其の二十六

 第二部最終回です!ありがとうございます!!スランプから脱却したばかりで文章がだいぶ拙いですが温かい目で見てください。また後々修正します。


 長い間眠っているような気がした。悪夢も、あの赤い世界を見ることもない穏やかな眠りだった。

 目を開けば白い天井が見えた。独特の匂いと此の景色から病院であることが分かった。

 よくお世話になっていたポートマフィア直轄の、だ。

「目が覚めましたか?」

 声がする方を向けば、フェージャが椅子に腰掛けていた。本を読んでいたようで、私と視線が交わると本を閉じ近くにある棚の上に置いた。

「気分は如何ですか?痛みは?」

「……フェージャ。」

 質問を無視したのにフェージャは優しい声音ではいと返した。

「私が、神だったんです。王の写本が探していた神は......私、だったんです。」

「ええ、其の通りです。」

 フェージャは何という事はないといった様子で頷いた。私は知っていたんですか、と問い質す。

「知っていてフェージャは......」

「伝えれば歩は一人で抱え込んでしまうと思ったので。」

「私は......!!」

 其れでも云って欲しかった。私がそうだと分かっていたなら、私が犠牲になるだけで良かった。中原幹部も、ポートマフィアも探偵社も、誰も戦場に出なくて済んだ。

 誰も傷付かない、そんな道が確かに存在した筈なのに。

「......違う、フェージャのせいじゃない。王の写本を振り回したのも、ポートマフィアと探偵社を巻き込んだのも全部私が存在しているからで。」

 全て、私が此の世界に生まれてきたせいだ。

「私の異能力は危機感知なんかじゃない。もっとずっと悍しい異能。」

《生殺与奪》、其れが神と呼ばしめた私の異能。王の写本が憎悪を以て挑まんとした災厄の異能。

「死の要因、其の一切を排除し、別の人間に転写する。」

 例えば、私がナイフで腹部を刺され出血多量で死んだとする。その時異能力が自動で発動し、私の出血多量で死んだという事象はなかったことになる。代わりに他の人間に其の死、刺傷から来る出血多量による死が転写される。

 此の異能で私はあらゆる事象、怪我、病などで実質死ぬことはない。老いて死ねるかも怪しい。

 自分が生きる代わりに他者を殺す、自分の死を他者に押し付ける。其れが私の異能力なのだ。

 しかも、其の他者とは。

「自分の大切な人、なんです。」

 私の中には優先順位がある。大切な人に優先順位を付けているのだ。

そうして其の中でも優先順位の低い人間が私の異能力の対象となり死んでいく。

「其れを利用された、あの人に......。」

 其の優先順位の下位に、任意の対象を追加するように、そんな自己暗示を掛けられるよう強制され訓練された。

 私は自分の殺したい人間を、文字通り自分を殺すことで殺せるようになった。

 ───なってしまった。

「誰かも分からない人の写真を見せられて、此の人間を大切だと、そう思い込めと強要されて......。何人も、数え切れない程の人を殺したんです。」

 其れが私の最大の罪。忘れてはいけなかった筈なのに、封印され忘れてしまった私の真実だった。


 探偵社の応接室には中也、芥川、太宰、敦、そして乱歩と福沢が居た。乱歩と中也が向かい合ってソファーに座り、他の面々は各々傍に控える形で立っていた。

「探偵、集めたからにはちゃんと話してくれんだろうな?」

「僕が知っているのは歩の過去のほんの一部だけだった。けれど、太宰と素敵帽子君が集めた情報で補完することができた。これから僕が知っていることの全てを話す。」

 威圧的な中也の問いに乱歩は眼鏡を掛け、暗い表情で応えた。

「単刀直入に云えば、歩は王の写本が探している神と呼ばれる異能力者だ。」

 芥川が伏せていた目を開けて乱歩の方を見た。敦は戸惑いを隠せず乱歩に疑問を投げ掛ける。

「乱歩さん、でも歩さんの異能力は危機察知なんじゃ......」

「其れは歩の異能力に付随するもの、もしくは予備動作と呼ぶのが正しい。」

 歩の異能力と思われていた力は歩の本来の、其の強大過ぎる異能力が発動する、其れ即ち死に対する前兆、警告のようなものだ。

「彼女の過去については概ね書類の通りだ。」

 研究所で実験体として生まれ、番号で呼ばれ、大まかな異能力が判明すれば神として崇められ、だが最終的には失敗作の烙印を押され処分された。

「けれども、歩は何度処分されても甦った。そして、処分した分だけ歩の周囲にいた人間が悉く死んだ。」

「歩ちゃんの本来の異能力、自分の死の要因を別の人間に転写する事象干渉系の力で、という事ですね乱歩さん。」

 太宰の言葉に乱歩は同意し、話を続けた。

「歩は其の研究所では封印された。得体の知れない力を持つ者、悪魔、怪物なんて云われてね。しかし、其の力にいち早く気付いた人間がいた。其の男が歩を研究所から連れ出し、其の特性を利用した......」

 歩が自由になることはなかった。

 待っていたのは。

 ───無数の死。

「ありとあらゆる死を歩は体験しているだろう。......例えば医療系の薬品には致死量というものが存在し、具体的に定められていることがある。」

 真逆......と誰かの引き攣った声が漏れた。

「其の真逆だ。此の致死量の表記されたものは歩の死を参考にしたものがあると僕は見ている。」

 一体どれだけ彼女は殺されてきたのだろう。途方もない数だ。其れだけは分かる。そして其の数だけ人を殺しているのだということも。

「歩はあんな性格だ。死にたくないと、誰も殺したくないと叫んでいただろう。だが、聞く者はいなかった。繰り返される死に歩の精神は摩耗し、破壊された。」

「でも、今の歩さんは......」

 精神が破壊されている様には見えない。感情の起伏は少ないが、何か破綻している要素は見付からない。

「歩の異能力は自分の大切な人間、其の優先順位の低い人間から選ばれる。大切、を感じることのない精神破綻者は利用価値がない。でも、其れで終わることはなかった。歩を連れ出した男の異能力は端的に云えば精神修復だ。」

 男によって何度も殺され、何度も殺させられ、精神が壊れても、修復され、また繰り返される。

 救いはなく、助けも来ない。

 子どもが負うには余りにも過酷な環境だった。

 地獄、などという言葉で片付けられるものなのだろうか。

 其の場にいる全員が悲痛な面持ちとなった。此処にいる全員に訪れる死は一度だけ、死が繰り返されることがどのような苦しみか理解できる訳もない。

「最終的に歩は男を殺すことに成功し......男の元で労働を強いられていた夫婦と暮らすことになる。夫婦は歩を守るために記憶を封印し、歩が異能力と共存できる様にあの学校に通わせた。そうして龍頭抗争で......」

 其の夫婦は死んだ。瓦礫に潰されて、という話だが夫婦は安全な場所にいたとされている。

 つまり。

「歩は複数回に渡り瓦礫に押し潰されたが、異能力によって復活し、大切な人間である夫婦に転写され、死亡したと推測できる。」

 太宰が紹介した夫婦に関してもおおよそ同様の現象が起こったのだろう。

「歩の精神は修復されてはいる。だが、物と同じ、修復されても壊れたという事実は消えず、其の繰り返しにより脆くなってしまっている。自分の意志が何れだけ価値のないものか思い知らされている歩は自分の進むべき道を定義するのに絶対的に強く正しい存在が必要だった。其れが......」

乱歩は中也に視線を送った。

「俺、だったのか。」

「そう、今は君なんだよ。素敵帽子君。」

 乱歩が眼鏡を外し、ラムネに口を付ける。一息ついて、乱歩は語った。

「歩の記憶がない以上、掘り返して歩を傷付けたくなかった。だから、歩や皆に黙っていたことも沢山ある。其れについては謝罪するよ。」

「其の判断が正しかったのか、俺は何とも云えねェよ。結果論だからな。ただ、歩を想って、真実を語るっていう探偵である手前の信念曲げてまで其れをしたってンなら俺に反論の余地はねェ。」

中也は立ち上がり、踵を返した。敦が何処に行くんですか?と尋ねると中也が笑って答える。

「決まってるだろ。彼奴のところだ。話さなけりゃなんねェことが山程残ってるからな。」

「中也、君は......」

太宰の声に中也は振り返った。太宰は真剣な面持ちで告げた。

「あの話を聞いて、其れでも彼女に会うというのかい?」

「何だ、手前?怖じ気付いてんのか?」

「違うよ。私は彼女の異能力を受けることはない。更に云えば彼女を死なせてあげられる人間は私しかいない。だが、君は違う。」

歩の大切な人間となれば死ぬリスクがある。何の前触れもなく、無慈悲に、抗う努力すらもできずに。

死の覚悟ができているのか、そう太宰は問うているのだ。

「できてねェよ。する必要もねェ。」

中也は応接室を去っていく。

「歩は俺が殺させねェ、此の世の誰にも、な。」



「中原幹部はもう......此の事を知っているんでしょうね。」

フェージャは眉を歪めて答えた。

「恐らくは。彼が真実に辿り着けなくとも、名探偵の彼や太宰君が答えを導き出しているでしょうから。」

「乱歩さんは......多分もっと前から私のことを知っていたんじゃないかなって思います。今なら乱歩さんの行動の意図がよく分かるんです。」

乱歩さんは、私をずっと心配してくれていた。私が此れ以上心も身体も傷付かないように手を回してくれていたのだ。

「私は人の気持ちを......思いやりを無駄にしてばかりですね。」

「話さない事が思いやりかと云われれば其れは否です。彼が話さなかったことで歩が傷付いたこともまた事実なのですから。」

 フェージャは私の手を取り、其の甲をそっと撫で、柔らかい口調で云った。

「歩の事は、ずっと一緒に居たぼくが一番よく分かっています。だから、大丈夫です。貴女は間違ったことはしていない。」

「でも、私は......フェージャや作良さん、太宰さん、中原幹部......沢山大切な人がいて、できて......しまって。其れは私には許されない事で......っ。」

 私は俯いて、ぎゅっと目を閉じた。フェージャの優しさが痛かった。苦しくて、衝動のままに涙が零れそうになって堪えた。

「ごめんなさい、大切だと思って......思っちゃいけないって、分かって......分かってるのに、私は此の気持ちを消すことができないんですっ......!」

「......ぼくは嬉しいです。歩の大切になれたことが。凄く、嬉しいですよ。だから、謝る必要はないのです。」

 フェージャが冷たい手で、私の頬を包んだ。

 フェージャはきっと私が何をしても肯定してくれるのだろう。私が望むことなら何でも叶えてくれるのだろう。何故、其処までするのか今の私なら分かる。

 恋をしているからだ。私が好きだからだ。

「フェージャ、私は中原幹部が好きです。」

「ええ、知っています。」

「私の優先順位の一番上はずっとずっと中原幹部で、絶対に変わることはありません。」

「其れも勿論承知していますよ。」

 私は掠れた声で尋ねた。こんな事を尋ねるなんて、私は本当に最低な人間だと、自分でもそう思う。

 其れでも尋ねずには居られなかったのだ。

 此れが私の弱さだ。

「其れでも私と......一緒にいて、くれるんですか?」

 其の人をいつか殺してしまうと分かっているのに、人と共に在ることが止められない。

 フェージャは目を細めて、ふっと微笑むと私の顔を引き寄せた。

 額に唇が落とされる。

「フェー......ジャ?」

「ぼくは永久に貴女の傍に居ますよ、歩。例え世界が拒絶したとしても、そんな世界を壊し作り替えてでもぼくは歩の傍に居続けます。」

 果てのない、孤独で居なければならない筈の此の世界で。

 私は、救済を見た。


「歩、一つ気になる事があるのですが......」

 フェージャは私の拳銃や其の他の武器を回収してくれていたらしかった。其れを装備し、誰かに気付かれる前にと早々に病院から出る準備を始めた私にフェージャが懸念事項を述べた。

「作良と連絡が取れないのです。」

「......え?」

「彼のスマートフォンに何度か連絡を入れているのですが、繋がる気配がなく。」

 私の背中を冷たいものが駆け抜けていった。思考がぐるぐると回る、混沌としているが、ゆっくりと必要な情報を拾い上げていく。

 ヴァフスルーズニルは私が異能力で殺した。拳銃で自分の頭を撃ち抜いて......自殺という形で死に、殺した。

 ならば、其の前は?
 ヴォルヴァの異能力で死んだ時だ。

 私は其の時、過去の記憶がなかった。自己暗示で、優先順位の最下位に殺したい人間を追加して、なんてことはできなくて。つまり、任意の相手ではなく、あの時大切な人間から選出された、ということになる。

「ま、さかっ......!」

準備など悠長にしている暇なんてなかった。

杞憂なら其れで良い。

だが、悪寒が止まらない。

「フェージャ、私行かないと......!」

「歩?」

「また後で必ず連絡しますから!!」

私は病室の窓に足を掛け、飛び降りた。二階だったことが幸いし、怪我もなく地上に着地できた私は、フェージャから聞いていた病院の駐車スペースに置かれていた自分のバイクを見付けて跨がる。燃料はぎりぎりかもしれない。保つことを祈り、エンジンを掛けて一気に道路に出た。

誰かが私を止める声が聞こえたような気がした。きっと私を逃がす訳にはいかない、そんな使命を帯びたポートマフィアの構成員だろう。

気に留めてはいられなかった。私は作良さんの自宅兼工房に向かってひたすらバイクを駆るのだった。


「歩が逃走しただと?」

歩がバイクに乗り、病院から逃げ出したという情報は直ぐに中也の耳に届いた。

「待てよ、彼奴のバイクは此方で回収しただろうが。其れが何で駐車スペースに。」

何かがおかしい。

否、何か強大な力が働いていて、自分達は其れに踊らされているような。

「勘でしかないが......恐らく間違いねェ。」

歩は何処に向かった?
其れによって誰にどのような利益が生じる?

「彼奴が向かったのは......作良のところか?其れで何のメリットがある?......否、俺と離れる其の準備ができるか。だが、其れは歩のメリットであって、他の人間には......」

フョードル・ドストエフスキーが歩に恋をしている、と太宰は云っていた。ならば、自分のものにするために中也を遠ざけさせるように動かす、だろうか。

「分からねェ。何をする心算だよ......。」

とにかく行くしかないと中也は地を蹴った。


「作良さん!!」

玄関扉をバンッ!!と勢い良く開いた。いつもならカウンターでPCのキーボードを叩きながら私を迎えてくれた作良さんは、今いない。

返事もなく、しんとした空間はますます不安を募らせる。

私は作良さんの居住スペースである奥へと足を進めた。

廊下とリビングを隔てる扉を開けば、其処にはぽつんと車椅子があった。作良さんがいつも使っていた車椅子だ。其れが持ち主もなく、ただ其処にあるのだ。

「作良......さん。作良さんっ!!」

辺りを見回しても気配がない。だが、リビングの窓が僅かに開いていた。

胸の中がじわじわと冷えていく。

「作良さん......?」

窓に近付くと人影があった。壁に寄り掛かって座っているようだった。窓から外を覗く。人影の正体を、見る。

作良さんは確かに其処に居た。

「っ......作良さんっ!!」

私が呼んでも作良さんは応えない。揺さぶっても目を開けない。身体は冷たく硬くて、動く気配がなかった。固まった赤黒い血液が青白い肌を濡らしていた。

「い、やっ、」

力が抜けて膝を着いた。首を振っても、瞬きをしても、何も変わらない。変わってくれない。

「あ、あぁッ、あぁあああっ!!!!」

私の異能力のせいだ。

私がこんな異能力を持って生まれたから。
私が作良さんを大切だと思ってしまったから。
私が作良さんと出会ってしまったから。

私が此の世界に存在しているから。

皆、皆、私が殺したのだ。

父も母も織田作さんも子ども達も皆私が殺したんだ。

もう何も考えたくない。何もかも如何でも良い。

心の中が空っぽになってしまったようだった。

フェージャが埋めてくれたものが、すっかり消えてしまったようだった。だって、あんな姿をしたフェージャをもし見てしまったら。其れを考えただけでも、私の心臓は押し潰されるようだった。

作良さんは大切な人だった。ずっと私の味方で居てくれた。色々なことに協力してくれた。私の今があるのは、きっと否定するだろうが作良さんのおかげだった。

そんな大切な人に、無意識にしろ記憶がなかったにしろ私は......。

「もう誰も殺したくない、誰も好きになりたくない......!」

ぼろぼろと私を支える何かが崩れていく。

其の時、大勢の騒がしい跫音が近付いてきた。発見しました、という声が聞こえたかと思うと、複数の重装備の人間に包囲されていた。数は如何でも良かった。抗う意志もなかったからだ。

「異能特務課です。」

其の重装備の人間達の間を縫って男が現れた。見覚えのある人物だった。確か、坂口安吾という名前だった。

「貴女を殺人罪、其の他諸々の罪で拘束します。」

「......はい。」

私が一度頷けば、坂口安吾が私の手首に手錠を嵌めた。更に重装備の男二人が私の両脇を支え、車の中へ連行する。

そうして私を車に乗せると異能特務課所属だろう女性が両隣に座り、私の服から手榴弾やナイフを抜いていった。

そして、太腿の拳銃嚢にある黒の9ミリ拳銃に手を掛けた。

「っ!」

私は、其の手を反射的に弾き飛ばした。

其れでも女性の一人が私を取り押さえ、拳銃を無理矢理取ろうする。

其れは駄目だ。其れだけは駄目だ。其れがないと私はもう......。

「歩さん。」

助手席に座っていた坂口安吾が私に声を掛けた。

「貴女が抵抗しないと証明するために必要なことです。其の拳銃も、貴女が望むなら無力化後、返却しましょう。」

なので、少しの時間だけ貸してはくれないか、と私に右手を差し出した。此の人は私の何もかもを知っていながら、罪人ではなく、一人の人間として真摯に向き合ってくれている。

応えなければならない、とそう思った。私は手錠の嵌まった手を何とか使い、拳銃を抜いて、彼の手に置いた。彼は其の拳銃を見詰め、ああと声を溢した。

「此れは織田作さんのものなんですね。」

「そう、なんですか......?」

「はい、間違いなく。」

彼は拳銃から弾倉を丁寧に抜いた。

「歩さん。織田作さんや子ども達は貴女の異能力によって死んだのではありません。」

「でも......!」

「彼等が死んだのは我々異能特務課、そしてポートマフィアの責任です。貴女の罪では決してない。」

彼ははっきりとそう云った。異論の余地はない、と断じた。

「だから、貴女が罪の意識を感じる必要はありません。其れは我々が負うべき、忘れてはならない罪なのだから。」

彼は織田作さんを知っている。其の死の真相を知っている。そして、其の事に後悔を感じている。私を慰めている訳ではなく、ただ自身を責めている。

何も云えなかった。今の私に何かを返す気力はなかった。

坂口安吾は私に拳銃を返却した。女性の一人が良いのかと尋ねたが、良いのだと端的に応え、前を向いた。

「......私は、これから如何なるんですか。」

「貴女は......異能刑務所ムルソーに移送されるでしょう。」

誰とも会うこともなく、異能力が発動しないよう生き永らえながら、いつか訪れるかもしれない終わりの日を待つ。

其れで良いのだと心の中で呟いて拳銃を抱き締めた。

誰も私に近づかないで。

誰も私に触らないで。

もう、誰も私に優しくしないで。


「ドス君、ドス君、歩ちゃん、ムルソーに収容されるみたいだよ?」

本当に良かったの?と道化師の男は首を傾けた。フョードル・ドストエフスキーは心からの笑みを返して云った。

「ええ、全て計画通りです。」

歩が探偵社に出向する事も、王の写本が歩と戦うことになる事も、作良が死ぬ事も、歩が異能特務課に連行され、欧州にある異能刑務所ムルソーに収容される事も。

其の全てがフョードル・ドストエフスキーの計画の内だった。想定外は全くなく、歩は、彼等は、フョードル・ドストエフスキーの敷いたレールを走っていた。

「僕は二つ疑問がある。あの車椅子の青年、死ぬ必要があったのかな。」

「そうですね。可哀想だとは思いますが殺す必要がありました。ぼくは歩とただ一緒に居たい訳ではありません。二人で、共に在りたいのです。」

其のために、作良は邪魔な存在だった。歩が一番に頼るのは作良で、彼もまた歩を慕い、味方で居ることで、彼女の支えとなり続けた。彼女が何処に居ようと、何をしていようと、彼は傍で歩を支え続けただろう。

「歩の異能力については事前に伝えておきました。彼女が恐らく王の写本との戦闘で一度は確実に死亡し、作良が死因転写対象となり得る事も。」

フョードル・ドストエフスキーは歩の異能力を以前から知っていた。だからこそ様々な調整を行ってもいたのだ。

「作良は歩が生きるための糧となったのですから、寧ろ本望だったでしょう。其れでもう一つは?」

「此れからポートマフィアの介入があると思うか、かな。」

「ポートマフィアにとって、歩は有益な存在であると同時に、脅威でもある。ポートマフィアの首領がどちらに重きを置いて考えるかですが......後者だと言えるでしょう。」

歩はポートマフィアにとって確かに価値がある。彼女の異能力は実質認識さえしてしまえば誰でも殺せることになる。黒社会の、否、政治経済においても抑止力となり得る。が、リスクも当然ある。自分が死ぬ可能性が常にあるのだ。上司であるということは知らない人間より彼女にとって大切な存在になる可能性が高まる。接触すること自体が自分を危険に晒しているのだ。

そんな人間を手元に置いておきたいか。異能特務課を敵に回してまで、奪い返したいか。

ポートマフィアの首領は望まない。

「よって、ポートマフィアは動かない。歩は何の障害もなくムルソーに収監されることでしょう。」

フョードル・ドストエフスキーは闇へと歩みを進めた。

「此れで歩を巻き込む事なく、計画を進められます。貴女と少しの間離れてしまいますが......貴女を救済するためでもあるのです。」

ですが直ぐに、そちらに向かいましょう。

貴女と共に在ると約束したのですから。


歩は翌日昼近くにもムルソーに送られることになった。仰々しい護送車に容れられ、広い空間には坂口安吾、只一人しかいなかった。

「何であなたは......」

「貴女を監視しない訳にはいかないでしょう。」

既に接触している人間が監視する方がリスクが減るだろう、と坂口安吾は云った。

「ですが、あなたの死のリスクは上がっているのでは?」

「......貴女の大切はそんなに安売りできるものなんですか?」

歩は虚ろな目で彼を見上げた。

「貴女は少し事務的に話しただけの男を大切だと認識するんですか?」

違うだろうと安吾は歩が否定する間もなく、自身の問いを棄却する。

「ならば、死ぬことはないも同然です。......そう説明したんですが、皆さん貴女と顔を合わせたくないと云うものだから僕の仕事が増えたのですが。」

安吾は苦労性らしいとぼんやり思いながら、歩は安吾から顔を背けた。安吾が求めているのは即ち不干渉だ。話も最小限に、顔も余り見ない様にするのが最善だと歩は思った。

護送車の走行音を聞きながら、刻々と時は過ぎていく。

その時だった。

全身を圧迫される様な重圧が襲った。厚い装甲を持つ護送車が寒気を感じてでもいるかの様に震えている。

「此れは......!」

安吾が立ち上がって間もなく、護送車の装甲の隙間が広がり、中に外界の光が漏れ始めた。

「よォ、教授眼鏡。」

金属の装甲がいとも簡単に剥がされていく。こんな芸当ができる人間を、そして安吾を教授眼鏡と呼ぶ人間を安吾は一人しか知らない。

「中也君、何故......!」

異能特務課が得た情報では歩に対してポートマフィアは干渉しない筈だった。なのに、今其の幹部である中原中也が、其処に立っているのだ。

「明朝、五大幹部会が開かれた。其処で歩の処遇について、改めて決を取った。」

青空に漆黒が揺れる。だが、歩は中也を見ようともしない。

「そして、歩をどんな手段を使ってでも連れ戻すことが決まった。まあ、俺が全面主導の上、活動資金の3分の2を使うことになっちまったけどな。」

中也は歩に歩み寄り、右手を差し伸べた。

「帰るぞ、歩。」

「如何して......如何してあなたが居るんですか。」

瞳が水を張ってゆらりと揺れる。中也はいつもどおりの口調で言葉を紡いだ。

「云っただろ。手前を連れ戻しに来た。其れ以外に理由があるのかよ?」

「私は、忘れたかったんです......っ!」

歩は織田が持っていたとされる、自身の愛銃でもある黒の9ミリ拳銃を抱き締めて、膝に顔を埋めた。

「何で来たんですか。何で私なんか連れ戻しに来たんですか。私は......あなたに会いたくなかったのにっ!!」

ぼろぼろと零れ落ちる涙が膝を濡らした。

「俺は、手前に会いたかった。」

中也はぽつりと云った。

「会って話したかった。伝えたいことがあった。」

ずっと逃げられてたけどな、と中也は苦笑する。

「けど、漸く手前を見付けた。悪いが、手前を逃がす心算はねェ。手を取ろうが取るまいが俺は手前を攫っていく。」

中也はそう云って歩の腕を掴んだ。歩はびくりと震え、其の手を振り払う。

「何で分かってくれないんですか!私は中原幹部に幸せになって欲しいんです!私と居たら中原幹部が死ぬだけじゃない、中原幹部の大切な人まで殺してしまうかもしれないんです!そんなの......絶対に厭なんです。」

がたがたと歩は身体を震わせる。恐怖と絶望に侵されて、何もかも拒絶して一人になろうとしていた。彼女の自分の意志を否定され続け大切な人達諸とも殺され続けた過去と、全てを忘れたことにより大切な人が増え幸せを手に入れた今が歩を駆り立てている。

「......俺が何の覚悟もなく此処に立ってると思うか?」

中也の言葉に歩がハッとして顔を上げる。中也は片膝を着いて歩と視線を合わせた。

「手前の過去は一応聞いた。聞いたところで手前がどれだけ苦しんだか痛くて辛かったか、俺には分からない。俺ができるのは、手前がそんな苦痛を二度と与えられないように守ることだけだ。」

中也は振り払われた手で歩の涙を拭い、頬を撫でた。

「手前の異能力も理解してる心算だ。其の異能で手前の大事な人間が死んでいった事も。......作良も含めてな。」

「っ......だったら如何して!」

「幸せになって欲しいって手前は云うけどな。俺は歩と幸せになりたいんだよ。」

歩の身体が硬直する。はくはくと口を開閉し、意味が分からないという表情で中也を見詰めた。

「俺は手前が傍にいない幸せなんてもう考えられねェ。」

「そんな......だって中原幹部は......」

呆然とする歩を中也は抱き寄せた。歩を腕の中に閉じ込め力を強める。

「好きだ。」

「何云って......わ、私は......」

「手前のはもう聞いてる。」

「いつ!?」

中也は笑って歩の頭を撫でた。歩は慌てて中也から身体を離そうとする。

「厭です、私は......っ、嫌い、です!」

「もう遅ェ。」

そんな歩を離さず腰に手を回して抱き上げた。護送車を蹴り上げ、空中に躍り出る。

「じゃあな、教授眼鏡。」

中也の別れの言葉に安吾は無言で眼鏡を指で押し上げるだけだった。中也は外套を翻し、家屋の屋根やビルの屋上を足場に其の場から離れた。

「中原幹部......っ!」

「本当に俺が嫌いで、教授眼鏡の元に戻りたいなら俺を殺してでも行け。」

できるだろ、手前なら。と中也は低い声で云った。歩は目を見開き、そしてぎゅっと閉じた。中也の外套を掴み、答えた。

「できる訳......ないじゃないですか。」

歩の目尻に涙が溜まる。呼吸が浅くなり、嗚咽が漏れる。

「私の一番は永久に中原幹部だけのものでっ、其れは絶対にっ、変わることも変えることもできません......!だから、私は、大切な人がただ一人中原幹部だけになるまで中原幹部を殺すことはできないんです......っ!!」

歩の悲痛な叫びに、中也は頭を撫でて応じた。

「好きです、中也さん。ずっとずっと好きだったんです。」

「ああ。」

「私は......っ、あなたを殺してしまうかもしれないような危険な異能者で、あなたの隣に立てるような美人で、優秀な人間じゃない......」

「歩が自分を何れだけ過小評価しようが、俺は歩が好きで、ずっと傍に居て欲しいと思ってる。」

「私で、本当に、良いんですか......?」

「手前が良いんだ。」

中也の言葉が胸に染みていく。心の中にあった空白が埋まっていく。今にも壊れそうだった、自分を支える芯のようなものが修復されていくのが歩には分かった。

あの人の精神修復はいつだって絶望の始まりだった。けれど、此れは温かくて、如何しようもなく優しくて、心地好い。

此れがきっと希望なのだ、と歩は思った。

そして、其れを何時だってくれるのは中原中也なのだ、と。

「歩、何れだけ金を積もうが、死と同価値のものなんてこの世に存在しねェんだよ。だから、死ぬな。俺も手前を死なせねェし利用させねェ。」

「......はい。」

「もう一人になろうとするな。俺と一緒に生きてくれ。」

歩は瞬きをして、小さく笑った。何だよ、と中也が問えば歩は笑いながら答える。

「だって、プロポーズみたいじゃないですか。」

「みたいじゃねェよ。プロポーズだ、莫迦。」

歩は此の日初めて希望とは何か、其の意味を知った。

歩の新しい日々が今日此処から始まる。


第二部終了お疲れ様でした!全ては読者様の皆様と文豪ストレイドッグスという素晴らしい作品のおかげです。本当にありがとうございます。

データを全喪失し、3日で書き上げたため微妙なクオリティですが、ご配慮ください。

では、ちょっとだけ後書きというか解説?をしていこうかなと思います。

先ずは第二部なんですが、中也、太宰さん、ドス君の立ち位置に関しまして夢主が背中を追う人、夢主の背中を追う一人、夢主と一緒に歩いてくれる人を意識して書きました。ちょくちょくそういう描写が......あった......かな?(自信なくなってきた)と思います。太宰さんが取り敢えず不遇で追っても追っても後手に回るという......。太宰さんの手は例のソレくらいしないと夢主を捕まえる事すらできないかなと思います。あの時、織田作を止められなかったみたいに......。不遇ですね、ごめんなさい。

中也に関しましては、探偵社を出た後夢主を追っていたのですが、夢主が特務課に捕まったこともあって、一度撤退し、首領の指示を仰ぐのですが、夢主を助ける必要はないと命じられ、それでも食い下がって朝に無理矢理五大幹部会開いて大演説して、夢主救出作戦をもぎ取ってきたというエピソードがありますが……それはまた別の機会に。

あと第二部に関しては全てドス君が夢主を手に入れかつ安全な場所に向かわせる計画の遂行がメインでもありました。夢主の出向は太宰さんが夢主を光の世界に戻すために仕向けたのですが、此れもドス君は予測済みだったのです。ドス君は夢主の出向と同時に計画を開始、王の写本をけしかけたり、乱歩さんに王の写本から夢主の情報に少しだけ辿り着かせることで夢主を王の写本から遠ざけて夢主の不信感を煽ってみたり......色々しています。一番は夢主の優先順位の操作ですね。作良君の存在が夢主にとって大した存在でないと踏んでいて調べてなかったドス君は、作良君が実は夢主にとって重要な存在だと気付いて、また作良君がドス君の策略に気付いたのもあって邪魔になり殺すよう仕向けた展開となっています。これにより夢主の優先順位は(作良君)≪太宰さん≪(超えられない壁)≪ドス君≪(超えられない壁)≪中也になっており、この状態だと夢主が死んだ場合、夢主の異能力で復活しつつ、その死因を転写された太宰さんは太宰さんの異能無効化で打ち消されるため、誰も死ぬことなく夢主は復活できる状態なのです。即ち現時点では夢主の大切な人間は死ぬことはまずない、という形をドス君は作り出したかったのです。

あと注意事項として夢主は中也とドス君の二股している訳ではありません。夢主にとってドス君は唯一無二の存在であり、かけがえのない存在なのです。だから、絶対に失いたくない、傍にいて欲しい存在なんです。自分を肯定してくれて、支えてくれるドス君が夢主には必要なんです。お願いします、許してあげてください。

そして、共喰い最後?にドス君はムルソーに送られましたが、夢主を先にムルソーに送り、共喰いの戦闘に巻き込ませないかつ今後一緒にいるための作戦でした。最後の最後に中也に破壊されましたが。

オリキャラだいぶ死んだなあ。本誌のキャラを殺す訳にはいかないのでオリキャラが大量に死ぬことになりました......。ごめんね、皆。特に作良君については申し訳ないと思ってます。正直、作った当初から死ぬ予定でした。作良君の死やら、中也の夢主救出での頑張りは別口で話を作りたいと思ってます。

夢主の大切な人間の定義は自分が死んでも構わないとも思える、自分の死が無価値とも思える存在です。他の人が大切じゃない訳ではないんです......。

他の伏線については後々回収できたらと思います。説明下手ですみません。

次に他世界線の夢主に関しての説明を少し。

beast世界線では当初夢主が何もないのに警鐘が鳴って怖がっているシーンがありましたが、あれは世界の歪みによるものです。太宰さんがbeast世界の真実を三人以上が知っていると世界が不安定化するという話がありました。夢主は夢を通じて何となく自分には別世界があるということを気付いてます。つまり太宰さんと夢主の二人が知っていることになり世界が少しだけ乱れています。世界の乱れは夢主にとって死の前兆でもあるため、警鐘が鳴ったという設定です。太宰さんの死後、敦君、芥川君、夢主が世界の真実を知っており、三人以上という条件を満たしています。世界の不安定化が大きくなってはいますが、今すぐは消滅しない......ということに勝手にしました!ここからはbeastの今後の鍵になるので話は控えますが、一応色々考えています、ということで!

羊の夢主について。羊の夢主は"あの人"に何もされていない、自分の異能力についてよくは分かっていない状態の夢主です。なので、戦闘中も実は何度か死んでいるのですが、「あれ、死んだ筈だけど何か生きてる......。まあ、生き返ったなら気にせず戦おう。」くらいにしか思っていなくて余り気付いていない感じです。なので、死ぬ筈のない羊の子ども達が結構死んでたりします......。また、矢張り死んでいるという事実は変わらず精神の摩耗を早めています。

他に何かあれば随時報告していきたいと思います。

では、第三部もよろしくお願いします!!

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