閑話

 設定がばがば。ゴーゴリ難しい。解釈違いあるかも……。すみません。

「此処は外界から隔絶された私の異能空間!何人たりとも逃げ出すことはできず、助けを呼ぶこともできません!」

 久しぶりの休日だった。

「却説、ご来店くださった皆様には遊戯に参加していただきます!」

 一条さんが家電量販店の広告を見ていたので、何か欲しいものがあるのか尋ねてみると、最新のコーヒーメーカーが発売されたのだと云う。ただかなり値が張るらしく一条さんは購入に対しては消極的だった。
 なので、日頃のお礼も兼ねてこうして広告を出していた家電量販店を訪れたのだ。

「遊戯のルールはとても簡単です。最後まで生き残った者が勝者となる、以上です。」

 家電量販店は平日の昼時ということもあって人は少なかった。広大な敷地面積かつ三フロアに分けられていることもあって人は疎らで店員の方が寧ろ多いくらいだった。こういう時、店員がよく話し掛けてくるのでちょっと困る。

「異能の都合上三時間しか此の空間は保ちません。よって制限時間は三時間とします。」

 私は、目当てのコーヒーメーカーがある所まで真っ直ぐに向かった。3階で直ぐに其れは見付かった。
 誰か来る前にさっさと箱を持って、レジに向かっている時だった。

「では、皆様!私の完璧で残酷な世界の中で、精々足掻きながら死んでいってください!」

 突然、このような男の声が響き渡ったのだ。大音量で店内全体に流れる。嬉々とした声。命を軽視している人の声だ。私には、分かる。

 体裁を気にしている暇はない。確認のため、私はコーヒーメーカーの箱を其の場に置いて窓の方へ向かった。拳銃を抜いて、昼なのに青空一つ見えない真っ黒な窓に向かって三度発砲する。一発目で硝子は割れた。二発目、三発目は黒に飲み込まれていった。割れた窓の隙間に手を入れてみるが、何もない。外界から隔絶された異能空間、というのは真実らしい。此の店一帯が彼の異能空間となっているようだ。完全に閉じ込められた。

 其れに閉じ込めるだけでは終わらないらしい。完璧で残酷な世界、と云ったか。休日なのに変な事件に巻き込まれてしまった。コーヒーメーカーを買いに来ただけなのに。今度からは通販で買うことにしようかと考えていると。
 直ぐ近くで断末魔が聞こえた。レジの辺りか。私がそちらに視線を向ければ、直ぐに其の絶叫の理由が分かった。
 黒い人の様なものが立っていた。何もかもが黒単一で塗りつぶされている人型の何か。否、唯一白い部分がある。白目の部分。何故其処だけ白いのか定かではないが其れ以外は純度の高い漆黒だった。其の人型の何かが同じく漆黒の機関銃を店員に向けている。機関銃なのに銃口や銃身の凹凸も金属光沢も何もない。影を見ているようだ。そんなことを考えつつ、私はKirschblüte001の入ったライフルバッグを投げ付けた。全速力で肉迫し、ライフルバッグがぶつかり跳ね返ったのを、ベルトを掴んで身体を回転させながら振り抜く。最初の攻撃で頭蓋を強打したのだが、其れはゆらりと頭を揺らすだけだった。次段は腹部に直撃。吹き飛ばされ、床を転がっていく。
 
 ただ手応えが余りなかった。
 物理攻撃が効くだけましかとポジティブに捉えることにする。

 黒い人型は踵から膝も曲げずに真っ直ぐな姿勢で立ち上がった。人間技ではない。其れが余計に恐怖を煽る。私は店員を守る様に前に立った。此れが彼の異能空間に存在する尖兵なのだろう。

「何処か立て籠もれそうな場所はありますか?」

「ひ、ひぃ……!」

 話せる精神状態ではないらしい。其れに黒い人型も銃を再度構えている。引き金を今にも引きそうだ。私は防御のためにライフルバッグを開放して、其の陰に隠れた。店員も伏せさせると直ぐに無数の銃弾がライフルバッグに叩き付けられた。

「っ……いやだぁ、死にたくないっ、」

 店員が背後で泣き叫ぶ。少しでも冷静になってくれれば良いが、普通の人には厳しいだろうか。開放したライフルバッグからKirschblüte001を取り出しながら思った。私は無言でKirschblüte001を握る。機会を見計らって攻撃を仕掛ける。

「ま、待ってくれよ。」

 と、私の白衣の裾が引かれた。店員が切羽詰まった顔で私に縋る。

「此れ、置いていってくれよ。なあ、頼むよ。此れさえあれば生き残れるだろ?なあ!」

 指したのは私のライフルバッグだった。私は逡巡の後、残酷な答えを出さざるを得なかった。

「……其れは私の大切な人がくれたものなので。」

 知らない人に託すことはできない。此れはそれくらい私にとってとても大事なものなのだ。代わりに私のできる限りで守ることを伝えようとした時だった。

「はぁ!?そんな理由で人を見殺しにするのかよ!」

 蔑む様な目が私を貫いた。助けられるのが当たり前という様な顔だ。
 私を一体何だと思っているのだろうか。聖人か、善人か。私は其のどちらでもないし、寧ろ悪人だというのに。
 しかし、そうして悩んでいる間も戦場は止まってくれない。どっ、と横腹を重い衝撃が襲う。先程の黒い人型とは方向、角度が違う。腹部に刺さったのは黒い鞭の様なもの。其の先を追えば、別の黒い人型の何かがいた。鞭がしなり、私は掴んでいたライフルバッグ、Kirschblüte001と共に宙に投げ出された。
 店員があぁっ、と情けない悲鳴を上げると同時に機関銃が容赦無く彼に風穴を開けた。
 私は其の惨状から目を反らして自分に集中する。如何やら吹き抜けの中心部まで飛ばされたらしく、落下が始まる。1階まで恐らく止まらない。打ち所が悪ければ最悪死ぬし、骨折もするだろう。私の異能で反撃するなら其れで良い。だが、あの黒い者には私の異能は殆ど効かない。私の異能は私と同じ人間の構造であるからこそ通じるのだ。黒幕であるあの声の正体も分からない。それにあの声の主は無差別殺戮を望んでいる様に見えた。誰か、を対象にしている訳ではなさそうだ。私は本当にただ運悪く巻き込まれてしまったという感じだと予想される。ならば、異能を無暗に使い情報を晒すのは得策ではない。
 つまり、今、死ぬ訳にも傷を負う訳にもいかないのだ。

 そうは思っても、身体は無情に落下していく。受け身を取って如何にかなる高さかは分からないがとにかく態勢を整えた。

 と、次の瞬間には身体が何故か誰かの腕の中にいた。

「は、え?」

「ハーハハ、驚いた顔をしてるね!歩ちゃん!」

 高らかな笑い声。つい最近聞いたことがあるものだ。そろりと顔を上げてみれば、矢張り仮面を着けた見知った顔があった。こんな状況なのに口角を吊り上げ、笑っている。

「僕は人の驚いた顔が好きでね。歩ちゃんってドス君の話によると無表情が多いらしいから驚いた顔見てみたかったんだよ!」

 でもそんなに変わらないねえ、と頬を突付いてくる彼に私は何故此処にいるんですか、と尋ねた。彼が家電量販店を訪れて何か購入するというイメージはない。

「急ぎで欲しいものがあるって頼まれたのさ。」

 遅刻しちゃいそうだし、連絡できないし絶望的な状況だと語る彼は、矢張り絶望なんて言葉が全く似合わない顔をしていた。

「でもおかげでこんな楽しそうな遊戯に参加することができた!歩ちゃんと一緒にね!」

「楽しそう?此れがですか?」

 此の世界の主である黒幕の欲を満たすためだけの遊戯。それでも、勿論と彼は肯定する。

「此の遊戯は制限時間終了まで殺戮の徒から逃げ切ること。しかし!私は真なる自由を探求する者!そう、規則には縛られない!よって、私は此のゲームをこう捉える!」

 彼は……コーリャは宣言する。

「制限時間までに我々を支配するゲームマスターを倒し、此の隔絶された世界を抉じ開ける!」

 私は、成る程と頷いた。

「つまり、遅刻したくない訳ですね。」

「確かに遅刻はしたくないけども!」

 格好付けさせてくれないかな!?とコーリャは叫んだ。そんな彼を見ながら私は考える。コーリャの考えには概ね賛成だ。三時間も黒幕に踊らされているのは時間の無駄だし、死者が増える一方だ。それにこういう異能空間には何らかの抜け道、もしくは明確な脱出方法が存在する筈だ。制限時間である三時間は維持できる時間であって脱出方法ではない。ならば、出し抜ける要素が無くはないと推測できる。
 私は腕から降りて、ライフルバッグを肩に掛けKirschblüte001は持ったままにコーリャに尋ねる。

「コーリャは私が嫌いなんですよね?」

「……其れが如何かしたかい?」

「先程私と一緒に……みたいな発言をしていたので。」

 嫌いな人間と共闘なんてできるのだろうか。コーリャが割り切れるのなら私としては問題ないのだが。

「確かに君のことは好きではない。けど、此の遊戯の攻略には、歩ちゃん!君の力が必要だ!」

「私の力が?」

 私としてもコーリャが味方なら頼もしいし、コーリャが私を必要としているなら利害は一致している、と思う。

「コーリャが其れで良いのなら私は構いません。」

「じゃあ、歩ちゃんは今から僕の助手……、助手?アシスタント?何かピンと来ない!何が良いかな?」

「何でも良いですけど……」

「友達、仲間……あ!パートナー!」

 コーリャが目を爛々と輝かせて云った。私にしてみれば関係性の名前は正直如何だって良い。が、取り敢えず良いんじゃないですかと相槌を打っておく。

「では!僕のパートナー歩ちゃん!」

 此の世界を壊しに行こう、とコーリャは散歩にでも行く様な気軽さで云った。緊張感も何もあったものではないが、其れは其れでコーリャらしいんじゃないかと無理矢理納得する。

「はい。行きましょう、コーリャ。」

 そうして私は此の遊戯にコーリャと共に挑むことになったのである。


 現在、私達がいるのは2階だ。2階にはカフェがあったり、家具やインテリア、不動産関係などが集まっていた。私達はカフェのレジカウンター裏に身を潜め、手短に話し合うことを決める。

「私達は先ず情報を集めなければならない!」

 意外と堅実に行く人なんだなと思いつつ、賛成する。確かに私達には情報が少な過ぎる。攻略の最短を行くにしても先ずは情報収集が必要なのは同意見だ。

「そして二つ!此処で私が出せる情報がある!」

 一つ目、とコーリャは人差し指をピッと立てて云った。

「2階にお客様は0。其の理由は、皆1階に逃げてしまったから。地下は駐車場になっていて、外と直接的に繋がっているから逃げ出せるんじゃないかと考えたみたいだね。だがしかーし、黒い壁に阻まれて脱出は不可能!ただ1階には今の所あの黒い兵士達がいないこともあって皆そっちに行っちゃった。」

「現時点で2階と3階にしかいないということですね。」

 その通り!とコーリャは肯定し、理由は分からないけどねと付け足した。次にとコーリャが二本目の指を立てる。

「二つ目!歩ちゃんが降ってくる前、僕は2階を散策していた。其処で発見したものがある。そう、其れこそが!あの兵士達を出現させている扉だ。」

 サイズは此のくらいとコーリャが自分の頭の少し上辺りで手を翳した。

「扉が開いて其処から出てくるって感じ!持っている武器の種類は狙撃銃、回転式多銃身機関銃、ナイフ、日本刀、エトセトラ。何でもアリ!」

「身体自体の変形ができる個体もいるみたいです。腕をしならせて鞭みたいにして……私が飛ばされたのは其れです。」

 それに加えてある程度の連携もできるようだ。私が報告すると、なかなかハードだねとコーリャは顎に手を当てて云った。

「あの、先刻から疑問に思ってたことを聞いて良いですか?」

「?」

「今更なんですけど、コーリャの異能で脱出は不可能なのかなって。できないからこんなことしてるんだとは思うんですけど、一応聞いておきたくて。」

 本当に今更な話なのだが、何か理由があるなら聞いておきたかった。脱出のヒントになる可能性もあるからだ。

「では、此処でクイズー!此の店を覆っている様に見えるあの黒の向こうには一体何があるでしょうか!」

 外、と云おうとしてやめる。其れならクイズにする必要がないからだ。だとしたら……だとしても、信じられない。

「外じゃないんですか……?」

「無限に続く漆黒の世界とでも云えば良いかな。どの方向にどれだけ行ってもそんな感じ。目印もなくて迷子になりそうだったからちょっとだけ見て大人しく戻ってきた!」

 つまり、漆黒の空間の中に此の家電量販店だけが存在している、という見方の方が正しいのか。だとしたら矢張り攻略にはコーリャがゲームマスターと呼ぶあの声の主を倒すしか方法はないのかもしれない。

「歩ちゃん、僕からも質問!」

 コーリャが質問に答えてくれたのだ。私も答えないとフェアではない。しかし、現状此の空間のことはコーリャ以上に何も分からない。

「歩ちゃんはあの兵士達、何人なら同時に相手できる?」

「……其れは、」

 Kirschblüte001を握る手の力が強まる。あれを相手に。しかも複数同時。物理攻撃が効くとはいえ、無力化できる程の決定打にはならない。其れでも、

「3体……くらいなら、」

 自信なさそうに聞こえたかもしれない。コーリャは更に問うた。

「其れは少なく見積もって?」

「否……正直に見積もってですけど……」

「……あー、君はそういう子だったね。」

 妙な納得をされたものの、コーリャは私の答えに満足したらしかった。

「ではでは、更にクーイズ!私は歩ちゃんに何をして欲しいでしょうか!」

「……其の兵士達と戦いつつ情報収集する、ということですよね?」

「正解正解!私は道化師!戦闘には不向き!とっても怖い!よって歩ちゃんに任せたい!」

 戦闘に、不向き?怖い?
 私は今までの行動や異能について鑑みればそんなことはないだろうと思いつつも了承する。

「しかし、其れだと僕が歩ちゃんを利用しているだけで、パートナーとは云い難い。」

 できる限りサポートするよとコーリャが続けた。期待して良いのか定かではないが此方についても了解しておく。

「では!早速歩ちゃんのために敵の総数を調べに行こう!」

 外套を翻すと、コーリャの姿が消えた。私は其の場で待つことにする。
 少しして近くをあの兵士が通っていったのが分かった。息を潜めて膝を抱えていると、トンと頭上で何か音がした。見上げると、コーリャがカウンターに手を付いて私に被さる様にしていた。顔が私の頭の直ぐ上辺りにあって、私が見上げたことでかなり近くなった。

「あ、え……と、帰って来てたんですね。おかえりなさい……」

 コーリャはじいっと私を見たまま何も云わない。

「先刻、あの……1体通ったと思うんですけど、気付かれませんでした?」

 コーリャは未だ口を開かない。如何したものかとコーリャの瞳を此方もじっと見ていると、コーリャはいつもの笑顔になった。

「……大丈夫大丈夫。さてさて、先刻全部の階を見てきたよ。」

 何事もなかったかの様にコーリャはしゃがみ、私と同じ高さに視線を合わせた。

「1階は相変わらず兵隊さんは無し。2階は5体。僕の把握しているより増えていたよ。3階は何と脅威の12体!怖いね!」

 かなり増えている。それにコーリャの云う扉が3階にもあるのだとしたら兵士の出現に規則性はないということになる。3階から2階へ、そして1階への流入も考えられる。1階に彼等が押し寄せれば、死者がますます増える。

「2階、3階に……生存者はいませんでしたか?」

「誰も。生きているのは私達だけ!」

 コーリャはさらりと断言する。殺戮遊戯なだけはある。先程の店員の男性も私がもう少し警戒しておけば、死ななかったのかもしれない。だが、私は中原幹部や芥川さんの様な戦況をひっくり返せる強力な異能も、首領や太宰さん、乱歩さん、そしてフェージャの様な頭脳もない。突出した才能はなく、何もかもが凡人の域を出ない。努力でしか差を埋められない。其の努力すらも強大な異能と天才の前では無意味でしかない。罪悪感も、劣等感も、無力感もいつだって私を苛み続ける。

 でも、それでも前に進むのが私だ。

「先ずは其の扉についてもっと詳しく調べてみましょう。」

「扉の前まで連れて行こうか?」

 お願いします、と頼むとコーリャの外套が視界いっぱいに広がる。瞬きする間に、目の前には黒い扉が立ちはだかっていた。家電量販店に似合わない荘厳な鋼鉄の扉だった。しかも壁に設置されているでもなく、少し開けている場所に扉だけが置かれている状態だった。

「此れが……」

 取り敢えず触ってみようと思う。私の異能の予兆もないため、触れるだけなら安全だろう。そっと指で触れてみると、冷たい金属の感触だった。見た目のイメージと変わらない。

「壊すのは……難しそうですね。」

 開かない様にするしかないだろうか、と思案していると扉がギギと音を立てて開く気配があった。私は様子を見るため、近くの棚の陰に身を隠す。

 扉が重々しく開いた。中は漆黒で奥が見えない。其処から黒いものがずずっと這い出してくる。あの兵士だ。今回はサーベルを持っている。私に気付く気配はなく、兵士は通路を歩いていった。扉が閉まっていく。

 私は其れを見て反射的に床を蹴った。Kirschblüte001で扉が閉まるのを阻む。中は……矢張り何も見えない。私はそのまま中に入ろうとしたのだが其れはできなかった。

 コーリャが私の腕を掴んでいた。

「コーリャ……?」

「そっちは駄目だよ。」

 コーリャは私の腕を強く引いて、扉の外に戻した。バタンと大きな音がして扉が閉まる。

「……戻れなくなるからね。」

「でも、中を調べた方が良かったんじゃ……」

 首謀者である男があの奥にいたかもしれない。何より黒い兵士達を生み出している原理が分かるかもしれなかった。ただコーリャが笑顔ではあるのだが、何とも表現できない感情を裏に隠しているようだったので、此れ以上の言及は避けた。

「なら、閉じた状態にできる様に固定した方が良いかもしれませんね。」

「……其れより歩ちゃん、兵隊さん達のお出ましだ!」

 此方に向かって3体の兵士達が近付いてくる。行進の様な足の動きだが走っている様に速い。3体の内の1体、先程出現したサーベルの兵士が更に加速し突進してくる。他2体は機関銃であるため、後方で銃口を向けている。

 サーベルが剣閃で弧を描きながら振り下ろされる。私はKirschblüte001で掬い上げる様にして受けた。銃身と刃から多量の火花が噴き出す。重い一撃を何とか押し返し、短い打ち合いで済ませ私は半歩跳び下がった。其処を無数の銃弾が穿たれる。
 更にニ歩下がり、跳弾をライフルバッグで防ぎつつ、上から追撃してくるサーベルをKirschblüte001で再度受け止めた。視界の両端で機関銃の2体が私の両脇を挟もうとしているのが分かり、サーベルの方を打ち上げる様にして弾き飛ばした後、背をライフルバッグを開いて守りつつ、太股の拳銃を抜いて向きを変えて一方の機関銃の兵士に何発か撃った。
 手元を集中して撃つが、機関銃は手から離れない。まるで身体の一部の様だ。否、そう捉えるのが恐らく正解だろう。
 何か彼等を無力化する方法はないのか。考えようとするが、追撃が来て上手く思考が纏まらない。連携が整い過ぎているし、防ぐので精一杯だ。防げているのも目が追えているからでしかない。

 何か。何か方法を。

 その時だった。私にサーベルを振り下ろし、鍔迫り合いになっていた兵士の身体に何かが突き刺さった。此れは……薄型テレビだ。50インチはある大型の。其れが兵士の右肩から左腰にかけて貫通していた。

「真っ二つにはならなかった!残念!」

 私は思わず数メートル後ろにいるコーリャを見た。

「どうどう?僕の貫通マジックは!」

 もし人体ならと思うとぞっとする。あれでは右肩から左腰が完全に寸断され、分かれていたことだろう。しかも、前触れもない。置く、と云ったからもしかしたら対象が動いていると正確な位置にはできないのかもしれないが。

 コーリャの攻撃により怯んだのか、兵士達は後退を始めた。決定打がない以上、私も距離を置いて態勢を立て直す。

「歩ちゃん、本当三人でギリギリって感じだね。」

「私、前を張れる程強くないんですよ……」

「知ってる!」

 ハハハ!と声を上げて笑うコーリャに若干呆れながら、次の行動を考える。次はこう上手くはいかないだろう。数も増えるかもしれない。後ろの扉からもいつ出現するか分からない。1分にも満たない戦闘をしたが、弱点などは見付からない。引き際も分かっている様で、戦闘に関しては向こうが上だ。

「物理的なものが其れなりに効くのなら拘束するという手もありますね。」

「良いと思うよ!間合いに入らせてくれるかとか、過程とか色々差し引いてもね。」

 厭な所を突いてくる。確かに其の通りなのだが。

「協力してください。パートナーなんですよね?」

 そう、彼は私と自分はパートナーなのだと云った。パートナーなんだからサポートするとも云った。

「云ったねえ。」

 私は強く頷いた。

「云ったけど……」

 私は強く、強く頷いた。

「……歩ちゃんが可愛くお願いしてくれたら、もっと頑張れるかも!」

 コーリャが指をパチンと鳴らしてそんなことを云った。若干どころか心底呆れて、私はコーリャを置いて歩き出した。

「一人でやります。パートナーは解消で。」

「待って待って!歩ちゃん、待って!」

 コーリャが追いかけてきて、私の隣で大きく身振り手振りをしながら、弁明とも云えない何かを語り出した。

「好ましく思わない人間の願いなど聞きたくない、其れが人間の感情というもの!では、其の感情に打ち勝つことができたなら其れは!自由意志の表明になるのでは!?」

「……なら可愛くは要らなくないです?」

「だって歩ちゃんの違う表情が見れるかと思って。」

 私はげんなりしつつも如何いうのが良いのか尋ねる。私には可愛いの基準がよく分からない。そもそも私に可愛いを求められてもという話でもある。顔は平凡、身体も貧相だという自覚はあるのだ。コーリャは少し悩んで云った。

「歩のお願いを聞いて欲しいにゃん!とかどう?」

「………………………………日本には秋葉原という所がありまして、」

 そういう趣味なら相応しい場所がある。可愛い女の子も沢山いるし、もっと可愛い……私には恥ずかしくてできそうもないこともしてくれる所だ。ヨコハマにもそういうお店はあるし、やろうと思えば風俗でもできる。コーリャは顔が整っているし、気を引きたい女性が進んでしてくれること必至だ。猫耳猫尻尾も付いていてより本格的なものが楽しめることだろう。

「歩ちゃんがすることに価値がある!ドス君も恐らくそう云う!」

 何故此処でフェージャの名前が出てくるのか。フェージャにそういう趣味はない、と思う。一緒に住んでいたがそういう素振りはなかった。なので、引き合いに出すのはおかしいのだが。コーリャが駄目?と私の顔を覗き込んだ。

「駄目というか……其れで本当に協力してくれるんですか?」

「うん。」

 じゃあ、と私は猫の手を一応作ってみる。仕方ない、仕方ないのだ。

「歩のお願い……聞いて欲しい、にゃん。」

 …………矢張りちょっと恥ずかしい。静寂が痛い。コーリャを見上げると、瞬きもせず、目をかっと開いて此方を凝視していた。ちょっと怖い。
 イメージと違ったのかもしれない。居たたまれなくなって手を下ろすとがしりと手を掴まれた。

「コーリャ?」

「……もう一回!今度は動画を撮って我が親友に送るから!」

「厭ですよ!フェージャはそういうの興味ないですって。其れより如何なんですか、協力してくれるんですか?」

 コーリャは勿論さと歌う様に云った。

「歩ちゃんのにゃんを見たからにはね!」

「もう其の話は良いですって……」

 其れよりも早く此の状況を何とかしなければならないのに。コーリャにそんな視線を送れば、分かってるよと外套に手を入れた。何処かの空間に接続しているようだ。

「捕まえるなら必要なものがあるよね。」

「そうですね……何か縛るものが、」

「ロープなんて都合の良いものは此処にはないけど、代用できそうなものを取ってきた。」

 外套に入れた手からドサリと何かを落とした。見れば、コードの様なものが夥しい量積まれている。家電量販店に大量にある、拘束具として代用できるものだ。

「扉は外開きみたいだから何か重いものを前に置いておけば開けられない。……ということで!」

 ドンと異能で取り出した冷蔵庫や洗濯機を扉の前に置いていく。

「あとは戦闘でさっきみたいに手伝えるくらいしかできないかな。」

 しかできないなんて謙遜にも程がある。正直凄く心強い。其れを最初からしてくれたら良かったのにと思わざるを得ないくらいだ。

「歩ちゃんがどれくらい戦えるか分からなかったし、調査も足りなかったからね。」

 確かに初めて会った時も私は狙撃しただけだった。私が協力するに足り得るか、協力するとしてどのような戦い方をするか其れをずっと考えていたのかもしれない。笑顔の裏に思慮深さすら隠しているのだ。

「さあ、ショウを始めよう!」

 敵勢力の第二波は直ぐに現れた。数は3体。先程と同じ面子だ。前衛の1体であるサーベルを持った兵士はテレビが未だに刺さっているからか少し動きが鈍そうにも見える。だが、見た目は3体であるものの本当は5体なのだ。狙撃手が2体いるのが一瞬見えた。直ぐに移動したようだが。残りの1体の行方は不明だ。

「歩ちゃん、準備は良いかい?」

「はい……行きます。」

 私が床を強く蹴り駆け出した瞬間、兵士達の足に棒状の何かが刺さった。蛍光灯の入った箱らしい。其れが足を床に縫い付けている。兵士達は戦闘に異常を来たしているからか私よりも蛍光灯を抜く方を優先しているようだった。
 其の隙を見逃さず私は機関銃の1体にKirschblüte001を振り下ろした。前のめりになった其れの背中に回り、床に押し付ける様にして拘束する。追い打ちを掛ける様に背中や肩、足に蛍光灯が穿たれる。動きの完全な制限と部位の伸長をケアするためだ。
 私は両手をコードで縛りながら、もう一方の機関銃から放たれる銃弾をライフルバッグで防いだ。狙撃が来ても致命傷にならないことは異能で分かっているので、そのまま行動を継続。2体目の処理に移る。
 同じ要領で2体目を撃破した時、サーベルを持つ3体目がコーリャの方へと走っていく。コーリャはふっと不敵に笑って、外套を広げた。其の外套から凄まじい速度でエアコンが射出され、3体目が此方へと打ち出される。其れを私が拘束した。

「大丈夫ですか?」

「うん、無傷!」

 外套をひらめかせコーリャは得意気に云った。

「此の調子で2階を制圧して……3階も、という感じでしょうか。」

「うーん……そうだねえ。それで慣れてきた様なら少しペースを上げようか!」

「確かに、此のペースだと三時間になる方が早いかもしれません。」

 此処まで20分が経過している。3階の兵士も増えていることだろう。犯人の居場所も未だに分からない以上急いだ方が良い。自分で確認していないから1階の人達のことも気になる。

「次は狙撃手ですね。隠れている可能性が高いので見付けるのが大変かもしれませんが……」

「歩ちゃんの目と私の異能があれば直ぐに見つかるさ!」

 二手に分かれて狙撃手を探し出すことになった。武器種不明の兵士もその内見付かるだろう。コーリャに狙撃に気を付けるように念を押して別れる。私達の戦いは未だ序盤に過ぎないのだ。


 それからは順調だった。2階の全員を拘束し、主立ったエスカレーター、階段、エレベーターの全てを封鎖して2階は完全に制圧した。続いて3階だ。3階はコーリャが再度確認してくれたところ20体まで其の数を増やしているらしい。迂闊に空間接続で移動すると、其の際にできる隙を狙われる可能性が出てきたため、非常階段を使い、慎重に行動することにする。コーリャの提案だった。

「ねえ、歩ちゃん。」

 私とコーリャは非常階段を上り3階に向かう。前を行っていた私は振り向いて何ですか?と問う。

「歩ちゃんは僕のこと好き?」

「特に何とも……」

「好きか嫌いかだとどっち?」

 やけにグイグイ来るなと思いながらも、口を開く。

「私は、コーリャのこと嫌いじゃないですよ。」

「ハハ、其の云い方私の真似?」

 コーリャは階段をぴょんぴょんと駆け上がり、私の一段下まで来た。元々身長差があったため、視線の高さはコーリャの方が少し上になる。

「歩ちゃんに好かれちゃったかぁ。」

「別に……好きとは云ってないですよ。」

「ああ、困ったなあ。」

「否、だから好きという訳では……」

「歩ちゃんが死んじゃわないように守らなくちゃ。」

 コーリャが悪戯っぽい笑顔を見せて、一段飛ばしで階段を上がっていく。

「如何いう意味ですか?」

「そのままの意味さ。」

 よく分からずに再び如何いうことか問うと、コーリャが返答した。

「好きと大切、何が違う?歩ちゃんの中に明確な違いがあるのかな?」

「其れは……」

「此処は云うなれば異世界。しかも其の世界はといえば此の敷地内でしか構成されていない。だとすれば君の異能は誰に発動される?」

「……此処にいる人にしか使えない?」

「そう!その通り!しかも、君は他のお客様達との面識は殆どない。」

 ということは、今殺されたとして私の異能が行き着く先は……

「君は僕のことが"嫌いじゃない"んだろう?」

 すっと目を細めたコーリャに、私は何とも云えずにいた。コーリャの云う通り私の異能の対象となるのはコーリャなのかもしれない。けれど、私は人に対して簡単に大切だと思わない様にしている。なので、コーリャをそもそも優先順位のある大切な人の中に入れないようにしている。とすれば異能が発動するのかも怪しいところだ。
 異能が発動しないとなると私は死ぬのだろうか。死が間近に迫っているかもしれない。其れは此の異能の正体を思い出してからは初めてのことだった。

「今は、死にたくないですね……」

 私がぽつりとそう漏らすと、コーリャは私も今は死ねないなあと間延びした声で云いながら階段を更に上っていく。
 
「死ねない理由があるんですか?」

「そうだねえ。色々しなくちゃいけないことがあるんだ。」

 自由のためにはねと続けるコーリャは階段を上り切って、立ち止まった。

「君は後悔するだろうね。ドス君を選ばなかったことを。」

 コーリャの声は暗く、重くて。私はコーリャの背中を見上げた。表情は見えない。

「……私は中原幹部を選んだことを後悔しません。後悔することのないように生きると決めてるんです。」

 私も階段を一段ずつゆっくりと歩み、コーリャの隣に辿り着く。

「中原幹部との今を守るためなら、私はどんな道でも前に進んでみせます。」

 強く、そう口にするとコーリャはそうと呟いた。何処か遠くを見詰めたままで、更に口を開く。

「歩ちゃんのそういうところ、嫌いだよ。」

 小さな声だったが、私には聞こえていた。だから、こう返すのだ。

「私は自分のこういうところ、気に入ってるんです。」

 そう云って笑ってみせれば、コーリャは此方を見て大きく瞬きをした。

「もう……本当相容れないねぇ。」

「ですねえ。」

 コーリャは額に手を当て暫く唸っていたが、直ぐに切り替えて行こうかと非常扉を指した。危険から逃げる筈の其れだが、私達には全く逆であった。私は頷きKirschblüte001を構えた。再び戦場が始まろうとしていた。


 2階と同様、黒い鉄扉を制圧した。扉の前には多くの兵士がいたが、其の上から奇襲を仕掛けた。それで5体を倒したが、他の15体が一斉に此方へ向かってくる。

「歩ちゃん、」

「可能な限り引き付けた後、お願いします。」

 距離を詰めてくる兵士達に後退する。囲まれてしまったがコーリャの異能があれば大丈夫な筈だ。

「コーリャ、目を閉じてください。」

「はーい。移動は任せてね。」

 コーリャが私を抱える。移動は任せていたし、余裕もないので文句は云わずに私は閃光弾を投げ込んでコーリャの異能で撤退する。此の兵士達は何故か目だけは確りと存在している。ならば、閃光弾も効く筈だ。彼等の背後に転移し、確認すると矢張り予想は正しかったようだ。動きが鈍った兵士達を一斉に無力化していく。

「……重くないですか?」

「重くないよ。其の銃は歩ちゃんくらいの腕力で振り回せるくらいの重量だし、歩ちゃんは云わずもがな軽い訳で。」

 私を抱えては移動し、攻撃するコーリャ。驚く程の速さで兵士達が倒されていく。

「コーリャって戦闘が怖いというのは分かるにしても、不向きというのは違うと思うんですよね……」

「そう?」
 
「此処までの戦闘を見たら不向きはおかしいって誰もが云うと思いますよ。」

「そっちじゃなくて。」

 戦闘を終えてコーリャが私を降ろした。

「戦うの怖がっているように見える?」

「奇術をしている時は楽しそうですよね。」

「的を射ない解答だね!」

「云ったらまた嫌いだって云われそうなので。」

 云わないよ、とコーリャが如何しても私に云わせたそうにするので私は推論を述べた。

「……戦闘=奇術と捉えることで恐怖を薄くしてるのかなって。奇術は好きだし楽しいから笑ってできるだけで、戦うの自体は好きじゃないのかなって……」

「成る程ねえ。」

 コーリャが意味深に相槌を打つ。違いました?と問えばコーリャは首を捻った。

「其処まで難しく考えたことなかった。」

「じゃあ、違うのかもしれませんね。」

「けど、君のことは嫌い。」

「云わないって云ったのに!」

 嫌いと連呼されると此方もちょっとばかり傷付くのだ。でも、コーリャの行動は私を嫌っている様には感じられない。嫌いなら触れたくないだろうし、利害一致の協力関係とはいえ此処まで上手く立ち回れないだろう。
 だから、私は彼に嫌いと云われても多分はいはいといなしていれば良いんじゃないかと思う。

「それで2階3階と攻略した訳ですけど……」

 こうなると1階に犯人がいるんじゃないかと思う。駐車場は暗いこともあり、身を隠すには良い場所だ。他に客も多くいるのでより隠れやすいことだろう。と、コーリャが私の方を見て問う。

「さっき入った非常扉の傍に梯子があったのには気付いた?」

「ありました?」

「あったあった。」

 記憶を探ってみるが、梯子の気配はない。私が見忘れたのだろうか。

「あったとして如何したんですか?」

「屋上があるんじゃないかなって。」

「屋上……コーリャは未だ見に行ってないんですよね?」

「うん、外だからね。」

 外だから、という理屈はよく分からないが私はコーリャが云う様に屋上があるとするなら調査する必要性があると考えた。

「なら、異能で屋上の少し上空くらいに繋げて貰って良いですか?顔を出して見てみるので。」

「君、僕の異能遠慮なしにぽんぽん使うようになったよね。」

 そう云いつつもコーリャは外套を広げてくれた。其の中に顔を入れてみる。

「早く戻ってね。」

「?はい。」

 そうして見てみると、屋上の一角に多くの黒い兵士達に周囲を守らせている男がいた。此方には気付いていないようだった。私は顔を戻して、コーリャに状況を簡潔に伝えた。

「生身の、しかも張本人がいるなら大丈夫そうだね!うんうん。じゃあ、此れが最後かな。」

「そうなるかと。作戦は如何しますか?」

「突撃!あるのみ!」

 おーとコーリャが拳を上げて次の瞬間上空に飛び出していた。腰に手を添えられ支えられなければ、宙に放り出されていたことだろう。声を出さないようにしつつ、Kirschblüte001の銃口を男に向けてすかさず引き金を引いた。取り敢えず、致命にはならない場所を狙ったが、兵士の一人に阻まれる。次いで複数の狙撃手から攻撃が私に集中した。空中にいるため動きが制限されているが、危なーい!と楽しそうな声が耳元で聞こえてくる。瞬間、景色が変化。同じく空ではあるものの場所が変わっている。コーリャの異能だ。

「瞬間移動マジック!しかも空中で!歩ちゃん、どう?楽しい?」

「こんな状況じゃなかったら純粋に楽しめたと思うんですけどね。」

 牽制と状況を動かすためにも何度か発砲しているが、矢張りガードが硬い。

「真逆、私の異能空間で未だ生き残っていらっしゃる方がいたとは。ですが、成る程。合点がいきました。一般人でない方が紛れ込んでいたのですね。」

 空いた場所に着地した私達を今回の首謀者であろう男が話しかけてきた。あのアナウンスと同じ声。矢張り此の事件の首謀者だ。

「貴方達が初めてですよ。此の空間で生き残るだけでなく制限時間より前に私の前に立ったのは。」

 歓迎しましょう、とまるで抱擁でも交わす様に腕を広げた。眼鏡を掛け色が白い痩身の男だった。口角が引き攣る様に上がっているのが特徴的だ。

「しかも普通に見える女の子が銃を持ち歩き振り回しているなんて。」

「ハハ、歩ちゃん云われてるよ。常軌を逸してるって!」

 コーリャが笑い出したのは一旦置いておいて、私は男の警戒に徹する。

「いやあ、ごめんね?僕のパートナーは君とは会話の余地すらないと思っているらしい。で、僕もそう思ってるんだけど、そう感情に支配されるのは自由意思に程遠い行為!だからちょっとだけお話してみようかな。うーーーん、じゃあ君の目的を聞こうか!」

「目的ですか。そうですね……簡単に云うなら人を殺したい、ですかね。」

「あー、快楽殺人者ってこと。しかも、さっきの話からするに弱い弱い普通の人達を狙って殺し回ってるみたいだけど。はい!歩ちゃん、そんな彼に一言!」

 いきなり私に振られても。
 だが、コーリャの云う通り、彼は強力な異能者でありながら其れを一般人の多い場所を狙い使って自身の快楽を満たしている。抵抗できない普通の人達は逃げ出すことすら許されず、彼の世界で残虐非道を以て殺されていく。彼は自分より弱い人達を踏み付け、甚振り、愉しんでいるのだ。

「悪趣味ですね。」

「はい、悪趣味!ではでは、悪趣味君に早速クイズ!」

 男はいきなり悪趣味君と渾名され僅かに眉を寄せた。

「君と僕達、最後に勝つのはどちらでしょう!」

「簡単なことを。私が勝つに決まっているでしょう。」

 此の空間はおよそ二時間弱程保持されること。兵士はいくらでも出せること。私達……否、此の場合はコーリャのことだろう。コーリャの異能も然程の脅威とはならないこと。総じて自分が勝つのだと男は語った。

「それに貴方達の仲を引き裂くことは容易い。」

 男はそう云って私の方に向き直った。

「貴女は1階の方々が如何なっているか知っていますか?」

「……1階にはあなたの兵がいないようで生きている方は全員其処に避難していると。」

 コーリャはそう云っていた。自分では確認していないが。

「そうですね。何せ1階に兵力を割く必要が全くないですから。」

 背筋を厭な予感が走っていく。コーリャの方を見ても表情に変化はない。私が戸惑っている間にも話は続いていく。

「1階部分、そろそろ2階も全てですね。貴女も外の漆黒を見たかと思いますが……其れに満たされているのですよ。あの漆黒の中に酸素はありません。いえ、あらゆるものが存在することの許されないあらゆる現象、物質を無に変える世界なのです。」

「じゃあ、1階の人達は……」

「ええ、既に死んでいます。そして、彼は其れを知っていたのですよ。」

 今にしてみればコーリャは此れまで私を1階から遠ざけていた。上へ進むように常に誘導してきた。其れはきっと……

「彼は1階の人達を助けることができたかもしれません。ですが彼は一切其れをしなかった。どころか、彼は闇に沈んでいく人々の絶望した表情を傍観し、嗤っていたのです!彼は私と同類の存在!恐らく貴女に協力しているのも何らかの悦を満たすためでしょう!」

 男の高く上擦った声が気持ち悪い。彼の言葉は全て想像の産物でしかない。
 ただコーリャのことを私は全て理解している訳ではない。コーリャが何を思って私と行動しているのか、嫌いと云いながら私と共に戦ってくれるのか。
 本当にコーリャを信じて良かったのか。

「こんな状況で無意味に足掻き続ける貴女を見て愉しんでいるのかもしれませんよ?協力しているのも、土壇場で裏切って貴女が絶望している表情を見たいのかもしれません!」

 コーリャは此方を見ることはなかった。私が見ても視線一つ送ってこない。一応笑顔ではあるのだが楽しいとか面白いとか、そういう笑顔ではない。張り付けただけの形だけの笑顔。

「……私は、」

 コーリャを知るには短過ぎる期間。
 一緒に戦って、話して。濃密な時間ではあったが、理解に足るものであったか。其れは、其の答えを私は既に得ている。

 男は私に未だ何か云っているようだった。

 何も聞こえなかった。
 否、聞く必要なんてないのだ。

 視界の端に捉えた黒を追う。反射的に右手が出た。伸ばした腕と掌を衝撃が襲う。黒いナイフが突き刺さり、血が噴き出した。腕は防刃の服であったが切っ先が皮膚を破っていた。手の方は貫通していて、鋭い先端がコーリャの後頭部にあと少しと迫っていた。

 守ることができて、良かった。

 其の後、背中や足に次々とナイフが刺さった。痛みはないが、出血で目眩がして膝をついた。

「歩ちゃん……?」

 目を丸くして、何が起きたのか理解できないという顔をしたコーリャがいた。
 背後には何もなかった。兵士達もいなかった。ナイフが飛んでくるなんて私も考えが及ばなかった。目が捉えてくれなかったら、身体が動かなかったらコーリャが死んでいたかもしれない。

「歩ちゃん、」

 バサリと私に外套を被せたと思うと、室内に移動していた。此処は3階の非常階段の辺りだ。しかし、3階もあの男の云う様に黒い何かが徐々に迫り上がって来ていた。私は刺さっているナイフを抜いていった。此のナイフも、あの黒い兵士達も得体の知れない黒い何かで構成されているのだ。あの男は無を有に変えることができるようだ。しかも、扉なしで数を増やすこともできる。
 ナイフを抜くと、また血が溢れた。止血をするのも億劫だった。壁に背中を預けてゆっくりと息を整える。

「……歩ちゃん、」

 コーリャが私の名前を呼ぶ。其の後、言葉が続かない。まるで蹲る様に膝をついている。外套と帽子で身体全体を覆い隠しているようだった。

「大丈夫ですよ。異能も反応がなかったところを見るに此れは軽傷の類いですし。」

 このまま放置すれば失血により何らかの症状が出るかもしれないが。それでも、あの男の顔は見た。あの男は私の異能を知らないようだ。だから、顔を晒していたのだろう。其れが文字通りの命取りになるとも知らずに。

「もう殆ど勝ちは見えてます。あとは方法を如何するかだけですよ。」

 コーリャが何も云わないため私は続ける。

「……1階の人達のこと、本当は助けたかったです。でも、其の考えをコーリャに押し付けるのは違うでしょう?それに私達は多くの人を守って戦う程余裕がある訳じゃありませんでしたし。」

 私もコーリャに任せて確認しなかった。其れにコーリャは生死についての言及をしていなかった様に思う。私がコーリャと会った時には既に闇に飲み込まれていたのかもしれない。コーリャにだけ1階の人達の責任を背負わせてしまう形になって不甲斐なさの方が募った。

「コーリャ、」

「歩ちゃんのこと嫌いだってずっと云ってたでしょ。」

「そうですね。今日だけで一生分くらい聞きましたよ。」

「普通自分を毛嫌いしている人間を命懸けで助けたいなんて思う?」

 私はコーリャに左手を伸ばした。右手は傷による影響か動かなかった。左手でコーリャの背中を撫でる。

「だって私、コーリャのこと"嫌いじゃない"ですから。」

 コーリャは私を嫌いだと云いながらずっと守ってくれた。私の傍で戦ってくれた。私が背負うべきものも全部抱えて、それで尚私の隣にいてくれた。
 コーリャの信用できないところなんて"嫌い"の言葉くらいしかない。

「矢っ張り、ドス君が歩ちゃんを好きになる理由が分からないなぁ。」

 コーリャは呟いて、すくりと立ち上がった。帽子の向きを整える。

「行ってくるよ。決着がつけられるかは分からないけどね!」

 外套で身体を包み、コーリャは消えていった。私は小さく息を吐き出して、懐に手を入れた。

「……私も、私のできることを。」


 立場に縛られている君が嫌いだ。
 親友の心を縛り付ける君が嫌いだ。
 普通の人間扱いしてくる君が嫌いだ。
 何もかも見透かす目を持っているのに知らないふりをする君が嫌いだ。
 あれだけ血を流しながら他人を優先する君が嫌いだ。
 "嫌いじゃない"だけの人間に触れたり笑い掛けたりする君が嫌いだ。

 自由を知らない君が嫌いだ。
 真の自由を求めない君が嫌いだ。

 一人の男に縛られている君が、心底嫌いだ。


 コーリャ、もといニコライ・ゴーゴリは再び屋上に立った。男は先程と変わらない場所にいた。ゴーゴリの姿を視界に捉えるや否やまるで親しい者にする様な笑顔を見せた。

「おや、女の子は如何したんですか?殺したんですか?」

「此処ですかさずゴーゴリクイズ!どっちだと思う?」

 またクイズですか、と男は半ば呆れた声で応えた。

「此処は私の空間ですから生存者が何人かなど簡単に分かります。更に云えば貴方達の行動、会話、其の全てを把握しています。」

「へえ!凄い凄い!」

「そして貴方達の会話を聞くところによれば、君は彼女を心から嫌悪しているようですね。如何です?私と組んで此の特等席で最後の一人である彼女が死にゆく様を眺めようじゃありませんか。」

 男が手を差し伸べた。ゴーゴリはにこりと笑って男に歩み寄る。同じく手を伸ばして、男と握手を交わす。契約が成立した。

 かの様に思われた瞬間、男の手に銀に輝くナイフが貫通していた。ぎゃあ、と男が悲鳴を上げる。

「迂闊だねえ!」

 ゴーゴリも意外そうな顔で云った。

「さっきまで敵同士だったのに、よく握手なんてしようと思ったね!もしかして歩ちゃんよりお人好し?」

「何故だ、貴方はあの子を……!」

「嫌悪している、だから殺したかったんじゃないのかって?」

 痛みに呻き座り込む男をゴーゴリは見下ろした。

「私は恋や愛なんて感情に縛られたくない。そんなものは私が求める自由意志に最も遠い!ヒト種が自由を得るために脱却すべき最たる感情!故に私は此の感情による支配を打ち砕き、歩ちゃんに揺るがぬ嫌忌を示す!」

 ゴーゴリの言葉を男は理解できなかった。だが、理解できる者……彼の親友である男は心底呆れた顔でこう云うだろう。

「そんな婉曲な表現をしなくても……つまりは歩のことが好きなんでしょう?」

 ゴーゴリが歩に嫌悪を示すことは募った恋情、愛情を打破しているに等しい。更に云えば無いものに対して其れはできない。する必要がない。其れをしなければならないということはつまりそういうことなのだ。

「そう、そして嫌悪しているが故に!私は歩ちゃんを守り助ける!此れこそ我が自由の顕現!なので、私が君と同志となる可能性など万に一つもなし!」

 好きだから、自由意志を示すために歩のことが嫌いなのだと彼は云う。
 嫌いだから、自由意志を示すために歩を守るのだと彼は云う。

 即ち好きだから守っているのではないか。

 三段論法が成立しているようだがゴーゴリは未だ気付けずにいる。

「そう、君の云う通り!僕は歩ちゃんが嫌いだとも!堪らなく!此の上なく!」

 男は理解を諦め、兵士達に殺せと命令を下す。ゴーゴリはひらひらと蝶が舞う様に攻撃を躱していった。だが、攻勢には転じない。理由はある。3階の侵食が進み、先程までの様に重量のある家電製品を落としたりなどできなくなったのだ。また、男の防御は相変わらず堅いことに加え、直接攻撃の対策からか兵士達の壁に隠れている。更にゴーゴリには兵士の攻撃だけでなくナイフなどが縦横無尽に空を駆け、切り殺さんとしている。異能を攻撃に充てることが極めて難しい。

「此の空間で私を傷付けるなど許せない……許してはならない。血を流すのも死ぬのも私以外の役割なのです。死んでください、貴方も!!」

 男は叫び、しかし口が開いたまま停止する。は?え?と呆けた声を零す。

「あの怪我で動ける筈が……?がっ、あ……?」

 男の全身を前触れなく激痛が襲った。手、足、背中、あらゆる場所から出血し男は大きく仰け反り倒れ込んだ。霧散する様に兵士達も消えていく。空を覆う黒が薄れていく。

「私の死も、コーリャの死も……決めるのはあなたじゃない。」

 男は意識を失う直前、声を聞いた。少女の冷徹な声だった。

「異能力、」

 ───生殺与奪。


 男が倒れ、解ける様に空間が元に戻っていくのを確認して漸く安堵した。一時間半程での決着となった。

「コーリャ、大丈夫ですか?」

 私がそう尋ねる前にコーリャは私の直ぐ目の前にいて、私の手を掴んだ。

「あの傷じゃ君の異能は使えないよね?」

 何をしたのかと詰め寄られる。私は其のただならない剣幕に若干怯えつつも答えた。

「あ、あー……ちょっと、ナイフで……こう……血を……」

 へえ、とコーリャが感情のない声で云った。

「ふぅん、へーーーー。」

「否、何ですか……?あ、分かりましたよ。また嫌いだって云いたいんでしょう。」

「うんうん、そうだねー。」

「え、違うんですか?」

 如何だろうねえとコーリャはくるくると帽子を指で回しながら曖昧な返事をする。私が首を傾げると、コーリャは何でもないよと笑顔を作って云った。

「さて、歩ちゃん此れから如何する?」

「一旦帰ろうかと……」

 服にはナイフが刺さった痕が残っている。此れで外を歩くのは余り良くない。それに此の男のことも何とかしなければならない。

「悪趣味君は此処に置いていけば良いんじゃないかな!警察がもう下に来ているし、何件か同じ様な事件を起こしているみたいだしね。下の階の惨状とかで犯人が誰かは明白!それより僕達は早く此処から退散した方が良い。」

 警察が下に……其れはかなり不味い。警察にとっても私はポートマフィアに属する要注意人物の一人である筈だ。何とか脱出しなければ。

「こういう時こそ私の異能で移動するべきじゃない?」

「遊戯は終わりましたし、パートナー解散では?」

「え!?家に帰るまでだよね!!」

 そんな遠足じゃあるまいし。まあ、コーリャが其れで良いなら言葉に甘えるのが良いだろう。お願いします、と頭を下げればコーリャが腕を掴んでいた手をするりと移動させて、私の手を取った。

「このままご飯でも行く?」

「遅刻しますよ。」

「私は時間にさえも縛られない自由の使徒!」

「怒られますよ。」

「……其れは厭だ!」

 コーリャと空中を跳躍する様に移動する。空をこんな風に移動するのは初めてではない。

 でも、あの時よりも……

「何処までも行けそう……」

 遥か遠く、空の向こうまで行けそうな気がする。

「行ってみるかい?」

 コーリャが囁く様に云った。コーリャは空の一点を見ていた。私よりもずっとずっと先の空を。

「私と行くんですか?」

「うーん、駄目?」

「……コーリャはもっと先へもっと高い所まで行けますよ。けど、其処に私は行けません。だから、以前にも似たようなことを云いましたけどあなたを理解して傍にいてくれる人と一緒に行く方が良いと思います。」

 諭す様な形になってしまったが、此れはちゃんと伝えるべきだと思った。コーリャは顔を私に向けた。目を細め、柔らかな眼差しと視線が交わる。

「矢っ張り君のこと全然好きになれないなぁ。」

 仮面で隠し切れていない其の表情に気付かないふりをして、私ははいはいと適当に返事をするのだった。


「ハーイ!お待たせ!」

 ゴーゴリが颯爽と現れたのはフョードル・ドストエフスキーとシグマが会議という名の茶会をしている最中だった。シグマはゴーゴリがいきなり登場したことに驚きながらも安堵していた。先程までフョードルと二人だけの空間だったからだ。ゴーゴリはふんふんと鼻歌を歌いながら空いていた席に座った。

「何か良いことでもありましたか?」

 フョードルが問えば、如何だろうとゴーゴリは首を捻った。目に見えて上機嫌であることはシグマにも分かった。

「では質問を変えましょう。歩と過ごした時間は楽しかったですか?」

「あれ、ドス君知ってたの?」

 歩という名前にシグマもまた反応した。あの子のことかと思っている間にも会話は進んでいく。

「ええ、まあ。歩のことなので。ですが、中で何が起こっていたかは分からなかったんですよね。」

「歩ちゃんと遊戯に参加していたのさ!スリルがあってなかなか楽しかった!」

「おや、貴方は主催する方が好きだった筈では?」

「たまには参加者の気持ちも体験しておかないと!より面白い遊戯を開催するためにもね!」

 危うく死ぬところだったよと云いながらもゴーゴリはからから笑っていた。シグマは事件に巻き込まれ、尚かつ此のゴーゴリを相手しなければならなかった歩を憐れんだ。

「楽しそうで何よりです。ですが、ぼくは云った筈ですよ。」

 歩は駄目だ、と。フョードルの其の一言から空気が明らかに変わった。極北の様な冷気が漂っている。其れを人は殺気、と呼ぶのかもしれなかった。

「厭だなぁ、ドス君。僕も云った筈だよ!」

 僕は歩ちゃんが嫌いだ、と。ゴーゴリは明るい声で返した。

「今日のことでよりそう感じたよ。私と彼女は相容れない。歩み寄ることができない。道が交わることは絶対にないってね!そもそも自由を一切求めないあの子と僕の思想では対立するのが必然であるからして……」

「そうですか。ですが、貴方の態度からは歩を嫌っているということをまるで感じません。」

 ね?と突然同意を求められ、シグマはこくこくと頷いた。忖度である。ゴーゴリはフョードルとシグマを交互に見て、最後はシグマを注視する。

「え、シグマ君もそう思う?」

「いや、まあ、そう……だな。」

「本当?否……シグマ君が云うならそうなのかな。じゃあさ、シグマ君的に嫌いな子には何をするのが理想なんだと思う?」

「何故、私に其れを聞く……」

 シグマが頭を抱えるとフョードルはくすりと笑って、シグマが一番一般人に近い思考回路だからだと答えた。シグマは辟易としながらも考える。

「そうだな。嫌いな人間にすることといえば……悪口を云ったりとか?」

「嫌いだって腐る程云ってきたよ。」

「暴力……とか。」

「暴力反対!というか歩ちゃんにしたら反撃されて此方が危ない!」

 シグマは唸りながら考えるも、最終的に投げやりになった。

「嫌がらせなら何でも良いんじゃないか。」

「嫌がらせ!!」

 すると、何故かゴーゴリの目が煌めいた。何か不味いことを云ってしまったか、とシグマは縮こまる。

「嫌がらせ!!つまり、歩ちゃんが嫌がることをすれば良い訳だ!!シグマ君、天才かな?」

 シグマはしまったと思った。自分が投げ出し適当なことを云ったばかりに歩の平穏が破られようとしている。シグマは助けを求め、フョードルをばっと見たが、彼は涼しい顔をしているだけで特に何も口を挟まなかった。

「我、妙策を得たり!早速行ってくるよ!」

「待て!!何処に……」

「歩ちゃんと遊戯の祝勝会にご飯を食べに行くんだ!其処でついでに嫌がらせしてくる!大丈夫!歩ちゃんの嫌がることには心当たりがある!」

 子どもの様にはしゃいで去っていったゴーゴリにシグマは唖然としながら、思わず再びフョードルを見た。ゴーゴリがいなくなった空間にふらりと指を差しながら問う。

「そもそも嫌いな人間と食事を共にしたいと思うものなのか?」

「……まあ、つまりそういうことですよ。」

 フョードルはテーブルに肘をついて、大きな溜め息を零した。フョードルはもう何もかも理解していた。理解しているが故に止めなかった。あのゴーゴリを制止するのはフョードルであろうとも難しい。

「困ったものですね。歩は無意識で厄介な人間を誑かすのですから。」

 其の厄介な人間に当てはまっている自覚はあるのだろうか。シグマは紅茶を飲みながら内心思った。

「あ、そうだ!ドス君!」

 と、いきなり空中にゴーゴリの首だけが現れた。シグマはぎょっとして紅茶のカップを取り落とした。カシャンと磁器の割れる音が響く。

「一個だけドス君の云ってること理解できたんだ。」

「そうですか。」

「うん、そう。僕も歩ちゃんが傷付いてるの余り見たくないなってね!だからドス君に云われた通り、暇な時は歩ちゃんのこと適当に助けようと思ってるから心配する必要ないからね!」

 云いたかったのはそれだけだと云わんばかりにゴーゴリの首は消失した。フョードルは其れに対して微笑みを浮かべるだけだった。だが、シグマは思う。此の顔は何か良からぬことを考えている顔だ、と。


 あの後一度本部に帰って着替えた後、再び外に出た。コーリャが祝勝会をするのだと譲らなかったのだ。今日は休暇だから別に良いのだが、私の本来の目的であるコーヒーメーカーの購入が未だ達成できていない。

 コーヒーメーカーを何処で買うか思案しながらコーリャに指定された場所で待っていると、気配を感じる間もなく何かが私の背中に乗り掛かってきた。

「歩ーちゃーんー!」

「う、わっ、」

 成人男性の体重がのしかかってきたためバランスを崩しそうになったが何とか踏ん張る。顔だけ何とか振り返るとコーリャだった。

「待った?」

「否、そんなには……それより離してくれません?」

 一応公共の場ではあるし、何より私は中也さんと交際中の身である。こんな風に別の男性に抱き着かれているというのは中也さんに対して不義理というものだ。

「歩ちゃん、こうされるの厭?」

「……そうですね。厭です。」

 ここははっきり厭だと云っておかなければ。コーリャは遊戯の時も私を抱えたり、顔が近かったりと嫌いな人間である私に対する距離感ではない行動をしがちである。遊戯の時は注意するような余裕はなかったが、今は有事ではないためしっかりと拒否しておくべきだ。

「つまり、嫌がらせは成功!ということだね!」

 コーリャは、其れはもう無邪気に云った。

「……嫌がらせだったんです?」

「嫌いな人間には嫌がらせするんだって。」

 いや………………いやあ。
 其れは、ちょっと違うような。
 
「困った顔してるねえ!驚いた顔も、厭そうな顔もしたし。無表情が売りな歩ちゃんの百面相が見れて楽しいなぁ。嫌がらせって素晴らしい!」

「否、全然素晴らしくないですよ……」

「ハハハーハッ!!歩ちゃんには此れからも嫌がらせしていこう!!」

「えぇっ……」

 コーリャは私の手を握り、歩き出した。離そうとしてもより強い力で握られる。此れも嫌がらせなのだろうか。困惑したままコーリャの顔を見上げる。そうすると、コーリャが今までで一番楽しそうな顔をしていた。きっと、此れがコーリャの本当の笑顔なのだろうと思うと何だか仕方ない気がして、私はそのままコーリャの隣を歩くのだった。

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