其の二十三

中也は首領から召喚の命を受け、歩の捜索を一旦中止し太宰と別れ、ポートマフィアの本部ビルに来ていた。首領の執務室に入ると、紅葉もまた呼び出されているようだった。

「急に呼び出してすまないね、中也君。」

「いえ、問題ありません。其れより緊急という事でしたが、何か問題でも?」

中也が性急に本題に入れば、首領が中也に一枚の紙片を渡した。

「王の写本からの手紙だよ。」

「王の写本......!」

中也は読もうとしたのだが、如何やら外国の言葉で書かれているようで眉を寄せた。そんな中也の様子に首領は解説する。

「曰く、王の写本はこれからポートマフィアに攻め入る。荒覇吐、または其の情報を渡せば去る。渡さなければ首領含め全ての構成員に凄惨な死が待っているだろう、とね。」

「つまり、宣戦布告って訳ですか。」

「中也君を渡したところで、彼等の望みは叶わない。其の情報源が偽造だからね。」

首領は優しい表情でありながら冷徹な口調で云った。中也と紅葉に緊張感が走る。

「よって中也君も情報も渡さない。彼等に渡すものはポートマフィアに何一つない。徹底抗戦だ。二人共、其れで良いかな?」

首領が尋ねれば、二人は頷いた。

「無論じゃ。王の写本の行いには怒りを覚えておるでの。切り刻むだけでは気が済まぬ。」

「首領の命令ならば。」

首領はでは、そのようにと微笑んだ。

組織同士の戦闘になるならば、準備が必要だ。王の写本は強力な異能力者で構成されている。苛烈な戦いとなるだろう。

「それと、此の戦い以前の任務と同様、探偵社と共同戦線を組む。彼等も王の写本に用があるようでね。......使えるものは全て使うように。」

其れについて、中也は何となくではあるが察していた。が、向こうは拘束、逮捕を旨としているだろうから当てにはしない。

王の写本は全員殺す。

中也の意志は固い。

一通り連絡、報告が終わり中也と紅葉は執務室を出る。と、首領が中也を呼び止める。

「歩君の事だけれど。」

「......はい。」

自分は歩を捜索している。何もするな、と命じられていたのにだ。首領も其の事実は間違いなく把握している事だろう。

「何も心配しなくて良いよ。彼女は必ず戻ってくる。其れに未だ探偵社への出向期間は終わってない。裏切りの線も考えてはいない。できないだろうしね。」

首領は何処までも甘く優しい声音で云った。

「彼女はポートマフィアに必ず戻る。そして、此の戦争に参加する事になる。間違いなくだ。だから中也君、君が捜す必要はないよ。安心して、部隊を率いると良い。」

「っ......分かりました。」

中也は深く頭を下げて、執務室を出た。戦争に参加する事になる、中也の頭の中で重く響く。

「荒覇吐に標的が移った事で歩のみへの攻勢からポートマフィアに切り替わった。此れで歩は一先ず安全になった......ってのに。」

中也は王の写本のターゲットが荒覇吐に......自分に変わった事で何処か安心していた。

もう歩が襲われずに済む。

中也の手には未だにあの時の感覚が残っている。王の写本に襲われ、余りにも惨たらしい姿になった歩。

其の身体の冷たさを。
夥しく流れる赤を。

最後の力を振り絞るようにして自分に伝えた言葉の数々を。

「王の写本は俺が殺す。だから、手前は......」

戦場に自ら立とうとするな。俺や太宰にすら手の届かない、誰の手も届かないそんな場所に居るなら今はそのまま其処に居ろ。

「俺が必ず......」


一方。

「今後についてですが。」

フェージャが真剣な面持ちで口を開いた。作良さんがごくりと唾を飲み込む。現在、私達は都内の喫茶店に居た。

「矢張りスカイツリーと東京タワーは必須案件かと。」

ぶふっ、と作良さんが噴き出した。そのまま酷く咳き込む作良さんにフェージャが水を差し出した。

「お、まっ、マジ、で、げほっ、空気読んでくれ、ごほっ、る!?」

「空気は読んでいると思うのですが......」

フェージャはきょとんとした顔で云う。

計画は成功したらしく、王の写本からの追っ手は現時点でない。また私は指名手配される予定だったのだが、異能特務課、は表向きないものとされているので、政府という事になるのだろうか、とにかく内務省の方々は情報流出の責任を問われ、其の対応に忙しいらしく、そちらの追っ手もなければ、私の事はメディアでも全く報じられていない。

「今、歩がヨコハマに戻るのは愚策でしょう。」

「確かに。政府はポートマフィアか探偵社が歩を匿ってると思ってるだろうしな。ヨコハマには未だ王の写本も居るし。」

どちらも遭遇すれば如何なるか分からない。戦闘になれば私達の戦闘力的に不利なのは云うまでもない。

「政府も真逆歩が東京観光しているとは思ってないでしょうから、ほとぼりが冷めるまでのんびりしておきましょう。」

私も賛成し、首を縦に振った。其れでもヨコハマを離れているのは少し不安があった。東京ではヨコハマの情報が余り手に入らない。ポートマフィアが、探偵社が、如何なっているかも分からない。

「大丈夫です。直にこんな事件忘れてしまって帰れるようになりますよ。何せ政府の汚点ともなる事件ですから。」

フェージャが確信めいて云った。

「そういや、政府にはそういうの専門の機関があるんじゃなかったか?こう......犯罪を隠したり、洗浄したりする、みたいな。」

作良さんがうろ覚えなのか、確証がなさそうな様子で首を捻った。

「ええ、噂ですが。もしそんな機関があるとしたら、今頃動いているでしょうね。」

「別の大きな事件作って、そっちに目を向けさせたりとかすんのかな。」

フェージャは分かりません、と穏やかに云いながら紅茶を口に含む。

「そうだとしたら幸運かもしれませんね。此の事件自体を記憶からも抹消してしまえば王の写本がまた歩を襲いに来るかもしれません。別の事件で世論から自然消滅的に忘れ去られるのであれば、当人は覚えている訳ですから。」

「歩はもう狙われねえし、指名手配もなあなあになるかも。てか、歩以上の事してる奴なんてポートマフィアには山程いるからな!......まあそこまで巧くいく分からねえけど。」

殺人を犯した。共謀もした。違法な取引にも参加している。

自分の罪は理解している。

逮捕されるのは当たり前。其れを組織や人を頼って隠れ蓑にして何とか生きているだけだ。

これからも、きっとそう生きていく。

「此の世界で、生きる事を望むなら誰かの生きたい想いを踏み躙る覚悟を。人の死の上に生を成す覚悟を持て。」

私はそっと呟いた。誰の言葉か、云うには及ばない。いつだって覚悟と生き方を教えてくれるのは彼なのだから。

珈琲をぐっと飲んでカップをテーブルに置いた。

「今後の件はフェージャに賛成です。東京を中心に色々回ってみましょう。」

「え、ならおれ秋葉原行きたい。」

突然乗り気になる作良さんをフェージャは宥める。

「落ち着いてください。先ずは何処に行くか計画を立てて効率良く行きましょう。」

しかし、この時、不安は的中しており、ポートマフィアと探偵社が王の写本と全面戦争をしようとしているなんて今の私は考えてすらいなかったのだ。


「あーあ。」

グルヴェイグはガンドを撫でながら声を漏らした。

「歩ちゃん、神様じゃなかったんだって。関係ないのに、あんな酷い事しちゃった。」

ガンドはぐるると喉を鳴らす。グルヴェイグを労っているようだった。

「友達だったのにね。ガンドも厭だったよね?歩ちゃんの事、好いてたもんね。」

グルヴェイグは項垂れた。ガンドがそんな彼女の頬を舐める。

「歩ちゃん、もしかしたら生きてるかもって。探偵社には治癒の異能力を持った凄い人が居るから完治してるかもってオーディンは云ってたけど。......死んじゃってたら。」

取り返しの付かない事をした。

以前から神様を見つけるため確証もなく異能力者を殺して来た。其れが神への近道だと信じて。なのに今は、歩の事だけは深い後悔が襲っている。

「わたしも歩ちゃんの事好きだったんだろうなあ。......うん、好きだったんだよ。日本でできた友達の一人だった。生まれて始めて......できた友達だったんだから。」

顔を上げたグルヴェイグは空を見上げる。其の目がじっと空の一点を見詰める。

「......早く終わらせて、神様を見付けて。普通の、人間みたいな生き方を。」


「さて、スカイツリーに来た訳ですが。」

一般客が入る事のできる中では最上部まで来た。天気が良いからか、綺麗に遠くの景色まで見える。

「歩、歩!!富士山見えるぞ!!」

「東京なのに富士山が見えるなんて、凄いです。」

私と作良さんは歓声を上げる。作良さんのスマートフォンで写真を撮ったり、此れは何の建物だ、と確かめあった。

「ハハハ、人がゴミのようだ!!」

「歩、こういう時に使うあの言葉を教えていただけますか?」

「バルス。」

「目がぁぁあああっ!!」

一寸他のお客さんに不審な目で見られたが、此れは此れで楽しいのかもしれない。冷静になって考えるとだいぶはしゃいでいたと思う。

「此れが旅行時における一般的な人間の過ごし方なんでしょうね。」

スカイツリーを出て、レストランで食事をする事にした私達は料理を待っている間も他愛ない話をしていた。

「多分。修学旅行に行った時、他の子達は先刻の私達みたいな感じでしたよ。金ぴかだとか、銀って名前に付いてるのに銀じゃないとか。」

見るもの、聞くもの、其の全てに感心し、気持ちが昂る。スカイツリーにいた私達は正にそんな感じだったのだろう。

「おれは学校行ってないから分からねえけど、こんな感じなんだろうなあ。記念写真撮ったり、ちょっとした事、其れこそ地元の奴には当たり前な事ですげーって騒いだり。そういうのを皆で楽しむみたいな。」

作良さんが遠くを見るような、そんな目をして云った。作良さんも如何やら私と同じような想いを抱いていたらしい。

「たまには悪くないよな、こういうの。」

「そうですね、たまに位がきっと丁度良いんだと思います。」

作良さんの言葉に私も、フェージャも同意する。

「ええ、歩は特に働き過ぎなんです。ヨコハマに戻ればまた働き詰めになるでしょうし、今のうちに息抜きがてら観光するのが良いでしょう。」

「本当それな。てか歩が何でもできるからって仕事押し付け過ぎなんだよな。」

「労働環境の改善が必要ですね。」

作良さんとフェージャが私の労働に関して会話している中、私は首筋にチリッと痺れるような痛みを感じた。

警戒しながら振り向いてみると、黒服の男の姿があった。

私の目は彼がポートマフィアの構成員である事を否が応にも知らせてくる。私はお手洗いを理由に席を立ち、人目の付かない陰に彼を誘導する。

「此の携帯電話に登録してある電話番号に掛けるように。」

男は其れだけ云って携帯電話を手渡し、蜃気楼のように消えていった。黒光りする携帯電話には、番号が一つだけ登録されていた。私は直ぐに電話を掛けた。

『やあ、元気かい?歩君。』

首領の声に身体が強張る。矢張り首領は私が何処で何をしているか知っていたようだ。

緊張か、あるいは恐怖か。

声が上手く出せない。

「ご用、件は?」

『単刀直入に云おう。今すぐ戻ってきなさい。』

簡単にYESとは云えなかった。
ポートマフィアに私の居場所はない。
戻ったところで任務をこなせるとは思えない。私には信用、という人間にとっても組織にとっても最も重要なものがないのだから。

故に私は押し黙っている事しかできなかった。

『......王の写本が宣戦布告の手紙を送り付けてきたんだよ。』

衝撃が私を襲った。

王の写本が、
宣戦布告......?

ポートマフィアに?

「何、で......」

『ポートマフィアが荒覇吐についての情報を所持している、からかな?......事実、荒覇吐は此の世界で生を成している。其れは間違いないのだから。』

つまり、荒覇吐は実在していると、そう云いたいのか。

荒覇吐は架空の存在では......なかったというのか。

『君は何も知らなかった。私にも責任がある、仕方がない事だ。だから、全て水に流そう。君はポートマフィアから逃げも隠れもしていない。彼には諜報目的で近付いた。......何も起こらなかったと。』

「私は......」

『中也君は最前線に出る。探偵社と共にだ。』

彼等とは共同戦線を組む事になったのだと告げる首領の声に、また衝撃が走った。

何で。

何で。

何で。

絶対に巻き込まない、そう誓ったのに。

何でこんな事になっている?
何処で選択を間違えた?

否、間違えたなんて思いたくない。だって此れはフェージャと作良さんと私の計画だ。フェージャが私が生きるために、私の守りたいものを守るために、と立案してくれたものだ。

事は起こるべくして起きたのだ。王の写本によって。

......否、私が死ぬ選択をしていれば。

荒覇吐は。
ポートマフィアは。
探偵社は。

私は首を振った。こんな考え方間違っている。私は、生きるって決めたのだから。

「......分かりました。直ぐにそちらに向かい、前線部隊と合流します。」

私は其れだけ云って通話を切った。

頭が痛い。
胸が痛い。
内臓が痛い。
手が足が痛い。

「せめて必要だって、そう云ってくれれば......」

少しだけ気が楽になれたのに。

でも、其れは私のような一介の構成員にはきっととても傲慢な考えで。

いつだって私は代替可能なポートマフィアの一兵士として生きていくしかないのだ。

私は静かに席に戻った。料理が既に来ていて、テーブルに整然と並んでいる。二人は私の帰りを待っていたらしく、箸やフォークに手を付けてすらいなかった。

「如何かしましたか?」

フェージャに問われたが、大したことはないのだと首を振った。

「それよりご飯を食べましょう。お腹空きましたし。」

「いいえ、食べません。歩からちゃんと話を聞くまでは。」

フェージャが頑として譲らない。基準は分からないがフェージャは時々頑固になる。私は溜め息を吐いて、首領から召集を受けたのだ、と話した。

「ポートマフィアと王の写本の抗争が始まるそうです。また、此方は探偵社と組む、という話になっています。」

「歩の未来を狭めてまで計画を実行したってのに、王の写本は未だ殺る気なのかよ......!」

作良さんが怒りに震える。

「荒覇吐の情報をポートマフィアが持っている、というのが主な理由だそうです。」

フェージャが親指を噛んで、成る程と相槌を打った。

「作良が云っていたポートマフィアと荒覇吐の事件、其の情報の一端を王の写本は何処からか聞き付けたのかもしれません。」

「其の可能性は高いです。......私はバイクで先にヨコハマに戻ります。これからヨコハマは戦場になります。二人はこのまま東京に残って、抗争の鎮静を待った方が安全かと。」

フェージャは少し考えてから、作良を見た。

「作良、此処からは歩と別行動を取りましょう。」

作良さんがはあ!?と声を荒げた。何でだよ?!と続けてフェージャに問い詰める。

「ぼく達は王の写本と荒覇吐について更に調べましょう。」

「けど......!」

「ぼく達は戦闘において無力です。ですが、別の方法でならば歩を支える事ができる。」

其れが情報収集だ、とフェージャが作良さんに目で訴える。作良は私とフェージャを交互に見た後、分かったと力なく云った。

「歩、無理すんなよ。お前が帰る場所は此処にあるんだから。逃げ出したくなったらいつでも戻ってこい。」

私はありがとうございますと頭を下げる。大丈夫だ、と心の中で繰り返した。私の居場所はポートマフィアや探偵社だけじゃない。

私の味方で居続けてくれる人達がいる。私を信じてくれる人がちゃんといる。

私は戦える。

「歩、ぼくの着信には必ず出られるようにしてください。あらゆる面でサポートしますから。」

「車にインカムあるぞ。使うか?簡単なやつだけど。」

なら、其れを使いましょうとフェージャは首肯した。

「よし、じゃあ飯食おうぜ。」

「そうですね、腹拵えは大事ですからね。」

それくらいの時間はあるだろ?と作良さんがはにかんで云った。

「はい。......一緒に食べたいです。」

「っしゃ、じゃあいただきまーす!」

作良さんの挨拶を機に食事が始まる。肉料理をナイフとフォークで切り分け、口に含めば。

「......美味しい。」

ちゃんと、味がした。


歩がバイクでヨコハマへ向かうのを見送り、作良とフョードルはキャンピングカーに乗り込んだ。

「なあ、聞きたい事があるんだけど。」

「どうぞ。」

フョードルはノートパソコンのキーボードを叩いて作良に続きを促す。

「此れ、全部お前には想定通り......否、寧ろ計画通りなんじゃねえの?」

作良はエンジンを掛けながら云った。車内は異様な静けさで満たされていた。

「何故そう思ったんですか?」

「余りにも事が上手く運び過ぎだろ。お前にとってな。そうだろ?フョードル・ドストエフスキー。」

フョードルはノートパソコンの画面から作良へと視線を移動させる。

「知っていたんですね。」

「つい最近、やっとな。」

「なら、教えていただきましょうか。フョードル・ドストエフスキーにとって此の計画にどんな利があると?」

作良はふぅと小さく息を吐いて、口を開いた。

「先ず探偵社とポートマフィア、王の写本による潰し合いでどの組織も勢力が減退する。死傷者は多数出るだろうな。」

そうでしょうねとフョードルも同意する。

「けど、お前の本来の目的にとって見れば其の程度は副産物みたいなもんだろうな。」

「本来の目的、ですか。」

フョードルの瞳が妖しく光る。作良は悪寒を感じながらも言葉を口から紡ぎ出す。

「歩の組織からの孤立。自分への依存。他にもあるが......お前の目的は歩を自分のものにしたい、独占したい。そんな欲望から来るものだ。」

大それた事をしたもんだな、と作良は低い声で云った。

「組織から孤立したのはポートマフィアと探偵社が彼女を除け者にしたから。依存、というならば一緒に居た貴方にだって同じでしょう。全く説得力がありませんね。」

「お前は知り過ぎてんだよ。知ってて隠してる事が山程ある。本当は全部知ってるんじゃないのか。王の写本の事も、歩の事も。知ってて、誰が如何動くか全部考えて、此の計画を立てたんじゃないのか。」

フョードルは素晴らしい想像力です、と作良に拍手を送った。元から頭が良いのか、勘なのか。フョードルにとってはあっさりと退ける事ができるものであったが。

けれども、答えに初めて近付けた者に敬意を表して。

「貴方に最高の栄誉を与えましょう。」


満ちた赤い月が座す夜。とある雑居ビルから一人の男が現れた。彼の名前はヴァフスルーズニル、巨人を出現させ、使役する異能力を持つ王の写本の構成員である。

「......貴様は、」

闇の中から声がヴァフスルーズニルの耳に届く。

「王の写本構成員ヴァフスルーズニル。あの時の巨人を使役する異能者か。」

「お前は、君は.......」

ヴァフスルーズニルは其の声の主を認識する前に大きく跳び下がった。次の瞬間、複数の黒刃が地面を抉った。

「次は逃がさぬ。」

「......スルーズゲルミル。」

ヴァフスルーズニルは間髪入れず巨人を召喚した。光が迸り、赤黒い肌、六つの頭、常人には絶対に太刀打ちできない膂力を持つ巨人が生み出される。

其の巨人に乗り、ヴァフスルーズニルは襲撃者、芥川を見下ろした。

「芥川龍之介、お前に、君に負けるなんて可能性すらないんだよ、ですよ。」

「其の驕りが貴様の敗北に繋がるだろう。以前の様に出し抜けると思うな。」

芥川は三白眼でヴァフスルーズニルを睨み、一度距離を取った。黒の長外套が戦き、巨人は拳を振るわせ、臨戦状態となる。

先に動いたのは芥川だった。芥川の外套が複数の黒獣に変わる。

「《羅生門・連門顎》!!」

芥川は容赦なく死の一手を打つ。前回、歩と中也を逃がし、守るため、何より未知の異能力に攻め手を欠いていた。敦と芥川は軽傷、太宰は足の骨を折る重傷を負った。

だが、現在は一人。

心おきなく戦える。

黒獣は巨人スルーズゲルミルの膝や腱に噛み付いた。ブチリと筋繊維を破る音が聞こえてくる。

芥川の《羅生門》にはリーチの限界がある。よって巨人の肩に乗り込んだヴァフスルーズニルに攻撃は届かない。

ならば、肉を裂き、骨を砕き、届く場所まで堕とすのみ。

しかし、スルーズゲルミルも動いた。無造作に《羅生門》を掴み上げ、芥川もろともアスファルトに叩き付ける。土煙が上がり、芥川の姿が見えなくなった。其処にスルーズゲルミルが拳を振り下ろす。ドンッ!!と爆発じみた音が轟く。風圧に土煙が吹き散らされる。

「空間......断絶!」

拳と芥川の空間断絶による防御がぶつかり合い火花が散った。重い打撃は空間断絶にすら皹を入れる。巨人は雄叫びを上げ、もう一方の拳を振り上げた。次の打撃は保ちそうにない。

「人虎!!」

「勝手に先行した癖に......!」

芥川の呼び声に不本意ながらも応えたのは敦だった。巨人の胴を虎の拳で打ち抜く。ぐらりと其の巨体がバランスを崩したが、芥川の黒獣に喰われた足を再生させ、持ちこたえる。

「再生か。力任せに攻撃する事といい、再生といい、まるで人虎のよう......。真逆、同類か?」

「そんな訳ないだろっ!!」

芥川の隣に着地した敦はあんなのと一緒にするなと叫ぶ。

「先刻まで一人で戦うみたいな雰囲気だった癖に......。」

「貴様は僕の道具。道具は人数に含まれぬ。」

「このっ......芥川と共闘なんて、太宰さんは本当に何を考えてるんだ?」

「太宰さんの戦略が間違った事などない。貴様は太宰さんに命じられた通り、僕の盾になって死ぬと良い。」

「そんな命令、太宰さんがする訳ないだろ!」

ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる敦と芥川をヴァフスルーズニルが見下ろしていた。

「探偵社は関係ないだろ?ですよね?何故わざわざ死線に関わってくるのか、俺には僕にはさっぱり分からないんだが、ですが?」

敦がヴァフスルーズニルの問いに睨みながら解答する。

「王の写本はヨコハマの、否、此の国の脅威として僕達探偵社は考えている。其れに......。」

敦は虎化している拳を握り締めた。

「歩さんをあんな目に遭わせたお前達王の写本を僕達は絶対に許さない!」

「良いだろう、良いでしょう。歯向かう者は全員殺す、其れが王の写本の意志。今此処に探偵社も敵であると認識する、します。」

ヴァフスルーズニルは行け、と巨人に命じる。巨人は再度拳を振り上げた。

「人虎、行け。」

「お前が行け!」

「貴様の命令など誰が聞くか。」

「此方の台詞だ!」

二人は言い合いをしながら、振り下ろされた拳を同時に躱す。敦が其の拳に飛び乗って、腕を駆け上がっていく。腕の筋肉が隆起し、敦を阻むが、芥川の《羅生門》が其れを切り裂き、敦の道を開く。

「スルーズゲルミル!」

敦が向かう先はヴァフスルーズニル。異能力者本人を倒せば巨人も消える。敦の機動力と、芥川の制圧力で突き進む。巨人も敦を掴もうとするが、敦のスピードに手は空を切るばかりだ。

「どんなに力が強くても、お前じゃ僕には追い付けない!!」

敦がヴァフスルーズニルに迫る。ヴァフスルーズニルは咄嗟に拳銃を取り出し、構えるが敦の虎の手にあっさりと弾かれた。

「ぐっ......!」

「落ちろ!」

敦の拳がヴァフスルーズニルに突き刺さった。ヴァフスルーズニルは土煙を上げて地表に叩き落とされる。

「逃がすなよ、芥川!」

「無論だ。刺し貫く!」

「殺すなよ!」

芥川の《羅生門》が土煙の中を一直線に進み、ヴァフスルーズニルを穿った......筈だった。

「アウルゲルミル。」

地が底から震動する。建物が激しく揺れ、道路に亀裂が走る。

芥川は舌打ちをして其の地点から距離を取った。敦も巨人の身体の上ではバランスが取り辛く、飛び降りて退避する。

バチバチと地表を火花が散る。亀裂が大きくなり、瓦礫が崩れる音とも、何者かの叫びとも判別できないような轟音に二人は耳を塞いだ。

視界には土色の巨大なものが徐々に姿を現していく光景が映っていた。先程の巨人と同じサイズのものが道路を割るようにして出現する。

「二体目か......!」

ギャアァアアアァアアァアァ!!と二体の巨人が吼え猛る。二体目の巨人の発生から立つ事も儘ならない地震が絶え間なく続いている。

「......進〇の巨人。」

「貴様、ふざけているのか。」

「だって見た目がそんな感じじゃないか!」

「知らぬ。漫画など僕には無縁故。それより此の事は......」

敦は芥川に確信を持って頷いてみせる。

「二体目は太宰さんの想定内だ。」


「始まったみてえだな。」

「うん、敦君と芥川君が上手く立ち回ってくれれば良いんだけど。」

雑居ビル内には中也と太宰が居た。

「配置は?」

「癪だが、手前の指定通りにしてある。」

そう、と太宰が静かに相槌を打った。中也が本当に良いのか?と太宰に尋ねた。

「俺はオーディンを殺すぞ。」

「そうだろうね。でも、今の私では君を制止できない。」

太宰はかつかつと松葉杖で床を突いた。

「森さんは何も?」

「特には。手前のとこの社長は?」

「できれば確保。だから私なのだよ。」

他の人間ならば触れただけでオーディンの尖兵になってしまう。よってオーディンに対しては少数精鋭での戦闘で挑む。其れが探偵社とポートマフィアの結論だった。

「確保とは云ってもオーディンを生かしておくのは危険だと私も考えている。実際、オーディンがいつ誰に触れているか分からないし、今は味方だとしてもオーディンの兵が紛れているか分からない、今はそんな状況だ。」

「誰が、いついきなり敵に成り変わるか分からねェ。だからこその俺達二人って訳か。」

以前オーディンと接触した時の凄惨な光景を中也は忘れられる筈なかった。同じ轍は二度と踏まない。

一つ一つの部屋を見回りながら二人は上へと進んでいく。

「......逃げちゃいねェだろうな。」

「今外に出れば巨人の攻撃に巻き込まれる可能性が高いからまずないだろうけど。でも一応乱歩さんに聞いてみようか。」

太宰がインカムで乱歩に連絡する。太宰はふんふんと神妙な顔で首を軽く振って中也を見た。

「間違いなくいる。そして、彼は奇襲を仕掛けてくるだろう。」

「奇襲、か。触れたら勝ちみたいなもんだしな。つっても安直過ぎるんじゃねェか?オーディン。」

中也は素早く振り返って、手の中で弄んでいた狙撃用の銃弾を放った。亜音速で空間を貫いた銃弾は其処に居た男の鼻先でぴたりと静止する。

「殺すんじゃなかったのか?重力遣い。」

不敵に笑うオーディンに、中也は睨みながら応える。

「煽るんじゃねェよ。死にたいならそう云え。」

「残念ながら君では我々は殺せない。」

中也は床を一度強く踏み鳴らした。廊下にバキリと皹が入り、次の瞬間ドゴンと音を立てて崩落する。其れはオーディンを巻き込み起こる筈だった。

「太宰、此奴は精神系の異能力者じゃなかったのかよ。」

しかし、其の崩落はオーディンの一歩手前で停止していた。まるで、見えない壁でもあるようだ。

「そう聞いていたけどね......此れは一体如何いう事かな?」

「敵にみすみす手の内は晒さない。ただ一つ云えるとすれば、君の異能力は一切効かない、そういう事だ。」

直後、オーディンが地を蹴った。中也に真っ直ぐ迫る。

オーディンの異能力の特性上、近接戦闘はできない。理由は不明だが異能力も通じない。

「中也を此処まで封じるとは......入社試験の歩ちゃん以来じゃないかい?」

「歩と野郎を一緒にすんじゃねェよ!」

中也は太宰を担ぐとオーディンに背を向け走り出した。

「太宰、此れで良いんだな?」

中也は階段を駆け上がりながら問う。敦と芥川が戦っている巨人の影響でぐらぐらと床が揺れるが何とか足を動かす。

「私の運び方が手荒過ぎるけど、其れに目を瞑ればおおよそね。」

「お姫様抱っこが望みなら他当たれ。」

「中也のお姫様抱っことか死んでも厭。」

オーディンが追いかけて来ているものの、二人はいがみ合いながら上階を目指した。


ヨコハマに戻ってきた。

戻ってきてしまった。

東京からヨコハマまでノンストップでバイクを走らせていたため、疲れからか溜め息が零れる。未だ何も始まってすらいないのに。

中原幹部は、ポートマフィアと探偵社はもう戦場にいるのだろうか。

私は中原幹部に会って、そして彼の部下として戦って良いのだろうか。許されるのだろうか。

中原幹部を巻き込まないための行動が、中原幹部を戦場に駆り立てる事になってしまった。

否、部下として戦う必要なんてないのかもしれない。だって中原幹部には射鹿さんを含めて優秀な部下がいる。きっと射鹿さんなら中原幹部を守ってくれる。

「私は殲滅すれば良い。ポートマフィアの代替可能な一兵士として、敵を倒すだけ。」

そう念じて戦場に向けてバイクを再び駆ろうとした時、携帯電話の着信音が流れた。私は直ぐに応じる。此れは首領としか通じる事のない携帯電話だからだ。

『歩君、そろそろヨコハマに着いたかな?』

首領が楽しそうに私に話し掛けた。私ははい、と端的に返した。

『そうかい。なら良かった。メールで作戦のデータを送っているから確認するように。』

「......はい、分かりました。」

『それと、君に伝えなければならない事があってね。』

重要な案件なのだろうか。首領の声が緊張感を孕む。

『王の写本が狙っている荒覇吐は実在していると先程云ったね。』

「......はい。」

『荒覇吐とは、中也君の事なんだよ。』

「...... ...... ......え?」

呼吸が止まった。

唇がはくはくと勝手に動いて、なのに言葉は出ない。

『此れは幹部以上の人間しか知り得ない情報だ。内密に頼むよ。』

頭が、上手く、回らない。

じゃあ、私は......。

私は、自分が助かるために、知らなかったとはいえ中原幹部を利用したという事か。中原幹部を戦場へと赴かせたというのか。

他でもない、此の私が。

更に、脳裏に甦ったのは。

君、幹部に興味はない?

軽く、本気ではないように思われたあの首領の言葉。

もし、あの時、首領の誘いに乗っていれば?

幹部になっていれば、荒覇吐の情報を知っていたかもしれない。そうすれば、中原幹部をこんな事に巻き込まずに済んだのかもしれない。

こんなに前から......

私は選択を間違えていたというのか。

「わ、私は......私は、如何すれば良いんですか。」

『如何とは?』

「首領は知っているんですよね。私が荒覇吐を利用したからこんな事に......!」

『水に流すと云っただろう?』

そんな簡単に流せるものじゃない。だって此れは明らかに反逆行為だ。絶対にする訳がない、とそう自負していた行為を、私は進んでしたのだ。

『私が君に望むのは一つ。王の写本の殲滅だ。一人残らず殺せ。』

「っ......私は、」

『できるね?』

首領の言葉に、抗える筈がない。

「でき......ます。やらせて、ください。」

私はそれだけ云って通話を切った。腕から力が抜けて、携帯電話を持っていた手がだらりと落ちる。

「莫迦だなぁ......」

中原幹部の背中が酷く遠い。追いかけても、追いかけても届かないし、空回りしてばかりだ。

「其れなのに恋だなんて、本当......。」

何て烏滸がましい。中原幹部の傍にいたいと、役に立ちたいと、そう願った事すらも。

「生きたい、生きたいよ。でも......」

生きていなければ良かった。私なんて、存在していなければ良かった。中原幹部を傷付ける位なら初めから、いなければ良かった。

力の入らない身体でバイクに跨がる。メールにあった雑居ビルに向けてただただバイクを走らせる。

其の付近に来て、ふと顔を上げると目的の雑居ビルと同じ高さのビルの屋上に一瞬人影が見えた。ポートマフィアの人間だろうか。雑居ビルへの狙撃には好条件だが、同じ事が敵に関しても云える。

私はバイクを停めて、愛用の拳銃を手に其のビルに向かうのだった。


地面が激しく揺れる。踏ん張りが効かない、狙いが定まらない。故に敦と芥川は苦戦を強いられていた。

「そもそもあの巨人の弱点は何なんだ!?」

「其れを僕が知っていると思うか、愚者め!貴様こそ太宰さんから何か聞いていないのか!」

「臨機応変に対応して、何とかして欲しいって。」

「ならば、臨機応変に対応するしかなかろう。」

太宰さんの言葉となると、どんなものでも忠実に聞くらしい。弱点も突破口も分からないまま、地震と拳が襲い来る。

「何か、何かないのか......!」

敦がスルーズゲルミルの攻撃を何とか避けながら思考を巡らせる。

『私に任せて。』

敦のインカムから決意に満ちた声が聞こえた。

「鏡花ちゃん?!」

『チャンスは一度きり。私が、アウルゲルミルを倒す。』

直後、ゴォと強い風の音が耳にこだました。敦は真逆と空を見上げる。小さな影が落下してくるのが見えた。其れに、雪も。

「あれは、谷崎さんの......!ヘリコプターで!?」

谷崎の《細雪》でヘリコプターを隠し、其処から飛び降りたとでも云うのか。危険が過ぎる。

そんなの自殺行為だ。

「鏡花ちゃん!!」

敦は鏡花の落下点に向かって走り出す。地震により転びながらも足をとにかく前に動かす。

鏡花は眼下に巨人アウルゲルミルを捉えた。アウルゲルミルがぎょろりとした目で鏡花を見上げる。

「っ......!」

アウルゲルミルが突然手を伸ばし、鏡花を捕らえた。其の素早い動きに鏡花は驚きながらも、冷静に携帯電話を開いた。

「《夜叉白雪》!!」

異形、《夜叉白雪》が具現化し、仕込み杖を抜いた。《夜叉白雪》は瞬く間にアウルゲルミルに接近し、其の煌めく刀先でアウルゲルミルの眉間を貫いた。

「ガガガガ、ギギィィガァァァッ!!??」

アウルゲルミルが凄まじい絶叫を上げた。鏡花を離し、頭を押さえて悶え苦しんでいる。

鏡花はアウルゲルミルに放り投げられ、今度こそ地表に落下する。

「鏡花ちゃん......!!」

其の小さな身体を受け止めたのは敦だった。鏡花の攻撃を受けたアウルゲルミルからの地震が収まり、自由に動けるようになった事から虎の足で跳躍した。

「鏡花ちゃん、無茶しないで。」

「......其れは貴方も同じ。」

敦が着地し、鏡花は敦の腕から降りた。

「巨人は頭が弱い。弱点を突けば勝てる。」

乱歩からの伝言らしい。鏡花は着物に着いた埃を払いながら云った。

「其れは頭が悪いという意味か、それとも単純に頭を攻撃すれば活路を見出だせるという意味か。」

芥川が敦と鏡花に近寄り、問う。鏡花は芥川を少し睨むと、口を開いた。

「どちらも。」

「そうか。手っ取り早く鏡花が攻撃したあの場所を集中攻撃するのが良さそうだ。」

「でも、お前の《羅生門》は届かないし、僕や鏡花ちゃんも彼処まで行くのは難しい。スルーズゲルミルは頭が六つもあるし、異能力者が倒れていない以上アウルゲルミルも復活する可能性だって......」

敦はぐっと拳を握った。折角鏡花が作ってくれたチャンスを無駄にはできない。

「否、弱点が分かっただけでも重畳。」

芥川は雑居ビルを見詰めた。

「作戦を立てているのは探偵社だけではない。次は此方の番だ。」


中也と太宰は雑居ビルの10階まで上がった。其の一部屋に入り、オーディンを迎える。

「もう鬼ごっこは終わりか?」

オーディンはゆっくりと二人に歩み寄る。追い詰められた二人の背後にはもう空間はなく、壁と窓のみだった。

「中原中也、君は我々の手駒となれ。そして太宰治、君は我々にとって邪魔者でしかない。今此処で死ぬと良い。」

オーディンは黒光りする拳銃を抜き、太宰に照準を合わせた。

「中也の異能力を無力化する其の力について私なりに考えてみた。」

太宰は銃口に物怖じするでなく、ゆっくりと話し始める。

「違和感は歩ちゃんがグルヴェイグ、ヴァフスルーズニルに殺されそうになった時だ。彼女ならばこのような状態になる事はまず有り得ないと考えた。彼女の異能力である危機察知が正常に作動すればQがいようとも逃げられただろうと。しかし、できなかった。」

理由は極めて簡単だ。異能力が正常に作動しなかった。

「彼女の異能力は自身だけでなく他者に相互に干渉する。其の他者であるグルヴェイグとヴァフスルーズニルに彼女の異能力を阻害できる仕掛けがあったとするなら、彼女の危機察知には感知し得ない存在となる。今回の中也の異能力も然りだ。中也は異能力が使えるが、君には届かなかった。」

太宰はすっと目を細めて云った。

「そして君は知っていたんだ。君と対峙するのが私と中也である事を。だから、中也の異能力を阻害する事にした。」

其れが分かったところで如何する?とオーディンは引き金に指を置いた。

「今、其れが分かったところで、君達に助けは来ない。大局を見た我々の勝ちは変わらない。」

「大局を見ただァ?」

中也は窓に拳を打ち付ける。バリンッ!と激しく窓が粉砕され破片が中と外の両方にばら蒔かれた。

「見えてねェのは手前の方だ、オーディン。大局を見るってのはな、こういう奴の事を云うんだよ。」

中也が太宰を一瞥する。得意気な太宰に調子に乗るんじゃねェぞと釘を刺した。

「オーディン......否、王の写本。君たちの敗因は情報に踊らされ過ぎた、其の一点に尽きると思うよ。」

太宰はすっと窓を指した。

「如何やら此れがポートマフィア側の答えらしい。」

其の瞬間、中也が踵を返し、自分で作った窓の穴から外に飛び出した。

「な、にっ!?」

オーディンは反射的に中也に銃口を向けるが、其の銃は太宰の松葉杖によって弾かれる。

「私から目を逸らすなんて駄目じゃあないか。」

「ぐっ......なら!」

オーディンは手榴弾を取り出し、ピンを抜いた。出入口側はオーディンがいる。太宰が窓から飛び降りるのは不可能。

太宰の逃げ場はない。

オーディンが放った手榴弾が太宰の元に転がっていく。

だが、太宰は笑みを崩さない。

「貴様が太宰さんを殺す可能性など万に一つもない。」

手榴弾が漆黒の獣に喰われ、爆ぜる事すらなかった。

「莫迦な、芥川龍之介だと......!」

巨人と対峙していた筈の芥川が何故此処にいるのか、とオーディンは目を見開く。

「否、そうか。中原中也とスイッチしたのか。だから、倒壊の危険性すら省みずヴァフスルーズニルとこんなにも近くで戦っていたのか。」

オーディンは其の事実に気づくと、一目散に部屋から逃走した。

「太宰さん......」

「直ぐにでも追いかけよう。」

太宰は松葉杖を捨て、足のギプスを外した。重りが外れた事で太宰は身軽になったのかスキップするように部屋を出た。芥川は其の後を追うように走り出した。


「なァ、」

六頭の巨人、其の頭の一つに立った中也が声を掛ける。

「手前等が太宰の計画を読みきるのは困難、そりゃ誰でも分かる。仕方ねェ事だって誰もが納得する言い訳になる。だがな、俺の行動位は読めたんじゃねェのか?」

中也の青い瞳には光がなかった。ヴァフスルーズニルの背中を言い表す事のできないような悪寒が走った。

「俺が歩を傷付けた手前を許す筈ねェだろうが。」

中也はただ其処に立っているだけだった。そして、其の爪先で一度、巨人の頭を小突いただけだった。

まるで空が落ちてきたような、そんな轟音と呼ぶことすらも憚られる音がヨコハマに轟いた。

巨人が道路に倒れ伏し、めり込み。

其れでも止まらず......

地獄に堕ちろとでも云うように沈んでいく。

其の様は苛烈にして圧倒的。

其れが中原中也の異能力、《汚れつちまつた悲しみに》。

中也は巨人の頭一つ一つに軽やかに飛び乗りながら、其の異能力を使って潰していく。一度踵が触れるだけで、巨大な巨人の頭がぐしゃりと容易く潰されていく。

「あ、ぁああ......!」

中也の攻撃から何とか逃れたヴァフスルーズニルは叫びながら逃走する。敦が追おうとするが、中也が其れを止めた。

「後は俺がやる。」

「でも......」

敦が気圧されながらも何とか口を開く。このままではヴァフスルーズニルは殺されてしまう。そんな気がしてならなかった。

「安心しろ。殺しはしねェ。」

だってそうだろ?と中也は微笑を浮かべた。

「歩も殺されてはなかった。だったら殺すのはフェアじゃねえ。」

中也が軽い足取りでヴァフスルーズニルを追っていく。そうして彼の襟首を掴み、引き倒した。

「逃げるんじゃねェよ。」

「ひぃっ......」

「おいおい先刻までの威勢は如何した?此れじゃあ俺が悪い事してるみたいだろ。」

中也はヴァフスルーズニルの腹部を踏みつけ、冷酷な瞳で見下ろす。

「内臓破裂。腕、足、肋骨など6割以上の骨が折れ、砕けていた。」

ヴァフスルーズニルの全身を重力が襲う。体内であらゆる臓器が悲鳴を上げ、かき混ぜられているような感覚に陥る。

「あがっ、がが、あ......!」

「汚え断末魔上げるなよ。」

腹部に踵がめり込み、激痛が貫く。痛みに痛みを上塗りされ、其れが絶え間なく続く。

「其の状態で呼吸する事が、話す事が、思考する事がどれほど苦痛を伴うか手前には分かるか?」

中也の手には未だあの時死にかけていた歩を抱いていた感覚が残っている。身体の異様なまでの冷たさも。どこに触れようともべたりと付着する血も。全身の骨が砕け折れ、どんなに支えても軟体のように垂れ落ちる其の身体も。

そんな身体で最後まで自分を想い言葉を紡いだ事を。

中也は静かに足を離した。血にまみれたヴァフスルーズニルの姿があった。もはや虫の息でヒューヒューとか細い呼吸が漏れる肉の塊となっていた。

「中也さん......!」

「......云っただろ?死んではいない。こんなので良けりゃ呉れてやるよ。」

敦は沈痛な面持ちで中也を見て、次に鏡花に与謝野に連絡するように頼んだ。鏡花は小さく頷いて、携帯電話を手にする。

その時、中也を回転する何かが襲った。中也は片手で其れを受け止める。中也を襲ったのは巨大な剣だった。剣は中也の手を無理矢理引き剥がし、空中を回転し、女の元に戻っていく。

「アタシの仲間に何してる......!」

三人の耳に女の怒号が届く。

グレーの髪が揺れ、美しい顔立ちとは裏腹に鋭い眼光が中也を刺す。

「アタシの名はスキールニル!神殺しを成す王の写本の一人!ヴァフスルーズニルには此れ以上手は出させない!」

スキールニルは中也に向けて再び剣を投げ込んだ。中也はヴァフスルーズニルから離れる訳にもいかず応戦するが、スキールニルの剣は重力が通用せず、距離を取らざるを得なくなる。

「ヴァフスルーズニル、立て!アンタには未だやるべき事があるだろ!」

スキールニルが其の隙にヴァフスルーズニルの傍に来て、彼を背に守る。

「スキ、ルニ、ル......」

「オーディンがアンタを待ってる。行ってやれ。」

「君は、如何す......?」

スキールニルは苦笑して静かな調子で云った。

「アタシは計画には余り必要なさそうだからな。精々要であるアンタ達の手助け位しかできやしない。だから、良いんだ。」

ヴァフスルーズニルはそんな事はない、とそう云いたかった。彼女はいつだって真っ直ぐで、口は悪いが優しくて、王の写本のために尽くしていた。

「オーディンも、アンタもこんな所で終わって良い人間じゃない。行け、アイツを助けてやってくれ。」

「......あり、がと。」

スキールニルはパチパチと瞬きをして、笑った。

「久しぶりに聞いたよ、アンタの感謝の言葉。やっぱりあの三体の中じゃお前が一番まともだな。」

そうしてスキールニルは戦場へと身を踊らせた。ヴァフスルーズニルは其れを見届け、彼の力を発動させた。

「ベル、ゲルミル......!」

ヴァフスルーズニルの身体から光が溢れる。彼の姿は光に埋もれていく。

「三体目......!?」

ヴァフスルーズニルの影はなくなり、巨大な人型が姿を現す。先程の巨人より小柄な巨人。

ベルゲルミルに戦闘能力はない。ただ、生き残り、あらゆる困難から逃れるための巨人。

「手前......っ!」

「中也さん、巨人は僕が追います!中也さんは作戦の遂行を!」

中也は任せるとだけ云って、雑居ビルを目指す。阻むはスキールニルと其の剣だ。

「行かせない!」

「......止めさせない。」

スキールニルの剣を止めたのは鏡花と《夜叉白雪》だ。鏡花は無言で中也に先を行くよう促す。

「すまねえ、鏡花。頼む。」

中也は雑居ビルに再度侵入していった。

鏡花はスキールニルに厳しい視線を送る。

「貴女は如何してこんな事をしているの。」

「如何してだと?アタシ達の願いを叶えるためだ。」

「本当はこんな事したくないって思ってる筈。」

鏡花の言葉にスキールニルは目を丸くした。

「成る程な、アンタは確かに光だが......昔は闇にいたクチだな。」

スキールニルは大剣を手に俯く。

「アンタは此の目を知ってるか?歩って奴と同じで見た人間が光か闇か、その強さや色合い、深みから其の人間が何処に属しているかも分かる。そして、其れは......」

自分にも当てはまる。

スキールニルは呟くように云った。

「分かる、分かるさ。自分が悪い事してるなんて事。何かする度に王の写本が闇に堕ちていってる事。アンタ達は自分の顔を鏡で見ても自分の顔しか見えないだろ?でも、アタシ達は自分がどんどん闇に染まって濁っていってるのが此の目ではっきり分かる。」

それでも、とスキールニルは大剣を持つ手を震わせて云った。

「やらなくちゃ前に進めないんだよ!自由になれないんだよっ!」

スキールニルは鏡花に大剣を投げ付けた。空中で回転した大剣は意志を持っているかのように激しい剣戟を奮う。鏡花も《夜叉白雪》で対抗する。

大剣は力で、《夜叉白雪》は速さで。其の強さは拮抗しており、無数の金属音がひっきりなしに鳴り響いた。

「貴女はきっとやり直せる。」

「無理だ。アタシは王の写本でしか生きていけない。あの神様って奴にアタシは両親を殺された。どっちも焼き殺されてたんだ。何も悪い事なんてしてないのに。......アタシはどれだけ闇に沈もうと神殺しを成す!」

スキールニルの想いに応えるように大剣が《夜叉白雪》に振り下ろされた。《夜叉白雪》が吹き飛ばされ、建物に叩き付けられる。

「終わりだ!」

スキールニルの大剣が、遂に鏡花に振り下ろされようとした。

「終わりなのはそなたじゃ。」

ブシュッ!!と液体が噴出する音にスキールニルは瞠目する。次に鮮烈な痛みがスキールニルを貫いた。

其れは背後からの一撃。スキールニルの胸を貫く刀身。

「か、はっ」

「鏡花を傷付ける事は私が許さぬ。《金色夜叉》。」

吐き出した血が道を濡らす。スキールニルが振り返り、襲撃者を確認した瞬間、刀が引き抜かれた。其処にいたのは《夜叉白雪》にも似た異形と着物を纏った美しい女性、尾崎紅葉だった。

「此処で、アタシ、は終わりかぁ......」

大剣が力なく地表に落ちるとほぼ同時にスキールニルは倒れた。

「鏡花よ、無事かえ?」

紅葉が鏡花に尋ねれば、鏡花は頷いた。

「......スキールニルが。」

「急所は外しておる。探偵社の女医が来るのであろう?ならば治癒できる傷じゃ。其の後の事は好きにすれば良い。」

「......ありがとう。」

紅葉は片手をひらりと振って去っていった。鏡花も其れ以上は何も云わなかった。


中也はアウルゲルミルの地震によって倒壊寸前の雑居ビルを慎重に進んでいった。

『中也さん。』

頭の中で声が響く。射鹿まりの異能力によるものだと分かると、中也は耳のインカムに手を当てた。此れは射鹿まりの異能が一方通行であるためである。

『オーディン現れました。狙撃いつでも行けます。』

「合図は俺がする。他に異常は?」

『巨人が接近中です。多分、オーディンの救出かと。』

中也が窓から外を見ると、確かに巨人の足が見えた。

「まずいな......」


「芥川龍之介の......そうだ、頼む。」

オーディンは屋上にいた、スマートフォンで誰かと話しているようだった。焦燥感のある声音が追い詰められている事を示していた。スマートフォンを仕舞ったところで太宰と芥川が現れた。

「もう鬼ごっこは終わりかな?」

太宰が先程までのオーディンと同じように挑戦的に云った。

「我々は終わる訳にはいかない。負ける訳にはいかない。」

「ならば、死ね。」

芥川の黒獣が襲い掛かるが途中で壁にぶつかったように弾かれた。

「往生際が悪い......!」

「直にヴァフスルーズニルが来る。今回は此処までだが態勢を立て直し、再び君達の脅威として現れてみせよう。」

太宰は、そうかいと目を伏せた。

オーディンがフェンスに手を掛けた。ヴァフスルーズニルが近くまで来ている。敦が止めようとしているようだが、動きは衰えない。

「けれど、私が君が屋上に来て、ヴァフスルーズニルと逃走を計る、此処まで全てを読んでいたとしたら?」

「何......?」

「そうだろう?中也。」

屋上に中也が現れ、声を張り上げた。

「射鹿、撃て!」

其の声はインカムを通じ、射鹿まりの耳に届いた。

届いた、筈だった。

『撃て、ない......』

オーディンを屋上まで追い詰め、狙撃にて行動不能にする、其れが太宰の作戦だった。そして、狙撃に関してはポートマフィアの方が優秀な人材がいる、そう踏んで太宰が中也に人選を依頼した。抜擢されたのが射鹿まりだった。性格はああだが、戦闘、特に狙撃に関しては射鹿は群を抜いていたからだ。

『何で何で、何でよ!指が動かない、何でっ!!??』

「射鹿、おいっ!」

中也の頭に射鹿まりの絶叫が反響し、そしてぶつりと途切れた。

「何だってんだ......!?」

オーディンがほくそ笑んだ。

「異能力《高き者の言葉》。」


「何、何で、何で......わたし、中也さんの役に立ちたいのに......!」

人影が見えた屋上に来て身を潜め見てみれば、其処には射鹿さんがいた。射鹿さんは身体をぶるぶると震わせ、狙撃銃を落とした。

「わた、わたしは......え、わたしって何で......」

虚ろな目でぶつぶつと何かを口にしていて、中原幹部の声が機材から響いていた。

「いや、いやぁあああっ!!」

射鹿さんはバタバタと私がいる事にも気付かず走っていってしまう。データによれば作戦上、射鹿さんは重要な役割を担っていた。

私は射鹿さんが落とした狙撃銃を拾い、構える。スコープを覗くと、太宰さんや芥川さん、中原幹部、そしてもう一人......。

「オーディン......」

追い詰められている筈なのに笑っているオーディンに私は厭な予感を感じ、インカムで通信を繋げる。

「フェージャ、聞こえてますか?」

『ええ、如何しましたか?』

「至急オーディンの異能力について知っていることがあれば教えてください。」

フェージャはあの男ですか、と知っている素振りであった。

「オーディンの異能力は《高き者の言葉》。......歩はサブリミナル効果を知っていますか?」

ある知覚刺激が非常に短時間であるなどの理由で意識としては認識できないが、潜在意識に対して一定の影響を及ぼす効果。洗脳やマインドコントロールに使われる事もあり、例えばテレビ番組などでサブリミナル効果が発生するコマの挿入は全面禁止となっている。

「《高き者の言葉》は正に其れです。触れた人間の潜在意識に上限三つの命令を与え無意識にオーディンに従わせる異能力。」

「触れた人間の......」

『例えば、触れた人間に対してオーディンが組織を裏切れと命じた場合、そんな心算もないのに裏切らざるを得なくなる。どんなに忠誠心があろうともほぼ無意識の内に組織を裏切る行動を取る。』

フェージャの言葉から分かるのは、オーディンの異能力が如何に脅威であるか。

そして......

「私の目はもしかして、オーディンに操られている人を識別できない......?」

『はい、ですからポートマフィアにも複数彼に操られている人間がいる可能性が高いかと。』

では、あれは......射鹿さんは......。

「フェージャ、もう一つだけ。」

フェージャは勿論です、と慎重な声音で応えた。

「オーディンを殺せば、操られている人は救われますか?」

『残念ですが、否としか云わざるを得ませんね。彼等が解放されるには命令を完遂するしかないでしょう。』

解放されたとしても彼等の口から出る言葉は。

こんな事をする心算じゃなかった。
此れは自分の意志でやったんじゃない。
そうして、心が壊れる人も少なからずいるのだと。

ずしりと心臓に重りが載ったような気がした。

何故、如何して。

世界は、人は、中原幹部を苦しめるんだろう。

私はこんなにも無力なんだろう。

「......でも、今は。今やるべきは。」

オーディンを殺す事だ。此れ以上、彼の異能力によって自由を奪われる人間を減らす事だ。


オーディンはフェンスにもたれ、三人に語り掛ける。

「俺の異能力は人を殺せと命令しても、恐怖心などが上回って棄却される事もある。だから、君の忠実なる部下にはこういう命令を下しているんだ。」

オーディンは中也に視線を送った。

「中原中也を首領にしろ、と。」

中也の表情が瞬間、強張った。

「俺の部下に手出したってのか......!」

「当然だ、もうずっと前からな。ポートマフィアも我々の自由のために邪魔な存在になる可能性が高い。此の目があればポートマフィアの構成員など街で幾らでも見付けられる。」

中原中也を首領にするために必要な事、其れは現在の首領である森鴎外を消す事だ。中也の部下は其の厚い忠誠心をオーディンに利用され、今首領の死、及びポートマフィアを潰すために動いているというのだ。

「彼等には二つの命令が施されている。王の写本の構成員を絶対に傷付けない事、中原中也を首領にするための行動をする事。最後の命令は全てが終わり次第自害しろにする予定だったんだが。特にあの女は気難しいのか何か知らないが操り難かったから一つ命令を付け足さざるを得なかった。中原中也に恋をしろと。おかげであの女、莫迦みたいな恋愛脳になり、俺にも、君にも従順になっただろう?」

では、射鹿まりのあの行動の数々は全て。

自分の意志でなく、オーディンの命令によるものだという事か。

「手前っ、人の心を何だと思ってやがる!!」

中也がオーディンに殴り掛かろうとするが、太宰が其れを止める。

「中也、落ち着け。オーディンの思うつぼだよ。」

「太宰......糞っ!」

中也は歯を食い縛り、怒りを抑える。

「大局を見ていたのは矢張り我々、という事だ。」

オーディンは薄い笑みを浮かべ、手を伸ばしてきたベルゲルミルに乗り込む。

「それでは、また。次会う時、ポートマフィアがどのような変貌を遂げているか楽し......」

ダァン!と銃声が一発高らかに響いた。

オーディンの右腕の肘から下が銃弾によって吹き飛んだ。オーディンはよろめき、状況が理解できないのか固まった。其れは中也達に関しても同じだった。其処は射鹿まりが狙撃地点としていた場所だった。だが、彼女は撃てず、逃げ出した筈だ。

更に一発、銃声が鳴る。

次はオーディンの腹部を貫いた。

「がっ、ぐう......!」

巨人が身体を回転させ、防ごうとするが寸前にオーディンの胸を致命的な一発が穿たれた。

「ああ、君......か。成る程、以前とは比べ物にならない。禍々しい、闇の......」

オーディンは血を吐き狙撃者の方を一度見て、そしてベルゲルミルの手の中に倒れた。

「おとう、さ、おか、さ、に......おれも、そっち、に......」

オーディンは目を閉じた。

ベルゲルミルが絶叫染みた雄叫びを上げる。オーディンが死亡したのだろう。正体不明の狙撃者を睨む。だが、ベルゲルミルに戦闘能力はない。攻撃する事もなくオーディンを手に煙を発しながら消えていった。

「太宰さん、すみません。あの巨人、攻撃が一切通らなくて。」

敦が雑居ビルの壁を登り、屋上にやって来た。

「三体目の巨人は想定外だったから仕方ないよ。敦君、よく頑張ったね。」

「いえ、すみません......」

敦は悔しそうに眉を歪めた。

「其れより次の行動に早急に移る必要がある。このままでは森さんが危ない。」

「建物も倒壊寸前みたいです。早めに脱出しましょう。」

敦と太宰が屋上から出て行く。だが、中也はずっと狙撃者が居たであろうビルを見詰めていた。

「中原さん......」

芥川が声を掛けた事で中也は現実に引き戻される。分かってると短く返し中也は屋上を静かに去っていくのだった。


射鹿さんの置いていった狙撃銃の引き金から手を離し、息を吐いた。狙撃はできない訳ではないが、得意という訳でもない。最初は外してしまい、腕に当たった時は心臓がひやりとしたが。

機材から中原幹部の怒声が聞こえた。オーディンの声も聞こえた。

中原幹部の部下の何人かにオーディンの伏兵がいる。

「何で中原幹部ばかり......」

私が初めて中原幹部と会った時もそうだった。信頼していたであろう部下が悉く裏切りを起こしていた。

そうして責任を取るのも、処分を下すのも、いつも中原幹部だ。

私は射鹿さんの狙撃銃を置きっぱなしのライフルバッグに仕舞い、其れを背負って立ち上がった。

「......中原幹部を傷付ける人は誰であろうと私が殺す。」

中原幹部は裏切った構成員を処分する時、無表情になる。だが、瞳は悲しい色を宿す。此方が泣きそうになる程の。其れが見たくなくて、私は......。

「私は、殺せる。私が、全て背負う。そのために、今の私がいる......!」

私は屋上から降りて、バイクに狙撃銃を載せ、走らせた。目指す場所はもう決まっていた。



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