其の九

※視点がころころ切り替わります。文字数多めです。

翌日、ポートマフィアの本部ビルにある中原幹部の執務室へ報告書を手に赴いた私は扉を開けた瞬間、ぴしりと硬直した。当に石のように。

何故か。

其処には中原幹部の他にもう一人の姿があったからだ。

執務椅子に座る中原幹部、その隣で談笑しているのはポートマフィア五大幹部の一人、構成員は姐さんと呼び慕う尾崎紅葉である。面識はない。

「......出直します。」

「歩じゃったな?構わぬよ。」

姐さんは私に気付くと優しい微笑みで入るように促す。だが私の心はうわあああと絶叫していた。何故かと聞かれたらもう此れしか云いようがない。

ポートマフィアで最も敬愛している人だからだ。

その美貌は勿論、異能力《金色夜叉》も美しく強い。

女性の五大幹部として当然尊敬するし、遠目から見て黒服の構成員を従え、堂々とした様で立つ姿は憧れにも似た思いを持つのは無論である。

何より絶対に届かない人として最下級構成員の特に女子の中では崇める、神のような存在である。

ちなみに盗撮したと思われる写真の販売金額は一枚時価二十万円。写真一枚を得るにしても手の届かない人なのだ。

「おォ、歩、此方来い。」

それにしても中原幹部と姐さんか。構成員の中でも話題になっていたがとても仲が良いらしい。其れこそ幹部仲間以上の。その中に割って入るなんて......邪魔でしかない。

「わ、私は後で......大丈夫です。」

「中也とは世間話をしていただけじゃ。気にする事はない。」

その世間話をする時間が二人にとって大切なのでは。

うん。此れはますます邪魔なように思えてきた。

「歩?」

中原幹部は眉間に皺を寄せ、不審そうに私を見つめる。なので、私は正直に応える。

「あの、私は二人の邪魔はしたくなくてですね。」

「は?何の話だ?」

「つまり、その......また改めて伺います!」

私は急いで執務室の扉を閉め、一番近くのエレベーターに駆け込む。ボタンを連打し、一階に降りて、廊下を走る。

「ばたばた五月蝿い。」

「わっ......」

突然、後襟を持ち上げられて吃驚する。人ではない何かのようだ。正体を見るため顔だけ後ろに向けると《羅生門》の黒獣が其処に噛み付いていた。そのまま身体が宙を浮き、ぷらぷらと揺れる。まるで首根っこを掴まれた猫のような状態である。

「あ、芥川さん......」

「健勝そうで何より。僕の居ぬ日々はさぞ安泰だっただろう。」

全身から禍々しいものが滲み出ている芥川さんに私は肌が粟立つような感覚を覚えた。

「えっと、樋口さんは今日はいらっしゃらないんですか?」

「知らん。樋口は休暇だ。彼の女の文句を吐き乍ら帰還した。」

彼の女、と云った瞬間芥川さんの剣呑な空気が更に深まる。ごほごほと咳き込み、思い出させるなと芥川さんは言い捨てた。

「任務の......ですか?」

「然り。忌々しい事この上無い。」

どのような任務か定かではないが女の人が関係あるらしい。しかも相当凄まじい女の人のようだ。

「貴様の其れは報告書か。」

「はい、中原幹部に。」

「中也さんは留守か?」

「否、姐さんがいたので。」

見せろとでも云うように睨み上げられ、すごすごと差し出す。芥川さんは受け取るとゆっくり頁を捲って目を通す。

「......この怪我は?」

「敵の異能力で......。ですが、探偵社の方の異能力で全て治癒しました。」

「太宰さんの作戦で此の失態、矢張り貴様は無能の二文字がよく似合う。」

すみません、と謝る声が縮まる。

胸にズキリと痛みが走った。

おかしい。今まで何を云われても平気だったのに。

「この薬というのは。」

「最近巷を騒がせていた殺人衝動を増幅させるという薬で。」

「射たれたのか。愚鈍が過ぎる。」

梶井さんが解毒薬を持ってきたため事なきを得た、らしい。らしい、というのは記憶がないので確かではないからだ。

「太宰さんの前で其の姿を晒すとは。」

「本当にすみ......」

胸の痛みが鎮まらない中、黒獣が私を投げ飛ばした。放物線を描いた私の身体は硬く冷たい廊下を三回跳ねて止まった。

「いっ......」

起き上がろうとしたが、また黒獣が後襟を捉える。

「何故抵抗しない?此れも訓練の内。撃ちたければ撃て。」

「武器が......ありません。」

ない訳ではないが、愛用している武器は全て中原幹部が預かっている。拳銃に関しては予備もないため、今は予備のナイフと手榴弾しかない。

「殺されたいのか。」

「......それは。」

「望みと有らば今此処で肉片にして呉れよう。」

刃のように鋭く尖った《羅生門》が複数私に向けられる。警鐘が鳴らないところを見ると殺されはしないのだろうが。それでも少しは恐怖がある。

ズバッと風を切ってその一本が頬を掠め、壁に突き刺さった。深く斬れたのか血が顎を伝って床に小さな水溜まりを作る。

「次は此れが貴様の脳幹を貫く。」

「っ......」

脳幹を貫く、それは人間にとって即死を意味する。死への恐怖はないが、それでも人間というのは反射的に目を閉じてしまうもので。ぐっと瞼を閉じて痛みを待つ。

「芥川っ!何してやがる!」

そんな怒声が駆け抜けた。目を開けると、《金色夜叉》が《羅生門》を斬り刻み、霧散させる瞬間が映った。

「あ、わ......」

《羅生門》が消えた事で私は床にドスンと落下する。

「無事じゃな、歩よ。」

「は、はい......」

廊下の向こうから中原幹部と姐さんがやって来るが、二人は私の頬からボタボタと垂れる血を見て血相を変えた。

「芥川......此れはちゃんとした理由あっての事だろうな。間違っても任務が上手くいかない腹いせじゃねェよなァ?」

「......中也さん。」

「訓練だ、なんて言い訳はできねェぞ。本部内での訓練許可は誰も呉れてねェからな。」

中原幹部が怒りを露に芥川さんに詰め寄る。その間に姐さんが私に歩み寄り、頬に手巾を当てる。

「えっ、え、あの......姐さん?」

「中也がのう、追いかけると云って聞かぬ故ついてきてみればこの様よ。」

「そ、そんな......また午後にでも出直そうと思って。」

姐さんはなかなか血が止まらんのう、と気遣うように患部を見つつ、また手巾で圧迫する。

「中也はそなたに誤解されたと思ったんじゃろう。」

胸騒ぎがした。聞いてはならないものだと直感的に悟った。

「私と中也はそなたが考えているような関係では......」

「や、やめてください。」

私は姐さんから距離を取るため跳び下がった。

「如何したのじゃ?」

「聞きたくないです。」

「そなたにとって悪い話では......」

私は首を横に振る。聞きたくない。聞いたら、私の生きている限り守らなければならないものが崩れる、そんな予感がした。だから、私は懇願する。

「お願いします、姐さん。」

「じゃが、そなた......」

その時、ドゴンと廊下を地響きが轟いた。衝撃波で姐さんの着物が煽られる。その衝撃の正体は中原幹部を異能力によるものだった。

「首領がある程度許容してるからって調子に乗るなよ、芥川。」

「僕は調子に乗ってなど......!」

「手前の其れは訓練じゃねェ、暴力だ。」

中原幹部の打拳が芥川さんに炸裂する。しかし、芥川さんの異能力による空間断絶によって顔面すれすれで阻まれる。

「手前の何気無い一言が、訓練と称する《羅生門》の攻撃が、此奴を追い込んでるってのにそろそろ気付くべきなんじゃねェか?」

「僕は......」

異能力を使い、無理矢理押し込もうとする中原幹部に私は思わず声を上げた。

「中原幹部、やめてください!芥川さんは......」

「手前は黙ってろ!」

中原幹部の覇気にたじろぐ。身が竦み、声が出なくなってしまう。

「中也、やめよ!歩も怖がっておる。」

「っ......すみません、姐さん。」

姐さんの一声で中原幹部は拳を下ろした。

「歩よ。医務室に行き、傷を見て貰うと良い。中也、歩に付き添って......」

「いえ、一人で行きます。中原幹部、報告書は芥川さんが持っているその書類なのでよろしくお願いします。」

私は頭を下げて、早々にその場を離れる。医務室には寄らず迂回して別の出入口から外に出ようとしていたのだが。

「矢張りな。」

「あっ......!」

其処には既に人影があった。しかも、其の人は。

「芥川さん......」

「何処へ行く。」

口に手を当て、壁を背に芥川さんが立っていた。

「医務室に行けと命じられていた筈だが?」

此の程度の傷、自分で処置できる。いつもそうしてきた。今更医務室だなんて烏滸がましいとさえ思ってしまう。

頬の傷に触れるとまだ血が止まっておらず、さらさらとした液体が手を濡らした。

「此方に来い。」

「......?」

私が近寄ると芥川さんが懐から応急手当用なのかガーゼやテープを取り出した。

「芥川さん、私自分で......」

「五月蝿い。」

圧迫止血され、ガーゼとテープを貼り付けられる。処置が終わり、芥川さんは其処を一撫でしてから手を離す。

「すまん。」

「......何故謝るんですか?」

「女の顔に傷を付けた。痕になるやもしれぬ。」

「私の顔に傷が何個付こうが何も変わらないですよ。」

痕になろうがなるまいが、私の人生は変わらない。恋愛、結婚、そんなものとはきっと一生無縁だろうから。

「責任は取る。」

「否、本当に大丈夫なので......」

それは大袈裟過ぎる。気にしないで欲しい、と首を振って、逃げるように後にする。けれども芥川さんが私の背後で一定の距離を保って追随する。

「......ほ、他に何か?」

「先程も尋ねた。何処へ行く、と。応えないならば追う他あるまい。」

今日の芥川さん何がしたいのかよく分からない。追う他あるまいとは?放置するなど選択肢は山程あるだろう。

「......今日は、任務で大変ご迷惑をお掛けした太宰さんや国木田さん、与謝野さんにお礼の品を、と思って。」

「太宰さん......!」

そういえば、太宰さんの好きなものを私は知らない。同じく国木田さんも与謝野さんもだが。

「太宰さんの好きなものって知ってますか?」

「自殺、酒、蟹、味の素。」

すらすらと返ってきた答えを聞いて私は思索に耽る。自殺......は私には如何しようもない。自分で頑張ってくださいとしか云えない。酒......は未成年なので買えない。蟹......は何とかなりそうだ。味の素......も何とかなるがお礼には相応しくない気がする。

「蟹......なら皆さん好きですかね。」

「知らぬ。」

「うーん......とにかくありがとうございます。」

私は再び歩き出したのだが、矢張り芥川さんがついてくる。

「あの、何でついてくるんですか?」

「ついていっている訳ではない。行き先が同じ、其れまでの事。」

......そうですか、と云う他ないが芥川さんがこのまま歩き回るのは不味い。何せ今の芥川さんは変装も何もしていない。指名手配犯として名高い芥川さんが行き先であるショッピングモールに居ようものなら大事になりかねない。

「芥川さん、そのままの服装はさすがに。」

芥川さんは自分の服装を見、咳払いを一つした。

「三分待て。」

「否、一人で行きますけど......。」

「待たねば《羅生門》の餌となる。」

「......了解です。」

如何しても一緒に行かなければならないらしい。芥川さんが本部ビルに戻る背中を見送りながら溜め息が漏れた。

三分後、芥川さんが早足で戻ってきた。黒のロングコートにサングラスといった様相だ。

「行くぞ。」

「あ、はい。」

否、だから何で一緒に行く事になってるんだろう、本当に。

「あ、ああああ芥川先輩っ!!何故、何故歩とこんな所にっ!!真逆デェトですか!?」

そして、偶然とは何故こういう時に限って起こるのだろう。出入口、入ってすぐのところで樋口さんと遭遇してしまった。偶然の恐ろしさよ。

「五月蝿い、樋口。」

「はい!すみません、先輩!」

謝罪は早いが私を睨む目は厳しい。

「樋口さん、デェトではないので安心してください。」

「然り。」

弁明するも矢張り目が怖い。

「芥川さん、私は此処で......。」

「貴様は太宰さんの礼を買いに来たのだろう。貴様の半端な目で選んだ蟹が太宰さんの血肉となるのは気に食わん。」

「太宰さんのというか......探偵社の皆さんに、なんですけど。」

樋口さんは成る程と一人納得し、蟹ならばそっちの海鮮コーナーにありましたよ、と教えてくださった。芥川さん、樋口さんと其処に向かうと確かに蟹はあった。

「鱈場蟹、楚蟹、松葉蟹......。蟹ってこんなに沢山種類があるんですね。」

「然り、どの蟹も実に美味。」

「芥川先輩の好きな蟹は何ですか?もし良ければ私が......」

「五月蝿い、樋口。僕の好きな蟹ではなく、今は太宰さんの蟹だ。」

「すみません!」

蟹によって味が異なるのだろうか。そうだとしたら好みがあるかもしれない。

「芥川さん、太宰さんってどの蟹が好きなんでしょうか。」

「...... ...... ...... ...... ...... ......知らぬ。」

苦虫を噛み潰したような顔で云った。

「歩、芥川先輩に何て事を!芥川先輩は繊細なんですから優しくしてあげてくださ......」

「黙れ、樋口!」

「はい、すみません!先輩!」

芥川さんも分からないとなると......もう仕方がない。

「全部買いましょう。」

「な、全部!?」

樋口さんが蟹に着いている値札を反射的に見る。

「否、芥川先輩のためなら私も買えなくは。ハッ!給料日前!金欠!」

「......貯金を崩せば買える範囲内です。」

買い物籠にどさどさと蟹を放り込む。

「歩、考え直した方が!......ですよね、芥川先輩。」

「太宰さんのためならば金など幾らでも!」


樋口は思った。此れは不味いと。この人達金銭感覚の方向性が危ない、と。

歩......貯金の範囲内、かつ自分以外のためなら幾らでも買える。
芥川先輩......太宰さんのためなら幾らでも買える。

そう、現在の状況下において自分以外まともな金銭感覚を持っていない、という事に樋口は気付いてしまったのだ。

「蟹でどんな料理するんですかね?」

「何でもできる。僕は鍋を好む。」

「鍋ですか......野菜も必要でしょうか。」

「鍋ならば豆腐も欠かせぬ。」

買い物籠がみるみる内にいっぱいになっていく。

「そういえば、太宰さんたちは鍋を持っているんでしょうか。」

「......確かに。探偵社は薄給と耳にした。鍋すらも買えぬ困窮を太宰さんが味わっている可能性は捨てきれぬ。」

最後には土鍋、ガスコンロまでもが積まれていく。

樋口は思った。此れは自分がしっかりせねば、と。自分以外にこの二人を救える者はいないのだと。


樋口さんが悩ましげに唸っている。何か間違っているのだろうか。否、買う物は多くなってしまったが貯金の範囲内だ。全く問題ない。

「芥川先輩!歩!あのですね......」

樋口さんが口を開いた時だった。

偶然とは重なるもので。

「芥川!?」

「......人虎!」

其処には武装探偵社の中島敦君と鏡花ちゃんが立っていた。鏡花ちゃんがカートを押し、中島君が片手にメモを持っている。仲良く買い物中だったに違いないが、今は芥川さんと中島君の間で火花が散り臨戦態勢となっていた。

「芥川っ......こんな所で何を!」

「見て分からぬか愚か者が。太宰さんの礼の品を買うという歩の付き添いだ。」

礼の品?と中島君が怪訝そうに買い物籠を見る。

「......蟹鍋でもするのか?」

「然り。太宰さんがな。貴様は食うな。」

「否、それは良いんだけど。何でガスコンロとか土鍋まで......。」

鏡花ちゃんも覗いて蟹が沢山入ってると呟く。その奇妙な反応で気付く。もしかして私はおかしいのではないか、と。鏡花ちゃんに事情を説明して尋ねると。

「多分、蟹一杯で良いと思う。」

「......でも、どの蟹が良いか分からなくて。」

鏡花ちゃんは蟹限定なら楚蟹で良い、と他の蟹を置いた。中島君が他のものも戻してくれて籠の中がすっきりとする。

「国木田さんや与謝野さんも蟹好きだと良いんですけど。」

「嫌いじゃないと思いますよ!きっと喜びます!」

中島君が励ましてくれて少し自信が湧いた。

「お酒とか買えればとは思うのですが未成年なので。」

中島君と話しながらレジの順番を待つ。

「え、そうなんですか。もしかして歳近かったりします?僕は十八です!」

「私は......十六?です。多分。」

同い年くらいだと勝手に思っていたが歳上だった。中島君ではなく中島さんと呼ぼう。そうしよう。

「あ、矢っ張り近い!えっと......歩さんと呼んでも良いですか?」

「......まあ、はい。中島さん。」

敦で良いですよ、と云う笑顔はとても眩しい。眼球が痛い。目が死ぬ、と勝手に脳が判断したのか無意識に顔を見ないよう視線を落として話す。だが、それが気になったらしく敦さんは寂しそうな声で云った。

「あの、僕の事嫌いだったりします?」

「否、全然。嫌いじゃないです。ただちょっと眩しくて。」

「眩しい?」

敦さんが首を傾げると芥川さんが私の代弁をする。

「歩は闇の世界を往く者。貴様のように光の世界に拾われた者を眩しくむしろ痛みに感じるのは栓無き事。」

敦さんはそうなのか、と少し俯き気味に返した。

「私も眩しい?」

鏡花ちゃんが小さな声で問う。

それは以前会った時から答えは出ていた。薄暗い牢獄の中にいた時はその闇より深い闇を有していた彼女。だが、今は......。

「......うん、眩しいよ。凄く。」

「......そう。」

鏡花ちゃんはそれが嬉しそうで幸せそうで、本当に良かったと、そう思う。

「......此処の、二階のアイスクリームとても美味しい。」

レジを終え袋を持って、帰ろうとしていた私を鏡花ちゃんが服の袖を掴んで引き留める。

美味しいアイスクリームか、今度Q君にお土産で持っていっても良いかもしれない。

「一緒に、行こう?」

鏡花ちゃんが袖を引っ張り、大きな瞳に上目遣いで見詰められる。私がこういう目に弱いのを知ってか知らずか。とても断り辛い。

「良いじゃないですか!アイスクリーム!一緒に行ってきては如何です?」

答えに戸惑う私に樋口さんが背中を押した。本当に良いのだろうか。良いに決まっている。樋口さんは芥川さんと共にいたいだろうから私は邪魔なのだ。

「私は芥川先輩と帰......」

「僕も行く。」

「あ、芥川先輩!?」

芥川さんと帰る予定だった樋口さんは面食らう。勿論顔には出さないが私もである。

そもそも芥川さんがアイスクリーム屋に行く、というのが珍しいというか似合わないというか。樋口さんはそんな芥川さんを呆然と見て、何か決意したのか、私も同行します!と声を張り上げた。斯くして意図せず我々は大所帯となってしまった訳である。

基本的に敦さんと鏡花ちゃんが和気藹々としていて、樋口さんが話しているのを芥川さんが聞き流し、私はひたすらその四人の後方を歩く、というスタイルで鏡花ちゃん曰く美味しいアイスクリームを販売する店まで来た。買う間際になって何故か芥川さんと敦さんで喧嘩が勃発し、鏡花ちゃんがそれを宥めようと(もしくは参戦しようと)しているため、私は席を取ってそれを眺めていた。

「食べないんですか?」

樋口さんがいちご系のアイスクリームを持って私の向かいに座る。

「今食べると夕食がお腹に入らないので。」

「確かに。」

樋口さんは苦笑して、アイスクリームをスプーンで掬う。

「樋口さんは芥川さんの所にいなくて良いんですか?」

「......貴方は芥川先輩が私と一緒にいても何とも思わないんですか?」

私は首を捻る。そのような事を聞いてくる理由が分からないがとりあえず正直な解答を述べてみる。

「何とも思わない事はないですよ。樋口さんと芥川さんはお似合いだなあとか、それくらいは思います。」

ブフッ!といきなり樋口さんが噴き出す。飛んできたアイスクリームの欠片のようなものはきっちり躱しておいた。

「お似合いって!芥川先輩の事好きだったのではないんですか!?」

「好き?」

「恋愛感情を持っているのでは、という話です。」

持ってないですよ、と私は目を伏せて云った。そんな感情を芥川さんに抱く筈がない。

「芥川さんには樋口さん、あなたがいるじゃないですか。」

「そんな事は......。」

樋口さんが頬を赤らめるが、咳を一つして真っ直ぐ私に向き直る。

「私は貴方が芥川先輩が好きなのだと、そう思っていました。ですが、今日の光景を見ていると私は間違っていたのだと気付いて。」

「私はただ芥川さんに訓練をして貰っているだけの......うーん師弟?みたいな関係ですよ。」

「ええ、貴方の方は本当にそのような接し方で。......私は貴方を誤解していたのだと思います。」

すみません、と謝る樋口さんに私は首を横に振る。

「樋口さんが謝るような事は何も。遊園地の時は部隊を動かしてくださいましたし感謝しかありません。」

ううっ、と呻く樋口さんに私は頭を下げる。

「ありがとうございました。樋口さんがいてくださって本当に良かった。」

「歩......。やっぱりアイスクリーム食べましょう!私が奢りますよ!」

「いえ、本当にお気になさらず。」

樋口さんは何故か涙目でアイスクリームを食べ進める。そして向こうではまだ敦さんと芥川さんが喧嘩している。鏡花ちゃんも睨みを効かせ、実に不穏だが平和な光景のようにも何故か思えてくる。

「歩は好きな人はいないんですか?」

「はい?」

で、此方では所謂恋の話というものが展開されつつあった。主に樋口さんによって。

「黒蜥蜴の立原と仲が良いでしょう。如何なんです?」

「如何と云われても、立原さんには銀さんがいるじゃないですか。本人は否定していましたが。」

「あ、では中也さんは!最近よく一緒にいる、とポートマフィアでは話題に......」

「中原幹部は姐さんがいますよ。私は取り付く島もないです。」

樋口さんは咀嚼しながら唸る。

「うーん、何と云うかそれは......」

ごくりと嚥下し、樋口さんは口を開いた。

「自己暗示、みたいですね。」

「自己暗示。」

「その人には別に好きな人がいる。だから線引きをしてそれ以上は絶対に近付かない。」

ドクンと鼓動が高く鳴った。樋口さんの言葉は私の根幹に関わるものだ。

私にはある呪いがある。それは偶然なのかもしれない。しかし、必然性を以て起こる。

私の大切な人は必ず死ぬ。

両親も。織田作さんも。子どもたちも。太宰さんの手引きで新しくできた両親も。

全員死んだ。

だから、もう大切な人は作らないと決めた。

愛する事も、愛される事も必要ない。

お世話になった人、上司、構成員の皆が幸せになるのを見るので十分だ。

「私はその......貴方の認識はとても嬉しいゴホッ!否、何でもありません。ですが、黒蜥蜴や中也さんに関しては若干行き過ぎというか。もう少し自分の気持ちに素直になってみては?」

「自分の気持ち......」

動悸がして胸を押さえ付ける。

自分の気持ち。自分の......気持ち。

分からない。

私の気持ちの筈なのに何も分からない。

本当は私に大切な人がいるのか。だとしたら、その人は誰なのか。その人はこれからモントに、はたまた別の人間に殺されてしまうのか。

私の呪いのせいで。

「矢張り、私はこのままで良いです。」

「そうですか?」

「このままの方がきっと幸せなんです。」

私も。その人も。

樋口さんは驚いたように瞬きして、なら仕方ありませんね、と悲し気に云った。

暫く沈黙が続いた。

樋口さんがアイスクリームを食べ終え一息ついてからそういえばと話を打ち出す。

「今回の任務、大変なんですか?」

「......ああ、その話ですか。」

一瞬で樋口さんの顔に怒りが満ちる。折角の美しい顔が歪み、眉間に皺さえできている。

「本当に!あの女は!何なんでしょうね!!」

「お、おぉ......」

ダンッ!!と叩かれた机からはフシューと湯気のような煙が上がった。

怖い。

「護衛任務だから仕方ない?そんな訳ないでしょ!日柄一日芥川先輩にべたべたべたべた!香水もきついし、先輩が咳込んでるの気がつかないんですかね!!」

その後も女性に対する不満は続く。少し要約すると、今回の芥川さん及び樋口さんたちの任務は関係企業の社長令嬢の護衛である。その令嬢、約一ヶ月程前から脅迫内容の電話や手紙が相次いでいるそうだ。その企業はポートマフィア傘下、当然といえば当然だがそこそこの悪行を働いているため軍警に通報できず、首領に相談したところ芥川さんらが護衛する旨となった。

しかし、その令嬢、何かと面倒な人間のようだ。まず、芥川さんに好意を寄せているのか一日中側にいるらしい。しかも香水の匂いが酷く、芥川さんの呼吸器にも影響を来している。

「お金があれば誰でも云うことを聞くと思っているのか、札束を投げてきて、芥川さんと私の逢い引きの邪魔をしないでくださる?とか云って来るんですよ!」

「お金持ちなんですね。」

「芥川先輩も何回も《羅生門》を出しそうになりながら抑えているのがお痛わしい限りで......。」

「はい。」

「芥川先輩の住所を聞いてきたりするんですよ!私だってまだ知らないのに......!」

「ふむ。」

「今日は久しぶりの休日なんですけど、何処かにあの女いる気がして......」

ガクリと机に全体重を預けて伸びる樋口さん。相当ストレスが溜まっているようだ。

「10メートル先の柱の影に女の人ならいますけど。」

しかもさっきからずっと此方を凝視している。

「......は?」

樋口さんがそーっと振り向く。

「あ、あの女です!ちょっと芥川先輩に報告してきます!」

樋口さんはそれを見るや否やばたばたと慌ただしく芥川さんの方に駆けて行く。

敦さんと芥川さん、鏡花ちゃんは漸くアイスクリームを買ったようで歩き食いしつつ此方に来ているところだった。樋口さんから事情を聞いていると思われる芥川さんの表情は険しい。

その柱の影の女性の方を見ると何か切羽詰まったような顔をしていた。黒いボストンバッグを持っているし、ストーキングしているには様子がおかしい。

「ねえ、歩ちゃん。」

「......!」

ガチャリと背中に金属物が押し当てられる。その正体はすぐに分かった。

拳銃だ。

「ちょっと一緒に良いかなあ?お話したい事があるの。」

女の声。幼さすら感じさせるその声に私は答える。

「分かりました、行きます。」

「うん!ありがとう!」

銃口が離れ、私は振り返る。其処には長い金髪の少女が立っていた。鏡花ちゃんと同じくらいの年齢だろうか、白衣に眼鏡という研究者のような姿をした小柄な女の子は私にはにかむと此方だよ、と手招きする。

私は席から静かに立って後に続く。芥川さんたちは女の人の方を見ていて、此方には気付いていない。少し安堵して足早に少女を追いかけた。

少女は一階に降り、近くの休憩室のソファーで腰を下ろした。私もそれに倣い、向かいの席に座る。

「わたしはツヴァイ。モントの幹部の一人だよ。」

フィーアの云っていた戦闘には不向き頭脳明晰な幹部がこの少女なのか。だが、幹部というだけあってその小柄な少女が纏う闇は濃く深い。

「今日は遊戯をしに来たの。」

「遊戯?」

ツヴァイは首肯し、衣嚢からクッキーを二つ取り出す。

「わたしが、飲んだ瞬間に人が死ぬ薬を作りたいとするでしょ?そう思うだけでその薬を作るのに必要な成分が分かる、それがわたしの異能力。変でしょう?」

そのクッキーをテーブルに置いて彼女は微笑んだ。

「わたしと材料さえあればどんな薬でも作れる。洗脳も殺人も思いのまま。アインスの望むまま。あなたがフィーアに注入された薬だって私が作ったの。」

「......あなたが。」

「面白かったでしょう?」

私は少女から目を反らした。彼女の目は底無し沼のようだ。落ちたら何処までも落ちていく、そんなどろどろとした瞳だ。

「面白くはないですね。あなたたちとは感性が違うので。」

「まあまあ。もうあなたを勧誘したりしないから安心して。」

ツヴァイは余裕の表情で時間がないからと遊戯の話を始める。

「ルールは簡単。あなたがこの二つのクッキーから一つを選んで食べる。私はもう一方を食べるわ。」

「このクッキー。ただのクッキーじゃないですよね。」

勿論、とツヴァイは人差し指を立てる。

「一つは最高の夢を、もう一つには最悪の夢を見せる薬が入ってる。」

「最高と最悪。」

対極の夢を見せる二つのクッキー、という訳か。

「このショッピングモールの何処かにあなたの大切な人についてのヒントを置いてあるの。此れはその場所について書かれた紙。」

懐から小さな紙片を取り出し、裏向きにして二つのクッキーの間に置いた。

「先に目覚めた方がそのヒントについて好きに扱う事ができる。ちなみにわたしが先に目覚めたらすぐに処分する。」

「......分かりました。」

私は右のクッキーを取り、袋を開ける。

「それで良いの?」

「迷っても無駄だと思うので。」

「そう、じゃあ食べるね。」

二人同時に口に入れる。直後効果は訪れ、眠気が襲った。ツヴァイはこてんとソファーにもたれすぐに眠ってしまう。私もそれに抗う事ができず、意識が闇に落ちていった。

最高か最悪か。

夢が始まる。


小学校の授業が終わり帰宅する。店でカレーを作っていたおじさんに挨拶して階段を上がる。宿題は何だっただろうか。テストはあっただろうか。そんな事をあれこれ考えながら、部屋のドアノブを回した。

「ただいま。」

しかし、其処には誰もいなかった。否、いるのだろうが出て来ないのだ。

先月からこのような光景が続いている。

五人の子どもたちと私による隠れんぼ。

「うーん......皆何処かなあ。」

態とらしくそう云って、ベッドの掛け布団を剥ぎ取る。すると、男の子が一人、身体を丸めていた。

「真嗣。」

「お、おかえりなさいー......」

真嗣を皮切りに幸介、克巳、優が次々に見つかる。この空間では隠れられる場所は限られてくる。此までと同じ場所に皆大抵隠れていた。

「......あれ、咲楽は?」

「何処でしょう!」

クフフと笑う男子たちを背に私は咲楽の捜索に掛かる。しかし、全く見つからない。

「え、本当何処?家には帰ってきてるんだよね?」

「帰ってきてるよ。」

「遊びに行ったりしてない?行方不明だったりとかじゃないよね?」

「ちゃんと隠れんぼしてるから落ち着けよ、歩。」

幸介がそう云うが如何しても見つからない。私は両手を挙げて降参のポーズを取った。

「無理、分からない。咲楽凄い。隠れんぼの神。」

「だってよー!」

すると、咲楽がにこにこと嬉しそうに押し入れから出てくる。

「え、私調べたよ、押し入れの中。」

私が 呆然と咲楽を見ると幸介が誇らしげに胸を張った。

「凄いだろ!皆で考えたんだからな!」

「うん、凄い。でも、よく分からない。」

そう云うと皆が私を押し入れの中に引っ張る。実はこの押し入れ、立て付けが悪いのか半分程度しか開かない。また上段は荷物で埋まっているが下段は隠れんぼ用にとおじさんが空にしたのだ。

「今日、帰り道でこんなもん拾ったんだよ。」

幸介が押し入れの下段奥から木の板を取り出す。

「押し入れの奥の方に入って、それからこうして板を立てて......」

押し入れの奥の方は暗くて見えにくい。そしてその板も押し入れの木と色が似ているためほとんど同化している。其処が行き止まりと考えてしまっても仕方ない。

「此れで織田作を驚かせてやるぜ!」

おーっ!と一致団結する子どもたちに私は自然と笑みが溢れた。

結果的に織田作さんを驚かせる事はできず、最終的に其処は幸介たちの成績表などの隠し場所になってしまったが。


此処で目が覚めるなら最高なのかもしれない。だが、覚める気配はない。ならばきっと此れは最悪の方だ。

そして場面が切り替わる。

「......あれは。」

子どもたちがそれぞれ思い思いに遊んでいる中、私は窓から外を見ていた。それが幸か不幸かは分からない。知らないバスが駐車場に停まり、ぞろぞろと銃を持った人間が店に向かっていく。

厭な予感がした。否、予感どころではなかった。

それは確信だった。

早く如何にかしなければ、逃げなければ、と心臓が早鐘を打つ。焦るな、冷静にと何度も自分を叱咤し、私は子どもたちに声を掛ける。此処から逃げた方が良い。じゃないと殺される、と。話している間におじさんの悲鳴が聞こえた。銃声もだ。

子どもたちはそれで全て分かってしまった。自分が今絶望の淵に立たされていると。

「でも、逃げるって云ったって。」

幸介が如何やって逃げるんだよ、と窓の外を見る。襲撃者が周りを取り囲んでいた。逃げ場は何処にもなかった。

「っ......!」

頭の中で警鐘が鳴り始めた。此れは幻聴じゃない。私の異能力。つまりもうあと時間は30秒しか残されていないという事を示していた。

だが、突破口が見つからない。

こんな異能力じゃなかったら。もっと戦闘に特化していたなら。

皆を守れたのに。

「一人だけなら隠れられるよ!」

震えながら咲楽が云った。

「そうだ、彼処使おうぜ!」

幸介が押し入れを指す。真逆、隠れんぼの......と私が思い出したように呟くと皆が頷く。

「歩、入れよ。」

「......は?」

聞き返した。
聞こえてはいた。
でも、意味が分からなかった。

「俺たち皆ずっと歩に助けられてきた。だから今度は俺たちの番だぜ!」

皆が私を押し入れに押し込む。泣き出しそうなのに、強い光を目に宿して。

「やめて、駄目!私は良いの!私が皆を守るって!織田作さんと約束してるの!だから!」

私は喚いた。織田作さんとの約束を破るなんて許されない。私は其処にいて皆を守らなければならない。それが私の......。

「俺たちも約束してるんだよ!」

幸介が叫んだ。その拍子に幸介の目からぽろりと涙が零れ落ちた。

「織田作と約束してるんだよ!歩を皆で守れって!!」

少し汚れた木の板が視界を閉ざしていく。

警鐘はいつの間にか音を失っていた。

このままでは駄目だと思うのに身体が動かなかった。子どもたちを守らないとと思うのに指一本動かせなかった。子どもたちの悲鳴が、男たちの怒鳴り声が聞こえるのに。

何もできなかった。

そして、私は......。

意識が覚醒する。目を開き、向かいの席を確認する。

いない。ツヴァイは見当たらなかった。

だが、テーブルの上には紙片が残されていた。

「......屋上。」

其処にはただ屋上とだけ記されていた。

私はすぐに立ち上がって近くのエスカレーターを駆け上がった。このショッピングモールの構造は大体把握している。業務用廊下を通り梯子を使って屋上を目指す。

まだ間に合う。そう信じて。


時は少し遡る。
ポートマフィアの監獄を訪れた中也は鎖に繋がれているフィーアの前に立った。数々の拷問を受け、ぼろぼろになっていたフィーアはそれでも笑みを浮かべていた。

「よォ、俺の部下が世話になったな。」

「部下って歩の事?じゃあ、お前が中原幹部様かー。」

中也はそうだ、と低い声で返す。

「折角勧誘してたのに、中原幹部様がポートマフィアらしからぬ上司っぷりを見せてくれちゃったおかげで断られたんですけど。それとも歩には自分の残酷非道なところは見せてないのかな?話聞いてたら普通の企業の良い上司にしか聞こえなかったんだけど。」

「ぺらぺら口動かす余裕があるならモントの情報一つでも話せ。」

中也は睨み付けるが、フィーアは怖い怖いと首を振るだけだった。

「歩に中原幹部様の自慢話されたんだよ。黙って聞いてた俺の身にもなってくんねえ?」

「知るか、手前が話させたんだろうが!」

「何で顔赤くしてキレるんだよ。もしかして聞いてた?聞いてた?」

中也はナイフを懐から抜いて、首筋に当てる。

「余計な話は締めェだ。さっさとアインスって奴の居所を吐け。」

「なんだ、歩から聞いてるんじゃねえか。」

フィーアはニヤリと口角を上げる。

「残念ながら俺も知らない。だが、ツヴァイの居所なら分かる。」

「ツヴァイ、モントの二番目か。何処だ。」

「歩のすぐ近くだよ。今頃歩と遊戯でもして楽しんでるんじゃねえの?」

「手前、何云って......!」

フィーアの言葉に中也は目の色を変えた。携帯電話を手に、彼女に渡していたインカムに付けているGPSを調べる。

「チッ、今すぐ車用意しろ。それから此奴に情報をとにかく吐かせろ。」

後ろにいた構成員に命令し、踵を返す。

「あ、最後にもう一つ。」

「何だ?」

「黒のボストンバッグって歩に云っておいて。」

「はァ?」

中也はフィーアの言葉に首を傾げながら監獄を急ぎ後にした。


一方、敦、鏡花、芥川、樋口は歩と令嬢の女を捜していた。

どちらも話している間に居なくなってしまい、姿が一向に見当たらない。

「トイレとかかな?」

「彼奴なら10秒で済ませる。」

「え?お前、歩さんのトイレの時間計ってるの?それはちょっと。」

「ちょっとところじゃない。凄く気持ち悪い。」

「芥川先輩に気持ち悪いとは不敬な!」

「樋口五月蝿い。団子になって捜しても効率が悪い。散れ。」

了解です、と樋口が云ったのを機に皆散り散りになって捜索を再開する。

暫くして樋口は業務用のドアを開ける女を発見した。何故あの女がそんな所に、と思案しつつ芥川に連絡し、追跡する。

女は業務用の通路を経由し、上の階に進んでいく。更には梯子まで使って屋上へと登り始める。

「一体何を......」

「樋口さん!」

其処に敦がやって来る。樋口は芥川先輩じゃない、と落胆しながらも梯子を登る。

「人虎、何故此処に。」

「樋口さんの声がしたので来てみたんです。」

「そうですか。否、それよりもあの女、屋上に何の用が......」

二人は屋上に辿り着き、タンクのようなものの影から様子を伺う。

「来てくれてありがとう。」

「此れで私たちと関わらないでくれるのよね?」

其処にはもう一人、金髪の少女が、ツヴァイが立っていた。

「歩ちゃんとの遊戯にも勝ったし満足だよ。あなたの仕事もおしまい。モントはあなたたちには明日から手を出さないと約束するよ。お疲れ様。」

令嬢の方は安心したのか深く息を吐き出した。

「それじゃあ......」

「待ちなさい!」

敦は飛び出していった樋口の行動に驚く。

「樋口さん!?」

「モントと繋がりながら芥川先輩に付きまとっていたとは!芥川先輩が許してもこの樋口は許しませんよ!」

令嬢は樋口の剣幕に気圧され後退る。モントには脅されていただけで、ともごもごと言い訳する。

「嘘ついちゃ駄目だよ。わたしたちとっても仲良しだったじゃない。」

「っ......!」

ツヴァイは妖艶に微笑み、令嬢の口元は引き攣る。

「そうだ、その鞄なのだけれど、もう要らないの。」

ツヴァイは令嬢に歩み寄った。恐怖からか令嬢は後退りを続け、遂に端まで来てしまう。

「あ、危ないですよ!」

敦が止めようと走り寄る。

その直前。

「要らないものは捨てなくちゃ、だよね?アインス。」

トン、と片手でツヴァイが令嬢を軽く押した。

令嬢はバランスを崩し、ボストンバッグと共に空に投げ出される。

「あっ!!」

敦と樋口は唐突の事に一瞬出遅れる。

令嬢が悲鳴を上げながら落下していく。そのように思われた。

しかし、救いを求めるように上空を仰いだ令嬢の腕を誰かが掴んだ。

それは......。

「あらら、速かったね。歩ちゃん。」

それは歩の手だった。


梯子を上りきった私の目に入ったのは先程ボストンバッグを手に私たちを見ていた芥川さんたちの護衛対象である令嬢と思われる女とツヴァイだった。

ツヴァイの手により倒れるように空に投げ出された令嬢が目に入ると、私は咄嗟に地を蹴り、手を伸ばして彼女の腕を掴む。

その時、異能力である警鐘が鳴り響いた。

「......っ!!」

「あ、なたは。」

「引き上げます。私の事は気にせず自分を優先して考えてください。」

私は渾身の力を込めて引っ張り上げる。しかし、私は......

「敦さん!この人を!」

「え、あっ!?」

敦さんが彼女を抱き止めるのを確認したが、私は勢い余り。
......否、此れくらい力を込めなければ彼女を助けるのは不可能なのだが。

落下していく。

「歩さんっ!!」

「歩っ!?」

敦さんと樋口さんの悲痛な叫びがどんどん離れていく。

此れは......死ぬ。

警鐘は鳴り止まない。また、落下を如何にかする術は今の私にはない。

「歩!!」

何時来たのか芥川さんが珍しく焦った様子で《羅生門》を私に伸ばす。

だが、届かない。それは分かりきっていた事だった。《羅生門》には如何しても伸ばす距離の限界がある。

鏡花ちゃんの姿も見えたが、もう小さくなってしまった。

風を切って。
スピードを上げて。
地面に向かって落ちていく。

高所落下か、きっと痛いだろう。それに私の死に場所は戦場だと思っていたが。

そうか、ショッピングモールの屋上から人を助けて落下か。

そういうのも悪くないかもしれない。

目を閉じ、その瞬間を待った。

此れは私の望んだ事だ。

「歩!!」

死の鐘が鳴る中、右耳の近くで私を呼ぶ声が聞こえた。

「中原幹部......?」

そうだ、インカムを外すのを忘れていた。右耳にあるそれにそっと触れる。

「歩!!」

この声に応えて良いのだろうか。私はこの声に応える資格があるのだろうか。

樋口さんが云っていた事をふと思い出した。

自分の気持ちに素直になっても良いのでは、と。

私は如何すれば良い?私は如何したい?

目を開ける。地上はもう近い。

「中原......幹部。......中也、さん。」

今だけ、あなたの声に応えても良いですか。

それ以上はもう何も望まないから。

「中、也さん......中也さんっ!」

警鐘がぴたりと止み、ふわりと私の身体が受け止められた。地面まで残り数メートル、ぎりぎりだった。

「遅ェよ、さっさと呼べ。莫迦野郎。」

「......中也さん。」

中也さんは私を横抱きにしてゆっくりと浮上していく。鳥が空を飛ぶように、中也さんがその異能力を以て飛翔する。

「姐さんは大切な人だ。」

突然中也さんがそんな事を云うので私は知ってますよ、と頷く。

「でも、手前が思っているような関係じゃねェ。」

「......?」

「姐さんとは付き合ってもいねェし、これから今以上の関係になる事もない。だから、手前は遠慮しなくて良い。」

中也さんはぎゅっと私の身体を引き寄せる。

「俺の所に堕ちてこい。莫迦が。」

「......落ちましたけど、さっき。」

「物理的にな!」

中也さんは溜め息を吐いたが、薄く笑って屋上を目指す。中也さんの心臓の音が聞こえる。織田作さんより少し早いが確かな音。

「如何した?」

「中也さんの鼓動、凄く安心します。」

その胸に頬を軽く擦りつける。

「何だァ?甘えたか?」

「わ、すみません。」

調子に乗りすぎたと顔を離すが逆に中也さんが慌てる。

「あ?莫迦、止めんじゃねェ。折角猫みたいでか......」

「か?」

「か......何でもねェ。」

中也さんは私から目線を外し、速度を上げる。屋上に達し、中也さんの腕から降ろされた私に敦さんは安堵の涙を浮かべ、鏡花ちゃんはぎゅっと抱き着く。

「良かった。無事で。」

「ありがとう、鏡花ちゃん。」

頭を撫でると鏡花ちゃんはにこりと微笑んだ。

「人を助け、自分は落ちる等愚の骨ち......」

「芥川ー、他に云うことあるだろうが。」

芥川さんは中也さんをびくりと肩を震わせて見た後、拳を握り締め、

「......無事で何より。」

と小さな声で云った。

云わされた感は否めないがそれでも嬉しいものは嬉しい。ありがとうございます、と頭を下げる。樋口さんも無事で良かったと涙混じりに私の手を握った。

真逆こんなに心配されていたとは。少し驚きながらも冷静な自分がそれより、と辺りを見回す。

「ツヴァイ......女の子の方は?」

「す、すみません。いつの間にかいなくなっていて。」

私が落下していくのに皆の意識が向いている間に逃走したのだろう。

「あの......遊戯をしていたってその子云ってたのですが、大丈夫だったんですか?」

「......大丈夫です。」

負けてしまった事で私の大切な人に関する情報はなくなってしまったが。

「そういえば、フィーアの野郎が黒のボストンバッグが如何とか云ってたぜ。」

黒のボストンバッグ、黒の......ボストンバッグ?

それって......。

「此れの事?」

鏡花ちゃんが座り込んでいる令嬢の隣にあるボストンバッグを指した。

「だ、駄目よ!此れには爆弾が入ってるの!」

令嬢が其れを抱え込もうとするが、私はすぐに奪い取りファスナーに手を掛けた。

異能力は発動しない。

即ち安全。

一気にファスナーを開けて中を見る。

「写真ですか?」

覗き込んだ樋口さんの云うようにボストンバッグに入っていたのは写真の束だった。ゴムでまとめ、二列あるその束の一つを手に取る。

「......私の家。」

一つには私の買った海辺のログハウスの写真。私が出入りするところまで正確に押さえられた写真の束だった。

私は無言で其れを見ていたが、鏡花ちゃんがもう一方の束を取り出し、溢した言葉に息を詰めた。

「女の子......?」

「え......?」

鏡花ちゃんが手渡した一枚の写真は私の全身を硬直させた。

確かに。確かにその通りだ。

彼女は私の唯一だ。

「りっ......ちゃん。」

織田作さんと子どもたちの事以外色褪せてしまった記憶の中で唯一鮮やかに思い出せる記憶。

私の最初で最後の親友。

「りっちゃん......」

「りっちゃん?友達?」

鏡花ちゃんが尋ねてくる声も遠く感じた。が、途切れ途切れに答える。

「小学校の時の......親友。私の、大切な、人。」

小学校の時よりも遥かに大人びたりっちゃん。だが、その瞳は暗く淀んでいるように見えた。

他の写真も、黒服に銃を持つ姿などが多く、それは彼女がモントに所属しているという事を知らしめるに十分だった。

そして最後の一枚。

花だった。

「ルピナス。」

鏡花ちゃんがぽつりと云った。

「花言葉は色々ある。想像力、貪欲、いつも幸せ、あなたは私の安らぎ。」

「っ......」

行かないとと、誰かが、何かが、私を攻め立てる。あの日からりっちゃんとの接点は何もない。でも、りっちゃんが如何思っていたとしても彼女は私にとって大切な親友だったのだ。

厭だ。
りっちゃんが殺されるのは絶対に。

「歩!手前真逆......」

無意識に走り出そうとしていた私を中也さんが止める。

「行かなくちゃ駄目なんです。」

「幹部命令だ。行くな。」

「それは幹部としての命令ではありません。」

「な......に?」

「それは中也さん個人の命令です。ポートマフィアの幹部としての命令じゃない。ならば今は従う理由はありません。」

私はすれ違うように中也さんの横を通り、梯子へ歩む。その前に樋口さんの所に寄った。

「樋口さん、拳銃を貸していただけませんか?」

「は、はい......」

差し出された黒の拳銃をホルスターに差し込み、全て振り払うように走り出す。

時間は余り残されていない。最短ルートを頭で描きながら私はショッピングモールを後にした。

一旦自宅に戻った私は中也さんのインカムを外し、ベッドサイドに置いた。次にバイクの鍵を探し、それを手に駐車場へと急ぐ。

私の愛車である漆黒の自動二輪。

暫く使っていないが、メンテナンスは週一で行っている。

それに跨がりエンジンを掛けて日が傾き始めた街を横切る。

時間が惜しい。法定速度ギリギリを保ちながら目的地へと駆った。


中也は首領の執務室の扉を音高く開けた。首領は驚きもせず穏やかに中也に声を掛けた。

「中也君、そんなに急いで如何したんだい?」

「異能力部隊の大規模編成を願いたいのですが。」

首領は中也から一通り報告を聞いて、ふむと緩慢な動作で顎に手を当てる。事は一刻を争う、中也は焦燥に駈られながら許可を待った。しかし、答えは無慈悲なものだった。

「中也君の気持ちは分かるがその必要はないよ。」

中也は何故ですか、と掠れた声で尋ねる。

「手を出さずとも歩君は我々ポートマフィアにとっての最適解をもたらすだろう。中也君は此処で彼女の帰りを待っていると良い。」

首領は不敵に口角を上げる。

「さあ、歩君、選択の時間だ。」

[ 9/41 ]


[目次]
[しおりを挟む]

前へ 次へ

トップページへ




×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -