其の三十四
色々と説明がありますが、分かりにくい表現の可能性が極めて高いため後々修正したいと思います。そういう部分はさらっと読み流していただけたら幸いです。
▽
「依頼主によれば此の辺りで最近怪しい黒服の連中がかなりの数彷徨いているらしいです。恐らくポートマフィアの構成員だろうというのが警察の見解です。」
「此の辺りは比較的治安も良い場所だからね。近隣住民の不安も募る一方だろう。」
敦と太宰は警察からの依頼により、ヨコハマの一角に来ていた。マンションやオフィスビルなども建ち並び、太宰の云う様にヨコハマにしては治安が良い方に属する場所だ。しかし、現在其処ではポートマフィアらしき黒服の構成員が跋扈しているらしい。二人は其の調査のためにやって来たのだった。
「中也か芥川君いないかなー。」
「勘弁してくださいよ。殺し合いは御免です。」
「敦君は芥川君を往なせる様にならないとね。そうすれば芥川君から此方の必要な情報を引き出しつつ、穏便に事を済ませることができるようになる。」
往なすですかと敦は難色を示しながら目的の地点に足を進めていた時、ずんっ!と衝撃音が重々しく響くと同時に複数の悲鳴が聞こえてきた。敦と太宰は視線を交わし、敦が異能で足を虎化し先行する。
衝撃と悲鳴は目的地の方角からだ。敦は高速で駆けているが其の間にも数度地響きが聞こえてくる。
そうして辿り着いた時。
敦は目にした光景に愕然とした。
黒い生物……生物なのか。とにかく、其の黒いものが脚の、爪の様な、もう刃とも云うべきか、其の前脚で黒服の人間を5人、串刺しにしていたのだ。
「っ、」
喉から引き攣った声が出た。得体の知れない何かに人間は恐怖を覚える。敦にとって其れは余りにも未知な存在で。
すると、黒いものが生きている者の気配……つまり、敦を察知したのか身体を向けた。其の胴体を見て敦は絶句する。胴体が赤子だったのだ。キャキャ!と楽しそうな赤子の笑い声が鼓膜にこびり着いてくる。恐怖が、恐怖が敦の頭の中を侵食する。蜘蛛の様な脚の動きで黒いものが敦の方へ向かってくる。脚を振り上げて、敦をあの構成員達と同じように串刺しにしようと。
「あぁあっ!!」
敦は何とか恐怖を抑え込み、拳を虎化させた。自分には異能がある。動きも目で追える。大丈夫、大丈夫。戦える、と自分を鼓舞して拳を構える。
「待て、敦君!」
背後の太宰の声は聞こえなかった。
本当は敦は恐怖を抑え込むことなどできていなかった。恐怖に飲まれ、周囲が見えていなかったのだ。
敦は声を上げ、未知の黒へと拳を振るう。黒く鋭く尖った脚が敦の拳と接触する……
直前、敦と黒いものの間にドンと何かが降ってきて地に突き刺さった。敦は思わず後退する。敦の眼前にあったのは巨大な剣だった。
敦には見覚えがあった。
敦が更に後退すると大剣はくるくると宙で回転し、敦の背後、太宰よりも後方に戻っていく。軌跡を辿ると、其の向こうからバイクが駆けてきた。二人乗りだ。バイクは太宰の隣で止まり、タンデムシートに乗っていた者がヘルメットを外した。
「近接戦闘系だからって無闇に突っ込んでんなよ。死ぬぞ。」
「王の写本の……!」
「王の写本は壊滅して、アタシは今やポートマフィアの一構成員なんだから其の呼び方やめろって。」
タンデムシートから降りたのは如月瑠衣だった。瑠衣は戻ってきた大剣を右肩に担いだ。其の表情は不機嫌一色に染まっている。
「てか、アンタ等マジで邪魔。何も知らないのに来たんなら今すぐ帰れ。」
瑠衣は敦を突き放して、黒い生物と云って良いのかすら分からないものへと向き直る。瑠衣は口角を上げて殺気を露わにした。
「先ずはアタシがやるからな。どれくらいコイツとやり合えるか確かめたいし。」
瑠衣がそう云うと、バイクの運転手はヘルメットを外した。
「分かりました。私は其の間に被害状況を確認します。」
敦と太宰は反射で運転手を見た。其の声が歩のものだったからである。
「お久しぶりです。敦さん、太宰さん。」
歩は会釈だけして、胎児と蟲が合わさった様な其の生き物に目を向けた。
「如月さんの云った通り1から説明している余裕はありません。なので、なるべく早く退避を。」
「歩ちゃん……」
太宰はじっと歩を見た後、後で説明してくれるんだね?と問うた。歩は訝しんで尋ね返す。
「説明しなくても状況から乱歩さんや太宰さんなら分かるのでは?」
「私や乱歩さんの力を信頼してくれているのは嬉しいけれど、其処まで万能ではないのだよ。情報がないことには私達も分からない。」
歩は探偵社も全くリアレス教団のことを掴めていないことを悟った。ならば、今彼等に話すことは何もない。彼等を巻き込むか否か決めるのは首領なのだ。
「とにかく此処は私達に任せて……」
歩は途中で言葉を切った。家屋の一つ、其の屋根の上に人の気配があったからだ。突然現れた其れに瑠衣もまた警戒する。
「わたしは、」
女の声だった。
「お父様とお母様の希望。」
抑揚のない、感情の乗っていない女の声。其の女は屋根からふわりと飛び降り、蟲の上に着地した。歩と瑠衣は目を見開く。あの蟲は人間であれば等しく死の恐怖を圧縮したもので精神が汚染され、廃人と化す。なのに、女は厚底のブーツとはいえ平然と立っていたのだ。
「お父様とお母様の仰せのままに。」
黒い宝石のネックレスが風に揺れる。全体的に黒を基調とした様相で、其の中で宝石の黒が異様に目立っていた。
歩が拳銃を、瑠衣が大剣を構えようとした時だった。
女が口を開いた。
「καθρέφτης」
其の単語が彼女の唇から紡がれた瞬間。
女が二人に増えた。
「καθρέφτης」
二人が其の単語を紡ぐことで四人に。
「καθρέφτης」
四人が其の単語を紡ぐことで八人に。
八人が十六人へ。更に、更にと増えていく。
「人数が増えたところで如何ってこと……」
「καθρέφτης」
瑠衣の言葉を掻き消す様に無数の女の声が重なった。すると、其の無数の女が突然死の恐怖の権化たる蟲へと変貌したのである。
「嘘だろ……?」
瑠衣は唖然とする。女の出現、彼女の異能であろう能力による蟲の増加。此れにより完全に囲まれ退路が絶たれてしまっていた。
此の状態で歩を守り切れるのか。瑠衣の頭の中で思考がぐちゃぐちゃになっていた。伝え聞いているだけだがあの蟲を自分が倒せるのか、此の数を相手取れるのか。不安と焦りが募る一方だった。
「如月さん、」
歩の声に瑠衣はハッとして、そちらを見た。
「大丈夫ですか?」
「あ、あー、否、ごめん。冷静にならないとだよな。」
「いえ、怖いものは怖いですから。でも、如月さんのことは私が守りますから安心してください。」
其の言葉で瑠衣の頭の中は一気にクリアになった。歩はこういうことを平気で云って、そして実行する。死に対しては其れなりに抵抗はあるようだが、其れ以下のことは一切躊躇わない。現につい最近、一条を守るために腕を失っている。
守ると決めたのに守られてばかりだ。
そんなことが許されると思うな。
瑠衣は自戒し、深呼吸する。
「アンタ、誰だ。如何して此処にいる。」
瑠衣が声を掛けると、女は無数の声を重ねる様に同時に話し始めた。
「わたしはニニ。リアレス教団の解放者。偽りの世界に囚われた者達を解放する者。神より賜りし力を振るい、お父様とお母様に逆らう者を排除する使命を与えられた者。」
リアレス教団、と敦と太宰が呟いた。リアレス教団自体については探偵社の方にも情報が届いていた。リアレス教団の思想に賛同し、集団で自殺する事件が増えているからである。異能に否定的な思想からも探偵社としては危険視していた。だが、黒い蟲も理念に矛盾するにも関わらず異能者が存在していることも探偵社側は把握していない。敦は追及のために何か云おうとしたが、太宰が制した。
「太宰さん?」
「今は二人に任せよう。」
敦は承諾して、太宰と共に半歩下がった。瑠衣は其れを一瞥した後、話を続ける。
「大層な異能……否、アンタ等は其の力を神から与えられた力なんて仰々しい云い方してんだっけ。其れでアタシ達を殺しに来たのか?」
「F-06とG-15、あなた達はお父様とお母様に生存を望まれていません。排除します。他の二人も此の子の餌にします。」
ニニの言葉に瑠衣は舌打ちし、鋭く睨み付けた。
「其の呼び方、マジで胸糞悪ぃ。」
「あなた達の識別は此れで良いと。固有名詞は存在しないとお父様とお母様は仰って……」
「うっせえ!此の傀儡女が!」
怒声と共に大剣を地に突き刺す。良い加減にしろよ、と地を這う声が瑠衣の口から溢れ出す。
「固有名詞が存在しないだ?アタシには瑠衣っていう親が付けてくれた名前があるんだよ。歩だってそうだ。……アタシ達をそんな風に実験動物扱いする奴はあの研究所にいた人間の心持ってない様な糞研究者くらいなんだよ。アンタの其のお父様やお母様がそういう連中なのは明白だ。名前云ってみろよ。其の二人の非人道行為全部アンタに晒してやる。流石にドン引きすると思うぜ?」
ニニは表情を変えなかった。
「お父様とお母様はわたしを助けてくださった。だから、わたしは二人に無条件で尽くす。過去に何をしていようが関係ない。」
「思考放棄してる訳だ。リアレス教団の奴等は全員そうだよな。だから、此の世界は偽物だとか、死ねば解放されるとか云えるんだよ。」
「其れはあなたが無知なだけ。死ねば此の世界から解放される。」
ニニは淡々とした口調で話す。其れはまるで機械の様に用意された内容を答えているようでもあった。つまり、此方の意見は絶対に意に返さない、そういう確固たる壁を感じざるを得ない。
「F-06、あなたと話すのは時間の無駄です。排除します。」
「良いぜ、やれるもんならな!」
瑠衣が不敵に微笑んだ其の時、ゴッ!と歩達の背後側の蟲達が吹き飛んだ。猛スピードで突っ込んでくる其れは作良によって強化されたキャンピングカーであった。キャンピングカーは歩達の付近で急停車する。
運転席の窓が開く。
「お嬢様!如月さん!」
運転席にいたのは一条だった。一条は明らかに切羽詰まった様子で、歩達に早く乗るように云う。
「一条さん、3列目手前から8番目に異能を。少し時間が稼げる筈です。」
歩が一条に閃光弾を渡し、一条が其れを速やかに窓から投げた。指定された本体と思われるニニへと投げ、異能を発動する。此れによりニニは閃光弾へ視線を固定せざるを得ないのだ。其の間に歩達はキャンピングカーに乗り込んだ。全員が乗ったことを確認し、一条はキャンピングカーを全速で後退させる。
「一条、ナイス!完全に直視してたから普通の目なら失明してそうだな……」
「お嬢様と如月さんの身の安全を守るためですからやむを得ません。其れよりも一刻も早く戻らないと。」
瑠衣が何かあったのかと尋ねようとして直ぐに気付いた。
叡がいないのだ。
「トールは!」
一条はぐっと強くハンドルを握り、憂いを目に宿して応えた。
「此方に来る途中、リアレス教団側の異能者と接触しました。参宮さんは後は任せるようにと云って車を降りてしまって。」
其れを聞いた瞬間、歩がガタンと席から立ち上がった。
「何で参宮さんが……!」
叡は戦闘能力が皆無と云って良い。歩は其れを知っているし、だからこそサポートを任せていたのだ。だが、一条は理由を云うことを躊躇っているようだった。
「歩ちゃん、落ち着いて。危ないから座ろう。」
そう諭したのは太宰だった。太宰に肩をとんと少し叩かれて、歩は促されるままに席に座った。
「大丈夫。彼とは一度しか会っていないけれど私が思うに聡い人間だ。戦場に残ったのだとするなら、何か策があるのだと思うよ。」
「……そうですよね。」
歩は其れでも俯いて心配そうにしている。瑠衣はそりゃそうだろうなと思いながら遠くなりつつあるニニの監視を行っていた。王の写本でも叡ことトールが戦っている姿を見たことがない。彼は研究所の守り人で、動画投稿者で、組織の資金繰りを担っていた。守り人と云っても研究所にトラップを敷き、日の出まで凌いで異能で石にしていたのだ。そんな人間が戦闘系の異能者を相手にするという。心配するのは当たり前だ。
「確か、此の辺りで……」
ニニが追って来ていないこともあり、一条はキャンピングカーを止めた。其の場所は埃が舞っており、瓦礫で溢れ返っていた。正しく先程まで戦場だった様だ。
「トール!!」
最初にキャンピングカーから飛び出したのは瑠衣だった。瑠衣が大剣を構えつつ辺りを見回す。次に一条と歩がほぼ同時に出てくる。
「僕も手伝います!」
敦と太宰が出てきた時だった。
「歩!迎えに来てくれたんだ!マジ神!皆さん、此れがうちの最推しですよ……」
と叡が瓦礫の山から突然出てきたのであった。服はかなりボロボロで、顔も真っ赤になっており、傷だらけではあったが元気そうだった。歩は安心したのか大きな吐息を零した。
「おっま、バッカじゃねえの!どんだけ歩が心配したと……!」
「え、推しに心配されてたの?嬉しいけど、推しの心を乱して申し訳なさ過ぎる……!」
「てか、顔やばいくらい赤いし、目の辺りひび割れみたいになってんだけど大丈夫なのか?」
瑠衣の追及を受けて叡は髪を掻いてうーんと唸った。
「熱あるみたいでくらくらするし、目は……まあ、大丈夫。」
「参宮さん、本当に大丈夫ですか……?」
歩が叡の額に手を当て確認すると、うわあと叡が悲鳴を上げた。
「せ、接触は握手とチェキくらいで十分だから!」
「?よく分からないですけど……熱は本当に高そうですね。車に乗ったら寝ていてください。」
「うん、そうする。でも、歩、一個だけ良い?」
叡が瓦礫の上に戻っていき、右手で何かを持ち上げた。
「コレ、リアレス教団の異能者。」
一条が叡のいる場所まで行き、叡が持ち上げている男の顔をまじまじと確認する。
「……確かに、あの異能者です。でも、如何やって。」
「えーと……飛んできた瓦礫で頭打って打ち所悪かったのか気絶して伸びちゃった。」
「そんなアニメみたいなことあります?」
「あるある。ガチだよ、ガチ。危うく死にそうだったからラッキーだったよ。」
一条が叡を支えつつ、其の異能者を引き摺りながら瓦礫を降りる。瑠衣は腰に手を当てて厳しい声で問い詰める。
「何なんだよ、此の瓦礫。片付け大変だろうが。」
「え、片付けの問題?まあ、確かにやり過ぎたかな。爆弾投げ過ぎたー。あと、向こうの異能者も力強かったし。壁壊したりしてたよ。」
「アンタがそんな奴と戦ったって?」
「避けるだけならスキールニルや歩と同じ目だし結構余裕。」
瑠衣は納得はしていないものの、生きてるなら良しとするかと追及をやめた。叡は一条に支えられ、そのままキャンピングカーの中に入っていった。
「此の人、如何するんです……?」
歩、瑠衣、敦、太宰が見下ろしたのはリアレス教団の異能者だった。敦が不安そうに尋ねると、瑠衣が間髪入れず答えた。
「連れて帰って情報を吐かせる。当然だろ?」
「当然って……つまり、拷問じゃ……」
「んなの当たり前じゃん。」
何云ってんだか、と瑠衣は眉を寄せる。敦は救いを求める様に歩を見たが。
「リアレス教団の手掛かりが少ない今、彼は貴重な情報源となり得ます。それに参宮さんの努力を無に帰す様なことはできません。」
と、暗に瑠衣に同調したのだった。敦はそんな、と絶望する。歩ならば此方側の気持ちを理解してくれる筈だと、拷問などしないとそう云ってくれるのではと思ったのだ。
「少なくない構成員がリアレス教団によって死んでいます。私が此処で妥協すれば彼等に示しがつきません。」
敵は徹底的に叩く。受けた攻撃は必ず其れ以上にして返す。ポートマフィアの掟と思想が歩の中に根を張っている。ポートマフィアの幹部代理としての責任が其処にあったのだ。
「それにな、今回アンタ等邪魔だったの分かんねえ?如何せ此処に来たのも怪しい奴等がうろうろしてるって近隣住民の苦情とかだろ。正体はポートマフィア、特殊な事由につき退去は無理。社長さんにはそう報告しとけ。で、二度と来んな。」
しっしと瑠衣が手を振るが、太宰はそういう訳にもいかないのだよと笑顔で返した。
「歩ちゃん、少しだけで良い。情報を貰いたい。そうでないと今日の様に私達が君達の作戦の邪魔をしてしまったり、最悪敵対してしまうようなことになり兼ねないからね。」
「……首領に指示を仰がないことには。」
「聞かなくても森さんはこういう非効率は好ましく思っていないと思うよ?」
歩は眉を歪めた。取り敢えずキャンピングカーに乗って考えようと思ったのだが、ゴンと額を車体にぶつけそうになった。其れを太宰が額を手で支えて阻止する。
「あ……すみません。」
「大丈夫?悩ませてしまってごめんね。」
「いえ。……太宰さん、矢張り首領か中原幹部の指示を聞いて判断したいと思います。代理で幹部の座にいるとはいえ、自分の分は弁えるべきなので。」
太宰は其れが良い、と目を伏せて頷いた。歩がそう答えると分かっていたし、そうするべきだとも思っていたようだ。
「ただなるべく早く答えが貰いたいとは思っているよ。恐らく近い未来、事態が大きく動く。」
「……太宰さんがそういう云い方をする時よく当たると伺っています。明日には結論を出して連絡します。」
「歩ちゃんは仕事が早くて助かるよ。」
そうして太宰が頭を撫でるので歩は如何したんですか、と首を傾けた。
「歩ちゃんとまた普通に話せて良かったと思って。私達は君に不誠実なことをしてしまったから。」
「不誠実だなんて、そんな。太宰さんも探偵社の皆さんも私のことを想って……」
今なら分かります、と歩は胸に手を当てて探偵社での日々を思い返しながら云った。
「あの時の私は精神的に凄く不安定で、何をするにしても不器用でした。人に信用されなくて当然で……でも、探偵社の皆さんは私を心配してくださって、私が自分の気持ちに答えを出せる様に助けてくださって、待ってもくださいました。」
探偵社での日々がなければ自分は成長できなかったと歩は振り返った。
「……歩ちゃんは変わったね。」
「最近よく云われます。」
「だろうね。目に見えてだもの。」
太宰が目を細めてまた頭を撫でた。歩の表情はほんの少し動いて、嬉しそうだということが太宰にも伝わってくる。そして太宰は暫くの間歩の頭を撫で続けたのだった。
一方、太宰と歩が話しているので瑠衣と敦は待機組となっていた。瑠衣は暫くは無言でニニがいた方向を見ていたが、全く気配がないことから伸びた男の監視をしていた。敦はと云えば瑠衣に話し掛けるか否か迷っていた。
「何だよ?」
瑠衣は其の空気を察知し、敦に声を掛けた。敦はあわあわとしながらも何とか言葉を絞り出す。
「鏡花ちゃんや与謝野先生と心配してたんだ。君が何も云わずに何処か行ってしまったから。」
瑠衣は戦闘で胸を貫かれ重傷を負っていた。其れを鏡花が助け、与謝野が治癒したのだ。其の二人は其れからも何かと瑠衣の面倒を見てくれていたのだ。
「あー……心配させたなら悪かったな。二人に元気だって伝えといてくれ。」
「鏡花ちゃんは君が普通の人生を歩きたかったんじゃないかって。……探偵社なら、其の道が用意できたかもしれない。」
瑠衣が腕を組んだ。そうじゃねえんだよなあとぼやく。
「アタシの此の人生は取引で手に入れたんだよ。研究所の中で無価値と云われて捨てられそうになったアタシは異能を貰って生きる価値を得た。」
「無価値だなんて……」
「あの研究所では異能のない人間は無価値。目的とする異能じゃなくても道具扱いだ。歩だってそうだろ。アイツ等の欲しかった異能じゃなかったから掌返されて……」
敦は何と言葉を掛けて良いか分からなかった。敦自身の過去も壮絶なものだが、其れ以上に過酷なものだったのだろう。だからこそ普通に生きる人生を望むのではないかと。
「取引のことを抜きにしたってアタシは歩の所に行ったよ。」
敦は瞬きをして何故ですか、と問う。何故其処まで普通に生きることを拒むのだろうかと。
「アタシは此れまで許されないことをしてきた。自覚がある。……もう、普通に生きる道なんてないとさえ思うよ。だから、他者に絶対に許されることのない場所にいる。此処で生きて、誰にも許されずに死ぬ。王の写本でもそうだったようにな。」
其れが良いんだ、と瑠衣は静かに云った。其の静けさの中には覚悟が満ちていた。
「其処には守りたい奴もいるし。だから、アタシはそっちには行けない。」
二人にごめんなとも伝えてくれ、と瑠衣は笑った。敦は分かりましたと云うしかなかった。瑠衣の覚悟を自分では曲げることはできないと敦はそう感じざるを得なかったのである。
キャンピングカーの中では一条が叡をベッドに寝かせていた。叡は全身から汗を滲ませ、辛そうに呼吸していた。
「あー、きっつい……」
「無茶し過ぎです。」
「推しのためならちょっとの無茶は許容範囲ですー。」
一条が濡らしたタオルなどを持って来て、叡の額を冷やす。叡は気持ち良いー、と間延びした声を上げる。
「参宮さん、あの話……」
「あの話?」
「俺は……俺もお嬢様も、参宮さんのことを信頼していますよ。」
「そうだね。分かるよ。ボクも其の信頼に応えられる様に頑張るし。でも、念のためにね。」
一条と参宮の話に関しては少し時を遡ることになる。
▽
歩の元へキャンピングカーを走らせる。運転席にいたのは叡だった。アクセルを踏んで法定速度を無視してとにかく最短距離を走る。歩からの至急合流して欲しいという短い言葉から事態が切迫していることが見える。
「一条君、あとどれくらい?」
「あと1キロくらいですね。」
「じゃあ、もう直ぐか。あー、もっと近くで待機しておけば良かったかなあ!推しのピンチに直ぐ駆け付けられないクズとはボクのことです!」
其処まで卑下しなくても、と一条が思っていると、叡の視線が突然鋭くなった。
「一条君、ちょっと止まるわ。」
「如何しました?」
「道のど真ん中に糞があって。」
一条は糞?と一瞬戸惑うものの、前方を注視してみれば人影があった。真逆と思いながら叡の方を見れば、小さく頷きを返された。
「リアレス教団だね。あの感じ異能者っぽいけど。」
「なら、俺が……」
人影までの距離が縮まっていく中、叡はいやと首を横に振った。
「ボクが行くよ。」
「ですが、参宮さんは……」
「まあ、そうなんだけど。王の写本二人に対して歩一人になるのは……危険だから。」
一条は其の言葉に此れまでの事を思い返す。そういえば、歩と瑠衣と叡の三人でいることは滅多にない。大体其処にはクロか自分、または其の両方がいるのだ。三人になったとしても本当に短時間である。
「何故、ですか。」
「王の写本にオーディンって奴がいたんだけど、結構厄介な異能持ちでさ。」
人の潜在意識に上限三つの命令を植え付ける。異能力を受けた人間は殆ど無意識で彼の命令に従うことになる。ポートマフィアでも其の異能の洗礼を受けた者が少なからずいたことを一条は記憶している。
「ボク達には異能を使わない、そういう約束だったんだけど……正直、其の約束が果たされているか分からない。」
何せオーディンの異能の恐ろしいところは自分が異能を受けたか全く分からないところだ。更に異能の主たるオーディンが死んでも其の効果が残り続ける。
「ボク達は歩を殺すことを目的とした組織だ。ボクもスキールニルも今は其の気持ちは全くない。でも、オーディンの無意識下の命令により歩に不利益なことをしてしまうかもしれない。其の場合、スキールニルとボクが両方いてしまったら……」
歩が御し切れないかもしれない、と叡は語った。
「此れまで過ごして……オーディンの異能の影響下にはないだろうとは思ってるんだけどね。」
「そんなことを考えて……」
いつ爆発するか分からない時限爆弾を抱えているような、そんな気持ちで此れまでの日々を過ごしてきたのだろうか、と一条は思った。そんな素振りは一切見せていなかったのに。あんなに楽しそうにしていたのに、そういう時も自分が裏切るかもしれないことを考えていたのだろうか。
「だから、オーディンの影響を受けてないだろう一条君のこと凄い頼りにしてる。ということで後はボクに任せてよ。」
異能者の少し手前で車を止めた叡は運転席を降りていく。
「参宮さん!!」
「歩を連れて戻ってきてね。なる早で頼んだー!」
叡は其れだけ云うと異能者の前まで行ってしまった。一条は加勢するか否か考える。だが、自分が最も優先すべきなのは歩だ、と思い直してキャンピングカーを走らせたのだった。
そして叡はリアレス教団の異能者である男と対峙していた。叡の口調はきつく、糾弾するものへと変化していた。
「キミ、何な訳?道のど真ん中に立ってさ。」
「B-02だな。お前を排除する。」
「其れ……スキールニルには云わない方が良いよ?沸点低いからね、あの子。」
「役立たずの異能。無価値な存在。何故処分されなかったのか。」
叡は苦笑を溢した。そんなことくらい自分がよく分かっていた。いつ処分されてもおかしくなかった。其れでも自分が生きているのは、
「やっぱ運の良さと親の愛じゃない?スキールニルもそうだけど、母親の腹の中から生まれた組は結構生きてる確率高いんだよね。」
親に愛された記憶が叡にはある。比例する様に研究された記憶もあるが。
「ボクも自分のこと役立たずでゴミだなーって思うことは割とあるんだよね。でもさあ、ボクの大好きな皆はそんなこと絶対に云わないの。良い子ばっかりなんだよね。本当愛してるわ!」
叡は天を仰ぎ声を大にして云った。そして、顔を真正面に戻した叡の瞳からチリっと火花が散る。
「だから、お前等に何云われようと何とも思わないし。てか、邪魔でしかないんだよね。今更過去掘り起こして、変な生き物作って街荒らして。」
瞳がじりじりと音を立てる。人間の、普通の目ならば出る筈のない様な異質な音。異能者の男は瞠目した。叡の瞳が徐々に赤く染まっているのだ。
あの研究所にいた人間は特殊な瞳を有するのだと云う。遠距離を視認できる。動体視力が常人の比ではない。其の人間がどのような世界で生き、組織に属しているのかが分かる。視覚に関わるあらゆる妨害などが一切通用しない。
其れ以外の機能があったという情報はない。
「真逆何の算段もなく、お前の前に立ったと思った?」
叡は男を赤い瞳で睨んだ。殺気を纏った視線が男を貫く。
「此れが王の写本でボクだけが持つ秘密、《オーバークロック》。」
▽
リアレス教団の男の異能は単純な身体増強による近接戦闘及び超高速攻撃である。だが、彼の其の拳は今、戦闘能力皆無と思われていた叡に止められていた。高速の攻撃を叡は全て見切り、尚且男の身体強化によりコンクリートすら破壊する拳を掴んでみせたのだ。
普段人間の筋肉は30%程度しか力を発揮できていないのだという。此れは脳が常に筋力を抑制する電気信号を送っているからである。また、脳も処理の過負荷を抑えるために5%程の能力しか使えていないのだそうだ。つまり、脳には常にリミッターが掛けられているのである。
叡含め研究所にいた多くの人間が持っている此の目は単純な視力や動体視力などあらゆる視覚が常人を遥かに超える。しかし、其の視覚に身体能力の方が追い付けなければ戦闘において無用の長物である。よって、此の目には脳のリミッターを外すことで能力を無理矢理向上させ、視覚に身体能力を追い付かせる機能が備わっている。其れが《オーバークロック》だった。
けれども此の機能は研究所の中でも三人しか知らない。此の目を開発した人間が一部の情報を秘匿したためである。其の情報が《オーバークロック》であった。そして開発者が死亡したこともあり、知る者は一人となった。其の開発者が叡の両親であり、最後の一人が叡だったのだ。
更に叡は《オーバークロック》の負荷に耐えるために両親により身体改造が若干施されているのであった。其れでも長い時間は保たないのだが。
「ほら、キミの大好きな爆弾だよー。」
そう云いながら突っ込んでくる男に叡は手榴弾を放った。周辺は男の攻撃と爆発で瓦礫が飛び散っていた。
「よーし、そろそろ推しのためにもキミには死んで貰おうか。」
と、叡が拳を握った其の時。
ガツンと男の頭に瓦礫が当たった。男がうっと呻いて倒れていく。叡は呆気に取られながらも男に駆け寄る。男は完全に意識を失っていた。
「えー鉄拳制裁かましたかったのにな。」
叡は《オーバークロック》を解除して、男の傍に膝をついた。頭が焼けそうな程に熱く、目の周辺が酷く痛い。矢張り此の力は負担が大き過ぎる。諸刃の剣だ。なるべく使いたくないものである。
「頭蓋骨溶けそうだわ。……でも、こうしないとボクは異能者と互角にやれないし。……本当ボクの推しは凄いな。《オーバークロック》使わずに、目の力駆使してあんな風に戦って……凄い頑張ったんだろうな。そういうところ推せるわ。」
呼吸を何とか整えながら、叡は男を拘束に掛かる。
「推しの顔早く見てえーー!!一条君早く帰って来てー!!」
誰もいないことを良いことに、頭の熱を発散するように声を張り上げながら叡は仲間の帰りを待つのだった。
▽
「あーあーあー、マスターの傍にいなければならないのに何故ワタシは、ワタシは……」
クロは其の頃梶井の研究所にいた。目の前にある板状の金属を切断、加工といった作業を連日行っていたのである。
「此れも歩のためなのよ。もっと頑張りなさい。」
クロを叱咤するのはツヴァイであった。クロはツヴァイを定期的に監督する任を与えられていたのだが、今や其の立場は逆点しているようなものであった。
「頑張っていますよ、ええ、ワタシは頑張っています。ですが、マスターという名の栄養素が不足しているんです。」
「禁断症状ね。治療が必要だわ。」
「マスターを麻薬みたいな云い方しないでいただけます!?」
クロは叫びながらも作業を続ける。熱線でも中々切れない其れにはクロは辟易としており、其れが幾日も続いていたためやる気が低下していたのであった。
「あのね、あなたが頑張ってくれないと歩がオーダーしてくれたものは完成しないの。」
「そうですね。ですが、此れが完成するとマスターがワタシを頼らなくなってしまいそうで……」
クロが肩を落とすと火力が弱まる。ツヴァイは其れを見て呆れながらもクロに掛ける言葉を探した。
「頼らなくなるんじゃなくて……同じ場所で肩を並べて戦える、そういうことなんじゃないかしら。寧ろ距離的には近くなったんじゃない?」
「……成る程、」
クロの瞳がきらりと輝く。火力も少し上がった様にツヴァイは感じていた。
「ワタシがマスターの右腕であることは明白ですが、左腕、右足、左足になる日も近いと!そういうことですね!」
「思った以上に強欲ね……?」
此れならば大量生産もできるかもしれない、とツヴァイは推測した。
クロが加工しているのは、ただの金属板ではない。其れは元々は盾だったものだ。
歩からの依頼を受けたツヴァイではあったが、あの蟲の本体を見て思った以上に不可能に近い難題を押し付けられたことを悟った。異能を以てしても此の蟲の装甲を破る爆薬、弾薬は思い付かない。厳密に云うなら素材が足りないのだ。
「歩の戦闘スタイルからすれば狙撃弾が良いんでしょうけど……」
弾薬は、弾頭、薬莢、火薬、雷管により成り立つ。薬莢、火薬、雷管の素材や設計は思い浮かぶが弾頭だけが如何しても異能で答えを出せない。
「あの装甲を貫ける弾頭……」
素材はあの蟲の装甲と同等または其れ以上の硬度が必要だろう。だが、そんな素材は天然においても最新の技術を駆使したとしても作り出せない。
「悩んでいるね、ツヴァイ君!」
其処に現れたのが梶井だった。梶井はツヴァイが異能により思い浮かんだものを書き起こした設計図を手に取った。
「ふむふむ……弾頭が問題という訳か。如何だろう!此処は紡錘形に!」
「却下。」
「即答された……紡錘形の弾丸って前衛的で良いと思ったのに……!」
「邪魔しに来たなら帰ってくれない?ただでさえわたしはあなたのことが嫌いなの。顔も見たくない。」
「そうだ、ツヴァイ君!僕が良いものを持ってきてあげよう!」
「爆弾は要らないからね!!分かってるの!?」
話が通じるのか通じないのか、ツヴァイは心労を感じながらも梶井がいなくなったため再度設計図を見直していた。
「ツヴァイ君、ツヴァイ君!」
が、考えている暇もなく梶井がまた現れた。ツヴァイは怒りを堪えつつ、梶井の方を見た。
梶井は何かを抱えて立っていた。金属の板のようなものだ。ツヴァイは何それ、と指して尋ねる。
「歩君が持ってきたものでね。」
梶井は其の金属板を床に置いた。持ち手があるところを見るに盾なのだろうかと思いながらツヴァイは観察してみる。しかし、此れの何が良いものなのだろうか。
「此の盾はとある異能者が歩君のために作ったものだ。彼は自身が改造した武装の強度を上げる異能を持っていて、其の異能と彼の強い意志により此の世のあらゆる金属にも優る超高硬度の盾が完成したという訳だ。」
「あらゆる金属に……?」
ツヴァイは其の盾にそっと触れてみる。触り心地は他の金属類と大して変わらない。此れが本当に?と顔を上げれば何故か梶井が得意気な顔をして云った。
「具体的には銃弾は愚か芥川君の《羅生門》や中原幹部の重力操作によって通常の100倍程の威力を持った打拳ですらほぼ無傷で耐える。」
「其れは凄いわ……」
「更に此の盾は加工しても異能は消えず、硬度も変わらない。一つ欠点があるとするなら……加工がかなり大変なことと数に限りがあるということくらいかな。」
其れでも1トン弱あるんだけど、と梶井がワハハと笑いながら云った。ツヴァイは其の異能者はもう此の世にいないのだろうと何となく察した。
「其れで、如何だろう?」
「如何、とは?」
「此れを弾頭に使ってみるというのは!」
ツヴァイは梶井の提案に目を見開く。そして、バッと盾を見た。異能を発動する。此の素材があれば弾頭が作れるか。異能が答えを頭の中に瞬時に導き出してみせた。
「つ、作れる……此れがあれば、あの蟲の装甲を打ち破る弾薬が作れるわ!」
ツヴァイが歓喜の声を上げた。梶井も万歳と手を挙げる。
が、理論的に可能というだけであって、実際如何なるかは作らなければ分からない。試作品を作る必要がある。
「早速加工したいのだけど。」
「じゃあ、適任者を呼ばなければ。何せ通常の機器では加工は愚か切断すらできない。」
そろそろ来る筈なんだけど、と梶井が扉を見ていると。
「マスターの命令によりツヴァイという方の様子を伺いに来たのですが。」
「ほら、適任者の登場だ。」
「適任者?梶井基次郎様、何のお話ですか?」
そう、其の適任者こそが火の根源にして概念の具現化、金属すら一瞬で蒸発させる程の高温を容易く生成する火の化身、クロなのであった。
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