其の三十三

「今更わたしに何の用かなあ、歩ちゃん?」

 苛立ちの混じる声。鉄の檻の中にいる少女は鋭い警戒の光を瞳に宿して私を睨む。

「そうですね。私も今更だと思います。でも、お元気そうで良かったです。」

「元気?そう見える?」

 彼女は右足をふらふらと揺らして私に問い掛けた。其の右足は膝から先が失われている。報告によれば抵抗する彼女に対し梶井さんの爆弾で吹き飛ばされてこのようなことになってしまったらしい。

「わたし、もう疲れたの。放っておいてくれる?」

「……私は、あなたに協力を要請しに来ました。」

 彼女が目を見開き、私を訝しむ。

「云ったら悪いけど……頭おかしいよ?わたしが協力?有り得ない。だってわたしはツヴァイよ!モントの!」

 彼女はツヴァイ。以前、モントという私とは少なからず因縁のある組織に属していた金髪の少女。

「協力なんてする訳ないじゃない。わたしがアインスを殺したあなたに!」

 石でも投げ付ける様な怒声だった。私は彼女の大切な人であろうアインスと殺し合い、辛くも勝利を得た。私の中で何かが変わったのも其の時だった様に思う。

「アインスはあなたの大切な人だったんですか?」

「……大切……其れは違うわ。」

 ツヴァイは握った拳を震わせながら吐露する。

「あんな奴を大切なんて思う筈ない。わたしはアインスの異能が怖かった。あの異能だけは許せなかった。許せなくて、でも拒むこともできなくて……だからずっと機会を待っていたの。ずっとずっと待ち続けていたの。」

 なのに、私がアインス殺してしまった。彼女の行動原理である復讐の炎を私が絶やすことになってしまったのだ。

「モントにいた皆の半分以上がアインスに無理矢理従わされてたの。アインスの異能でトラウマを呼び起こされて、怖くて逆らえなかった人達が沢山いた。わたしもそんな人達に自我を失う薬を飲ませて戦わせた。許されることじゃない。だけど……わたしが……助けたかった。ポートマフィアに目を付けられた以上、全員死んで……」

 私は首を傾ける。確かにモントの構成員の死者もいるにはいる。私が殺した人もいるし、否定はできない。だが全員が死んだ訳ではない。其れを如何云おうか。私が云って説得力があるか、彼女にとって信用に足り得る情報になるか、と考えていると。

「モントの人達って逃げて普通の人生に戻ったり、ポートマフィアに所属していたりするのが多いんじゃなかったっけ。何せモントの主要拠点が燃えて、データ類が全て消失したために構成員全員を把握することができなかったからって。実際のところ如何なのかは知らないけど。」

 一緒に来ていた参宮さんがさらっと云ってしまった。少しの間沈黙が流れた。参宮さんがおっと?とただならない空気を察知する。

「あれ……云っちゃいけなか……った?」

 不安そうに此方を見てくる参宮さんに私は頭を振る。私が云おうとして迷っていたことだ。参宮さんでも私でも特に反応は変わらない筈だ。

「ほ、本当?」

 ツヴァイが私を瞬きもせずに見詰める。私は頷いて、口を開く。

「死者はいます、ですが、生きている人もいます。ただ全員の消息が掴めている訳ではなくて。」

「で、でも会える可能性はあるってこと?」

「条件が揃えば少なくともポートマフィアにいる方とは会えるかと。」

 私が肯定すると、ツヴァイは肩の力をふっと抜いた。

「それで、其の条件というのがわたしがあなたに協力すること?」

「私はあなたが其処までモントの仲間に思い入れがあるとは思っていなかったので……」

 見返りとして考えていたのは右足の治癒や制限はあるものの座敷牢からの解放などだった。どれか一つで彼女が頷いてくれたなら僥倖、だが厳しいだろうという見立てだったのだ。

「わたしに何をして欲しいの?あなたのことだからできないことは頼まなさそう。」

 私はリアレス教団のことや蟲のことを話した。特に蟲について、私が経験したことを詳細に話す。

「其れは……わたしが何とかできると思えないのだけれど、何か考えがあるの?」

「あなたのことは元モントの方から聞いています。あなたは自分の望む効果を持つ薬に必要な素材や成分が分かる異能を持っている。……薬と名の付くものなら何でも。」

 其れは医薬に限らず火薬、爆薬なども該当するのだと云う。モントは活動資金が少ないこともあってツヴァイがより安価で爆発力の高い爆薬を生み出していたらしい。

「そうだけど……もしかして其の蟲の装甲を破れるものを作れってこと?」

 私はその通りだと頷いた。ツヴァイは複雑そうな顔をする。難しいですか、と私が問うとツヴァイは分からないと目線を下げた。

「触ったりもできないんでしょ?徹甲弾も通じない、超高熱にも耐える……確かにわたしの異能はある程度融通は効くけれど、其れは此の世に普遍的に存在するものだからこそであって。」

 あの蟲の装甲は自然の摂理を度外視している。此の世には存在し得ないもの。異能があってこそ其処に在ることができるものだ。だが、其れは私も理解している。困難なことは分かっている。けれど、唯一私が見出すことができた希望なのだ。

「歩ちゃんは……わたしができるって信じてくれるの?」

 ツヴァイと私の視線が交わる。不安に彩られた瞳。もしできなかったら。しかしできると嘘を云ったとしても。そんな葛藤が見える。

「此れ以上ポートマフィアからも普通の人達からも犠牲を作りたくないんです。」

 お願いします、と頭を下げる。
 大切な人を守るために。ヨコハマの平穏を守るために。

「……分かった、協力する。あなたに協力すればポートマフィアにいる子達のためにもなるかもしれないから。でも、できるかは保証できないからね。頑張るけど!」

「……ありがとうございます。よろしくお願いします。」

 こうして、ツヴァイが協力者となったのである。


「気持ち悪っ、こんな生物が此の世にいて良いのか……?」

 如月さんが露骨に顔を歪めて、クロが燃やした黒鉄の蟲の死体を見ていた。

「ボク、蜘蛛が此の世界で一番嫌いなんだけど!!無理なんだけど!!ねえ!!」

「男のくせに虫程度で喚くんじゃねえよ、トール!!」

「キミだってヤモリが出た時失神してたくせに!!」

「其れは過去のアタシだろ!!今はもう克服してんだよ、お前と違ってなあ!!」

 何故か殴り合いの喧嘩になりそうだったので宥めつつ、解析班が様々な機械を使って調査しているのを眺める。解析班も触れることができなかったりと制約があるので苦戦しているようだった。また、中にいたであろう本体はクロの熱で蒸発してしまったらしく空洞だったようで主な調査は外装部分となっている。徹甲弾すら通らないのだから私が単独で遭遇してしまった場合、今回の様にかなり厳しい戦いとなってしまう。クロが助けてくれるからといって何もしない訳にもいかない。何か対策を考えなければならない。そのためにも解析班の結果を待ち、其の解答をツヴァイに届ける必要がある。

「アタシの空断剣でも無理そうだな……」

 如月さんがぼやいた。ボクなは生理的に無理なんだけどと参宮さんも肩を落とした。一条さんも曖昧な表情だ。

「大丈夫ですよ、ワタシが皆様をお守り致します!勿論マスター優先ですが!」

 唯一焦燥感がないのはクロだけだった。まあ、クロは単独で撃破している訳なので余裕があって当然である。

「皆様が死ねばマスターが悲しみますからお守りするのは当然ですとも。」

「其れって、アンタは悲しんでくれねえってこと?」

「申し訳ないですが今のところマスター以外を失って悲しむ感情はありませんね。」

 酷い、と如月さんと参宮さんが顔を覆った。ただ本気で悲しんでいるのではなくてどちらかというと揶揄ったり、いじったりという雰囲気である。クロが馴染めるようにと二人が配慮してくれているのが分かり、微笑ましい気持ちになった。ただクロも通常運転であるため其の配慮が効いているのかは定かではない。

「でも、マジで何か対抗手段考えないとやばいぞ。アタシも歩を守れないってのはちょっと沽券に関わる。」

「如月さん、私のことはそんなに気にしないでください。」

「……そういう訳にもいかないんだよ、此方は。」

 余りにも深刻そうな顔付きを如月さんがするので少し不安を覚えた。
 如月さんと参宮さんは私に隠し事をしているのは分かっているが、其れが関係しているのかもしれない。何とか二人の心配事を解決できればと思うのだが、未だに二人が何を隠しているのか全貌は分からずにいる。クロに探っておきましょうかと提案されたことはあるが、其れをするのは余り良くないような気がして断っている。二人の上司として何かできることはないか模索する日々が続くばかりだ。

「そういえば、クロが云う拠点に調査入ったんだろ。如何なったんだ?」

「其れが同じ蟲が現れたみたいで死傷者が出ているとか。今は厳重な警戒態勢を敷くと共に部隊を編成して討伐に出向くことになっています。」

「其の云い方だと歩は参加するのか?」

 如月さんの問いに無言で肯定する。というのも、此の話は少しだけ時を遡る。

 クロが示したリアレス教団の拠点を調査した者はほぼ壊滅したとのことだった。情報を持ち帰るため撤退し、報告してきた構成員が震える声で云うことには黒鉄の様に光沢のある漆黒の胎児が現れたのだそうだ。そして実力のある戦闘系異能者及び十人の構成員が圧倒的な力を以て殺害された。
 よって、私や中原幹部、芥川さんやその他準幹部が集まり緊急の会議が開かれた。より強力な部隊を編成し調査すべきだという首領の指示からだ。
 しかし会議は、紛糾していた。

「俺は此の女の麾下に入りたくありません!!」

 そう叫んだのは準幹部の一人。次期幹部の最有力候補だった男だ。

「おいおい、代理とはいえ幹部の席を預かる歩を此の女呼ばわりとは見上げた根性してるじゃねえか。」

 中原幹部が苛立ちを隠さず云った。私は其の意見が理解できない訳ではないので何も云い返すことはなかった。

「此奴は元は下級構成員ですよ!其れが一気に幹部代理にまで昇格して、此れまで地道に成果を積み重ねてきた俺達が莫迦みたいじゃないですか!!」

 彼は私を睨み付け、声高に云った。きっと他にもいる準幹部達の総意であるのだろう。鋭い視線が一斉に向けられた。いっそ殺意すら感じる程だ。私の背後に控えていた一条さんが拳銃に手を掛ける程に。

「手前等は首領に異論があるってことか。」

「此の女が本当に幹部としての実力が備わっているとは思えません!!」

「実力のない奴を首領が幹部代理にする訳ねえだろ。」

 中原幹部と其の準幹部の意見は平行線のまま続いた。中原幹部は冷静に対処しているが、沸点が近付いているのが見て取れる。其の準幹部が私に暴力を振るっていた様な発言をして更に無意識ではあるだろうが煽っていくものだから私はそろそろ如何にかしなければとタイミングを計っていた。

「僕も歩に幹部として相応の実力があるかと問われれば疑問を呈さざるを得ない。」

 そうして準幹部の男に加勢したのは芥川さんだった。

「太宰さんのためにと首領が空席にしていた其の席を弱者が我が物顔で座っている……糾弾されるも至極当然、そう思わぬか歩。」

「芥川、手前は太宰のことになると……っ」

「其れは中也さんにも云えること。先程から歩を擁護してばかりの発言。仕事に私情を挟んでいると取られても致し方ないのでは。」

 中原幹部は其れでも芥川さんに食って掛かろうとしたが別の声が室内に響き渡った。

「芥川さん、貴方が此処まで浅はかな御方とは思ってもいませんでした。」

 一条さんだった。流石に私も驚いて彼の方を振り返った。一条さんは芥川さんに少なからず執着があった。認められたいと必死だった。だから彼を貶める様な発言をするなんて、信じられなかった。

「何……?」

「此の会議の決定は急を要するのでは?にも関わらず制止を促すどころか片方の意見に加担し、火に油を注ぐ始末。余りの浅慮に元部下として落胆しました。」

 全員が呆気に取られていた。其れは芥川さんも同様で、怒りに震える声で云った。

「貴様、歩の元で一体何を学んだ。傲慢にも僕に反抗することか。」

「沢山のことを学ばせていただきましたよ。貴方の下にいた頃よりも短時間で、より多くのことを。」

 私も動揺せざるを得なかった。動揺して思わず中原幹部を見た。中原幹部も私を見ていた。私が首を傾げると中原幹部も同じ様に首を傾けた。反対方向に傾けると中原幹部も傾けた。何だか中原幹部が可愛らしくて思わず微笑みそうになったのだが、遊んでいる場合ではなかった。
 芥川さんの憤怒と同時に頭の中で警鐘が鳴ったのだ。

「僕に力を認めさせるために歩の下にいると聞いたが其処まで大口を叩けるならば僕に勝てるほどの力を身に着けたのだろうな!」

 遂に芥川さんが《羅生門》を発生させた。黒い一本の刃が、私に迫った。其れを3発の銃弾が阻む。一条さんの拳銃からのものだ。一条さんは無表情で銃口を芥川さんに向けた。

「僕を銃で倒そうなど貴様こそ浅はかだ。」

 何も変わっていないと芥川さんは断じ、空間断絶で一条さんが芥川さんに向けて放った銃弾を止めた。

 芥川さんは銃口を注視していた。

 其処にもう彼はいないのに。

「は、」

 拳銃の引き金に掛けられていた指がない。拳銃は重力に従って地面に落ちていくだけだ。其れを、芥川さんはただ見ていることしかできない。

 異能の対象となった一人の視線を任意の物体に対して2秒間固定できる。

 目を逸らせない。逸らすことができない。
 其れが一条颯の異能力。

 其れは数ある異能の中で戦闘に向いているかと云われればそうではない。
 其の異能を持つ彼も戦闘が得手てはいない。寧ろ対極に位置する家事全般を得意としている位だ。
 そんな彼の望みは殺戮の権化であるポートマフィアの禍狗、芥川龍之介に認められること。芥川龍之介の遊撃隊で居続けること。

 認められる、そのために。

 銀色の刃が照明の光を反射し迸る。刃の先には彼の願いである芥川さんがいた。芥川さんは目線を其の凶刃に向けることができない。一条さんの姿を追うこともできない。振り抜かれた日本刀の一閃は芥川さんに抵抗の暇さえ与えない。

 戦場において2秒は、戦況を覆すに足る時間だ。

 彼は拳銃を使った戦闘スタイルだったが、芥川さんなら銃声が鳴った瞬間、其の方向に対して空間断絶をすれば容易に銃弾を無力化できる。更に彼は気配や殺気を消すことができていなかったため、異能を使っても其の道の人間ならば位置を簡単に特定できたのだ。だから、私達が教えたのは視覚情報以外の全てを極限まで薄めることだ。音は要らない。気配も要らない。

 殺気は刃が届く、其の一瞬にだけ。
 其れが私達が教えたことだ。

 切っ先は芥川さんの首筋に触れる寸前で止まった。

「芥川さん、貴方なら分かる筈です。俺があと数ミリ動かすだけで致命傷だと。」

 一条さんは冷静に云った。芥川さんへの異能は既に解かれている。芥川さんは首筋の刃と一条さんを一瞥し、小さく吐息を零した。厭な予感がした。と、同時に警鐘の意味を知る。少しだけ覚悟をして私は一条さんの元へ駆けた。

「甘過ぎる。其の数ミリを詰める間さえあれば僕の《羅生門》は貴様を切り裂ける。」

 芥川さんの《羅生門》が地から生え、一条さんの腕へと其の鋭利な刃を伸ばした。腕を切り落とさんばかりの勢いだった。一条さんは反射的に退くが、避けられそうになかった。
 そして一条さんの腕に刃の切っ先が触れる、其の直前私は一条さんへ腕を伸ばし突き飛ばした。其の腕が一瞬の間の後、宙を舞った。芥川さんの驚愕の表情を視界の端に捉えた。芥川さんも想定外のことだったのだろう。私の腕は綺麗に斬り落とされていて、血がぼたぼたと滴り落ちていた。それでも矢張り痛みはない。

「歩っ!!」

「お、嬢……っ、お嬢様!!」

 中原幹部と一条さんの声に身体を起こす。中原幹部は愕然とした表情で、一条さんは今にも泣きそうな顔をしていた。特に一条さんが此処まで感情を顕にしたのは初めてだった。

「俺の……俺のせいでこんな……っ!!」

「一条さん、大丈夫で……」
 
 大丈夫ですよ、と云おうとした途中で被せる様に準幹部の男が嘲笑と共に叫んだ。

「うちの医療班は優秀だから腕が吹っ飛んだくらいならそりゃ大丈夫だろうな!!ああ、それとも無能な部下守って腕なくなったんで幹部辞めても良いですかって口実にでもするか?!」

 男の笑い声が脳内で反響する。彼は何と云ったか。一条さんを無能だと云ったか。そうして一条さんを嗤ったのか。
 私は立ち上がった。男は未だ私達を罵倒している。男の声がこびり付いて耳に障る。私は罵詈雑言を浴びせられるのに慣れている。だから、何も感じない。けれど、一条さんに其れを聞かせるのは許せない。

 ───生殺与奪。

 唇だけ動かした。腕は忽ち再生した。

 そして、

「ぃぎゃあああ!!」

 男から断末魔にも似た悲鳴が上がった。男の腕がぼたりと落ちて、溢れた血で床が濡れていた。其の場が騒然となる。

「あなたの云う通りです。ポートマフィアの医療班は優秀ですから、此の程度なら直ぐに処置すれば問題ないでしょう。」

「う、で、俺の腕がっ……」

「此の会議は緊急を要すると云いましたよね。なのに私の幹部の資質だの進退だの不毛な論議ばかりして一向に先に進まない。自分の野心ばかり優先して中原幹部の言葉にすら聞く耳を持たない。」

 私は男の前まで歩みを進めた。男は椅子から転がり落ちる様にして逃げる。得体の知れない、悍ましいものでも見るかの様な目だ。

「そもそも私がポートマフィアに入る前から太宰さんの席は空けられていたんです。準幹部の皆さんが太宰さんと同等もしくは其れ以上の力を示し首領に認められていたならとっくの昔に誰かが幹部に昇格していた筈。……私のことをとやかく云う前に先ず自分を省みた方が良いとは思いませんか。」

「あ、ぐっ……」

「私が幹部代理であることに不満があるのは分かります。けれど、今は其の議論をすべき時じゃない。そんなことも分からないんですか。」

 男は壁に背中を付けて震えていた。確か彼は戦闘系異能力者で戦果もかなり挙げていた筈だが、自分が劣勢になったことがないのだろうか。呆れを通り越して憐れみすら感じた。私は男の前に立ったまま振り返って芥川さんに告げた。

「芥川さん、あなたの反射速度では一条さんの攻撃を防げません。」

 芥川さんは反論しなかった。だが、きっと芥川さんなら理解している筈だ。だからこそ自分の脅威となり得る一条さんを反射的かつ無意識的に無力化しようとしたのだろう。

「芥川さんの考えは理解できるので今回は咎めません。一条さんにも非がありましたし。ただ一言でも違えていたなら腕が飛んでいたのは芥川さんであることをお忘れなく。……他の皆さんも同じです。」

 いつでも。何処でも。誰でも。人間であるならば。其れが、私の異能力なのだ。
 人類の脅威であり、災厄。其れが、私なのだ。

「今回、指揮に携わることになったのは首領の命令です。異論があるならば首領に直訴してください。また、私の幹部代理の可否については希望があれば後日リアレス教団の問題が解決し次第時間を設けます。」

 私は放心状態の一条さんを支え立たせた後、席に戻り告げた。医療班を呼び、男が運ばれた後は粛々と会議は進んでいった。速やかに部隊の編成や作戦が決まり、情報交換などを済ませた後、解散となった。話し合いの最中、中原幹部のことを見ることができなかった。何となく怒っているのは雰囲気で伝わってくる。

「お嬢様……」

 中原幹部と私、そして一条さん以外の全員が退出し静けさが訪れた室内で一条さんが私の傍に跪いた。

「申し訳ございませんでした……」

 私の負傷で相当参ってしまっているようだ。項垂れる様に頭を下げて一条さんは続けた。

「お嬢様を守らなければならないのに俺は、」

 自分の欲を優先してしまったのだ、と一条さんは語った。芥川さんの言動に怒りを覚えた。其れだけでなくこのまま戦闘に持ち込めば芥川さんに自分の力を示すことができるのではないかと敢えて煽る様なことを云ったのだそうだ。
 確かに褒められたことではない。だが、私は一条さんの気持ちも努力も知っているから余り強くは云えなかった。

「歩、一条は手前の部下だろ。だったら甘やかすんじゃねェ。」

 中原幹部の厳しい声が響いた。

「一条、分かってるな?手前は幹部の席を預かる人間を危険に晒した。」

「……はい。」

「歩は芥川と同じ様な強さを持ってる訳じゃねえ。戦闘は銃火器や体術、ほぼ手前と同じスタイルだ。異能力も……今日見ただろ。強い異能ではあるが戦場で使えるモンとは云い難い。使えば精神的にも肉体的にも負担が掛かる。」

 中原幹部は私をずっと見てきてくれた人だ。私の強いところも、弱いところも知ってくれている。だからこその言葉。私を心配し、私を信用してくれている人の言葉だ。

「其れでも他の異能者達と渡り合えてきたのは努力と経験を積んできたからだ。其の過程で一人で無茶ばっかりしてきたのも俺は知ってる。だから歩の部下になった奴には歩が此れ以上無茶しねえように助けてやって欲しかった。」

「……俺は、中原幹部の期待を裏切ったということですよね。」

「構やしねえよ。手前は芥川の所に戻るんだろ?」

 中原幹部の問いに一条さんはびくりと肩を震わせた。芥川さんに認められたら、その時は彼と同じ戦場に立つのが一条さんの目指すところだった。

「今日、手前が芥川を煽ったのは手前の実力を彼奴に示そうとしたってだけだろ。芥川に認められて、遊撃隊に戻るために。歩が貶されたことを出汁にしてな。」

「其れはっ……いえ、そう取られても仕方ない行動をしたと思います。」

 一条さんは反論を飲み込んで肯定した。中原幹部だって本当はこんな叱責をしたい訳じゃない。だが、私ができないから、しないから中原幹部が代わりにしてくれている。そう考えると不甲斐なさに胸が痛くなった。

「歩はな、此れからも今日みたいに自分を犠牲にして手前を助ける。ああいう異能力だから自分が如何なっても手前を助けられたら其れで良いってな。例え手前が私情を持ち込んで、自分の責で命の危機に瀕したとしてもだ。だから俺は歩のためなら自分の意志や欲をある程度抑え込める奴に傍にいて欲しい。」

「中原幹部……!」

「歩、手前が彼奴等を尊重したいのは分かる。けどな、今日みたいなことが許されて繰り返されるようじゃ手前が傷付いて擦り切れていくだけだ。」

 中原幹部が私を想って云ってくれているのが分かる。分かるけれど、一条さん達の命は一つしかなくて、人生は一度きりしかない。私は自分の生死が未然に分かるし、対処して死を回避することができる。

「中原幹部の気持ちは分かってる心算です。でも、私は……!」

 食い下がろうとした私を遮って一条さんがお嬢様、と細い声を上げ首を左右に振った。

「今となっては云い訳にしかなりませんが、俺はもう芥川さんに認められたいと以前程強くは考えていません。お嬢様達と過ごす内に徐々に薄れて……今までが嘘の様に芥川さんのことを考えなくなりました。」

 一条さんは淡々と語った。以前同じ様なことを彼は口にしていた。私達との日々を通じて自分を認めてくれる存在がいたことに気付いたのだと、そう云っていた。

「先程のことは芥川さんの発言が許せなかったからです。他意は本当にありません。お嬢様の努力を知っている筈なのに蔑ろにして、無知なあの男に加担していることが俺には耐えられませんでした。」

「一条さん……」

「俺は……可能であれば此れからもお嬢様の傍にいたいです。次はこのようなことが起こらない様にお嬢様を身命を賭してお守りし、お嬢様と中原幹部の期待に添えるよう努めて参ります。」

 一条さんは最敬礼をして誠意を示した。私を守る。信頼に応えてみせると。中原幹部はそうか、と首肯した。

「手前の覚悟は分かった。で、歩は如何したい。」

 一条さんが私の所にいてくれるなら其れはありがたいことだ。私を信じて一緒に歩いてくれる人は此の組織には少ない。一条さんは私にとって必要な人だ。

「一条さんがいてくださるのだとしたら凄く助かりますし、嬉しいです。」

「お嬢様……っ」

「此れからもよろしくお願いします。」

 一条さんが深々と頭を下げた。私も頭を下げて返す。

「手前等が其れで良いなら俺は何も云わねえよ。だが、次もし同じ様な状況になったら俺は歩と組織のために手前を罰する。」

「承知しています。」

 なら良いと中原幹部は此の話に区切りをつけた。緊迫した空気が緩んだ。
 かの様に思われたが。

「一条、手前は先に帰ってくれるか。歩と二人で話したいことがある。」

 今度は私が怒られる番らしい。一条さんに何とか連れ出して貰おうと視線を送るがすみません無理ですという視線を返されてしまい、一条さんは速やかに部屋を出ていった。

「あ、否、あの……中原幹部、此れはその、反射的に……手が。それに私がこうしないと一条さんが死んでいたかもしれなくて、」
 
 私はしどろもどろに弁明する。中原幹部の目が怖くて見ることができない。だらだらと額や背中を汗が伝っていく。

「歩……」

 中原幹部の手が私に向かって伸ばされる。私があわあわしている内に其の手は私の身体に回されていた。引き寄せられて、中原幹部の胸にすっぽり収まる。

「悪かった。」

 怒られるのだと思っていた。無茶ばかりして。自分を軽視して。あんなことする必要はないと、自分を大事にしろとそう云われるものだと。

 何で。何で、中也さんが謝るのか。

「中也さんは、何も……」

「今回は其の場にいたってのに手前を守ることができなかった。手前が組織内で今どんな扱いを受けているのか分かってた筈なのに連中を諌め切れずに、挙げ句守るって誓った手前を……」

 私は、あの時一条さんを守ることが最善だと思っていた。けれど、中也さんの此の表情を見てそれでもそう堂々と云えるかと問われれば否であった。もっと他に良い方法があった筈だ。

「中也さんは悪くないです……私が、もっと、」 

「歩はよくやってる。此れ以上ねェってくらいな。」

 中原幹部は私に甘い。こういう時自分で自分を律する必要がある。だけど、今だけは其の言葉に甘えて、中也さんに身を委ねる。

「ただ今回のことで手前の幹部としての資質と威厳は示せたんじゃねェかと俺は思ってる。当分手前を害そうとする奴は現れねえだろ。」

「そうでしょうか……」

「芥川含め彼奴等全員組織の中枢担ってる奴等だったしな。やり方は如何あれ其奴等全員黙らせたんだ。」

 やり方、というところには含みがあるものの中原幹部は私の頭を撫でてくれた。いつもの私の大好きな優しい手だ。

「歩、手前は自分には厳しいが、反面一条達に滅茶苦茶甘え。自覚はあるな?」

「……はい。」

「今回は手前が上の人間として一条を止める必要があった。一条の気持ちに添いたい手前の方針は分かるが、だからって何をしても良い訳じゃねェ。」

 中原幹部の云う通りだ。今回のことは私が一条さんを芥川さんとの戦闘になる前に制止させるべきだった。一条さんがあんなことを云うなんて思いもしなかったが故に反応が遅れてしまったが云い訳にはならない。

「手前の部下は強い奴ばかりだ。そして、本当の意味で御せるのは今の所手前しかいない。そんな手前が彼奴等に甘くすれば、何をしても許されると思って暴走しちまう可能性が高い。」

「そう……ですね。」

 如月さんや参宮さんが私に何かを隠して動いているのを知っている分、其の言葉には説得力があった。私に後から伝えても許されると思われているのかもしれない。

「ちゃんと、します。今回のことも本来なら私が一条さんを諌めるべきだったのに……すみません。」

 分かったなら其れで良い、と中也さんはまた頭を撫でてくれる。そんなことを云いつつ、初めて会った時から中也さんは本当に私に甘いのだ。

「討伐部隊のことも無理はするなよ。何か問題があったら迷わず俺を頼れ。俺の名前を出すことで事が円滑に進むなら其れも構わねえから。」

「ありがとうございます。最善を尽くします。」

 でも、私はあの時と変わらず中也さんの期待と向けられる優しさに応えたいと思うのだ。

 其の様な事があり討伐部隊には私も参加することになっている。全体の指揮は中原幹部が主となり、私はほぼ後方支援のようなものだが。

「皆さんにも手伝って貰うことになるかもしれません。」
 
「お任せください、マスター!あの様な蟲の一匹や二匹、十匹や百匹簡単に屠ってみせましょう。」

 クロがそう高らかに謳う。作戦としても此方の異能者の攻撃が効かない場合、最後の望みとしてクロの殲滅力に賭けている部分が大きい。

 解析班が未だ時間が掛かりそうということで一旦執務室に戻ることにする。すると、執務室の扉の前に人影が三つ。一つは一条さんで、もう一方は……

「あ、アイツ等!!」

 芥川さんと樋口さんだった。先程話したこともあってか如月さんが警戒心を露わにして走り出す。

「おい、糞狗風情が一条に手ぇ出してんじゃねえぞ!!」

 如月さんが空断剣を出しながら一条さんを守る様に前に立った。其処に同じく樋口さんが芥川さんを守る様に躍り出る。

「芥川先輩になんてこと云うんですか!!無礼ですよ!!」

「仲間守るためなら礼儀なんて知った事じゃないね。それに何度だって云ってやるよ。短気、莫迦、煽り耐性ゼロ、中二病!つまり、糞狗評価で十分……あだあ!」

 ごん、と結構良い音がした。参宮さんがいつの間にか如月さんの隣に来ていて頭に拳骨を入れたのだ。

「スキールニル、良い加減にしたら?」

「トール!殴ることないだろ!」

「キミみたいなじゃじゃ馬は拳骨くらいが丁度良いのさ。というか此れ以上ボクの推しの周囲からの評価を下げる様なことしないでよ。莫迦なの?」

 参宮さんの言葉に如月さんは分かってるよと不満そうに漏らした。如月さんに代わって参宮さんが芥川さん達に対応する。

「如月がすみません。昔から口が悪くて。」

「口が悪いどころじゃないですよ。歩ももうちょっと部下の教育をしないと……」

「は?推しの方針に口出さないでくれる?そもそもボクの最推しである歩と、同志の一条君を傷付けておいて近付くなんて烏滸がましいにも程があると思わない訳。」

「話が通じない人ばかりなんですが!」

 樋口さんが助けてください!と叫ぶ。そうだ、私が何とかしなければのに。私が駆け寄ろうとする前に一条さんが二人を宥める。

「俺は大丈夫ですから。二人の気持ちはありがたいですが、どうか落ち着いてください。」

 二人は一条さんがそう云うならと身を引いた。私も其処に近付いて一条さんに何があったのか改めて尋ねることにする。

「大したことではありません。此処に残る心算なので、前していた仕事の引き継ぎなどについて樋口さんと話し合いを少々。芥川さんはお嬢様に用件があるそうでお待ちになっておいででした。」

 私に用事。何だろうかと思いながら芥川さんを見れば、私を一瞥して何故か廊下の向こうに行ってしまった。付いてこいということだろうか。

「えっと、すみません……行ってきますね。」

「アタシも行こうか?」

「大丈夫です。如月さんと参宮さんは樋口さんを困らせないようにしてくださいね。」

 心配そうにする如月さんと参宮さんに云い置いて私は芥川さんに付いていった。
 芥川さんは途中で足を止めた。

「腕は平気か。」

 芥川さんの第一声。私を心配する言葉だった。意外に思いながら大丈夫ですと返した。

「なら良い。……貴様は攻撃する心算は無かったからな。」

「はい、私も反射的に手が出てしまっただけですから気にしてませんよ。」

 芥川さんは私に何かよく分からない感情がこもった視線を向ける。何ですか?と尋ねれば芥川さんは視線を下ろした。

「普通、腕を斬り落とされて気にしないなどと云わない。」

 と芥川さんは腕を組んで云った。私は苦笑する。痛みもなかったし、再生するというのが矢張り頭の中にある。そういった面で常人とは大きく違うことが露呈する。

「だが、変わったな。」

「私がですか?」

 芥川さんは首肯する。

「貴様は地に這い蹲り、死を待つのみの弱者だった。以前はな。今は……弱者の気配が薄まっている。力を見せ圧倒するだけでなく論を通せる。強者の真似事をしているに近しいが……悪くはない。」

 此れは褒められているのか分からないが、良い方向に受け取って良いんじゃないだろうか。だって、芥川さんは私にずっと厳しくて、助けてくれることも勿論あったけれど、言葉は常に鋭かった。けれど、今の言葉に鋭さはない。

「貴様の下で戦いたいと思う程ではないが。」

 私も芥川さんを御せるとは思っていない。今の私は分相応のことをすることで精一杯だ。
 すると、芥川さんが私に紙袋を差し出した。何を持っているのだろうと思っていたが、私へ渡すものだったようだ。

「此れは……?」

「一条の淹れる珈琲は美味いだろう。」

 中身は珈琲らしい。言葉からするに一条さんへの餞別のようなものだろうか。

「微温湯の中で精々足掻けと伝えておけ。」

 芥川さんはそう云って去っていった。私が紙袋を持って執務室に戻ると、樋口さんも帰ったらしく中にはいつものメンバーが揃っているだけだった。一条さんに芥川さんから貰った紙袋と言葉を伝える。

「芥川さん、俺の珈琲美味しいと思ってたんですね。そうか、良かったです……」

 一条さんは嬉しそうな、寂しそうな顔でそう呟きながら珈琲を作り始めるのだった。


 うはははははは!!

 高らかな笑い声が響き渡る。
 爆発音にも優る笑い声。

「何これ何これ何これ……」

 彼方此方で爆発が起こる。火柱が噴き出す。白衣を着た男女が逃げ惑う。梶井さん!!と何度も誰かの名前を呼び制止させているのが聞こえてくる。

「地獄の間違いでは?」

「うははは!はははは……おや?君!久しぶりじゃないか!また襲撃しに来たのかな!」

 地獄の中心部の男と目が合う。以前、モントにいた時に遭遇した科学者の装いをした男。

「確かツヴァイ君!そう、そんな名前だった気がする!ところで、君は紡錘形は好きかな!?」

 紡錘形だとか名前だとか如何でも良いだろう、此の状況で。
 ツヴァイは肩を落とす。本当にこんな所で歩の依頼をこなせるのか。しかも自分の足を吹き飛ばした人間と一緒に。歩の考えが理解し難い。

「それでもやるしかないの、やるしか。」

 しかし爆発は止まることを知らない。ツヴァイは大きな溜め息を吐き出して、其の場から離れることしかできなかったのである。

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