其の二十七

 私が異能特務課から中原幹部によって救出されて直ぐに私は首領の元を訪れていた。中原幹部には今日は休んだ方が良いのではと云われたのだが、早い方が良いだろうという事で私が押し切ったのだ。

「本当に大丈夫なのか……?」

「だ、だだだだだいじょ、」

「生まれたての子鹿みたいになってるぜ……」

 がたがたと全身が震える。五大幹部会で私の処遇について決定されたとはいえ、離反したと思われる様な行動をしている。自分が必要ない、阻害されている、そう感じて。王の写本の目を探偵社やポートマフィアから逸らそうとして裏目に出ているし。

 首領からの厳罰は必至だろう。

 エレベーターに乗って、目的の階に向かう間も足がかくかくと震えてしまう。

「歩。」

「は、はい……」

「大丈夫だ。」

 中原幹部が流れる様な動作で私の右手を取った。

「何も起こらねェよ。起こったとしても、俺が手前を守る。」

「中原幹部……」

 指を絡めて、きゅっと握られると胸の奥がじんわりと熱くなった。恥ずかしい、けど嬉しい。中原幹部とこうして触れ合えることに飢えていたみたいだった。握り返すと、中原幹部が柔らかく微笑んだ。

 鐘の音が鳴って、エレベーターが止まった。最上階は現在半壊したため工事をしているので最上階の三階程手前で止まった。中原幹部が私の手を握ったまま歩き出す。

「中原幹部っ、手……」

「見せつけとけ。」

 見張りの構成員達がじとりと私達を見ていた。いたたまれなくて俯いて首領の待つ部屋の扉の前に立つ。いつもの堅牢そうな扉ではなく木製の一般的な扉だ。胸に手を当て深呼吸をして、心を落ち着かせる。中原幹部が手を離し、その手で私の背中をとんと軽く押した。

「俺が隣にいる。」

「……はい。」

 大きく息を吸って、声を張り上げる。

「歩です、入ります。」

 中に進むと、私を待ち構えるが如く首領が立っていた。畏怖と緊張が一気にせり上がる。立っていることも呼吸も難しい。自分が矮小な存在と思い知らされる。否、それでこそポートマフィアの首領として相応しいのだろう。

 私は片膝をついて深く頭を下げた。

「歩君、よく戻って来たね。」

「いえ、私は本来なら此処にいられる様な人間ではありません。このような機会をいただけたことに感謝致します、首領。」

 首領はふむ、と何か考え込んでから声を発した。

「君は何か問題のある行動をしたのかな。ヨコハマの平穏を脅かす王の写本を壊滅させ、ポートマフィアの力を示した。更に、数年に渡りあのフョードル・ドストエフスキーの監視を行い、手懐けてすらいる。」

 フョードル・ドストエフスキー。それはフェージャの事だ。監視も、手懐けてもいない。私の大切な人。私が心を許す人。だが真逆、あのフョードル・ドストエフスキーだとは思わなかった。話すだけで魂を奪われてしまうなんて噂もあったが、私には……彼のありのままを見せてくれていたと、そう思いたい。

「君は十分に組織に貢献してくれている。咎める者はいないよ。」

「……ありがとうございます。」

「しかし、君は其の異能に関して特務課に目を付けられている。君の異能がどれだけこの世界にとって脅威であるか、君自身も分かっているね?」

 分かっている。全て思い出したから。もう数え切れない程の人を私の異能は殺している。その中には政治家や王族もいる。世界の脅威、其れが私の異能

「特務課に毎度狙われていては此方としても君を守り切れない。ただ君の異能は他組織や政府の牽制となり得る。手放すのは惜しい。其処で、一つ君に提案したい。」

 どのような提案であれ、私は是と云わざるを得ないだろう。張り詰めた緊張が肌を刺す。

「歩君、君を幹部に任命したい。」

「はい。……はい?……はい!?」

 はいの三段活用である。かんぶ?カンブ?

 昆布の間違いではなく?否、ボケている場合ではない。

「か、幹部の枠は既に埋まっているのでは?」

「幹部、と云うよりは幹部代理が正しいかな。君には太宰君が戻ってきた時のために取っていた席に代理として加わって欲しい。」

 太宰さんの代わり。戻って来るか現時点では定かでない、また私の目から見ても彼は此方に戻ってくる心算もなさそうな太宰さんの席に代理として座る。

「……私は、太宰さんの代わりにはなりません。」

「歩君に太宰君の代わりは不可能だとも。私が望むのは絶対に裏切らず職務をこなす忠実な人間だ。」

 太宰さんの様な頭脳を求めている訳でもない。ただ自分の思い通りにいく人間が欲しい、ということか。

「今、中也君や紅葉君へ仕事が集中していてね。理由は分かるだろう?彼等への負担を減らしたいけれど、幹部以下に機密事項の含まれた書類を回したくはない。」

 五大幹部の内、現在四席が埋まっているが実質動いているのは中原幹部と姐さんだけだ。Aは信用に値しないし、一人は……私も会ったことがない。つまり、前者の二人にどうしても仕事が集まるのだ。

「特務課も君に手を出し辛くなる。何せポートマフィアの幹部、なのだから。」

 悪い提案じゃないだろう、と首領は矢張り底の見えない笑顔を向けた。もしかしたら、首領は私に幹部になる気はないか、そう尋ねてきた時点でこの結末が見えていたんじゃないだろうか。そうだとしたら本当に恐ろしい人だ。

 ただ、この決定を私一人でするというのは……。

「因みにだが、君の幹部代理入りは五大幹部会での賛成多数を得ている。あとは歩君の返事を聞くだけだ。」

 これは逃げ道がないなと察した。私は半歩後ろで立つ中原幹部をちらりと見た。中原幹部は、一度だけ頷く。

「……分かりました。慎んでお受け致します。」

 こうして、私はほぼ幹部と同じ地位である幹部代理になった。こんなことになるなんて本当に思ってもいなかったが、私はとにかく生きる術を得た。

「中也君、以前太宰君が使っていた執務室を歩君に与えるから案内してあげなさい。」

「かしこまりました、首領。」

 今日の用件はそれだけだよと云われ、私は中原幹部と共に部屋を後にした。エレベーターに乗り、安堵から吐息が零れた。

「大丈夫だっただろ?」

「ある意味大丈夫ではなくないですか?」

 そうかもな、と中原幹部はからから笑う。

「良かったんですか、太宰さんの席を……」

「いつまでも空いてるままには出来ねェだろ、首領としても良い機会だったんじゃねえか。」

 首領の思惑は分からない。言葉そのままの意味かもしれないし、もっと裏に何か隠されているのかもしれない。深淵を覗いているのはいつだって首領だけなのだ。

「なあ、二人で住めるところを探さねェか?」

「へ……」

 驚きの余り開いた口が塞がらない。唖然としていると中原幹部が私の顔を覗き込む。

「駄目か?」

「いや、えっと……私と中原幹部が、二人でですか?」

「他に誰がいるんだよ。」

「でも、その……良いんですか?私と、なんて。」

 中原幹部は未だそんな事云ってやがるのか、と寧ろ呆れ顔で云った。

「好きな奴と長く一緒にいられるんだ。良いに決まってんだろうが。」

 じわじわと身体の熱が高まってくる。中原幹部の"好き"は心臓に悪い。ばくばくと鼓動の音が大きくなっていくのが分かる。

「ちょっと顔赤くなってる。照れてんのか?」

 可愛いな、と中原幹部が私の顔に流れていた髪を耳に掛けて囁いた。

 呼吸が止まる。思考が停止する。

「…………む、」

「む?」

「無理ですっ!!」

 エレベーターが到着し、扉が開くと同時に飛び出した。頬を押さえて廊下を一気に駆け抜ける。想いが通じるのはゴールではなく、スタートなのだと今知った。だって、恋をしている時より熱くてふわふわする。このまま中原幹部と一緒にいたら心臓が保たない。

 そのまま全速力で走っていると前方に人影があった。慌てて足に急ブレーキを掛けて、ずざっと滑りながらも何とか停止する。

「貴様……」

「あ、芥川さん……」

 任務から帰って来たらしい芥川さんだった。芥川さんの厳しい視線が私を上から下まで睨めつける。

「射鹿を含め中也さんの部下を多数殺し、足立も死んだと聞いていたが憔悴どころか色恋に目覚め、子どもの様に燥ぎ回るとは貴様も随分人の心を失ってきたらしい。」

 まるで、氷点下の地に放り込まれた様に一瞬で熱が冷めた。

 射鹿さんのこと、作良さんのこと。忘れた訳じゃない。私が殺したのだ。本当に、芥川さんの云う通りだ。恋は叶った。けれど失ったものは大きい。

「王の写本との戦闘でどれだけの仲間が犠牲になったか。そうならざるを得なかったか。」

 私がいなければ王の写本はできなかった。誰も死ぬことはなかったのかもしれない。

 芥川さんの視線は以前より冷たくて痛い。目が合わせられない。

「芥川やめろ。」

 視界が真っ暗になった。背後の中原幹部が私の目を塞いだのだ。

「いい加減にしろよ。手前は歩が傷付くことしか云えねェのか。」

「中也さんは甘い言葉しか掛けられないようで。」

「俺は飴と鞭はちゃんと使い分けてんだよ。けどな手前は違うだろ?そりゃ八つ当たりと嫉妬だ。見苦しいにも程がある。」

 ぎりっと小さく歯を軋らせる音が聞こえてきた。芥川さんのものだろう。

「僕が八つ当たりと嫉妬だと……」

「そうだって云ってんだろ。悪いが俺も歩も手前の戯言に付き合ってる暇はねェ。」

 行くぞ、と中原幹部は私の手を引いた。芥川さんの脇を通る。芥川さんは拳をぶるぶると震わせ俯いていた。爪が食い込んで痛そうだった。

 中原幹部は私の手を引いて進んだ。

「芥川のことは気にすんな。射鹿達は首領に手を出したんだ。どっちにしろ処刑は免れなかった。それに手前がしてなくても俺が殺ってただろうしな。」

「中原幹部……」

「気にすんなとは云わねェが……手前は間違ってない。」

 中原幹部が立ち止まったのは赤茶色のマホガニー材の扉の前だった。此れが最年少幹部だった太宰さんの執務室のようだ。中原幹部が中に入ろうとしたので、一度呼び止める。

「明日、なんですけど……」

「おう。」

「作良さんの家に行って良いですか……?」

 中原幹部は一瞬顔を顰めた。多分、作良さんの遺体はポートマフィアで処理したのだろう。他にも彼の存在を証明するものは回収、処分しているかもしれない。

「それでも、行きたいんです。」

 私が呟きにも似た小さな声で意思を示すと、中原幹部は分かったと頷いた。

「明日は俺も休みだ。一緒に行く。何か見付かっても他言はしねェよ。」

 感謝の言葉を述べて、話題を変える。太宰さんの執務室が此処か尋ねると中原幹部は肯定した。

「太宰が出て行ってからそのままだが……要らないものがあったら処理して良い。」

 扉を開けて、中原幹部が中に入る。が、途中で立ち止まった。私も入ってみればお前!?と叫ばれた。

「歩じゃねえかよ!何でいるんだよ!」

 男勝りな口調の美女。背中に大剣を担ぐ彼女を私は知っている。

「スキールニル……」

 王の写本のメンバー、スキールニルだ。スキールニルは私に食って掛かるが、中原幹部が私を背中に隠して反論する。

「生きてたのは知っていたが、何で此処にいる。」

「アタシは、王の写本がなくなって行くところもなかったし……闇に染まり過ぎた。普通の生活なんてできないから、ポートマフィアに入ったんだよ。」

 すると、首領に新しい幹部の元で仕事をする様にと命令されたらしい。

「真逆、歩なんじゃねえだろうな……」

「残念だったな。その真逆だが……歩が拒めば手前はお役御免だ。」

 スキールニルがぐっ、と小さく呻く。スキールニルは私を恨んでいるだろう。私が彼女の両親を殺して、王の写本を駆り立てたのだから。

「スキールニルの……したいようにすれば良い。」

 私が彼女を縛ることはできない。別の幹部の元に行きたければ私が掛け合えば良いだけの話だ。

「……アタシの両親のこと覚えてる?」

 ぽつりとスキールニルが問う。

「覚えてます。私が……焼き殺した。」

 中原幹部が何か云おうとしたが、スキールニルが制した。違うだろ、と声を震わせる。

「お前が殺したんじゃないだろ。お前を殺した奴が悪いんだよ。お前もアタシ達も……大人に利用されて人生狂わされた被害者だ。」

 恨みはない、とスキールニルは云った。

「アタシ達は自分の苦しみばかり見て、アンタの苦しみを見ようともしなかった。」

「……スキールニル。」

「……なあ、アンタにとってアタシの両親は何だったんだ?」

 私はスキールニルの方に進み出た。一歩前に立つ。

「大切な人だった。私と沢山話してくれて、勉強も教えてくれた。他の人達は私を神だと持て囃して……そして捨てたけれど、二人だけは最後まで私を人間として……子どもとして接してくれた。」

 スキールニルは目を見開き、微笑んだ。瞳は水を湛えて零れそうなのに、一粒も落ちたりはしない。

「父さんと母さんの大切なもん、今度はアタシが守らないと、だな。」

 スキールニルが私の前に跪いた。

「如月瑠衣だ。アンタの下で適当に暴れさせて貰う。これからよろしく。」

「……ありがとう。よろしくお願いします。」

 こうして、私は初めて自分直属の部下ができたのであった。


 赤い世界。あの男が待っている世界。

 私を何度も何度も殺した男。私の異能を私利私欲のために使った男。私の死にしか価値を求めない男。

「吾妻曹司……」

 それが彼の名前だった。

「漸く思い出したか。」

「思い出したくなかったです。お父さんやお母さんが封印したものだから。」

「本当の両親じゃないだろ。」

 そんなものは関係ない。お父さんとお母さんは私を愛してくれた。それだけで私は二人の子どもでいられる。本当の両親のことは分からない。物心ついた時には周りにいたのは研究者だけだったのだから。

「人の心を失っている、か。云われて当然だな。お前はもう随分前に人の心など失っている。」

 それはあなたが"私"を壊したからだ。壊しては直して、また壊して。私の心は継ぎ接ぎで。

「私はあなたの道具じゃない。」

「それはどうだろうな。俺の異能がお前の精神を修復している以上、俺は何度でもお前の前に現れる。」

「あなたはもう死んでる。私が殺した。」

 吾妻曹司は金色の双眸をすっと細めただけだった。

「私のこれからに口を挟まないで。……早く、消えてください。」

 赤い世界がぼやけてくる。多分、覚醒が近いのだろう。吾妻曹司の姿に霞が掛かる。

「俺は消えない。お前が今のお前である限り。俺はお前の中で生き続ける。」

 これはただの悪夢だ。私が私であるために必要な夢なのだ。

 夢から覚める。現実が始まる。


 バサリと顔に何かが落ちてきて覚醒した。確か、太宰さんの執務室にあった本棚の書籍を読み漁っていたのだ。ソファーに仰向けになって読んでいたから持っていた本が落ちてきたのだろう。

「お目覚めか?」

「スキー……如月さん。」

 本を視界から退けて起き上がれば、高級な革張りの執務椅子をぐるぐる回しながらスキールニル改め如月さんが私を見ていた。

「魘されてたが大丈夫か?」

「……如月さんは吾妻曹司を知っていますか?」

 直ぐに思い当たったのか如月さんは、ああと返した。

「殺戮派の奴だろ。」

 殺戮派?と私が尋ねれば如月さんは答えてくれた。

「あの研究所には二つの派閥があったんだ。其れが再生派と殺戮派。戦争における価値観の違いってやつだ。」

 再生派は神の異能を使い兵士を生き返らせ、残存兵力の保持を確立する思想。殺戮派は神の異能を以て全敵勢力を殲滅する思想。

「ただ、殺戮派に関しては神の異能なんて大それたものが無くともやろうと思えばできる奴がいるだろ?そんなものを態々開発する必要なんてない。だから、相対的に見れば再生派の方が勢力が大きかった。殺戮派はまあ……追い出されたりした奴も多かったみたいだ。神の異能がお前の其の《生殺与奪》だと判明してなかった時はな。」

 《生殺与奪》が再生派の意に反するものだった。寧ろ殺戮派の思想に近い異能であったため、殺戮派が動いた、ということか。

「……お前を殺してたのは吾妻曹司か。」

「はい。」

「……で、ソイツが夢に出たのか。」

 私は首を縦に振る。彼は私の中で未だ生きている。呪いの様に縛ってくる。

「アタシ達は大人に囚われ過ぎなんだよな……」

 解放されるための王の写本だったんだけど、と呟く。

「ま、無視しとけ。死んだ人間が生きてる人間をとやかく云う資格ないし。」

「……私も、そう思います。」

 同意して、私は本を棚に仕舞った。太宰さんの書棚には戦術論系の書籍が多かった。太宰さんが求められていたことが、つまりそういうことなのだろう。

「眠くなる様な本ばっかりだな。実際、歩は寝てたし。アタシも頭脳より戦闘派なんだよなあ。」

「……お茶にでもしましょうか。」

 此の執務室には簡単なキッチンやシャワー等が完備してある。此処で生活しようと思えばできそうだ。キッチンの引き出しからケトルを取り出して水を沸かす。インスタントコーヒーしかレパートリーがないが仕方ない。

「中原中也も呼ぶか?」

「中原幹部は作戦の後始末があって。」

「それもそうか。」

 如月さんが何処からか紙コップを二つ持って来て、コーヒーをスプーンで掬ってざらざらと入れた。適温になった湯を注ぐ。

「あっつ……まあ紙コップだからしゃーないか。今度は自分のコップ持ってくるわ。」

「私も何か持ってきます。紅茶とか種類も増やして……」

「あ、じゃあさ!部下ができたらコップ買うってのはどうだ?部下の証として、みたいな。」

 如月さん以外に部下ができるのか、其の辺りは未だよく分からない。そもそも、私が高い地位に就くことになるとは思ってなかった。ずっと……織田作さんと同じ様に一般的な構成員として生きると思っていた。底辺の方が私向きだった。

「アタシ達の目があれば裏切りは先ずないだろ。さっさと良さそうな人材集めて面倒事やらせとけ。」

「流石に其れは……」

「って歩はできなさそうだよな。けど、要領よくやった方が良いとは思う。ヴォルヴァはマジで人頼みの権化だったけど。」

 何処か遠くを見詰める様な眼差しの如月さんに私は何も云えなかった。ヴォルヴァを殺したのは私なのだから。

「……明日、私と如月さんのコップ買いに行きましょうか。」

「良いけど、中原中也と知り合いのところ行くんじゃなかったのか?」

「帰りに少し寄り道するだけです。なので、如月さんも明日何も予定がなければ同行していただけたら。」

 分かったと如月さんはあっさり承諾した。部下で護衛なんだから当たり前だろと胸を張った。

「てか、アタシもなんだけどさ今日お前何処帰るの?」

「色々充実してますし、当分は此処でも良いかなと。」

「え、アタシも泊まって良い?」

 二人で生活するには問題ない広さのスペースだと思う。其れに如月さんも王の写本がなくなってお金も住居もない筈だ。

「少しの間だけなら。……今度住居も探しに行かないと。」

「だな。落ち着いたら探そう。」

 二人でそんなことを話しながら執務室を探索したり、寝るスペースを確保したりした。中原幹部は忙しいのか深夜になっても連絡はなく、一応居場所だけメールで伝えて、如月さんと眠りに着いた。夢は見なかったが、脳裏にはあの赤い世界がちらついて離れなかった。


「此処が足立作良って奴の家かー。」

「今更だけど、何で手前が付いてきてるんだ?」

 作良さんの工場兼自宅に中原幹部の車に乗せて貰いやって来た。如月さんは中原幹部の問いににやりと不敵に笑って返答する。

「そりゃアタシは歩の部下でありマブだからだよ。」

 なー!と私の肩を抱く如月さんに私は首を縦に振った。

「何だそりゃ。夜の内に仲良くなり過ぎだろ。」

「用事終わったらアタシと歩の執務室での休憩用のマグカップ買いに行く心算だからよろしくな!」

 お前なあ、と呆れからか溜息を漏らした中原幹部に謝罪した。マグカップを買いに行くと提案したのは私だ。如月さんに責任はない。

「一応歩が幹部になった事は特務課に情報が通る様に手を回してはいるがあんま外に長居する訳にはいかねェ。俺も結構派手に暴れたし楯突いたしな。」

「……すみません。」

「まあでも、彼女の願いを叶えない狭量な男じゃねェからな。一寸くらい問題ねェよ。」

 中原幹部は私の頭をぽんと軽く叩いて、作良さんの自宅に入っていった。如月さんもアタシもいるから大丈夫に決まってんだろと私の背中をバシバシ叩いて中原幹部の後に付いていった。

「……ありがとうございます。」

 多分二人に声は聞こえていないだろう。私は二人の背に頭を下げて駆け足で追い掛けるのだった。

 作良さんがいつも座っていたカウンターには何も置かれていなかった。棚には小物も本もなく、全てポートマフィアによって回収されたのだろうと思われる。

 作良さんの住居である奥の部屋も人が住んでいたとは思えない程何もなくなっていた。

「……本当に何もないな。」

 中原幹部がぼそりと云った。作良さんはポートマフィア所有の墓地に埋葬され、彼が生きてきた証ともなる所有物は殆どポートマフィアが回収、処理してしまった。

 ……そう、殆ど、というだ。彼が何も残していない訳がない。

 私は床板を一枚取り外した。

「歩?」

 少し離れていてください、と二人に促して床板をガコガコと縦横にパズルでもする様に移動させていく。そうして動かしている内にカチリと嵌った。

 バゴン!と大きな音がして床板が跳ね上がる。

 中原幹部と如月さんから驚きの声が漏れる。

 跳ね上がった床板の下にあったのはUSBと金庫の様なダイヤルのある扉だった。

「地下に何かあるってか?」

 如月さんの疑問に私は頷きで答えた。

「私にだけ地下に行く方法を教えてくれてるらしくて。でも、先ずは此のUSBの中を確認します。」

 私は持ち込んでいたノートPCにUSBを挿し込んだ。
 残されていたのは動画一本。私は直ぐに再生させた。

 作良さんの顔が、映し出される。

『此れを見てる奴がいるってことはおれは多分死んだんだろうな。……其の見てる奴が、歩であることを願ってる。今からの話は全部歩に向けて話す。』

 作良さんの其の言葉に、中原幹部が一旦動画を停止させた。

「歩。俺と此奴は外に行っておくから……」

「居て、いただけませんか。」

 私は画面を見詰めて云った。中原幹部は何とも云えない表情を浮かべる。それでも私は中原幹部に頭を下げて頼んだ。

「お願いします。一人で見たら……多分、泣いてしまうので。」

 其れは許されることじゃない。泣くことは許されない。だって、彼は私が殺したのだから。そう分かっていても、心の中で制止させようとも誰かがいないと泣いてしまうだろう。

「……分かった。でも、ちょっと離れたところから見る。スキールニルもそれで良いか?」

「ああ。」

 中原幹部と如月さんはそうして少し離れた所に思い思いに座っていた。私は見計らって動画を再び再生させた。

『……歩、ごめんな。おれ、死んじゃったみたいだ。こんな動画撮ったのは何ていうか死を予感したからなんだ。其の件はまた後で話す。』

 作良さんは暗い表情で云って、しかし次には笑っていた。

『とにかく、おれは死んだ。心残りがあるとすれば、お前との約束を果たせなかったことくらいだ。でも、多分きっとお前はそんなことできないだろうから……どっちが先に破るかって話だったんだろうけど、おれが破ることになっちゃったんだろうな。ごめん。』

「作良さん……」

 作良さんは何も悪くない。あんなことを云っておきながら私は中原幹部の傍に今もいる。きっと作良さんとの約束も後回しにしてしまっただろう。作良さんのことを最後の最後まで振り回してばかりだった。そんな私の心の声に応える様に作良さんは続けた。

『良いんだよ。おれはさ、お前に沢山救われたんだ。初めて会った時からお前に救われて……救われ続けて生きてきた。其の癖、お前にできることはこれっぽっちもなくて、残せるものは微々たるもんで。どうしようもない奴だよ、おれって。』

 作良さんは其処から先はない太腿を手で擦り、そして苦笑いを浮かべた。其の怪我も本当ならなかった筈のものなのに。救われているだなんて、何故そんなことを彼は云えるのだろう。

 答えは、直ぐに返ってきた。

『……なあ、歩、おれ、お前のことが好きだ。今ならおれの気持ち分かるだろ?……ずっと大好きだったよ。だから、ずっと味方でいたかった。支えてやりたかった。ずっと……傍にいてやりたかったよ。だから……ごめんな。』

 其れは、私が中原幹部に向ける感情と同じだった。作良さんはずっと其れを向けてくれていたのだ。なのに、私に答えを求めようとしなかった。私は……彼の気持ちに何も返すことができなかった。

 それどころか。

 私は拳を強く握り締めた。私は莫迦だ。莫迦で間抜けで最低だ。人の気持ちを何度も何度も無視して、蔑ろにして……それで中原幹部と幸せになろうだなんて。

 本当に、最低だ。

『……もし、もしだ。おれがお前の心の隅に少しでも残る存在だったなら、おれの願いを聞いて欲しい。』

 作良さんの真剣な声に、反射的に顔を上げた。何を云われるのか。軽蔑でも、罵倒でも、呪詛でも何でも受け入れよう、そう考えていた。彼はそんな私の荒んだ心を大きく裏切った。

『……幸せになってくれ。』

 真っ直ぐに彼は私を見詰めていた。優しい声音だった。

『お前の好きな奴と幸せになって欲しい。結婚して、子ども産んで、孫も見てさ……それでそんな幸せな日々の中で……ちょっとだけで良いから、おれのこと思い出して欲しい。こんな奴がいたって、ほんの少しで良いから……思い出して……笑い話にでも何でもしてくれよ。おれは……お前の記憶の片隅に残れたならそれで、満足なんだ。』

「作良さん……私はっ!」

『お前はきっとおれの死に関して自分に責任を感じてると思う。お前の異能で死んだって可能性もあるし……寧ろ其れが濃厚なんじゃないかって思ってる。でも、おれはお前が生きてさえいてくれるならそれで良い。幸せになってくれるならそれで良い。此れがおれの最後の願いなんだ。歩、お前は悪くない。お前の大切になれておれは嬉しい。だからさ……おれのことで自分を責めるな。幸せに、生きてくれ。頼む。』

 作良さんは深く頭を下げた。勢い余ってごんっ!と机に額をぶつけ、痛い!と呻いた。

『其れがおれの願いだ。歩、お前しか叶えられない願いだ。此方で見てるんだからな!違えたら許さねえぞ!』

 顔を真っ赤にして、作良さんは叫んだ。

 私しか叶えられない願いは、私のことを想う言葉でできていた。自分のことなんて一つも混ざっていない。ただ私の幸せを願う彼の純粋な願い。

「作良さんは本当に……私のことばっかり。」

 でも、其れがきっと作良さんの全てで。
 だったら、私は其の願いを叶えなければならない。
 作良さんのことは絶対に忘れない。いつ死ぬか分からない私の異能。永劫の時を生きる可能性だってある。けれど、絶対に忘れない。私の心の中で、足立作良という存在は生き続ける。作良さんが私をどんなことがあっても信じてくれたように。私も、彼をどんなことがあっても忘れたりしない。

 そして、いつか必ず幸せに……。

『あと云いたいことは……あ、此の奥にあるもんは全部お前のもんだ。どうせ上のは全部ポートマフィアが回収してるだろうし。チッ、マジ彼奴等腹立つよな!人のもんをさ、証拠隠滅とか云って回収してさ。おれのもんは歩のもんだっての。』

 茶化す様に作良さんは云った。他にも何か云うことがあるのか思案しながら言葉を紡ぐ。

『次は……あ〜、あんま云いたくないけど……歩、フェージャはやめとけ。』

 私は其の言葉にびくりと肩を震わせた。

『彼奴はお前も幹部のことも全部分かっててあんなことをお前にさせたんだ。理由は……お前と二人で生きることのできる世界を作りたかった、だと思う。彼奴は間違いなくお前が好きだ。愛してるだろう。でも、其れにお前が応えようものなら、彼奴はお前の異能すら利用してお前の大切を皆殺しにする。……おれが、其の犠牲の一人だって云ったらお前は怒るかな。とにかく、おれは彼奴だけはできればやめて欲しい。お前の心は決まってんだろうけど……。』

 私の本当の異能も。中原幹部の荒覇吐のことも全て。フェージャは織り込み済みだったと作良さんはそう云っているのか。だったらフェージャは何がしたかったのか。王の写本と戦わせて潰し合い?否、もしかしたら私が孤立するところから既に彼の手の内だったかもしれない、ということなのか?

 そんなことをしているなんて考えたくない。けれど、作良さんのことを信じない訳にはいかない。

 フェージャと、話す機会が欲しい。全ての真相を詳らかにする場が欲しい。

 悶々と考えていると、画面の作良さんは困らせる心算はないのだと小さな声で云った。

『もし彼奴と一緒にいる気なら考えた方が良いってだけだ。其処に幸せがあるって云うならおれは折れる。でも、忠告はした。後悔しない選択をして欲しい。』

「……はい。」

 考えなければ。昔のこと、今のこと、未来のこと。ちゃんと。今を必死に生きているだけじゃ駄目だ。考えて、答えを出さなければならない日が絶対にいつか来るのだから。

『うん。話はそれくらい……だな。』

 作良さんは言葉を切った。沈黙が降りる。

 沈黙を破ったのは矢張り作良さんだった。

『歩、今までありがとな。おれに生きる意味をくれて、希望をくれて。今のおれを作ったのはお前だ。感謝してる。お前に恋して、そうして生きられたことをおれは誇りに思う。』

 じゃ、またなと作良さんは云って、動画は終わった。作良さんは最後の最後まで私の道を照らしてくれた。そして、これからも私の記憶と心の中で生きて、照らし続けてくれるのだ。

「歩、平気か?」

 私がノートPCを仕舞ったと同時に中原幹部が私の肩を叩いた。

「……大丈夫です。中原幹部、傍にいてくださってありがとうございます。如月さんも。」

「いーや、凄え愛されてんなあって。感心したよ、作良って奴も、云わせたお前もさ。」

 如月さんは目を細めて感慨深げに云った。

「アタシも覚えてて良いか、此奴のこと。動画見ただけなんだけどさ……。」

 勿論だと私は頷く。例え面識がなくとも、覚えてくれている人が一人でもいれば、其の人の中で作良さんは生き続けるのだ。

「あとは作良さんが残したもの……」

 ダイヤル付きの扉を見る。ダイヤルは4桁の数字。思い付いて回せば、鍵が簡単に開いた。中原幹部が何で其の数字にしたんだと首を傾ける。確かに動画でも云っていなかったし、ヒントもなかった。

「私と作良さんの誕生日を足して2で割った数字です。」

「熟、彼奴は手前命だな。」

 中原幹部は呆れの混じった苦笑を見せた。

 扉を開けば、階段があり更に下に続いていた。中原幹部は結構深いなと覗き込む。確か一階部分と同じくらいの部屋が地下にある筈だ。階段を一段降りると壁の明かりが点灯した。道を示す様に奥まで続いている。

 私は壁を伝いながら階段を降りていった。二十段程で階段は終わった。地下室の明かりも自動で着いた。

 其処にあったのはプラスチック製のライフルバッグ、私のサイズの衣服の数々、ナイフや爆弾類、更には私が愛用していた型の新しいバイクまで。

 ライフルバッグの上には紙片が置かれていた。

『全部におれの異能が付与してある。死んだ後まで残るかは分からないが、もし残ってなくても使えるもんばかりだ。特にライフルバッグ、其の中の狙撃銃はおれが開発したお前のためだけのもんだ。』

 ライフルバッグをゆっくりと開く。

 其れは通常の狙撃銃と様相が大きく異なっていた。先ず照準器がなかった。銃口は通常のサイズだが、銃身が何倍もの厚みがあった。其処に持ち手のようなものが付属していた。

『狙撃もできるが、何と近距離戦闘もできる。通常の狙撃銃なら打撃に使おうものなら、銃身が歪んだりして狙撃精度が落ちる。だが、此れはおれの異能で強化してあるから、例え銃身や銃床で殴ったとしても一切歪まない。』

 狙撃銃としての緻密さを損なわずかつ打撃ができるようフルカスタマイズされているというのか。

『打撃に使うのに照準器は邪魔だしお前の目があれば大丈夫だろうと思って付けてない。まあ、異能が残ってる前提だから、残ってなかったら普通に狙撃に使ってくれ。ライフルバッグもおれが強化したから完全防弾できる。あと通帳も置いてるから適当に使ってくれ。金はあっても困らないだろ?』

 お前の幸せを守るために活用してくれ、文章は其れで締め括られていた。私は狙撃銃を手にする。重厚そうな見た目に反して軽い。そして伝わってくる、作良さんの異能が死して尚宿っている。

 私は狙撃銃を抱き締める。

 銃身に此の狙撃銃の銘が刻まれている。

 ───Kirschblüte001。

「作良さん、確かに受け取りました。」

 あなたの残したものはあなたの願いのために。改めて誓いを立てる。作良さんの願いを叶える、約束を果たす。そのために私のすべきことをして、全て終わらせる。


 作良さんが私にと残したものが多かったため、一旦本部に戻ることになった。執務室にあらかた置いて、また外に出る。

「別の日に回しても良かったんだぜ?」

「今日に、と約束しましたから。」

 約束を破る人間でいたくない。破らせる様な人間にもなりたくない。だから、先ずは自分からだ。遠慮がちに云った如月さんに私はそう返した。

「中原幹部も……ありがとうございます。」

「気にすんな、俺がしたくてしてんだから。」

 近くの複合商業施設に行き先を設定し、中原幹部は車を走らせてくれた。私はKirschblüte001の入ったライフルバッグを肩に掛け、如月さんと共にマグカップを探して複合商業施設内を歩き回った。

「其れあんまライフルバッグ感ないよな。ギターケースとか?」

「そうですね……多分、作良さんは其れも見越して此のデザインにしてるのかも。」

 あの性格ならあり寄りのありだわと納得したのか如月さんは数度頷いて、棚に並んでいたマグカップの一つを手にした。

「アタシ、此れにしようかと思ってんだけど如何思う?」

 青地に白く美しい馬が描かれたマグカップだ。

「如月さんが其れで良いなら。」

「……ん、アタシは此れが良い。歩は決まったか?」

 私は首を横に振った。めぼしいものがないというより欲望がないというか。正直真っ白でも良いとすら思っている。

「其れは味気なくないか?」

「そう……なんですけど。」

 なら、と私達を後ろで見守っていた中原幹部が申し出る。

「俺が選んで良いか?」

「中原幹部が?」

「代わりに、俺のを歩が選んでくれ。暇な時にそっちに行くからその時用に置いといてくれると助かる。」

 如月さんが入り浸る気かよと茶化すが別に良いだろと中原幹部は開き直った。それにしても逆にハードルが高くなってしまった気がしてならない。

「中原幹部の……」

 私はもう一周して、一つのマグカップを取った。

 空の色だ、と思った。中也さんの瞳と似た色。中也さんが私を助け出してくれたあの時の空と同じ青。ただ一色で彩られたシンプルなマグカップだ。

「こんなので良いのかな……」

 分からない。でも、此れ以外はピンと来ない。私が確認のために持って行くと中原幹部は既に待っていて、如月さんと談笑していた。

「中原幹部、早いですね。」

「ああ、俺はもう決まってたからな。」

 差し出されたマグカップは私と同じ様なシンプルな黒のマグカップだった。

「ちょっと光に当ててみろ。」

 中原幹部の指示に従い、照明の光に当てる。

「……色が、変わって。」

 黒が、紺碧に変化する。中原幹部は夜空の色だ、と云った。

「俺が手前に初めて惹かれた時の空の色だ。」

「私に……?」

「自分が如何なっても曲げてはいけないものがあると、手前はそう云った。だが、其れができずに無力を呪って、傷付いて……」

 其れは、其の記憶は今も鮮明に覚えている。中原幹部に、曲げたくない意志があるなら組織で畏れられる位強くなれとそう云われた。

 其れが、私の原点だった。

 守るために、私は此処まで来たのだ。

「其れが俺と手前の始まりだったんだと思う。」

 なら、と私は中原幹部に自分の選んだマグカップを差し出した。

「此の色が私達のもう一つの始まりです。」

 私と中原幹部の想いが通じ合った時の空の色。中原幹部と私の新たな関係、其の始まりの色だ。

「デザインも何もないですけど……」

「否、此れが良い。……ありがとな、歩。」

 中原幹部は私の頭を撫でて微笑した。幸せそうな笑顔に私も胸の中が温かくなった。

 私と如月さんのものを購入し、(中原幹部は自分で払うからと断られ)本部に戻った私と如月さんは早速インスタント珈琲を飲んだ。中原幹部が用事ができたと云って私達を降ろしてそのまま何処かに行ってしまったのは残念だが、ちゃんとしたものが振る舞える様になってからの方が良いのかもしれないとも思う。中原幹部に其処らに売っているインスタント珈琲を出すのは若干憚られた。

「異能特務課の野郎共が監視してたな。距離はそこそこだったけど。」

「ですね。当分監視の目は避けられないかと。」

「猟犬が出ないだけましか。」

 猟犬。彼等ともまた戦わなければならない日が来るのだろうか。私が此の世界で生きる限り避けられない道なのかもしれない。

「心配しても仕方ないか。今日も早めに寝て明日に備えようぜ。」

 明日から、本格的に仕事が回されるらしい。幹部代理としての仕事、書類整理がメインらしいが。中原幹部の仕事が減らせるなら例え膨大であろうと引き受ける心算だ。そのためにも今日は早く眠るのが賢明と云える。

 私と如月さんは昨日と同じ様にスペースを確保し、睡眠に入った。

 否、できなかった。

 執務室の扉が音もなく開いた。足音もない。だが、気配は感じる。

 如月さんは、すぅすぅと寝息を立てている。

 気配はどんどん近付いてくる。

 カチャリと耳馴染みのある音が聞こえた。拳銃だ。引き金に指が掛けられている。

 撃たれ……

「よう、うちの上司に何か用か?」

 ギインッ!金属音が爆ぜた。私は目を開ける。

 空中で大剣が踊る。如月さんの異能だ。

「歩も起きてんなら逃げるなりしろよな。」

 如月さんの大剣によって襲撃者の拳銃は弾き飛ばされていた。

 如月さんは大剣を肩に担いで襲撃者を睨んだ。

 如月さんの視線を追うと、其処には一人の青年が立っていた。黒い髪、濃紺を帯びた瞳、身長は中原幹部より高い。其の顔は未だ幼さが残り、しかし眼光は厳しい。

 そして、彼の闇は……

 ポートマフィアのものだった。

「お前、歩を殺す気はないみてえだな。ポートマフィア所属みたいだし。何だ?派閥争いか?」

 違う、と彼は否定する。

「俺はただ……認められたいだけだ。」

 ───芥川さんに。

 感情を押し殺した低い声が耳に届いた。

「芥川さんに認められた貴女に傷を負わせれば認められるかもしれないと。」

 私は、芥川さんに認められたことなんて一度もない。訓練を始めて、今に至るまで私は芥川さんにとっては底辺の存在。つまり、弱者だ。

「芥川さんはそう簡単に誰かの強さを認める人じゃありません。私を殺したとしても貴女の評価が上がったりすることはまずありません。」

 彼は押し黙ってしまった。私を倒すことが芥川さんに認められる唯一の方法だと、そう考えていたのだろう。宛がなくなって途方に暮れているのかもしれない。表情は一切動いていないが。

「普通にさ、芥川って奴に一発喰らわせれば良いんじゃね?」

 如月さんがあっさりと云った。特に考えもせず、というよりは其れが当然である、常識であるとでも云う様にさらりと云ったのである。

「其れができたら……」

「だったら無理だろ。何もせずに諦めてる奴が強さ認められる訳ないじゃん。」

 彼はぐ、と小さく呻いて俯いてしまった。私はフォローするため、口を開いた。

「如月さん、芥川さんは……」

「芥川って奴の強さを知らない訳じゃねえよ?《羅生門》、凄え異能だよ。でも、アタシも歩も勝てはしなくても一撃くらいなら浴びせられる筈だ。」

 だろ?と歯を見せて自慢げな如月さん。

 そう、できないことはない。芥川さんの動きを把握し、予測する。其れらを生かせる様に強くなる。

「そして自分はいつでもあなたを殺せるのだと、そんな恐怖を其の一撃を以て与える。そうすれば、芥川さんはあなたの力を認めざるを得なくなる。」

 其れは、少し違うが中原幹部が教えてくれたもの。恐怖を与え、自分の価値を高める方法。

「っ……其れを俺が。」

 成功するかは分からない。全て彼次第だ。けれど、希望はあると、私はそう思っている。だってこんな私にだって希望はあったのだから。

 私は手を差し伸べる。其れは救いの手ではないけれど。其れは導く手ではないけれど。

「もし私を信じてくれるなら、あなたの力になってみせる。」

 悩んで、励まして、進んで……一緒に歩むための、始まりの手にはなれる筈だ。

 青年は恐る恐る私の手に自分の手をのせた。其の手は微かに震えていた。それでも強い意志を以て私の手を握り締めた。

「よろしくお願いします。」

 ───此れは、私が誰かの始まりとなる物語。


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