番外編三

短編二本と次回予告です。かなり遊びました。乱文すみません。


副題:白衣

「おい、如何いう心算だ。」

本部ビルの廊下で鉢合わせて直ぐ私の、否、私達の何かが中原幹部の逆鱗に触れたらしい。中原幹部は靴音荒く、圧し殺すような声で迫ってきた。

私達と云うからには私は一人ではない。隣には現上司である梶井さんがいたのだ。梶井さんが報告書を本部ビルまで提出しなければならないのだと云い、私が其れに護衛も兼ねて同行した。

特に何の問題も無い、筈である。

だから私と梶井さんは顔を見合せ、首を傾げた。私は何も悪い事はしていない......と思う。心当たりが無い。

「梶井さん、何かしました?」

「うーん......あ、この前買い物した時レモンウォーター買っただろう?」

「買いましたね。」

「あれが凄く美味しくて!幹部殿にも是非にと三箱送ったのだよ!うははは!」

「......着払いにでもしたんですか?」

「......あ、したかも。」

「それですね。」

「それだね、ごめんね。」

「違ェよ!!手前だ!歩だ!!」

着払いは許容だが、三箱はさすがに邪魔だけどな、と付け足しながら中原幹部は私を指した。

「......私、ですか。」

電話にはちゃんと出ていたし、メールも返信したし、任務は全て完了している。食事もしっかり三食摂っている。鍛練も毎日欠かさずしている。

全然思い当たらない。

私は梶井さんを見ると梶井さんもまた私を見て首を捻った。

「服だよ、服。何で手前が白衣着てやがる。」

其れは......。

「ファッション?」

と云わざるを得ないのではないか。

モントの事件が解決し、与謝野さんの異能力のおかげもあって回復した私は一週間程で退院した。その時に久しぶりに街を歩いた私は文字通り目を疑った。

人を見ても眩しくないのだ。光の世界に生きている人というのは今まで通り分かる。けれども其れが全く眩しくないのだ。色に関してもそう。暖色系や白といった色を見ていると目が痛くなっていたが其れも緩和されたのだ。

昼、街を歩くのが苦にならなくなった。
明るい色の服や鞄、道具を身につける事ができるようになった。

そうした事もあって私は梶井さん含め現職場である梶井さんの研究所にいる研究者及び職員が纏っている白衣を着てみようと考えたのだ。

前々から白衣に憧れていたというのもある。

こういった経緯で数日前から白衣を着ている。勿論私は戦闘要員であるため仕様が少し異なるが。

「変ですか?」

「変......じゃねェけど。」

中原幹部は口をもごもごさせて顔を反らす。矢張り変なのだろうか。

「歩君、この梶井、幹部殿の考えを理解しました!」

すると梶井さんが私の肩を抱くように手を置いて云った。

「この梶井と歩君が同じ格好、つまりペアルックが幹部殿は気に入らないのだ!!!!」

「なっ、手前っ!!」

「うははは!はははは!あひゃひゃひゃげほっごほっ!」

笑い過ぎて噎せる梶井さんに、額に薄く青筋を立てて怒りを露にする中原幹部。その真ん中で棒立ちの私。

平時は人通りが結構ある階の廊下にも関わらず、この二人が混沌とした空間を作り出しているおかげで構成員は通ろうともしない。寧ろ私も抜け出したい。

「でも、梶井さん、研究所の人殆ど全員白衣着てますよ。」

「そういえば、首領も白衣着ていたような。即ち首領ともペアルック?」

「皆白衣でお揃い。」

「だねー。」

「ですねー。」

「和むな和むな!」

中原幹部が手前らそんな仲良かったか?と眉を寄せて訝しむ。

「適切な上司と部下の関係だと思います......」

同意を求め梶井さんを見上げる。

「そうそう!もう少しで一歩進んじゃいそうな上司と部下のかんけ......」

「今すぐ千歩退がれっ!!」

中原幹部が声を荒げる。如何やら今日はご機嫌が優れないらしい。

というか、私のせいで機嫌が悪くなったのか。
私の白衣のせいで。少し残念ではあるものの、中原幹部の心的ストレスの要因を無くすのは部下の務め。まずは内衣嚢からナイフや手榴弾などを除き白衣を......

「待て待て、歩。」

「はい。」

「何いきなりストリップしてんだ。」

瞳孔をかっと開いて脱ごうとした白衣を押さえる中原幹部。いそいそと一時的に床に置いたナイフや手榴弾を拾う梶井さん。

「中原幹部が不快に思うものを着続ける道理はありません。脱ぎます。」

私がそう云うと梶井さんは酷く残念そうに俯いた。

「えー白衣解禁おめでとうパーティーまでしたのにもう脱いじゃうの?残念だなあ。研究員の皆も、勿論僕も嬉しかったのに。それに君も嬉しそうだったじゃないか。」

数日前。私が初めて白衣を着たその日。研究員の皆で何故か白衣解禁パーティーなる行事が執り行われた。研究所の冷蔵庫にあったアルコール類やジュースで乾杯、テレビ番組でするような派手な科学実験を行ってわいわい騒ぐ、そんな感じのパーティーだった。最後の締めは白衣サイコーばんざーい!!なんて叫んでいた。補足すると一番大変だったのはその後片付けだった。

「んなパーティーしてたのか。」

中原幹部も目を丸くした。

「とても楽しかったです。」

思い出すと色々可笑しくて頬が緩みそうになる。けれども其処は私。表情筋が動かない。しっかり無表情だ。この顔で楽しいなんて云っても誰一人信じてくれないだろう。

悶々とそんな事を考えていると、中原幹部がくすりと笑った。

「ちゃんと分かってる。」

私の頭をぽんぽんと撫でて云った。

「良かったな。」

「......はい。」

中原幹部の笑顔には純粋な喜色の他に安堵が見えた。
中原幹部には主に人間関係、上下関係で心配を掛けているのを自覚している。

「私、大丈夫ですよ。」

「みてェだな。」

「あの、自分の勝手な思い込みかもしれませんけど......」

「ん?」

「心配しなくても大丈夫、ですよ?」

中原幹部は僅かに目を細める。

「......あァ、その心配はもうしてねェ。」

「代わりに他の心配事が増えて頭が痛い幹部殿であった。うははは!」

「良い加減黙れよ、梶井!潰すぞ!」

「さっきまで黙ってたのにー!」

梶井さんがぴゅーっと走り出す。逃げ足が速い梶井さんはあっという間に姿が見えなくなってしまった。

「あー、糞っ!おちょくりやがって!」

中原幹部が大きく息を吐き出し私を見た。

「白衣、悪いって訳じゃねェ。似合ってる。ただ......」

言葉が切れた。
私と中原幹部の間に沈黙が流れる。
何故か温かくて心地好くてふわふわと足元が浮いてしまいそうな、そんな沈黙だった。

中原幹部はふぅと小さく息を吐いて私を見詰める。私もそんな中原幹部を見詰め返した。中原幹部の口がゆっくり開く、其れが鮮明に目に映った。

「......黒の方が俺は好きだ。」

私の肩を軽く叩き、足早に中原幹部は去っていく。今度暇な時に飯でも行こうぜ、と片手を振り、外套を靡かせる。

「中原幹部!」

私はその背中を呼び止める。中原幹部は半身振り向いた。顔はよく見えない。

「......白は、仕事用にします。なので、中原幹部と会う時は黒を着ても良いですか?」

中原幹部は瞬きをして、そして微笑んだ。

「あァ、そうしろ。」

中原幹部は今度こそ去っていった。

私ら中原幹部を見送ってから梶井さんを追いかけるべく走り出した。


「俺と会う時は黒......か。」

執務室に戻った中也は執務椅子に深く座り、くるりと回転させる。思い出すのは食事に誘う時の歩の言葉。

『それは護衛ですか?』

歩は中也との食事を護衛も兼ねた部下への労いという意味に取っている節がある。

だが、さっきの言葉は。

「黒はプライベェトって事だよな。」

深読みし過ぎなのか。それとも。

答えはきっと次に食事に誘った時に分かるだろう。中也は小さく笑みを溢して携帯電話を取り出し、食事処を調べ始めた。


副題:ある日のログハウス

フョードル・ドストエフスキーが現在拠点としているホテルから徒歩で向かえる距離にログハウスがある。海の近くにある書斎付きの小さな家。フョードルが其処に行くのは決まってそのログハウスへと続く道、人目の付かない場所に設置してある監視カメラに所有者である少女がバイク、もしくは徒歩で通った時だ。

およそ二週間ぶり、法定速度を忠実に遵守した漆黒のバイクが監視カメラの前を過ぎ去っていった。フョードルは指を噛むのを止め監視カメラの撮る映像をリアルタイムで流すテレビ画面注視する。

別にいつもテレビにかじりついている訳ではない。彼女の来る時間帯は大抵決まっているし、日取りも彼女が所属するポートマフィアについて調べていれば規則性のようなものが見えてくる。

フョードルは露西亜帽を被り簡素なホテルの一室を出た。鉄筋コンクリートの階段を軽い足取りで降りて、キキッと厭な音を立てて開く自動ドアを潜り抜ける。

ログハウスまでは並木道と呼ぶには鬱蒼とした一本道を通る。季節は夏と秋の境、木陰は心地好いが少し日に当たるだけでも暑い、そんな日だった。

ブーツの踵を鳴らしてフョードルはその一本道を真っ直ぐ歩く。ゆったりと、まるで景勝地に観光に来たような、そんな歩調だ。

それでも15分程でログハウスに到着した。バイクが壁に立て掛けられるように置かれ、窓のカーテンは全て開いていた。人の、彼女の気配がある、それだけで気分は高揚した。

玄関扉の前に立って、懐からピッキングツールを取り出す。音もなく鍵穴に差し中を探って5秒も経たずに解錠する。

扉を開け、一番に見えたのは全裸に近い少女が市販のスポーツドリンクのペットボトルに口を付けているというフョードルにとっては割と刺激的な光景だった。

「......あ、フェージャ。」

飲み口から唇を離しフョードル・ドストエフスキーの愛称を少しの驚きを以て少女、歩は呼んだ。

「二週間ぶりですね、歩。」

扉を閉めて後ろ手に鍵を掛けたフョードルはブーツを脱いで廊下を早足で渡り、黒の外套を歩に掛ける。

「あ、わ、すみません。服着てきます。」

「ええ、そうしてください。」

歩はパタパタと奥へと駆けていく。フョードルは待機しつつ短く吐息を溢した。一目見れば彼女の体調や体つきの変化など一通り把握できる。それでも実物を見るのはなかなかに......。

1分程で歩は戻ってきた。夏用なのか薄手の黒いコートを着ている以外はいつもと変わらない、他人からすれば暑苦しいとさえ思う程のコーディネートである。

「着替え終わりました。すみません、お見苦しいものを。」

歩は外套を返却しながら反省しきった顔で云った。

「見苦しいなど......」

思う筈がない、とフョードルは頭を振った。

「貴女も一人の魅力的な女性ですよ。」

「ありがとうございます?」

「其れに今回はぼくの落ち度でもあります。」

歩はフョードルの背後、その先の玄関扉に視線を送った。

「鍵、開いてました?」

「いいえ、いつも通りピッキングで。」

「それ、堂々と云う事じゃないですよ。」

私も裸でうろうろしていたのが悪いんですけどね、と歩はコートを翻して奥のリビングに再び戻っていった。ふわりと浮いたコートの隙間から漆黒の拳銃が覗いた。其れが歩のフョードルに対する警戒心を示しているように思えた。

そもそも彼女と接触する事にした理由はおおよそポートマフィアの情報を得るためで、もし優秀かつ動かしやすい人間ならばマインドコントロールでも施して間者にしようとさえ企んでいた。

が、其れは魔人とさえ呼ばれるフョードルにはできなかった。

理由は本当に単純だ。

彼女が見せた笑顔が心地好いものだったから。

彼女と過ごす時間が自分にある様々な制約を破り一人の普通の人間としていられる時間となっていたから。

「カレー、今から作るんですけど......。」

リビングからそのすぐ側にあるキッチンに入っていった歩に構いませんよ、と一言云って、同じくフョードルもキッチンに向かう。

持ってきた食材を流しに豪快に投入し、蛇口を捻ろうとする歩の髪をフョードルは一房手に取った。

「まだ湿気てますよ。」

「自然乾燥......。」

「駄目です。」

フョードルはシャワー室と其れに付随する洗面台の方に向かい、タオルとドライヤーを持ってきてから、歩の手を引いて真新しいふかふかのソファーに座る。このソファーはフョードルが買って設置したものだ。他にもテレビやらテーブルやら彼が持ってきたものがリビングの面積の大半を占めていた。

「此処、座ってください。」

フョードルは足の間にできた座面のスペースを指す。

「其れは......良いんですか?」

「どうぞ。」

トントンとソファーを軽く叩くと、歩はふわあっと笑顔ではないものの嬉しそうに其処に腰を下ろした。歩は小柄なため頭が丁度フョードルの手元の高さだった。

フョードルはタオルで慎重に歩の髪の水分を拭き取る。

「私は毎日子ども達にしてあげてたんですが、して貰った事はなくて。ちょっとだけ憧れてたんです。」

「其れはあの子達の事ですか?」

リビングの隅に佇む子ども用の勉強机、クレヨンで描いた絵、遊び道具。其処に視線を送ったフョードルに歩ははいと小さく頷いた。

「濡れた髪のまま走り回って床を水浸しにするんです。」

「やんちゃな子達ですね。」

「はい、本当に。」

ドライヤーの電源を着け、弱めの温風を黒髪に当てる。髪を丁寧に梳きながら乾かす。

「ぼくはこういう事をした事もされた事もなくて加減がいまいち分かりません。」

「そうなんですか?その割にさらっと......」

「勉強はしてるんですよ。」

よく使う日本語の本とか日本のマナーの本とか。フョードルは思い出すように指を折って数えた。まあその中に足の間に女の子を座らせて髪を乾かすなどという内容は書かれていなかったが。

「フェージャも本読むんですね。」

「読みますよ。意外ですか?」

「意外というか。私も勉強は本なので。」

フェージャと同じだなと思って、と歩は神妙な顔つきで続けた。

「......同じ、ですね。」

歩の事をまた一つ知る事ができた。自然とフョードルの口角が上がる。

個人の趣向を知るというのはその人間を操るためのツールの一つでしかなかった。それ以外の使い道はなく、それ以上の価値はないと、少なくともフョードルはそう考えていた。

歩に対してだけは違う。知る事がひたすらに嬉しい。何物にも代える事のできない価値がある。

そして其れが自分と同じと云うなら尚更。

自然乾燥で大部分乾いていたのか、数分で湿気はなくなった。フェージャは満足してドライヤーの電源を切る。

シャンプーの匂いが鼻腔を擽る。さらさらと流れる黒い髪は触り心地がとても良い。

今此処で手を伸ばせば。

歩は自分のものになるのだろうか。

そうなったらヨコハマではない更に遠い地の安全な場所に閉じ込めてしまいたい。彼女が戦禍に巻き込まれないように、誰にも利用されないように。

そうして全てが終わって。

彼女の笑顔が近くにあれば。

自分は魔人ではなく、ヒトとして生きる事ができるのではないか。

彼女が振り返る前に、自分の今の欲に満ちた表情を見せる前に、手をゆっくりと髪から肩へ其処から......。

その時だった。悪寒、否、そんな簡単な言葉で云い表せないようなものが背筋を瞬間的に這い上がっていった。肌が粟立つような感覚と首を絞められるような息苦しさ。フョードルは分かってますよ、と心中独り言ちて手を引いた。

「フェージャ?」

歩が異変を悟って振り向くが、フョードルは何でもないという風に苦笑した。

「終わりましたよ。」

「ありがとうございます。じゃあカレー作ってきますね。」

「楽しみにしています。」

フョードルは平静を装い、離れていく少女を見送った。

先程のあれは純粋な恐怖だ。このログハウスで幾度となく経験している死すらも予感させる恐怖。

このログハウスに歩とフョードル以外誰もいない。しかし、何かが在るのだ。フョードルすら恐怖させる何かが。

そして其れはフョードルを歩に絶対に踏み込ませない。

「フェージャ。」

「はい、如何しました?」

ドライヤーのコードを巻き取りながら返答した。

「フェージャもシャワー浴びます?」

「汗臭かったですか?」

フョードルは服を嗅いでみる。

「あ、そうじゃなくて......わ、私もフェージャの髪乾かせればなって。」

歩が少し恥ずかしそうに云った。

「浴びてきます。」

即断即決。フョードルはシャワー室に歩き出す。

その間に歩はカレーの準備に取り掛かった。本来ならば二日間掛けてじっくり作るカレーだが、明日の昼には帰らなければならないため、簡単にしか作れずおじさんが作ったものよりどうしても味が落ちる。

それでも此処に来たらカレーを作り、食べたくなるのが歩の心情なのだ。

一通り作業が終わり、ソファーに座った歩のところにフョードルが戻ってきた。タオルを頭に掛けてペタペタと歩み、歩の両足の間の床に体育座りする。

「フェージャ、髪さらさら。」

歩が先程のフョードルと同じくタオルで髪を拭いていく。

「そうですか?普通だと思うのですが。」

「私の前の上司は癖っ毛でした。ふわふわしてるんだろうなあ、と思って。なかなかさらさらな人はいないです。」

「へえ。」

フョードルは相槌を打った。あまり興味がないというように。

歩は右手にドライヤーを持ち、頭頂部からわしゃわしゃと手を動かしながら強めの風で乾かしていく。

「おお......」

風でばあっと髪が舞い上がる。若干荒い感じは否めないが、手はとても優しくて温かい。

「良いですね、此れは。」

「そうですか?そう云って頂けるなら嬉しいです。」

フョードルは目を閉じる。

此れが幸せというものなのだろうか。髪を乾かされているだけなのに、満ち足りた気持ちになる。フョードルのこれまでの人生で経験した事のない温かい世界。

ずっとこのままでいたいと思う。

だが、それにはまだ準備が必要だ。今強行に動いたとしても歩を手に入れる事などできない。

時間を掛ける、手間は惜しまない。

其れが最短かつ最高の結果を生み出す方法である事をフョードルは知っている。

「フェージャ、終わりました!如何ですか?」

歩の声に目を開け、振り向く。されるよりもする時の方が何処か歩の表情が輝いて見える。

「十分です。ありがとうございます。」

「はい、どういたしまして。」

習慣のように云って、ぽんとフョードルの両肩を叩く。まるでもう遊びに行っても良いよとでも云うように。

丁度その時、フョードルの懐にある携帯電話が電子音を鳴らした。

歩は無言で立ち上がってキッチンの方へ行った。フョードルは携帯電話を睨みながらも画面をタップして耳に当てる。

「はい、何ですか。......ええ、其れで。」

フョードルの明らかに不機嫌な声に相手は直ぐに通話を切った。

「良かったんですか?」

あまりにも短い対応に仕事に関しては干渉しない歩も不安そうに尋ねてくる。

「全ては計画通り進んでいます。何も問題ありません。」

携帯電話を手の中でくるくる回す。

「前、二人でオセロをしたでしょう?」

「しましたね。」

その時の惨敗を思い出したのか歩はむっと眉を寄せた。其れが如何したんですか?と歩が刺々しい口調で尋ねる。

「オセロは四隅を取る事が一般的な勝利のセオリーです。なので先に一つでも隅を取ると普通の人間は安心し、二つを取れば勝利への可能性を見出だし、三つ取れば其れは確信に変わる。」

携帯電話を懐に戻し、ソファーの座面に頭を載せる。

「そして其れは人間の思考を鈍らせます。況して自分がそう誘導されていたのだという事に気付きすらしない。角を中心とした単調な戦術が勝利に近いと信じ、悪手を自ら選び続けていく。最後には此方の思惑通り滅んで行くのです。」

今回の作戦は其れと同じです、とフョードルは微笑む。

「敵は罠とは知らず餌に食い付いていき、今となっては袋の鼠状態。指示一つでおしまいです。」

「其れがさっきの電話......?」

「今日は電話するなと云ってあったんですが、如何も彼らはぼくの指示がないと動かないようで。」

自主性を身に付けて欲しいものです。
フョードルは息を吐いた。

「それだけフェージャの事を部下の皆さんが信用しているという事なんじゃないですか?良い事だと思います。」

「其れは......如何でしょう。」

あれは信用と呼べる代物ではない、と自分でも思っている。其れが最も効率の良い人間の使い方だから仕方ないにせよ、だ。

「良い上司の下で働けるというのは幸せな事なんですよ。」

「経験論ですか?」

歩は強く応えた。

「はい。」

フョードルは感付いた。

自分は彼女の云う良い上司というものとはかけ離れたものかもしれないと。今の自分は絶対にそうなれないのだと。

分かり過ぎるというのは厭なものだとフョードルは自分自身に悪態をついた。

「フェージャはきっと良い上司なんですよ。」

「......そうであれば良いですけどね。」

自然に口へ伸びた指をがりっと噛む。強く噛み過ぎたのか少し血が出ていた。フョードルは其れをただぼんやりと眺めていた。


カレーが出来たのは夕方を過ぎた頃だった。歩は味見をしては味が違うとかもっと時間があればと唸っていたがフョードルは宥めて配膳を手伝う。

「掃除や手入れもしなければならないのに時間が全然取れなくて。」

「忙しそうですね。」

テーブルに混ぜカレーの皿を置き、二人して椅子に座る。

「忙しくはないですよ。電話が来ないと仕事もありませんし。だからこそ確実な休みじゃないといつ連絡が来るのか分からないので動き辛いんですが。」

「面倒ですね。」

二人は手を合わせ、いただきますと挨拶してから食べ始める。

それからは黙々と二人は混ぜカレーを食べ進めていった。それ以上仕事の話をする事はない。

其れは互いに敵同士になりかねない関係である事を双方が知っているからだ。だから詳しく話す事はないし、干渉もしない。自分の所属も、フョードルに至っては本名ですらも明かしてはいない。組織の事は一旦忘却し、素の自分、一個人としての関係を保ち続けているのだ。

歩は敵として相対するなら容赦しないと考えているし、フョードルは敵になる前に手を打とうとしている訳だが。

二人はかつかつとスプーンを動かし続け、数分で完食した。それでも鍋の中にはまだかなりの量残っていた。

「美味しかったです。」

「其れは良かったです。」

「また持ち帰っても?」

「是非。容器あるのでその中に好きなだけどうぞ。」

フョードルはそうしていつも持ち帰っては数日に分けて自分で消費している。部下に分けてやったりなどしないのだ。

「却説、今日は何をしましょうか?」

一息ついて、フョードルはテレビの下の棚へと向かった。開くとボードゲームの箱類が積み重なっていた。

「フェージャ、オセロの話していたのでてっきりオセロかと。」

「ああ、そうでしたね。ならそうしましょうか。」

フョードルはオセロの箱を引き抜いて、テーブルの上に置いた。

「今日こそは勝ってみせます......!」

拳を握ってやる気を見せる歩にフョードルは不敵に笑い掛ける。

「ええ、できるものなら。」

歩とフョードルがこのようにゲームを始めた切欠は子ども達の遺品の中にあった双六にフョードルが目を付けた時からだ。それからは歩が将棋や人生ゲーム、フョードルがチェスやトランプなどを時々持ち寄っては遊び、棚の中に仕舞っている。

因みにその勝負、全戦においてフョードルの全勝である。

今回のオセロも最初は拮抗していたのにいつの間にか形勢はフョードルの方に傾き、そのまま歩は敗北した。

「三十五手目が悪手だったのでは?」

「三、十五......」

歩が首を捻るのでフョードルが石を移動させたり、ひっくり返して戻していく。

「此処です。」

「あ、あー......ですね。」

歩は教師に教わる生徒のように首を縦に振った。

「うーん......其処までは何処に指すかみたいな道筋が見えてたんですけど。」

「其れは成長しましたね。」

試合後は批評を重ね、また始める。此れを何度も続けるのだ。

「この辺りで終わりにしましょう。」

フョードルがオセロの盤を箱に仕舞い云うと、ばたんと歩は机に突っ伏した。頭を使い過ぎて疲れたのだろう、瞼も重そうで今にも眠ってしまいそうだった。

フョードルの十戦全勝。其れが今日、否、日にちを跨いでいるので昨日と今日の結果だ。

「歩、眠っても良いですよ。後はぼくに任せてください。」

頭を撫でながらそう告げると、歩はすっと眠りに落ちていった。

歩が普段十分睡眠を取れていない事をフョードルは知っている。しかし、此処でだけ彼女は深い眠りに着ける事も知っている。触っても揺すっても声を掛けても起きる事はまずない。

フョードルは床に布団を敷いて其処に歩を抱えて運ぶ。優しく音を立てず降ろして、自分は床に座る。

歩とフョードルはある約束をしている。歩が一戦でも勝利したらフョードルが一つ何でも云う事を聞くというものだ。しかし、フョードルが勝った場合の約束はない。

必要ないからだ。

フョードルはそっと彼女の頭に手を伸ばす。髪を撫でていると、ことんと歩は寝返りを打った。

顔がフョードルの方に向く。目は矢張り覚まさない。

頭を撫でていた手を今度は歩の耳へなぞるように移動させる。輪郭を指で緩く撫でて、耳孔に人差し指を浅く差し込んだ。

「ん......」

ぴくりと肩が跳ねるが覚醒には至らない。フョードルは愛玩動物を愛でるように頬を緩め、行為を再開する。細く長い指を小さな耳孔に這わせ、抜き差ししたり、縁をくるりと撫で回す。

歩は全身をぷるぷると震わせ、小さく声を漏らす。

「ん、うぅ......」

「最初は何も感じなかったのに、今はこんなにも素直で可愛らしい身体になってしまって......」

可哀想に、とフョードルは深い笑みを浮かべる。

首筋を撫でていると、歩の目尻からつっと涙が流れた。フョードルは手を止め、歩を注視する。

唇が動く。

「おださ、く、さん......」

フョードルは目を細めた。

歩の心に未だに残る死者の存在。フョードルを妨害する男の名前。

フョードルは歩の涙を指で掬い、手を離した。

「死者は本当に......厄介ですね。」

涙と血液の味がする指を噛みながらフョードルはそう呟くのだった。


次回予告という名のメモ(お好みでセツナの愛などをBGMとしてお掛けください。←何言ってんだ此奴)

「真逆、手前と殺し合いする事になるとはなァ、歩。」

───此れは重力に抗い、

「わたしは中也さんに恋をしてる。わたしには中也さんのために全てを捨てる、何もかもを利用する覚悟がある。貴女に負ける心算はないわ。」

───恋の意味を知り、

「私はあなたを殺すためだけに作られた存在!だから、お願い。死んでくれる?」

───死と対峙する物語。

「私はね、君の大切になりたいのだよ。」

「此処にいる間、ぼくの全ては貴女のもの。貴女の望むまま好きに使えば良いのです。」

「貴様を傷付ける者は僕が全て刈り取る。」

「僕は、そして探偵社は君を信じてこの計画を立てたんだ。だから君も信じなよ、武装探偵社を。」

「任務を共にしたあの日から度々思う。お前が此方側の人間なら、とな。」

───全てが動き出す第二部、

ポートマフィア、武装探偵社、魔人。

そして謎の異能力者集団。

「もう待たねェよ、手前が誰かに奪われる位なら俺は......」

───開幕。

「......如何して私は死にたい時に死ねなくて、生きたい時に生きる事がないのだろう。」


格好付け過ぎました!!全てイメージです。ごめんなさい!(スライディング土下座)大体こんな感じかなという。何せまだ一文も書いていないもので......。オリジナルキャラクターもお分かりかとは思いますがかなり登場します。シリアスな感じに見えますが大体はテンション高めでいきたいと思っています。そしてこんな感じですが中也寄りです。第二部も是非よろしくお願いいたします!!

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