其の十三

※暴走しました、ごめんなさい。(先に謝罪していくスタイル)た、たまにはこういう事があっても良いですよね......良い、ですよね?(震え声)

私は作良さんと共に、中原幹部に対抗する作戦の一連の流れを説明した。国木田さんは暫し黙考した後、頷いた。

「それなら条件さえ揃えば本当にあの中原中也を足止めできる可能性がある。太宰は如何思う?」

「うん、可能だよ。何せ一つは昔私が中也を陥れようとして考えていた作戦と近似しているからね。......ただ歩ちゃん、一人で戦うつもりだね?」

此の作戦だと君は単独で中也を相手取らなければならなくなる。
太宰さんはそう分析した。

「中原幹部と武装探偵社の人達が戦う事になれば重篤な負傷を負ってしまう可能性があります。でも私なら契約上、最小限の被害で抑えられる筈です。其れで時間を稼ぎ、かつ作戦が成功すれば彼方側の撤退は十分有り得ます。」

物事を成功させようと考えた時、自分がすべき事は何か。私は失敗と為り得る要因を悉く排除すべきだと考えている。成功と失敗は表裏一体の関係にあり、何か一つでも穴があれば成功は失敗へ成り下がる。ならば其の穴は全て私自身で塞ぐ。

此の依頼を失敗させる最大の要因は中原幹部を如何に対処するかに掛かっている。寧ろ其れさえなければ成功はほぼ確実だろう。何せ私の今の味方はあの武装探偵社なのだから。

中原幹部と戦わなければならないならば私が戦う。武装探偵社の誰も傷付けさせず、ポートマフィアの誰も殺さない。

「何故貴様はそうなんだ。」

国木田さんの声は糾弾の色を含んでいた。

「前の作戦の時もそうだ。自分が傷付く事を厭わず、一人で......。」

国木田さんは拳を握り締め、顔を背けた。国木田さんは心底優し過ぎる。私はポートマフィアの人間、最終的に見れば他所の人間。気に病む必要性は無いのだ。其れを敵に利用されないように切に祈るばかりだ。

「歩はいつも一人で戦ってきた。......でもな、其れは周りがそうさせてきたからだ。いつだって歩は一番危ない所に、一番辛い所に一人で行かされ続けた。誰も助けてくれやしなかったんだ。そして、其れが歩の中で最善になった。」

作良さんが小さな冷蔵庫から緑茶のペットボトルを取り出し、四つのコップに注いでいく。

「だからおれは歩が一人でも戦えるように、なるべく怪我しないようにブツを準備してやる事しかできない。この足じゃそれくらいしかしてやる事ができないんだ。」

「それくらいってそんな......」

拳銃などの武器、バイク、この白衣だって、私が持っているものは全て作良さんが準備してくれたりカスタマイズしてくれたものだ。

何より......

「あの事故だって私がいれば......」

「はいはい。其れは何万回と聞いたし、何万回でも云うけどお前は悪くないの。」

カウンターにコップを滑らせて配っていく作良さんは聞き飽きたとでも云うように粗略に告げる。

「其の事故というのは何があったんだい?」

太宰さんが尋ねると作良さんが腕を組んで、軽い口調で話した。

「敵組織の拠点を漁ってて、仲間の一人が何か箱を見つけてさ。開けたら爆弾でした、みたいな?」

私は中原幹部他数人と外で事後処理をしていた。殲滅作戦終了後であり、緊張感もなく中原幹部と他愛もない話をしながら作業していたのを覚えている。だから、突然の爆発に驚愕を隠せなかったし、あっという間に一面が火の海になった時にはひどく動揺した。

中原幹部が、足を失い血の気の失せた顔をした作良さんを瓦礫から引っ張り出した時は後悔の念が私の頭の中を埋め尽くした。

私なら絶対に爆発なんてさせなかった。作良さんの足をこんなにする事はなかった。

「......だから、あの時も率先して。」

国木田さんが思い出していたのは、先日の私と中原幹部、太宰さん、国木田さんによる共同作戦の事だろう。国木田さんと二人で行動する事になった私は建物内部で薬品の箱の確認をしていた。

「私の異能はそういう使い方ができるので当然です。」

コップの緑茶に口を付けながら私は断言する。

「其れにもう絶対後悔したくないですから。」

後悔しない道があるなら選び続けていたいと心から思う。しかし其れは決して容易ではなく、自分の力不足をいつだって痛感する。

強くなりたい、あらゆる面で。

「無理はすんなよ。お前の異能力だって絶対じゃないんだから。」

「......気を付けます。」

作良さんの忠告を心に留めつつ私は明日の作戦に話を戻す。

「作良さん、大変申し訳ないのですが時間が余りないので早急に準備に取り掛かりたく思っているのですが。」

「全部任せな。でも機材運ぶ人間は手配して欲しいところだな。」

「なら賢治君と事務員を数人呼ぼう。」

太宰さんが瞬時に応えてスマートフォンを操作する。

「金庫の運送は鏡花ちゃんの異能を使おう。歩ちゃんは中也に集中すると良い。」

「太宰......!」

国木田さんが反論しようとするが太宰さんは首を振って制止させる。

「歩ちゃんは自分の役割を分かっている。そして覚悟もある。ならば私は尊重し、自分のすべき事をする。安心したまえ、国木田君。作戦が成功しさえすれば歩ちゃんも、探偵社も、ポートマフィアでさえも被害は最小で済むのだから。」

「......本当に良いんだな?」

国木田さんの問いに大きく頷いて返す。国木田さんはならと腰を上げた。

「俺も為すべき事を為す。作戦指揮は太宰、任せるぞ。」

「了解だよ、国木田君。」

歩ちゃんと作良君も任せてね、と太宰さんがふわっと柔らかく微笑んだ。

「あのチビ幹部野郎に一泡、二泡......否、五泡位吹かせてやろうぜ!!」

「私としては泡吹いて死ねば良いと思っているけどね!」

「さすがに助けて貰った恩あるから其処までは思ってねえかな、うん......。」

和気藹々?とした空気に和みつつ時間は確かな速度で流れていった。


「はい。......其れは貴方も知ってるでしょ。おれは歩の味方で在り続ける。歩がたまたまポートマフィアに居るから貴方の手伝いをしているだけで。歩が探偵社に行くって云うならおれは探偵社に付かせて貰いますよ。」

古めかしい固定電話の受話器を降ろして作良は吐息を漏らした。

「其処に居るんだろ?」

作良は出入口の金属扉に声を掛けた。すると、薄く扉が開いて太宰が手を軽く挙げて入ってきた。

「ポートマフィア元幹部の太宰治。」

「そっちこそ、仕事は早いけど愛想の欠片もなかったポートマフィア調査班の足立作良君じゃないか。」

真逆こんな所で武器商人なんてやっているとはねえ、と太宰は目を細めてカウンターの近くにある椅子に腰を下ろした。

「武器商人なんて食べていけるのかい?しかもお客様はただ一人、だよね?」

「あー、其処は大丈夫。株やってるから。」

「成る程ね。」

太宰は相槌を打って椅子の背凭れに体重を掛けた。ギシリと軋んだ其れを横目で見ながら太宰は言葉を投げた。

「先刻の森さん?」

「森さん?......ああ、そうだけど。別に今回の作戦も、依頼の事すらも話してない。歩が出向してるから、まあ立ち位置の確認ってやつ。」

作良はノートパソコンを開いた。暫く二人の間には沈黙が流れた。此の二人に直接の接触はない。ただ互いに名前を知っているというだけの関係だった。

「なあ。」

「うん?」

「お前なら歩をそっちの世界に連れ出せる?」

太宰はゆっくりと作良に視線を移動させ、至極平坦な声で云った。

「できるよ。」

太宰の瞳が闇を帯びる。
まるで組織の裏取引の現場に居合わせてしまったような重い空気が流れた。

「そもそも彼女の出向を取り次いだのは私でね。」

「は......?」

作良は面食らって、反射で太宰を見やる。

「経緯はさておき、歩ちゃんに此方の世界を経験させてあげようと思ったのだよ。そして、もし此の世界に残りたいと彼女が願うならできるよう手配する心算でいるよ。」

「出向ってそういう......」

作良は太宰の計画を悟った。

「異能特務課にも此の一ヶ月、彼女が此方で確りと働く事ができたなら便宜を計って貰えるようにしている。特務課としても歩ちゃんをポートマフィア内で監視するより此方に居てくれれば自分たちの危険性が低くなるからね。喜んで応じてくれたとも。」

作良は希望を見出だしたように目を輝かせる。ずっと欲しかったものが手に入った子どものように。

作良はずっと探していたのだ。歩がポートマフィアから抜け出す道を。

「けど、君も知っているだろう?」

太宰の言葉に浮わついた気持ちが落ちていく。

知っている。だから、肯定するしかない。

「中也が歩ちゃんを逃がす筈がない。歩ちゃんも中也に絶対とも云える忠誠心、それ以上の感情を抱いている。そう簡単に覆る事はない。」

「......知ってるよ、ずっと見てきたから。」

作良はそれでもと唇を噛んだ。

「おれは歩に幸せになって欲しいんだよ。そのためには中原幹部じゃ駄目なんだ。明るい世界にいる奴じゃなきゃ駄目なんだよ......!」

太宰はそんな作良を見て一つ疑問を述べた。

「自分で、とは思わなかったのかい?」

作良は瞬きをして、静かに苦笑した。

「前はそう思ってたよ。足がある頃はな。でも今は思わない。此の足じゃ歩を守るどころか、支える事も、手伝う事もできない。足手纏いになるんだよ。」

「足を理由に逃げる心算?」

「ああ、逃げるよ。おれは彼奴に普通の幸せを得て欲しい。必要以上の苦労も痛みもない、平凡な幸せを掴んで欲しいんだ。」

其れをできる限りで良い。近くで見る事ができたら十分だ。作良は決まりきった事のように云った。

「ふぅん。君は欲が有るのか無いのか分からない人間だね。」

太宰は深い笑みを繕い、窓から見える月を眺めていた。


翌日22:00、青白い光を放つ月の下で厳かに上納金の受け渡しが行われていた。

「此の金庫の中に10億......ですか。鍵は如何したんです?」

「そ、其れはつい先日......」

中也は金庫の様子を検分しながら、努めて丁寧な口調で鍵の在処を問う。奈良部は口ごもり不審な様子だった。

「何か不都合でも?」

「......その。」

奈良部は中也から顔を背けた。

「と、トイレに......」

「な、何かすいません。」

中也は奈良部の云わんとする事を察して即座に謝る。気まずい空気が漂い始める中、一人の構成員が抉じ開けますか?と尋ねた。

「......これじゃあ、実際に10億あるか分からねェしな。専門の奴呼んでただろ。其奴らにやらせろ。」

中也は構成員が回収していく金庫から視線を外し、奈良部との会話に集中する。ポートマフィアにとっても上納金10億は大金だ。丁重に扱わなければならない。萎縮する奈良部に言葉を掛けつつ、周囲の警戒に当たる。部下十数人と念のため黒蜥蜴にも見張らせてはいるが10億の現金直接受け渡しだ。嗅ぎ付けた別組織との戦闘だって十分に考えられる。

しかし、突然構成員の呻き声が響いた。どさりと地面に倒れ伏したのは先程金庫を回収していった者だ。

しかも、其の金庫は忽然と姿を消していた。

金庫があった場所には小さな雪の欠片が残っていた。

「......武装探偵社か!」

中也は全員に戦闘態勢を命じ、構成員と黒蜥蜴を引き連れ、雪の痕を追う。

其れは少し奥まった路地の半ばで止まった。

「よぉ、手前は武装探偵社の奴だったよな?」

中也の眼前に立っていたのはフードを被った男だった。

「手前らいつの間に強盗紛いの事をするようになったんだ?」

男は何も云わない。

「あの武装探偵社が資金不足ってか?泣かせる話じゃねェか。だがポートマフィアの金に手を出すべきじゃなかったな。」

中也の両脇から立原と銀が現れ、広津が控える。

「金庫の在処を吐かせる。殺すなよ。」

「幹部殿の仰せのままに。」

銃口が、剣先が、男に一斉に向けられる。

男は動じず、中也の背後更に奥を見ていた。

中也が違和感を覚え、振り返った瞬間だった。

中也の後方で自動小銃を握っていた構成員が壁に叩きつけられ、意識を失った。もう一人が後頭部を殴られたように地に伏した。次々に部下が姿を持たない何かに倒されていく。

「くそっ、事務しろって云っ......!」

立原が何かを叫ぼうとして倒され、銀も驚愕のようなものを見せて倒れた。広津も二人の反応に何か感付き異能を使う事を躊躇ってしまったため、地に伏す事となった。

残ったのは中也だけとなった。

「手前っ......!」

中也は異能攻撃を仕掛けようとしたが。

雪の中から現れたその姿、自分では無い人間の名前を呼ぶ声に思考を奪われた。

「谷崎さん。」

其処に居たのは、白衣の少女。
其処に最も存在して欲しくなかった少女。

歩だった。


「谷崎さん。」

虚を突くような形で最後に広津さんの意識を刈り取った私は谷崎さんに駆け寄った。

「ありがとうございました。お怪我は?」

「大丈夫だよ。其れより本当に良いンだね?」

「はい、計画通りに。」

谷崎さんは私の肩に手を置き無理はしないようにと云って身を翻した。

「太宰さん。」

『全て順調だよ。数人が鏡花ちゃんと夜叉白雪を追っているけど敦君がフォローを入れてる。到着までは5分といったところかな。あっちもそろそろ準備が終わりそうだ。』

インカムから聞こえる声に了解ですと答え、中原幹部に意識を集中する。

中原幹部と私だけとなった世界は静寂に包まれていた。中原幹部の表情は帽子と角度によって定かではない。

中原幹部も谷崎さんとの異能力とのコンビネーションで倒せば良かったのではないか。答えは否だ。中原幹部は戦闘態勢になった時点で防御のため異能を全身に纏っている。あらゆる攻撃は防がれるし、返り討ちに遭う。それに私の正体が知れないままだと広範囲の重力攻撃で谷崎さんもろとも倒されてしまう可能性だってある。

中原幹部との対決は必然なのだ。

「手前は、」

中原幹部が唇を開いた。其れは掠れて今にも消えそうな声だった。

「手前はずっと俺の味方で居る。そう信じてたんだがな。」

「......え?」

其れはまるで。

まるでもう私が中原幹部の味方じゃないとでも云うような。

まるで中原幹部を裏切ったとでも云うような。

「物や金じゃ手前は靡かねェ事位知ってる。なら、手前が武装探偵社に付く理由......太宰か。」

何故、如何して。
真逆、中原幹部に出向の件が伝わっていない?否、それしかない。中原幹部に出向の件は直接伝えていない。伝えられなかったのだ。中原幹部は短期遠征に行っていると梶井さんから聞いていた。重要な案件だったため連絡も制限されているようだった。

けれども、首領を通して伝達はされている筈なのだ。

「矢っ張り、彼奴は殺しておくべきだったな。」

「違います!太宰さんは関係な......」

蛇に睨まれた蛙、とは正に此の事だった。中原幹部の殺気を孕んだ青い瞳に身体が凍りついて動かない。高山のように周囲の空気が薄くなっている気がした。ひりひりと焼け着くように肌が痛い。

「っ......あ。」

弁明しようにも声が出ない。

それなのに。

頭の中でけたたましく警鐘が鳴り響いた。

30秒後。

このまま何もしなければ私は、戦闘不能が確定してしまった。

「裏切り者の話を聞くとでも思ってんのか?」

バサリと中原幹部が羽織っていた長外套をコンクリートの路面に落とした。

「手前が一番よく知ってるだろ。」

中原幹部が地を蹴る。

一瞬で私との距離を縮め肉迫した中原幹部は拳を振り抜いた。私は首を捻り何とか躱した。右耳を掠っただけの筈なのに其の打拳から起こされた風圧で身体のバランスが崩れる。

「裏切り者の末路は死だ。」

冷たい、抑揚の無い声が耳を抉った。

「中原幹部っ......」

「真逆、手前と殺し合いする事になるとはなァ、歩。」

警鐘は止まらない。でも、回避する方法が分からない。

もう危機は10秒まで迫っていた。

私はこのまま中原幹部に殺されるのだろうか。中原幹部が最も傷付く誤解をさせたまま、そして後で私は出向しただけと教えられて、伝達ミスを知らされて、中原幹部は......。

そんな未来、絶対に厭だ。

5秒。

中原幹部の連続の打拳を最小の動きで避ける。反撃をする隙は何処にもない。一撃一撃に死が連想される攻撃だった。

近接戦闘では圧倒的に実力差がある。かと云って拳銃を使えば中原幹部に異能力を使わせる切欠となる。中原幹部にこの状態で異能を使われれば私に勝ち目は無い。

2秒。

中原幹部の蹴りのモーションが見えた。打拳を対処するのにやっとの私に此れは避ける事ができない。そしてこの攻撃こそ警鐘の原因となる一撃であると私は察した。

1秒。

命中すれば一堪りも無いような回し蹴りが突き刺さった。咄嗟に腕で防御し、身体に回転を掛け衝撃を流す。警鐘は止まった。其れでもあちこちの骨が軋み、身体が宙を舞った。一直線に突き当たりまで吹き飛ばされた私は背中をコンクリートの壁に打ち付け、硬い地面に倒れた。

「か、はっ......!」

全身が痛い。だが、最小の被害で抑えられた。
まだ身体は動く。

私は立ち上がろうとして膝に力を込めるが、濃い陰が差したのが見えて息を呑んだ。

「遅ェ。」

腕を掴まれ、無理矢理立たされる。両手首を左手だけで壁に押さえ込まれてしまう。

「殺すとは云ったがただじゃ殺さねェ。何で武装探偵社に居やがるのか。あとは情報だな。吐くまで拷問だ。」

「っ......!」

「姐さんの拷問班が一番だろうが。手前は俺の部下だったからな。自分の不始末は自分で付ける。」

中原幹部は私の髪を左耳に掛けるようにして其処に有るインカムを引き抜いた。

其れを冷たく見下ろすと地面に落として踏み潰す。バキリと乾いた音が路地にこだました。

「中原幹部は......あの10億が如何いうお金か知ってるんですか。」

「奈良部の金じゃねェって云いてェなら知ってる。」

あの会社に上納金払えるような金銭的余裕ねェからなと中原幹部は執拗にインカムを踏みながら云った。

「だから奈良部は殺してナラベコーポレーションと其の金持ってた元の企業は傘下企業で吸収、金はそのまま押収するってのが首領の意向だったんだよ。」

「探偵社は違います。」

探偵社が考えていたのは10億は元の企業に返し、奈良部は別の案件で軍警に引き渡す。これならば奈良部を法によって裁く事ができ、10億は在るべき場所に戻る。誰も死ぬ事はない。

「で、手前はポートマフィアのやり方が気に食わねェから探偵社に付いたと?」

「そうじゃなくて......」

「だろうな。」

中原幹部が私のリボンタイを指でスルリと外して落とした。更にボタンを外してブラウスの襟を無造作に開く。中原幹部が何がしたいのか分からず私は戸惑う事しかできない。

「中原、幹部......?」

「太宰に何云われた?」

「だ、太宰さんは何もしてなっ......」

中原幹部は肌蹴た襟から肩口に顔を寄せ、次の瞬間、其処に深く歯を立てた。

「ひ、っあ!」

ブツリと皮膚が裂ける音、鮮烈な痛み。

なのに背筋をぞくぞくとした痺れのようなものが走っていく。

「俺より太宰のが大切か?」

「私の、大切は中也さんだけ、ですっ......」

今度は首筋に顔を埋められる。中也さんの髪が耳に当たり、息が首に掛かって擽ったい。

「そうだ。じゃあポートマフィアから、俺から離れた理由は?」

首筋を唇がなぞってまた歯を埋められる。そうされると身体が熱を帯びて意思とは関係なくびくびく震えてしまう。よく分からない感覚が全身を巡っていくのが怖い。

「んっ......其れは。」

『森さんの命令だよ、中也。』

私より先に答えたのは、太宰さんだった。中原幹部は足元のインカムを見、更に私の白衣を見て舌打ちする。

そう、私と太宰さんは念のためインカムだけでなくもう一つの通信手段としてスマートフォンを通話状態にしていたのだ。

『歩ちゃん、準備完了だ。』

「っ......了解です!」

私は中原幹部の手首の拘束をさっと抜ける。勉強していた拘束された場合の対処法が役に立った。情報が記載されていた書籍に感謝しつつ私は逆に中原幹部の片方の手首を掴んだ。

私の戦闘スタイルは二挺の拳銃と中原幹部に教わった体術などを駆使した中近距離攻撃だ、と思われている。実際其の通りなので否定はしない。

けれども、いつまでもそのままの私じゃない。

中原幹部を。中也さんを守るために。

もう絶対後悔しないために。

強くなると決めた。
其の一端を守るべき人に使う事になるとは思ってもいなかったが。

私は渾身の力を込め投げ技を放った。

投げ技など私が使う筈もない、そして太宰さんの言葉に対する動揺そんな不意を突いた技は中原幹部を投げ飛ばすには十分な威力を持っていた。

私は攻撃が成功するや突き当たりを曲がって走った。

「太宰さん、ありがとうございます。」

『いえいえ。それより怪我は大丈夫かい?』

「はい、問題ありません。色々誤算はありましたけど......。」

私は中原幹部に噛まれた首に手を置く。中原幹部の噛み痕がじくじくと痛んだ。

『そうだね。......其の伝達ミス、ただのミスなら良いのだけどね。』

一抹の不安は過るも、今は胸に仕舞っておく。背後から中原幹部が迫っている。横目で確認すると受け身は取っていたらしく汚れ一つ怪我一つ無い。もう感嘆しか思い浮かばない。

全身に痛みを感じながらも全力で足を動かし、工事のため立ち入り禁止と書かれた看板の脇を通ってビルに囲まれた少し広い敷地に入る。

「鬼ごっこは終わりか?」

不敵な笑みを浮かべて中原幹部が一歩一歩近付いてくる。
私も後退するが壁に背中が着いた。行き止まりだ。

「......はい、此処で終わりです。」

「手前が諦めるなんて珍しいじゃねェか。」

中原幹部が確かな速度で私に歩み寄る。

あと10メートル。
あと5メートル。

そして、大きく一歩踏み出したその時だった。

「っな......!」

中原幹部の動きが止まる。額に手を当て、苦しそうに眉を寄せた。

私は懐から鉄線銃と書かれた手帳の頁を手にする。国木田さんの異能力で其れは具現化し、アンカーをビルの縁に差して巻き取り、屋上に降り立った。

「中原幹部の異能力は重力のベクトルを操るというものです。中原幹部自身は其れを余り深く考えず無意識に発動しているでしょう。」

しかし、其れは違うと私たちは考えた。例えば銃弾を防御し、かつ同じ速度で跳ね返すならばまず銃弾に掛かっているあらゆる力、ベクトルを0にする。更に其の銃弾に反対方向の先程と同値のベクトルを掛ける。他にも複数の行程があるだろうが最低でも此の二つのプロセスが必要な筈だ。

つまり中原幹部は単純ではない思考を脳内で実行していると云える。

其れを崩せば繊細かつ多彩な異能力攻撃は困難となる。

「中原幹部の今いる地点に複数の周波数の異なる音波を照射し、唸りを生じさせています。人間にはかなり不快な、思考を乱される音となっているでしょう。」

更に三半規管を狂わせ、平衡感覚も奪われている筈だ。普通の人間なら立っている事も儘ならない。

「糞っ......!」

逆に云えば計算の必要ない周囲への影響を度外視した攻撃は可能である。

なので私は次に顔を上空に向ける。

バラバラとヘリコプターのプロペラが回る音が近付いてくる。

「太宰さん。」

『オーケー。国木田君行くよー!』

其のヘリコプターは箱を運んでおり、私たちの直上でホバリングすると同時に底が開いた。

白い粉のようなものが降り注ぐ。

「此れは......」

「小麦粉です。」

中原幹部は目を見開き私を見上げた。

「粉塵雲、酸素、そして......」

白衣の衣嚢から手榴弾を取り出す。

「着火元。粉塵爆発の条件が揃いました。」

中原幹部の異能は触れたものの重力を操る。逆に云えば触れたものしか操る事はできない。中原幹部の身体に触れた小麦粉は確かに操る事はできるだろうが、空気中を漂うものに関しては操れない。強大な力で無理矢理弾き飛ばしたとしても小麦粉は更に空気に広がって粉塵爆発の規模を増大させるだけだ。

此処で粉塵爆発を起こせば中原幹部に防御する術はない。

「今私がこのピンを外せば如何なるか中原幹部なら理解できる筈です。」

中原幹部は目を伏せて、小さな吐息を溢した。

「形勢逆転って訳か。何が望みだ?」

「この件から退いてください。それと、私の話を聞いてください。」

中原幹部は暫く逡巡したが分かったと両手を挙げた。意図を汲んで私は音波の出力を停止するよう太宰さんに頼む。中原幹部も部下に通信機で指示を出していた。

「で、話ってのは?」

「私、ポートマフィアを裏切った訳じゃありません。」

私は中原幹部に事情を説明する。中原幹部は最初目を白黒させ、最後には成る程なと納得したように首を縦に振った。

「初耳だ、んな話。」

「そう、ですか。」

矢張り伝達ミスのようだ。

「手前も手前だ。そういう大事な話は直接報告しろって云ってんだろうが。」

「す、すみません......。」

「要らねェ傷作っちまったじゃねェか。」

傷の事は問題ない。多分軽傷だ。それより誤解が解けて良かった。私は心底安心した。

肩の力が抜け、ほっと息をついた。
瞬間、右肩を激痛が貫いた。

「え......?」

「なっ......!」

仰向けに倒れそうになる身体をぎりぎり立て直すも、痛みに膝を着いた。

傷口を見る。じわりと白衣に赤が滲み、広がっていく。

此れは狙撃だ。
何故、何処からかは分からない。でも、私の異能力が発動しないギリギリの場所を正確に撃ち抜いてきた。もし狙ったのだとしたら相当な手練れに違いない。

「歩!!」

中原幹部が異能で宙を駆け、私の傍らに降り立つ。

「だ、大丈夫です。肩ですし、貫通してますから。」

「手前のこういう時の大丈夫は信じねェって決めてる。」

中原幹部はぴしゃりと云って患部の確認を始める。

「歩っ!」

其処に下の階で控えていた作良さんまでやって来る。車輪をいつもとは比べ物にならない程高速で回し、私の前で急ブレーキを掛けるようにして止まった。

「傷は!?此れ、消毒薬と包帯と......」

車椅子に備えている衣嚢から応急手当の品々を取り出し、バケツリレーの要領で中原幹部に手渡していく。

「矢っ張り足立が一枚噛んでたか......。」

「矢っ張りって何だよ。云っておくけど、此の作戦考えたのは殆ど歩だからな。」

そんな事はない。足立さんの方が寧ろ意見を沢山出していた......気がする。

「否、手前は相変わらずだなと。」

そんな作良さんの態度に中原幹部は微笑した。

「は?」

「何でいつもそんな喧嘩腰なんだよ。此方が寧ろ冷静になってくるわ。」

「おれも冷静です!な?歩。」

「よく分からないですけど、確実に中原幹部の方が冷静です。」

中原幹部が止血を完了し、後でちゃんと医者に診て貰えよ、と念を押す。

「悪い、足立。此奴の事見ててくれるか。俺はやる事がある。」

「探偵社の連中が来たら一悶着ありそうですしね。了解です。」

「其れもあるが、先に云っておく。歩を撃ったのは俺の部下だ。」

作良さんが途端に怒りを露にする。

「ならさっきのは幹部の命令だったって事ですか。」

「否、撤退命令出した後だったから彼奴の独断だ。」

中原幹部が厳しい目で遠くを見ていた。其れは其処にいる狙撃手を睨み付けているようにも見えた。

「首領から改めて手前の話は聞く事にする。報告で本部には来るんだろ?」

中原幹部が尋ねるので私は応じる。

「はい、週一で......」

「その時は必ず俺の執務室も寄れ。良いな?」

中原幹部はそれだけ云って屋上から飛び降り、夜の闇に消えていった。

そうして入れ違うように宮沢さんと谷崎さんが現れて血を流す私を慌てて運んでいった。


懐のスマートフォンが振動しているのに気付いて中也は一瞬足を止めた。画面の着信先は非通知となっているが画面を指で押下し、耳に当てる。

『はーい、中也!』

「糞太宰、俺は手前みたいに暇じゃねェんだ。切るぞ。」

『歩ちゃんが本当に探偵社に入ったと思った?』

中也は押し黙る。

『別の組織なら歩ちゃんの裏切りは考えもしなかっただろう。でも、探偵社ならあるいはと君は考えた。だから焦った。』

太宰の推測は間違いではない。だが、正しいとも言い難い。

「......確かに、彼奴が全員倒して俺の前に立った時はびびった。でもな、彼奴の目見たら裏切ってねェ事くらい分かる。」

『へえ、余裕だね。歩ちゃんが此の一ヶ月で心変わりしないと良いね。』

「負け犬の遠吠えにしか聞こえねェな。一ヶ月預けてやるから無駄な努力でもしてな。」

中也は通話を切って再び走り出した。


「あ、あの、此れは、其の、普通の、傷でして。」

「へェ、其れで?」

「びょ、病院で、だ、大丈夫、だと思ってて。」

冷や汗がだらだら流れる。

「ふむ、まァそうだろうねェ。」

「ですから、与謝野さんの、異能力は使わなくても......」

「普通なら、そうなんだろうけどねェ。それだと全治二週間くらいにはなる。その間、右肩は動かせない。一ヶ月の内の二週間、探偵社で何の仕事もしない心算かい。」

「そういう訳ではっ、決してなくて......」

与謝野さんの手にあるチェーンソーがギラリと光る。

「探偵社に入ったからには探偵社のやり方に従って貰わないと。郷に入っては郷に従え、そう云うだろう?」

「そ、其れはそう、ですけど。」

反論の余地がない。

「なら妾の施術は受けられるね?」

「ひぇっ......」

逃げ出したくても拘束されていて動けない。拘束の脱出方法なら勉強したというのに。其の知識はこういう時のために使わなければならないのに......!

頭の中で警鐘が鳴った。チェーンソーの刃が近付いてくる。警鐘の音が複数、高く鳴り響く。

此処まで来るといつも頭痛を催していたのだが。あれ?と私は疑問符を浮かべた。何故か全く痛くない。しかし、どういう事だと思う間もなくチェーンソーが私の身体を......。

......数分後。

医務室を出た私を待ち受けていたのは仁王立ちの江戸川さんだった。

「入社試験の件だけど。」

「......はい。」

「素敵帽子君の相手を一人でして、他は全部任せっきりって如何なの?」

責める口調に私は俯く。此れは不合格のパターンなのではないか、胸の中が不安で一杯になる。

「君はポートマフィアの人間。探偵社にとっては部外者だし、ポートマフィアのおかげで傷付いた社員もいる。君を陥れようとする人間がいるとは思わなかった訳?」

「......思いません。」

其れに関しては自信を持って答えられる。私は顔を上げて真っ直ぐ江戸川さんを見た。

「探偵社の皆さんを信じているので。」

太宰さん、国木田さん、敦さん、鏡花ちゃん、与謝野さん、そして江戸川さん。過ごした時間はごく短い人が多い。けれど、その時間の中で私は其の人の人となりを見る事ができたと思っている。その上で私を陥れるだなんて考える人はいないという結論を出した。
初対面の人、また其れに近い人は確かに分からない事が多い。でも、私の目は温かい笑顔と同時に眩しい光を捉えていた。私のような人間ですら迎え入れてくれる優しい光だった。

だから信じないなんて選択肢は存在しなかった。

「君の考えは理解できた。」

江戸川さんはゆっくり目を開ける。

「良いよ、合格だ。君の入社を認めよう。」

「本当に良いんですか?」

「僕は約束は守る。其れに社長が既に認めてるみたいだし。」

江戸川さんがそう云うと同時にバンッと甲高い音を立て奥の扉が開け放たれた。

其処に居たのは和装の男性だった。凛とした立ち姿と威厳ある風貌。首領とは異なる組織の長の姿があった。首領の云っていた武装探偵社社長、福沢諭吉。其の人が今私の前に立っていた。

「貴女の入社を認める。探偵社で学び、今後に生かすと善い。」

「あ、ありがとうございます......!」

上擦った声が出た。鼓動の音が直接耳に響いているような感覚に襲われた。
緊張、しているのだ、凄く。

福沢さんは私の一歩手前まで歩み寄ると私に手を伸ばした。

大きな手が私の頭を緩く撫でた。

その瞬間緊張で硬くなっていた身体から力が抜けた。中原幹部や別の人に撫でられるのとはまた違う。頭の中がふわふわして、気持ち良くて、何処か懐かしい。膝から落ちてしまうのを耐えていると、その手が何故か下に降りていき、私の顎の下を撫でた。

「んぅっ......」

猫を愛で、撫でるみたいな手つきでしかも何故か気持ち良くて抵抗できない。されるがままになっていると江戸川さんが私と福沢さんを引き離した。

「何してるの?!」

江戸川さんが私を背に福沢さんに詰め寄る。

「何してるの!?」

此方から見ても分かる剣幕に私も福沢さんもたじろぐ。

「す、済まない。」

「頭撫でるのは百歩譲るけど、他のところは駄目!」

「分かった。済まない。」

福沢さんが江戸川さんと私に陳謝する。

「そして、福沢さんは僕を褒めるべき。歩の入社試験を考えたのは僕なんだから!」

「よく考えた。流石だ、乱歩。」

「うん!」

福沢さんが江戸川さんの頭を撫で、江戸川さんは満面の笑顔を返した。

私はそっと二人から離れて太宰さんの方を見る。すると、太宰さんが挙動不審になっていた。因みに国木田さんも持っている手帳が反対になっていた。

「く、く、国木田君。え、一寸待って。」

「何を動揺している、太宰。」

「社長って、え?真逆の?」

「真逆の、ではない。貴様の勘違いだ。社長に他意は全くない。そうだ、社長は......社長は歩が猫に見えたんだ。」

「人間が猫に見えるわけないでしょ!」

「正論過ぎて反論できんではないか!」

此処は此処で一波乱起きている模様である。

私は一番大丈夫そうな敦さん、鏡花ちゃん、谷崎さん、宮沢さんのところへ向かった。

「敦さん、鏡花ちゃん金庫ありがとうございました。」

「あ、お、お役に立てて良かったです!鏡花ちゃんも大活躍だったんですよ!」

「頑張った。」

続いて谷崎さんと宮沢さんに頭を下げる。

「谷崎さんが居なかったらかなり厳しかったと思います。本当にありがとうございました。」

「そんな......。君が無事で良かったよ。」

「宮沢さんも機器の運搬ありがとうございました。」

「どういたしまして!」

四人は顔を見合せ、笑った。彼らは口を揃えて云った。

「ようこそ!武装探偵社へ!」

こうして私の武装探偵社での一ヶ月が始まったのである。


事後処理を終えて自宅アパートに戻った時には夜中の3時を回っていた。探偵社の皆さんが手伝ってくださらなかったら更に時間が掛かっていただろう。

欠伸を噛み殺しつつ階段を上る。明日も朝は早い。お風呂に入って寝台で眠りたいものだ、と考えながら視線を自室の玄関扉に向けると。

何者かが其れに背を預けて座っていた。

「え......」

しかもその床は血が流れ小さな赤い水溜まりを作っていた。

黒い外套、白い露西亜帽にも見覚えがあった。

「フェージャっ!!」

夜の静けさも憚らず私は彼の名前を叫んでいた。


「可哀想。」

女が呟いた。

「手足の先からどんどん冷たくなっていくのが分かるでしょう?そう、死が迫ってくるってこんな感覚なんだよ。」

女は歌うような口調で云った。

「ふふ、後は......そっか、もう時間だね。残念。」

残念など微塵も思っていそうにない笑みが月の光を浴びて輝いた。

「早く見つかると良いなあ。私の神様。」

女は闇夜に混じって消えていった。

その夜、街に獣の咆哮が響き渡ったという。

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