其の二十

※痛い?グロい?シーンがあります。気をつけてください。Q君の口調迷子。雰囲気読みでお願いします。


厭な音が聞こえた。久しぶりに聞いた、けれども慣れてしまった厭な音。異能で警鐘が鳴っていたとはいえ状況から躱す事もできず屈強な男の殴打を腹部に受けた私は肋骨を二本折って探偵社に帰還した。

「本当に大丈夫だったんですか?」

「はい。何とか......」

「凄いなあ!僕ももっと歩さんのように上手く立ち回れたら良いんですけど。」

「否、それは敦さんの方が凄いかと......」

任務を共にしていた敦さんに称賛されるも残念ながら骨を折っている時点で上手く立ち回れているとは云えない。

二人でエレベーターに乗り、上階の探偵社事務所を目指す。

「報告書を作って、乱歩さんの依頼に同行して......」

もうすぐ探偵社への出向が終わる。その日まで自分のできる事を一つずつこなしておかなければ。

「余り無理しないでください。僕じゃ頼りないかもしれないですけどお手伝いしますので!」

「ありがとうございます、敦さん。」

軽く頭を下げようとして折れた肋骨が痛んだ。それでも表情には絶対に出さないよう心掛けて扉が開いたエレベーターから降りる。

「ただいま戻りました!」

敦さんが元気良く挨拶をし、対照的に無言で席に戻った私は報告書作成のため自前のノートパソコンを開いた。

「歩。」

乱歩さんに呼ばれ、ノートパソコンをスリープ状態にし乱歩さんの執務机へと足を運ぶ。

「君、此処数日で何回目?」

「何の話ですか?」

乱歩さんは革張りの執務椅子にどかりと座り、棒付き飴で私を指すように向けて切り出した。私は分からないふりをして無表情で対応する。

「肋骨折れてるよね?」

「......折れてません。」

「僕に嘘が通じない事が分かっていて云っているの?」

乱歩さんがガリッと飴を噛み潰した。パキパキと乾いた音が乱歩さんの口内から響く。

「昨日も任務で怪我してたし、その前もそう。君、仕事をする気があるの?」

乱歩さんの言葉は淡白で、それが逆に私の胸を抉る。

「迷惑ならクビにしていただいて構いません。帰る準備はできているので。」

「僕はそういう事を云ってるんじゃない。」

乱歩さんの声が一瞬で厳しくなった。私は乱歩さんを直視できず俯いて、すみませんと謝罪する。

「僕は今の君に仕事は任せられない。」

「......はい。」

「素敵帽子君と何かあった?」

私は反射で顔を上げたが、直ぐに視線を下に戻した。

「......いえ、何も。」

「なら僕は何も云わないけど、早めに解決した方が良いよ。」

「......解決の仕方が分かりません。」

良かれと思って、中原幹部のためにした事が中原幹部を傷付けてしまった。なら、私は如何すれば良いのか。

「君が素敵帽子君のためにと考えた事は確かに素敵帽子君の将来や地位を考えたなら正しいのかもしれない。」

乱歩さんがラムネをごくりと飲み込む音が聞こえた。

「でも、それは素敵帽子君自身にとって正しいとは限らないだろう?」

私はゆっくり顔を乱歩さんの方に向けた。

「自分にとって何が正しいか、決めるのは自分だ。そうだろう?」

そうか、私は自分が正しいと思った事を中原幹部に押し付けた。中原幹部の意志など聞かずに。

「それにね、探偵社の調査員もそうだけど、ポートマフィアの構成員、幹部だっていつ死ぬか分からない、そんな日常を送っている。将来の事なんて分からない。なら今が大事だと考えない人間がいない訳がない。」

「中原幹部にとって、今が大事という事ですか?」

さあね、と乱歩さんは執務椅子を回して反対側に向いてしまった。

「痛むなら与謝野さんに診て貰いなよ。切り刻まれるかもしれないけど。」

「そうします。ありがとうございました。」

私は肋骨が痛んだが頭を深く下げた。痛みからかそれとももっと別の感情からか少しだけ目元が熱くなった。


昼休憩で私はスマートフォンの画面を睨んでいた。

「如何したんですか?」

宮沢さんに背後から声を掛けられ、びくりとしながら私は振り返った。

「謝罪文をメールで送りたくて。でも、如何書けば良いのか分からなくて。」

「その人とはお会いできないんですか?」

「忙しい人で......」

宮沢さんはそうですか、と相槌を打った。

「自分の気持ちをそのまま書けば良いんですよ。」

「そのまま......?」

「ええ。ありのまま書けば良いんです。心を込めた文章ならきっとその人の心に届きますよ!」

宮沢さんの純真な言葉に私は強く頷いて応じた。画面を指で操作して自分の一番伝えたい事を少しずつ単語に、文章にして打ち込んでいく。

「......これで。」

これで良いだろう、と何度も見直して納得した時だった。探偵社のオフィスフロアの扉が開いた。

その人は探偵社の人ではなかった。

射鹿まり、その人だった。

私はスマートフォンを仕舞って立ち上がった。

「射鹿さん、如何し......」

「ごめんなさい。貴女に用はないの。すみません、太宰さんと中島さんという方に会いに来たのですが。」

私に冷たい声で云い放ち、事務員の一人に人当たりの良い笑顔で尋ねた。私は席に戻って、真っ黒な画面のノートパソコンを見ていた。

そもそも私は探偵社とポートマフィアの仲介の役割も担っており、連絡なども私が介される訳だが。敦さんと太宰さんも私の事情を知っているため射鹿さんの存在に怪訝な顔をした。

射鹿さんは敦さんと太宰さんと共に応接室へ消えていった。何の話をしているのだろう。気になるものの膝に手を当て、話が終わるのを静かに待つ。

30分程して射鹿さん、敦さん、太宰さんが戻ってきた。射鹿さんはその足で私の席まで来て、お仕事頑張ってください、応援していますねと微笑んだ。

表では。

「今回の仕事、探偵社とポートマフィアの合同作戦なんだけど。」

私は立って、無意識に眉を動かした。くすりと射鹿さんが笑った。

「連絡来てなかった?折角探偵社にいるのに仲介役もまともにこなせないなんてね。」

私にしか聞こえない声が私の心臓に見えない杭をぐさぐさと刺していく。

「それとわたし今日中也さんと食事に行くの。楽しい時間を過ごしたいから邪魔しないでね。」

射鹿さんはまた、と私に軽く手を振って去っていった。

私は力が抜けたように重力に任せて椅子に座った。

射鹿さんが来たという事は中原幹部主導で太宰さん、敦さんもいるという事は芥川さんも含めた共同作戦かもしれない。その伝達が私を介されなかったとするなら。

中原幹部は私と連絡を取る事すら厭、という事か。

私はスマートフォンを取り出し、打っていた文章の画面を見た。

人差し指でトトッと一文字ずつ文字を消していく。それを続けていく内に文章は一文たりともなくなっていた。私はスマートフォンをまた懐に戻し、ノートパソコンを見た。映っていたのはただただ広い漆黒だけだった。


翌朝、耳に響く電子音で目が覚めた。素早くスマートフォンを耳に当てる。

『歩ですか?』

「樋口さん......?」

樋口さんの慌てた声に私は目を擦りながら用件を尋ねる。

『Qが座敷牢から脱走しました!ヨコハマ全域に捜索網を張ってはいますが、念のため貴女にも連絡をと。』

「Q君が......?」

最近座敷牢の方に行ってはいないが、構造上簡単に脱走できるような場所ではない。何故、如何してと思いながら樋口さんには私も街に出て捜索する事を伝える。手早く着替えて武装を確認、寝室を出た。

「おはようございます、歩。」

「おはようございます、フェージャ。すみません、急いでいるのでご飯自分で食べてもら.......」

その時、滅多に鳴らないインターフォンが鳴った。

私とフェージャは視線を交わし、フェージャは脱衣所の方に隠れた。ドアのチェーンを掛けたまま細く扉を開け、外を覗いた。

「お姉ちゃん、あそぼ?」

其処に居たのは、ニコニコと可愛らしい笑顔で私を見上げるQ君だった。

「Q君、何で......?」

「お姉ちゃんと遊びたくて頑張ったんだよ?」

大きな瞳を輝かせ、小首を傾げるQ君に私は額に手を当てながらスマートフォンを手にした。5コールで出た樋口さんにQ君の発見を報告する。

『ああ、矢張りですか......』

「矢張りとは?」

『いやあ、Qが貴女が全然来ないと此処最近ずっと云っていたようで。』

Q君をちらっと見ると人形を抱き締めて上目遣いで私を見ていた。

「Q君って、外に出るの駄目なんですよね?」

『ええ。何せ精神干渉系の......災厄の異能ですから。』

私はQ君の異能が未だに何か知らない。けれど今、断片的に聞いただけでもこの世界では忌避される異能なのだと分かる。

『歩、首領からQを見つけた者にという話があったのですが。』

「話ですか?」

『Qの事を夕刻まで監視しろと。今日は都合で人員が割けないためとの事です。』

「それは問題ありませんが。」

首領からの依頼を真逆拒める筈もなく、私は即座に応じる。樋口さんは堅い口調で続けて云った。

『忠告しますが人との接触はなるべく避けるように。Qの異能の詳細は後でメールで送るので。......気をつけて。』

「はい、お気遣いありがとうございます。」

通話を切り、改めてQ君に話し掛けた。

「Q君は行きたい所ある?」

「お姉ちゃん、連れて行ってくれるの?」

「うん。今日の夕刻まで外で遊んで良いって。」

「お姉ちゃんと外で遊べる!」

Q君がぴょんぴょんと兎のように跳ねた。Q君は外に出たい、遊びたい、と云っていたから良い機会だ。それにこれが終わったらQ君はまた座敷牢の中に戻る事になる。そうするとQ君は当分外には出られない。警備もより厳重になるだろう。

ならばQ君の好きな所に、行きたい所に連れて行ってあげよう。

探偵社にはポートマフィアの緊急の案件が入った事にしてメールを送り、Q君の手を引いてアパートを出た。

「僕、公園に行ってみたい。」

「公園?」

「ブランコとか滑り台とかやってみたい!」

私は微笑ましく思いながら駐車場のバイクへと歩みを進める。ヘルメットをQ君に渡し、手伝いながらタンデムシートに乗せる。私も運転席に乗ってエンジンを掛けた。

「しゅっぱーつ!」

「イエッサー」

車道に出て、遊具のある公園へのルートを反芻しつつバイクを駆った。


ポートマフィアが用意した外車に敦、太宰、中也、芥川が乗っていた。太宰は目を伏せ何も話さない。いつもは中也と会えばからかうその口は今日閉じられたままだ。

「おい、糞太宰。作戦の話し合いができねェんだが。」

「話し掛けないでくれる?蛞蝓君。私は今物凄く苛々しているんだ。君を逆さ吊りにして炙りたい位にはね。」

いつもの茶化すような口調でもないため、中也は訝しみ敦に目線を送る。

「あ、えっと、太宰さんは昨日の事で怒っているみたい......です。」

「昨日の事だァ?」

中也はそっちの話を持ち越して来るなよとでも云いた気であったが、太宰の光のない目がその口を閉ざさせた。

「一寸喧嘩したからって歩ちゃんをあんな扱いして如何いう心算なんだい、中也。」

「は?」

「歩ちゃんはポートマフィアと探偵社との親睦を深める役割と同時に円滑な連絡手段の確立を目的として探偵社に出向している訳だよね?それを君の私情で歩ちゃんの面目を潰して。歩ちゃんは何も云わなかったけど、如何思っただろうね。」

中也は零れそうな程目を開いて、何云ってやがると呟く。

「俺は射鹿に、歩に此方に来るよう伝えろと云って。」

だが、歩は中也がいない隙に資料を射鹿から受け取り帰ったと聞かされた。自分には会いたくないのかもしれないとほとぼりが冷めるまで待とうとしたのだが。

「その射鹿まりという君の秘書が資料を渡しに来たよ。」

「っ......」

中也は耳を疑った。確かに二時間程射鹿が不在だったが、射鹿が独断で行動し、嘘まで吐いていたとは。

「最後に歩さんと射鹿さんが話をしていましたけど、その後歩さん酷く辛そうな顔をしていて。それに......貴方にメールで謝ろうとしていて凄く頑張って文章を考えていたのに全部消してしまったみたいなんです。」

敦が悲痛な顔で告げると中也は唇を噛んだ。太宰は何も知らなかったようだねと冷笑する。

「でも、これで合点がいったよ。入社試験で中也に歩ちゃんの事が伝わっていなかったのもあの秘書の手口だろうね。」

「......ですが、太宰さん。歩はあの女が敵ならば即座に処断する筈です。今の彼奴にはそれが可能な権利がある。」

芥川の言葉に太宰はそういう意味では敵じゃないんだろうさと背筋をぐっと伸ばす。

「中也が好きで、中也を手に入れたいから、一番近くにいる歩ちゃんを消そうとしているんだよ。歩ちゃんはそんな思惑に晒されて相当堪えて......」

中也がもう良いと太宰を遮った。

「これは俺と俺の部下の問題だ。俺が対処する。」

中也は感情を抑えた声で云った。太宰は中也を見る事なく続ける。

「中也は歩ちゃんが強い人間だと思っているだろうけど、とても脆い、純粋で無垢な女の子だ。今回の件で歩ちゃんは考えただろうね。ポートマフィアに本当に自分の居場所があるのかと。」

太宰の言葉に中也は拳を握り締めた。叩き付けようとしたが踏みとどまり、くそと小さく毒づく。

「芥川、今日の作戦速攻で終わらせるぞ。」

「分かりました。人虎、聞いたな?愚図は置いていくぞ。」

「五月蝿い。中也さん、僕協力します。頑張りましょうね。太宰さんも!」

太宰はえーと云いながらも姿勢を整えた。敦は苦笑し、芥川は太宰を見詰めている。その中で中也は一人歩の事を考えていたのであった。


「バイクってあんなに気持ち良いものなんだ!僕もいつか乗れるようになるかな?」

「うん。きっと直ぐに乗れるようになるよ。」

公園の邪魔にならない場所にバイクを停めて、中へ足を踏み入れる。Q君は跳ねるような足取りで公園を一周すると。

「砂場!滑り台!ブランコ!鉄棒!ジャングルジム!」

一つ一つ確かめるように遊具を指差した。

「お姉ちゃん、どれで遊ぶ?」

「どれでも良いんだよ。Q君の好きなもので。」

「じゃあ、砂場で穴を掘ろう!凄く深い穴!地獄まで届くような!」

それはさすがにと苦笑しながら誰かが忘れたのか公共のものなのかも分からないスコップを使って穴掘りに協力する。それから30分、掘り進めたがQ君はかなり疲れているようだった。

「かなり深く掘れたね。」

「地獄ってこんなに遠いんだ。」

Q君はまじまじと穴を見、地獄は自力でいけなさそうと云って砂を戻し、滑り台を指した。

「次はあそこ。」

「はい。」

滑り台の金属の階段を上るQ君が頂上に辿り着くのを待つ。

「お姉ちゃんも!」

「私は良いから。」

「一緒に滑ろ!楽しそう!」

渋々私も階段を上りQ君に云われるままQ君の身体を足で挟むようにして座る。Q君が私の胸に背中を預けようとするが、何分私の身長が低いため頭が私の顎に当たった。

「身長伸ばして!」

「無茶だよ。」

「じゃあ、僕が伸ばすから今度来た時は場所交代ね。」

今度、それが本当に訪れるか私には分からないが、いつか来ればと思う。樋口さんからQ君の情報が送られてきた。災厄、と呼ばれても致し方ない強大な異能だ。座敷牢に閉じ込められていたのも納得した。

けれど、いつかQ君が自由に生きられる、そんな日が来ればと思う。

「お姉ちゃん、滑ろうー!」

「うん、いきまーす。」

滑り台の縁から手を離し、滑っていく。短いので直ぐに着いてしまったが、Q君はきゃっきゃとはしゃいだ。

「お姉ちゃん、次はブランコ!」

「うん、良いよ。」

公園に人は私達以外居らず独り占め状態だった。二つあるブランコ一つにQ君が乗り、私がその背中を押す。

「わあ、気持ち良い!」

Q君は足をぶらぶらさせ、風を感じて嬉しそうに声を上げる。

「お姉ちゃんと太宰さん位だよ。僕を普通に触ってくれるの。」

暫く揺らしているとQ君がぽそりと溢した。私は揺らすのを止めてQ君の顔を覗いた。

「僕、こんな異能だから誰も触れてくれない。太宰さんは無効化できるから手を繋いでくれたりしたけど、僕の異能を知っている人は僕の事を避けるんだよ。だからね、お姉ちゃんには知って欲しくなかった。」

「......そっか。」

「お姉ちゃん、僕の異能知ったんでしょ?何で触ってくれるの?僕......」

勘違いしちゃうかもしれないよ、と重い声が響いた。振り向いて私を見上げるQ君の目は暗く、けれど縋るような色だった。

「Q君の異能は、Q君を傷付けた者にしか発動しない。」

私はQ君の頭を優しく撫でる。子ども達を撫でていた時のように。

「私はQ君を傷付けないし、傷付けさせない、だから大丈夫だよ。」

Q君は私の言葉を聞いて目を閉じ、服の袖を捲った。その下には傷だらけの腕があった。

「僕はね、僕を傷付ける意志がない人も傷付けてきたんだよ。お姉ちゃんにも同じ事をしてるとは思わないの?」

「思わないよ。」

私ははっきりと断言した。Q君が目を開け、私を驚いた目で見ていた。

「思わない。Q君はそんな事しないって知ってるから。」

Q君は大きな目を潤ませた。私は頭をぽんぽんと軽く叩くように撫でた。

「僕、今はお姉ちゃんを呪ったりしないよ。」

「うん、信じるよ。」

「お姉ちゃんとまた遊びに行きたいから。お姉ちゃんと普通の子みたいに遊びたいから。だから狂わせたりしないよ?」

「うん、私はQ君の事信じるから。」

Q君が私の腰にしがみついた。私はQ君の丸い頭を柔らかく撫で続けた。


「それで今回の作戦だけれど。」

太宰が芥川に視線を向けると芥川は姿勢を正して口を開いた。

「先日、ポートマフィアの領域内に巨人が現れました。」

「巨人......?」

敦が不可解なものを見るように芥川を見やったが芥川は無視して話を進める。

「巨人は異能者である構成員一人を殺害、その後一般人を巻き込みながら逃走したところを別の構成員が追跡。拠点を特定するに至りました。現在は構成員五十人体制で包囲しています。」

「それでこのメンバーでの奇襲作戦という訳だね。」

太宰は資料をぱらぱら捲り、一通り検分を終えるとポイと座席に放り投げた。

「太宰さん、巨人って......」

「異能生命体として巨人を使役する異能者なのだよ、敦君。そして彼は王の写本を自称し、実質底の知れない王の写本の唯一の情報であり、主力の異能者だ。」

芥川はその通りです、と首肯した。王の写本唯一の手掛かりを逃す訳にはいかない。四人で確実に仕留め、情報を吐かせる事が最優先事項だ。

車がぴたりと停まり、四人は外に出た。住宅街ではあるが、ポートマフィアが周囲を警備しているのか緊張が走っている。

「中也、先刻からずっと黙っているけれど自分のすべき事はちゃんと分かっているよね?」

「当然だ、糞太宰。手前こそ分かってんだろうな?」

二人は云い合いをしながらずんずん先へ進んでいく。芥川はさすが双黒と呼ばれた方達だと変に納得し、敦は単純に出遅れ、二人を追いかけていくのだった。


時刻はお昼を回った。Q君がお腹が空いたと云うので公園を出た。バイクを一旦家の駐車場に止め、電車で街へ向かう。

「何が食べたい?」

「お姉ちゃんの好きなものは?」

「私の好きなものはもう食べられないから。」

それは織田作さんも好きだったおじさんの混ぜカレーの事だ。作り方も教わり、再現もできるが矢張り何かが違ったり、そもそも作る時間がなかったりもする。物思いに耽っていると、Q君がくいくいと袖を引いた。

「僕あれが食べたい。」

Q君の指す方向を見ると広告があり、黒糖どら焼きと書かれていた。

「これがお昼御飯で良いの?」

「黒砂糖好き!」

Q君が良いならと、降りる駅を確認する。スマートフォンで店の情報を漁りつつQ君と話をしていると駅に着き、電車から降りた。そのまま街を歩き、どら焼きを売っている店を発見する。

財布の残金とどら焼きの値段を見れば100個買っても大丈夫な位はあった。安心していると、Q君が何個買って良い?と尋ねてくる。

「食べれるだけ買って良いよ。」

「じゃあ!5個!」

遠慮されてしまったのか。私も一応5個食べることにして合計10個購入する。袋を持って座って食べる場所を探し、ベンチがあったので其処に座った。

「はい、Q君。」

「ありがとう!いただきまーす!」

Q君が口を大きく開けて、ぱくりと噛みつく。美味しい!と目を輝かせるQ君に私も釣られて微笑みながらどら焼きを食べる。

「甘いね!」

「......そう、だね。」

嘘だった。味がしない。また味がしなくなっていた。この前までちゃんと甘いも辛いも苦いも酸っぱいも分かっていたのに。動揺して声が少し震えた。

もう一口と口に含んでも一切味を感じなかった。

「お姉ちゃん?大丈夫?」

「うん、大丈夫。大丈夫だよ。」

まるで自分に言い聞かせるようだった。Q君は3個目に差し掛かっているなか、私は半分で手が止まってしまっていた。

「あ、歩ちゃんじゃない?歩ちゃんー!」

「ヘイズ......さん?」

そんな私の前に現れたのがヘイズさんだった。ヘイズさんはガンドと共に散歩していたようで何を食べてるの?と小首を傾げた。

「どら焼きです。一つ如何ですか?」

「え、良いの?ありがとう!」

ヘイズさんはQ君とは反対側の私の隣に座った。Q君は警戒しているのか私の陰に隠れてもそもそとどら焼きを口に入れた。私はガンドにまた舐められていた。

「あのね、私......ヨコハマから出る事になりそうなの。」

「引っ越すという事ですか?」

「そう。もう少しで目的が達成できそうで。それが終わったら多分故郷に帰るの。」

「そうですか......」

未だ一回しか会っていないが、寂しいと感じる。それは色々と教えて貰ったからか、その人柄か。

「ルーシーさんと鏡花ちゃんにも伝えておきます。」

「会えれば良いんだけどなあ。ヨコハマも広いし、なかなかね......。」

ヘイズさんは寂しそうに目を伏せた。くぅんとガンドも悲しそうに鳴いた。

「ところで、その男の子は弟?」

「......Q君は。」

どう云えば良いだろうか。血の繋がった弟ではないのだが。

「お姉ちゃんは僕のお姉ちゃんだよ!」

「そっか!お姉ちゃんなんだ!」

Q君がヘイズさんに強い口調で云って、ヘイズさんも手を打って納得する。

「お姉ちゃんは優しくて美人でとっても良いお姉ちゃんだよ!」

「それは云い過ぎ......」

私は重たい溜め息を吐いて、Q君には5個目のどら焼きを渡す。ヘイズさんには残ったどら焼きをプレゼントとして渡した。

「そうだ、私ね。とても面白い場所を見付けたの!すぐ近くなんだけど!」

「面白い場所?」

警戒心が解けたのかQ君が興味津々で身を乗り出した。

「うん!時間があるなら一緒に行かない?」

私は何とも云えなかった。私が今日優先すべきはQ君だったからだ。

「面白い所なら行ってみたいなあ......」

Q君が私に乞うような眼差しを向けるので、私は当然肯定する。好きにして良いのだと。

「じゃあ、皆で行こっか!」

おー!というヘイズさんの合図にガンドが吠え、Q君が応えた。私は平和だなあとぼんやり思いながら、同じくおーと声を上げるのだった。


「此処か。」

敦、芥川、太宰、中也一行はとあるビルの前に立っていた。情報によると此処が巨人を使役する王の写本の構成員の拠点だそうだ。

「その割には全然人の気配を感じないような......」

敦は虎の視力、聴力、嗅覚で気配を探るが全くと云って良い程ない。

「自分一人で十分とでも考えてるんじゃねェか。」

中也は不機嫌そうに吐き捨てた。

「確か502だったよな?」

「そうだけど。待ちなよ中也。私は三人と違って運動能力は凡人並みなのだから。」

「あァ?知るかよ。手前はインカムで連絡してりゃ良い。敦、芥川行くぞ。」

中也はベランダの欄干に飛び乗った。硬い靴底は金属部分に乗ったにも関わらず音もせず、中也は更に二階、三階と跳躍していく。性急な中也に敦と芥川は判断を仰ぐため太宰を見た。

「良いよ、行っておいで。くれぐれも気をつけて。私はエレベーターで向かうから随時報告を頼むよ。」

敦と芥川は頷き、それぞれ異能力を用いて上階へと上っていく。太宰もエレベーターへと急ぐ。

中也は502のベランダに既にいた。敦と芥川も其処で待機する。

「一人います。」

敦が小声で伝えると中也が硝子窓を拳で粉砕した。破片は飛び散る事なく落ちて三人は一斉に部屋の内部へ押し入った。

其処には男が一人、リビングのテーブルに座っていた。金髪に黒い瞳を持つ男だった。

「矢張り来てしまったか。だからこそ我々はこうして先回りをする事ができるのだが。」

「何云ってんだ、手前。それより、手前は王の写本の異能力者だな?」

男は如何にもと肯定し、テーブルから降りた。

「オーディン。神を殺し、自由を手に入れんとする王の写本が一隅。」

「神だ?手前等が殺してるのは神じゃねェ。ヨコハマで平和に過ごしている一般人や異能力者も含まれてる。手前等はただの無差別殺人鬼の集団だ。」

オーディンは殊勝にも申し訳ないと静かに謝罪した。

「つい最近まで我々が神と称してきた人物の特定が成されていなかった。故に我々の当面の目標が異能力者全員の抹殺だったんだ。」

しかし、もう神は見付かったのだとオーディンは声に喜色を表して語った。

「漸く見付かったんだ。本当に長かった。」

「手前の身の上話なんざ聞きたかねェ。芥川、拘束しろ。」

芥川が御意と返した時だった。

オーディン?と何処からか高い声が聞こえてきた。テーブルに置かれていたスピーカーからだと思ったのも束の間、次の言葉が放たれた。

『歩ちゃん、見付けたよ?殺して良いよね?良いよね?私が一番に見付けたんだから!ね?オーディン良いでしょ?』

オーディン以外の部屋にいた全ての人間が凍りついたように固まる。歩ちゃんとは?同名の誰かか?

否、こういった場合、いつだって歩というのは。

「悪ふざけは程々にしろ。ヴァフスルーズニルとの合流地点に行け。其処で半殺しにして持ち帰れ。」

『えー、半殺しって大変だよ?ヴァー君絶対殺しちゃうと思うよ?』

「一番殺したいと思っているのは君の主だ。」

冷徹な声で指示を出すオーディンとそれに応じる愉快そうな女の高い声。

『そういえば、弟?がいるんだけど如何すれば良い?多分弟じゃないけど。』

「邪魔をするようなら殺せ。」

オーディンは淡々と云った。はいはーい、と楽しそうな声が返ってきた後、声が小さくなり、誰かと会話しているのか別の声が聞こえてくる。

「手前の仲間、先刻歩って云ったよな?」

「云ったな。」

「何故彼奴の名前が出てくる......!」

中也が殺気を露にした。オーディンは目を丸くして、微かに笑った。

「決まっているじゃないか。彼女が我々が探していた......」


「ヘイズさん、此方はやめておいた方が良いかもしれません。」

「そうなの?如何して?」

ヘイズさんが通ろうとしている路地は治安が悪い。黒社会の人間がよく出入りするルートとされているのだ。

ヘイズさんには余り良い話を聞かず、危ないからとだけ伝えて別の道を通るよう促す。

「大丈夫だよ!先刻通ったけど何ともなかったし、未だお昼だし!此方の方が凄く近道なんだよ?」

「そうかもしれないですけど......。」

私が渋っているとQ君が私の白衣の裾を引っ張る。

「僕は大丈夫。それにお姉ちゃん守ってくれるでしょ?」

「うん、それは勿論。」

「じゃあ、僕は何も怖くないよ。」

ヘイズさんをQ君が追いかける。何かあればいつでも拳銃を握れるよう準備だけはしておき、私も歩いた。ガンドが引っ付いているのが若干邪魔だが。

それにしてもこの先に何か面白い場所などあっただろうか。倉庫街などになりそうな気がするが知らない間にお店などできたのかもしれない。

「歩ちゃん、私......私達ね。神様を探してたの。」

「神様......?」

「そう。ずっと必死に探してて、全然見つからなくて。もしかしたらヨコハマにいるかもしれないって事で此処に来たの。」

「じゃあ、目的を達成したって事は......」

その神様を見付けたという事なんだろう。ヘイズさんはそうだよと笑って云った。

「本当に此れで私達は解放される。自由になれる。だから......」

ヘイズさんは振り向いた。その目がギラリと光った。それは彼女に似つかわしくない殺意の光だった。

「お願い、死んでくれる?」

ヘイズさんは綺麗な笑顔で云った、と同時だった。右足を凄まじい痛みが貫いた。

ガンドが私の右足にかぶりついたのだ。鋭い牙がガツンと骨まで到達し、引き裂くように私の腿の肉を食いちぎった。

「っああ!!」

ぶちぶちと繊維を裂き咀嚼する音がガンドの口の中から聞こえる。自分の足が食べられたなんて信じがたいが、痛みが、アスファルトを染め上げる血が、現実を思い知らせてくる。

それにこれなら重傷に類する傷の筈だ。なのに異能力が発動しなかった。

「ヘイズさ、ん......何でっ......!」

私は立ち上がる事もできず、ヘイズさんを見上げる。

「私はね、歩ちゃんを殺すために作られたの。歩ちゃんが死ねば自由になれるの。」

「私は、神様なんかじゃ、ありません。」

「ううん。証拠ならあるよ。」

ヘイズさんが私の目を指した。

「13年前あの研究所にいた人間だけが持っている目なの。その目の所持者で生き残っているのは私達王の写本の構成員と神様しかいないの。」

「研究所......?」

全く身に覚えがなかった。13年前なんて私は......。

......何をしていた?

13年前なら私は4歳の筈だ。4歳の記憶......幼稚園?保育園?何処に通っていた。何をしていた。

全く記憶がない。

戦慄が止まらない。研究所とは何だ。私の目は何だ。

何故記憶がない......?

「お姉ちゃん!!」

Q君の悲鳴に我に返り、私の足に噛み付こうとしていたガンドに拳銃を向ける。

二発発砲。

ガンドの血走った両目に命中した。その隙に片足で壁を支えに何とか立ち上がり、引き摺るように後退する。

「Q君、本部ビルへの行き方は分かる?」

「分かる、けど......!」

Q君は私の足を見て、ぬいぐるみを抱き締めて震える。

「大丈夫。大丈夫だから。行って、Q君。」

Q君の背中を軽く押すと、Q君はガタガタと震えながらも走っていった。本部ビルまでならそう距離はない。酷な事をしたかもしれないが、ヘイズさん達の目的が私ならばQ君は追わない筈だ。

「そっか、あの子は生かすんだ......」

ヘイズさんは独り言ちた。そして、隠し持っていたのか細い剣のような武器を取り出し、切っ先を私に向けた。

「......人違い、ではないんですよね。」

「うん、ごめんね。」

ヘイズさんは謝ったが一切の罪悪の念はないようだった。

「私達ね、歩ちゃんを殺すために何人も異能力者を殺してきたの。オーディンも今探偵社とポートマフィアに追われてる。......私達、もう解放されたいの。だから、殺されてくれる?」

「......分かりました。なら、私もあなたを殺す心算で戦います。」


スピーカーから歩の悲鳴が聞こえた。ぐちゃぐちゃと何か咀嚼音のようなものまで聞こえてくる。

「歩に......何しやがった!!」

中也の周囲のフローリングが重力によって潰れる。室内にも関わらず風が吹き荒れ、家具の類いが散乱した。

「さあ?ガンドが何処か食ったんじゃない?」

オーディンは軽く云い放った。中也はその瞬間、地を蹴り上げ、オーディンの胸元に飛び込む。

拳がオーディンに突き刺さる、その時だった。

「中也、止まれっ!!」

中也は反射的に拳を引き、距離を取る。

玄関からリビングに現れたのは太宰だった。

「オーディンと云ったね。君の顔は見た事がある。......君の異能力は触れた者に効果をもたらす精神操作系だ。」

「太宰治か......。困ったな、其処の重力遣いに異能力を使えたら形勢逆転すると思ったんだが。」

オーディンは強かな笑みを浮かべた。中也は舌打ちする。

太宰がいなければオーディンの術中に嵌まるところだった。

「仕方ないから此方を使うかな。」

室内に突然ポートマフィアの構成員が強襲でも仕掛けるように入ってきて、四人を取り囲み銃口を向けた。

「貴様等......如何いう心算だ。」

芥川が唸るように問うが、構成員は答える気配がない。オーディンはさっと踵を返した。

「君達は彼等の足止めをしてくれ。終わったら......自害しろ。」

オーディンはそれだけ云って悠々と去っていった。

「糞っ、待ちやがれ!!」

中也が追おうとしたが、仲間である筈の構成員が行く手を阻んだ。

「中也、此処は一旦退こう。」

「っ......!」

中也が構成員を放ってはおけず動けずにいるとスピーカーから小さな悲鳴が耳に届いた。

「歩っ......!」

中也は拳を震わせ、振り切るようにして太宰と共に窓から撤退する。敦と芥川も構成員達を牽制しながら外に出た。


細剣の先とトリガーガードの付け根が交錯し、火花を散らす。

「っう......」

同じ体格に見えるのに圧倒的に相手の方が力があった。足が一本使い物にならないとは云え、この差は何なのか。力と力でぶつかり合えば、私の方の腕は軋み、折れそうな程だった。

私は何とか細剣を弾き返して転がるようにして距離を取った。その間も銃弾を放つが羽虫でも避けるような簡単さで躱されてしまう。空薬莢がカランカランと空しく落ちる。

「ガンド!」

ヘイズさんが......ヘイズが命じれば、ガンドは目に銃弾が突き刺さった状態で襲いかかってきた。その巨体でのし掛かり、涎と血を垂らしながら首に牙を突き立てんとする。犬なんて可愛いものじゃない。その姿は肉食獣そのものだった。

「っ、ああぁぁっ!!」

私は裂帛と共にガンドの喉に拳銃ごと手を突っ込んだ。歯を合わされるのをもう片方の手と拳銃で押し上げるように阻止して引き金を引く。喉の奥を銃火が煌めく。ガンドは瞬きをしてかくかくと痙攣し、沈黙する。力が抜けるように私に倒れ込んだかと思うと、霧のように消えていった。

「ガンド消えちゃったか。」

「異能生命体ですよね。なら、また出現させられる筈です。」

ヘイズはしゅんと肩を落とし、そうでもないんだよねと息を吐く。

私は立ち上がって照星を合わせる。全身が痛くて、血が足りないせいか目眩がした。これは撃退できたとして生存できるか分からない。

......そうか、私は死んでも、もう誰も悲しまないのだから。此処で死んでも構成員に片付けられて焼かれるだけだ。私の生きた証が全てなくなるだけだ。

なら、私は何故戦っているのだろう。ヘイズは私の死が望みだ。私は生きている意味がない。ならば私が死ねば皆幸せになれるんじゃないか。

思考が照星を揺らす。

そんな中、ヘイズの背後、奥から小さな人影が近づくのが見えた。

ヘイズが気付いて振り返った時にはその人影はヘイズの背中にドンとぶつかった。

「お姉ちゃんを傷付けた、僕を傷付けた。」

許さない赦さない許さない赦さない許さない赦さない許さない赦さない許さない赦さない許さない赦さない.......

Q君が持っていたぬいぐるみの顔を引きちぎる。

「狂いながら死んで逝ってよ。」

ヘイズの頬に手形の痣が浮かび上がる。死と狂気の手形だ。

これがQ君の異能力、《ドグラ・マグラ》である。

持っている人形を破壊する事で発動し、自分を傷つけた相手は呪いの受信者として手形の痣が浮かび上がるという特徴がある。受信者は幻覚によって精神を冒されて発狂する。

Q君は動揺するヘイズの横を通る。スキップするように私の前にやって来て、にこりと笑った。その手には有刺鉄線のようなものが巻き付いていて、小さな手が血で濡れていた。

「お姉ちゃん、大丈夫?」

「Q君......如何して戻って?」

「お姉ちゃんを殺すのは僕だよ。」

Q君は狂気を混ぜた笑顔で云った。

「お姉ちゃんが死にたい時、僕が傍にいてあげるからね。それまで一緒に遊ぼうね。それでお姉ちゃんが死にたくなったら僕の異能で優しく殺してあげる。......お姉ちゃんが狂いながら綺麗に死んでいく姿見るの凄く楽しみなんだよ?」

一寸よく分からなかったので、そっかとだけ云っておく。

「......弟君、私の身体に何か入れた?」

ヘイズの声が路地に反響した。Q君が振り返り、目を剥いた。

「何で......?何で何で何で、如何して!?」

Q君が叫び声を上げた。何故ならばヘイズの頬にあった手形がいつの間にか消えていたからだ。

それはQ君の異能力が効かなかった事を指していた。

「厭だなあ、折角生かしてあげようと思ったのに邪魔されたら殺したくなっちゃうじゃない。」

ヘイズから殺気が噴き出し、Q君は腰が抜けそうになる。それを支えて、私はヘイズに背中を向けた。

「逃げる気?その足で?」

私はQ君を引っ張りながら壁を伝って歩く。当然私達に追撃をかけるヘイズ。Q君を先行させて、懐から手榴弾を取り出しピンを抜いた。今のうち、距離があるうちにそれを放る。

手榴弾は致死の威力で爆発した。爆炎と煙、そして衝撃に至近距離にいた自分の身体も吹き飛ばされる。アスファルトを何度か跳ね、叩き付けられるような衝撃を伴って地に伏した。Q君はかなり先を行っていたからか爆風に煽られただけだった。

「お姉ちゃん!」

「Q君は早く行って!絶対に戻って来ないで!」

「そんな事したらお姉ちゃんがっ!!」

「Q君っ!!」

私が叱咤するとQ君は涙を流しながら全力で走っていった。

私は倒れたまま視線だけ爆心地に向ける。

「残念でした!」

爆炎が細剣で切り裂かれ、道を開けた。ヘイズは無傷で立っていた。ぼろぼろなのは服だけでヘイズは余裕の笑顔だった。

「そんな......」

「私は槍で貫かれ炎で三度焼かれ、それを何度繰り返しても死なないと云われてる。そう設計されたの。」

不死身、それが最も簡単に彼女を云い表せる言葉だろう。ガンドという異能生命体を使役する異能力だと考えていたが。

これだけの事をして殺せないなら私にはもう打つ手がない。

「私の本当の名前はグルヴェイグ。神を殺すため造り出された神。それが私よ。」

「グルヴェイグ......」

グルヴェイグが私に一歩、また一歩と迫る。頭の中で警鐘が鳴った。

死が、其処まで迫っている。

「グルヴェイグ。」

「......ヴァー君、遅いよ。殺しちゃうところだったじゃない。」

5秒経った頃、男が現れた。2メートルはあるかという長身の男だった。

「未だ死んでいないから良いだろ?ですよね?俺が、僕が殺してやろう、やりましょう。」

「ヴァー君、本当それ、いつも思うんだけどどれかに口調統一できないの?」

二人が軽口を叩いていたのも束の間だった。男の背後に光が溢れ、土煙が上がり巨大な影が聳え立った。周辺にあるビルと同じ高さ程の物体である。

私は何とか顔を動かし見上げると、其処には。

巨人と称すべきものが立っていた。路地には入れないのか、入り口で蒸気機関車の排気音のような鼻息を出す。通行人の悲鳴や逃げ惑う跫音も聞こえた。

その巨人がぎょろりとした目で私を見下ろす。

「ぐァああアアっ!!!!」

鼓膜が破れそうな程の雄叫びを上げて巨人は路地の幅とほぼ同じ太さの腕を伸ばし巨大な手で無造作に私を掴み上げた。

「っ......!?」

抵抗などできない。手足は微動だにしない。警鐘が早鐘を打ち、死を知らせる。

「やれ、やってください。スルーズゲルミル。」

それが30秒だった。

「あ、ぐ、ぁああっ......!」

巨人が私を掴んでいた手を握り締めた。バキバキと至るところの骨が折れ、内臓が破壊された。痛いなどというものじゃなかった。

身体が崩れていく。潰されて、砕かれて......。

声も出なくなった。視界は真っ赤に染まって、口の中は血の味で満たされて。

でも、これで良かったのかもなんて、痛みに支配される中で何となく思って。

ああ、でも矢っ張り......。

中原幹部と話したい事が未だ沢山あった。自分の気持ちをちゃんと伝えて、その上で謝って死にたかった、と身体と共に崩れる意識の中でそう思った。それで許されるなんてまた同じ関係に戻れる烏滸がましい事は思っていないけれど、せめて......。

思った瞬間、ふっと巨人の手の力が抜けた。

何故か重力に従って落下していく。

何が起こったのか分からないまま、私の意識は深淵へと落ちていくのだった。


巨人の手首から下が黒い刃に切り落とされた。手がバラバラと崩れ、中の歩が落ち葉のように力なく落ちる。それを黒い影が空中で受け止めた。長外套を海風にはためかせながら影は着地する。

腕の中の歩は血塗れだった。白衣が真っ赤に染まる程だった。手足は異常な曲がり方をしていたり、肉が割かれていたり散々な状態である。内臓が潰れているのか絶えず口から血が溢れる。鼻からは細い呼吸音が聞こえてくるが、それももういつ止まってもおかしくない程弱い。

「中也、すべき事は分かってるね?」

「当然だ。......後は任せる。」

中也は感情を圧し殺し、路地を飛び出した。

「待っ......」

グルヴェイグが中也の後を追おうとするが、芥川がその身体を《羅生門》の刃で貫く。心臓を串刺しにする一撃だったが、グルヴェイグはあらと少し驚くだけだった。

「ヴァー君、追って!」

「うん。はい。」

ヴァー君と呼ばれた男はヴァフスルーズニルも巨人を動かそうとするが、敦が巨人の身体を駆け上がり、顔面を殴り付けた。巨人が唸り、バランスを崩す。

「中也さん、行ってください!」

敦と芥川の声が重なる。中也は頼むという言葉を残して、探偵社へと疾走する。探偵社に行けば、与謝野がいる。生きていれば与謝野の異能力で治癒できる。

中也は異能力で歩の身体を固定し、出血を無理矢理止める。

「大丈夫だ。直ぐ助ける。絶対治るからな。」

中也は歩を抱え直し、建物や道路をショートカットしながら進む。追手も来ていない。あの三人が阻止しているようだ。

「......っ」

「歩?」

歩が瞼を震わせるようにして目を開いた。焦点の合わない瞳がそれでも中也を認識し、中原幹部と息のような声を出した。声を出すだけでも苦しいのか咳をして、同時に血を吐いた。

「喋るな。もうすぐ探偵社に着く。そうしたら絶対......」

「な、かはら、幹部......幸せに、なって......ください。」

突然の歩の言葉に何云ってんだと中也は声を荒くした。

「中原、幹部......には、幸せに......なって、欲しいん、です。でもっ、わ、私......じゃ、中原幹部の、邪魔になる、から......。私は、いつだって、誰もっ、幸せに......なんてできない、からっ......!」

歩は折れているのか砕けているのかも判別の着かない腕を持ち上げようとした。

ぴくりと腕が小さく跳ねただけだった。

「好きっ、好きだから......幸せになって、欲しい......んです......」

「莫迦野郎っ、何でこんな時に......!」

中也は強く歩を抱き締めた。中也の体温だけではもう歩を温める事はできなかった。けれど、歩にとってはその温かさが嬉しくて、これが最後になるのかもしれないと思うと涙が出そうになる程悲しかった。

「中也さんっ、中也......さん、怒らせて......ごめんなさい、傷付けてごめんなさいっ。私の事、嫌いで......良いからっ、中也さんの、部下で......いさせて、ください......っ!」

お願いしますと歩は懺悔し、慈悲を求めた。あなたの部下のまま死なせて欲しいと、そう請い願った。

中也は顔を歪ませ、声を振り絞った。

「手前は......手前はっ!!俺の......!!」

がくんと歩の首が傾く。更に心音が小さく、呼吸が浅く、身体が冷たくなっていく。

「歩......っ!!」

中也はガンッ!!と壁を蹴って空中を水平に跳躍する。探偵社のある建築物が前方に見え、中也は加速し、先を急いだ。

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