其の十八

※シグマ君の口調など後々変更するかもしれません。

「歩君、色仕掛けってできるかい?」

首領の問いの後バキィッと何かが折れる音がした。私の背後のスペースでエリス嬢と絵を描いていた中原幹部がクレヨンを折ってしまったらしい。

「チューヤ?」

「すみません、エリス嬢。」

「良いわ、新しいのをリンタロウに買って貰うから。」

そんなやり取りが背後から聞こえてくる。

因みに私も動揺はしている。正直首領が何を云いたいのか分からない。分からないが、眉根一つ動かさないよう努めた。

「......私にそのような経験はありません。必要であれば習得はしますが、身体的特徴を早急に改善する事は不可能であるため時間が掛かるかと思います。」

何せ此の身体だ。痩せているし女性としての魅力は一切ない。よって婉曲にお断りしたのだが。

「ああ、否、其れは問題ないと思うんだよね。今回のターゲットなんだけど、君位の年齢の......薄い身体の女の子が好みらしいんだよ。」

首領はオブラートに包んだが、つまり端的に云えば胸が余りない女子高生位の年齢がターゲットの好みらしい。

つまり私が適任なの、か?

愛想笑いもできないような女だがその辺りは考慮されているのだろうか。

クスクスと背後から隠しきれていない笑い声が聞こえてきた。中原幹部の傍に控えていた射鹿さんからだ。

「......把握はしました。其れでどのような任務内容なのでしょうか?」

「実は彼、カジノ荒らしでね。」

カジノ荒らし......Aのようなものか。首領から手渡された資料を受け取り、流し読む。

「毎日のようにカジノに現れては全戦全勝。運が良いと云ったらそれまでだけど、異能を使っている疑いがあってね。調査して欲しいんだよ。」

「了解しました。」

「彼、ポートマフィア所有のカジノだけでなく、合法カジノにも手を出していて。探偵社にも話が行ってるんじゃないかな?確認してみると良い。」

首領はそう云っているが、確実に探偵社にも話が回っている。任務という形で。

「......お好みの処分法は。」

「そうだねえ。彼は微々たる損失を組織に与えている訳だけど、此方としては手は出したくない部類だ。処分云々は現場に任せるよ。」

首領はにこりと妖艶な笑みを見せた。それなら探偵社の意向に従うのが最善かもしれない。だとしたら、色仕掛けというのは。

「其れは彼がとある組織を再興しようとしているのではないか、という話があってね。その話を聞けそうなら彼から聞き出したくて。」

「とある組織、ですか?」

「君と中也君は知っているだろう?セリカだよ。」

セリカ。中原幹部と初めて出会った頃起こっていた抗争での敵対組織の一つだ。一神教の宗教団体で、其の教祖とも呼ばれる人が私と同じ光と闇を見分ける目を持っていたのを覚えている。

「教祖がいなくなった事でバラバラになっていた信者を集めて再編成しようとしているらしい。」

「その話を聞くために......」

色仕掛け。......確かに、直接聞いても話してはくれないだろうし、其れが有効なのかもしれない。

「情報を聞ければ良いんだけどね。他の策もあるけど、もしやるとしたらできそうかい?」

「努力します。」

「ところで、君は色仕掛けが如何いうものかは分かっているよね?」

私は勿論です、と肯定した。

「つまり全裸になれば良いんですよね。」

バキィッとまたクレヨンが折れる音が聞こえてきた。

「チューヤ、服にクレヨンの粉が付いているわ。私が拭いてあげる。」

「エリス嬢。わたしが手巾を持っていますので......」

「ダーメ!イルカは其処にいて!ほらチューヤ、此方!」

背後ではそんなエリス嬢と射鹿さんの会話が耳に届く。中原幹部、クレヨンで絵を描くにしては力が入り過ぎなのではないだろうか。

「其れは最終的に、合意の上でかな......」

首領が困ったように笑った。的外れな事を云ってしまったらしい。

「そう、なんですね。」

此れは勉強しなければなるまい、気合いを入れていると首領は自然体で良いんだよと諭すように云った。

「多少は考えた方が良いかもしれないけどね。でも、それ以上は不自然になってしまうかもしれない。」

「分かりました。」

「しなくても良いかもしれないけど。健闘を期待しているよ。」

私は頭を深く下げて、首領に背を向け歩き出した。エリス嬢にも別れの挨拶をしてドアの方へ進む。

「そうだ、歩君。」

思い出したように声を上げた首領を振り返る。他に何か用事でもあったか、それとも報告に不備があったか。

「君、幹部に興味はない?」

さらりと軽い口調で首領は尋ねてきた。この後一杯如何?みたいなノリだった。

しかし、その場に緊張が走った。何せ此処には現幹部である中原幹部とその秘書の射鹿さん、それにエリス嬢が居た。答えの一つで私の命運が決まり、どのような結末であれ証人がいる。

「......私を幹部にする事がポートマフィアの最適解とは思えません。」

私は自分の事でいっぱいいっぱいで部下を率いる事なんてできない。突出した何かがある訳でもない。目立つ功績もない。

「首領が望むなら拒否はしません。ですが、そうでないなら私は此の位置が自分に相応しいと考えています。」

首領はふっと小さく息を吐いた。

「そうだね。君はそれが良いだろう。」

「はい。それでは失礼します。」

私は執務室を出た。あれは本気の問いではなかった。

返答次第では殺されていただろうが。

多分あれはポートマフィアで生きる人間として私の意志が変わっていないか、其れを問うものだったのだろう。探偵社で過ごす事によって意志が揺らいでいないか。

深呼吸をして、先程少しだけ話した時立原さんに教わったリラックスできるのだというツボを押した。

「何やってんだ?」

そんな私を不審そうに見ていたのが中原幹部だった。私が出て直ぐに中原幹部も出てきたらしい。その後ろには鋭い眼光で私を睨み付ける射鹿さんがいた。

「いえ、何も。中原幹部は首領に何か用事があったのではないんですか?」

「......まあな。」

中原幹部とは行きのエレベーター前で会った。射鹿さんに仕事をとせっつかれていたが首を横に振り、私が其処に向かうと首領の所だろ?と上階へのボタンを押してくれたのだ。そうして首領に用事があるからと一緒に向かった訳だが。

「それより手前できるのか?」

「何をですか?」

「......色仕掛け。」

中原幹部は顔を背け、ごく小さな声で云った。

「せざるを得ない状況になる可能性があるから首領はそう云ったのでは?」

「襲われるかもしれねェんだぞ。」

「......?」

襲われる......。その点に関しては中原幹部が一番よく知っている筈なのだが。もしかして疑われているのだろうか。それとも鈍っていると思われているのか。

「勘違いすんな。手前の戦闘力は俺が一番知ってる。」

中原幹部は私の前に進路を阻むように立つと、私の項をするすると撫でた。ぞわぞわとした感覚が駆け抜ける。

「っ......中原幹部っ!」

「知らねェ野郎にこんな事されるの厭だろ?」

「そ、れはっ、」

「俺は厭だ。」

真剣な眼差しで見詰められ、私はたじろぐ。中原幹部のこういう目に私は尻込みしてしまう。

「手前を他の男に触らせるのは厭だ。」

「でも、此れは仕事で......」

首領直々の命令だ。従わなければならないのだ。例え大切な人である中原幹部の頼みであっても、私は......。

「中也さんの云う事が聞けないという事は矢張り幹部になりたいのではないですか。」

私はその発言者である射鹿さんの方に顔を向けた。

「中也さんの言葉を無視し、首領に媚びて、男に身体を差し出して。そこまでして自分のポートマフィアでの地位を確立したいですか?」

「そんな......」

私は首領に媚びている訳ではない。だが、地位を得たい、其れはあるのかもしれない。

私は生きたい。そのためにはポートマフィアの内外で容易に死なないよう、殺されないよう力を付ける必要がある。そのために必要なものの一つが首領からの信用と云って良い。その信用が地位や権利といった形になるのだろう。

幹部になりたい訳じゃない。生きても良いという確固たる地位と権利が欲しい。その上で中原幹部を守りたい。中原幹部の傍に居られるようなそんな人間になりたい。

其れが他の人にはそう見えるのだとしたら、仕方ない。

「ポートマフィアの幹部は実績を重ねる事で首領から信頼され其の座に着いている人が多い中、あなたがそうして其の席に座るのだとしたら。」

さぞ血と汚物にまみれた座になるでしょうね。

そんな声が耳に微かに過った。氷点下のように冷たい蔑むような声だった。だからこそ私は冷静になれたのかもしれない。

「......中原幹部の意志が重要なのは確かです。ですが、ポートマフィアにおいて最優先事項は首領の命令です。従わなければ処分となります。それに私ならば上司である梶井さん、更に其の上司である中原幹部が責任を問われる事になる。」

射鹿さんがひくりと眉を動かした。

「あなたが中原幹部を慕っているのは理解しました。しかし中原幹部を思うならば発言及び自分の行動には気をつけた方が良いと思います。」

そんな事は分かっていると云いたげな苦々しい表情をして、射鹿さんは踵を返した。

「中也さん、先に帰っていますので、なるべく早く執務室に戻ってきてください。」

云い捨てるようにして去っていった。廊下には私と中原幹部が残った。

「悪いな。彼奴に何か云われてねェか?」

「?」

「彼奴の異能は任意の相手に肉体の感覚器官を介さず直接脳に言葉や意志を伝達するってやつで。」

所謂テレパシーだ、と中原幹部は指で頭を指した。私は相槌を打ちながら、先刻のあの冷徹な言葉はその異能によるものかと納得する。その上で首を横に振った。

「いえ、何も。」

「......そうかよ。」

「......中原幹部、すみません。」

私は中原幹部に頭を垂れる。

「多分此れは探偵社と繋がる私しかできない事なので。」

中原幹部は何も云わない。私は中原幹部に手を伸ばし、ぎゅっと其の手を掴んだ。

「私も知らない人に触られるのは厭です。」

「......あァ。」

「でも、私が触られて一番嬉しくて温かい気持ちになるのは中原幹部で、其れ以上はありません。此の人に触られてもきっと何も感じないと思います。」

中原幹部は目を見開いた。心底驚いたような顔だった。

「其れに限界だと思ったら迷わず殴るので。」

「手出された時点で殴って良いんだからな。」

其れは一寸と私が苦笑すると、中原幹部も少し笑った。

「歩、作戦は太宰とやれ。セリカに関しては探偵社には内密の案件だが太宰は多分全部分かってやがる。そういう奴だ。そして太宰は手前が不利益を被るような事は絶対にしない。太宰なら良いやり方を見つける。」

「......分かりました。」

「情報を得るのに最も効率が良いのが其れってだけだ。情報さえ取れれば手段は何でも良い。」

最終手段に取っておけ、と中原幹部は私の手を握り返し念を押した。私は静かに頷き、了承の意を示した。


翌日、探偵社に向かいセリカ以外の情報を開示、共有した。

「此方にも軍警から情報が上がっている。異能の可能性あり、早急な対処を要するとな。」

国木田さんが厳しい顔で評した。かなりの損害なのだろう。

私は資料にあるポートマフィアの判明している分の損害額を一瞥する。此れで首領は微々たるというのだからポートマフィアにどれだけのお金が行き来しているのか、考えただけでも頭が痛い。

「ポートマフィアは基本的には此方に任せるってスタンスなのかな?」

「はい。任務には私も参加しますが、現場の判断に任せるとの事です。」

「そっか、じゃあ私と国木田君と歩ちゃんで行こうか。」

太宰さんが歌うような調子で云った。すると、国木田さんが顔を思い切り顰めた。

「太宰は来るな。如何せ録な事にならん。」

「国木田君、酷い!歩ちゃんは私と一緒が良いよね!?」

縋るような目で私を見る太宰さん。私は目を反らしつつ、それでも太宰さんが此の任務に必要な人だと分かっているので。

「わ、私は太宰さんに......来ていただきたいです。」

「歩......歩ちゃんっ......!」

太宰さんがぱあっと顔を輝かせた。輝き過ぎて少し眩しかった。

「歩、余り太宰を調子付かせるな。食われるぞ。」

「食わ......?」

食われるとは......?私が首を捻っていると、横で聞き役に徹していた鏡花ちゃんが私の腕に抱き着いた。

「大丈夫。歩に何かしたら、もぐ。」

「もぐ!?」

鏡花ちゃんの何かを引きちぎるようなポーズに男性陣が青ざめるのだった。


私と太宰さん、そして国木田さんで訪れたのはヨコハマ某所のとあるカジノだ。ドレスコードなどは特にないらしく、いつもの装いで私達は内部へ入った。少し暗めの照明の下にカード、ルーレットなど専用のテーブルが配置され、各々博打に興じている。奥にはバーカウンターもあり、カクテルなどが振る舞われていた。

ターゲットは直ぐに見つかった。カードのテーブルで賭けに講じ、高額をやり取りしているようだった。

「歩ちゃんは其処で待っていてくれるかい?」

太宰さんはバーカウンターの一席を指して云った。

「え、でも......」

「大丈夫。全部分かっているから。」

太宰さんはそう私に耳打ちし、国木田さんとターゲットのいるテーブルに行ってしまった。

中原幹部の云った通り、太宰さんは全て気付き、その上で協力してくれるようだ。最終手段を使うには至らず事が運ばれる、かもしれない。私はカウンターチェアに座り、酒類は飲めないので、取り敢えず水を注文した。

そのまま太宰さんの様子を眺めていると、いつの間にかターゲットと談笑していた。太宰さんのコミュニケーション能力には目を見張るものがある。国木田さんは太宰さんの横に控え、ターゲットの手を注視していた。......色々と分かりやすい人だと思った。

「隣、よろしいですか?」

声を掛けられ、私はハッと顔を上げた。

「どうぞ......です。」

「それでは、失礼。」

色素が薄く物腰が柔らかそうな男だった。それに反して彼の闇は深く濃い。

フェージャの闇によく似ているような気がした。警戒はしつつ挙動を伺う。

「マティーニを。」

バーテンダーに端的に告げ、隣の席に腰を下ろす。彼は次に私の手の中の水の入ったグラスを見た。

「アルコールは苦手ですか?」

「あ......はい。それにそもそもこういう所に出入りした事がなくて何を頼めば良いのか分からなくて。」

男は一瞬思案顔をして、それから初老のバーテンダーを呼び寄せた。

「彼女にシンデレラを。」

バーテンダーはかしこまりましたと云って戻っていった。

「シンデレラ......?」

「ノンアルコールのカクテルです。主にオレンジ、パイナップル、レモンのジュース、氷でできています。」

此れなら貴女でも飲めるかと思って、と男は云った。ジュースでできているなら確かに私でも飲めそうだ。

「バーはアルコールばかりでなく、其れらを苦手とするお客様にも楽しんで貰えるようノンアルコールのものも置いてますよ。」

「てっきりお酒ばかりかと。」

意外な事実に、他の人達にとっては常識なのかもしれないが、私は驚いた。

「彼は如何やらバーテンダーとしては熟練の域と云って良い手際です。きっと素晴らしいカクテルが来ますよ。」

「そうなんですね。楽しみです!」

バーテンダーは、持ち上げ過ぎですよと苦笑いをしていた。けれども、注意深く見ていると別のバーテンダーよりも一挙手が洗練されているように思える。

「こういった......関連のお仕事をしているんですか?」

「そう見えますか?」

「はい。知識やよく見ている事もそうですけど、話の節々で誇り、というか。こういった場所を大切にしているのが伝わってきます。」

男は目を丸くした。私は違いましたか?と不安になりながら尋ねる。

「いいえ、私は確かにカジノ関連の仕事をしています。貴女も鋭い人だ。」

「そんな事は......」

その間に男の前にマティーニが、私の前にシンデレラというカクテルが置かれた。

私がそっと男を見ると、彼はどうぞと云うように微笑した。私は頷いて口に含む。

「......美味しいです。」

「ふふ、そうでしょう?」

材料からして少し酸っぱいのではと思っていたのだが。

「適度な酸っぱさで、甘過ぎる事もなくてさっぱりしていて......とても美味しいです。」

バーテンダーは光栄です、と頭を下げた。

「ソーダ水などで割ってみるという手もありますから色々試してみても良いのでは?」

「はい、教えてくださってありがとうございます!」

私はシンデレラを味わうためゆっくりと喉に通していく。男は私を見ながらマティーニに口を付けた。

「バーが初めてという事はカジノも初めてですか?」

「はい。私はその、付き添いのようなものなので。あなたは......」

「私は見識を広めるため別のカジノを見て回っていて。」

それから暫く男と他愛のない話をした。分かったのは男がシグマという名前で、カジノの経営などに携わっていること。かなり大きなカジノらしく、宿泊施設や商業施設もあるのだということ。今の自分の仕事に大きな誇りを持っていること。

「カジノは私の命。だからカジノを守るために学ばなければならない事がまだ山程ある。」

シグマさんの口調は砕けたものになっていた。シグマさんは二杯目のマティーニを飲みながら続けた。

「私は此の仕事のために生まれた男だと内外から云われる。其の才能があるのだと。実際は違う。万に等しい客の情報は全て夜を徹して頭に叩き込まなければならなかった。カジノのルール、その他施設の経営。カジノに必要な事は全て頭の中に無理矢理詰め込まざるを得なかった。......才能なんかじゃない。」

カジノを守るためなら何でもするのだとシグマさんは云った。そのための努力を続けてきたのだとシグマさんの話から伝わってきた。

「凄いですね。」

「凄い......?」

私はシンデレラが未だ三分の一程入ったグラスを揺らしながら言葉を紡いだ。

「才能なんて滅多に使われる言葉じゃありません。私は人からそんな風に云われた事は一度もありませんし、云われているのは本当にごく一部の人だけです。」

努力を才能と捉えられる。しかも其れは単純な賞賛の意だけでなく、一種の皮肉めいたものもある。其れに晒され続ける事は苦痛を伴う事だろう。

「でも、使われないからこそ其の言葉は他のどんな賛美の言葉より強く重い意味を持ちます。シグマさんの場合他の人にはできない、想像も着かない程の努力を重ねた絶対的証明になる。」

シグマさんが何も云わず瞠目する。

「だから、あなたに使われる才能という言葉はシグマさんの努力に対する最高の褒め言葉なんじゃないかと......私は思います。」

沈黙が流れた。シグマさんは難しい顔をしていた。......会ったばかりの人に少し偉そうだったかもしれない。

「す、すみません。こんな......」

私は直ぐ謝罪した。

「否......成る程と思ったんだ。あの魔人が執心する少女とは如何なる存在かと思ったが。」

シグマさんは目を伏せ、マティーニを煽った。

「其の人間が最も欲しいものを与える、歩はそういう性質なんだろう。」

「私が......?」

自分はそんな大層な人間じゃない。私は何も与える事などできない。それでもシグマさんはそう云うのだから、もしかしたらほんの少しだけ私という存在が他人に影響を与えているのかもしれない。其れが良い意味でならば少し嬉しく思う。

「才能という言葉が辛い時があった。私の努力が何もせず得たものと思われる事が苦痛だったんだ。だが、もう違う。お前のおかげで意味が変わった。」

シグマさんは晴れた表情で告げる。

「此処で会えて良かったと思う。」

「シグマさん。」

「今度は私の......」

シグマさんが何か云おうとした時、歩ちゃんと私を呼ぶ声が遮った。

「あ、太宰さん......」

振り向くと太宰さんが立っていて笑顔で手招きしていた。否、笑顔なのだが、少し硬いというか怖いというか。いつもの優しい笑顔とは似て非なるものだった。

「少し良いかな?」

「はい。......すみません、シグマさん。一寸行ってきますね。」

シグマさんに一言断って、太宰さんの方へ駆ける。国木田さんは少し離れた位置で男を見張っているようだった。

太宰さんはシグマさんを暗い目で見ていたが、私が首を傾げると何でもないよと首を振った。

「例の彼だけれど、異能を矢張り使っているみたいだよ。透視とかだろうね。カードの数字を見ているのだと思う。」

「......そうですか。」

「それと彼は所謂宗教団体を作ろうとしていてね。其の資金面をカジノで稼いだり、カジノにいる富豪に声を掛けて融資を募っているようだ。信者も大募集中。余り芳しくはないようだけど。」

此れ、録音データね、と太宰さんがメモリーを私に差し出した。

「良いんですか......?」

「構わないよ。そのために私が来たというのもあるしね。」

「ありがとうございます。凄く助かります。」

太宰さんはそれより、と私の肩に手を置く。

「あの男と何を話していたんだい?」

「あの男......ですか?」

隣にいた男だよ、と太宰さんは微笑んだ。目は笑っていなかった。

「世間話です、大した話は何も。」

「君の目で分からなかったかい?彼は......」

その時、ガシャンという大きな音と怒号がカジノ内一帯に響き渡った。

「此の無能がっ!!」

ターゲットの男が同伴者の男を殴り付け、怒鳴り散らしていた。理由は酒がないなど余りに理不尽な事であった。男は喚き散らし同伴者を罵り続けた。同伴者の目は徐々に光をなくしていき、俯いた事で見えなくなってしまった。

「お前に生きる価値はない!此処で今すぐ死ね!!」

死ね、死ねと連呼する男。

其れが耳にこびりついて離れない。

自分が云われている訳じゃないのに死ねという言葉が聞こえる度に喉から胃の内容物がせりあがってくるようだった。目眩がして息が苦しくなった。

許せない。何故かそう思った。許してはならないと思った。

許せば私の中にある何かが崩れてしまう。

太宰さんが私を呼ぶ声が遠くに聞こえた。

私は......無意識に足が動き、ターゲットである男の前に立っていた。

「やめてください。」

「な......」

「言葉は人を殺す事ができます。」

私は男を睨み付けた。殺気も出ていただろう。男は一切動じてはいなかったが。

「あなたの言葉は凶器です。心を傷付けて、壊して。ナイフや銃と同じ力があると云って良い。其れを何度も......!」

今すぐ其の口を閉じてください、と私は怒りに満ちた声で云った。自分でも何故此処まで怒っているのかは分からなかった。

男は私を品定めするように全身くまなく視線を動かすとにやりと笑った。

「彼は此れくらい云わなければ云うことを聞けない愚鈍な人間なんだ。しかし、そうだな......君が僕と勝負して勝ったならば先程の言葉は訂正し、土下座でも何でもしよう。」

「......勝負ですか。」

「但し、君が負けたならそれなりの対価を支払って貰おう。」

私は勿論です、と了解し彼の隣に座った。

「私が負けたら、好きにしてくださって構いません。」

「そうかい。僕はね、君のような子の顔が快楽や苦痛で歪むのが見てみたいんだ。」

私を見る目が気持ち悪い。矢張りそういう趣味なのかもしれない。

男はトランプを持ち出し、得意なゲームは?と私に問うた。

「......ババ抜きです。」

「......は?」

男は口をぽかんと開け呆けていたが、私がもう一度ババ抜きです、と強い口調で発言すると愉快そうに高く笑った。

「ババ抜き、ババ抜きか!実に可愛らしい!良いだろう。ババ抜き三戦、先に二勝した方が勝ちだ。」

男はトランプを手近にいるディーラーに渡した。ディーラーは手早くカードをきって、分配していく。

配られた手札の中にはジョーカーはなかった。二人で行うのだから、ジョーカーは男の手にある。複数人でする時のような駆け引きはない。要は如何にジョーカーを引かず、引かせるかの勝負なのだ。

そして、此のババ抜き圧倒的に私の分が悪い。

此の男の異能が太宰さんの云うような透視の類いなら私の手にジョーカーがある場合、確実にジョーカーを引かれない。相手にある場合は私が引かなければ良いだけだが、透視なんて持っていないから其れは不可能な訳で。

一ゲームはジョーカーがそれぞれの手に渡ったものの何とか私が勝利した。私が王手を掛けた訳だが、男は余裕の笑みを崩さず二ゲーム目がスタートした。

二ゲームは私の手札にジョーカーがあり、そのまま......男はジョーカーを引く事なく勝利した。

「覚悟した方が良いよ、お嬢さん。僕はカードには強くてね。」

ディーラーがカードを配ろうとしていた。此れが勝負を決める。私にジョーカーがあれば実質私の敗北。男にあれば首の皮一枚繋がる。

ディーラーが一枚目のカードを私に配る。

「待て。」

鋭い声に私はびくりと動きを止めた。

「シグマ......さん?」

「其のディーラーは不正を働いている。」

シグマさんが高く靴音を鳴らし近付くと同時に、ディーラーの男を弾劾した。

「此のディーラーはジョーカーの位置を一番上に置き、配る順番を変える事で、今ならジョーカーが彼女の手に渡るよう仕向けている。」

ディーラーとターゲットの男がぐっと息を呑んだ。

「歩、カードをめくれ。其れがジョーカーだ。」

シグマさんがそう云うとディーラーの男が咄嗟に私に配った一枚目のカードを奪おうと手を伸ばした。が、其処は私の反射神経が上手。さっとカードを取り、めくった。

ジョーカーだ。

「ジョーカーであるのもそうだが、先程の動きで不正は明らかだ。」

シグマさんは射るような眼差しでディーラーを睨んだ。

「ディーラーは個人のために動いて良いものではない。全てはお客様を楽しませるため、ひいてはカジノのために其の技術を駆使しなければならない。できないディーラーにカジノで居る資格はない。」

其のディーラーは他のスタッフに連れられて奥へと行ってしまった。

「僕は知らない。あのディーラーが勝手にやった事だ。」

「では、お客様。ディーラーが変わっても問題ありませんね。」

シグマさんがカードの束を取り、凄まじい速さで、それこそ先程のディーラーの比ではないような速さでカードをきった。それを半分にして私と彼の前に置く。

私が手札を見ると、ジョーカーは私の中にはなくて。男が歯軋りをしたのが分かった。

最後の一戦が始まり、カードは淡々と減っていった。そして男のカードが四枚、私が三枚となった時だった。私が引いたカードがジョーカーだった。男が笑いを堪えているのが見えた。自分の勝利が確定した、そんな笑みだった。

男と私がカードを更に引いて、男の手持ちが一枚、私が二枚となった。男は満面の笑みで私の......ジョーカーではないカードを引こうとした。

「......ディーラーの不正を暴くだけでは足りないようだね。」

太宰さんがターゲットの男の肩に手を置いた。

「......なっ!何故見えなくっ!?」

透視が発動しなくなってしまったからだろう。男は驚愕の表情で太宰さんを見上げた。

「私は反異能者でね。触れた対象の異能を打ち消すんだ。......先程貴方は見えない、と云ったね。」

国木田さんが更に追い打ちを掛けた。

「此の勝負が終わったら聞かせて貰おうか。何が、見えなくなったのかを。」

「ぐっ、ううっ......」

私は其の間にカードを混ぜて男の前に差し出した。

「さあ、引きたまえ。」

「う、ぐ、あっ......!」

男が引いたのはジョーカーだった。いつの間にか大勢の客が観戦していたらしく、どよめきが走る。

男は最後の足掻きといったようにカードを混ぜ、私の前に出した。

私は右のカードを引こうとして......手を止めた。

そして、左のカードを一気に引き抜いた。

数字のカードだった。私がテーブルにカードを置くと、歓声が上がった。

私は詰めていた息を吐き出して席を立った。男は愕然とした表情で目を白黒させている。

「歩ちゃん、後は私達で処理するけど構わないね?」

「はい、お任せします。」

太宰さんと国木田さんが奥へ男と同伴者を連れて行き、此の案件は一先ず決着を迎えた。

「シグマさん、ありがとうございました。」

「否、勝敗を決したのはお前の運だ。私は何もしていない。」

謙遜するシグマさんにそんな事ないですよと云うと、シグマさんは目を反らした。

「......その内私のカジノに来て欲しい。最高の時間を約束する。」

「是非、行かせてください。」

シグマさんは別れの言葉を云って、カジノを去っていった。

こうしてカジノ荒らしの一件は終息したのだった。


「報告は以上です。」

「うん、ご苦労様。」

ターゲットの男はおおよその罪を認め、軍警に引き渡された。太宰さんと国木田さんの尋問がかなり堪えたらしく、その頃には脱け殻のような状態だったが。同伴者の男も彼から解放されたらしい。

首領に報告し、音声データなどの資料を渡すと、太宰君にはバレていたみたいだね、と苦笑していた。しかし其れは予測済みだったようで咎められなかった。

「如何やら彼は人望があまりないようでね、セリカ再発足はあり得ないだろうと私は踏んでいるのだけれど。」

如何思う?と探るような目で見られ、私は首領がそう仰るならそうでしょう、と返した。首領は私の意見など必要としていないし、同意見でもあるから云う事は何もない。

「分かった。もう下がって良いよ。ありがとう。これからも引き続きよろしく頼むね。」

「はい。尽力します。」

私は首領の執務室から去った。今日は中原幹部は本部にはいないらしく、真っ直ぐ帰宅しようと考えていたのだが。

「歩!」

「......樋口さん。」

樋口さんが私に手を振っていた。私はつい芥川さんが近くにいないか確認し樋口さんの元へ近付く。

「久しぶりですね、歩!」

「そうですね、最近全然会わないですよね。」

「先輩と歩の訓練もなくなりましたし、会う機会が......」

私は首肯した。樋口さんと会っていたのは専ら芥川さんとの訓練で樋口さんが同行していた時位で、其れ以外は殆ど会わない。メールのやり取りをする時はあるものの、頻繁という訳ではない。

「今探偵社にいるんでしたっけ。虐められてません?」

「はい、大丈夫です。」

「何かあったら直ぐ云ってくださいね。黒蜥蜴出すんで。」

出さなくて良いです、と私は間髪入れずお断りした。黒蜥蜴の人がそんな些末な事で駆り出されるのは如何かと思う。

「そういえば、中也さんが歩がああだこうだと騒いでいてですね。正直早く戻って来て欲しいんですよね......。」

「......そうなんですか?」

樋口さんが指折り数えるようにしながら口を動かす。

「ええ。歩が模範的な構成員過ぎてやべェとか、歩が探偵社と滅茶苦茶仲良さそうやべェとか、歩が何処にいるか把握できないやべェとか、歩が大人の階段上っちまうやべェとか。」

樋口さんの中の中原幹部の語彙力が喪失している。やべェしか云っていない。それとも本当なのだろうか。否......。

「嘘ですよね?」

顔を赤くして樋口さんが嘘じゃないです!!と反論した。

「最近本当危ないんですって中也さん!聞かされる此方の身になってくださいよ!!」

そんな事云われても......。私が困っていると、樋口さんは更に云った。

「何か煙草もまた始めたみたいで......」

「え。」

「今執務室凄い煙草臭くて。」

樋口さんが私の腕を引っ張って、中原幹部の執務室まで誘導していく。

「ほら、もう扉の前で此れ。」

私は瞬間鼻と口に手を当てた。中原幹部と初めて会った頃嗅いだ煙草の匂いだった。量もそれなりに吸っているようだ。私は咳き込みながらも、何とか此れは良くないですね、と返答する。

「でしょう?歩がいなくなってからですよ。こんなの。」

早く戻って来て、と再度催促してくる樋口さんに未だ日が残っているのでと返すしかない。ただこのまま大量に吸っているのは健康の面から鑑みても良くない。

今日にでも連絡しよう、と考えながらまずは執務室から離れようと足を踏み出した。

「此処に何をしに来たんですか。」

背中に冷たい声が突き刺さった。私と樋口さんはゆっくりと振り返った。

「射鹿さん......」

「中也さんは外出中ですが。」

美しい顔立ちを歪めてまで険しい顔をしている射鹿さんがいた。苛々しているのが私でも分かる。

「すみません、直ぐ行きますので。」

私は樋口さんと離脱しましょうと目配せをして一歩進むが、射鹿さんが待ちなさいと厳しく命じたため足が止まってしまう。

「あの......何か?」

私はぎぎぎと錆びた錻の人形のようにつっかえながら首を向けた。

「貴女は中也さんの事如何思ってるんですか。」

私は瞬きしながらも正しく解答する。

「大切な上司です。」

「上司......?それだけ?」

「それだけ、と云われても......」

此れ以上の解答を私は持ち合わせていない。私の生きる意味だとか、守らなければならない存在だとか、そういった事は他の人と共有するものじゃない。

私の心の中に留めておくものだ。

「貴女はそんな中途半端な気持ちで中也さんに関わってるの?そんな気持ちで中也さんにあんな顔させてるって事?」

ふざけないでよ、と怒りに満ちた声が聞こえた瞬間だった。

右頬を凄まじい衝撃が突き抜けた。殴られた、と思った時には遅かった。身体が壁に打ち付けられ、ずるずると落ちる。口の中が血の味で一杯になり、ずきずきと痛んだ。歯が折れていないのが幸いだったと云って良い。

「ちょっ、何してるんですか!?」

此れには流石に樋口さんも非難の声を上げた。私は如何して良いか分からず、座り込んでしまう。

「わたしは中也さんに恋をしてる!わたしには中也さんのために全てを捨てる、何もかもを利用する覚悟がある!!」

射鹿さんが叫んだ。高い声で耳が痛い。

「中也さんを只の上司としか思ってないなら中也さんの前から消えなさいよ!!貴女、自分が邪魔だって事も分からないの!?」

「っ......」

「もう一回云うけど、わたしは中也さんに恋をしてるの。貴女なんかに負ける心算ないし、貴女に気持ちがないならわたしに譲って。邪魔しないで。二度と仕事以外で此処には来ないで。」

射鹿さんは執務室の扉を開け、中に入ると乱暴に閉めた。

「何云ってるんです、あの女!!中也さんに報告しましょう!というか、先輩に報告して中也さんがいない内に絞めておくというのは......。ハッ、それより歩!今すぐ医務室に!!」

「......良いんです。」

私は立ち上がった。射鹿さんの云っている事はよく理解できなかった。心臓をぐさぐさと刺し貫いていくのに、其の原因が分からない。殴られた部分より痛くて苦しいのに、何故なのか分からない。

「樋口さん、此の事は内密に。絶対に漏らさないようにしてください。特に中原幹部には。」

「そんなっ......歩がこんな事されて黙ってろって云うんですか!」

「私にも非があるんです。」

「否、あれはあの女の暴走で......とにかく!歩は悪くないんですよ!」

そうだとしても、だ。私にも責任の一端があると思った。

「樋口さん。」

「取り敢えず、医務室には行きましょう!真逆、あの女グーパンするなんて......」

「......恋って何ですか?」

「............................へ?」


次回!!夢主遂に恋を知る!!

という事でシグマ君回でした。最初の方は中也さんのターンでしたが。カジノのゲーム分からなくて、最終的にババ抜きになってしまった。本当に分からなかったんです、ルール。
射鹿さんが本性を表してきましたね。女の嫉妬怖い......。いや、本当撃つわ、暴言吐くわ、殴るわ......酷いなこの人。自分で書いていてなんですが......。夢主応援し隊結成!
夢主も今回は頑張った回ではないでしょうか。自分の意見をはっきり言えるようになったというか。因みに拍手で連載しているbeastの夢主はこれが備わっている状態にあります。代わりに戦闘力は皆無であるため、生命の危機に対するメンタルが弱かったのですが。だから中也さんにもはっきり物が言えた、という感じです。ポートマフィアでは戦闘における強さを、探偵社では心理面での強さを、夢主は得ているというところでしょうか。羊の夢主はどちらもない状態で、最も弱い夢主だと言えますかね。

そんな訳で、次回はようやく色々と動き出すお話となります。本編の方も、そして拍手のbeastもよろしくお願いします!あと、暴走している更新履歴も是非寛大な目で。

あと、リクエストもまだまだ募集中です(8/10現在)!詳細はお知らせからお願いします!

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