番外編ニ

※番外編なのにこれからの本編にがっつり関わる内容。オリキャラ若干出張ります。

あのビルで八人の構成員が命を落とした。下階にいた人間は脱出する事が出来たが、十階以上にいた構成員の殆どが死亡した。

その中には俺直属の強襲部隊の部下もいた。

執務机で報告書に目を通しながら俺は拳を握り締める。

阿蒲組は調査に来るであろうポートマフィア構成員を狙い、爆破する機を伺っていたのだ。歩が目にした姿を消せる異能力者はその連絡係。あの機巧は調べに依れば多銃身回転式機関砲だけでなく高性能のスキャナーなどを搭載した、建物の内部構造を走査するためのものだった。

俺は阿蒲組の策にまんまと嵌まり、部下を殺した。

勿論、首領には報告した。何らかの処分が下されるそう思っていた。

「ご苦労だったね、中也君。」

執務机に両肘を置いた首領は意に反して労いの言葉を俺に掛けた。処分など考えてもいないという風体だ。俺は帽子を手に深く頭を下げた。

「しかし俺の指示の結果、無為に構成員を失う事になりました。」

「いいや、中也君。君の指示は的確だった。だから此れが最小限だ。此れ以上に犠牲が増える事はあっても減る事は無かったのだよ。」

「......歩が居なければ更に多くの部下が死んでいました。」

首領は思い出すように天井に目を向け、あー彼女かと納得した。

「確かにこういう時彼女の異能は役に立つ。」

自身に重傷以上のダメージをもたらす危機を30秒前に察知することができる。

此れが歩の異能力であると知ったのはついさっきの事だ。その異能力から歩の行動の理由、その全てが理解できた。

エレベーターの時も、最上階の時も。

自分の危険を察知し、其処から自分以外の人間の危険も推測して、そうして俺や構成員たちの命を救ったのだ。

「今の段階では異能と云うより虫の知らせとか勘みたいなものだよ。使い処がなかなか難しいけどね。」

「首領は歩と面識が?」

「少しだけ、ね。」

首領は意図の見えない笑みを繕うだけだった。

そうした首領との一連のやり取りを思い出しては自分の力不足だったと心から思う。

太宰ならば。
こんなへまはしなかった。

敵の動向も全て見抜いた上で最も合理的かつ効率的な作戦を考えていただろう。

部下が死ぬ事もなかった筈だ。

益々苛立ちが募る。太宰なんていない方がましだと何度も思ったが、こういう時痛感するのだ。

太宰の作戦立案がどれだけ完璧だったかを。

こんこんと扉がノックされたのを聞き、そんな思考を仕舞い込む。入れ、と短く云えば執務室に男が入ってきた。

北上だ。

「失礼します、中也さん。」

「あァ、如何した?」

「強襲部隊の指揮の件で。」

ビルの爆破によって死亡した俺の部下は強襲部隊のリーダーで北上の上司でもあった。十階で俺の命令を聞き、降りようとしたものの間に合わず瓦礫の下敷きになったのだ。命令を重んじ、常に最適な行動を取る優秀な部下だった。

「俺に一任して貰えないでしょうか。」

「手前がか?」

「必ず前任の分も、それ以上にポートマフィアのために尽くすと誓います。」

此奴に任せるのは余り乗り気にはなれない。此れまでの経歴から鑑みても強襲部隊全体を指揮する器は無く、更に歩への暴力も見ている。暴力で人を従わせようとする人間に俺の部隊の指揮権限を任せる訳にはいかない。

「悪い、考えさせてくれ。」

「ですが、阿蒲組との全面闘争が直に始まります。そうなった時、指揮系統が乱れれば今回より多くの構成員を失う事になります。」

分かってはいる。
だからこそ吟味する必要があるのだ。
最適な位置に部下を配置する。其れが首領の意志でもある。

「強襲部隊構成員全員の賛同も得ています。是非考えていただけたら。」

「全員の賛同?」

「はい、勿論......歩もです。」

北上は口角を上げ、何処か自信に満ちた様子だった。

厭な予感がした。此処で歩の名前を出したのは。其れは一種の脅迫のようなものだと俺は思った。無意識に小さく吐息が漏れた。

「......分かった。前向きに考えておく。」

「そうですか、ありがとうございます!」

策が成功したとばかりに北上は喜色満面で執務室を後にした。今にもスキップでもしそうな足音が遠くなっていった頃、俺はある電話番号に連絡した。相手は3コール程で出た。

「よォ、さっきは悪かったな。あれから大丈夫だったか?」

歩だ。

「......あ、はい。大丈夫です。」

返ってきたのは間違いなく歩のいつも通りの声で、取り敢えず安心する。

何事もなかったなら良かった。
そう思っていたのも束の間だった。

「大丈夫じゃないでしょっ!!早く診察室に戻ってください!!それと病院で携帯電話は禁止!!仕事の話はもっと禁止!!はい戻った戻った!!」

女の凄まじい大声が鼓膜を揺さぶった。
耳が痛ェ。

「否、あの上司で......」

歩が控えめに弁明するが、その女の声は更に大きくなる。

「上司さーーーーん、聞こえますかーー?この歩さん、右腕骨折、重傷なんでちょっと貸して貰えますかー?よろしくお願いしますー!」

耳は痛いが、重要な情報だけは正確に拾えた。
否、待て、骨折だと?

どういう事か聞こうとしてももう遅い。また後で掛け直します、という小さな声と共にプツリと通話が切れる。

「いつ骨折なんか......」

あのビルでは俺が雑にではあったが、それでも十分安全を確保して脱出した。怪我はその時一つもなかった。

それから七時間程しか経っていない。

この空白の時間に何があった?

先程の厭な予感がまた俺を襲った。報告書を片付けなければならないのに集中できず携帯電話ばかりに目が行ってしまう。

一時間弱経って待ちわびた携帯電話の電子音が鳴った。がっと携帯電話を掴み、ワンコールで出た。後で見たら画面に罅が入っていた。それくらいその時の俺は焦っていた。

「お疲れ様です、中原幹部。」

「骨折って何だ!」

即座に尋ねる。

「骨が折れる事?です。」

そういう事を聞いてるんじゃねェ!!と怒号を発すると歩は小さく呻いた。耳が痛かったのだろうが構ってられなかった。

「何があった。」

「えっと......階段から落ちて。」

見え透いた嘘を吐くんじゃねェよ。と内心毒づく。

「手前はそんなヘマはしない。誰にやられた。」

「......本当に階段から落ちたんです。私の不注意です。」

その嘘を最後まで貫こうとする。何故そうまで頑ななのか俺には理解できなかった。
だから俺は止めを刺した。

「さっきの看護師か?其奴が云ってたな。右腕骨折、重傷だって。」

歩が息を呑む音が聞こえてきた。俺の云わんとしている事を理解したのだろう。

「手前にその異能力がある以上そんな不注意あり得ねェんだよ。」

俺が分からないと思ったか、と語気を強めると歩は黙ってしまった。

歩が黙った事で暫く続いた膠着状態にうんざりした俺は先んじて口を開く。

「歩、今病院か。」

「......病院はもう出ました。」

「......其処から動くな。動いたら殺す。」

通話を切り、外套片手に執務室を出る。通りすがりの部下に一服してくるとだけ云って本部ビルを出、愛用のバイクに跨がり夜のヨコハマを駆ける。

歩は直ぐに見付かった。ポートマフィア直轄病院、その中庭で上弦の月を見上げていた。

「矢っ張り病院にいるんじゃねェか。」

此奴の思考回路だとか、嘘を吐いているか否かだとかそんな事まで分かるようになってきた。
多分ポートマフィアの中で此奴の事を一番よく知っているのは俺なんじゃねェかって位には。

「中原幹部。」

歩が顔を向け、俺を呼ぶ。掠れた、今にも消えてしまいそうな声だった。

「右腕、具合は如何だ?」

「全治1ヶ月です。」

ギプスで吊るされた右腕。頭部の更に面積を増した包帯。此方に歩み寄るその細過ぎる両足もずるずると引き摺っていた。

「何があった?」

「階段......」

「其れはもう良い。本当の事を話せ。」

俺が腕を組み、睨みを効かせると歩は目を反らして重い口を開いた。

「......強襲部隊の引き継ぎの件でちょっと。」

「北上か。」

「皆さん北上さんが良いと云っていたんですが、私だけ別の人を支持していたので。」

意に沿わない人間は邪魔でしかない。よってこの様な仕打ちを受けた、という事か。

「手前も肝が据わってんな。こうなるって分かってたんだろ?」

此奴は太宰程で無いにしても頭の回転が速く悟い女だ。北上に反せばただで済まない事くらい分かっていただろう。下手すりゃ背信と見なされ命が無かったかもしれない。

「自分が如何なっても曲げてはいけないものがあります。」

歩は無傷とは云えないものの綺麗な左手を見詰めた。

「其れだけは守らなければと思って。......でも、何もできなくてこんな状況になってしまいました。」

歩の顔が悲痛に歪んだ。

此奴には此奴なりの信念、譲れないものがある。自分を真っ直ぐ立たせる、支える芯のようなもの。其れが曲げられて、折られて、苦しんでいる。

「其れを守りたいなら強くなるしかねェな。」

月明かりに照らされた歩の顔が振り向いた。

「戦闘能力だけがその人間の強さを決定するものとは言い切れねェ。が、それなりの功績を出さないと登り詰められない此の黒社会において自分の意志を通すためには必要条件だ。」

強さ、と歩が口の中で反芻する。

「圧倒的な力を以て功績を積み上げる事でその絶対的な権利を手にしてきたのが首領、幹部と云って良い。そうするとそれ以下はどんな重要な発言だろうが優先順位は下がっていく。」

「......はい。」

「幹部以上を目指せとは云わねェよ。だが手前に曲げたくない意志ってもんがあるなら組織で畏れられる位強くなれ。」

ただの恐れでは足りない。

畏れを与えろ。

「手前は其れができる。」

「私が......?」

きょとんとした顔で歩が俺を見る。信じられないという顔だった。

それでも俺は確信している。

「手前にはもう一つ、他の人間に勝ってるものがあるだろ。」

「其れは、異能力の事ですか?でも私のはずっと役に立たないって......」

役に立たない?誰がそんな事云ったんだ。

「俺は今日手前の異能力に救われた。もし歩がいなかったら俺は未だあの瓦礫の中にいたに違いねェ。」

そんな事ないと思いますけど、と云う歩に俺は首を左右に振って返した。

「もしそうだとしても今日、手前に救われたって構成員は三十を越えてる。」

其奴等は気付いた筈だ。此奴の異能力の、歩という存在の真価を。

「その異能は戦闘でも使える。物は使い様ってやつだ。後は技術さえ身に付ければ手前は今よりも格段に強くなる。そうすれば手前に文句を云う奴もいなくなるだろうな。」

俺は歩の前に右手を差し出し、告げる。

「俺についてこい。絶対悪い様にはしねェ。」

歩の黒い瞳に月が映る。俺は其れをじっと見ていた。不意にゆらりとその月が揺らめく。

「......はい、よろしくお願いします。」

歩が俺の右手にそっと左手を載せた。

白く細く小さな手が俺の黒い手袋の上で輝いて見えた。


其れからは空きができればとにかく歩の特訓に時間を費やしていた。一対一、多対一での立ち回り方、ナイフの使い方、受け身の取り方、打拳、蹴り。あらゆるものを教えた。

「手前はまず自分の身を守る事が最優先事項だ。頭に傷を作るのは論外、臓器周辺の強打もな。そういうのは躱せ。躱せなかったら威力を限界まで殺した上でましなところで受けろ。」

こうして教えていて気付いたのは無意識にやっている事を言葉にするのは中々難しいという事だ。

そういえば、太宰も芥川に訓練を施していた。その苛烈さは尋常ではなく、見る度に芥川は何処かに重傷レベルの傷を負っていた。

太宰が歩を見付けていたら如何なっていたのだろうか。多分俺が教えるより速く強くなっているんだろうが。

此奴の大事なものが損なわれる気がする。あまり考えたくはない。

「手前の打拳なんざ正面から受けたところで按摩にもならねェ。急所を狙え。やれるなら一発で意識を刈り取れ。」

歩は目が良い。元々の運動神経も良い。其れに飲み込みも速い。怪我さえ完治すればもっと良い動きができるだろう。

二週間経つ頃には路地裏にいる無頼漢共を素手で簡単に倒せる位に成長していた。異能力に関しては俺が教えるまでもなく、自分のスタイルを確立しているようでその辺りはあまり手出ししないでおいた。

頭、手足、全身に広がっていた傷も激減し、包帯は右腕の骨折くらいなものになっていた。血色も良くなった。

歩に関しては何もかも上手くいっている、と思う。

「中也、こんな噂を知っておるかえ?」

「噂、ですか?」

談話室で姐さんのワイングラスに秘蔵のワインを注ぎながら俺は聞き返す。根も葉もないものから真実めいたものまでこのポートマフィアには噂が絶えず、把握してはいられないが姐さんの気になった話だ、聞いて損はない。

「五大幹部の一人が下級構成員の女童にご執心じゃと。」

俺はそうですか、と特に反応も示さず相槌を打った。姐さんの視線から、また、此処最近の自分の行動から俺の噂であるのは明白だった。

「おや、否定せぬのか?」

姐さんがからかうような薄い笑みを浮かべる。

「しませんよ。そう思われても仕方ない位贔屓してる自覚はあるんで。」

同じように俺のワイングラスにもワインを注ぐ。俺は自分でも妙に思う位真剣に歩について語った。

「彼奴は見込みがあります。必ず近い将来組織の役に立つ。」

「中也が其処まで買うとはのう。」

姐さんは物珍しそうに目を丸くする。

「普通に放っておけないってのもあるんですけどね。」

「ほ〜......」

「健康面が。」

何故か姐さんががくりと肩を落とした。

「彼奴本当酷いんです。野菜ジュースさえ飲んでれば栄養が摂取できると思ってるし、食事は携帯栄養補助食品で済ませようとするし。あれは意識改革が必要です。」

「な、成る程のう。」

姐さんが苦笑を溢した。何か変な事云ったか?と思い目線を送っても良い良いと姐さんは頭を振った。俺は訝しみながらも本題に入る。

「噂の真偽はそういう事で。そんな事より姐さん、例の案件如何なりました?」

俺は一人掛けの椅子に腰を下ろし、ワイングラスを室内灯に照らした。鮮やかな赤の波面がゆらゆらと揺蕩う。

「あの男はセリカの者じゃった。」

「矢張りですか。」

三日前、情報員の一人である男に間諜者の疑いが掛けられた。疑いと云っても証拠が揃っていたため、直ぐに捕縛され姐さんの拷問班による拷問が開始された。

セリカは現在抗争の中心にある組織の一つで、所謂宗教団体である。ただの宗教団体なら良いが様々な企業と繋がりを持っているため資金面は阿蒲組よりよっぽど潤沢でテロ活動も活発な反社会的組織だ。更に云えばその内情、規模などは殆ど判明していない。

「接触を始めたのは一週間程前。セリカのカウンセラーと仕事上の相談をしていたそうじゃ。」

最初はセリカのカウンセラーと知らずカウンセリングを受けていたそうだが、親しくなっていく内に互いの素性も明かし、セリカに入らないかと勧誘されたそうだ。

「其れを断れず引き受け、かつ情報を晒したと。」

「情報員として不甲斐ないばかりじゃ。」

それでも一つ疑問に思った事がある。

「一週間ってバレるの速過ぎじゃありませんか。」

ポートマフィアの情報員の優秀さは有名で、そう簡単に口を割る事はないし、自分が諜者であると露呈するような行動は一切しない。現に姐さんの拷問班の拷問にも三日間耐えているのだ。

「まるで其奴が裏切るのを狙っていたような。」

「告発したのは調査班の男じゃ。」

姐さんが懐から紙片を取り出し、テーブルに置いた。

「仕事が速く、依頼を完璧に遂行する優秀な調査員じゃが何処か食えない男でもあってのう。」

俺は紙片を手に取り、読み進める。

「最近はこの手の告発で名を上げておる。裏切り者専とまで呼ばれているそうじゃ。」

「造反者の抑止力になって良いとは思いますけど、怪しい奴ですね。」

この男の名前と顔は心に留めておく事にする。20歳、至って平凡な男だ。名前は足立作良。あだちさくらと読むらしい。

「ポートマフィア、阿蒲組、セリカか。......ヨコハマが火の海とならぬよう務めねば。」

姐さんがワイングラスを掲げた。戦前最後の一杯と云うように。

「尽力します、姐さん。」

俺も姐さんに倣いワイングラスを掲げ、乾杯と短く云ってワインを煽った。柔らかな甘味が舌に広がっていくのを楽しみながら夜が更けていくのをガラス張りの壁から眺めていた。


「カウンセリングですか?」

「其れがセリカの手口らしい。」

訓練で何時も使っているヨコハマ郊外のポートマフィア管轄の倉庫に向かっている間に歩に念のためセリカの注意喚起しておく。

此奴の場合、人に話すのではなく自分で抱え込んでいそうだけどな。

「無料カウンセリングとかは注意しとけ。うちの情報員を造反させる手練れがいるらしいから、絶対に行くなよ。」

歩は顎に手を置いた。

「無料カウンセリング。私、昨日行きました。」

「......は?」

此奴今何て云った?昨日?行きました?うん?

「昨日......行っただと?」

「はい。」

平然と肯定する歩を俺は路地裏に引っ張り、そのまま肩を掴んで揺さぶった。

「其処であった事を全部話せ!一言一句漏らさず全てだ!」

自分が焦っているのが分かる。

「大した話はしてないですよ......?」

「それでもだ。」

歩は瞬きをして、それから話し始めた。

「昨夜街を歩いていたら無料カウンセリングをしませんか?と誘われて、お断りしたんですけど強引に連れ込まれたんです。」

白いテントの中に連れて行かれ、パイプ椅子に座ると、奥から40代くらいの男が出てきたと歩は云った。

「その人がセリカの教祖だそうで何か悩みはありませんか?と聞かれて。断ったのにこんな所に連れ込まれた事です、と答えました。それと少し気になった事があったので其れを質問しました。」

「気になった事?」

「はい。何故私に話し掛けてきたのか、また何故強硬に私を此処まで連れてきたのかを尋ねました。」

其れは手前を信者にしたかったからじゃねェのか。

「その時、外ではビラを配っている信者の方が大勢いました。でも、大体はただ配っているだけで声を掛けられていたのは私も含めれば三人程でした。」

ならその違いは何か。

「話し掛けられていた人には共通点があったんです。」

「共通点?」

「全員、私達と同じ黒社会を生きる人です。」

歩の声は低く重く響いた。

「つまりセリカは俺達みたいな連中を狙ってカウンセリングを受けさせてるって事か。」

否、待て。

何故歩はそんな事が分かった?

「私の目は特殊だと云ったのを覚えていますか?」

歩は俯き俺の心中の疑問に応える。

「......あァ、そんな事云ってたな。」

「私は見た人の生きている世界が分かります。」

光の世界を生きる人、闇の世界を生きる人。
この区別をその目は可能とする。

「......手前の其れは異能力なのか。」

異能力なら歩は二つの異能を持っている事になる。異能力の複数所持は現時点で存在しないとされているが、歩がそうなのだとしたら異能力者の常識が覆る事となる。

「いえ、異能ではありません。だから同じような目を持つ人がいるんです。」

俺は真逆、と唸った。

「セリカの教祖か......!」

「はい。教祖は私と同じ目を持ち、其れを利用して黒社会の人間のみを勧誘しているようです。私としては其れだけ聞ければ満足だったのですが、我々は同志だ同じ痛みを分かち合う事ができる仲間だとか云って手を握ってきたので振り払って逃げてきました。」

「手を握った......!?」

「はい、いきなり......」

歩が俺の顔を見て口を閉ざした。

「すみません、こういう話は要らないですよね。とにかくそんな話しかしていません。」

俺は歩の肩から手を離した。
足取りがふらりと覚束なかったが態勢を立て直す。

一先ず安心した。此奴は此奴のままだ。

そして、セリカの教祖は俺がぶっ殺す事に決めた。

「俺がその痴漢教祖を倒してやるからな......!」

「手を握るのって痴漢、なんですか?」

何処触られても同意が無ければ痴漢なんだと何故か男である俺が教授する羽目になった。此奴たまにこう無防備なところあるよな。

俺と歩は大通りに戻り歩みを再開した。適当な会話をしているとあっという間に倉庫に着いた。暗い倉庫の照明を着け、扉や窓を閉めて外から遮断する。

「抗争は何時始まるか分からねェ状況だ。手前ら強襲部隊は確実に最前線に立つ事になる。」

此れだけは忘れるな、と低く戒める。

「手前は必ず生きて帰って来い。必ずだ。」

「其れは......命令ですか?」

「あァ。できるな?」

歩は目を伏せ、数秒して開く。

「......最善を尽くします。」

歩は、はいとは云わなかった。其れでも生きるために力を尽くすと云った。俺にとっては十分、満足な答えだった。

「よし、それじゃ始めるか。」

「よろしくお願いします。」

歩は太宰とはまた違う死にたがりだ。死にたいという願いのためにポートマフィアに入ったと云って良い。

俺はその願いには答えてやれそうにない。

生きる術を徹底的に叩き込み、命令でこの世に縛り付ける。

......死なせてなんてやらねェよ、歩。


ポートマフィア、阿蒲組、セリカ。此の三組織による抗争の狼煙が上げられたのは数日後の事だった。

阿蒲組によるポートマフィア所有の武器庫襲撃。銃撃戦が始まり双方が増援を呼び規模の拡大。その混乱にセリカが乗じる事で三組織抗争の形が出来上がってしまった。

初日で三十三人の構成員が死亡し、敵の異能攻撃によってヨコハマの一角は炎と煙に包まれた。

しかし、ポートマフィアは数の優があった。異能力者保有数も他を圧倒していた。二日も経たずセリカは撤退し、阿蒲組も拠点まで追い込んだ。

そして、今日。

「阿蒲組の殲滅作戦を開始する。」

阿蒲組はポートマフィアの領分を侵しただけではない。彼奴らによって何十人もの部下が犠牲になった。

「ポートマフィアに楯突いた事、後悔させてやれ!」

合図で構成員が進撃する。偵察部隊からの報告によれば阿蒲組の拠点は山の中腹にある巨大な施設を中心とした一帯だ。

小さなプレハブ小屋が点在しており、其れを潰すのを強襲部隊に任せてある。メインは黒蜥蜴、もし其れでも手に負えない異能力者が現れたら俺が対応するというのが今回の方針だ。

「中也さん、暇そうっすね。」

「暇じゃねェよ。手前こそ何してやがる。」

つまり今のところ温存という名の待機に徹している俺に黒蜥蜴の立原が話し掛けてきた。

「中也さんの護衛に。向こうは暗殺向きの異能力者がいるみたいなんで。」

「必要ねェ、と云いたいところだが、若干此処が手薄になってるからな。助かる。」

此処は指揮本部であり、武器などの補給ポイントでもある。今は俺と五人程の部下しかいない。もし俺が戦闘する事になったら此処の守りは更に薄くなる。立原がいればまあ、安全だろう。

「そういえば、噂の女に会いましたよ。」

「あ?......歩の事か?」

噂の女って厭な言い方だな、おい。

「挨拶したら、滅茶苦茶真顔なのに凄いどもったり噛んだりしてて危ない奴かと思いましたけど。本当に大丈夫なんっすか?」

其れに関しては心当たりがあったので説明する。

「初対面だと大体そんな感じだ。慣れたら普通に話せる。あと、彼奴立原の事凄ェ尊敬してるからそれもあったかもな。」

「は?俺を?尊敬?」

立原は大きな疑問符を浮かべ首を傾げた。

「歩も今は骨折してるからできねェが、二丁拳銃使いなんだよ。で、立原の動きを参考にしてるんだと。」

「マジっすか。印象変わるわ......。」

「彼奴は割りところころ表情変わるから話す時はちゃんと見てやってくれ。」

立原はまじまじと俺を見詰める。まるで宇宙人と遭遇してしまったような目だった。何だよ、と俺が訝しむと立原はいえと首を振った。

「あんたがそういう人だから部下もついてくるんだろうなって。」

「......云っている意味がよく分かんねェが褒め言葉として貰っておくぜ。」

そうして俺と立原は二人して話しながら警戒を重ねていると、ふと前を通り過ぎた男に目が止まった。

「あぁ、彼奴......」

立原が知っているような素振りを見せる。俺も知っている奴だ。

「知ってるのか?」

「否、俺も少ししか。それと、そのあんたのお気に入りの歩ですっけ?此処に来る前二人で話してたんで仲良いのかなって思った位っす。」

足立作良。裏切り者の超早期発見と証拠収集能力で名を上げる調査員の一人。

そんな男と歩が?

「足立、ちょっと良いか?」

俺は一抹の興味と共に足立を呼んだ。足立は仏頂面で俺の前に進み出る。

「何でしょうか、幹部。」

「最近のお前の活躍は幹部内でも話題になってる。一介の調査員じゃ収まらねェ実力を持ってるってな。」

「......其れは昇進の話ですか?」

一概に云えばその通りである。優秀な人材を重用し、組織のためにその能力を生かすのは必定と云って良い。

「そういうの興味無いんで遠慮しときます。」

足立は冷めた口調で云った。

「おれ、地位とか金のためにこんな事してる訳じゃないですし。」

まるで俺がそうであるかのような視線を送る。此れが太宰だったらぶん殴っただろうが、寛容に対処する。

「じゃあ、何が目的なんだ?」

「誰も聞く耳を持たない彼奴の声を届かせるため、です。」

「彼奴......?」

「仕事あるんでもう良いですか。」

何処か殺気にも似た剣幕に気圧され、俺は邪魔したなと唇を動かす。

足立は軽く会釈をして持ち場に戻っていった。

「何だあれ。変な奴っすね。」

「変じゃねェよ。」

彼奴はポートマフィアのために動いている訳じゃない。

地位も名声も栄誉も要らない。

ポートマフィアに何かを知らしめたいために。
その何かは俺には分からない。

考えようとすると背中に形容し難い悪寒が走った。

「中也さん。」

「あ?」

立原の声に意識を引き戻される。顔を向けると部下の一人が立っていた。

「施設内制圧完了しました。また阿蒲組の長を捕縛しましたが口の中に毒物を仕込んでいたのか......」

死んだか。情報を吐かせようか考えていたが自害したなら如何しようもない。

「......分かった。爆破の異能力者は?」

「それらしき人物はまだ見つかっていません。」

まだ気は抜けないという訳か。徹底的に探せと命令する。

部下が了解と云って踵を返したその時だった。

「中也さん!」

北上の声が耳に直接響いた。インカムからだ。強襲部隊の指揮は代理として北上にやらせる事にした。強襲部隊の意見もあり、押し切られたという形ではあった。けれどもこの抗争が終わり次第正式に考える必要がある。

「如何した?」

「強襲部隊から造反者が現れ、八人殺されました。」

「部隊の連中がか?」

そんな事があるのか。強襲部隊は戦闘のプロ、そう簡単に殺られるような奴らではない。

「しかし、安心してください!その人間は捕らえました。」

「......造反者の名前は?」

北上は間を開け、落ち着き払った口調で云った。

「......歩です。」

「歩......?」

呆然とする間もなく北上の口から歩の行動が詳細に語られる。

歩が事を起こしたのは判明している阿蒲組の所有物とされるプレハブ小屋の全てを制圧し、拠点に帰還しようとした時だった。

「歩は虚偽の地点を拠点だと指定、其処に我々を誘導し、全員が集まったところで発砲、八人を殺しました。」

「......そうか。」

「ポートマフィアを裏切り、中也さんの厚意を無下にした罪は重い。よって中也さんの前に引き出し、処分しようと考え捕縛しました。今からそちらへ連行します。」

と北上は早口に云った。

「ですので拠点の位置を教えていただきたく。」

「否、俺が向かう。手前らは待機だ。」

「ですが......!」

「造反者は俺が此の手で殺す。」

俺は一方的に通信を切った。

「立原、広津を呼んできてくれ。」

立原は背筋を伸ばし、広津へ連絡する。

歩が造反行為を行ったというのに頭の中は異様に冷静だった。

幹部として、首領の、組織の奴隷として。

裏切り者は誰であろうと赦さない。

死あるのみだ。


広津、立原、銀、他黒蜥蜴数人を引き連れ、俺は北上が歩を捕縛している地点に到着した。

「中也さん、此方です。」

北上が指したのは地面に転がっている歩だった。泥や埃にまみれ、左腕は常とは逆方向に曲がっている。ぴくりとも動かず死んでいるようにすら見えた。

その周囲を五人の構成員が囲んでいる。

「こんな女のためにご足労させてすみません。矢張り俺達で拠点まで運ぶ方が良かったのでは。」

「此れで良い。よくやってくれた。」

俺は北上の肩を軽く叩き、奥には強襲部隊の生き残った十人と遺体の入っているらしい死体袋があった。其れを一瞥し、歩を見下ろす。

「矢張り其奴は中也さんを誑していたんですよ。信頼させて機を見て暗殺しようとしていたに違いありません。中也さんの気持ちを利用して......卑劣な。」

北上の言葉にそうだな、と相槌を打ちつつ俺は歩の脇に立った。仰向けの歩の顔は殴打され、口端から血が垂れているのが見えた。

「歩、俺は手前を気に入ってた。初めて会った時、手前は否定したがあの報告書を作ったのは歩だったんだろ?」

「中也さん!其奴は......!」

北上が何かを云ったが其れを広津が制した。広津に目で礼を云い、俺は続けた。

「戦闘訓練も手前は教えた傍から何でも吸収して、見違えるくらい強くなった。自分の弱さを認め、強くなるために全力だった。俺は其れが嘘だとは思っちゃいねェ。」

なァ、と俺は問い掛ける。

「俺は如何すれば良い。手前は......その答えをもう知ってるんじゃねェのか?」

すると、歩の瞼がゆっくりと開かれた。

視線がぶつかる。

歩の瞳に光が灯る。

「中原幹部の、思うままに。」

小さな、けれども力強い声だった。

「......そうか。」

なら、此れが俺の正しさだ。

「ぐぁぁああぁあっ!!!!」

地面が抉れる音と男の絶叫が同時に響いた。

「な、なななぜっ!なぜ歩ではなくっ!!」

「手前らを信じていたからだ。」

外套を翻し背後で俺の異能により這いつくばっている北上を半身振り返った。

「此奴は確かに強くなった。でもな、例え不意を突いたといえ強襲部隊ほぼ全員を相手にして八人も殺すのは不可能だ。」

俺の強襲部隊は全員強い。北上も含めてな。其れを俺はちゃんと知っている。

いつか歩は強襲部隊全員を相手取るくらいにはなるだろう。

だが、今じゃない。

「歩が嘘の拠点を教えたのは拠点の正確な位置を手前らに知らせないためだ。理由は爆破の異能力者。」

拠点を爆破されればポートマフィアに甚大な被害が及ぶ。更に兆候も何もないあの爆破は俺でも防げない可能性がある。

「手前らがセリカと阿蒲組の間諜者だな。」

歩を囲んでいた五人の構成員が自動小銃を俺に向けた。死体袋の方にいた十人は其れを呆然と見ている。

その十人は間諜者ではなくただ北上を慕っていただけなのだろう。何も知らないまま、利用されていたに違いない。

「やめとけ。俺に銃は効かねェ。」

俺の異能を知らない訳ではない此奴らは引き金に指を掛けた状態で静止する。

「歩。」

俺が呼ぶと歩ははい、と返事をして割りと軽快に立ち上がった。

「頭に傷作るなっつったろ。」

「いえ、頭に傷はありません。」

「顔殴られてんだろうが。」

「顔は頭......頭ですね。」

「だろ?」

緊張感無く話をしながら、北上の前に立つ。

「歩!!貴様ぁっ......!」

「云った筈です。あなたの闇はポートマフィアの闇じゃないと。」

「ぐっ......!」

「歩、どういう事だ。」

歩は手を自分の目に当てて告げる。

「私の目は光と闇の住人を見分けるだけではありません。闇に限って云えばその色、濃さからどのような組織に属しているのか分かるんです。その組織の闇を映す、という事です。」

なので、ずっと分かっていましたと歩は俯いて呟いた。

「北上さんと一部の強襲部隊構成員がポートマフィアではない別の組織に属している事に。」

「なら何で早く云わなかったんだよ!」

立原が叫ぶが歩は首を左右に振った。

「目で見たからというのを理由にして下級構成員が上の人間を告発したところで誰も聞く耳を持ちません。その人間が裏切っているという事実を確実にする証拠が必要だったんです。」

誰も聞く耳を持たない。

誰も聞く耳を持ってくれない。

そういう事か。

「手前が裏切り者を見つけ、足立が告発をしてたって訳か。」

歩は小さく頷いた。

「北上さんの証拠の収集は困難を極めていました。ですが、漸く集まった時に抗争が始まって。」

歩は牽制のために裏で様々な行動を取っていた。否、其れは北上を初めて見た瞬間に始めていたのだろう。其れが北上の癇に障り、暴力を奮われていた。

「今回、北上さんはセリカの教祖に私を勧誘するよう指示を受けたようです。ですが、北上さんは其れが絶対にできない事が分かっていた。」

歩にとって此奴は良い上司とは云えない。そんな人間に組織を裏切ってまでついて来ようと思う筈もない。

「また私の目が教祖と同じ目であることから自分がポートマフィアを裏切っているのが私にバレている事が分かった。ポートマフィアの裏切り者への処分は重い。其処で元から自分に賛同していなかった八人を殺し、私に罪を擦り付け、殺そうとした。その行動には他にもメリットがあります。」

「歩が造反者なら教育をしていた俺は其れを見抜けなかった事になる。そうなれば組織内での信用は地に落ちる。」

噂が広まっていたのもこの時のためだろう。俺が真実を見抜けず歩を殺していたら、間違いなくそうなっていた。

「でも、中原幹部が阿蒲組とセリカの繋がりを知っているのは驚きでした。」

「其れはあの機巧、抗争が開始した時の妙なタイミングの一致、後は手前の動きだな。」

あの機巧を何体も購入できる程の財力は阿蒲組には無いがセリカにはある。妙に連携する二組織の部隊、更に歩が北上に拠点の位置を教えなかった事。

全てが繋がり真実が浮き上がる。

「もし俺が気付けなかったら如何する心算だった?」

「中原幹部の手で死ねるとしたら本望でした。北上さんに関しては足立さんが糾弾してくれる手筈でしたし。でも、中原幹部なら気付くと信じていたので。」

......俺の事を信用し過ぎだよ、手前は。

俺はハッと笑って歩の頭に手を載せる。

「手前の台本も悪かねェ。まだまだ二流だけどな。」

そのまま緩く撫でる。髪を梳くように、整えるように。優しく、丁寧に。その手に最大級の称賛を込めて。

するとふわっと空気が錯覚かと思う程目に見えて変わった。殺伐としていた暗闇の世界に温かい光が満ちるように色付いて見える。

「ん......」

その元であると思われる歩は穏やかに、気持ち良さそうに、目を閉じて俺の手を受け入れていた。

一瞬息が止まった。

「手前は......」

「?」

そっと頭から手を離し、俺は息を吐いた。

ずっと撫でていたいなんて思ってしまった。歩のこんな顔が見られるならずっと。

ぶわっと俺の全身を温かいものが駆け抜け、一瞬で胸に到達し、いっぱいに満たした。

その何処か幸福にも似た衝動に恐怖した。

額に手を当て、深呼吸して抑える。

「中原幹部?」

「否、何でもねェ。」

ガシャガシャと金属音が近付いてくる。この音には聞き覚えがある。ビルを襲撃したあの機巧のものだ。

「セリカの増援だ!」

北上が歓声を上げ、仲間の五人も俺と歩に再び銃を構える。

その前に銀が音もなく三人を殺し、立原が早撃ちで二人の頭を撃ち抜く。

そして林の中から機巧四体が現れ、多銃身回転式機関砲を無差別に乱射した。俺が前に出てその銃弾を全て異能力で弾き、一体に打拳を二体目に蹴りを入れる。三体目、四体目は同じく前に出ていた広津が異能力である斥力で金属の装甲を粉砕し沈黙させた。

「広津、助かる。」

「中原君だけでも対処はできたでしょうが、光栄です。」

広津はフッと口元を綻ばせる。

全て片付き俺は地面にゆっくりと着地し、北上に歩み寄った。

「最後は手前だ。北上。」

「最後なのはお前だ、中原中也!自分の直属の強襲部隊のメンバーの六人が裏切り者なんだ。ポートマフィアが処断しない筈が......」

北上の口から呪詛の言葉が垂れ流される。が、其れはダンッ!!という一発の銃声に阻まれた。

「中原幹部は北上さんの事最後まで信用していたと思います。あなたはそんな中原幹部の気持ちを踏みにじった。」

歩の瞳から光が消え、深い闇に染まった。

「あなたが指揮を執ると云った時私は云いました。覚えていますか?」

ギプスを取り、包帯の巻かれた右手は漆黒の拳銃を握っていた。

「中原幹部を傷付ける人間を私は絶対に赦さないと。」

さっきの現象が嘘のように冷たい殺気が歩の全身から噴き出した。その直撃を受けた北上は声も出せず口を開閉させる。

その時俺は気付いた。

曲げられないものがあると、守らなければならないものがあると歩は云っていた。そのためなら自分は如何なっても良いと。

自惚れている訳じゃない。

ただそうとしか考えられない。

此奴の守りたいもの、其れは......。

「莫迦野郎、俺は手前に守られる程弱かねェよ。」

空に向かってそう独り言ちる。

引き金に掛かる指にぐっと力を込めた歩、その銃口は北上の鼻先に突きつけられていた。

バンッ!!

甲高い銃声が鳴った。

「ひっ!!」

......北上は生きていた。銃弾は北上の頬を掠り地面を跳ねた。

「......。」

「殺さないんだな。」

「ポートマフィア加入時そういう契約をしたので。」

俺が目線で合図すると黒蜥蜴の構成員が北上を引き摺っていった。

「歩、俺は別に傷付いちゃいねェ。ただ北上も死んだ奴らも優秀だった。これから実力を認められてもっと上に行ける奴らだった。」

俺の至らなさがこの結果を招いた。幹部として正しく部下を導けず組織を危機に晒す事になった。その罪は北上の云うように重いものだ。

「中原幹部は何も間違っていません。」

歩は俺の前に立ち、強く云った。

「中原幹部が例えどのような人間であっても北上さん達はこの組織と中原幹部を裏切ったでしょう。でも、今の中原幹部だから沢山の構成員がついてくるんだと私は思います。」

「歩......。」

歩は片膝を着いて頭を垂れた。

「中原幹部にも改めて誓わせてください。」

漆黒の拳銃と共に右手を胸に当て、告げる。

「私の全てをポートマフィアに捧げます。この身果て、地獄の炎に灼かれるその日まであなたが支える組織を守り、仇なす者その悉くに鉄槌を下す。そして敵に知らしめてみせましょう。ポートマフィアに逆らう者、裏切る者の辿る惨憺たる末路を。」

最敬礼を取った歩に倣うように全員が膝をつき頭を深く下げた。

「あァ、期待してる。」

ただ一言だけ、俺は返した。

その時、俺はきっと笑っていたに違いない。


其れから24時間経ち、俺は歩を本部ビルのエントランスに呼び出した。執務室のある階からエレベーターで一階に降りていくと。

「おれの事は気にすんなって云ってるだろ。」

「でも......」

「お前の話、これからは皆ちゃんと聞いてくれるようになる筈だ。そうなればもうおれが代わりをしなくても大丈夫だろ?」

「だからこそ私は足立さんにお礼したくて。」

あのなあ、と足立は呆れたように顔を歪めた。

「おれはお前に命を救われた。その恩を返すためにやってたんだ。其れをお礼されたらもう埒が空かねえ。」

「大したことは......」

「黙って受け取ってくれ、歩。」

足立はぽんぽんと歩の両肩を叩いた。

「おれは親の借金返済のためにポートマフィアに売られたようなもんだった。仕事も生きるためって感じでやる気はなかったんだよ。」

「そう......なんですか。」

「そんな時にお前に救われて、ぼろぼろになりながら頑張ってるお前を見て歩のためなら、歩の力がポートマフィアに認められるならどんな事でもしようって思った。」

足立は俺が歩を知る前から此奴の事を知っていた。そして信じていたのだ。

歩はいつかポートマフィア全体で認められる存在になる、と。否、そうならなければならないのだと。

その事実が如何も俺には釈然としない。

俺はかつかつ靴音高らかに二人に近付き、軽く手を挙げた。

「待たせて悪ィな。歩、足立。」

「おはようございます、中原幹部。」

俺に気付き、パッと向きを変えた歩と含みのある目で俺を見る足立。

「歩、左腕は?平気か?」

「また一ヶ月です。」

左腕にはギプス、右腕には包帯、顔中にガーゼ。また初めて会った時と逆戻りだ。

「足立、武器は持ってるか?」

「......それはまあ。でもあんまり期待はしないでくださいよ。」

「念のためだ。基本は俺が対処する。」

玄関に用意してある車に乗り込み、目的地を運転手に指定する。俺が運転しても構わないが抗争が沈静化した直後、何があるかまだ分からない。警戒も兼ねて助手席に乗る。運転席の後ろに足立、俺の後ろに歩と座席が決まると黒塗りの車は発進した。

「手前らって如何いう切欠で知り合ったんだ?」

「何でそんなプライベェトな事、あんたに話さなくちゃいけないんですか。」

不機嫌な声が斜め後ろから飛んでくる。敵意剥き出しのその声に寧ろ苦笑が漏れた。

「何処に接点があったのかと思ってな。話したくないなら無理強いはしねェよ。」

「本当に大した事ないんです。」

「大した事あるんだって。......まあ、簡単に云うとおれが造反疑われて拷問されてた時に歩が疑いを晴らしてくれて、情報漏洩してた奴も捕縛してくれたんです。」

がりがりと頭を掻きながらぶっきらぼうに云った足立。

「おれの無実証明するために証拠を集めてくれて。」

「足立さんが造反していないのは見えてましたし、その拷問していた人こそが犯人だったので何とかしたいと思って。あの時は足立さんの上司の方が協力的だったので助かりました。」

大抵の人は証拠があっても相手してくれる人少なくてと歩は声に憂いを載せて云った。

「それから足立さんが手伝ってくれて今に至ります。でも、私は見付けるだけで、証拠は殆ど足立さんが調べていたので。」

「だから!見付けるのが普通の人間にはできないんだって云ってるだろ。」

足立が歩の頭をわしゃわしゃ撫で、歩がわあっと驚きの声を上げる。

此奴らはあれだな。兄妹のような関係なんだろうな。

少しホッとした。

......否、何でホッとしてんだ。

疑問が浮かぶ中、車は目的地に到着した。

其処はヨコハマでは有名な総合病院だ。勿論、表向きの。

車から降りて二人を伴い玄関からエントランスへ、更にエレベーターに乗りある病室へと歩みを進める。

「眩し......」

人とすれ違っては目を擦る歩。光と闇の住人を見分けられるその目にとって、光はどんなものであれ眩し過ぎて痛いのだと聞いた。

あと少しだからと声を掛ける足立に歩は大丈夫です、と頷いて答えた。

601号室、其れが目的の場所だった。

ノックも挨拶もなく、俺はその扉を開ける。

「セリカの教祖、それに阿蒲組の異能力者だな。」

護衛は居なかった。白い病室に白いベッドがあった。其処に一人の痩せ細った男が眠っていた。その脇の椅子に男が座っていた。情報にあったセリカの教祖だった。

三組織による抗争の終結が確定したその日、セリカの教祖と爆破の異能力者だけは見付け出す事ができなかった。けれども北上を拷問した末漸くこの場所を突き止める事ができたのだ。直ぐにこの病院はポートマフィア構成員で包囲、俺と歩、足立で突入したという訳だ。

「幹部、此奴は人間の意識に働きかける異能力を持ってます。注意を。」

足立が警戒心を露に俺に忠告する。それをセリカの教祖が肯定するように首を縦に振った。

「如何にも。この異能力は意識のない人間にも作用する。彼を操っていたのは私だ。」

教祖は爆破の異能力者とされる男の頭をそっと撫でた。

教祖の異能力で北上を含め強襲部隊はセリカ、阿蒲組の構成員であると刷り込まれていた。この爆破の異能力者に至っては意識がない中で、教祖の異能によって建物の位置などの情報を脳内に書き込まれた上で異能力を発動するよう差し向けられていたものと考えられる。

これらの情報は全て足立が集めたものだ。

「彼はポートマフィアによって、このような姿になり、五年もの間眠っている。......私と彼は組織とは関係のない親友だったのにもう声も聞く事ができない。」

怨恨という事か。ポートマフィアに逆らう典型的な理由の一つだ。

「セリカと阿蒲組が組めばポートマフィアを潰す事もできるかと思っていた。甘かったようだ。」

「あァ、甘かったな。俺たちは手前ら程度で落ちぶれたりしねェよ。」

セリカの教祖は息を吐いて、爆破の異能力者が被っていた掛け布団を引き剥がした。

その男の胸には果物ナイフが深く刺さっていた。致命傷だと一目で判断できた。

「君達は神を知っているか。」

「手前らの信じる神なら知らねェ。」

セリカは宗教団体だ。一応名目として、ある神を崇めているらしい。異様に長い名前で覚えてはいないが。

「神はいる。生と死を司る神。我らが神に逆らう者は皆死屍累々を築く礎となっていった。」

セリカの教祖はそうして歩に視線を送った。

「君もその目を持っているなら知っているだろう。神はいるのだと。」

「......知りません。」

「その目は神に選ばれし者の目だ。あの場所にいた全ての人間に授けられた同胞である象徴。」

歩は本当に意味が分からないといった様子で眉を寄せた。

「残念ながら私は何も知りません。この目も生まれつきのものです。」

すると教祖はああ、と呆けたような声を出した。

「そうか、君は......」

その言葉は続かなかった。背後の窓が割れ、二回銃声が鳴った。俺は咄嗟に歩と足立の前に立ち、異能を発動する。

銃弾の全ては教祖に命中した。血飛沫が散り、どさりと寝台に倒れ込む。襲撃者の姿は見えない。

あの姿の見えない異能力者か、と思う間もなく、俺の脇を一陣の黒い風が走り抜けた。

「歩!?」

足立の叫びと伸ばされた手は空を切る。

歩は寝台を飛び越え、右拳を振りかぶった。

ズドンと重い衝撃、次に壁に何かがぶつかる音が響いた。

意識を失った事で異能が解かれたのか、異能力者の姿を漸く見る事ができた。

「此奴は......!」

栗色の髪の若い男。公園で歩が気に留めていた男だ。

「......あの日、ポートマフィアの管轄地でうろうろしていたので気になって見ていたんですけど。」

「所属は分かるか。」

「......阿蒲組です。」

歩がすみません、と深く謝罪する。

「私があの時云っていれば......」

「どちらにせよ教祖野郎は殺してたし問題ねェよ。それに手前の口を閉ざさせてたのは。」

決定的な証拠がなければ下級構成員の言葉を信用もしないポートマフィア全体の意識によるものだ。

「中原幹部......」

俺は歩の頭にぽんと手を載せる。

「歩、よくやった。良い拳だったぜ。」

俯いてはいたが歩の顔は見えていた。表情は変わらないが瞳をきらきらと輝かせていた。

本当に嬉しそうに。

「ありがとう、ございます。」

歩は深々と一礼し、外の構成員に状況を報告してくる、と病室を出ていった。

病室には二つの死体と、意識を失った男、足立と俺が残った。

「幹部。」

「......おォ、如何した足立。」

「歩を最初に見付けたの、おれですから。」

足立はそう云って俺を一睨みし、歩を追い掛けるように病室を出ていった。

「あー、そういう事か......」

あの時、何故釈然としなかったのか。その理由が分かった。

歩の力を、可能性を最初に見出だしたのは俺だと思っていた。

だが、それは違った。
足立が先に見付けて、手を打っていた。

「姐さん、足立は食えない奴じゃありませんてしたよ。」

寧ろ真っ直ぐで素直な人間だ。

まァ、それ以上に。

「......気に食わねェ野郎だ。」


阿蒲組、セリカは残党も含め壊滅することに成功し、ポートマフィアは更に勢力を拡大した。また、その抗争以降から歩の目や異能力は周知の事実となった。歩の目の力は造反疑いのある要注意人物リストの作成に大きく貢献し、ポートマフィアは内外においてその基盤を磐石なものとする事になる。

俺の直属強襲部隊も再編され、より精鋭の集まった部隊となった。その中には勿論歩もいたが、暴力を奮う人間などいる筈もなく、任務でも歩の意見が取り入れられるようになった。怪我も減り、包帯をしている姿を滅多に見なくなった。

また他の部隊の人間も歩を注目するようになり、特に黒蜥蜴の連中は歩を気に掛けているようだった。事ある度に歩の頭撫でまくってるのは若干イラッときたが。

俺と歩による訓練も頻度は減ったが続けていた。たまに足立が乱入してくるがそれはもう諦めている。

この黒社会、いつ何があるか分からないがそれでも暫くはそんな日々が続くと信じてやまなかった。

しかし、矢張りそうはいかなかった。

半年後、足立がある事故に巻き込まれ一線を退かなければならない程の重傷を負った。直後、歩に異動命令が下り、一年近く歩は地方の支部を渡り歩く事になる。そうして歩の居なくなったポートマフィア本部周辺は裏切り行為がまた徐々に増加する事となった。

斯くして歩の存在は記憶から薄れていった。


そして、時は現在。

「また手前は......今回は何の本読んでるんだ?」

本部ビルの廊下で腕に山のように本を積み、抱えてふらふらしている歩を発見し、背後から歩み寄る。

「中原幹......」

俺の声に反応し、勢い良く振り返る歩。

「莫迦、おまっ!」

折角微妙な均衡を保っていた本の山がぐらりと崩れた。俺は慌てて異能力を発動し、落ちてきた本に触れ、序でに本を支えようと前のめりになった歩の身体を受け止める。

「あ、わ、すみません。ありがとうございます。」

歩は俺から離れ、何度も頭を下げる。

「気をつけろよ。......うわ、出た。また學ぼうシリーズじゃねェか。」

學ぼう縄脱け、學ぼうピッキング......などの本が宙を浮いている。

「......私の異能力は拘束系に弱いと思って。」

「あー、拘束は手前の異能じゃ予測はできない。手足の自由が奪われた状態で異能が発動しても脱出できなければ予測できたところで意味もない、か。」

本を回収し、片手に担ぎながら云った俺に歩は首肯を返した。

「強くなるために弱点は潰しておきたいんです。」

此奴は人を殺せるようになった。其れを機に首領は歩に掃除、というのは比喩で組織内部の造反者の処刑を命じた。幹部より下位のあらゆる構成員を自分の意志のみで殺す権利が与えられたのだ。

造反者は殆どが消え、その状況を打開すべく歩の暗殺を目論んだ者もその全てが返り討ちに遭った。

歩の名はポートマフィアで知らない者はいない程短期間で爆発的に広まった。

今度こそ歩はポートマフィア内で畏れられる存在となったのだ。

「手前は十分強くなった。もう誰も手前を蔑ろにする奴はいねェよ。」

「曲げたくない意志があるなら組織で畏れられる位強くなれ、でしたよね。」

「あァ、覚えてたか。」

「中原幹部との事は初めて会った時から全て覚えてます。」

歩は俺を真っ直ぐに見詰めて云った。

「あの時の書類、中原幹部の云うように私が作ったものでした。」

「手前は否定したけどな、俺はちゃんと気づいてたんだぜ。」

「はい、気付いているんだろうな、と私も思って。それに中原幹部に良い仕事だって云われたのが自分でも驚く位凄く嬉しかったんです。」

歩が柔らかく目を細めて云った。

「この人はきっと部下の事をよく見ているんだなと。一人一人を信用して大切にしているんだと思って。」

「それは......」

「だから私は中原幹部を裏切ろうとする人を許せなかった。守らないとと思ったんです。」

ポートマフィアで此奴の名前は確かに広まった。残酷非道、冷徹な人間という印象付きで。

しかし、此奴は......

「聞いてる方が恥ずかしい事云ってんじゃねェよ......」

「そうですか?」

俺は本の山を持っていない方の手を額に当てる。

「でも、本心ですよ?」

「知ってる。」

溜め息を吐いて俺は歩き出した。如何せ梶井のところだろう。其処まで本を持っていく位の時間的余裕はある。

「中原幹部が望むなら......」

「あ?」

「私はどんな命令も従いますし、喜んで使い捨てられます。だって中原幹部は私の......」

俺はゆっくりと振り返る。

「私の大切な上司ですから。」

そう云って歩は穏やかに微笑んだ。

歩が俺の前で笑ったのは二回目だ。少しの間一緒にいたのに今まで見られなかった。そう、本当は俺はこの顔がずっと見たかったんだと思う。そしてこれからも。

......と思ったが。

大切な上司。

『云っておくけど歩ちゃんにとっての大切な人は友達から家族に至るまで許容範囲広いから図に乗らない方が後で後悔しなくて済むよ。』

太宰の云っていた事が的中した瞬間だった。否、彼奴の言葉は何時だって当たるのだ。

「はあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜......」

先程よりも大きな溜め息が口から零れた。何なら肩も腰も落としたし、頭も抱えた。本の重力を操作していて本当に良かった。

「え、如何したんですか?」

目を白黒させる歩に俺は立ち上がって足を踏み出す。歩の半歩手前で止まり見下ろすと歩はぴくりと肩を震わせた。目が据わっていたんだろう。

「あ、あの、私、何か......」

動揺し、目を合わせないために俯く歩の顎を掬い上向かせる。至近距離で視線が交わる。

「俺はもうその先に行ってんだよ。」

「は......い?」

「手前がそうさせたんだ。だからさっさと此処まで来やがれ。」

気短いから、そんなに待てねェぞ。

俺は手を離し、外套を大きく翻して歩に背を向ける。歩の声が背中越しに聞こえたが無視して歩みを進めた。


此れが俺と歩との出会い。今へと繋がる物語だ。
まァ、多少省いたところもあるが其れは其れ。俺の心に留めておくか、また別に機会があれば話す事にする。

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