吾妻統は他に何の異能を持っていた?物理攻撃、精神攻撃、毒、創造、強化……記憶が徐々に鮮明になり、頭の中で個々の異能への対応策が次々に浮かび上がってくる。頭の回転がいつもより速い。手足が自由に動く。目に追い付けている。

 身体が、熱い。脳が、熱い。

「……鬱陶しいわね!クエレブレ!」

 そもそも吾妻統自身の戦闘能力は其れ程脅威ということはなかった。大量の異能をストックしてはいるが使い熟せている訳ではなかった。ただ現時点で問題なのは彼女が災厄を齎す生物を簡単に召喚できることにある。クエレブレと呼んだものは喫茶店の天井や壁を破砕して現れた。漆黒の巨体、鋭い爪を持つ四肢、人など容易に飲み、噛み砕くことのできる大きな口と牙。空から降り、叩き付けられた尻尾は床を粉砕した。そう、其れは巨大な龍だったのだ。ファンタジー世界から来たような其れを私は見上げ、観察した。

「私達の切り札はあんな趣味の悪い蟲だけじゃないってこと理解できたかしら?」

「蟲でも龍でもすることは同じです。」

 私は龍にKirschblüte001の銃口を向ける。吾妻統は微笑んでいた。恐らく何か意図があるのだろう。銃弾は蟲の装甲を貫通するために作られたもの。つまり、此の龍にも同じ効果が得られる筈なのだ。だが、撃った弾丸は龍の皮膚に弾かれる。何となく察していたが、吾妻統はそんな私を見て嘲笑した。

「残念、クエレブレには効かないみたい。其の死人の気持ちも無駄になったわね。」

 さも滑稽だと高笑いする彼女に怒りは沸かない。如何でも良いのだ。

 私は落ちて瓦礫と化した天井の山を登り、飛んでいる龍に接近する。龍は気付いて見るからに毒と火炎の混ざった息を吐き出してくる。其れを跳んで避け、Kirschblüte001を回転させ銃身を持った。そのまま銃把を龍の頭部に横一閃で叩き付ける。ゴッと鈍い音がして龍が叫び、口を大きく広げた。私は龍の身体に掴まりつつ、大口の中に梶井さん特製の檸檬爆弾を幾つか放った。龍が吐き出そうとする前に頭部まで何とか這い上がり、上顎に銃把を叩き込んだ。其の衝撃で口は閉じ、更に檸檬爆弾が爆ぜた。此の爆弾の中には銃弾と同じ作良さんの金属、其の欠片が大量に仕込まれている。炸裂した爆弾の中の金属片が龍の体内で飛び散り、穿っていく。

 龍が断末魔を上げて地上に落下した。頭を軽く蹴ってみたが反応はない。

「ゴミだゴミだと思っていたけれど訂正してあげる。」

 吾妻統は私へ視線を向けて告げた。

「あなたは化け物よ。だって化け物を殺せるのは化け物だけでしょう?」

「……なら、化け物を生み出すあなた達は何なんです?」

 吾妻統は私の問いには答えず、空気を圧縮した砲弾を撃ってくる。其の全てを避けて、吾妻統に接近した私はKirschblüte001を振り上げた。吾妻統は其れを見詰めているだけだった。ガンッとシールドに攻撃は阻まれた。が、そのまま力を込める。シールドがチリチリと揺れ始める。そろそろ時間の筈。

「そろそろだって思ってるでしょ?」

 吾妻統が私に冷たい視線を浴びせる。

「油断するには未だ速いんじゃないかしら。」

 吾妻統の手がゆっくりと宙に伸ばされた。と、次の瞬間、私の手からKirschblüte001の重さがなくなる。何、と思った時には吾妻統の手にKirschblüte001が握られていた。

 奪われた、どのタイミングで。
 私は倒れそうになるのを堪えて吾妻統の手を凝視する。
 あれは異能。しかも見たことがある。つい最近。

「あの人の異能を……」

「猟犬に目を付けられたゴミだけど、異能は使えないことはないから貰っちゃった。」

 早速役に立ったわと嬉しそうにする吾妻統から距離を取る。

「此れ、如何しようかしら。粉々にしたらあなたとっても怒りそう。それとも心がぽっきり折れちゃうかしら。」

「……作良さんが、」

「なーに?もっと聞こえるように云ってくれる?」

「作良さんが、此の程度の事象を想定できないとでも。」

 吾妻統が大きく瞬きをして、Kirschblüte001を見上げた。其の瞬間、Kirschblüte001がけたたましい警報と共に電流を放った。

「あぁあっ!!」

 甲高い悲鳴が上がり、吾妻統はKirschblüte001を放り投げた。私は其れを受け止めて、銃口を吾妻統の額に突き付ける。

「あなたは殺しません。重要な情報源ですから。」

「……本当に私に勝てたとでも思っているの?」

 私が首を傾げると、吾妻統が私に指先を向けた。

「自分が今、如何なってるかも分からない癖に。」

 如何なっているか?そんなこと……
 私は、気付いた。血の匂いがする。何処から。
 どろり、と鼻から何かが地に落ちた。ぼたりぼたりと赤い液体が。
 
「……あ、」

 熱い、頭が。目が。痛い。何、何が起きて。先刻まで何も。鼻血?痛い。視界が、揺れて。
 身体から力が抜ける。意識が保てない。駄目だ、今は駄目だ。未だ、戦わないと。

 霞んだ視界の中で、吾妻統が真空の刃を作り出しているのが見えた。


 中也はクエレブレと呼ばれるドラゴンが地表に落下してくるのと同時に降りてきた歩を見上げた。
 確かに、歩は強い。強くなった。

 だが、今の歩は強過ぎる。完璧過ぎる。

 其の時、中也は歩の漆黒の瞳が真っ赤に染まっていることに気付いた。

「あれは……!」

 厭な予感がした。
 其れは当たってしまう。勝利が目前というところで歩がぐらりと倒れたのだ。統は其れを待っていたかのように真空の刃を掲げた。

「歩!!」

 中也は異能を何とか発動し、歩が置いていったライフルバッグを投げた。真空の刃による追撃は其れで何とか防ぐことができた。中也は未だ自由の効かない四肢を異能で無理矢理動かして歩を抱えて後退する。歩の身体は熱く、呼吸も乱れている。鼻血の他にも目からも血が流れていて痛々しい。

「其の目にそんな機能があったなんて、Bと02は何を考えて作ったの。毒に対抗できるのは知っていたけれど、勝手に暴走して壊れちゃうなんて本当に滑稽ね。」

 統は滑稽と云いながらも顔を顰めていた。苛々しているとでも云うのだろうか。

「もう其のゴミも中也君も何もかも要らないわ。私もあの銃のせいで身体痛いし、怠いもの。手っ取り早く皆死んでくれる?」

 統が異能を使おうとした時だった。ガッと統の脇腹目掛け、大剣が突っ込んだ。

「歩っ!!」

 現れたのは瑠衣と叡だった。叡は敵である統の姿を見てぎょっとする。叡は目を押さえ、瑠衣が歩の元に向かおうとするのを止めた。

「スキールニル、近付いちゃ駄目だ。」

「はぁ!?何云ってんだよ!!歩が……」

「頼むから、此処にいて。何も見るな。」

 叡の鬼気迫る声に瑠衣はたじろぎ、分かったと小さな声で云った。叡は歩と中也の前に立ち、統と対峙した。そうすると叡の目も徐々に赤みを帯び始める。

「お前……!」

「ボクはある程度制御できるから大丈夫。今は歩のことを看てて。結構危険な状態だから、其れ。」

 何かを云おうとする中也を叡は制する。叡は統と視線を交わした。統は鼻で笑って告げる。

「あなたみたいなゴミの中でも本当に役立たずのゴミじゃ私に勝てないわよ、B-02。」

「勝とうなんて思ってないっての。うちの両親は違うみたいだけど。」

「……やっぱり、私への当て付けってこと。」

 統は小さく舌打ちをした。一方、叡は統を見たまま続けた。

「云っておくけど、ボクも歩と同じ目を持ってるし、何ならボクの方が上手く扱える。正直分が悪いんじゃないかなって思うんだけど。」

「私が分が悪い?……私がゴミに負けるって?」

「実際、ボクの最推しに負けてんじゃん。全知全能って自称するからには圧勝すべきなんじゃないんですかねー?」

「調子に乗るんじゃないわよ、ゴミが!」

 真空の斬撃が叡を抉る。叡は肩口を斬り裂かれて呻いた。

「私の邪魔をしないで!」

「……アンタがボクの推しの幸せ邪魔してんだろうが!!ふざけんな、バーカ!!」

 叡が大声で云えば更に避けられない程の真空の刃が降り注いだ。其の中には間違いなく致死に至る一撃が含まれていた。叡が流石に拙いと思った時だった。

「10年以上経っているのに相変わらず幼稚な妹だな。」

 ゴッと統の攻撃に対して飛んできたライフルバッグがぶつかった。ほぼ相殺した形になり、叡は無傷で済んだ。が、先程の声に叡は振り向いた。其処には叡が推しと慕う少女がいる筈だった。

「ああ、痛いな。此の身体を乗っ取れば好き放題人を殺せると思っていたが、そう上手くはいかないか。良かったな、統。お前がゴミと呼ぶ此の異能に殺されずに済んで。」

 其処には、先程まで血を流していた少女が立っていた。しかし、おかしい。

 此れは……あの強くて優しい少女ではない。

「……あなた、誰。」

 統が唇を震わせて尋ねる。否、統は既に此の時点で何者なのかほぼ確信していた。が、尋ねずにはいられなかったのだ。

「お前の兄は一人だけの筈だが。」

 少女の形をした男が笑った。其の笑顔は少女には似合わない冷酷な笑みだった。


 赤い。黒い。世界。

 落ちる。

「お前は眠っていろ。」

 声。

「安心して眠っていれば良い。お前の代わりに俺が責務を果たそう。」

 私、は、


「な、何で、だって、死んだって……!」

「俺は何処にでもいる。此奴の精神だけじゃない、お前の中でも……」

「意味が分からない!私は正常!普通なの!私は自由になった筈よ!」

 統が半狂乱で騒ぎ立てる。其の焦りと動揺に歩の姿をした吾妻曹司はフッと嘲笑してみせる。

「自由?そんなもの俺の異能の前ではありはしない。統、お前は昔から俺の異能の良いモルモットだった。」

 吾妻曹司は、一歩ずつ確かな速度で統に近付いていく。統は動けない。

「お前は目的の異能以外ゴミだと考えているようだが、其れに頼ることでしか生きることのできないお前も相当なゴミだな。しかも其のゴミを大量に蓄えているんだからゴミ箱か、それともゴミ処理場、集積センターか。」

 そうして吾妻曹司は統の額を掴んだ。

「異能力《破鏡不照》。」

 吾妻曹司の異能は自分でも何処まで何ができるか分からない。歩が幾度となく死を繰り返し、摩耗し壊れた精神を修復することができたという点に関しては利用価値がある。ただ簡単に云うなら精神に干渉できるということだ。
 吾妻曹司は此の異能力に気付いてから、実験台は両親と妹だった。
 吾妻曹司の父は、暴力的だった。しかし、異能により心優しい人間になった。
 吾妻曹司の母は、精神の病を患っていた。けれども、異能により其の病は解消した。
 吾妻曹司の妹は、父の暴力に晒されたこともあり気が弱く従順だった。が、異能により今の吾妻統が形成された。

 壊れたものは二度と元に戻らない。だが、継ぎ接ぎ直すことは自分にはできる。切り取り、繋ぎ合わせて正常に戻すこともできる。理想の人間にすることができる。また、其の精神に巣食い、自分の肉体が死んでも精神体として生きることができる。

 吾妻曹司は、統の精神修復に使っている自分の異能を解こうとした。

 が、気付いた。

「お前、統じゃないな。」

 吾妻曹司が呟いた。

「あのニニという女の異能か。此処まで再現できるとは。」

 吾妻曹司は統の姿をした何かを投げ捨てた。すると、統は煙のようにふっと消えてしまった。

「相変わらず、臆病な奴だ。」

 吾妻曹司は大きく息を吐き出して、身体を反転させた。中也と叡、そして吾妻曹司が相対した瞬間だった。


 夢という名の過去を見ていた。

 太宰さんから紹介された二人が死んで、其の親戚を転々として、最後には全て捨てて逃げ出した。

 お金はなかった。山の中をひたすら歩いた。身体も心もボロボロだった。いつしか飢えも渇きも感じず、意識を失って倒れることが睡眠とイコールになっていた。

 どれだけの昼と夜が過ぎたか分からなくなった頃、男に出会った。目は此の男が軍警でありながら対照的に深い闇を抱えていることを示していた。此の頃、私は意識がはっきりしている日と言語も分からない程朦朧としている日を繰り返していた。其の日はどちらかというとぼんやりしている日だった。

「山の麓の町で不可解な殺人事件が連続して起きている。」

 顔を隠した背の高い男は私に突然そんなことを云った。

「一人目は餓死だが、死の前日、彼はステーキを食べていたらしい。夜中にはカップラーメンときた。そんな美味いものをたらふく食った挙げ句、背徳的なことをしておって餓死など有り得ると思うか?」

「……さあ。」

 如何でも良かったので適当に返した。耳鳴りが五月蝿い。頭が痛い。
 というか会って早々知りもしない殺人事件の話をされても困る。

「二人目は転落死よ。死んだのは室内、階段から落ちた訳でもない。何もないところで、まるで崖から落ちたように土だらけ傷だらけで見つかった。」

 更にと男は三人目、四人目、五人目と死因を挙げていく。私は火を熾しながら、いつ終わるのだろうかと思いながら黙って聞いていた。

「六人目は、此れから起こる。」

「……如何いう意味です?」

「六人目が刺殺されていたなら此の殺人事件は解決する。」

 男は腰に帯びていた軍刀を引き抜いた。あ、と思った時には私の……

 次に目を覚ました時、私は白い寝台の上で寝ていた。

「目が覚めたな。」

「……此処は、」

 傍の椅子にはあの男が座っていた。そう、確か此の男に斬られて……

 斬られ……

「生きて……」

「真逆、自覚なしと来たか。」

 私が分からないという顔をすると男は大きな溜め息を漏らした。

「如何したものかね。人類を滅ぼす十の厄災、其の一端に触れる可能性のある異能を持ちながら……」

「私の異能はただの危機察知ですよ。そんな大それた異能なら……」

 子ども達を助ける方法があったかもしれない。こんな異能だから私は無力さに打ちひしがれているのだ。

「お前が強くなることを願うなら儂の元で鍛えてやらんこともないが。」

 私は其の言葉に少しだけ思案して、首を横に振った。

「強く……否、昔ならそう思っていたかもしれませんが、今は守りたい人もいません。なので、ただ死んで地獄に行き、罰を受けたいと思っています。」

 男の表情は見えない。だが、顎を掻いて何かを考える素振りをしているように見えた。

「ふむ。死に場所が欲しい、ということか。」

「そうなりますかね。」

「……ならば、」

 男はダンと力強く立ち上がった。

「良い死に場所を知っている。其処を紹介してやろう。」

「……ありがとうございます。」

「しかし、一つして欲しいことがある。」

 して欲しいこと。
 否、助けて貰って、しかも死ぬまでの居場所を紹介してくれるのだ。一つだけして其れから自由なのであれば其れくらいして当然だろう。

「分かりました。助けていただいた分くらいは協力します。ですが、私のできることは少ないですよ。早々に此の世界から退場している可能性もありますし。」

「構わん。死に場所を用意するとは云ったがお前はそう簡単に死ぬことはない。」

「……先に云っておきますけど、私はあなたの表と裏両方の顔があることが何となく分かっています。」

 男は微動だにしない。動揺しているかしていないかは分からない。

「私はあなたの表の顔に付き合う心算はありません。」
 
「其れは……今後の参考のために理由を聞いても構わないかね。」

「嫌いだからです。」

「……あ、うん。何かごめんね。」

 男は何故か少し肩を落としたが、次の瞬間には元に戻り、好都合だと云った。

「儂が手伝って欲しいのはお前の云う裏の顔での仕事になるだろう。が、正直、お前にして欲しいことは未だ決まっていない。」

「……なら、其の時に仰ってくださったら良いです。でも、私は異能はありますが殆ど一般人なので、期待しないでくださいね。」

 男は私の言葉にガハハと笑い、こう続けた。

「なに、お前にしかできない簡単な仕事を用意しよう。」

「普通、簡単な仕事って誰にでもできるものでは?」

「そうとも限らん。まあ、今は未だ何とも云えんが。」

 此の出会いこそが、私の始まりだったのかもしれない。

 とにかく、此の約束は未だに果たされていないことだけは確かなのだ。

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