其の二十五

私は特殊警棒でグルヴェイグの細剣と打ち合いつつ態勢を整え立ち上がった。

左手の拳銃は衝撃の際吹き飛んだらしく此処にはない。空いた左手に特殊警棒を、右手に愛銃である黒の9ミリ拳銃を握った。

此の特殊警棒は作良さんに最後に貰ったものだ。グルヴェイグに勝つための一手でもある。

「っ、お願いだから......」

グルヴェイグは泣きそうな声で云った。

「もう止まってよ......!!」

グルヴェイグが細剣を振りかぶり駆ける。

右手の拳銃で容赦なく致死部を狙う。グルヴェイグが細剣で弾く。

「私は死ねないんだから!!止まれないんだからっ......!!」

グルヴェイグが振り下ろした細剣の刃と特殊警棒が交錯する。

「いいえ。私があなたを止めてみせる。」

渾身の力を左手に込め、

私は、

作良さんは、

声を張り上げる。

「「強化!!」」

バキンとグルヴェイグの細剣が特殊警棒とのぶつかり合いに敗れ、剣の腹が砕け折れた。グルヴェイグは目を見開く。

「何っ......!?」

驚くグルヴェイグに私は銃口を向ける。グルヴェイグは背中を反らして躱そうとするが、其処に私の警棒が唸りを上げて迫った。

グルヴェイグの脇腹に警棒が命中した。

「ぎ、ぃああああっ!!!!熱い熱い、いやああああっ!!!!」

グルヴェイグの絶叫が廃工場を甲高く突き抜けた。

「熱い、痛い、痛いっ!!」

「此れは作良さんと私で考えたあなたを打倒するための特殊警棒です。」

約500度という高温を生み出す熱機関が内蔵されている特殊警棒。普通、500度に達すれば外装である強化プラスチックであれ耐えきれず溶け落ちるだろう。が、熱を瞬間的な出力とすること、及び作良さんの異能力で強化することで高温に耐えることができる。

作良さんの異能力は改造した武装を更に強化するというものである。そして、一時的に、本当に瞬間的にであればあらゆる物質を凌駕する超高硬度並びに耐久性を生むことができる。

よって、此の特殊警棒は打撃の瞬間に高温を生じさせることで、熱と打撃による攻撃を可能としているのだ。

「あなたは以前云っていました。私は槍で貫かれ炎で三度焼かれ、それを何度繰り返しても死なないと云われている。そう設計されたのだ、と。」

私は特殊警棒を、踞るグルヴェイグに向ける。

「何故、そんなことを云ったのか疑問だったんです。そして、こうも思いました。何故何度繰り返しても死なないと分かっているのに、他の手段を取らなかったのか。」

何度繰り返しても、とグルヴェイグは云ったが其れは余りにも不毛過ぎると考えた。死なないと結論が出たなら一度や二度で十分な筈だ。

「あなたは元から不死身という部類だったのでしょう。他の手段はもう既に取られていた。でも、槍で貫かれること、熱による攻撃に極端に弱かったのではないでしょうか。だから、何度も試行され、其れ等に耐性を付与させられた。」

「っ......!?」

グルヴェイグは驚愕に顔を歪ませる。

「つまり、槍や熱はあなたのトラウマだと私は考えました。槍は一日二日で扱えるような代物でないので......」

よって熱での対抗措置に至った。此れが私と作良さんで考えた答えだ。

「私が熱に弱い......?そんなことない!そんなこと有り得ない!!」

グルヴェイグは立ち上がったが火傷の痕を必死で隠していた。再生が遅い。

「私は、私は不死身!!弱点なんてない!!」

グルヴェイグは折れた細剣で突進した。私の構えた特殊警棒を凝視している。私の拳銃が見えていない。引き金を引く。撃鉄が鳴る。銃火が閃き、グルヴェイグの額に銃弾が突き刺さった。

私は間を開けず、復活しきっていないグルヴェイグに突っ込んだ。

警鐘が鳴る。

原因はちゃんと分かっている。

私は高く積まれたコンテナにグルヴェイグの背中を叩き付けた。

「何する心算......!?」

私は微笑した。できていた、と思う。私の笑顔は下手糞だから、グルヴェイグに微笑に見えたかは分からない。

私は、右手の愛銃を放った。カンと乾いた音を立てて床を転がり遠く離れた。

「不死身の人間の殺し方......何故でしょうね。私はよく知っているんです。」

其の右手でサバイバルナイフを抜いた。グルヴェイグは抵抗するが、私は全力で押さえ付け、特殊警棒を押し当てる。

「ぎぃあ、ああぐうぅっ!!」

グルヴェイグの絶叫は無視して私はそのままサバイバルナイフでグルヴェイグの心臓を貫いた。

「心臓を貫いてこのまま固定すればあなたは死に続ける、ということになります。」

だが、手足が動けばナイフを抜かれてしまう可能性がある。

「コンテナの中には機材が入ってます。天井も先程の衝撃で鉄骨などが折れているので落下してくるでしょう。」

瓦礫で身体を押し潰すことで、身体の自由を完全に奪う。私は檸檬爆弾のピンを外して、コンテナの上へ投げた。

「私の異能力で私は瓦礫の落下により重傷以上になることはほぼ確定です。後はグルヴェイグ、あなたが逃げて私が戦闘不能になるか、互いに戦闘不能になるか。」

逃がす心算は毛頭ないが。

「うぐっ、かん、が、えたじゃない。」

グルヴェイグは口から血を垂らして笑った。

「う、ん、強いね、歩ちゃん......」

グルヴェイグが手を降ろした。抵抗する気力はなくなってしまったようだった。

「......私、歩ちゃんの、友達に、ちゃんと、なれ、て、たかな。」

「はい。あなたは私の大事な......」

此れが檸檬爆弾が爆発する数秒の出来事だった。

瓦礫が怒濤の様に降り注ぐ。


汚濁状態の中也がヨルムンガンドに迫る。毒の蒸気を重力で打ち払い霧散させる。ヨルムンガンドは先程とは異なる中也の様子に戦慄を覚えた。

『貴様は一体......』

前兆はなかった。中也の手が重力子弾を作り出し、海面へ投げ付けた。水飛沫と衝撃波が拡散する。波がヨルムンガンドの巨体を揺らし、重力子弾が直撃した海面は水が瞬間的に消えた。毒に汚染された海水が重力子弾に吸収されたのだ。

中也は更に雄叫びを上げるとヨルムンガンドの胴に突撃する。鱗だけでなく突き破らんとする勢いにヨルムンガンドは高く唸った。勢いそのまま中也はヨルムンガンドを持ち上げ、海水に投げ付ける。

巨大な水柱が上がる。

『グゥ、オオオオ!!』

ヨルムンガンドは直ぐ顔を海水から出し、中也に毒を噴射した。中也は巨大な重力子弾を作り、毒の噴水に投げ込む。

爆発が起こる。衝撃に中也とヨルムンガンドの身体は煽られ、中也は海面に衝突しヨルムンガンドは頭から倒れた。

毒水と重力子弾は相殺され、爆風となって散った。

『何なんだ、貴様は。』

真逆、とヨルムンガンドは呻く。

此の男も神を殺すために産み出された人間なのか。

......否、此の力は寧ろ神と云っても過言ではない。圧倒的な力、人智を超えた力を躊躇いなく、容赦なく奮う姿は神そのものであった。

『そうか、貴様は我等が求める神ではない。しかし、認めよう。貴様は神であり、化け物だ。人間では断じてない。我等と同類であり、また異なる存在だ。』

ヨルムンガンドは言葉を放ち、中也が落下した地点に巨大な尾を叩き込んだ。ドバン!と海水が戦慄く。中也の姿は見えない。海に沈んだのだろう、とヨルムンガンドは次に波に巻き込まれつつも何とか小型船で漂う太宰を見下ろした。

次は貴様だとばかりに睨めば、太宰はくすりと微笑んだ。

ドォッ!!とヨルムンガンドの背後で波が上がった。ただの波ではない、50メートルを超える高さの波だった。

「ガアァア!!」

中也の咆哮と共にヨルムンガンドへ波濤が押し寄せる。ヨルムンガンドの頭から覆い被さるように襲った波は中也の異能力によって高重力化されていた。ヨルムンガンドは蓋をされたように海水から出られなくなってしまう。

其処に畳み掛けるように紫電が全身を駆け巡った。

『莫迦な......グルヴェイグ!!』

紫電が走る度に自分の力が失われていくのが分かる。喪失が止まらない。海水から出られず、廃工場へ向かうこともできない。

『有り得ない、グルヴェイグが......!!』

身体を押し上げるようにして高重力化した海面にぶつけるが、波立たせることもできなかった。

もがいている内に権能が削ぎ落とされていく。

「君は先刻中也を化け物だなんだと云ったが、私にしてみれば君はただの異物だ。此の世界に居てはならない、拒絶の対象だ。」

冷徹な太宰の言葉がヨルムンガンドに向けられる。

「地球上のあらゆる力を受け付けないと云ったが、其れは此の惑星からもたらされるあらゆる恩恵を与えられないことに等しい。地球にあって、重力という地球最大の恩恵、其の化身である中也と戦って勝てるなんて思う方が間違っているのだよ。」

太宰は中也を見上げた。青い空に、黒い神が浮かんでいた。

「後は君の独壇場だ。そうだろう?」

中也が急降下し、拳を握り締めた。

「やっちまえ、中也。」

「ッらぁあァ!!!!」

中也の拳が頭蓋骨を打ち砕くと同時にヨルムンガンドの身体に重力を浴びせた。

ヨルムンガンドの身体が海底に沈んでいく。

『我等が死んでも、王の写本は終わらない。』

太宰が見たのは最後に見たのは粒子状になり消えていくヨルムンガンドの姿だった。同時に倒されたことで両者は跡形もなく消える、そんな定めだったのだろう。

太宰は小型船を動かし、海面で血を吐き唸る中也の元へ向かった。

「今日は随分大人しいね。それとも、私と同じで気付いてしまったかい?」

太宰は中也の腕を掴み、船内に引き上げた。異能無効化により中也の汚濁は止まり、其の瞳に光が戻った。

「太宰、厭な予感がする......」

中也の第一声に太宰も同感だ、と頷いた。

「直ぐに地上に戻ろう。スピード出すから振り落とされないようにね。」

汚濁後、中也は倦怠感と内外問わない傷に意識を失う事もあるが、今回はそうはいかなかった。意識を確り保て、そして再び戦えるだけの余力を残せと自分の中の何かが訴えていた。


歩が目を開けると、崩れた天井から青空が目に映った。

「ぎりぎり、生き残った......かな。」

視界を移せばグルヴェイグが粒子になって消えているのが見えた。ガンドが中也と太宰によって倒されたのだ、と歩は何となく理解した。

「中原幹部や太宰さんと合流して、与謝野さんに治療して貰うのが理想......」

歩の両足は瓦礫に潰されていた。背中の傷は完全に開いて、血が止まらず流れていた。白衣は赤く染まり、床も血溜まりができている。内臓の損傷も激しいのか、喉から血の塊が頻繁に出る。

「作良さんと、約束したのに......」

生きてはいるが、自力では抜け出せず、帰れそうにない。歩の口から溜め息が零れ落ちた。

その時、タッと足音が聞こえた。軽い足取りが中也や太宰ではないことを知らせる。

では、誰なのか。

厭な予感が歩を襲った。

「初めまして、歩ちゃん。」

其処にはグルヴェイグとよく似た容姿の美しい少女が立っていた。

「私が王の写本のリーダー、ヴォルヴァ。歩ちゃんには色々迷惑掛けたよね、ごめんね。皆早とちりだから......。」

ヴォルヴァは歩の頭上でしゃがみ、其の額に触れた。

「グルヴェイグとの戦闘見てたよ。改めて貴女は神じゃないと思った。でもね、私のグルヴェイグとヨルムンガンドを倒した貴女を生かしてはおけない。これからの王の写本の脅威は減らさないと。」

ヴォルヴァは天使のような笑顔で告げた。

「異能力《巫女の予言》、貴女は30秒後死ぬ。」

死の警鐘が歩の頭で鳴り響いた。


「グルヴェイグとヨルムンガンドは一心同体、つまり同じ此の世界の異物ということだ。現にグルヴェイグは不死身だが、現実的にも秩序的にも不死身の人間は此の世に存在しない。つまり、彼等を作り出した人間がいる筈だ。」

其れが王の写本の最後の構成員、王の写本のトップに当たる存在。

太宰は小型船をエンジン全開で走らせる。

王の写本との戦いは未だ終わっていない。


死の鐘が、歩の命が残り30秒であることを告げた。

「私の異能力《巫女の予言》は触れた人間の未来を読み取り干渉できる。干渉って結構バリエーション豊富なのよ?異能力を阻害したり、人間の寿命を操作したり......ね。でも、未来に干渉して時空を歪ませ事象改変するからかな。此の世にあってはならないものまで産み出せるようになってしまった。」

其れがグルヴェイグとガンドということか。しかも事象改変の弊害によって生まれた存在。

神様に恨みなんてない。
私は誰も殺されていない。

グルヴェイグの悲痛な言葉を思い出した。

「其の異物にも色々能力が付与できて、本当便利過ぎる異能も困りものだわ。」

ヴォルヴァは立ち上がり、踵を返した。

「次は、中原中也と太宰治を殺してくるわ。中原中也は満身創痍みたいだし、太宰治は異能無効化以外は一般人だし。此れでポートマフィアと探偵社は戦力が大幅に減る。犠牲はあれど私達王の写本の勝利が近付く。」

「させ、なっ......!」

ヴォルヴァに歩は手を伸ばすが、瓦礫に足が埋まっている以上、動くことはできない。

伸ばした手の指先からどんどん冷たくなっているのが分かった。避けられない死が確かに近付いているのが分かる。頭が割れそうな程に警鐘が鳴っている。

「させ、ないっ!絶対に......!!」

「残り......20秒位かしら。手足の先からどんどん冷たくなっていくのが分かるでしょう?抗えない死が迫ってくるって感覚、其の恐怖を味わいながら死んでいってね。」

ヴォルヴァは去っていく。軽い確かな足取りで、中也と太宰の元へ進んでいる。

行かせない、行かせてはいけない。

未だ、死ねない。

「あぁあああっ!!」

裂帛と共に歩は懐の予備のナイフを抜いた。瓦礫で潰れた足にナイフを当てる。鮮血が舞う。

歩は両足を切断した。

このまま眠ってしまえば、きっと楽に死ねたのだろう。全て諦めて目を閉じてしまえば、其れで終わっていただろう。誰が死のうが関係ない。死んでしまえば、あらゆる柵から解放されるのだから。

だが、中也を殺すと云われてしまえば。

歩は死ねない、死んではならない。

動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け......!!!!

這いつくばってでも、進め。

もがいて、足掻いて、前へ。ただ、前へ。

ヴォルヴァとの距離は縮まらない。手を必死に伸ばす。

ヴォルヴァが振り返り、立ち止まる。

「貴女......何して......」

歩は声を振り絞った。

「私に残された、30秒は......目の前の死に怖じ気付くための30秒じゃない......!」

ヴォルヴァの足を掴む。

歩の右手に握られていたのは。

指向性共振銃。

「最後まで全力で戦い抜く、そのための30秒だ......!!」

引き金を引く。其れに自分の全ての力を注ぎ込む。

たった1秒あれば良い。1秒指が動けば良い。其れだけで意識を刈り取ることができる。

ヴォルヴァはがくがくと身体を震わせて倒れた。

「中原幹部の歩みは、絶対に止めさせない!私が守り抜いてみせる......っ!!」

例え、自分の歩みが其処で止まることになったとしても。

1秒引き金を引いた手は役割を終えると力を失い、指向性共振銃を取り落とした。

「......あと、10秒。」

前の自分なら待ち望んでいた死が近付いていることに少なからず喜んでいただろうが。

生きたくて、あと少しで良いから生きたくて。

10秒なんて、短過ぎる。

「厭だ......死にたく、ない。」

助けて。

掠れた声が虚空に消えた。

したい事が未だ沢山ある。未だ沢山残っている。

約束もある。

伝えたいことだってある。

「中原幹部......中也、さん......」

死の間際、最後に思い出すのはいつだって中原中也だ。

伝えたいことがあった。
会って話したいことがあった。
きっと困らせるし、怒らせる。

だって、中原中也は歩のことを部下だと思っている筈だ。自分を裏切った、愚かで関わりたくもない部下だ、と。

好きだった。
好きで、好きで堪らなかった。
傍に居たかった。守りたかった。

其れも、もう云えない。

「私は......ずっと、ずっと前から、」

意識が薄れていく中で、歩は天を仰いだ。ただ青い空が其処にはあった。中原中也の瞳の色に似た青だった。

「あなたに......恋を、していました。」

其れが歩の最期の言葉となった。

30秒が、経った。


中也は身体を引き摺り小型船から降りてヨルムンガンドの攻撃で破壊された壁から廃工場内部へ入った。

「歩、歩......!!」

中也は咳き込み、血を吐きながら進んだ。

其処で見たものは。

「歩───!!」

無残な姿で倒れた歩の姿だった。

両足はなく全身は血塗れ。

微動だにしない。

凪いだ世界。

中也は足を必死に動かし、歩の元へ歩んだ。

小さな身体を抱き寄せる。

身体は冷たく、呼吸はない。

「ふざけんな。何でだよ、何で......」

中也の身体が細かく震えていた。

「未だ何も伝えてねェだろうが。未だ何もしてやれてねェだろうが。あんな別れ方して、手前を傷付けるだけ傷付けて、俺が取らなきゃならねェ責任を全部背負わせて......」

こんな最期であって良い筈がなかった。

「好きだ、ずっと好きだったんだよ。......手前と同じ気持ちだった。なのに、」

何で云わせてくれねェんだ。
何で聞いてくれねェんだ。

なあ、何で。

歩の手を握る。いつもは差し出した中也の手におずおずと載せる其の小さな手は握り返してくれることもなく。

「莫迦野郎、本当に大莫迦野郎だ、手前は......」

中也は歩の肩に顔を押し当てた。嗚咽は聞こえない。しかし、中也が顔を付けた歩の白衣は、確かに血ではないもので濡れていた。

太宰は中也の様子を見ながら、歩とグルヴェイグ、ヴォルヴァの生々しい戦場の跡を見ていた。

歩のナイフや拳銃を拾い上げる。天井、瓦礫を順に見て、歩の直ぐ傍で倒れているヴォルヴァを見やった。

彼女がグルヴェイグやヨルムンガンドを作り、また王の写本の頂きに立つ存在であったことを太宰は理解した。

太宰はヴォルヴァに近付く。彼女は意識を失っていた。そう、生きていたのだ。

「中也。」

太宰は歩の拳銃をヴォルヴァに向けた。

「殺すよ。」

「......さっさとやれ。」

太宰が引き金に指を掛けた。

瞬間、廃工場全体が揺らぐ。

「地震......否、違う......!」

床が更に激しく揺れ、歩を抱えた中也と太宰は後退した。床が崩落し、其処から巨人が姿を現した。

「此処に来てヴァフスルーズニルか!敦君と芥川君は......」

太宰がスマートフォンを取り出そうとした時、丁度敦と芥川が太宰と中也の元にやって来た。

「太宰さん!矢張り僕や芥川の攻撃が効きません。其れに地下に潜ってこんな状況......に......。」

最後に言葉が途切れたのは敦が中也の腕の中にいる歩を見てしまったからだろう。

「中也さん、歩さんは......」

「敦君、今はヴァフスルーズニルだ。」

中也に声を掛けようとした敦を制して太宰が云った。

「でも......!」

「歩ちゃんが此処まで追い詰めたんだ。」

太宰の表情を見て、敦は分かりましたと強く頷いた。芥川も承知と云ってヴァフスルーズニルを睨んだ。

戦闘態勢に入るポートマフィア、探偵社陣営に対し、ヴァフスルーズニルは其の巨大な手でヴォルヴァを包んだ。

そして、彼等に背を向けた。

逃げる心算なのだ。

「させぬ!!」

芥川が《羅生門》を伸ばし手足を縛るが、其れを引き千切り、ヴァフスルーズニルは海へ入っていく。

「逃げてんじゃ......ねェよっ!!」

中也は歩を床に寝かせ、跳躍した。其の腕や頬に再び異能痕が光り始める。

「中也、やめるんだ......!」

「太宰!」

「止めるに決まってる!君は今激情のままに汚濁を使おうとしている。二回目ともなれば君の身体が保たない!間違いなく死ぬだろう。でも、歩ちゃんは絶対に君の死を望んでいない!」

中也はぐっと踏み留まった。だが、堪えきれない怒りに太宰の胸倉を掴んだ。

「じゃあ、如何すりゃ良いんだよ!!このまま逃がすってのか!?其れこそ歩は望んでねェ!!」

「中也......。」

太宰は首を左右に振った。もうヴァフスルーズニルは沖に進んでいた。

誰もヴァフスルーズニルを止めることはできない、そう思われた。


赤く染まった世界に私は立っていた。

自分の精神世界だと考えていたのだが、死後も此処に来ることになるとは思わなかった。それとも、此処が死後の世界だったのか。

「残念ながら死後の世界ではない。」

漆黒の髪、金色の瞳。
以前見たあの男だ。

「やっと来たか、歩。」

「以前も聞いたのですが、あなたは誰なんですか。」

「未だ思い出さないのか。」

元からお前は愚鈍だったがと呆れたように男は苦笑した。

「俺はお前の全てを知り、価値を見出だし、適切に利用した。」

「......あなたは私の価値を死ぬことだ、と云った。現に私は死に、此処に居ます。此れが私の価値だと?」

死というものに価値などない。果てのない喪失の末私は地獄に堕ち、裁かれる。

ただ其れだけだ。

「お前は地獄に堕ち、裁かれると思っているのだろうが、恐らく何十年、何百年経っても其れは訪れない。」

男は、赤い世界の奥へ踏み込んでいく。私は後を追って駆け出した。男は黒い歪な山の前で止まった。

「此れを見てもお前は何も思い出さないのか?」

男は山を背にして歩に向き直った。其の深い笑みに歩は訝しみながらも山を見上げた。

其の山は何かが積み重なっているようだった。

目を凝らす。

息が止まる。実際死んでいるので呼吸は止まっているだろうから、比喩表現になるだろうが。

其れは死体だった。人の死体が山のように積み重なっていたのだ。十や二十ではない、百......千はあるかもしれない。

「なん、何ですか......此れ。」

「何ですかとは酷い台詞だな。」

男は冷たい口調で告げる。

「お前が殺した奴等だ、俺も含め全員な。」

「そ、んなっ......!」

そんな事は有り得ない。私にそんな力はない。殺戮の異能力でも、戦闘力もない。

そんな記憶はない。

「王の写本がお前に目を付けたのは正しい。」

男は山に歩み寄り、死体の一体の頭を掴んだ。

「お前は神だ。生と死を司る、人類の脅威であり、希望でもある。見ろ、此奴は何処ぞの国の官僚クラスの奴だ、汚職ばかりしていたがな。俺達で殺した。殺されないために金を積んできたが、ウイルスでぶっ殺してやったよな。其処の国民は喜んで死を受け入れたっけ。」

「私は......神なんかじゃ、」

「いいや、お前は神だ。研究所ではG-15と呼ばれ、神と持て囃されたが最終的には捨てられた可哀想な実験動物だ。」

ぼとり、と死体の山にまた一つ死体が増えた。

見覚えがある人に見えた。

ああ、先刻のかと男は興味なさげに呟いた。

「そろそろ時間だが......一つのろまなお前に助言しよう。」

男は掴んでいた死体を放り捨て歩に近付いた。

「今、王の写本はヴァフスルーズニルによってヴォルヴァ共々逃亡している。此れが何を意味するか分かるか?」

「っ......!」

「そうだ、中原中也がまた狙われる、戦場に駆り出されるんだ。」

阻止したいだろ?と男は歩の耳元で囁いた。

「お前の異能を使えば良い。」

「私の......」

「そうすれば、皆幸せになれる。お前の望み通り中原中也を守ることもできる。」

中原幹部を守れるなら、王の写本を殲滅できるなら。

私は何だってする。

其れが私の異能力でできるというならば。

パチンと私の頭の中で何かが爆ぜた。

記憶の奔流、頭に膨大な情報が流れ込んでくる。視界がぐらりと揺れて、息が詰まった。頭の中はぐちゃぐちゃで、整理ができない。

唯一、情報の濁流の中で手にしたものがあった。

其れが私の異能力の正体。

「私の異能は......」

視界が真っ白に染まった。男は最後に妖しく、気味悪く笑って云った。

「また会おう、歩。その時は俺のことを思い出してくれていることを願う。」


王の写本、ヴァフスルーズニルを追う術はもうない。海の向こうへ逃げられてしまえば、もう。
太宰は今までの計画を反芻する。敦と芥川の攻撃がヴァフスルーズニルに通用しないことは分かっていた。故にほぼ全てのポートマフィア及び探偵社の戦力を費やし、ヴァフスルーズニルを追わせた。其れでも足りなかった。中也をヴァフスルーズニルに回した方が良かったか、其れは否だ。対ヨルムンガンドは中也でなければならなかった。中也でなければ、死体が増えていた。

だが、此れが最善だったと云えるか、太宰には分からなかった。

太宰は歩の拳銃を握り締めた。

友に守って欲しいと託された。其の少女を犠牲にして、其れが最善だったと如何して云えるだろうか。

「太宰さん。」

ふと、背後で声が聞こえた。

聞こえない筈の声が聞こえた。

「私の拳銃、返していただけますか。」

感情のない声だった。

太宰は振り向く。否、其の場にいる全員が声の主の方を向いていただろう。

太宰は放心状態で、其れでも拳銃を差し出した。

声の主は、其の少女は、滑らかな動作で拳銃を受け取った。

「歩、ちゃ......!」

太宰は声が上手く出せなかった。何故生きているのか、そんな事は如何でも良かった。

生きてさえくれれば。今此の瞬間、誰もがそう思っただろう。

「ヴァフスルーズニル......」

歩はしかし歓喜などしていなかった。逃げるヴァフスルーズニルを見ていた。他の者など目に映ってすらいなかった。

歩は自分の頭に、丁度耳の上辺りに受け取った拳銃の、其の銃口を押し当て引き金に指を掛けた。

「異能力......」

誰かの制止の声が響いた。
指は止まらなかった。

「《生殺与奪》」

バンッ!!と一発銃声が鳴って血飛沫が散った。

此の日、歩は二度目の死を迎えた。


ヴァフスルーズニルはベルゲルミルの力を使い海を進んでいた。ベルゲルミルは物理攻撃を無効とし、海や地下あらゆる場所を自在に行き来できる。しかし、攻撃手段はない。正に逃走に特化した巨人だった。ヴァフスルーズニルはベルゲルミルの内部で意識を失っているヴォルヴァを見た。

ヴォルヴァさえ生きていれば王の写本は甦る。ヴォルヴァの力があれば、どんな困難も乗り越えられる。

「ヴォルヴァが居れば......だいじょ、」

言葉は続かなかった。

頭に強い衝撃が駆け抜けた。

何かが、貫通したような。

「あ、あ?」

物理攻撃は効かない。況してや内部のヴァフスルーズニルには絶対に届かない。

ならば、何故。

頭から血が噴き出している?

「あ、ァァぁあっ!?!?」

致命傷だった。巨人ベルゲルミルが消える。

ヴァフスルーズニルとヴォルヴァは、重力に従い海へ落ちていく。

「神......神の力だ、神は矢張りいた、ん、......」

空中でヴァフスルーズニルは絶命し、ヴォルヴァも海面に叩き付けられ、海に沈んでいった。

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