其の十一

※第一部(と勝手に称している)最終回です。番外編を挟んで新章を予定しています。

「動くな。」

低い声だった。自分でも驚く程に。

ぱりっとしたスーツを着たサラリーマンに見える男。その後頭部に銃口を押し付ける。

「お、まえはっ......」

「余計な事は話さなくて良い。私があなたに望むのは一つだけ。」

拳銃を持つのとは逆の手で携帯電話の画面を見せる。

「この住所まで連れて行ってください。」

「む、無理だ。其処はっ......がっ!」

銃火が一度散った。男は頭蓋に風穴を開けて地面に倒れ伏した。

「そうですか、ありがとうございます。」

トレンチコートに着いた血液を払って次のターゲットの元に向かう。

この30分程で6人のモント構成員を殺した。全員がこの住所に行くのを躊躇った。問答となり時間を食うのも、また連絡され増援を呼ばれるのも面倒であるため、射殺している。

夜も更け、悪が蔓延る時間が始まった。だからこそだろう。街を疎らに歩く人間はほとんど闇に包まれていた。偶に見る光の世界を生きる人がいつもより眩しく見えた。

7人目。同じく後頭部に拳銃を突き付け、用件を簡潔に述べる。

「貴女、死ぬ気?」

眼鏡を掛けたOL風の女だった。女は素直に両手を挙げて私に一つだけ問う。

「そうですね、アインスを殺したら死んでも良いかもしれません。」

そう応じると女は諦めにも似た溜め息をついて、車に案内するわと近くのコインパーキングを指した。

今時の若い女性が乗る可愛らしい軽自動車だった。せめてもの報酬の一つとして駐車料金を支払った。

「それで、其処に行けば良いの?」

「コンビニとガソリンスタンドに寄っていただけると助かります。」

女は了解、と快諾し運転席に乗った。私は後部座席、運転席の真後ろの席を陣取った。軽自動車は静かに発進した。

「ねえ、アインスに勝つ策はあるの?」

女は少し震える声で尋ねてくる。

あります。
私は静かに答えた。

「そう、自暴自棄とかじゃないのね。」

「ある種単独特攻のようなものですから見ようによっては自暴自棄かもしれないですけどね。」

普通なら部隊で行くものね、と女は苦笑した。

「......何故そんな事を聞くんです?」

「私は、雨宮律音を知ってる。同僚だったのよ。」

雨宮律音......それは、その名前は。

「りっちゃん?」

女はそうよと首肯した。雨宮律音、そうだ。確かにそんな名前だった。漸く思い出した。

「あの子は確かに異能力者ではあるけれど戦闘向きではなかったでしょ?だから諜報や一般人で構成された部隊にいる事が多かったの。」

とても良い子だったけど、人との関わりについては何処か線を引いているように感じたと女は語った。

「あの子、花を育ててたわ。ルピナスという花。」

「ルピナス。」

雨宮律音、りっちゃんはルピナスを育てながら云っていた、と女は続ける。

私の親友だった子は凄く頭が良くて運動神経も良かったけど、苦手な事もあってね。

花が全然育たないの。

小学校の時、朝顔を育てる課題があったのにあの子だけ育たなくて。私が異能力で何とかしようかって云ったのに、頑固だから全然聞かなくて。図書室で何冊も本読んで、多分あの中で一番育て方を知っている筈なのに、本当に全然育たないの。だから、私があの子の知らない内に水をやって花を咲かせたんだけどね。私が水やりしてたの気付いたみたいでちょっと怒られちゃった。

私はそんなあの子にとても酷い事をしたの。多分向こうはもう友達だなんて思ってもいない。謝る前に逃げるみたいに転校しちゃったし。

でも、私はずっと親友だって思ってる。とても大切な子なの。だから幸せになってほしいって思う。

転校する少し前にその子と花を植えたの。ルピナスの花。私の大好きな花で、でも内緒にしてた。咲いてからのお楽しみって。

あの子咲かせられたかな。多分できなかったんじゃないかなあ。あんな事された後だし育ててないかも。でもね、今こうやって育てて、いつかまた会えたら......ちゃんと謝って、もし。もし仲直りできたら。

「あの子にルピナスを見せるんだって。よく話してたわ。」

私は目を伏せた。その光景が鮮明に目に浮かんだ。

「した事がした事だし許して貰えないと思う、とも云ってたけどね。」

「......あれは私の責任でもあります。私はりっちゃんに本当の意味で心を許してはなかった。だから自分の異能力を隠していたんです。」

それが私の弱さだったのだと思う。其れがりっちゃんを苦しめ、モントに入る要因を作ってしまった。

「私も親友だと、大切な人だと思っていました。でも、そのせいでりっちゃんは死んだ。」

女は暫く黙した。次に口を開いたのはコンビニに到着した時だった。

「私は如何すれば良い?此処で待つ?それとも一緒に行く?」

私は即座に云った。

「......一緒に来てください。あなたが逃げる事は考えていませんが、年齢的にこの時間帯にコンビニにいると補導される可能性があるので。」

「あぁ、そうよね。」

「何かあったらお姉ちゃんという設定でお願いします。」

「お、おねっ......!?」

女は動揺を隠せないまま車を降りた。私もその後ろをついていく。自動ドアをくぐり店内に入ると、店員は一人しかおらず、眠たそうに欠伸を噛み締めていた。

「そういえば、何を買いに来たの?」

「ライターです。」

「ライター?......真逆、貴女。」

それで女は私がしたい事に気付いたようだ。だが、それ以上は何も云わず歩き出す。私はライターを取り、何か必要なものありますか?と女に尋ねた。

「強いて云うなら眠気覚ましのガムとかかしら。残業開けなのよ。しかも三徹。」

「社畜みたいな顔してますもんね。」

「しゃ、しゃちっ!?」

ご希望のガムを購入し、コンビニを出る。

「転職先はポートマフィアをおすすめします。」

「厭よ。ポートマフィアに入るくらいなら田舎で農業でもするわ。」

極めて冷静で平和的な思考の持ち主である。

「......貴女のいた小学校覚えてる?」

「小学校......。二つあるんですが。」

「龍頭抗争に巻き込まれて廃校になったところ。」

では、最初の方か。あまり良い思い出はないが。

「アインスは其処の卒業生よ。」

「卒業生ですか?彼処は日本国籍の人間限定だった筈ですけど。」

「父が日本人、母がドイツ人のハーフ、日本国籍で間違いない。小学校卒業までは日本で過ごしていたって話よ。」

私は納得して首を縦に振った。

「あの小学校では首席だったでしょうね。」

「その通り。派閥の規模も過去最大だったみたい。」

「......私とは正反対です。」

私は最下位で派閥も作らなかった人間だ。

「そう考えるとアインスの思考回路は理解できます。言動が間違いなくあの小学校の教育理念そのものですから。」

あの小学校の教育理念、それは異能力者は常に社会の頂点に君臨する者であるという事を徹底的に叩き込む事だ。強者はその力を以て弱者を淘汰すべし。また自身は兵器でもある事を忘れてはならない。時には自分の感情を殺してでも蹂躙し、支配しなければならない。

其処で学ぶのは殺しではなく人間を屈服させる方法だった。

「私ね、アインス以外の異能力者は使い捨ての兵器として扱えと云われたわ。自分が頂点だからってね。でも、それはおかしいと思った。」

「だから私に協力してくれてるんですか?」

「そうよ。良い機会だと思ったわ。社畜人生も飽きたしね。」

車はガソリンスタンドへと入っていった。

「ねえ、給油して良い?」

「いくらですか?」

「お金は良いわ。彼処、道が凄くてね。念のためよ。」

貴女は自分のしたい事をすれば?と機械の方へ向かっていく。私は頷いて、ポリタンクを一つ、満タンの灯油を注ぐ。

其れをトランクに積めて座席に戻った。

「燃やすつもり?」

「はい。」

「難しいと思うけど。」

何故ですか?と問うと、車のエンジンを掛けながら女は云う。

「彼処がどういう場所か知ってる?」

「モントの拠点では?」

「研究所よ。化学系のね。」

火災に関しては万全の対策をしていると女は云いたいのだろう。私は少し考えて、トランクのポリタンクを見た。

「いけるでしょう。」

「意外と楽観的なのね。」

「此れはアインスを殺した後の余興みたいなものなので。出来なければ諦めるだけです。」

「余興ね。」

女は其れ以上は言及せず山道に入っていった。細く険しい道程だ。

「凄い道ですね。」

「軽自動車だからまだ余裕があるけど、普通車はきついかもね。」

「此れでスピード上げろって云ったら怒ります?」

「怒るわ。」

私はですよね、と返して窓を開ける。

「ちょっと、何する気!?」

女の驚きの声は無視して拳銃を発砲する。銃弾は森の中に吸い込まれるように消えていった。

「え、何?」

「このスピードだと其処にいた見張りの人間に撃たれて転落する可能性があったので。誰がや何がとは云いませんが。」

「私と車でしょ!見張りがそっちにいたなら貴女は射線から外れてるもの!」

山の中腹で鳴った警鐘。私の目は敵の位置を捕捉していた。夜の闇より深い闇。モントの構成員が持つ闇が写っていた。

危険要因は未然に排除しておくに限る。

「当たったの?」

「当たりました。右足です。」

「死んでないって事?」

「木の上でバランスを崩して頭から落下していました。あの高さですから、微妙なラインです。」

そう、と云った女の声は軽かった。如何でも良かったのか、それともそう見せているのか私には判断しかねた。

道は凄まじいながらも女の運転技術が優れているのか車はあっさりと研究所が見える位置まで来た。

「此処で良いです。」

「私はもう良いの?帰るわよ?」

「はい、お疲れ様です。」

私はポリタンクを左手に持つ。女は見送るように運転席から降りた。

「......頑張りなさいよ。」

「はい。ありがとうございました。短い時間でしたが楽しかったです。」

「私は楽しくなかったけどね。でも、雨宮が云っていた事は何となく理解できた。」

「そう、ですか?」

「ええ。また会えたら......普通の話がしたいわ。」

女は照れたように笑った。私も同意するように頷く。

「はい、また会えたら。」

その時だった。空気を裂くように激しい銃声の雨が轟いた。危ないと云う間もなかった。私は軽自動車の裏に隠れてやり過ごしたが女はできなかった。血飛沫が飛び、断末魔が響いた。

また会う機会は永久に訪れなくなった。

20秒程で銃声は止んだ。けれども第二波が来るのは時間の問題だ。人数は八人。この軽自動車も防弾加工をしているか否か不明だがいつまで保つかは分からない。

出し惜しみはしない。
全て出し尽くす。

覚悟を決めて拳銃を構える。

私は女の銃殺体の横を通って機関銃の装填をしているモント構成員の前に躍り出た。

撃鉄を起こす。
雷管が唸る。

三発の銃弾が三人の眉間に命中する。そのまま疾走し、恐慌を起こしていた一人の鳩尾にブーツの爪先をめり込ませる。其れを踏み台に更にもう二発発砲して別の二人の急所を狙い撃った。

視界がクリアに見える。自分の思い通りに、より効率良く殺せるように身体が軽々動く。

今まで私は何をしていたんだろう。

逃げて、避けて、殺さないように注意を払って。

全員殺せば終わりなのに、情報が引き出せるかもしれないと生かして。

向こうは此方を全力で殺しに掛かってくるのに、殺さないで助ける方法を探して。

今までの全てが馬鹿馬鹿しいとさえ思った。

殺す事しか考えなくて良い。何の加減も必要ない。

自由だと思った。

目の前には二人の男女がいた。機関銃の再装填は完了していた。なのに彼らは撃たない。ただ恐怖に身体を震わせ、身を寄せ合うようにしていた。

「撃てば良い。撃てばあなたたちを脅かす者は誰もいなくなる。」

それでも二人は撃たなかった。二人からは戦意が消えていた。

前の私なら撃たなかっただろう。

しかし、今の私は撃つ。

それが今の私には正しい。

「お前っ、人を殺さないんじゃなかったのか!」

そうだ、一人殺していない人間がまだいた。小太りの男で鳩尾を押さえて叫んでいる。

「此処にいる異能力者は何人ですか?」

男はひぃっと悲鳴を上げて後退る。

「異能力者は一人だけ!ボスだけだ!」

「それはあなたが把握していないのか、それとも事実なのか。」

「此処はボスとツヴァイしか異能力者は出入りしない!特別な場所なんだ!」

そんな所に態々私を招待したのか。それともこんなに早く私が再起するとは考えていなかったか。

......理由など如何でも良いが。

「助けてくれ!頼......っ」

銃弾が心臓を貫いた。真逆、情報を云えば生かしてくれると思ったのだろうか。そうだとしたら愚かで憐れな人だと思った。

私はポリタンクを取りに戻り、研究所の方へと向かった。

遠目にも見えた窓一つない白い建物。入り口は自動ドアのようで見張りも居らず静かだ。

私は一歩踏み出したところで立ち止まった。一瞬警鐘が鳴った。立ち止まった事で静止した。

また進めば警鐘が鳴る事だろう。要撃の可能性を私の頭は瞬時に打ち出した。

私は手榴弾のピンを抜いて投げた。カン、と高い音を立てて自動ドアに当たった其れは次の瞬間爆発した。

閃光と火炎が弾け、爆風で自動ドアが破壊される。中から数人の喧騒が聞こえた。

破片が散らばる自動ドアの正面から堂々と入り、混乱する構成員たちを撃ち抜く。

反撃しようとする構成員が自動小銃や狙撃銃を連射する。しかし、周りを銃弾が跳ね回るだけで掠る事はあっても決定的な当たりはない。

それはもう決定した事実だ。

異能力が発動しなければ弾雨の中であっても、爆弾を落とされようとも戦闘不能にはならない。

全員で集中砲火しているが当たらない。
対して私の銃弾は命中する。

私はもう一つ手榴弾を取り出して軽く放った。

また爆発が起こる。煙、炎、悲鳴が上がる。

生温かいものが白い壁にびしゃりと飛び散り、一面を濡らした。何が、とは云うまでもない。

斯くして全ての構成員がその爆発で倒れ伏した。

私は改めて建物内部の確認に入った。真っ白な天井と壁、奥には階段がある。他には何もない。ただただ目が痛くなる程真っ白な空間。

他に部屋などもなかったため奥の階段を進む私にもう邪魔は入らなかった。そのまま進んで二階に到着する。

どうやら此処が最上階らしい。

慎重にドアを開けて中に入ると、ガラスの壁を間仕切りにした研究室が通路の左右に広がっていた。梶井さんの研究所のような実験台があり、ビーカーやフラスコが雑然と置かれている。棚には反対に多種の薬品が入った瓶が整然と並んでいた。

私はそれを見ながら通路の奥へと歩を進めた。その先には白いドアがあった。

私はそのドアを先程と同じように警戒しながら開いた。キィッと接合部が軋む音がした。

「早かったね、真逆一日も経たず来るとは想定外だった。」

「そうですか。」

広い空間にソファーやテレビ、事務机などが安物のカーペットの上に座し、本棚にはファイルが隙間なく詰まっている。

両脇に二人の護衛を据え、ソファーにアインスが座り、私に向けて言葉を放つ。

後ろ手でドアを閉め、ポリタンクを床に置いて漆黒の拳銃をアインスに向けた。

「オレの異能力に勝てると?」

「云った筈です。あなたを殺すと。」

護衛の二人が拳銃を抜いたが、構えている私の方が速い。引き金を二回引く。二人は小さく呻いて床に倒れた。

「全員殺されるとは思わなかったな。」

そう呟くアインスと私の視線がぶつかる。

1......2......3......4......5

5秒経過した。

「オレの異能力は教えていたと思うが。」

「5秒間目の合った相手の最も畏怖する異能力を10分間再現する異能力ですよね。」

「分かっていて目を合わせたならキミは莫迦なのか死にたいのかのどちらかだ。」

会った時と同じ焦げ茶色のコート。《羅生門》を発動するなら十分な射程が得られる。

「なら、前者でしょう。あなたを殺すまで私は死ねないので。」

アインスが立ち上がった。と同時に私はアインスの顔面目掛け引き金を引いた。その一発は首を振って躱され、返礼とばかりに《羅生門》の無数の茶の刃が私に迫る。

大多数の其れを銃弾で弾き、足りなかった手数の分を事務机を盾にして防ぐ。多量だが見慣れた速さだ。

対処できない訳ではない。

「オレがキミをこうまでしてモントに引き入れたかったのは同じ小学校に所属していた事を知ったから。キミならばオレの目的を理解してくれるのではないかと思ったからだ。」

アインスは小学校のあの教育理念に感銘を受けた。異能力者の在り方として正しいものだと感じた。

「オレはあらゆるヒエラルキーの頂点だ。だから人を支配する権利がある。」

「私には理解できません。あなたと違って底辺の存在でしたから。」

「ああ、キミとは相容れる事はない。時間を無駄に使ってしまった。」

事務机を無理矢理貫通した刃を、噛み砕こうとする茶獣を迎撃し、手首の予備弾倉と交換する。

猛攻だ。訓練時の芥川さんがどれだけ手加減してくれていたか分かる。拳銃一挺では反撃の機会を作る事すら叶わない。

10分。

10分間この攻撃を耐えきればチャンスが生まれるかもしれない。

だが、戦闘での10分とは無限にも等しい長さだ。

広いとはいえ、この空間の全領域が《羅生門》の射程だ。今は防御できているとはいえ、数分で襤褸が出るだろう。

私は手にある9ミリ拳銃を見た。まるでずっと愛用していたように馴染む古びた拳銃。何処か温もりすら感じる其れを祈るように額に当てた。

勝負は一瞬で決まる。

決着をつけよう。

心の中でそう云って、銃把を強く握った。

「本当に勝算があったのか?10分持ちこたえればと思っているなら早急に諦めるべきだ。」

アインスが冷たい声で云い放つ。それには応えず、私は尋ねた。

「避けるの上手ですね?」

アインスは怪訝な顔をしたが、何か思い出したように返答した。

「ああ、キミは習わなかったのか。六年の授業で銃撃の躱し方について学ぶんだ。一般人は異能力者に対して銃器で対抗する事が多いから。」

私はそうでしょうね、と納得して続ける。

此処からが本番だ。

「でも、《羅生門》なら避ける必要はない筈なんです。」

「な......に?」

アインスの声が掠れているのが分かった。

「空間を断絶する事で《羅生門》は銃弾を届かせない。でも、あなたは初めて会った時から其れをしなかった。」

空間断絶による防御はただ自分の身を守るだけではない。敵に自分には銃など通用しないと誇示する手段でもある。銃しか手段を持たない人間にとってその行為は大きな絶望を生む。

「それにあなたの《羅生門》の使い方は4年前の芥川さんの戦闘記録と近似しています。まだ《羅生門》の力を全て引き出せていない。」

《羅生門》の売りの一つである汎用性の高さが全く見られない。

「あなたの異能力は原型を再現できるだけで、その人の積み上げてきた、研鑽して得た強さを得る事はできないんですね。」

アインスの表情が強張る。

きっと自分でも気付いていなかったのだろう。異能力を見せれば誰もが平伏する、そんな経験しかして来なかったからだ。

「私があなたの部下を殺したのにも理由はあります。もしその部下の畏怖するものが私の知らないかつ強力な異能であり、あなたがそれを再現したならば私が対抗するのは極めて困難だったからです。だから全員殺す必要があった。」

見知っている《羅生門》ならば。

しかも今の芥川さんの《羅生門》でないならば。

確実に殺せる。

「私は自分の畏怖する異能力と絶対に勝てない異能力がイコールだとは思いません。でも、あなたはそう思っていたんじゃないですか?だから、あなたは私と目を合わせた。」

「真逆、全て計算して......。」

アインスが初めて動揺を見せた。

余裕を崩す事ができた。

その隙を絶対に逃さない。

盾にしていた事務机を倒して、動きの鈍った茶獣に牽制射撃。
床を蹴ってアインスとの距離を縮める。反応したアインスが刃を繰り出し腕や足を掠めたが厭わない。間合いを詰め銃口を至近距離で突き付ける。

「っ......!」

それを《羅生門》の一部で防御しようとするアインス。

しかし、本命の攻撃はそれではない。

「ぐあああっ!!」

バチバチ、と青白い火花がアインスの脇腹で爆ぜた。

左手の雷撃針器だ。

アインスはその衝撃に崩れ落ちた。がくがくと震え、白目を剥いている。

私は其れを無感動に見下ろし、震える右肩を蹴り上げた。カハッと息を吐き出し覚醒したアインスの鼻先に照星を合わせる。

呆気ない終わりだ。

「モントも此れで終わりですね。」

「ツヴァイは......」

「知りません。ですが、ポートマフィアが自分の領域を荒らした組織の残党を一人でも残す筈がないので。」

アインスはそうだろうな、と痙攣する右手を懐に差し込んだ。

「此れが何か分かるか。」

右手にあったのは。

「爆弾のスイッチですか。」

「ああ、このスイッチを押して10分で一階が爆発する。キミが階段を上っている時に押した。」

10分......と思った瞬間、地響きが轟いた。ぐらっと床が揺れ、私は何とかバランスを保つ。

「脱出する道はないよ。」

「......私を殺した後、《羅生門》で脱出する心算といったところですか。爆発で此処があなたたちの拠点である証拠も隠滅する。」

「それも叶わない。スプリンクラーなども壊してある。オレもキミも此処で死ぬ。」

窓もない堅牢な建物だった。拳銃でも、残っている手榴弾でも脱出は不可能だ。私はそっと息を吐いてアインスに云った。

「なら先に地獄で待っていてください。」

引き金に指を掛ける。

アインスは目を静かに閉じた。

銃声が一回高らかに鳴った。

......アインスは、モントのボスは死亡した。

空薬莢がカランと床を跳ねて転がっていった。

私は無言で拳銃と雷撃針器を仕舞い、ポリタンクを取りに行った。蓋を開け、灯油をカーペットに満遍なく撒く。

灯油を全て撒き終わり、懐からライターを取り出した。歯車を回して火を付ける。

こんな事をしなくても直にこの建物は倒壊するのだろうが。

ライターを部屋の中心投げ込んだ。ライターがカーペットに落ちた瞬間、火柱が上がった。数分するともう辺り一面火の海と化していた。

アインスも炎で見えなくなってしまった。

私は火がまだ届いていない狭いスペースに腰を下ろした。

......うん。

もう十分だ。

私は生きた。生き過ぎた。

生きる理由は何もないのに、むしろ死ぬべきだったのに。こんなに長く生きてしまった。

漸く私は地獄に行ける。

携帯電話を開いた。邪魔になると思って切っていた電源を入れる。

着信があった。中原幹部の名前が羅列されていた。

中原幹部は私が死んだら悲しむのだろうか。

きっとそうだろう。そういう人だ。

だからこそ私は......。

じりじりと熱によるものではない痛みが胸を刺した。そんな事は考えてはいけない。何も想像してはいけない。

不在着信の履歴を見ながら悶々と思った。

だが、ふとそういえば、モントに関する作戦指揮は中原幹部だったという事を思い出した。

一応アインスを殺したと一報入れた方が良いだろうか。

「......電話は怖い。」

私はメールを選択し、文面を作っていく。内容としては、アインスを抹殺した事、ツヴァイに関しては不明であるため対応を急ぐべきだという事。送信を押して、その画面を見ていた。暫く放置したためかディスプレイは徐々に暗くなっていき、真っ黒になった。

と思うが早いか、携帯電話が振動し、画面がパッと光った。中原幹部の名前が表示される。

着信だ。

いつも通りの文字の大きさなのに何故か圧を感じてならない。

出ろ!!!!!!!!

みたいな。

怖い。

携帯電話を閉じ、床に置いた。

着信は切れたが、次はメールの受信音が鳴った。ごうごうと燃え盛る炎の中にあって軽快な音楽が場違いに響いた。

私はそっと携帯電話を開けた。

電話に出ろ

以上だった。

すぐに厭ですと返信して、床に携帯電話を放った。

黒煙が呼吸を妨げ、炎熱が喉を焼く。皮膚も火傷や裂傷などで赤とも黒ともつかない色に変色していた。

体育座りで縮こまってそれをやり過ごす。

熱い、痛い、苦しい。

それは罰だ。

両親との約束を破り、織田作さんとの約束も破り、子どもたちを見殺しにし、りっちゃんを殺した罪。

それが今罰せられるのだ。

それから少しして頭痛が顕著になってきた。目眩がして視界も不明瞭だ。咳も止まらない。

メールの受信音が鳴っているのにその携帯電話を取る事さえ億劫だった。そのままにしておくと携帯電話も炎に包まれていった。

次は私だ。

息を吸って吐く単純な事さえも困難になってきた。意識も霞みが掛かったように薄くなっていった。

膝に顔を埋めて瞼を閉じる。

待ち焦がれた地獄が其処にある。

そう思っていた。

......なのに。

ドンッ!!と爆発じみた衝撃が揺さぶった。

一階ではない。

顔を上げて、正面の壁を見る。バキバキとまるでガラスでも割れるように鉄筋コンクリートの壁が崩れていく。

「そんな所に居やがったのか。帰るぞ、莫迦。」

壁にできた巨大な穴から黒い影が降り立つ。その動作だけであんなにも激しかった炎と黒煙は逃げるように道を開けた。

正体は直ぐに分かった。

「何で......来たんですか。」

私は呆然と、譫言のように尋ねる。

「来て欲しくなかったか?」

その影は私にゆっくりとした足取りで歩み寄る。

「此処で死のうと、そう思ってたか?」

「私には......もう生きている理由がありません。」

中原幹部は私の一歩手前で立ち止まった。

「太宰から手前の話を聞いた。」

「太宰さんが......?」

「織田だったか。其奴の話や手前の両親の話、首領との事。それと。」

沈黙が流れた。その沈黙の理由が分からず顔を上げ、中原幹部の表情を窺った。

中原幹部は真っ直ぐに私を見ていた。だが、その表情は。

視線が交わる。

その青い双眸に深い哀情が見えた。

そうだ、この人は深い怒りや悲しみというものは表情には出さない。

静かに目に宿す人だ。

「手前の生きる理由も。」

「っ......」

これ以上は駄目だと異能力ではない警鐘が私の中で鳴り響いた。

何も知られたくない。近づいて欲しくない。後退しようとしても背中は壁についている。

「逃げんな。」

「や、いやです......」

中原幹部が一歩の距離を詰めて片膝をついた。そして中原幹部の右手が私の後頭部に回り引き寄せられる。

「俺は死なねェ。」

低く落ち着いた声音が直接鼓膜を揺らした。

「手前が俺をどう思おうが死なねェ。だから聞け。」

身体が拒否するように震える。

「俺は生きる理由なんて考えた事もねェ。でもな、手前に必要だって云うなら。」

「中原幹部、やめてください......。私は。」

制止の言葉は届かなかった。中原幹部が左腕を背中に回して更に私を引き寄せる。

「俺が生きる理由になってやる。」

視界がじわりと滲んだ。喉からぐっと熱いものがせりあがって息が詰まる。

「だから、手前は自分の気持ちを諦めるんじゃねェ。」

がくんと身体から力が抜けた。

酷い。

折角、此処で死ねると思っていたのに。
何でこの人は其れを云ってしまうんだろう。

私のような一介の構成員に。

生きる事が罪であるような人間に。

私の全てをきっと知ってしまったであろうこの人は何故私に生きる理由を与えようとするのだろう。

でも。

「私、私は......」

「あァ。」

「中原幹部の事が、大切でっ。」

「うん。」

「でも、私が大切だって思ったら皆、いなくなるから。絶対思わないようにって。」

「そうだな。でも、俺は例外だ。」

「私、中原幹部の事......中也さんの事、大切だって思っても良いんですか。」

「あァ、それで良い。......否、それが良いんだ。」

......そんな事を云われたら。

......そんな目をされたら。

私はもう。

「死ねなくなっちゃうじゃ......ないですか。」

涙腺が決壊したように涙が溢れて止まらなかった。火傷で爛れた手を伸ばして中也さんの背中に手を回す。中也さんはそんな私の髪を宥めるように撫でた。

「云っただろうが。死なせねェって。手前は覚えちゃいねェんだろうが。」

中也さんはそう云って私から手を離し、立ち上がった。

「帰るぞ、歩。」

そうして私の前に右手を差し出す。

床ががたがたと振動する。倒壊が近い。

生きるならば。

私はその手に自分の左手を載せた。

「はい。」

しかし、返事をした瞬間、ぐらりと視界が歪み、目の前が真っ黒に染まった。

最後に聞こえたのは中也さんが私を呼ぶ声だった。


次に目覚めた時、矢張り私は寝台の上にいた。消毒薬の匂いが強い白い部屋。病院だろうか、とまだ回らない頭でぼんやりと考えた。

「無茶をするね、君は。」

顔を横に向けると丸椅子に太宰さんが座っていた。

「だざっ......」

起き上がろうとして全身に痛みが駆け抜けた。火傷、裂傷による様々な痛みが次々に私を襲い、苦悶の声が漏れた。

「ああ、もう。無理しちゃ駄目じゃないか。」

太宰さんに支えられ、再び寝台に寝かされた私は顔だけそちらに向ける。

「太宰さんが?」

「私、というか......。君が生きるためには中也が必要だからって乱歩さんが云うものだから仕方なくね。」

私の質問の意味を汲み取ったのか、太宰さんが唇を尖らせて応えた。

「そうですか。誰にも場所教えてなかったのにと思っていて。太宰さんと乱歩さんがいたなら納得です。」

「でも吃驚したよ。建物の近くは死体だらけ、建物に至っては火災と爆発で今にも崩れそうな状態。ねえ、私と中也が何故双黒なんて呼ばれていたか知ってるかい?一夜で敵対組織を建物ごと壊滅させたからなんだけど。まさに其れじゃない?」

通り名単黒にでもする?と太宰さんが冗談混じりに聞くので遠慮しておきます、と丁重に断っておいた。

「規模が全然違いますし、其れに壊滅させた訳でもありません。」

壊滅も同然だよ、と太宰さんが腕を組んで話し始める。

モントという組織の規模は小さく、それほど強い異能力者もいない。また、アインスへの恐怖から従っていた者が全体の六割を占め、そのアインスが死亡した事で解放され、逃亡した者が多い。

「ツヴァイに関しては芥川君と梶井君で一悶着あったみたいでね。詳しい事は中也から聞くと良い。一先ず云えるのはモントはもう組織と呼べるような代物じゃないという事だよ。」

モントはアインスが誰にも負けないという事を前提とした組織だったのだと思う。だからか構成員たちの戦闘技術があまりにもなかった。

「君が其れをやってのけた。一人でね。其れにアインスは異能特務課も手を焼いていた存在。殺したとなれば、分かるだろう?」

「異能特務課に目を付けられているという事ですか。」

「その通り。特務課も本当は監視......それ以上の事はしたいだろうね。」

君がポートマフィア所属だから迂闊に近付けないようだけど、と太宰さんは続ける。

「森さんは君の可能性に気付いている。此れで異能特務課は、否、日本政府ですらポートマフィアに安易に仕掛ける事はできない。」

「そんな大袈裟な......」

「君は其れだけの異能力者という事だよ。其れがアインスを殺した事で証明されてしまった。当然、他の勢力も君を殺すもしくは掌握しようとするだろう。世界征服なんて企む組織もいない事はないからね。君を洗脳して......なんて考えているかもしれないね。」

せ、世界?

其れは流石に飛躍し過ぎだ。私にそんな力がある筈ない。自分の弱さはよく分かっているし、アインスを殺せたのだって思うように事が運んだだけなのだから。

私がそうして暫く黙考していると、太宰さんがあーと唸った。

「こんな事を云いに来たのではなくてだね。」

太宰さんは頭を振って私に向き直った。

「まずは生きていてくれて本当に良かったよ。織田作も喜んでいる。」

喜んでいる......のだろうか?

明らかに表情が険しくなっていたのだろう。太宰さんが眉間に皺が寄っているよ、と自分の其処を差して云った。

「......喜んでいるよ。絶対に。」

「でも、私は......」

「私は織田作から君の話を沢山聞いているんだ。まあ、私も君に興味があって尋ねたからというのもあるけど。」

「......はい。」

中也さんが太宰さんから話を聞いたと云っていた。太宰さんと会った回数を考えると織田作さんが色々話していたと考えて相違ない。

「織田作と君の関係は強く深いものだ。言葉では表せない程にね。」

「其れは......。」

私は口を閉ざした。織田作さんとの関係。

私にとって織田作さんは大切な人だ。

命の恩人。
生きる意味を呉れた人。
信頼できる人。
家族。

挙げたらきりがない。

「君たちはきっと少し言葉を交わすだけで全て理解できたのではないかな。もしくはそれ以上の事も。」

「そう......思います。」

「......だからね、私は君に云えなかった事がある。織田作の最後の言葉だ。」

まるで瞬間冷凍されたようにぴしりと身体が固まる。

......最後の言葉?

子どもたちを守らなかった私への怒りや恨み、憎しみ。きっとそんなものがない交ぜになった言葉に違いない。

「君が考えている事は分かるよ。でも、私に君を見つけ出させたのは織田作だ。」

「え......」

「敵の長と対峙した時、織田作はこう云われたらしい。異能力者の子どもを殺す事ができなかった、と。だから織田作は君が必ず生きていると信じ私に捜索の依頼をしたんだ。」

そうでなければ君はあの中で誰にも気付かれる事なく死んでいただろうね、と太宰さんは語る。

「そして君に伝えて欲しいと頼まれた。」

子どもたちに歩を守るように云ったのは俺だ。生きているならば本当に良かった。

俺は歩の元に帰れそうにない。本当にすまない。

今後の事は太宰に頼んである。覚えていると思うが太宰は信用できる良い奴だ。頼ると良い。

「それから」

太宰さんがフッと苦笑して静かに続けた。

「間違っても此方には来てくれるな。」

瞬間そういう事か、と納得する自分がいた。

「......太宰さんの心中お察しします。」

「そう?」

「前の私ならば其れを聞いたら迷わず死にます。」

私はある死生観を持っている。
知っての通り、死後の世界には天国と地獄があるというものだ。此れはひとえに地獄で自分の罪を裁かれたいという思いから来る暗示のようなものだが。
其れは勿論織田作さんも知っている。

私は織田作さんは天国に、私は地獄に行くものだと信じてやまなかった。

しかし、織田作さんの云う此方とは地獄を指す。地獄には来るな、と云っているのだ。

「ポートマフィアに所属していて天国に行けるなんて思っている人は少ないだろうね。」

私は地獄に行く事は確定している。両親との約束を破った時から決まっている事だ。

もし、織田作さんが地獄にいると知っていたならば、織田作さんの前で懺悔するために死のうとしたに違いない。

「最後にもう一つあるのだけれど。」

「はい。」

「こういう事は本人が直接云うべきなのに。本当莫迦だよ、織田作は。」

太宰さんは小さく悪態をついて、深く息を吐いた。

「......愛している。だから幸せになってくれ。」

視界が真っ白になり、音が聞こえなくなった。
無重力空間にいるように身体が宙を浮いた。

ひたすら真っ白な世界が其処にあった。

その時、頭の中を織田作さんとの記憶が次々に巡っていった。拾われた時から最後に会った日まで。

其れらが世界に色を着けていく。

......そうだ、私はこの感情の名前を知らなかった。誰も教えてはくれなかった。否、教えられる筈がないのだ。

極彩色の世界、その地に足を着けた私の胸に温かいものが込み上げてきた。溢れて痛い程だった。

......ずっと一緒にいたかった。織田作さんの夢に私も連れて行って欲しかった。

「私は織田作さんが......」

溢れたものが涙となり、地を濡らした。

織田作さんの傍にいるだけで幸せだった。

私は織田作さんを愛していたのだ。

漸く分かった。遅すぎる位だ。

けれど分からないよりもずっとましだ。

世界が戻る。

目の前には太宰さんの姿がちゃんとあった。闇ではなく光に包まれた太宰さんだ。いつもは眩しくて痛い程だった光が何故か柔らかく温かかった。

「......太宰さん、ありがとうございます。織田作さんの最後の言葉を私に伝えてくださって。」

太宰さんは目を見開いて、小さく笑みを溢した。

「いいや、本当は地下から出てすぐ云うつもりだったのに随分遅くなってしまったよ。」

其れは私がポートマフィアに入り、行方を眩ませたからで太宰さんに責任はない。

「私は太宰さんから色々なものを貰ったのに、その全てを踏みにじってきました。本当にすみません。」

太宰さんには酷い事をしてばかりだった。

光の世界を生きる道を呉れたのに私は自分からその道を閉ざした。
今回だって太宰さんは私を止めてくれたのにそれを振り切って、こうして迷惑を掛けている。

「君は人をもっと頼るべきだ。」

太宰さんがそっと私の手を握った。少し冷たいその手を温めたくて私は握り返した。

「君はそうでなくとも、君を大切に思っている人は多い。そういう人はね、君にもっと頼って欲しいと思っているよ。」

「そんな人......」

本当にいるのだろうか。私なんかにそんな事を思ってくれる人が。

「私がその一人だ。」

強い口調で太宰さんは断言する。

「織田作から頼まれたからというだけではないよ。私は初めて会った時に見た君の笑顔をもう一度見たくて、だから君に......」

ガンッ!!!!

突然音高く病室のドアが開かれ、太宰さんの言葉が遮られる。

「よォ。目、覚めたみてェだな。」

「中原幹部。」

中原幹部が携帯電話を軽く振って、報告があってなと短く云った。だが、其れを見た太宰さんが露骨に眉を寄せる。

「うわあ、嘘つき中也だー。ずっと扉の前いたくせにぃ。」

「はあ!?根も葉もないこと云ってんじゃねェ!」

中原幹部が外套を翻し、太宰さんの横に立った。

「いやいや、いたでしょ。タイミング良過ぎるもの。」

「勝手に云ってろ。あと手離せ。」

「なーに、中也。もう所有物気取り?云っておくけど歩ちゃんにとっての大切な人は友達から家族に至るまで許容範囲広いから図に乗らない方が後で後悔しなくて済むよ。」

「嫉妬か、莫迦放浪者。」

「蛞蝓は語彙力というものがないのかな。私は歩ちゃんと未だ話したい事があるから辞書で嫉妬の意味でも調べてきなよ。」

バチバチと火花を散らし合う二人に口元が緩む。

......?あれ?

ハッとして二人を見ると。

二人は私を凝視していた。

「......すみません。」

居たたまれない気持ちになって謝罪するが太宰さんが柔らかな笑みを讃えた。

「謝る事ないよ。もう一度、君の笑顔を見る事ができて嬉しくてね。」

太宰さんが中原幹部の方を一瞥し、立ち上がった。

「そろそろ与謝野さんが来る。迎えに行ってくるよ。」

太宰さんが病室から軽い足取りで出て行った事で中原幹部と二人っきりになる。

中原幹部は何故か俯いて顔が見えないまま、丸椅子に腰を下ろした。

「手前......」

「......はい?」

「手前が笑ってる所初めて見た。」

「そう、ですか。」

基本は無表情だが、自分でも気付かない内に笑っている事がままある。フェージャにも云われた事だ。

「......もっと笑え。」

「それは......」

「笑いたい時は笑えば良い、俺は手前のそういう顔が見てェ。」

中原幹部が私の頬に触れる。

「太宰から聞いた事だけじゃ足りない。もっと歩の事が知りてェんだ。」

「......私もです。」

私もその手に自分の手を重ねる。黒手袋越しに中也さんの手の温もりが伝播するようだった。

「もっと知りたいです、中也さんの事。」

私の生きる理由。
私の大切な人。

「じゃあ、早くこの怪我治さねェとな。」

「はい、頑張ります。」

「おォ、頑張れよ。何せ......」

ガラリとドアがまた開いた。

「良い具合に怪我をしてるじゃないか、ねェ?歩。」

突然悪寒がした。どっと冷や汗が流れる。全身が痙攣し止まらない。

与謝野さんと太宰さんが立っていた。与謝野さんは何故か鉈を持っていた。

「え、え、いや、与謝野さん、私は......」

「妾の異能力は瀕死じゃなきゃ使えないからねェ。如何しようか......」

助けを求めて中也さんを見るが、中也さんはにこにこと満面の笑みを浮かべ、また太宰さんも同じようだった。

「......怒ってます?」

「否、全然。なァ?太宰。」

「うん、全然だよ。」

こういう時に限って結託するのはやめて欲しい。

そうして頭の中で異能力の警鐘が鳴り響いた。

与謝野さんが口角を上げて鉈を取り。

私は諦めて目を閉じた。


それから数日、私は首領に呼ばれ執務室の扉の前に立っていた。

見張りの二人に頭を下げ、フレンチドアをくぐる。

「やあ、歩君。元気そうだね。」

「はい。お陰様で。」

執務机でにこやかに語りかけてくる首領に私は応じる。

「モントについて報告は聞いたよ。よくやってくれたね。おかげでヨコハマを脅かす組織の一つを消し去る事ができた。」

モントは壊滅した。ツヴァイは中原幹部から聞いたところによると私の職場でもある梶井さんの研究所を数人の異能力者と共に襲撃したが、芥川さんと梶井さんによって返り討ちにされ捕縛されているらしい。何故芥川さんが其処にいたのかは分からないが梶井さんたちが無事で良かった。

私は光栄ですと頭を深く下げた。

「却説、申し訳ないけれど君には頼みたいことが二つあってね。」

「はい、何なりと。」

首領は満足そうに頷き、口を開いた。

「一つ目は掃除。適度に頼みたいのだけれど。困った事に最近増えてきてね。分かっているとは思うけど。」

「はい。」

私の目は裏切り者を見付けるのに都合が良い。人を殺せるようになったのだから、首領が利用しない筈がない。適度に、というのは異能特務課などの公的な間諜者には配慮するように、という事だろう。

「もう一つは......。」

首領は不敵な笑みを浮かべた。

其れは意外なものであったが、首領の意図が理解できない訳でもなかった。私は肯定の意思も込めて頷く。

「一ヶ月程、頼めるね?」

「はい、務めさせていただきます。」

全てはポートマフィアのために。

ポートマフィアに加入時と同じように宣誓し、真新しい白衣の裾を翻して私は踵を返した。


私には生きる理由がある。
私には大切な人がいる。
その人を守るために私はもっと強くならなければならない。

もし害を成す人間がいるならば容赦はしない。

絶対に同じ過ちは起こさない。起こしてはならない。

そのために私は......。

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