其の二十一

また、だ。

また私は扉の先にいる。

赤く染まった世界に私は立っている。

以前は両親がいた。私の前にだ。けれど、今はもういない。振り返れば、遥か彼方に両親と思われる二つの影があった。

「漸く此処まで来たか。」

二つの影から前方へと視線を移動させると男が立っていた。漆黒の髪に金色の目を持つ、知らない顔の男だった。

「お前に生きる価値などない。」

男は突然そう口にした。そんな事、随分前から知っている。私は自分で自分の生きる意味を見出だせない。自分で死ぬ事もできない。だから、他人に縋り、組織にぶら下がる。

「だが、俺はお前の価値を知っている。」

男は嘲笑を張り付けたような顔をしていた。その顔を見るだけで嫌悪感が沸き上がってきた。気持ち悪くて、吐き気がした。理由は分からない。だが、絶対に関わってはならないと私の胸の奥底にある何かが云った。

「お前の価値は死ぬ事だ。死しかお前を価値あるものにはできない。」

何を云っているのか分からない。死ねば全てが終わる。価値なんて概念そのものがなくなるのではないのか。

「あなたは......誰、なんですか。私の何を知ってるんですか......!」

「思い出せ。そして、俺の元へ戻ってこい。俺が無価値なお前に、価値を見出だしたのだという事を忘れるな。」

男が消えていき、私には光が差した。きっとこの光を辿れば私は目を覚ます事ができる。

けれど、私があの場所に戻って良いのか分からない。生きて良いのか分からない。

このまま死んだ方がマシなのかもしれないのに。

それでも光は私に戻るように強いるのだ。


私が目を覚ますと、乱歩さんが寝台の横にある椅子に座っていた。

王の写本の構成員と対峙し、敗北した。殺される、直前だったように思う。それから私は多分......誰かに助けられて、与謝野さんに治療された。与謝野さんじゃなければあの怪我は治せない。

「乱歩さん......」

「歩、平気?何処か痛みは?」

「与謝野さんが異能力を使ったから私は生きてるんですよね。だったら痛みなんてある筈がありません。」

私は冷ややかに答えた。乱歩さんが薄く目を開ける。何を考えている、と低い声で問われる。

「王の写本の事、私は何も知りませんでした。ポートマフィアからも、探偵社からも情報が一切入ってきませんでした。」

「偶然が重なっただけだ。」

「あなたが偶然なんて言葉を使うとは思いませんでした。」

私は寝台から降りて、サイドチェストに置かれていた拳銃やナイフを装備する。

「探偵社もポートマフィアも王の写本を追っていたのはもう知っています。それに......フェージャが云っていた事も繋がった。」

王の写本は私を狙ってくるだろう。ならば知らなければならない事がある。冷静になると、見えるもの、見えていなかったもの、目を反らしてきたものが明らかになっていく。

「今回の敦さん、芥川さん、太宰さん、中原幹部の計画は射鹿さんに関係ないと云われ、無意識に意固地になっていたんだと思います。でも、それ以外は......意図的だったように感じます。」

その答えは矢張り信用だろう。本来は探偵社単独で王の写本の案件は解決し法の下裁こうとしたに違いない。ポートマフィアが先に動けば殲滅させていただろうから。よってポートマフィア構成員である私からの情報漏洩を防ぐため、私に情報は渡らなかった。

そして、ポートマフィア側も全く同じ事を考えていたのだろう。

つまり、今回の四人の計画の伝達によって、私は王の写本の存在を初めて知らされる筈だった。しかし、射鹿さんと私の行動によって最終的に私に情報は一つも残されなかった。

「偶然は重なってなんていません。一つだけです。後は全て私の信用の問題でしょう。」

契約ではどちらの重要な情報も絶対に口外しないと宣誓していたのに、それをどちらの組織も信じなかった。私は孤立していたのだ。そんな事も知らず私は......。

「何故私を生かしたんですか?私の生きる場所なんて、もう何処にもないのに。」

「違う。僕達は君をこれ以上危険な目に遭わせたくなかっただけだ。」

乱歩さんは真剣な表情で云った。

「探偵社にいれば、君は殺伐としたあの世界から脱せられる。大きな怪我もなく、平和に過ごしていけるんじゃないかって。それを証明したかったんだよ。」

実際は違ったのだと乱歩さんは悲痛を滲ませた。

「君は何かと大怪我を負った。皆や依頼人を庇ったり、戦闘に巻き込まれたり、これではポートマフィアといた頃と変わらないんじゃないかって。そんな時、王の写本の情報が入った。絶対に大きな戦闘になると僕も確信した。だから......」

私はそうですか、と乱歩さんの考えならそうなるのだろうと頷いた。怪我は決して探偵社が悪い訳ではない。私が不甲斐ないからだ。この事態を引き起こしたのも全て私の責任なのだ。

「分かりました。」

私はオフィスフロアに入って予備の衣服を持ち出す。着替えて、最後に白衣を羽織った。

「何処に行く気?素敵帽子君は此処で居ろと云っていたよ。」

「家に帰ります。」

「それからは?」

「私のすべき事をします。」

私はオフィスフロアにある自分のものを全て片付け、鞄の中に入れる。自分が居たという痕跡を全て消し去る。

「僕が王の写本について黙っていたのはもう一つ理由がある。」

乱歩さんが出ていこうとする私に声を掛ける。引き止めようとしている訳でもなく、ただ伝えるためという風だった。

「王の写本は君を殺すための組織というだけじゃない。君に真実を突き付け、君の心を踏み荒らす、そんな組織だから僕は君と関わらせたくなかった。」

乱歩さんは優しい。初めて会った時は感情に左右されず、冷静に時に残酷に真実を告げる人だと思っていた。けれど、この人は探偵社が大好きで、社長を、社の皆を大切に思っているとても人間らしい人だ。

「乱歩さん、ごめんなさい。」

「......何で、君が謝るの。」

「強くなれなくて。探偵社にいたのに、学べる機会は沢山あった筈なのに。」

探偵社で学び、強くなれと乱歩さんは私に命じたのに。私は乱歩さんが望むような、期待していたような人間にはなれなかった。

「私、探偵社が好きでした。探偵社にいれば沢山の出会いがあって、人を殺す仕事もなくて、平凡な生活が......そう、織田作さんが私に望んでいた生活が送られていたような気がしていたんです。」

楽しかった。探偵社は心地良かった。ポートマフィアにはない温かさがあった。絆が、繋がりがあった。人生に分岐点があって、違う道を選んでいたなら、きっとこんな世界にいたのだろう、と少し羨ましく思ったりもした。

「でも、誰も自分の事を必要としていない、居ても多大な迷惑を掛ける......そんな世界でのうのうと生きていられる程の強さを私はこの先も絶対に持つ事なんてできません。」

今までありがとうございました。 そう深く頭を下げ、乱歩さんの顔は見ずに探偵社を去った。もう乱歩さんと会うこともないかもしれないと考えると胸がじわりと染みるように痛んだ。


私はアパートの階段を駆け上がり、玄関扉を静かに開けた。

「おかえりなさい。」

そんな柔らかい声に少しだけ泣きそうになった。強く瞬きをして涙を堪え、フェージャが居るであろうリビングへ向かった。

「フェージャ、ごめんなさい。」

「謝る前に云う事があるでしょう?」

フェージャは微苦笑して云った。私は喉から何かせり上がってくるものを感じ、吐き出すようにただいま帰りましたと口にした。

「良い子です。それで、何故謝っているのですか?冷蔵庫で保管していたぼくのプリンでも食べましたか?......まあ、買ってもいませんが。」

「この部屋を出る事になりました。今すぐです。」

フェージャは今すぐですか?と吃驚した顔をした。

「それは困りましたね。今日の宿を探さないと。」

「それと、フェージャに聞きたい事があるんです。」

私には余裕がなかった。時間的にも、心理的にもだ。

「......歩はぼくがこの部屋に居候する時に出した条件を気にしているんですね。」

フェージャの言葉に私は俯く。フェージャが出した全ての条件において、此処にいる間、此の部屋でという文言があった。此処を出れば、私はフェージャに干渉できない。フェージャに実力行使をするという選択肢もあるが。

私はフェージャにそんな事をしてまで情報を聞き出す権利はない。

「歩は優しいですね。優しくて、いじらしい。」

フェージャは私の頬を撫でる。

「ぼくもそこまで狭量ではありません。それに仲違いした組織の情報を渡す程度如何とも思いません。」

「フェージャは......全部分かってるんですか?」

「ぼくは歩の味方です。それはずっと変わる事はありません。ぼくは歩が無償でぼくの事を信じてくれたように、何があろうと無条件に貴女を信じます。ぼくが貴女にあげられるものがあるなら全て差し上げます。」

フェージャは謎めいた笑顔を浮かべ、私の前で跪いた。ポートマフィアの最敬礼のように頭を垂れたフェージャに私は何でと問いかけた。

「何でそこまでするんですか。私なんかのために。」

「ぼくは貴女が思っているよりずっと強かなんですよ?」

フェージャは私の右手を取る。

「ぼくはずっと待っていたんです。貴女がぼくが貴女に抱いている感情を知るのを。」

「フェージャが私に......?」

フェージャはゆっくりと唇を動かし、言葉を紡ぐ。

「ぼくは歩に恋をしています。」

声とも息とも判別のつかないものが口から零れた。

「......じゃあ、今までのって。」

「云ったじゃないですか。ぼくは本気だ、と。」

恋。私が中原幹部に抱いている感情。

「フェージャも......痛かったんですか?」

「痛かった......。そうですね。貴女が他の誰かの事で胸を痛めているのは苦しいものがありました。ぼくならば歩にこんな思いはさせないのに、と何度も思いました。」

フェージャも私と同じ思いをしていたのか。私にずっとあしらわれ続けてそれなのに、私の傍にいてくれたのか。

私には絶対そんな事できない。私ならきっとそんな生活耐えられず逃げてしまう。

私ががくんと両膝を床に着けると、フェージャが腰を支えてくれる。

「ごめんなさいっ、フェージャの事傷付けて、私、ずっと......」

言葉が纏まらない。息が詰まる。辛いのも痛いのもフェージャなのに。私に苦しむ資格なんてないのに。

「歩、ぼくは痛みも貴女とのものならば愛しいものに感じています。全て大切な......ぼくだけしか持てないものですから。」

「フェージャ......」

「それに返事も必要ありません。答えは分かっているので。」

私はハッとして顔を上げる。フェージャは良いんですよ、とはっきり私に告げた。

「ただぼくに貴女の力になる事、貴女を好きでい続ける事、その許可をください。それだけでぼくは十分ですから。」

「そんなの......」

フェージャが苦しいだけなんじゃないか。このまま別れた方が良いんじゃないか。

「私、は......」

「ぼくのためを思うなら、一度頷いてください。それで構いません。」

私はフェージャを見上げ、呆然とした儘頷いた。フェージャはそれで良いのです、と私の背中を一回軽く叩いた。

「それではこの話は終わりにして準備をしましょう。」

「え......」

「この部屋を出るのでしょう?なら、片付けをしないと。......断捨離、でしたか?捨てるべきものは全て処分しましょう。」

フェージャはてきぱきとリビングを掃除し、荷物の取捨選択をしていく。私も寝室を綺麗に整え、バイクに積めるだけ荷物を詰めた。

「歩、それで宿は決まっているのですか?」

フェージャはタンデムシートに乗り込んで云った。私もヘルメットを被り、一人だけ当てがあるのだと返した。

「......察しが着きましたが、ぼくを入れてくれるのか如何か。」

「説得、頑張ります。」

バイクのエンジンを掛けて走り出す。目指すのは、私が今最も信頼できる人の所だ。


「何なんだ、彼奴等は......!」

中也は王の写本の構成員が拠点としていたであろう建物に戻ってきていた。

歩が離れた事で戦う理由を失ったのか、歩を襲った二人は撤退したと中也は報告を受けた。敦と芥川が軽傷、太宰が右足の骨を折る重傷という被害はあったが。

中也は歩を探偵社に預け、完治したのを確認してから此処に来た。王の写本の構成員は当然居らず、其処にあったのは拠点周辺を囲んでいた筈の構成員の自殺後の死体だった。

「中也さん、死亡した構成員の処理終わりました。諸連絡は別働隊が行うそうです。」

「......分かった。」

射鹿の報告に適当に相槌をし、中也は部屋の内部に痕跡がないか確かめる。

「中也さん、王の写本の狙いが歩ならば歩を追放すればポートマフィアの今後の被害は......」

中也は鋭い殺気立った目で射鹿を睨む。射鹿はその迫力に後退りする。

「歩を貶めようとすんのは止めろ。」

「それは......!」

「俺はこれ以上、手前を嫌いたくねェ。」

云いたい事は分かるな?と中也が冷酷な声で尋ねると射鹿は細くはい、と応えた。中也はすっと射鹿から視線を外して別の構成員と意見を交わす。その間も射鹿は中也を見詰め、歯をギリギリと音が出る程食い縛っていた。

中也はオーディンとの会話を思い出していた。

「女の声、ヴァフスルーズニル、君の主、精神操作、足止め、自害......」

一つ一つを反芻し、繋ぎ合わせる。それでも分かるのは、王の写本の構成員が最低四人はいる事、オーディンの異能力が精神操作系であり、それによってこの構成員達は操られ、自殺に追い込まれた事。

「後は......太宰が何か知っている可能性があるって事くらいか。」

などと考えていると中也の懐から電子音が響いた。報告だろう、と中也はスマートフォンの通話ボタンを押すと、構成員の焦った声がすぐに届いた。

「は?歩がいなくなった?」

中也は耳を疑う。信じられず太宰に電話を掛けた。

「太宰、如何いう事だ!歩は何処にいる!?」

「残念ながら私にも分からない。ただ乱歩さんが云うにはとどめを刺したのは自分の発言だった、と。」

探偵社に預けておくんじゃなかった、と中也は後悔した。だがもう遅い。何か他に云ってなかったのかと太宰に問い質す。

「家に帰る、自分のすべき事をする、と云っていたみたいだけれど。」

中也は通話を切って、部下に後の事を任せ、歩が住んでいるアパートへと車を走らせた。移動手段にバイクを使っているかもしれない、と通った全ての道路において注意深く目を凝らしたがそれらしき影はなかった。

「また一人で突っ走りやがって......!」

アパートに着くと、階段を上り、歩の部屋の扉を叩いた。人の気配がしない。......鍵が開いている。

厭な予感しかしなかった。

中也は玄関扉を音高く開放した。

其処には何もなかった。

テーブルも椅子も、台所にあった調味料も、カーテンもテレビも本棚も何もない。この部屋で昨日まで誰かが住んでいたのかと思う程実感がない。

「何でだよ......!」

中也は苛立ちを隠せないままに部屋を出て階段を駆け下りてスマートフォンを取り出し、ある人物に電話を掛ける。歩が頼るとしたら此奴しかいないと考える程の人間。

『足立ですけど。何なんですか、中原幹部。』

寝起きのような返事が聞こえ、中也は神経を逆撫でされるも、平静を装って対応する。

「歩がいなくなった。何か知らないか?」

『......おれの所には来てませんよ。』

作良は冷たく云い切った。何か動揺すると思った中也は眉を寄せる。

『あんたに愛想尽かせたんじゃないです?』

「勝手な事云ってんじゃねェ!」

『歩はあんたに恋愛感情を持ってましたよ。ずっとね。でも、気付かなかった。知らなかったんですよ。その感情が何なのか。』

作良は淡々と語った。

『漸くそれが恋だって気付いて、けどあんたには射鹿って奴がいた。おれはあんな女の何が良いのか分かりませんが。自分よりスペックが高いあの女の方があんたの事を幸せにできるって考えたんじゃないですかね。そうでなくとも歩は誰も自分じゃ幸せにできないって考えてるんだから。』

その通りだった。歩は中也に幸せになって欲しいと、自分では幸せにできないからと云っていた。

『あと、あんたがもう一つ勘違いしてるようなんで教えておきますけど。歩はおれとは別に頼る事のできる人間がいますよ?ポートマフィアでも、探偵社でもない奴でね。』

忙しいんで失礼します、という声を最後に作良は通話を切ってしまった。中也は手掛かりを失うと同時に自分も知らない歩の交遊関係があった事を知る事となった。

歩の事で分からない事がまた増えた。

「否、高括ってたんだろうな。俺は彼奴の全てを知ってるって。」

中也は車に乗り込み、別の手掛かりを求めて道路を滑るように走らせた。


「と啖呵を切ったのにだよ。」

作良は大きく長い溜め息を吐き出した。彼の前には来訪者が二人いた。

「作良さん?」

「ごめん、此方の話。で、何だっけ。一晩泊めて欲しい?」

「そうなんです。一晩だけ泊めていただけたらと。できればフェージャも一緒に。」

作良は歩の後方でにこにこ笑っているフョードルと歩を交互に見た。

「良いよ。一晩と云わず、此処を拠点にしろ。部屋は空いてるから。」

「でも、中原幹部が......」

作良は多分来ないと首を横に振った。先刻の電話で一蹴したからだ。いなくなったと聞いて頼ってくれなかった事に憤りを感じ中也への対応も粗雑にしていたら、電話を切った瞬間に二人が来るのだから困ったものである。

「それで、何があったんだ?皆行方不明になったって探してる。最悪、謀反って思われるかもしれない。」

「私はもう何処にも居場所がありません。」

作良はそんな事ねえだろと否定する。それこそ今のポートマフィアにとって歩は幹部とまではいかないものの一部隊率いる事ができる程の地位と実績がある。

「重く考え過ぎなんじゃねえの?中原幹部ともうちょっとちゃんと話してみろ。」

「中原幹部の事は......もう良いんです。」

歩は無表情に云った。嘘だという事は作良にも分かったが作良は何も云わなかった。

「作良さんは王の写本という組織を知っていますか?」

「王の写本......?聞かない名前だな。」

「王の写本は私を殺すために作られた組織だそうです。」

作良は、は?と聞き返した。歩を殺すため?一体どんな理由があってだ。否、確かに歩もポートマフィアの一員として殺しを行ってきたが、態々歩を殺すのに組織を作る程なのか。

「私には生きる理由がありません。同時に死ぬ理由も、殺される理由もありません。......王の写本について、私の過去について調べる必要があるんです。」

そのために、と歩はフョードルに視線を送った。

「フェージャから話を聞き、調査に行く必要があります。それに王の写本が私だけを狙っているなら......ポートマフィアも探偵社も巻き込む訳にはいかないですから。」

だから、此処に長居する心算もないのだと歩は云った。

「因みにぼくは歩に暫くついていくので。」

フョードルもにこやかに宣言した。作良に挑発めいた視線まで浴びせてくる。

「歩、おれも行く。」

作良はその挑発に乗る形で云った。歩が何故?と疑問符を浮かべる。

「歩は居場所がないって云ったけど、おれはそれは違うと思う。だからその証明をする。お前にはポートマフィアや探偵社だけじゃない。他にも居場所はあるって事をだ。それに、だ。」

作良は得意気な笑みを見せる。

「実は買っちゃったんだよ。」

「何をですか?」

「まあまあ此方来いって。」

作良が外へ歩を誘導する。フョードルもそれについていくと、其処にあったのは......


作良さんに導かれるままに向かうと、其処には所謂キャンピングカーがあった。

「大きいですね......」

「バイクも二台積めるんだぜ。」

作良さんは車やバイクが好きで、キャンピングカーもずっと欲しいと云っていた。つい最近までキャンピングカーなどなかったから二三日前に買ったという代物なのだろう。

「因みに改造して対戦車砲が撃てるようになってるし、装甲も防弾仕様!凄くね!?」

それを本当にキャンピングカーと呼ぶのか、私には分からない。フェージャも渋い顔をしていたから同じ事を考えているかもしれない。

「てな訳で、行くならさっさと行こうぜ。」

作良さんは冷蔵庫から食料を取り出してキャンピングカーへ移していく。

「で、でも......」

「やるなら早いに越した事はねえよ。それに此処も敵がお前を確実に殺したいって思ってんならすぐ割れるだろうしな。追手が来るかもしれねえ。」

私のバイクや荷物も詰め込んで、作良さんが乗れよ、と指した。

「おれはこの足じゃ戦闘では足手まといになる。フェージャも戦闘力ない方だろ?」

「そうですね。あと、フェージャって呼ぶのやめていただけますか?」

「それしか知らないんだから仕方ないだろ!」

「伊藤と呼んでください。」

「何故に伊藤!?」

作良さんとフェージャがキャンピングカーに乗り、私に手を差し出す。行きましょう、と云うフェージャに作良さんも同意するように私を見る。

「よろしく......お願いします。」

二人は同じタイミングで任せろ、任せてください、と声を張り上げた。

私の殺される理由を求める旅がこうして始まったのである。

「で、行き先は?」

作良さんが運転席に着くと、振り向いて尋ねた。私は何とも云えず、フェージャに助けを求める。

「そうですね。では、東京に行きましょうか。」

フェージャは高らかに告げた。


「おい、名探偵。手前、本当は何か知ってんじゃねェのか。」

中也が最終的に選んだのは探偵社の、江戸川乱歩の力を借りる事だった。乱歩は中也を一瞥すると、僕は知らないと顔を背けた。

「太宰から聞いたぞ。手前は彼奴にとどめを刺したって云ったみたいじゃねェか。何を云った?」

乱歩は口を閉ざしたままだ。中也は更に乱歩を問い詰める。

「そもそも手前が何も分からないってのが一番おかしいんだよ。手前が歩の居所掴めねェ筈がねえ。」

「僕を買い被り過ぎじゃないかな、素敵帽子君。」

「買ってんじゃねェよ。できて当然だって云ってんだ。」

乱歩は事務机の上に置いてある駄菓子箱から棒菓子を一本取り出した。袋をバリッと開け、口に入れる。

「今回ばかりは僕は何も云えないし、云わない。歩の意思を尊重する。」

「歩は今王の写本に狙われてる。殺されるかもしれないんだぞ!」

中也は事務机を蹴りつけた。駄菓子箱の中身が跳ねて数個机に散らばった。

「君の所の首領は君に何と命じた。静観しろと云わたんじゃないの?」

五月蝿えよ、と中也は唸った。道中、中也には首領から連絡があった。歩君の事は放置で良い。それよりも王の写本の意向がポートマフィアの異能力者から逸れたか、探偵社と協力し警戒するようにと命じられていたのだ。

「歩は自分のすべき事をすると云っていた。僕はその言葉を信じている。素敵帽子君が何と云っても話す心算はないよ。」

乱歩が突き放し、中也は大きく舌打ちした。自分一人でも調べるしかない、と探偵社を出た。

「中也。」

そんな彼を呼び止めたのは。

「太宰か。......俺の事を笑いに来やがったか。」

「笑わないよ。乱歩さんは頑なでね。私や他の社員にも何も教えてくれないんだ。」

太宰は松葉杖をついて、中也に歩み寄る。

「王の写本が何故歩ちゃんを狙っているか。それが真実にそして、歩ちゃんに近付く道だと思う。」

中也は太宰の顔へ目線を動かした。手前がそう云うならそうなんだろうな、と中也は聞こえるか否かという声で云った。

「私も歩ちゃんを見つけたい。けれど、足がこんなだからね。行動範囲が限られてくる。」

「手前の足になれってか?」

太宰が口角を上げた。その通りだと云うように。

「なら、手前はその脳味噌フル活用して歩を見つけやがれ。」

「云われるまでもないよ。」

中也と太宰が拳を突き合わせる。黒社会最悪と謳われた二人が動き出した。


「ぼくが知っているのは王の写本が何故神を探し、殺そうとしているか。それと、構成員数人の異能力です。」

キャンピングカーはハイウェイを走り、東京を目指していた。それまでの間、フェージャから話を聞く。

「王の写本はある研究所に所属していた研究者やその被験者の子どもから構成されています。全員が異能力者、少数精鋭の小規模組織です。」

私は重要なワードを拾い集め、記憶と照合させた。グルヴェイグも研究所と云っていたがその関係だろうか。

「その研究所が設立されたそもそもの要因は先の大戦です。日本は戦争の予兆を感じ、欧州の異能力者、超越者と対抗するための異能力者の研究をしていたようです。異能力の制御などに関する異能力者を集めたり、異能力者同士で子どもを産ませたりとあらゆる方法を試したようです。」

「そんな簡単にできるもんじゃないだろ。戦争の形勢を覆すような異能力者が。」

作良さんが顔を顰める。フェージャも首肯した。

「その通りです。しかし、その異能力者は生み出された。詳しい日時は定かではありませんが成功したのは戦前だったそうです。」

只でさえ稀有な異能力者が生まれるのに一体どれだけの人間の命や自由が奪われたのだろうか。私には計り知れない。

「視認した異能力者の異能を詳細までとはいかないものの判別できるという異能力者が調べたところ、その子どもは人の生死を司る異能力だと判明しました。子どもはその研究所で神と崇められるようになったそうです。ですが、未だ戦前であり死人が簡単に出る訳でもなく、子どもの異能力の詳細を知るのは難航した模様です。」

それでも、その日が来た。研究所にいた研究者の一人が死亡したのだ。研究者達は子どもが生き返らせるものだと信じていた。

それは裏切られる事になる。いつまで経っても復活は果たされなかった。その子どもは異能力を発動する事がなかった。

よって、子どもは処分される事になった。使えない異能力を持つ子どもを養育する資金はその研究所にはなかった。

「その子どもは殺されました。そして、再び研究が始められる、筈でした。」

フェージャが云い淀む。私は何となく身構えた。

「子どもは生き返ったんです。何事もなかったかのように。その後も子どもは何度か処分を受けましたが、その度に生き返ったのです。」

「それはその子どもが不死身だったという事ですか?」

「それだけではありませんでした。子どもが殺される度、研究所の誰かが死んだのです。よって神を殺そうとしたため天罰が下ったと、呪いだと恐れられたそうです。」

つまり、その子どもの殺害による天罰や呪いによって亡くなった研究者達の子どもが、その子どもを殺すために王の写本を結成した。

そして、その神が私なのだと彼らは云う。

「その後、子どもは如何なったんだよ。」

作良が尋ねると、フェージャは首を左右に振った。

「それからの事は分かりません。王の写本から聞いたのはそれだけですから。」

「......私は矢っ張り神なんかじゃない。」

まず異能力が違う。私は神などと呼ばれるような異能力を持ち合わせてはいない。

「フェージャ、目については何か知りませんか?」

「その研究所では戦争における敵味方の見分けをつけるための目の開発、量産がされていたそうです。特異な力を宿した目、魔眼というのが正しいかもしれません。」

私の目は私自身の目じゃないのかもしれない。そう考えると少し辛い。

「私は研究所にいたかもしれません。でも、神じゃない。」

「東京には研究所の跡地があります。資料も少なからず残っていると思います。王の写本が管理している可能性はありますが、現時点ではヨコハマに大部分の人員が割かれている筈です。」

「......私が戦います。」

私はホルスターに入っている拳銃にそっと触れた。絶対に二人を守り、私は神ではないと証明する。真実を見付けてみせる。


「オーディンの異能力が何か分かるか。」

中也が車を運転しながら問うと、太宰は助手席で車窓の縁に肘をついて答えた。

「私も詳しくは知らないけれど、察しはつく。彼の異能力はマインドコントロールの類いだ。」

「マインドコントロール......確かにな。俺の部下も彼奴に命令されて死んでいた。」

中也も合点がいったようだった。触れた相手に対するマインドコントロール。それが異能力なら相当厄介な相手だ。

「手前の異能力無効化をしていれば部下は助かってたか?」

「多分無理だね。オーディン本人に触れるか、被害者の脳に直接触れるか、オーディンに解除させるか。選択肢はこの三つだ。」

「......そう、だよな。」

中也は苦虫を噛み潰したような顔をした。太宰も中也の部下に対する情の厚さを知っているからそれ以上は口に出さなかった。

「オーディンの事、知ってたのか?」

「噂や風聞の類いだよ。実際に存在しているとは思わなかった。」

太宰は真面目に解答していた。今回の案件は太宰にも精神的に堪えるものがあったようだ。

「ねえ、中也。」

「何だよ。」

「王の写本はきっと歩ちゃんを殺しても止まらないよ。」

中也は太宰の言葉に怪訝な顔だけ返した。

「王の写本が歩ちゃんに何故殺意を抱いているかは分からない。けれど、一人殺して過去が清算できるというなら私は......」

太宰が一度言葉を切った。中也は赤信号で停止した事もあってか自然と太宰に目を向けた。

「私は......とっくに森さんを殺している。」

「太宰、手前っ......!」

「しても無意味だと分かっているからしてないじゃないか。......とにかくだよ。王の写本にはそういう分別を付ける人間が誰もいないと思う。だから、歩ちゃんを殺しても何も変わらない、満たされない事に気付くのは殺した後だ。」

変わらない事、満たされない事は絶望を生む。その絶望を払拭するために彼らはまた動き始める。

「そうすると彼らが次にする事は?全てをやり直す事だ。リセットして一から始める。それができるものがヨコハマにはある。」

「本か......」

「そう。本を狙うなら必然的にヨコハマの異能力者と対峙せざるを得なくなるだろう。そうなれば、探偵社とポートマフィアも巻き込む抗争に発展する事は必至だ。」

彼らとはどちらにせよ戦わなければならなくなる定めだよ、と太宰は淡白に締めくくった。中也は一言も口出しできず、青信号になった道路をアクセルを踏んで静かに走らせた。

一方でフョードルもまた。

「ぼくが考えるに歩が死んだところで彼らが止まる事はまず有り得ないと考えます。」

奇しくも太宰と同じ考えを持っていたのである。


「彼らが止まる方法は全てをやり直す事。それが可能な本を手に入れる事しかないでしょう。」

「本ってあれか?書いた事が真実となるっていう白紙の文学書。ヨコハマの何処かにあるっていう。」

フェージャは頷いてみせ、話を続ける。

「彼らは白紙の文学書について知っていました。理由は、先程云っていた研究は白紙の文学書を悪と呼ばれる存在の手によって持ち去られ、人の生死を操るような事があれば、それを封殺できるようにという意図も含まれていたからです。」

私と作良さんは息を飲んだ。白紙の文学書の事は知っていたが、真逆ここまで壮大な話になるとは。しかもその渦中に私がいるとは。

「王の写本が抗争を起こそうものならヨコハマは火の海となります。」

ポートマフィアと探偵社も巻き込む大抗争が目に見えている。

「......中原幹部も。」

その前線に立つ事になるだろう。部下が何人も死に、でもそれでは終わらない戦いに身を投じる事になる。悲しむ暇さえ与えない戦いは精神を摩耗させる。

「......私が、何とかしないと。」

私にそんな力はないけれど、せめて中原幹部が。

中原幹部が好きな人と幸せに過ごせる。

そうなるように、少しでも私ができる事を。

「歩、フェー......伊藤?君目的地に着いたぜ。」

作良さんが停車させたので窓の外を覗き見ると、研究所の跡地......とは思えない建造物が屹立していた。これは......何だろう。洋館、というのだろうか。またはお化け屋敷か。夜なのでより一層不気味な雰囲気が漂っている。

「これが研究所......?」

「カモフラージュ......できてんのか?東京の山奥とはいえ秘密裏の研究をするにしては目立ち過ぎるだろ。」

作良さんが疑いの目で見ていたが、私も同じく感じていた。

「設計師という方が建てたらしいですよ。森と同化し、隠れるような外装だとは聞いていましたが。」

フェージャがキャンピングカーから降りて解説した。私と作良さんは顔を見合せ、納得する。

「......確かに、この場所に来るまで建物らしきものは見えなかったような。」

「何を目指してるか分からないまま森をひたすら突っ切ってた感あったもんな。」

「更に研究所というからには現代的な、無機質な造りなのではという先入観を持った者の目には捉えられない、そんな建物なのかもしれませんね。」

成る程、人の先入観すら利用して設計しているのか。凄い人なのだろうな、と誰かも分からない人を尊敬しながらキャンピングカーを降りる。

「作良さんは此処にいてください。」

「分かった。何かあったら連絡しろよ。」

フェージャは私について来そうだったが何も云わなかった。私ではフェージャを抑えられない事が分かっているからだ。

「では、行きましょうか。」

「......はい。」

私は二挺の拳銃がホルスターにある事を確認して歩き出す。洋館の玄関である扉の取っ手に手を掛け、細く開いた。中は暗く、奥が見えない。異能力が発動しないから安全ではあるだろうが、警戒しながら中へ入る。因みにフェージャは堂々と入っていった。肝が据わり過ぎている。

「フェージャ......」

「大丈夫ですよ。ぼくは此処に一度来た事がありますから。それに入った時点でもうぼく達の事は認識されています。こそこそする必要はありません。」

監視カメラ、熱源探知機などが玄関に入った時点で大量に設置されていたのだ。私達の位置は相手に確実に知られている。

「その通り!キミは既にボクの掌の上!堂々と弄ばれていれば良い!」

何処からか男の太く大き過ぎる声が響いた。耳を塞いでも聞こえるような声に私は辟易としながらも周囲を見渡す。すると、照明が突然明るくなった。

エントランスであろうシャンデリアが輝き、絵画や像などが飾る空間が其処にあった。目の前の壁は一面スクリーンになっており、発声源だろう男の顔が大きく映っていた。童顔である。

「ようこそ!王の写本に追われる鼠よ!」

王の写本構成員、トール。本名不詳。

異能力《アルヴィースの言葉》。

「フェージャ、彼の事を知っていますか?」

「ええ......ええ?」

最初は勿論覚えていますという風だったフェージャが徐々に首を傾け始め、遂には。

「誰でしたっけ?」

「ふざけるな!あれだけ散々ボクを虐めておいて!鼠風情が!今日こそボクはこれまでの恨みを晴らす!」

フェージャは一体彼に何をしたと云うのだろう。組織的目的である私の殺害すら霞む程フェージャへの憎悪が渦巻いている。トールと自称する男は手にあるスイッチらしきものを殴り付けるように押した。

何か駆動音のようなものが聞こえるのと共に床が振動する。否、床が下降しているのだ。

「これ......!」

「研究所は地下にあります。床がエレベーターの役割を担っているのです。」

エレベーターはどんどん下へ進んでいく。かなり深い。もし、この床しか脱出経路がないなら少し危険かもしれない。

「エレベーターの昇降操作はあのスイッチのみだと思いますか?」

「可能性はありますね。以前は一階にもボタンがあったのですが、見当たりませんでした。」

それに、とフェージャが付け加えた。

「ここを爆破するなりして埋めてしまえば研究所の存在も抹消でき、ぼく達を確実に殺す事ができますから。」

フェージャがすみませんと謝罪する。私は謝る必要はないと首を振った。敵組織の拠点、本拠地とはそういうものだ。いつでも捨てられるように、侵入者を完璧に殺せるように手配されているもの。

「フェージャ、もう一つ聞きたい事が。先程のトールという人の異能力は......」

「そうですね、トール君の異能力は......」

ガシャンと金属同士がぶつかり合う音がして床が停止した。下降したのは30メートル程だった。

白い床と壁の廊下が続いている。曲がり角がいくつもあり、かなり広い空間である事が見受けられる。

「ボクの異能力を改めて教えてやろうか!」

天井にあるスピーカーからトールの大声が響いた。私とフェージャは耳を塞いで耐える。大声で三半規管を攻撃する異能力なんじゃないかと思う程だ。

「この空間から日の出までに出られなかった人間を石にする異能力だ!」

「日の出まで......」

此処に入ったのは夜更けだった。日の出まで、あと4時間程度しかない。4時間で此処を攻略できるのか。

「歩、大丈夫です。」

フェージャが私の肩を軽く叩いた。

「分かった事があります。まず、ぼく達を生き埋めにする方法はないという事。侵入者はこの迷路のような場所とトール君の異能力で仕留める算段でしょうから。更にこういった空間系の異能力はこの空間の何処かにその異能力者がいます。トール君は絶対にこの中にいる。ならばスイッチを奪えさえすれば脱出は可能です。」

「......はい。」

「それとぼくは迷路もかくれんぼも凄く得意ですから。」

フェージャが天井の監視カメラを光のない目で見上げた。スピーカーからひえっとひきつけでも起こしたような声がした。

「こ、ここ、ここはっ!迷路だけじゃないからな!絶対攻略なんてできるもんか!諦めて石になって死ね!!」

スピーカーが沈黙する。まるで子どもの癇癪だった。フェージャはやれやれと溜め息を落として足を踏み出す。

「行きましょうか。」

「ですね。」

それからフェージャは無言で研究所を歩き回った。トールを探し、スイッチを奪取するのが先決という意見は一致しており、迷路は任せて欲しいと云われたため私はひたすらフェージャについていった。

フェージャは迷わず廊下を進んでいく。最短ルートを選んでいるのだろうか。曲がり角が複数あったりもしたが、意に返さない。

それでもどんな面積なのか、二時間が経過していた。廊下に並んでいたドアが研究者や被験者の部屋だとするならぞっとする程の多さだった。

「私も、この部屋の一つで過ごしたりしたんでしょうか。」

記憶はない。懐かしさを感じたりもしない。けれど、この目を持っている以上可能性はある。

「ぼくには定かではありませんが、資料を見たところで個人の特定はできないでしょうね。研究における被験者などは名前ではなく、番号で管理されているでしょうから。」

「そう、ですよね。」

何も覚えていない。それがこんなにも悔しいものだとは。

悶々と考えていたがフェージャに呼ばれ足を止める。目の前には刑務所のような鉄格子とその脇に小さな液晶とPCのキーボードのようなものがあった。

「パスワード入力......って事ですか?」

「ええ、そしてそのパスワードですが。」

液晶に表示されていたのは、4c3567587aという英数混じりの羅列だった。

「これってこのままがパスワードじゃ......ないですよね。」

「違いますね。......これは、16進数でしょう。」

16進数......と云われても私には理解できないがフェージャはキーボードを素早く打ってエンターキーを押した。

格子がゆっくり上昇していく。どうやら正解だったようだ。

「未だこういうものが続くんでしょうか。」

「時間稼ぎには有効でしょうからね。ぼく以外にはですが。」

フェージャの目がギラギラしている。捕食者の目である。ただフェージャがいなければ私は絶対に解けなかったため、フェージャがいてくれて良かった、心からそう思う。

その後も......

「ffe4c4......これも16進数ですか?」

「いえ、カラーコードですね。」

「edhdは......」

「シーザー暗号ですね。多分。渾身の悪口がこれなのでしょう。仕方ない人です。」

edhdが悪口......?矢張り理解できない。フェージャはこんなものは日常生活では使わないのだから、覚える必要はないのだと云った。けれど、フェージャがいなければ私は此処で何もできず死んでいた。

勉強しなければならない事が沢山ある。誰かを助けるためには。何かを守りたいと思うならば。

「これが最後だったようです。」

奥の扉の前で待っていたフェージャが云った。私も近付いて、扉に耳を当てると中から何やら喚き声が聞こえてくる。ありとあらゆる罵倒の言葉を大声で放っているようだ。

「入りましょうか。」

「は、入って良いんですよね?」

「敵に情けを掛ける必要はありません。」

フェージャは容赦なく扉を開け放った。ぴゃっ!!と何か可愛い悲鳴が聞こえた。

「鼠のくせに鼠のくせに鼠のくせに!入って来るなぁ!」

椅子の上でバタバタと暴れるのは先程スクリーンで見た男トールだった。童顔だが身長は190センチはあろうかという高さだ。そして声が女の子のように可愛いし、小さい。儚い声だ。あの野太い声は如何したんだろうか。

「彼、動画共有サイトで動画を投稿して生計を立てているんだそうです。あの可愛い顔に似合わない身長とおじさん声という凸凹感を売りにしていてかなり人気なようですよ。」

「でも、声......」

「変声機で変えてるんだよ!悪いか!」

精一杯の声なのだろうが、凄く小さい。可愛い。

「ボクは王の写本なんてもうどっちでも良いんだよ!てか、ボクのお金搾取されてるし?資金源ボクだから!ボクが稼いだお金だから!」

私達の邪魔をしたのはフェージャにズタズタにされたプライドを取り戻そうとしたからである。

「ボクの親は確かに死んだけど、神のせいじゃない。病気だったんだよ。インフルエンザだっけ?そんな身体で神を殺すためだとかって研究に没頭しちゃってさ?」

トールはポイッとエレベーターのスイッチと資料を私に投げ渡した。

「王の写本はさ、親を神の呪いだとかで殺された連中が其処の研究者に更に神殺しとして異能力開発された奴等なんだよ。神さえいなければ親も死ななかったし、自分も実験台にならずに済んだのにって。そんな境遇の奴等集めて組織作って。」

トールが心中を吐露するのを私達は黙って聞いていた。

「ボクは、この研究所から解放されたんだから態々自分から戦いにいかなくったってって思ったんだけど。もう自由なんだからって。でも、彼奴等は......」

止まれないんだと思う、とトールは語った。自分は神を殺すために自分の自由を犠牲にしたのだから、神を殺さなければと。神のために犠牲にした時間を取り戻さなければと。

「でもさ、その神もこの研究所で無理矢理作られてしかも要らないからって処分されそうになったんだぜ?......ボク達と同じかそれ以上に酷い扱い受けてたかもしれないのに。そんな奴を殺せるかよって。」

王の写本はもしかしたら......誰かに止めて貰いたいのかもしれない。自分を、王の写本という組織を。

「ただ鼠はぶっ殺したいんで王の写本に従ってます。はい。」

「あれ?ぼくが悪いんですか?」

「そうです、キミが悪いんです。」

ふふふと悪びれもなく笑うフェージャにトールは叫びながら地団駄を踏む。フェージャとトールは何というか......中原幹部と太宰さんの関係に似ているような気がした。

「キミは帰って良いよ。ボクの異能力、常時発動型だから。あと20分位で石になるよ。」

私にトールがそう提示した。良い人だ。けれど、私はフェージャを置いていく訳にはいかないのだ。

「フェージャは......私を助けてくれた人なので。一緒に帰りたい......です。」

トールは唸る。私が更に肩を落として、駄目ですか?と問うと、トールは長く唸った。

「まあ、今日位は許してやっても良いけど?」

顔を赤くしてトールが云った。私は歓喜の余りトールの手を握って振った。

「ありがとうございます!」

トールはとても良い人だ。善人だ。

「ばっ、譲歩!譲歩だからな!分かってるな!分かってるよな!?」

トールは私の手を振り切ってフェージャに詰め寄る。

「分かってますよ。また来ますね。」

「ああ、今度はけちょんけちょんにしてやるからな!」

トールは此方から行けば近道だと、部屋にあった別の扉を開けてくれた。別れを告げ其処から続く廊下を進むと、10分でエレベーターに着いた。スイッチを押して、エレベーターを上昇させる。

「戦わずに資料もいただけて......本当に良かったです。凄く良い人でしたね。」

「王の写本であんな風に自分なりの考えを持っているのはトールだけですが。」

洋館に戻り、窓の外を見れば空は白んでいた。トールの異能力からは間に合ったらしい。

一先ず安心していると、ゴッと轟音が外から鳴り渡った。私はぎょっとして思わず玄関から外に飛び出す。音がしたのは作良さんがキャンピングカーを停車させていた付近だ。

「作良さんっ!!」

目に飛び込んできたのはキャンピングカーに巨大な剣が激しく打ち付けられた瞬間だった。ガンッ!!と装甲と刃が交錯し火花が散る。跳ね返った剣が空中で回転し、また装甲と激突する。持ち主の姿が見えないのに剣だけが自由に跳躍し、剣戟を放つ。

「硬いな、おい。」

洋館の屋根の上に人影があった。

「アンタ等が此処に来るのは分かってた。この研究所には情報もあって御しやすいトールの野郎がいる。」

剣がその人影の元に戻り、手の中に収まった。黒を基調とした制服のような戦闘服にグレーの長髪が映える。つり目がちの強気で美しい顔立ち。

「アタシはスキールニル。神殺しを成す王の写本の構成員だ。」

王の写本構成員、スキールニル。本名不詳。

異能力《スキールニルの言葉》。

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