其の十七
燃え盛る大地のように赤く発光する世界に私は居た。此処は何処だ、とは云わなかった。私は此の場所をよく知っている。
ゆっくりと振り返ると、石で造られた堅牢な扉があった。既に開いているが。其の隙間から人影のようなものが見えたが。
私にはもうそちらに戻る資格はないからと扉に背を向けた。
赤い世界の中、前へ一歩ずつ進むと龍頭抗争で死んだ両親の姿が見えた。
両親は何か云いたそうに私を見詰め、私の行く手を阻んだ。此処から先は絶対に行ってはならないと。
其の先に何があるのだろう。
あの扉は境界だった。守る方か、殺す方か。異能力をどのように使うか。
ならあの先は?
両親の背後で何かが蠢いた。ゆらゆらと揺れる黒い物体。其れは人の形を模していた。
黒い者は口らしきものを動かし、声を発した。
「楽しいか?」
「え......?」
「全てを忘れ何も知らないふりをして、楽しいか?」
黒い者は口を引き裂くように開いて笑った。
▽
「目が覚めました?」
私が目を開けると金髪とそばかすの少年の顔が映った。
「宮沢さん。此処は......?」
「病院です!」
いやあ、吃驚しましたよと宮沢さんは神妙な表情で云った。
「ニュース速報で歩さんが向かった事務所が火事で大炎上していて、もう皆さん必死で事実確認して......。」
病院。そうか。フェージャは次起きた時は病院だと云っていた。其の約束を果たしてくれたのだ。また大きな借りができてしまった。一体いつになったら返済できるのか。
それより、火事とはどういう事か。フェージャは大丈夫なのか。
「宮沢さん、此処にフェ......伊藤さんという方は居ませんでしたか?」
「はい、居ました。でも、乱歩さんや与謝野さんと入れ違い位で帰ってしまって。あ、家に帰ると云ってましたよ!」
ならば、一先ず無事という事か。あの催眠瓦斯の中意識を保って、私を助けた。
もしフェージャが一緒でなければ私は今どうなっていたのだろう。少なくとも今此処には居なかった筈だ。
「火事というのは......?」
「事務所が瓦斯か何かで爆発、炎上して。今は鎮火していますが中の職員さんは殆ど死んでいたみたいです。」
「生き残ったのは私と伊藤さんだけだったって事ですか......」
証拠隠滅、だろうか。詳細はフェージャに聞いた方が早いのかもしれない。
「あ、乱歩さんと与謝野さんに意識が戻った事伝えてきますね!」
宮沢さんはぱたぱたと病室を出ていった。その間に大きく息を吸って吐き出す。少し消毒薬の匂いがするけれども、空気が美味しかった。
暫く吸って吐いてを繰り返していると、どたどたと荒っぽい足音が近付いてきて、扉がバンと開いた。
「やっと起きたの。一寸遅過ぎるんじゃない?」
乱歩さんが扉をくぐり、丸椅子にどかりと腰を下ろした。私はそんな乱歩さんの様子に身体を縮こまらせてすみませんと謝る。
「一人仕事任せてみたら此れって如何いう事?社長や他の皆が許しても僕は許さないから。」
「......本当に申し訳ないです。」
「こんな簡単な仕事まで大事にしてさ。探偵社の迷惑になってるの、分かってない訳じゃないよね?」
「......はい。」
乱歩さんの言葉が次々刺さって痛いが、事実なので言い返す事はできない。俯いて反省していると、乱歩さんは大きな溜め息を吐いた。
「君はこれから必ず誰かと行動して。というか、僕の近くに居て。」
いちいち君の動向に思考を裂くのが面倒だからと乱歩さんは唇を尖らせて云った。
「すみません。これからそうします。」
「うん。それと社長から調子が戻るまで休養するようにって。」
「もう大丈夫です。いつでも......」
「という事で明日は君休みだから来ないでね。」
強引に休みを設けられ、私は反論しようとしたが、じゃあ明後日も休みー明々後日も休みーと乱歩さんが次々休みを増やそうとするものだから、私は折れて明日休みますと返答した。
「そうして。」
乱歩さんは素っ気なく云って、丸椅子から降りると去っていってしまった。少しして与謝野さんが現れ、瓦斯が身体から抜けたのでもう大丈夫だと云ってくれた。
「乱歩さんもあれで結構心配してるンだよ。」
「はい。」
「他の皆も心配してたから、次は明後日だったかい?元気な姿を見せてやりなよ。」
私が頷くと、与謝野さんは私の頭をぽんぽんと軽く叩いた。
「もう帰るだろう?手続きしてくるから帰りの支度してな。」
「ありがとうございます、与謝野さん。」
そうして、支度をし、病院を出ると辺りは真っ暗になっていた。スマートフォンの時計機能を見てみると丁度夜中の0時を回っていた。
「タクシー一緒に乗るかい?」
「いえ、私は電車で。」
「そうかい、じゃあ気をつけて。」
与謝野さんがタクシーで帰って行くのを見送り、私もすぐ近くの駅へ歩き出した。電車に乗ると客は疎らで私は座席に座ってスマートフォンで今回の事件の概要をインターネット検索した。
あの事務所は全焼、焼け跡から見付かった遺体は判別が着かない程の状態だったようだ。私達二人の事は書かれていない。情報が操作されているのだと思う。
最寄り駅で降り、アパートへと歩みを進める。部屋の明かりは付いていて、フェージャが居る事を悟りつつ玄関扉を開けた。
「ただいま帰りました。」
「お帰りなさい、歩。」
フェージャはいつもの服装と露西亜帽子をかぶった様相で私を迎えた。
「お風呂の用意できてますよ。ご飯も良ければ温めますが。」
「それより昨日の詳細を教えてください。」
私は押し入るように部屋に入り、リビングの椅子に座った。とんとんとテーブルを叩いて向かいの席に座るよう促す。
フェージャは苦笑して、向かいの席に座った。
「あの後ですが、ぼくも余り覚えていないのです。」
「フェージャに限ってそんな......」
「ぼくも必死だったもので。すみません。」
フェージャは心底申し訳なさそうに謝罪した。私は余り納得はできなかったものの、確かに命の危機であったし、余裕はなかっただろう。私という荷物もあった訳で。
なら、私に此れ以上追及する余地はない。
「......助けてくださってありがとうございました。」
「いいえ、貴女と生きる未来のためですから。」
またそういう事を此の人は簡単に云う。
「そういうの他の女性に云わない方が良いですよ。」
「云いませんよ。貴女だけです。」
......もう何も云うまい。多分日本語を勉強する教材を間違えたのだ。外国人用の正しい日本語を学べる本でもプレゼントしよう。そうしよう。
「......お風呂行ってきます。」
「ええ、どうぞ。行ってらっしゃい。」
お風呂に入り、寝室の寝台に横たわる。今日の事、明日の事、考えなければならない事が沢山あるがまずは確りと睡眠を取ろう。そうして私は目を閉じた。
▽
フェージャと朝食を摂り、後片付けをしているとスマートフォンの電子音が高らかに鳴った。此の音は......太宰さんだ。
「はい、歩です。」
『おはよー、歩ちゃん。身体の調子は如何だい?』
「問題ありません。絶好調です。」
『そう、なら良かった。あのね、明日一泊二日だけど社員旅行で本栖湖にキャンプに行くんだけど一緒に行かない?』
社員旅行......。また唐突な話だ。昨日までそんな話はしていなかったのに。
『社長と乱歩さんがテレビで本栖湖見て行きたくなったんだって。これから忙しくなりそうだし、今しかゆっくりできなさそうだから急遽ね。』
「そうなんですか。」
『歩ちゃんも身体大丈夫そうだったらおいで。』
「......はい。」
旅行の詳細を一通り話して通話が切れるとフェージャが怪訝な顔で私を見ていた。
「えっと、探偵社の皆さんでキャンプへ行くみたいで......」
「良いですね、キャンプ。楽しそうです。」
「はい、とても。一泊二日らしいんですけど、フェージャは一人で大丈夫ですか?」
フェージャは目を見開き、口に手を当てて笑った。
「そんな心配をされたのは初めてです。......大丈夫ですよ。キャンプ楽しんで来てください。」
「はい、じゃあ留守はお任せします。」
キャンプに行くのは初めてだ。自分でもわくわくしているのが分かる。勿論、いつも通り不安はある。私が居て楽しいのか、迷惑にならないか。
しかし其れはきっと杞憂な事で、探偵社の皆さんにそんな事を考える事自体が失礼なのだろうから。私は不安を打ち消し、明日の準備をするのだった。
▽
翌日早朝バイクに荷物を載せ、探偵社へと走らせた。着替えと移動中にできるようなゲーム類と、コンビニで買ったお菓子を持ってきた。
「歩ちゃーん!」
探偵社前で信号に捕まっていると、太宰さんが入り口の前で大きく手を振っていた。敦さんや鏡花ちゃん、宮沢さんまで同じように手を振るものだから少し恥ずかしい。
私は信号が青になると逃げるように駐車スペースにバイクを駆り、急いで太宰さん達の居る方へ走った。
「すみません、遅れましたか?」
「早い位ですよ!国木田さんや与謝野さんも未だ来てないですし。」
敦さんが答え、鏡花ちゃんが同意するように頷いた。
「それより歩さん、体調大丈夫ですか?」
「大丈夫です。ご心配をお掛けしました。」
「いやいや、無事で本当良かったと思って!ね?鏡花ちゃん!」
「うん。良かった。」
鏡花ちゃんもこくりと首を縦に振った。それから敦さんと鏡花ちゃんで荷物の中身の話などをしていると、太宰さんがぱんと手を打って提案した。
「歩ちゃん、敦君、鏡花ちゃん。写真撮らない?で、姐さんに送ろうよ。今からキャンプに行きますって。」
鏡花ちゃんの写真に関して、探偵社の仕事内容に関わらないものについては許可された。太宰さんの提案に鏡花ちゃんも頷く。
「うん、送る。」
「あ、じゃあ私のスマートフォン......」
太宰さんにスマートフォンを渡し、四人でピースした写真を撮る。
「歩さん、僕のスマホにさっきの写真送って貰っても良いですか?」
「勿論です。今送りますね。」
「私もお願い。中也に煽り文句付けて送るから。」
「駄目です。」
歩ちゃんのけちー!と頬を膨らませる太宰さん。私は呆れながらもそういえば太宰さんが中原幹部の連絡先なんて知っている訳ないかと思い立ち、念押しはしつつも送信しておいた。
太宰さんは満面の笑顔でありがとうと云った。
▽
「中也よ!」
中也の執務室の扉を勢いよく開けた紅葉はずんずんと中也の座る執務椅子に迫った。其処に射鹿が阻むように立った。
「尾崎幹部!中也さんとの面会はわたしを通してからで......!」
「幹部同士で緊急の情報共有をして何の問題がある。申してみよ。」
紅葉の覇気に気圧されながら射鹿は救いを求めるように中也に視線を送った。
「射鹿、暫く出てくれ。」
中也は落ち着き払った口調で告げた。
「ですが......」
「幹部同士の会話には幹部以上の者でなければ知りえない内容が含まれる場合がある。一構成員の手前が居座って良い状況じゃねェ。」
分かったら行け、と中也は厳命し、射鹿は渋々といった様子で執務室から出た。パタンと扉が閉まるのを確認して中也は重く息を吐いた。
「あの者が秘書で良いのか?さぞ息苦しかろうに。」
「仕事は完璧にこなすし、俺も仕事が進んではいるんで文句は云えないですよ。」
「仕事を完璧にこなし、かつ中也の希望に忠実に添える人間が一人居るじゃろう?」
紅葉が微笑みながら問うと、中也は眉を歪めた。
「意地が悪いですよ、姐さん。」
「なかなか素直にならぬ故。」
中也は額に手を当て唸る。
「......姐さん、用件は何です?真逆、からかうためじゃないですよね?」
「そうじゃそうじゃ。歩から鏡花の写真が届いてのう。」
紅葉が携帯電話の画面を中也に示した。
「歩とあの虎、太宰も映っておる。今からキャンプだそうじゃ。」
中也は写真を見、次に紅葉を見た。
「姐さん、写真送って欲し......」
自身のスマートフォンを取り出してみると、メールが来ていた。差出人不明だったが、紅葉が見せた写真と同じものが添付されていた。
だが、件名が中也の怒りの琴線に触れた。
曰く、ダブルデェトなう。
「太宰ぃっ......!!」
「中也落ち着け。此れは社員旅行じゃ。四人だけではない。」
中也は舌打ちをして高速で返信した。
曰く、手前等四人じゃねェ事は知ってる。残念だったな。それと取り敢えず歩から離れやがれ。
すると、直ぐにメールが返ってくる。
歩ちゃん、キャンプ初めてなんだって。歩ちゃんの初めて奪っちゃったー!
びきりと中也のこめかみに青筋が立つ。
気色の悪い言い方してんじゃねェよ、糞太宰。圧し殺すぞ!
更にメールを返すが、返信は来なかった。
「青鯖野郎が、帰ったら覚えていやがれ......」
「中也よ中也よ、鏡花が新幹線に乗っておる!愛いのう......。」
「......良かったですね、姐さん。」
紅葉の幸せそうな表情に中也は毒気を抜かれつつ、送られてきた写真を見詰めた。
「姐さん、歩は如何生きるのが良いんでしょうか。」
中也は低い声で云った。
「彼奴は......本当は探偵社に居た方が、太宰にこのまま任せた方が幸せなんじゃねェかって思う時があるんです。」
こういう写真を見ると、そんな考えが頭の中でぐるぐると回り、胸の内からほの暗い感情が沸き上がってはいつも押し留めている。
「太宰が居れば確かに歩は光の世界で生きられる。じゃが、本当に歩の幸せかは推し量る事は私達にはできぬ。其れを決めるのは歩じゃ。」
でものう、と紅葉は薄く笑って続けた。
「あの子にとっての光は中也だと私は思うておる。」
「光......。」
「世界という広い話ではなく、ただ自分の道を照らしてくれる光。」
中也は紅葉を見上げた。
「あの子は中也が居なければ生きる意味を見出だす事すらできなかった。じゃが、今は中也が居る。中也が居るから今の歩がある。それを歩も十分に分かっておる。」
紅葉は中也の肩を励ますようにぽんぽんと軽く叩いた。
「太宰でも誰でもない。歩の光は中也しか居らぬのじゃ。故に、あの子は中也に尽くし、中也の守る組織に尽くす。歩は其れに生き甲斐を感じ、幸福を得ていると私は思うておる。」
「......何故そう思うんです?」
中也が尋ねると、紅葉は子どもを愛でるような優しい眼差しで中也を見て云った。
「歩は中也に褒められ、頭を撫でられている時が最も愛い顔をしているでのう。」
▽
「一寸待ってくれたまえ。歩ちゃんがこんな厭な戦法を取るとは思わなかった。」
「10秒だぞ太宰。」
「国木田君、五月蝿いよ!私は今ピンチなのだよ!戦況的にも精神的にも大ピンチ!」
「20秒だぞ太宰。」
「くーにーきーだーくーん!」
現在、私達は新幹線の中に居り、私と太宰さんでチェスをしている。私が持ってきた持ち運びの簡単な小さい盤だ。
因みに太宰さんは恰も絶体絶命という様子だが、厳密には私の方が劣勢である。太宰さんが追い込まれているとすれば九割五分精神面だ。
太宰さんが云うには私の戦法が太宰さんの苦手とする人のものと酷似しているらしい。
「君、此の戦い方誰かに教わった?」
最終的には私は負けてしまい、太宰さんと国木田さんと私で何処が悪手だったか、改善点があるか等を話し合っていた。
「と、友達に......」
「友達ねえ。其の友達は性根が腐ってるかもしれないから早めに縁を切った方が良いかもしれないよ。」
「貴様にだけは云われたくないと思うぞ。」
国木田さんが容赦なく云った。
「国木田君は私の性根が腐っていると云いたいのかい!?」
太宰さんの叫びに答えたのは別の人物だった。
「実際太宰は腐ってるだろう。途中からえげつない手ばかり打って大人げないじゃないか。」
顔を出したのは饅頭を食べる乱歩さんである。
「見てたんですか......」
「見てないよ。けど、盤面を見れば大体どんな手を打ったか分かる。」
僕は名探偵だからね、と得意気な乱歩さんに太宰さんは流石ですねと脱力する。
「此れくらいしないと勝てなかったんですよ、乱歩さん。」
「そうだろうね。あ、歩、此のラムネ開けて。」
私は乱歩さんにラムネを渡され、直ぐに開けて返した。すると、其の音を聞いてか敦さんも顔を覗かせる。
「歩さん、一緒にトランプしませんか?ババ抜きしてるんですけど!」
「是非。」
「歩、席代わらないとできないでしょ。僕のところ使って良いよ。」
乱歩さんとありがたく席を交換し、敦さん、鏡花ちゃん、宮沢さん、与謝野さん、谷崎さん、ナオミさん、春野さんと結構な人数でババ抜きをした。此方は緊張感なく、ババの在処が顔に出やすい人が多かったためのんびりと楽しむ事ができた。
因みに私の隣が席は社長だったのだが、外を見たり、ババ抜きの見物をしたりと無表情に近くはあったが楽しそうだった。
新幹線を降りてバスに乗り、本栖湖近辺のキャンプ場へ向かった。国木田さんが手続きをしている間に荷物を運んでいく。
「歩さん、重くないですかー?僕持ちますからいつでも云ってくださいね!」
「いや、宮沢さん其れ以上持つと腕が......」
一番大荷物の人に着替えとゲームとお菓子しか入っていないような鞄を持って貰うのは流石に気が引ける。
「歩さん、此処のキャンプ場綺麗な富士山が見えるそうですわ!」
「湖に映る逆さ富士山も美しいみたいで!」
春野さんとナオミさんが私の両側に来て跳ねるようにはしゃぐ。
私もこんなテンションだが、これでも凄く楽しみにしている。
首領の意向で地方を回っていた時もあったが、富士山周辺は通らなかった。なので富士山を間近で見るのは初めてでドキドキしているのだ。
暫く歩いて、キャンプを張る地点に行き、荷物を降ろした後、湖の方へ向かう。
「鏡花ちゃん、待ってって。」
鏡花ちゃんが私と敦さんの腕を引っ張っていく。敦さんも鏡花ちゃんも富士山は初めてなのだそうだ。ばたばたと足を縺れさせながらも何とか転ばず、湖の直ぐ近くにたどり着いた。
「......凄い。」
「綺麗。」
私は声が出せなかった。
あまりにも雄大で、美しかった。富士山の前では人間なんて小さな存在のように思えてならなかった。
「歩さん?」
敦さんに声を掛けられ我に返る。
「すみません、写真では何回も見たんですけど、本物ってこんな......」
「ですよね、僕も吃驚しました。」
私はスマートフォンを取り出して写真に収めた。
メールなら中原幹部の迷惑にならないだろうか。写真ではきっと此の感度は伝わらないのだろうけれど。
色々と考えた挙げ句、富士山綺麗です、とありふれた文面で写真を送る。
本当は、いつかまた中原幹部と一緒に見る事ができたら、と思う。けれど、私は其れを望める立場などではないから。
胸をチリッと小さな痛みが走った。最近よく胸が痛くなる。普通に過ごしている分には大丈夫なので病院に行かなくても良いと考えていたが。
スマートフォンを仕舞い、胸の痛みを無視して敦さんと鏡花ちゃんの話に耳を傾けた。此の胸の痛みが大した事はないのだと信じて。
▽
バーベキューの準備の手伝いをしようと思ったら鏡花ちゃんや谷崎さん、ナオミさん、春野さんに休んでてと云われ、薪を拾おうとすれば敦さんと宮沢さんに此方は大丈夫ですと云われ、社長と国木田さんは何やら話し合っており、太宰さんと乱歩さんも同様であったため、私は一人富士山を座って眺めていた。
何もする事がないというのも寂しいものだとぼんやり考えていると、隣に誰かが座った。
「やあ、歩ちゃん。」
「太宰さん。お話終わったんですか?」
「うん。終わって手伝おうかなって思ったらね、皆に太宰さんは遠慮しますって云われちゃったんだよ。如何いう事だと思う!?」
「......さあ?」
私もよく分からず曖昧に返す事しかできない。だが、太宰さんが此処に来たのも私と同じ様な理由という訳だ。
「キャンプ、楽しいかい?」
「はい。皆さんと来る事ができて本当に良かったと思います。」
「嬉しい言葉をありがとう。計画した甲斐があるよ。」
話によると、本栖湖に行ってみたいと云い始めたのは社長と乱歩さんだが、準備を進めたのは太宰さんなのだそうだ。
「君が楽しむ事ができているなら私の目標は達成されたも同然だね。」
「私を基準にするのは如何かと......。私は後一ヶ月弱で去る訳ですし。」
太宰さんはそうだね、と云って空を見上げた。
「君はもう少しでまた戻ってしまう。」
次には太宰さんは私に柔らかな微笑みを讃えた。
「歩ちゃん、お願いがあるのだけれど。」
「......?はい。」
「ぎゅってしても良いかい?」
こてんと首を傾け、私を上目遣いで見る太宰さんに私は戸惑う。だが、そういえばりっちゃんも同じ様な事を云っていたのを思い出した。確か、どんな異能力を持ちたいかという話をした時。私がお父さんとお母さんの話をして、それからりっちゃんが突然尋ねてきたのだ。
りっちゃんは何か寂しそうな、悲しそうな表情だった。
太宰さんは今微笑しているが、もしかしたら寂しいのかもしれない。
「......どうぞ。」
私は両手を広げた。
太宰さんはぱちぱちと音がしそうな程大きく瞬きをすると、目を細め、腕を伸ばして私を抱き締めた。
「歩ちゃん。」
「はい。」
「あったかいね。」
太宰さんの腕に込める力が強まった。
「あの時は、小さくて、細くて、冷たくて......私の腕の中で消えてしまいそうで怖かったなあ。」
実際、太宰さんが思い起こしているあの時の私は此の世から消えてしまいたかった。罪を償いたくて、地獄で罰せられたくて、そのために死を求めていた。
「今はこんなに温かくて、柔らかくて......」
私の背中に回されていた手が後頭部へ移り、髪を撫でる。
「織田作がね。君の話をしていた事があって、凄く幸せそうに話すんだよ。惚気かと思う位ね。でも、其の気持ちが分かる気がするよ。」
「太宰......さん?」
「君の事が愛しくて......愛しくて堪らない。」
耳元で囁くような声で告げられ耳に熱が集まる。其の熱が顔中に伝播していくような気がして慌てて太宰さんから離れる。太宰さんは少し驚いたものの、直ぐにいつもの笑みに戻った。
「そうか、成る程ね。此れは......織田作のおかげかな。」
太宰さんは戸惑う私の手を掴んでまた腕の中に引っ張り込んだ。再び離れようとする私の耳元で駄目だよと低く命じられ、私は止まってしまう。
「君は恋愛には疎いと思っていたのだけれど。そうか。私が教えてしまったものね。」
「だざっ......」
「私の君への想い、此れは君も知っているものだ。」
全身が麻痺したように感覚がない。なのに触れられた首筋や背中はじりじりと熱い。
「此れはね、愛だよ。」
愛。私は其れが何か知っている。織田作さんに教わった大切な感情だ。温かくて優しい。そんな大切な気持ち。
でも、織田作さんのものと太宰さんのものは何かが違う気がした。
「歩ちゃん?」
太宰さんが私の顔を覗いた。其の瞬間。
「太宰ぃぃっ!!!!」
凄まじい怒声と共に太宰さんの身体が吹き飛び、湖面をバシャン!!と盛大な水飛沫が散った。私は太宰さんが其の危険を察知してか私から手を離したために事なきを得た。
腕力だけで太宰さんを投げ飛ばしたのは国木田さんであった。
「太宰、貴様っ、未成年の婦女子に手を出すとは!」
息を切らしながら国木田さんが叫んだ。
「心外だよ、国木田君。此れは合意だとも。」
太宰さんは悪びれる事なく返答した。
「歩が頼み事を断れん質なのを知っての蛮行だろう!」
「国木田君は何処まで私を落ちぶれさせる心算だい!?名誉毀損も甚だしいんだけども!」
「名誉も何も既にお前の名誉は地に落ちている。毀損する名誉自体存在しない。」
「え?私ってそんな酷いの?」
水から出てきた太宰さんを国木田さんが襟首を掴んでキャンプの方へ引き摺っていく。
「歩も早く来い。バーベキューの用意ができた。」
私は返事をして国木田さんに着いていった。
「先刻の国木田君タイミング良過ぎない?聞いてたでしょ?」
「聞いてなどいない。」
「あ、でも、国木田君は駄目だったよね。歩ちゃんは私の見立てだと君の配偶者計画条件五十八項目中、三十三項を満たしていないもの。はい、お疲れ様。」
「貴様また手帳を......!」
「否、覚えてたよ。だって、ぶふっ、ぷくく」
「理想の伴侶を求めて何が悪い!」
太宰さんと国木田さんが言い合いをしているのを聞きながら、私はひたすら道を進んだ。太宰さんの事は余り考えないようにしていた。
▽
「歩、肉取ってきて。野菜は入れないでよ。」
「野菜も食べないと駄目ですよ。」
「厭だ!」
バーベキューコンロで肉や野菜が次々に投入されては消費されていく。そんな中、私が格闘していたのは乱歩さんだった(物理的にではない)。
「美味しいですよ、人参。」
「厭だ。」
「ピーマン。」
「厭だ。」
「キャベツ。」
「厭だ。」
「マシュマロ。」
「食べる。持ってきて。」
私は渋々肉と焼いたマシュマロを皿に盛り付け、乱歩さんに手渡す。
乱歩さんはマシュマロをもきゅもきゅと美味しそうに食べ、肉には焼き肉のたれの甘口をどばっと掛けるとまた美味しそうに頬張った。
「歩ちゃん、乱歩さんはね......」
其処に太宰さんが現れるが、
「はい、太宰は此方。歩の半径三メートル以内に近づかない。」
与謝野さんに引っ張られていった。如何やらあの後国木田さんによって探偵社の皆さんに話が広まり、誰かが太宰接近禁止令なるものを掲げ、全員が賛同。私に太宰さんが近寄らないようにしているらしい。
乱歩さんの対処法は聞きたかったような気がする。
「歩、次はね......」
乱歩さんがコンロを指そうとした時だった。
「乱歩。」
社長がすっと乱歩さんに皿を差し出した。其処には野菜がこんもり載っていた。
「福沢さん......」
乱歩さんが目を開いた。
「野菜は食べねばならん。」
「......むう。」
「乱歩。」
「......はーい。歩、たれ二本持ってきて。」
私はたれを持ってくると乱歩さんはどばどばと野菜に掛けてひたすら無心で口に運んでいた。
「美味いだろう?」
「うん、たれがね。」
たれを強調する乱歩さんだが、社長に褒められると嬉しそうにしていた。成る程、乱歩さんには社長の言葉が一番良いらしい。
私も谷崎さんやナオミさんから肉や野菜をいただきながらベンチに座り黙々と食べる。塩が一番素材の味も引き立ち美味しい気がした。
「焼おにぎり食べた?」
私が皿にあったものを全て食べ終え一息着いていると鏡花ちゃんが私の隣に座った。
「未だだけどもうお腹いっぱいだから。」
「私もお腹いっぱい。でも、食べる。今しか食べられないから。」
「また連れて行って貰えば良いんだよ。きっと鏡花ちゃんがお願いすれば連れて行ってくれるから。」
「あなたがいない。」
鏡花ちゃんがぽつりと云った。
「マフィアに居た時、あなたを見て、マフィアに向いていない人だと思った。優しくて、温かい人だと思った。今はもっとそう思う。あなたは......此方に来るべき。」
「其れは探偵社に、という事?」
鏡花ちゃんがこくりと頷いた。
「あなたならマフィアから抜けられる。私も協力する。きっと皆も......」
「ありがとう、鏡花ちゃん。」
そして、ごめんねと謝る。鏡花ちゃんは眉間に皺を寄せ探偵社は厭?と尋ねてくる。
「厭じゃない。でも、私には探偵社以上に大切な場所があるから。」
「彼処がそんなに......?」
「鏡花ちゃんが敦さんに導かれたように、私を此処まで導いてくれた人がいる。」
私は其の人を裏切れない。裏切りたくない。
「人を殺さない選択肢があるなら、其れを選びたい。けど、殺さなければあの人を守る事ができない。」
中原幹部を守る。そのために私は覚悟を決めた。人の死の上に生を得る覚悟、人の生きたいという想いを踏み躙る覚悟を。
「だから私は探偵社には居られない。......心配してくれてありがとう。鏡花ちゃん。」
鏡花ちゃんの頭をそっと撫でた。鏡花ちゃんは俯いて、一言そうと云ってぱたぱたと何処かへ行ってしまった。
傷付けてしまっただろうか。だが、此れで良かったのだとも思う。私は光の世界に行くために探偵社に来た訳ではない。ポートマフィアの未来のために、私は探偵社に来たのだから。
▽
キャンプファイヤーをして、花火をして、テントで眠りに着いて。
そして、朝が来た。
スマートフォンを見てみたが、中原幹部から返信はない。忙しいのかもしれない。朝の富士山を拝みながらスマートフォンを仕舞う。
今日は後片付けをして、周辺を散策して昼には新幹線に乗る。夕方前には探偵社に帰り、各々仕事に戻る予定だ。
テントを片付け、全員で朝食を取り、町をうろうろした。お世話になっている人にお土産のお菓子を購入し、郵送の手続きをした後、新幹線に乗り込んだ。
新幹線内では国木田さんと将棋をし(終わらなかったので盤面を記録)、探偵社に戻った。
因みに今日も太宰さんの接近禁止令が発動していたため、太宰さんが近付いて来る事はなかった。
「昨日今日はありがとうございました。楽しかったです。」
「此方こそありがとう、ボク達も楽しかったよ!」
「ええ、また遊びましょうね!」
谷崎さんとナオミさんに見送られながら、バイクに乗り帰路に着いた。
フェージャは家に居るのだろうか。ご飯はちゃんと食べたのか。心配しながら公道を走っていると、ふと視界に二つの影を捉えた。
中原幹部と射鹿さんだった。
しかも射鹿さんが中原幹部の腕に自分の腕を絡め、仲睦まじそうに歩いていた。
......矢張り二人は付き合っていたのか。
ポートマフィア最強幹部と名高い中原幹部と美人で優秀な秘書射鹿さん。
前にも感じたが二人でそうして歩いているのを見ると尚更お似合い過ぎると思った。
中原幹部も遂に結婚か......。
思考を巡らせながら着いた先はアパートではなく、作良さんの工場だった。
「あれ、歩?どした?」
PCの画面を注視していた作良さんが私の突然の訪問に目を丸くした。
「......作良さん。」
「え、何?」
「御祝儀って幾ら包むのが妥当なんですか?」
「祝儀?誰のかによるんじゃね?」
「中原幹部のです。」
「は?」
「中原幹部の、です。」
はああああっ!?と作良さんが絶叫を上げる。
「え、え、中原幹部とお前?否、お前なら祝儀要らないよな。え?おめでとうございます?」
動揺及び興奮しながらもお祝いの電話でも入れるかと携帯電話を取り出す作良さんを制する。
「未だ付き合っている段階だと思うので。静かに見守りましょう。」
「あ、そうなんだ。準備早いな。にしても中原幹部が付き合うだなんて強制力強い系統の見合いか何か?」
「否、中原幹部直属の強襲部隊兼秘書の方です。」
作良さんが、ん?と眉根を寄せた。興奮し、紅潮していたような作良さんの顔がすっと冷めていった。
「いや、いやいや、だったらないわ。うん。」
作良さんは一転し、否定した。
「ない事はないかと。」
「絶対ない。歩、一旦冷静になれよ。」
私は冷静だ。落ち着いている。
「てか、何を根拠に付き合ってるなんて言い出したんだよ。何か見た?」
私は記憶を反芻しながら作良さんに歩み寄り、其の腕にぎゅっと腕を回す。
「こんな感じで仲良く歩いてました。」
「......俺が中原幹部で、お前が其の秘書って事?」
私は三度程首を縦に振って腕を離した。
「いやあ、其れは......うーん。任務か何かなんじゃねえの?」
「任務......」
「俺らもたまにあったじゃん。恋人のふりして尾行するやつ。その方が自然で警戒もされないだろうからって。まあ、お前があまりにあれだったから白紙案件になったけど。」
確かにそんな話が前あったような気がしないでもない。けれど、それを態々幹部がするだろうか。......否、中原幹部ならあるのだろうか。
作良さんは吐息を漏らし、だからさ、と私を見上げ続けた。
「そんな辛そうな顔すんなよ。大丈夫だから。」
私は息を呑んだ。私が、辛そう?
「そんな顔、してますか?」
「うん、してる。」
断言され、私は戸惑いを隠せない。
如何したら良いか分からない。錯乱する頭の中で作良さんに尋ねる。其の声は自分でも信じられない程震えていた。
「私、如何すれば、良いんでしょうか?」
作良さんが私に手を伸ばし、宥めるように頭に手を置いた。
「ごめんな。其れは歩が自分で気付くべきだと思うから。」
何も教えられない、と作良さんは泣きそうな顔で笑う。作良さんが何故そんな顔をするのか私には分からなくて。
心臓を掴まれるような痛みがずっと私を苛み続けるのだった。
▽
今回は太宰さんが色々やらかしましたね。太宰さんはどちらかというと今まで保護者色が強かったんですが、今回のお話で気付いちゃったという内容でした。(何がとは言わない。)
因みにあの太宰さんのシーンなんですが、この内容ともう一つ考えていたのですが、やっぱりちょっと余裕のある太宰さんが良いかなと思い、此方にしました。
因みに没した太宰さんのセリフがこれです。
「一寸待って。君がそんな反応すると思わなくて。さらっと流されるものだと思っていたから。あー、あー、自殺、自殺しよう!富士山をバックに入水!なかなかに粋じゃあないか!」
かなりあわあわしている感じでした。夢主もあわあわしてました。こっちの方が楽しかったかもですね笑。
第二部は夢主と中也の試練やら葛藤やらを中心とした話にしたいと思っています。射鹿さんはその一つですので、ライバル的な存在として存分に引っ掻き回していきますがご了承ください。すみません。
次回は、予告していたシグマ君回です!最新刊読んでいない人はお気をつけください。......カジノのでするゲームのルールを見たんですけど大体意味が分からないので描写が酷い事になるかもしれません笑。つまり、私はカジノには行かない方が良いという事......。そもそもそんなお金ないですけどね。
アニメ終わったけど文スト熱全然冷めない......。文ストって凄い。これからも書いて書いて書きまくります!これからも暫くお付き合いよろしくお願いします!
因みにですが、更新履歴を作りました!トップページに突然現れた日付の部分です。更新履歴と共に適当な話をしております。
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